「ローマ人の物語」を10倍楽しく読む方法:「ジュリアス・シーザー」が『ユリウス・カエサル』でない理由
こんなシーザー、「カエサル」じゃないぞとブツブツ言いながら読む。わたしにとってのカエサル像は、「ガリア戦記」「内乱記」「ローマ人の物語」を元にできているが、シェイクスピアのこれは、キャラが違う。
「ローマ人の物語」はカエサル萌え一直線なので割り引くとしても、本人が書いた「ガリア戦記」を読めば分かる。ユリウス・カエサルは、巨人だ。
戦略・戦術・外交において天才的な器や、本質をずばり見抜き、的確な言葉で100%筋肉質の文を生み出す才能や、あるいは、百戦錬磨の百人隊長の人心を掌握するほど震えるセリフなんて、カケラすら出てこない。
その代わりに、嫁さんの夢見が悪いからとおたおたしたり、占い師の言うことを信じないながらも気にする様子は、ただの神経質な中年男にしか見えない。大仰に芝居がかったセリフを振りまいているだけ(あたりまえか、芝居だもんね)。
イベントやセリフは、「プルターク英雄伝」まんまなので、焼き直しという評はさもありなん。シェイクスピアはプルタークは熟読しただろうが、ガリア戦記は読んでないに違いない。
「ブルータス、おまえもか!」が特に有名だけれど、面白くなるのはその直後から。カエサルを弑した理由を語るブルータスや、昨日まで『カエサル最高』と叫んでいた民衆の掌反転の態度が笑える。特に素晴らしいのは反カエサル派に囲まれたアントニーが「哀悼の意」を表する場面。
とても勉強になるので、以下に引用する。ここはアジテーションの教科書にのせるべきところだねッ、全文アントニーの台詞なり。
見るべきところを太字化したのはわたし。反語「いやない」を言わないで、同じ言葉が180度転換されるサマをありありと読むことができる。
実は、アントニーがこの演説をする『前』に、ブルータスが演説をし、民衆の心はすっかりとらえられている。ブルータスは聴衆を虜にして、もう安心と演壇を下りるが、アントニーはこのホメ殺し演説で大逆転を果たす。デマゴーグのお手本だなぁ…
ポイントは、直前にブルータスが言った「私は何より公明正大を尊ぶ」を逆手に取っているところ。そのコトバを何度も繰り返すことで、ブルータスに反対していないことを強調しつつ、事実を積み重ねることによって民衆の感情に訴えるという高等技術を使っている。
この後、アントニーの巧みな誘導でシーザーの遺言が読み上げられるところや、衆愚が暴徒と化してはっちゃける様子や、逃げだしたブルータス派の仲間割れのあたりが楽しめた── ので、シーザーのキャラクターはあんまり面白くなかったナリ。
結論:「ガリア戦記」の書き手との対照性に着目して読むと、そのギャップにずっこけるかも。「ローマ人の物語」で一言も書いていないけれど、塩婆は「ジュリアス・シーザー」が大嫌いなんだろうなぁ、と思った。
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コメント
続編にあたる「アントニーとクレオパトラ」を読むとまた、因縁めいた展開にシェイクスピアの巧みさを感じ取れたり。時に強く、時に脆く、人間臭い登場人物を描くという点において、シェイクスピアは現代にも通じる素晴らしい教科書ですね。
しかしまったく、おかまいなしに剛健な男好きの塩婆さんは、日本で一番有名な腐女子だと思います。
投稿: jackal | 2006.12.04 02:49
>> jackal さん
ハイ、「アントニーとクレオパトラ」は嬉しいことに未読で、次のターゲットです。シェイクスピアをうまく「使える」ようになりたいですね。
塩婆さんのカエサル萌えっぷりは「ローマ人の物語」を愉しむ要素となりつつあります…
投稿: Dain | 2006.12.05 00:50