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「おうさまのみみはロバのみみ」をここで言う

 ごめんグチ書く。中の人はテンパってると思いねぇ。ネットインフラなら都会と田舎、年代なら団塊を境にディバイドがある。四十五十のイタい人は確かにいる。マナー常識云々の前に、「今までどうやって生きてきたの?」と問いたくなる。それでもプライベートの範囲ならスルーできる。

 しかし仕事でソレをやるなよ。「TOCって何?」「MECEってどうやるの?」聞 く 前 に ま ず 調 べ ろ や 教 え て 君。「やったことないんだよねー」「どーすりゃいいの! オレ知らねぇよ?」と逆切れ。だから何だっつーの? やり方を調べてやるんだよ、自分で。

 職歴長いのにマネジメントを任されていないということは、プロフェッショナルなことを求められているんだよ。何もテクニカルな話をしてねぇよ、ゼネラリストを極めてもいいんだよ。ただし、「技術のプロ」であれ「ゼネラリストという名のスペシャリスト」であれ、日々是研鑽、学び続けないと。なぜなら、その対象は変化するから。

 ヒューマンスキルは年齢で身につくと思ってる厨房と、仕事を覚えたら十年一日繰り返すヤシ、放課後わたしのところへ来るように。「知らないことを知る」ことを教えよう。「知らない」と認識する以前に「聞けばよい」と思考を止めている自分を見つめてもらおう。

 何のために今その仕事をしているのか、分かっていない。いや分かろうとしない。新人なら許す。目先の作業で苦しんでいるなら、優先付け→分担手伝いもオッケー。しかし、四十五十でソレをやるな。翻訳サイトを知らないとか、ピボットテーブルが使えないとか、ぱっと見「デジタルディバイド」に見えるが、それは違う。知ろうとしていないだけ。オレはココマデと枠を引いているだけ。知る方法があるのに、知ろうとしないだけ。

 なぜか? どうせ団塊マス世代に押さえつけられて考えない習慣を身につけちまったんだろ。「言われたとおりにしたんですケドねー」なんて、いまどきの若造すら吐かねぇぞ(ごめん若い人)。

 考えることを止め、学ぼうともせず、口だけは達者。

 うがー!! おまえなんか、ねこのうんこふめ!






…と、十年後の私が罵倒されませんように






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空気が読めないSE、話を聞かないコンサルタント

 ここしばらく開発の現場を離れ、「こんさるたんと」のお手伝いをしている。彼らのやり口が分かるにつれ、これもアリなんだと納得できるようになった。一方、彼らの「実態」を垣間見て、SE/PMとしてやりきれない無力感を抱かされたことも事実。ここでは「なぜすれ違う? SEとコンサルタント」の感想文に擬装して書きなぐる。

 本書によると、SEとコンサルタントの決定的な違いは2点ある。

違い1 : SEはKPI無知
 目標に対しどれだけ達成できたかを測定するための指標値をKPI (key performance indicator)という。KPIは以下の4分野において設定され、モニタリングを繰り返すことで経営全体を把握する。SEはそのうち(3)のみに囚われ、全体的な視座が抜け落ちている場合が多い。

  (1)財務的視点
  (2)顧客の視点
  (3)社内ビジネス・プロセスの視点
  (4)学習と成長の視点

 あるいは、SEにとって「現場の声」こそが天の声であり、これを順々に実現していくことが目標の達成だとする。その結果、「システム化対象」の現場だけにのめりこむあまり、予算や納期をオーバーした部分最適なシステムを作ってしまうことがある。あるいは「偉い人」が出席する場で(3)を強調するあまりヒンシュクを買う。

違い2 : コンサルタントは見積もり弱い
 ホント? と思うかもしれない。確かに、数値やチャートを駆使して颯爽とプレゼンする姿を見ると数字に強そうに見えるが、実際は「見えている数字に強い」だけ。あるいは「説明のつく数字に強い」だけとも。

 コンサルタントは「大きい/小さい」「短期/長期」ぐらいしか分からない。もちろん現状分析する上で出てくる数字は押さえているが、網羅的にやっているわけではない。80/20法則でどこまで深堀りしたら適当なのかを把握している。良い意味でのドンブリ勘定。

 その結果、コスト/スケジュールのインパクトを具体的に語ることができない。例えば、「この施策を導入した場合、現行システムへのインパクトは、○○千万円で、リリースまで○週間かかります。その内訳は…」なんて会話になると部屋を出て行くかそっぽを向く。

 不得手の土俵では戦わない(そもそも入ってこない)のが彼らのやり方。自分のフィールド以外は「それは検討の対象外です」を繰り返し、話は既に終わっている顔をする。

コンサルタントの成果物で最も使えるのは…
 そんなんでも、彼らの仕事の中で最もありがたいのは、

  ・問題点の整理と課題の洗い出し
  ・組織構造と業務とシステムの協同的なあるべき姿
  ・情報システム投資理由の明確化←←←←←←←(・∀・)コレダ!
  ・効果の算出と業務評価の目標設定
  ・情報システム構想

 なぜなら、テンコ盛りの変更・追加がきたとき、あるいは顧客が「全て最優先だぁ」とぬかしたときに役に立つから。そもそも論は顧客の枕詞だが、そういう彼らに対し「そもそも何でこのシステム作ってんの?」と切り返せてなおかつ反論できないのがこれだから。

 彼らの描く情報システムは穴だらけなのでそのまま利用すると酷い目に遭うことは本書でも言い訳されている(限られた期間で全て網羅するのは不可能、と)。だからSEは泣きながらイチから描きなおすのが常なんだが、それでもコンサルからの引継ぎ時に網羅性のチェックぐらいはしておこう。弱い環が分かるだけでもグッと楽になるから。

コンサルタントの成果物のチェック方法
 彼らはとても頭がいい。そして、しっかりと訓練されている。だからフレームワーク的な抜けは無いと信頼してもいい。ところがフレーム=骨とスジばかりで肉がない。だからこの切り口で網羅する。「深堀り資料で抜けている視点が以下のいずれかにあるか?」 と自問しながら成果物をレビューする。

 what : 品種、原材料、商品、間接財
 where : 地域、国内、海外、マーケットエリア、事業所
 when : 時間軸、日次、月次、四半期、上半期
 who : 組織、自社、仕入先、取引先、監督庁

コンサルタントにとってのプロジェクト
 彼らは次々とプロジェクトを渡り歩き、キャリアを築く。後ろに残してきたプロジェクトがどのような残骸と成り果てようとも、彼らは再び見(まみ)えることは無い。「コンサルタント」はキャリアパスのいち期間であり到達点ではないから。契約期間を過ぎたらサヨウナラ、そこまでにいかに「実績」をあげるかが彼らの仕事。

 一方SE/PMはプロジェクトにずっとついてゆく。成功も失敗も最後まで面倒をみる(あるいは看取る)。よくも悪くも一蓮托生。中には仕様書やコードに携帯番号を残す猛者もいる。仕事上ドライに徹することが求められるのに、ドライになりきれない人情味あふれる人がいる。業務分析の主役はコンサルタントではなくIT技術者だという企業の健康を診断する「業務分析」の結論に激しく同意。

 最後に。「なぜすれ違う? SEとコンサルタント」はSE/PM向けにコンサルタントが書いた本だが、読むと頭にクるかも。なぜなら、本書の主張を一言にすると「プロジェクト成功のためにSEはもっとコンサルに協力せよ」だし、これに続く文は「なぜなら、失敗の原因はSEが歩み寄らないか、コンサルの仕事に無知だから」となる。いわゆる「コンサルティング・ファーム」が書いた本だし。SE/PMが立ち読みするなら3,5章をどうぞ。

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時限爆弾を解除する読み方「盤上の敵」

 とても面白し。ところがamazonレビューでは「傷ついた」「落ち込んだ」「世の中の不条理を考えさせられた」が続出[参照]。何で? これのどこが「読後感サイアク」なのだろう… と想像して思いあたった!

 【警告】「盤上の敵」でヘコむような人はこの作品を読むなかれ【警告】

  1.隣の家の少女(ジャック・ケッチャム)
  2.獣舎のスキャット(皆川博子)
  3.暗い森の少女(ジョン・ソール)

 薬は毒であり、毒は薬にもなる。両者の違いは"量"だけ。上の三冊は間違いなく劇薬なので、耐性が無いと壊れる。世の中、知らないほうがよかったことのほうが多いはず。おそらく「盤上の敵」は蚊の吸血の場面でヘコんだんだろう。そんな人にとって1.の究極の虐待シーンや、2.や3.のラストは間違いなく猛毒。

 優れた(≠良い)小説は読む人に強い力を与える。それがポジティブなら問題ないが、ネガティブにドライブされるときが恐ろしい。ほとんどの人はネガティブな小説なんて無いと思っていて、ほとんどの人は劇薬小説なんて知らずに生きていく。ときに深淵を覗き込むために劇薬を「少量」手にするのもよいが、読みすぎ注意。
 

 我が家に猟銃を持った殺人犯が立てこもり、妻・友貴子が人質にされた。警察とワイドショーのカメラに包囲され、「公然の密室」と化したマイホーム!末永純一は妻を無事に救出するため、警察を出し抜き犯人と交渉を始める。はたして純一は犯人に王手(チェックメイト)をかけることができるのか?

 あらすじはこんなの。著者の「文庫版まえがき」と目次を見た時点で叙述系ノベルだと判定。「現在」と「回想」を織り交ぜて進行するやり口は典型的。以降、まるで時限爆弾を解除するかのように読んだ。こんな「ダマされないぞ」的な読み方は面白さを削ぐのでマネしないように。ヒントになるので反転表示にする。まず、この設定でどうやったら「ラストであっと驚く」ファイナルストライクになるかを考える。

  • 私≠「現在」
  • 妻≠「回想」
  • 私≠「プレイヤー」
  • 妻≠「人質」
  • 犯人≠「犯人」
 次に、「不自然らしさ」「伏線」に着目して読む。「不自然らしさ」から上の可能性を消していく。残ったものが「正解」で、「どうすれば読者(=わたし)がびっくりするだろうか?」を自問しながら読めば容易。

 結局、絞込みはできた(合ってた)。伏線は「伏線」だとチェックできた時点でラストへ。それでも面白かったなり。カーチェイスの場面なんて手に汗握ったなり←それすら「伏線」だったことに気付いて喝采!

 こういうお話そのものに「仕掛け」を施してあるものを叙述系という。物語の構造や人称をいじることで、「あっと驚く」ラストを目指している。「ハサミ男」「慟哭」「殺人鬼」などを読んだが、おなか一杯。読者を騙すことそのものを目的化した書き手は、いずれ見放される。あるいは私のようなヒネた読者になるので、読まないほうがよいかと。

 それでも好きだという方には、究極の叙述系をどうぞ→ Ever17 …これは小説ではなくテキストアドベンチャーゲーム。極上のトリック。萌えてもいいが、このお話はスゴすぎる。これを超える叙述系があれば教えて欲しい。

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カンニング・ドット・コム

 さいきん試験方法がIT化されている。昔は「コンピュータ化」とはいっても、マークシート方式だったりOCR用紙に数字を書いたりする。かつて紙とエンピツだったのが、今じゃ試験会場にずらーっとPCが並んでいる

 試験開始は「開始」をマウスクリック、終了は「提出・採点」ボタンを押す。試験管の合図で皆が一斉に始める紙ずれの音が懐かしい。下手すると他の人は全然違う試験をやっていることもある(以前java programmerを受験したとき、隣人はTOEFLをやっていた)。

 設問はデータベースから一定のアルゴリズムで抽出されるため、「全員」が「同時」に「同じ問題」を解くなんてことはぶっちゃけありえない。その一方で、設問は繰り返し出題可能となった。試験問題のリサイクル、というやつやね。

 そこでだ。悪いコト考える人はいるもので、データベースを入手すれば勝ったも同然。問題数は多いが間違いなく合格できる。いや、それよりも高値で売れるだろう。例えばこのトップにあるCheat-Testとか。2ちゃんで「自分が受けた試験問題を晒そうぜ」スレがあったが、かわいいものに見えてくる。

 いまPMPの資格を目指している。今秋からより難易度が上がるらしいが、その難しい版はもう入荷したそうだ。もちろんあたしゃ「チート」はしないが、チーターが増えれば権威も墜ちるんだろうねっ

Cheat-Test のプロダクツ
. Adobe
. Apple
. BEA Systems
. CheckPoint
. Cisco
. Citrix
. CIW
. CWNA
. Computer Associate
. EC-Council
. EMC
. Exam Express
. Extreme Networks
. Foundry
. HDI
. Hewlett Packard
. IBM
. ISC CISSP/SSCP
. ISM
. Juniper
. Legato
. Lotus
. LPI
. McAfee
. Microsoft
. NCR Teradata
. Network Appliance
. Nortel Networks
. Novell
. Oracle
. PMI
. Polycom
. RedHat
. RCDD
. SNIA
. Sun
. Sybase
. Symantec
. TIA
. TruSecure
. WMWare
. Special Bundles

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ツンデレを嫁にするとどうなるか?

「デレデレになる」と答えたアナタ、はいはいわろすわろす。それは新婚初期の話。その後どうなるのかを書く(のろけ注意報!)。なおツンデレの定義は、はてなのツンデレに従う。

ツンデレとは例えば、“普段はツンツン、二人っきりの時は急にしおらしくなってデレデレといちゃついてくる”ようなタイプのヒロイン、あるいは、そのさまを指した言葉である。

別の具体例を挙げれば、ストーリー開始時は主人公に対して刺々しい態度(=ツンツン)を取っていたヒロインが、何かのきっかけでツンツンの中にも隠し切れない照れを見せる、あるいは反転して急速に好感度を上昇させていく(=デレデレ)などのパターンがありうる。

もとは二次元萌え属性なのだがリアルでもある(でしょ?こんな恋愛)。出会い第一印象「芯のしっかりした(≒気の強い)女の子だななぁ」だったのが、結婚して何年も経つと…

デレの変化
 デレの範囲が「二人っきり」からブレてくる。そりゃ一緒に暮らしていればずっと二人っきりなのだから、その間ずっとデレなのかというと、違う。たとえ二人でいても考え事してたり、テレビ見たりしている。つまり二人っきりだからといって必ずしもデレるのではない、ということ。

ツンの変化
 ツンの範囲が「人目あり」からブレてくる。人目があるからツンモードになるのではなく、普段からツンツンしている。これに気付いたときは悲しくなった。そりゃそうだろう、「ふだん」なんて知人→友人→恋人→夫人のメタモルフォーゼの最終形態でしか見せないから。したがって、ありがちな独白「あの人の前だと、なぜかぶっきらぼうになっちゃうのよ」は、結婚すると「アンタと一緒だとイライラするの!」に変化する。心せよ、ツンデレラー。

ツン→デレへの切り替え
 ではいつデレるのか? それはデレモードに移行するとき。ではいつデレモードに移行するのか? それはカップルさまざまでしょうな。おんなスイッチを押したときかもしれないし(どこにあるかは中学で教えてもらえる)、ふとした一言「ありがと」「ねぇ」でなる人もいる。結婚当初はおんなスイッチが重要だったが、何年も経つと言葉のレバレッジが大きくなる(←これ重要)。

デレ→ツンへの切り替え
 ツン範囲の拡大によりデレ時間が短縮化する。一方で、貴重なデレ時間はカンタンには終わらなくなる傾向が見られる。恋人時代のデレ→ツンへの移行は「人目」だった。部屋ではいちゃついても外に出た途端に距離をとる。しかし、これが嫁さんになると、いったんデレに入るとだらだらと続く。射精と同時にヨソヨソしくなる雄と好対照だねッ。

リアルツンデレの常套句「ばかぁ」
 記憶の中で最古のツンデレはモンスリーだ。未来少年コナン全26話ずっとツンツンしていたのが最終話で頬を染めて「バカねっ」とダイスに呟く。ドッギャーンとキたね、あれは。あんな感じで「ばかぁ」と涙目でくる。同じバカでも惣流某の「あんたバカぁ?」と偉い違う。ふだんのツンとは想像を絶するギャップ。もうね、これ同じニンゲンなのかと問い詰めたくなるせつなさ。他人には絶対に見せないまなざし。だんなやってて良かったと思える瞬間。

ツンデレの代価
 「何かを得るためには、同等の代価を必要とする」は、けだし名言だが、ツンデレの場合は極化するツンが代価だろう。夫婦はナマのままの人間関係でもあるから、愛想はいらぬ。自分より愛想よくしてもらっている隣人を見ると悲しくなるが、それは隣人向きのお面なのだろう。

 「仮面夫婦」という言葉があるが、その仮面を外せるのは伴侶の前のみ。それ以外の相手(不倫相手だろうと親兄弟だろうと)は、それ向けの仮面を被りなおしているだけ。「ツンデレ」もキャラ属性である以上、仮面の一つともいえるが、その必要性がない関係(=夫婦)になっても続行されるガチンコツンに対し、並みのツンデレラーでは耐えられないものと思われ。

自分を甘やかしてくれる存在
 全てがツンデレになるで、こう喝破されている。

> ツンデレが好きな人ってのは、結局「自分を甘やかして欲しい人」だと思うのね。ふりかえってツンデレってのは、現実でイチャイチャできないオタクの理想郷なのよ

 同意。世知辛い中、自分を甘やかしてくれる存在は貴重だ。それがリアルだろうとバーチャルだろうと。ただ、リアルの場合は「相手も感情を持つ」とこがポイント。「感情を持っているかのようにふるまう」ではない。

 彼女も好きでツンデレやってるわけではない。気質やなりゆきでそうなっている以上、負い目というか引け目を感じている。何に対して? 「ツン」「デレ」をコントロールできない自分に対して。にんげんだもの(みつ○)、いちいち目くじら立てないの。そうすることで彼女は安心して「ツン」「デレ」ができる。仮面を剥いた自分を受け止めてくれる。夫婦は赦しあって仲良くなる。

 ツンデレ「を」好きな人ってのは自分を甘やかしてくれる人である一方、ツンデレ「が」好きな人も自分を甘やかしてくれる人なんじゃないかな。ただし二人とも「いいオトナ」なのでいつでも甘え甘やかしあっているわけにはゆかぬ。TPOをわきまえて、阿吽の呼吸で甘えあう。メリハリともいう。

ツンデレを嫁にするということは…
 「ツンデレは二次元のキャラ属性」は正しい。リアルだとただの気の強い気質というだけ。そして私はついに気付くのだ。なんのことはない、気の強い女の子が気の強い嫁になっただけということをorz

 がんばれ!ツンデレラー!負けるな!ツンデレラー!

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遅効性のヤな感じを味わう「くじ」

 調子こいてネガティブな小説を読み漁っていると、自身の感情も暗黒化するところが面白い。いわば自分を使った実験やね。ン十年も味わっていなかった虚無感に押しつぶされるなんて、久しぶりすぎて懐かしさすら覚える。

 「劇薬小説を探せ!」で読後感サイアク小説探しにちょっと疲れたので、ホラー傑作アンソロジー「贈る物語 Terror」(宮部みゆき編集)で一休み。懐かしいものばかり。「猿の手」「獲物」 をガタガタしながら読んだのは小学生だったか、「幽霊ハント」「なぞ」で怖いというよりも不思議な気持ちにさせられたのは中学の頃だろうか。どうして「信号手」や「吉備津の釜」がないんだ!というツッコミをしても仕方がない。編者が宮部みゆき氏なので、趣味全開のアンソロジーなのだ。

 収録作品はどれもピカイチ。ホラー好きなら、知らないなんてぶっちゃけありえない。おまけにゲーマー宮部氏の面目躍如、ロープレとアンソロジーの見事な融合も楽しめる(人狼の章はゲームのために起こしたとしか思えない)。

 さらに、「人はなぜ怖い話をするのか?」への彼女の回答に深く頷くべし。「人は誰しも心に闇を…」論なんだが、このアンソロジーを順に最後まで読むと納得できる(特にラストに「パラダイス・モーテルにて」を持ってくるところがGood!)。彼女はこの問いに答えるために、この本を編んだのだろうって。

 はてなでのオススメは、これに収録されている「くじ」[参考]。かなり早い段階でオチが見えるので、ホラーとしてはたいしたことないのだが、これは遅効性の「ヤな感じ」がジワジワと追いかけてくる。昔からのならわしで、年に一度、村のみんなで「くじ」を引くというお話なのだが… この「くじ」が何に相当するか読み替えるだけでまるで別物に見えるのがコワい。

  • 「自分探し」しても何も見つからないことは薄々分かってたくせに、ついに現実と直面せざるを得なくなる40代フリーター
  • 「負け犬」という揶揄がシャレやネタじゃなくなってきた35才で独身で
  • あンたが何を言おうとも、有権者の代表が決める消費税17%

 読了(=着火)してからどこを向いてもこの構図に見えてくる。ポイントは「自分で選んだ」こと。選んだ結果がいかなるものであれ、選んだことには変わりはない。選ぶ方法や前提に文句を言っても、すでに「選んだ」事実は動かせない。ラストの一行は分かっていたが、その直前の叫びが他人事じゃない。

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ブログの誘拐カタログ化について憂慮する

 いきなり結論から→書くなとヤボは言わないが、じゅうぶん注意して

 子どもの誘拐事件に対し、警察はどこから調べるか? 以下の順番でしらみつぶしに捜査する。営利なら時間との勝負。短時間に大量のリソースを投入し、犯人が「動く」前に網をできるだけ絞っておく。

 ・ 子の近親・親戚
 ・ 園、学校、塾など定期的に通う場所
 ・ 友だちや遊び場など子の生活圏

 では、なぜこの順番か? それはターゲット(子ども)に最も近いから。ターゲットに近いということは、行動パターンや特徴、周囲の状況がよく把握できるということ。子どもは犯人を知らないかもしれないが、少なくとも犯人は子どもを知っている。むしろ「子どもを一方的によく知っている」大人こそ、犯人として絶好のチャンス(!?)を有するとも言える。

 ターゲットがどの学校へ通い、何曜日に塾へ行くか(そして何時に帰るか)、一人で行動するのか友達と一緒が多いか、事前に調べ上げ、準備してから犯行におよぶ。だから上記の順にしらみつぶしに調べれば、いずれ犯人へ行き着く。それがどんなに大きな網だとしても、その中に必ずいるから。東京の犯人が大阪の子どもをさらったりは、しない。

 これをひっくり返したのがブログ。子の毎日を微に入り細にうがって書き込む親がいる。まるで観察日記のように毎日きちょうめんに書く親がいる(顔写真付き)。それはとても微笑ましく暖かい行動だと思う。人権厨房みたく「子どものプライバシーが…」と酸っぱいこと言うつもりはないが、軽率な記事(エントリ)があまりに多い。これからその子をさらおうとする輩にとって、大変有益な情報を提供してくれる。あるいは、どの子を誘拐しようかな? と吟味している輩には格好のカタログと化している。

 試みにgoogle先生に訊いてみるといい。「子育て」「育児」「ブログ」「トラックバック」「日記」をいくつか放り込むと、いくらでも採れる。育児の苦労話や喜びを語るだけでなく、子どもの行動を懇切丁寧に教えてくれる。さすがに個人情報そのものは転がっていないが、顔写真、行動パターン、行事、学校と簡単に拾える。

 誇らしい気持ちは分かる(わたしも親だ)。習い事のイベントや学校行事、家族旅行の全員写真をアップしたくなる気持ちも分かる。だが止めとけ、適当なところで。世の中、アナタのブログの来訪者のように善意の人ばかりならば何の脅威もないが、そんなわけないことを、アナタは痛いほど知っている、大人なんだから

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 じゃぁ禁止せよとか全部止めちまえといっているのではない。これだけ普及したものを引き絞るのはムリというもの。せめて自分でルールを作り、守ってほしい。アナタの子どもを守るために。以下、「ブログを活用する犯罪者」の視点でリスティングしてみた。参考にしてほしい。

1.日付をぼかす
 「9月9日、社会見学で海遊館に行きました」とある。「9月9日」「海遊館」「社会見学」でどの学校か分かる。学校そのものが公開している場合もあれば、同じ学校の先生が書いた記事が掛かるかもしれないし、昨年の生徒が書いた記事がヒットするかもしれない。検索のキーとして有効なのは、日付だ。だから「先日、社会見学で海遊館に行きました」が正解。

2.生年月日を書かない
 誕生日は個人情報。氏名や住所なら注意するだろうが、見落としがちなのがこれ。いまはいいが、大きくなればなる程クリティカルな個人情報と化す。ビジネスの芽の話。「赤ちゃん」「生まれました」というキーで子どもの誕生日を知り、一年後などに「お子さまの成長を記念して」とメールする商売もあり。書くときは気に留めないかもしれないが、1.と同様「先日」とするのが吉。

3.写真は1歳ぐらいまで
 人の顔はどんどん変わってゆくものだが、全体の特徴は1歳ぐらいで整う。「おもかげ」というやつやね。赤ちゃんの写真ならまだしも、特定できるぐらいに成長したら、露出はやめる。学校当局が行事の写真をアップする際、かなり気を使って個人が特定できないようにしている。その一方で無造作にわが子の卒業写真を曝している親もいる。

4.服装の写りこみに注意する
 同じ服の組み合わせは、個人を特定するキーとなる。あるいは他と異なる特別な服も同様で、なるべく避けるが吉。「特別なコトをするときは特別な服で」は、けだし名言だが、そうした写真は曝さない。

5.出す情報の組み合わせに注意する
 「だれ」はNGなことは分かるが、他の情報は組み合わせ次第によって特定が容易になるので注意が必要。ダメなのは×、同じ組み合わせで避けたいのを△、露出OKなのを○で示す。ようするに「何をどのようにやって、どう思ったか」に留めて、後は具体的に書かないこと。

   △ いつ(when)
   △ どこで(where)
   × だれが(who)
   ○ なにを(what)
   ○ なぜ(why)
   ○ どのように(how)

6.学校名、園名は書かない
 もちろん住んでいる場所を特定するための重要なキーとなるから。これらは時間が経つと個人情報と化す。自分には累を及ぼさないかもしれないが、同じ学校(園)の他の誰かへのキーとなる。「○月○日に××という行事」から学校名(園名)をたぐれる。あとは通学経路、学童、学校行事といもづる式に。

7.子どもの呼び名について
 ブログでの子どもの呼称に気を配る。下の名前そのままを書き込むことのないように。家庭で呼んでいるニックネームよりもむしろ、ネットに露出する専用の名前(ハンドルネーム)をつけてあげる。わたしの場合は「あゆ」と呼んでいるが、タイ焼きが好きだからそう呼んでいるだけだ(当然うちの子の方が可愛い)。

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 最後に。居ながらにして一方的に相手を知ることができ、かつ自分との接点はほとんど無いというブログの利点を充分に活用した犯罪者は、これから出るのか、まだ捕まっていないのかのいずれか。電子メールを利用した完全犯罪を描いた「Cの福音」という小説がある。すばらしい出来なのだが、その完全性は電子メールが一般化して崩れ去っている。このネタも小説化(=物語化)されれば、危機意識も高まるかもしれない。例えば、こんなふうに[参照]


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6色ハット発想法

 自分メモ。「6色ハット」発想法とは、会議の参加者に同じ方法で考えさせることを目的としたメソッド。堂々巡りを回避したり、枝葉の意見に右往左往させないメリットがある。

 ひとたび言い出した「自分の意見」は、今度はそれに囚われることになり、同じ会議の中での制約となる。翻すと「一貫性が無い」になるから。でも考えなんて一貫性が無いのが普通。あるいは、違う立場の意見をムリヤリひねり出すことにより、これまで思いもよらなかったアイディアに至るかもしれない。

1.準備

 予め色画用紙でトンガリ帽子を人数分作っておく。色の意味は以下の通り。作ってもらうところから始めると(時間はかかるが)より一体感が得られるかも。


  • ブラックハット = 悲観的 :物事のマイナスの側面を考える
  • イエローハット = 楽観的 :物事のプラスの側面を考える
  • レッドハット = 主観的 :感覚・感情・直感をもとに考える
  • ホワイトハット = 客観的 :現実のみを対象に考える
  • グリーンハット = 創造的 : クリエイティブに考える

 参加者はこれらの帽子を被って発言してもらう。参加者は違う色の帽子を同時に被ってはいけないし、ずっと同じ帽子ばかりもダメ。プロジェクトマネージャ(以下PM)は誰に何色の帽子をかぶせるかを考えながら会議を予め組み立てておく。そして、6番目の帽子ブルーハットを被って会議に参加する。ブルーハットは会議のコントローラで、同じ人がずっと被り続ける。チェアマンやね。

 会議を始める前に、ホワイトボードを5つのエリアにわけ、色ごとの説明を見出しに書いておく。記録係を決め、出たアイディアを付箋にメモり、色別のエリアに貼り付けるよう指示しておく。

2.会議開始

 参加者は、最初は全員ブラックハットを被る。PM(ブルーハット)は、「○○について、悲観的・マイナス思考で意見を出してください」と依頼する。人はマイナス的な側面から物事を見るもの。ブラックハットからだと意見が出やすく、会議に入りやすい。ただし、ブラックハットを長時間被り続けていると、モチベーションの低下につながる。回避するにはイエローハット。ブラックとイエローの時間配分に注意すること。

 参加者は自分の被っている色の思考モードで話し合いを行う。色と違う意見が出たとき、「帽子の色が違うよ」と指摘する。意見ではなく、帽子に注意を向けること。これ重要。意見をたしなめることで人格を攻撃されたかと思わせないためのテク。

 一定の時間、意見の数、煮詰め具合を判断し、PMの指示により、帽子を替えてもらう。替えるとき休憩を入れることで帽子の色が変わったことを意識させる。ダラダラと拘泥させないためのテク。参加者は自分の色の役割を演じている意識を持たせる。

 ブラックとグリーンを混在させないこと。ブラック→ホワイト、イエロー→ホワイトに被ってもらい、自分が出した意見の客観的な裏づけを出させる。

 本来、会議の発言は肯定的であろうと否定的であろうと、「意見=方向性+事実の裏づけ」のはず。これができない人多杉。進行をメチャメチャにしたり、枝葉末節にダラダラこだわる人を排除すれば話は簡単なのだが、そうもいかぬ。また皆の面前で「オマエのは『自分勝手な思いつき』に過ぎないんだから、すっこんでろ!」とか「否定だけならサルでもできる。代案もないくせに言うな!」なんてバシっと罵倒できたらスカっとするのだが、そうもいかぬ。

 そのため、方向性と裏づけを「帽子を被る」ことで、段階的に出してもらう。さらに「帽子」に注意を向けることで、トラブルメーカーを傷つけないようにたしなめる。

3.議事メモ

 出たアイディアは付箋に書いてボードに貼り付けるわけだが、「被っている色と合っているか」を吟味すること。上記ではボードを5つのエリアに分けたが、ポストイットそのものを5つに分けられるなら、マインドマップ的に「ポストイット+連結線」で構成してもよし。

4.さいごに

 要は6種類の帽子を次々と被ることで思考の切り換えを促し、それぞれの色に応じた役割(ロール)を演ずる(プレイング)すること。帽子を使ったロープレ。コスプレした人なら分かると思うけれど、暗示による「なりきり」って結構なれるもの。

 プロジェクトリスクとその対処の洗い出しに使ったが「ブラック→イエロー→レッド→ホワイト→グリーン」の順でうまくいった。しゃべっているうちに考え方が整理されたり、創造的アイディアが出てきたりするので、ホワイトやグリーンを後に持っていったほうが話しやすいのかもしれない。

 オリエンテーションするなら、OJTのツマミとして、チーム能力向上の一つとして。説明40分、実践60分ぐらい。「6色ハット」というくらいだから6人必要かというとそうでもなく、1人でもやれる。書籍はデボノ博士の「6色ハット」発想法(E. デボノ)がある(未読)。

5.おまけに(2005/9/8追記)

 名札でもメガネでもコスプレでもなく、どうして帽子なのか? 調べてみると、帽子(hat)には「役割」「立場」の意味があることが分かった。枢機卿や司祭など、特別な帽子によって象徴される地位、職から転じて。英語圏の連中に隠喩的に伝わるね。

  wear one's ... hat
  ... の役割を果たす, ...として活動する, ...の立場でものを言う

  wear one's doctor's [official] hat
  医者として[公的な立場で]行動する

  wear two hats
  一人二役をする, 二足のわらじを履く, 仕事を2つもつ

 (参考:リーダーズ英和辞典第2版)

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劇薬注意!「獣舎のスキャット」

 やっほう!みんな聞いてくれ!「獣舎のスキャット」は読後感サイアクだったぞ。だからうっかり読まないように気をつけてね、特に女性は
悦楽園
 この短編が収録されている「悦楽園」(皆川博子)は粒ぞろい。「退廃 + 刹那」の全共闘の時代なので、若い読者はとまどうかもしれないけれど、通底する コンセプトは一緒「人間こそが恐ろしい」。それは"血"だったり"業"だったり、あるいは過去のおぞましい記憶だったり。

 それを緻密に書くんだなぁ、肝心のトコを上手に省いて。例えば、おぞましい記憶が一気に明らかにされる場面がある。それまで心理描写ばかりだったのが一転して、まるで白色光をあてたかのように事物をクッキリと書き尽くす(血潮は書かない)。それまで主人公にぴったりと寄り添った視線に、こちらも思わず引き込まれていたのが、いきなり「過去の現場」に立たされる。これは、怖い。

 さらに、「性」がお話のキードライバーであるにもかかわらず、登場する「母」「妻」「妹」「姉」から女「性」が剥ぎ取られ、記号にしか見えない。おんなおんなしてないオンナが性交しても萌えも燃えもしない。これは書き手と私の性差からか? 肉と心が喜ぶためにつながろうとするオスと、つながることに他の理由を探そうとするメスとの。だからこそ、「獣舎のスキャット」のラストでサイアク気分を味わいながら激しく興奮、おっきおっきした。
(*´Д`)ハァハァ

 グロは皆無。血糊や臓物の代わりに人の心のグロさを存分に味わえる。収録作の一つ「疫病船」は口の中がムズムズする一方で、人の厭らしさが滲み出るダブルのエグさ。また、「水底の祭り」の屍蝋のエピソードは、それこそフラッシュバックのように私の記憶が呼び起こされた。それは母が言ってたセリフ→「この小説は読むな」、と。

 もう読んじゃったわぁん、水底をぐるぐる回る白い女体が脳に焼き付いて離れないよぉ

 ランキングを以下の通り変更。オススメいただいた mhkさん、t さん、ありがとうございます。こんな胸クソ悪くなるような小説を教えていただいて。

  1.隣の家の少女(ジャック・ケッチャム)
  2.獣舎のスキャット(皆川博子)
  3.暗い森の少女(ジョン・ソール)

  選外
   ・ぼくはお城の王様だ(スーザン・ヒル)
   ・砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(桜庭一樹)
   ・蝿の王(ウィリアム・ゴールディング)

 しかし、1位は変わらない …ってか、「同一作家の他作品もOK」だとケッチャムが独占しちゃう。だから良い子の皆さん、ケッチャムだけは読んじゃダメだよ。

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