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安土往還記

 「大学新入生に薦める101冊」[参照]で知った一冊。辻邦生は初めてなのでとても嬉しい。なぜなら最初に読んだ本書が素晴らしかったから。

 これは尾張の大殿、織田信長を描いた作品。そのままを書くのでなく、彼に出会ったある外国の船員を語り部としている。

 わたしは小説を読む際、話のフレームを意識するようにしている。曰く「どうしてこの形で書いたのか?」と。人称、時制、構成、会話、文末、語彙のそれぞれには絶えず必ずメッセージがあり、考えなしに書いている作家は、たいてい一作で終わる。一般に、未熟、というか青い人であればあるほど一人称を使っているのを目にする。
安土往還記
 本作は、三人称でも神の視点でもなく、船員の「書簡」の形式になっているのが興味深い。冒頭で手紙の出所と訳出の理由が述べられているが、ウッカリ信じるところだった(これは"小説"なんだ)。

 それほど「信長像」は生々しい。目つきや風貌といった写実云々のことを言っているのではない。彼の言動と、それを理解できる人間との共鳴がリアルだということ。人間の価値が見事に見えるのだ。

 信長のスゴさを日本が理解するためには、現代まで待たなければならなかった。しかし、ここに日本の外側からの視座があれば話が違ってくる。彼の共鳴者として(そして語り部として)日本の外側からイタリアの船員という存在を持ち込んだ著者の勝利だねっ。

 でなければ、以下のような話は書けない。

 私は多くの日本人に会ったが、大殿ほど「事が成る」ことをもって至上の善と考えた人物を見たことがない。(中略)私は彼の中に武将を見るのでもない。優れた政治家を見るのでもない。私が彼の中にみるのは、自分の選んだ仕事において、完璧さの極限に達しようとする意志である。私はただこの素晴らしい意志をのみ──この虚空のなかに、ただ疾駆しつつ発光する流星のように、ひたすら虚無をつきぬけようとするこの素晴らしい意志をのみ──私はあえて人間の価値と呼びたい。

 ひたすら虚無をつきぬけ、完璧さの極限に達しようとする意志と、生死のぎりぎりの場にあって「事が成る」ために全力の生の燃焼の前に、妥協や慈愛は一蹴される。狂気のように、理(ことわり)を純粋に求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする生き様が書簡断片に輝いている。

 次は徹夜小説でもオススメいただいた、同氏の「春の戴冠」を読むべ。

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コメント

いつも楽しく読ませていただいています。僕も安土往還記では「事が成る」のくだりがもっとも印象に残っています。合理主義のよき理解者としての西洋人からみた信長像(というまとめかたはありきたりすぎるかな)、という描き方は説得力ありますよね。

投稿: Jun | 2006.05.27 03:25

>> Jun さん

コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、「西洋人」というフィルターを通したからこそ、彼の行動原理が描けたのだと思います。合理的に考え、冷徹に実行する信長像は、他メディアでも見かけますが、原型は本書なのかもしれませんね。

投稿: Dain | 2006.05.28 07:22

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辻 邦生 / 『安土往還記』 / 1972() / 新潮文庫 / A- 「静謐」。この作品にはこの言葉がよく似合う。 タイトルからはよく分からないが、実は織田信長を描いた作品である。なぜ「往還記」なのかというと、本書はフランスで16世紀に発見された古文書を訳した、という体裁をとっているから。 16世...... [続きを読む]

受信: 2006.09.04 02:14

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