たたり
怖い、じつに怖い。「こわい本」大好きなわたしだが、今までさんざんそのテの小説は読んできたつもりだが、こいつはスゴく怖い思いをした。恐怖が直接的に記述されているのではない。スゴい描写が飛び出てくるわけでもない。
どうして怖いのかというと、恐怖が間接的に、読み手の想像力に働きかけているかのように描かれているから。それはまず、登場人物が丘の屋敷から感じる、はっきりしない違和感として描かれる。不安定な感覚は不安に、そして恐怖へと静かに変わってゆく。
じわじわ、じわじわ変わってゆく。
屋敷のもつゆがみや感覚を狂わせる仕掛けは、登場人物へ影響する。さらに、彼らの調子がズれてゆく感覚が読み手まで伝染する。読書という行為で、読み手は多かれ少なかれ登場人物とシンクロしているもの。最初、親しみを持てていた人物がだんだん離れてゆく。
読み手は本能的に追いすがろうとする。
結果、読み手は登場人物といっしょになって、おかしくなる感覚を味わう。単に彼らが恐ろしい目に遭うから怖いのではない。さいしょは行動を共にし、心の中まで読み取れる彼らが、いつのまにか読み手の傍らを離れて先へ、闇の向こうへ行ってしまうのが怖い。
真っ暗な中に取り残されるのが怖い。
「S.キング『シャイニング』、R.マシスン『地獄の家』に影響を与えたゴシックホラーの傑作」とあるが看板に偽り無し…むしろ本書が本家本元というべき。
「シャイニング」は「シャイニング」、「地獄の家」は「ヘルハウス」という題で映画化されている。「たたり」は「ホーンティング」なり。どの映画も良かったけれど、この「作中人物とともにおかしくなる感覚」は味わえない。これは小説ならではの特権として、たっぷり味わって欲しい。
冬こそ、ホラー。
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