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ローマ人の物語I「ローマは一日にして成らず」の読みどころ

ローマ人の物語1 知力ではギリシア人に劣り、体力ではガリア人に劣り、技術では、エトルリア人に劣り、経済力では、カルタゴ人に劣るのが、ローマ人。そんなローマがなぜあれほどの権勢を長期にわたって誇ったか――これこそ、塩野氏が本書を書いたテーマだという。これは、読み手であるわたしも同じ。

 ローマの強さ。しかも一過性の強さではなく、時代をかさねても継続的に続くものが何であるかを考えさせられる。「強さ」と聞くと、思わず「頑丈」「頑強」と思い浮かべる。何事もシステマティックに進めようとする気質から、「頑固」「頑迷」なんて言葉も出てくる。

 しかし、どうやらそうではないらしい。「ローマは一日にして成らず」を読むと、確かに頑ななところもある一方、柔軟に取り込もうという気風もあったらしい。多神教なんてその最たるもの。ギリシアも日本の八百萬神も超え、ローマには門や橋にまでカミサマがいたそうな。

 そこで一番笑ったのが「夫婦喧嘩の守護神」の話。

夫婦喧嘩の守護神の話

 夫婦喧嘩は犬も食わないなんて、二千年前も現代もおなじ。さらにいうと、喧嘩のヒートアップの仕方も同じ。つまり、お互い感情的に昂ぶってくると、大声になったり相手のことを聞かなくなったりする。耳を押さえ目を閉じて非難の応酬となる。

 そこで、「夫婦喧嘩の守護神」の登場。このカミサマ、求めに応じて出張してくるタイプではないため、夫婦してお堂へ出向くそうな。そこで、お互いの言い分を聞いていただくのだという。ただし、――ここが重要――この守護神、一度に聞けるのは一人だけ。つまり、代わる代わるカミサマに「言い分」を伝えることになるのだ。

 すると、相手の「言い分」が耳に入ってくる。カッカしているときには冷静に聞けなかったのが、聞けるようになる。つまり、「カミサマに聞いてもらう」ことを口実に、相手が口を開くことなく伝えることができる仕掛けだ。

 こうして、カミサマに向かってしゃべることで、「ついでに」相手にも聞いてもらうことをくり返す。このプロセスを経るうちに、感情的なとこもおさまってくる。で、お堂を後にする頃には、もう仲直り…できているかどうかは、カミのみぞ知る。

塩野七生氏が「書いてみたい」ネタ

 屈指のローマオタクである塩野氏が、今度はギリシアで書いてみたいと本書で明言しているネタはこれらしい↓

タイトル 「ソクラテスとその弟子たち」


  • 最も魅力的な裏切り者──アルキビアデス
  • アテネに圧政を敷いた当人でありながら、劇中で自分が揶揄されても、笑って観ていた──クリティアス
  • アテネを見捨て、マケドニアに去っていった悲劇作家──アガトン
  • ペルシアの地でしか武将の才を発揮できなかったベストセラーノンフィクション作家──クセノフォン
  • 迷走するアテネに嫌気がさし、学問の世界にこもるほうを選んだプラトン

 いずれもソクラテス好みの、肉体的にも精神的にも美しい青年たち。ソクラテスとこの弟子たちの生き様を追うのは、輝かしいポリス・アテネの光と影を浮き彫りにする格好のテーマ

 とのこと。ローマやギリシアを「世界史」「倫理」としてしまったわたしは、実はとてつもなくもったいない知り方をしたんじゃぁないかと思っている。決まったことをなぞるだけの歴史ではなく、「なぜそうなったのか」に答えながらプロセスを明らかにするストーリーは、面白いぞ。この「ローマは一日にして成らず」は、続く「ハンニバル戦記」の前フリに満ち満ちている(続刊読んで分かった)。しかも、この長い長い話全部の壮大な前フリでもあるらしい。

 その証拠は、「ローマは一日にして成らず」の結びにある。

「ローマ人の物語」の参考文献

 それは膨大な参考資料。巻末の資料一覧を見ると、「ローマは一日にして成らず」を書くために、「一応」とは謙遜しているものの、莫大の史料を渉猟したことは分かる。そして、その知識が研究者のおかげだということはいわずもがなだが、そこからの七生節が面白い。

 だが、この種の情報は得られたものの、それだけでは何ともしっくりこない。しっくりきはじめたのは、こっらの研究者たちが原史料として使う、古代の歴史書を読みはじめてからだった

 いわゆる一次情報だととらえればいい。同時代か、近い時代に書かれた史料で、「ローマは一日にして成らず」の場合、以下の四書になるそうな。

 リヴィウス「ローマ史」
 ポリビウス「歴史」
 プルタコス「列伝」
 ハリカルナッソス生まれのディオニッソス「古ローマ史」

 なぜ二千年も前に生きた人間のローマ観のほうが「しっくり」くるのか? 自称シロウトが答えた4つの要点は、わたしにも「しっくり」くる。

 第一は、ローマ興隆の因を精神的なものに求めなかったリヴィウスを除く三人の態度にあるという。塩野氏自身、興隆や衰退の要因を感性的なものに求める態度をとっていない。つまり、「ローマの興隆はローマ人の精神が健全だったからであり、衰退はそれが堕落したから」という論法には納得ができないという。それよりも、当事者たちがつくりあげたシステムにあり、移り変わりの激しい人間の気分よりも、そうした気分にせざるをえない方へもっていくシステム化こそが、興隆や衰退の主要因だという。

 第二は、彼らはキリスト教の価値観の影響を受けていないところが「しっくり」くるという。そもそも彼ら三人はキリスト教普及以前に生きたのだからあたりまえ。塩野氏もキリスト教信者でないし、その価値観や倫理から自由だと述べている。「貧しきものこそ幸いなれ」というイエスの教えの優しさは分かるが、一方で「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である」といったペリクレスの方が同感だという。塩野氏は、

キリスト教を知らなかった時代のローマ人を書くのに、キリスト教の価値観を通しても見たのでは書けない

 などと遠まわしな言い方をしているが、二次史料以降、われわれは、キリスト教の価値観でゆがんだローマを眺めていると言いたいんじゃないかと。

 第三も面白い。フランス革命によって絶対視されるようになった「自由・平等・博愛」の三点セットの理念に、一次史料の書き手はとらわれていないという。これも時代が違うから当たり前といえばあたりまえなのだが、きわめて実際的に合理的にローマを描こうとしている塩野氏にとって、この理念に合わない観点を無意識的に除外しようとする二次史料以降の姿勢に異を唱えたいのだろう。自由も平等も大事かもしれないが、それは今の話であって、ローマを理解するバイアスになりかねないぞと。

 四点目がスゴい。最初のテーマ「なぜローマが──」につながるのだが、問題意識の切実さが違うという。彼ら三人の問いかけは「あれほど高度な文化を築いたギリシアが衰退し、なぜローマは興隆をつづけるのか」という点で完全に一致している。彼ら自身が衰退したギリシア民族に属していたから、この問題は切実な意味を持っていたという。で、その切実さが欠けている日本人の書いた日本人論をチクりと刺した後、現代の歴史学をまるごと飛び越えて、二千年前の三人のギリシア人の目線から、このテーマに回答を与えてしまっている(答えはご自分の目で確かめて欲しい)。でその刀でこうトドメを刺す。

 それなのにわれわれ現代人は、あれから二千年が経っていながら、宗教的には非寛容であり、統治能力よりも統治理念に拘泥し、他民族や他人種を排斥しつづけるのもやめようとしない。「ローマは遥かなり」といわれるのも、時間的な問題だけではないのである

 言い切った──!! すごいよナナミさん! 言い切ることで自分を追い込み、以後このテーマでローマを語ろうとする意気込みのおかげで、ただのローマ萌えは蹴散らされ、読み手は何を求めて読み続けるのかを彼女と一緒に考えるハメになる。むろん、わたしの場合は「なぜローマがそこまで栄え、滅んでいったか」になる。塩野「ローマ人」だけでなく、いくつか併読することでこの問いに答えられれば面白かろう。

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