悪霊(ネタバレまくり)
男は目で、女は耳で感じる。たとえ bad-looking でも超ミニスカだったら振り向かずにはいられないのが男。体をなでまわされる前に、まず愛の囁きが欲しいのが女。
アダルトビデオやエロ本が大好きなのも、明るくしてヤりたがるのも、裸よりも裸エプロンの方を好むのも、男の性。昔、あれだけ渇望してたパンティの中も、見てしまえばなぁんだと枯尾花。エスカレートしてくると、○○している姿を見たがったりする。
隠されているもの、見てはいけないものをこっそり覗くというシチュエーションが、男にはたまらないものがある。だから男は見たがる。見ることによって支配する。女のぱんつを下ろすとき、一種の征服欲が満たされる。
見るという行為を推し進めるとフェチに行き着く。下着や服といったモノに限らず、それらが包んでいる鎖骨、ナマアシ、ドテといったパーツも、そこに執着すれば立派なフェチというもの。究極のフェチはボディだな。いや、カラダだけという意味ではなく、顔や人格すら執着するパーツの一つとしてしまう。まさに相手の人間性を無視した最終形態といえる。
ドストエフスキー「悪霊」の終章「スタヴローギンの告白」を読んだとき、↑のようなことを考えた。「悪霊」そのものはイデオロギー対立のカリカチュアかもしれないが、「告白」は少女陵辱の告白そのもの。
書かれなかった陵辱の具体的描写は妄想をたくましくするしかないが、「神さまを殺してしまった」と追い詰められた少女の最終手段の結果を覗き見るスタヴローギンはたまらなくいやらしい。このシーンはとても静か&心拍数MAX。
彼女は見られることを承知で首を吊った。最も見られたくないもの、ほんとうに隠さなければならないのは、自分の死に様だろう。男を受け入れたことのない体を開くことも初めてだったが、その罪悪感から首を吊ることも初めて。わかって吊った。
スタヴローギンは少女をそそのかし、体を開かせ、裸を見ることで支配し、さらに彼女の死体を覗き見ることで神にでもなったつもりか。ちいさく揺れる屍体は狩の成果であり、究極のフェチの対象なんだ(しかも見てるだけ!)。ああ気分わるい。まだ腐りゆく恋人と屍姦しまくる映画ネクロマンティックの方が"健康的"に見える。
そういう怪物が、「悪霊」の主人公。
傲慢と虚無が人格をまとうと、こうなる、という例。
その怪物性を引きずりおろそうとした試みが、「『悪霊』神になりたかった男」なり。少女の被虐嗜好説(マゾ)や、スタヴローギンとの心理的共犯説(ストックホルム症候群)はナルホドーと納得させられつつも、もう少し素直に読めねぇのかしらね、と思ったり。
このエントリそのものが「告白」のネタバレだ。しかし、「『悪霊』神になりたかった男」の方がもっと非道い。なぜなら、「『悪霊』神になりたかった男」の冒頭に「告白」を載せているから。この怪物が「悪霊」本編で、「なぜ」そのような行動を取ったのかが「告白」で明らかになっているのだから。
「悪霊」を読んだ後、「『悪霊』神になりたかった男」を読むことをオススメする。逆はもったいないし、そういう風にしか読めなくなる。あるいは、既読の方には再読した気分+発見読みができるスゴ本だといえる。
ドストエフスキーって、ほんとうに、怖い。
| 固定リンク
コメント