「図書館に訊け!」は盗みがいがあるぞ
「検索」ならぬ、情報「探索」の方法が盗める。しかも、調べ物のプロフェッショナル、図書館員の技が惜しげもなく開陳されている。
「検索」はキーワードによるヒットを試行錯誤する方法だ。いわば、欲しいものが明確に分っており、ピンポイントで狙って当てるようなもの。いっぽう「探索」は調べたいトピックによる絞り込み検索+レファレンスブックのフィードバックによる深堀りだ。着弾地点から再度絞り込みをかけているようなもので、確度と網羅性は高い。
この探索手法が具体的かつ「調べるための」参考文献満載で紹介されている。このテクニックを「文法」になぞらえている。至言なので孫引きする。
文法をやらなくっても読めるっていうのは正解だよ。だけど、そいつはよっぽどセンスと力とやる気のある人がいう台詞なんだ。凡人はな、文法をやったほうがよっぽど楽なんだ。特急券なんだよ。苦労の末につかむ筈の法則を、最初にぽんと教えてもらえるんだから。
「スキップ」(北村薫)
例えば、本の形態から、読むべき本を選択するテクニックが紹介されている。新書 > 単行本 > 文庫本 の順に鮮度が落ちることは経験的に知っていたが、書誌情報にある本の大きさ、頁数、版数、発行年数、引用文献から、どの本が入門性が高く、どの本が専門書として扱うべきかを探求する「図書館員の思考プロセス」は特急券、非常に盗みがいがあるぞ。
あるいは、本屋だけで事足れりとする発想は浅はかなだけでなく危険だと指摘する。例えば、トヨタ自動車を研究しようとして、新刊書店で「トヨタはいかにして『最強の車』をつくったか」(片山修/小学館/2002)は入手できても、トヨタ社内で編纂した「創造限りなく――トヨタ自動車の50年史」(トヨタ自動車/1987)は図書館で手に取るしかない。
著者は繰り返し指摘する、「データベースやレファレンスブック、インターネットを探索しても見つからないからといって、"無い"なんてことはない。見つけていないだけだ」誰かが必ず書いており、真のオリジナリティは先人たちの集積の上に在るという。
たかだか数十年、己の嗅覚だけを頼りに新刊書店と古本屋を経巡って集めた「本棚」で悦に入っていた自分が恥ずかしい。「本屋さんの本」だけで良しとする考えは、google検索結果が世の全てと判断する思考停止ポイントと非常に近接している。
図書館の怖いところは、利用者の関心やレベルに応じて、その相貌と機能を変えるところにあるという。その結果、自分は充分に利用できていると自認していても、知らず知らずのうちに稚拙な利用法で終わっていたりする。自分が成長しない限り、相手も変わってくれない。
せいぜい精進いたしますか。
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