「ローマ人の物語」を読み始める
いつか読もう読もうと思ってるうちに往生したらもったいないので、いま読む。そんな積ン読ク山に挑戦してみようと思うのは夏だから? あるいは、今年で完結だからいまから読み始めると、ちょうどイッキ読みできるから?
理由はともあれ、「ローマ人の物語」を読み始める。
非常に評判が高いので、おそらく、沢山の方が既に読んでいるだろう。そして、わたしといえば、最近ローマがらみでやったのは「ゴッド・オブ・ウォー」という体たらく(まてよ、ありゃギリシアか?)。冗談さておき、「ローマ帝国衰亡史」は本棚の肥やしになっている(買っただけで満足している)似非読書子。
だから、ここでできることといったら、「ローマ人の物語」の第○巻の読みどころはコレ!と紹介するぐらいか──と思いつつ、冒頭の「読者へ」を読むとすてきなことが書いてあった。
知力ではギリシア人に劣り、
体力ではケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、
技術力では、エトルリア人に劣り、
経済力では、カルタゴ人に劣るのが、
自分たちローマ人であると、ローマ人自らが認めていた。
それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。
そもそも「ローマ人の物語」を著そうとした理由はこれだという。一大文明を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。どの世界史の教科書にもある、軍事力の一点のみに因るのか。そして、そんな彼らさえも例外にはなりえなかった衰亡も、これまたよく言われるように、覇者の陥りがちな驕りによったのであろうか──「ローマ人の物語」を読めば分かるかどうかは知らないが、「読者へ」の最後でこう締めている。
あなたも考えて欲しい
「なぜ、ローマ人だけが」
…ええ、「ローマ帝国衰亡史」を傍らに読むナリ~
で、第1巻「ローマは一日にして成らず」で面白かったところは、宗教についての考え方。ローマがなぜ強いかの秘密は、まずコレだろう。ローマ人にとっての宗教は、指導原理ではなく支えにすぎなかったから、宗教を信じることで人間性までが金縛りになることもなかったそうな。
確かに、一神教の持つ、道徳原理を引き受けてくれる、正しさの根源性としてのメリットは大きい。しかし、自分たちと宗教を共有しない他者は認めないという排他的なマイナス面は見逃せない。カンタンにいうと、ローマ人は宗教戦争はしなかったのだ。
一神教と多神教の違いは、単に信ずる神の数にあらず、他者の神を認めるか認めないか、にある。そして、他者の神を認めるということは、他者の存在を認めるということ。ここで書き手はチクリと現代を刺す。「二千七百年はすぎているのに、いまだわれわれは一神教的な金縛りから自由になっていない」と。
では、ローマ人にとって、宗教が担っていた行動原理に相当するものは何かというと→法だった。宗教は共有しない人との間では効力を発揮しないが、法は、価値観を共有しない人との間でも効力を発揮する。むしろ、共有しない人との間だからこそ、必要となってくる。人間の行動原理の正し手を、
宗教に求めたユダヤ人
哲学に求めたギリシア人
法律に求めたローマ人
この一事だけでも、これら民族の特質が浮かび上がってくる──こう堅苦しく考えなくとも、何でもかんでも神サマにしたがるローマ人の器の広さ(?)を語るエピソードの一つに「夫婦喧嘩の守護神」がある。これは面白い、ハラ抱えて笑わせてもらった。次に紹介するね。
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コメント
こんばんは。
塩野女史の本は「コンスタンティノープルの陥落」と「ロードス島攻防記」そして「レパントの海戦」からなる三部作の戦記物しか読んだことがないのですが、情勢の描写や雰囲気まで、歴史好きにはたまんないですね。史実とは、なんとも残酷で美しいものか!
こちらで見れるガリア戦記やコンスタンティノープルのフラッシュはイメージが良く伝わってくると思います。いや、ネタバレになるかもしれませんが・・・
ttp://www.geocities.jp/whis_shosin/index.html
投稿: jackal | 2006.07.31 03:14
>> jackal さん
情報ありがとうございます。カエサル「ガリア戦記」は既読なので、ネタは押さえているつもりです。その一方で、jackal さん既読の塩野三部作が未読だったりするので、併読がとても楽しみです。
本を読む悦びの一つに、併読があります。以前は全く違うジャンルの作品を併読して「とりあわせの妙」を楽しんだものですが、今夏は、塩野+ギボンでローマを味わうつもりです。塩野「ローマ人」にギボン「衰亡史」、「コンスタンティノープル三部作」、さらに「ガリア戦記」も読み直してみますか(←考えてみると、ものすごくゼイタクな読み方ですね)
世界史年表を準備しないと… ^^;
投稿: Dain | 2006.07.31 22:47