最近の劇薬小説
劇薬小説の企画は続いているが、「コレは!」というのが見当たらない。
良作に出会えて嬉しいが、それだけ。ベンチマーク「隣の家の少女」のハードルが高すぎたのだろうか。これを「たいしたことない」と放言した輩がいるが、じゃぁ「隣の家の少女」よりスゴいのを教えてくれないか? というツッコミには賢明なことに沈黙を守っている。
ケッチャム読んだことある人は、かなり慎重に言葉を選ぶ。これを超えるやつなんて、そうそう無いことを知っているから。非道小説をたくさん読んできた(つもりの)わたし自身、
ケッチャムに匹敵する劇薬は、ドストエフスキーしかないのでは?
とまで思うようになってきた。
「劇薬小説」の企画は、言い替えると、「文字で構築された世界でどこまで酷い目に遭うことができるか? 」になる。「酷い目に遭う」ためには、作品にのめり込む必要があるし、酷い目に遭う人と同体化してなきゃならない。それだけ作品に魅力がある、とも言える。
スゴい小説にハマりこみ、読み終わったとき、「ああ生き延びた」「還ってこれた」という思いをしたことがないだろうか? そのとき、ナマナマしく潜り抜けた経験が酷ければ非道いほど「読まなきゃよかった」と感じないだろうか。

完璧な犠牲者(クリスティーン・マクガイア)
ハタチの娘が拉致され、調教され、肉奴隷となった7年間の話。これが「小説」ではなくノンフィクションであるところがスゴい。誘拐した男が自作した箱に「監禁」されるのだが、ぐだぐだここで説明するよりもこの絵を見たほうが早い→箱女(エロ画像注意)。
「もう誰とも干渉したりされたりしたくない」とダンボール箱を被る「箱男」(安部公房)は、さしずめ引きこもり空間のポータビリティだろうが、こっちの「箱」は、洗脳のための道具。外界の情報を徹底的に遮断することで容易に精神を壊すことができる。
この事件を題材にしたのがケッチャム地下室の箱。残念なことに(というか恐るべきというか)、事実は小説よりも奇なりを地でいっている。小説の方が安心して読める。んで、「地下室の箱」の映画はこれらしい→コード(未見だが良さげ)
閉鎖病棟(パトリック・マグラア)
素直に「良かった」といえる作品。劇薬度は低。この小説をどういう風に読むのが効果的か考え込んでしまう。「歪んだ純愛の形」も「狂気に燃える情炎」もマチガイではないのだが、話者の狂気まで想像が閃いてしまうのは気のせい? 裏読みすぎ?
…というのも、この作品は第三者が書いた「手記」の形式をしているから。第三者は読み始めてまもなく明かされるし、その人の知性や客観性は申し分のない。知りたいことは先回りして教えてくれるし、異常な行動の描写の後には「なぜなら…」と説明付けてくれる。
けれども、時どき出てくる一人称がどうしても目に付くのよ、まるで読んでる自分が試されている気がして。そして読み終わった後でもじくじくと後を引くのよ、○○は本当に○○だったのか? ってね。そういう意味では遅効性の毒薬なのかも。
自由自殺法(戸梶 圭太)
プロット一発勝負なら大傑作。ただし、書いてる途中に行き倒れてしまっているもったいない作品。名は体、「国家が自殺ほう助する世界」の話。リアルな日本が描かれている。ネットよくあるセリフ「死ねば?」を執拗に拡大解釈し、「使えない国民を自殺まで誘導する」国家プロジェクトまで昇華させている。そのクセ内情は一切明かさない。ここまでは三重マル。
ところが後半で失速する。読む人(そして恐らく書き手)を鬱にさせる話の展開は、いずれネタ切れになる。同じ話の繰り返しだもの。そして、ネタを重ねれば重ねるほど、その裏にある「理由」を書かなきゃいけなくなる。どうしてこんなことになったのか? ってね。ソコを考えて書き始めたならば、エピソードを通じてだんだんつまびらかにしていくだろうが、やってない。あるいはラストでついに明かされる、というサゲにしてもまぁ可、なのだが、それすらもしていない。
これは、筆者が書くのに「飽きた」んだろう。
「ZOO」は非常に期待して手にしたが、失望。「異形博覧会」もソコソコ期待してたんだが、失望。異常を精確に描く手法は2ちゃんねるの怖い話でさんざん慣れているので、そーいう免疫のない人にはクるかも。まずはこのランキングを上から順に読むことをオススメする。
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