ゆりさんから挑戦状を叩きつけられる→「けッBLかよ」鼻で笑って読む→気持ちが悪くなる→完敗(ごめん劇薬でした)
わたしが知らない劇薬本は、ゆりさんが読んでいた。
うん、確かに最悪の読後感を味わえる、いろいろな意味で。わたしと同性(男)の感想を聞いてみたい一方で、異性、特に嫁さんには絶対に見せられない。この「嫁さんに見せられない逸品」はギャルゲ・アニメ・同人etcとシリーズ化できるぐらいあるが、本書はその頂点と相成った。
萌えるシチュエーションはそれこそ千差万別で、ユーザーの数だけニーズがある。いっぽう、いかなる状況でも萌えられるというのは、パワーユーザーの資質だ。
そうした思惑を粉砕してくれるのがこれ。突然世界が崩壊して、生き残ったのは男だけ(女は全滅、原因不明)。ウホッ、男だらけのジ・エンド・オブ・ザ・ワールドというやつ。「世界が終わる」はネタに困ったときの常套手法かもしれんが、だからといって女を殺すな、女を!(←この時点で、潜在読者の半分を作者自ら抹消している)。
世界の終わりとボーイズ・ラブの相性はいいのか? あるいは、ノンケがゲイに目覚めるためには、世界を丸ごと一個を必要とするのか?
いっぽう、読んでて面白いなぁ、としみじみ思ったのは、作者その人。いったいぜんたい、どんなつもりでこれ書いたのだろうか? こんな「セカイ」にせずとも、いくらでもBLできるだろうに。終末小説が書きたいから? 口に糊するため? 普通、小説は単品で存在するものとして、作者なんて属性の一つと思っているわたしにとって、顔を拝んでお話したい例外ができた。
いそいで付け加えておくが、小説としてのデキは期待しないほうがいい。ハルマゲドンモノとしても恋愛モノ(?)としても破綻しているし、全てのオチは開始数頁で分かる。BLとしてスゴいのかどうか知らんが、とりあえずちんこ立ったといっておこう。監禁陵辱という萌えシチュになると、どうしても反応してしまう自分が憎い、憎いよ。いかなる状況でも萌えられるというのはパワーユーザーの証なんだ。ああ、自己嫌悪で気分が悪い、しかも読み終わってもついてくるよこの気持ち。
本書の劇薬性について、ゆりさんが一言で喝破している。
ああ、わかるよ、きっといるに違いないという確信が絶望に変わる。読んだ人なら同じ結論に至ってガクゼンとするかも。世の中には、氏賀Y太でないと抜けない人がいるように、本書を激しくオカズにする女がいる、きっといる。
BL入門書としてどうかは… すまん熟練者に訊いてくれ。いわゆるBL本は本書が初体験なので(///)。
さて、極限状況でのもう一つのテーマカニバリズムについては、ゆりさんは「ひかりごけ」(武田泰淳)を挙げている。人肉を犬の肉と偽るところなんて、むしろ「野火」(大岡昇平)を思い出した(もっともあれは「猿の肉」なんだが)。本当に餓えているときは、禁忌をめぐる対話なんてなされるべくもなく、喰える人とそうでない人に割れるだけのような気が。つまり、喰える人は躊躇しつつしっかり咀嚼するだろうし、できない人は完全に論破されてもできない(口に入れたら喰うぞ、泣きながら)。
あるいは、中途半端にこのテーマを取り入れて炎上した「マイナス」(沖さやか)を思い出す。単行本化にあたり削除された、『あの部分』よりも、むしろそういう性質の主人公にした書き手の方がスゴいね。「沖さやか」でピンとこなければ、「はるか17」の山崎さやか、と記しておこうか。
このテーマも、ひと山できるぐらいあるが、最近読んだやつで「復讐する海」が良かった(レビューは[ここ])。劇薬小説というよりも徹夜小説、徹本というやつ、しかもノンフィクション。謹んでゆりさんに御礼仕る。

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