徹夜を覚悟する小説
初読の作家でも読み始めると分かる、「こいつは徹夜を覚悟しないと」。前評判や導入部の『つかみ』、そして本そのものから立ちのぼる『におい』としかいいようのない予感から、冒頭の覚悟に至る。
さらに読み進めて気づく。あのとき感じた、 ああ、予感は本物。眠気も吹き飛ぶ面白さ。明日の予定そっちのけ、この瞬間こそ全て。「スゴ本=すごい本」を血眼になって探すのは、この、読みながら吼えたくなる喜びを味わうため。
ええ、ええ、もちろん「ダ・ヴィンチ・コード」読んだのさ。もう無我夢中でイッキ読み。テーマは「暗号+歴史+陰謀」を重厚に描いているにもかかわらず、文字通り「読むジェットコースター」、幸せな数時間を過ごしたのでありました。
謎を解く鍵がフィボナッチ数列だったり黄金比だったり、どこかで聞いたことがあるトリビアが散りばめられており、読み手も一緒になって楽しめる。特にこの小説の表紙「モナ・リザ」の真の意味を知ったときはおおおおっと雄たけびをあげてしまった。
このテの小説で気をつけなければならないのは、薀蓄と展開の配分。分量を間違えるとただのトリビア集と成り果てて、「作者は頑張って調べたんだね、えらいね」という感想しか出てこなくなる(←何を指しているのかお分かりかと思うが、京極"弁当箱"のことなり)。
徹夜を覚悟し、その期待を裏切らない小説。ここでは、「ダ・ヴィンチ・コード」に敬意を表し「暗号+歴史+陰謀」モノで徹夜を覚悟した小説をご紹介。
まず「薔薇の名前」。舞台は中世ヨーロッパの修道院。連続変死事件ミステリを縦軸、キリスト教神学をベースとした知の探求の成果物を横軸にして、薀蓄の仕掛けに巻き込まれること請け合い。
人類の知の体系を小説仕立てで再構築しようとする試みなのか、読んでいてクラクラする。徹夜を覚悟した小説だけれど、あえなくダウン。メインの連続変死事件の話よりも、キリスト教神学体系(とそこから派生する有象無象の芸術・文化群)に振り回される。結局読み終えるのに1週間(プラス知恵熱)。
スゴ本とは何ぞや? 「薔薇の名前」のことなり(思い出してて再読したくなってきた)。
「フリッカー、あるいは映画の魔」の一節。芸術についての至言。こいつを頭の隅に置いて読むと面白いというよりも恐くなる。「ダ・ヴィンチ・コード」でも同様。
芸術はすべからく隠蔽することにある
芸術家はつねに表層下で仕事をする
それが人びとの精神にくいこむ唯一の方法だから
―― マックス・キャッスル
無類の映画好きジョナサンがとり憑かれた魔物、その名はマックス・キャッスル。遺された彼の監督作品はどれもこれも、超絶技巧な映画だった… ジョナサンは彼の究極映像を追い求めるのだが、それは悪夢の遍歴なのかも。
この主人公がウラヤマしい~と思わない映画ファンはいないだろう。もう好きで好きでたまらない。映画狂が昂ずるあまり古いながらも劇場を手に入れ、映画三昧の毎日。さらに、ベッドの上でカリスマ女流評論家から映画の理論的考察と濃厚なセックスの手ほどきを受け、助教授まで出世する。「映画で食っていく」なんて、映画好きなら誰しも夢想した未来。
映像美のディテールがまたスゴい。観てきたように緻密に描写されているから、読み手は「マックス・キャッスルの映画観てぇ~!たとえ悪魔に魂を売ることになったとしても」と吼える…で、ラストの"究極の映像"に身もだえするだろう。
…ああああ、このネタを振るときは、デイヴィッド・マレルのアレを挙げたい…のだが、スーパーネタバレになるので、言えねぇ… 両方とも読んだ方ならピンとくるはずだし、片方しか読んでないなら激しくネタバレだし。
「薔薇」も「フリッカー」もボリュームがハンパじゃない。徹夜を覚悟しても翌朝までにはとても読みきれない。一方、「千尋の闇」は徹夜を覚悟し、徹夜で読んだ。文庫上下巻で800頁超だが、やめられない止まらない。「薔薇」「フリッカー」は納得して力尽きることがあろうが、こいつはちょうど完徹できる分量。翌日は休日であることを確認してから頁を開くこと。
50年前に謎めいた失脚を遂げた、ある青年政治家の手記を読む主人公の『背後から』、この小説を追いかけることになる。このメタ構成を最初にして、さながら万華鏡のように変転する。読み進める毎に、『戻って』読み直したくなる。
物語が二重底、三重底になっている。部屋の中に部屋があるような奇妙な感覚に陥る。この目くるめく感じがたまらない。この手記に囚われる主人公同様、読み手もどんどん深みにハマる。頁が尽きてくると「終わらないでー」と何度も呻きながら読んだ。
明日の予定そっちのけ。眠たくっても、怒られても、トシをとっても、やめられない。なんにも知らない頃に戻って、読みなおしたい夜もたまにあるけど、あのとき感じた気持ちは本物。いま、わたしを動かすのは、スゴ本。
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コメント
こんばんはー。
ゴダードいいっすよね~。
ただ、サル頭だとタイトルと内容がさっぱりリンクしないのでどれが良かったのか記憶が飛ぶのが難ですw
薔薇の名前は、ふつーの人ではとても読めないと思われますが....そうでもないっすかねぇ。
私は出た頃に読みましたが、
読む→挫折放置w
を数度繰り返し、なんとか最初を乗り越えた後はめちゃめちゃ面白かった思い出があります。
というか、もっと大人になったら再読してみたいなぁと思わせる一冊でした:)
たしかにスゴ本であることは間違いなくて、いつか再読したい本No.1としてずっと頭のどこかにひっかかってます:)
ではっ
投稿: nni | 2006.02.22 01:08
最後の文に笑ってしまいました。世代によって分からないんだろうなーと。
投稿: hituzi | 2006.02.22 08:57
nniさん、コメントありがとうございます。
数あるゴダート作品ではこれが一番だと思っています。「薔薇の名前」は、確かに歯ごたえがありすぎるかもしれませんね。再読の前にヨーロッパ史を勉強しなおしておくつもりです。
hituzi さん、気づかれましたか… もう20年になるんですよねー
投稿: Dain | 2006.02.22 23:08
『薔薇の名前』はすごいですよね。
奇遇にも三日前に再読を始めたんですが、エネルギー不足か、なかなか終わらない描写に眩惑されて頭がオーバーフローしてダウンしてしまいました。
でも、映画は物足りないんですよね。やはりあの緻密で長い描写あってこその『薔薇の名前』なのか、と思った次第です。
『フリッカー』読んでみたくなりました。観てきたような緻密な描写、ですか。惹かれます。
投稿: cyclolith | 2006.03.03 22:53
cyclolith さん、コメントありがとうございます。
「薔薇の名前」を初読中ですか~それは幸せですね。わたしの場合、ついていくためにどえらい頭を使ったようで、知恵熱が出るほどでした。高校倫理のサブテキストを傍らに読みました。
「薔薇」を面白いというのであれば、時代は違えど「フリッカー」は間違いなくハマれます。作中に出てくる「マックス・キャッスル監督映画」を探してレンタルビデオ店を放浪したものです(←虚構と現実の折り合いがついていないともいう)
投稿: Dain | 2006.03.04 01:39