« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

「オタク=臭い」と思う人は自分のメガネを嗅いでみろ

 自分のカラダのニオイは気付かないもの。電車で乗り合わせたアレな人の臭気にクラっとくるかもしれないが、彼は自分がどれだけ臭いか分かっていない。

 毎日体を清潔にすることは常識としても、デオドラントが手放せないという人もいるだろう。体臭は脱いだ服で、口臭は起きぬけに分かるが、意外に気付かないのがメガネ。特に鼻パッド。鼻のワキにちょこんと乗っかるアレだ。

 鼻パッドは汗や皮脂に直接触れている。材質はプラスチックがほとんどで、長い間使っていると細かいヒビが入ってきて、「臭いの素」を吸収しやすくなる。そのくせ、「メガネをキレイに」するときは「レンズをキレイに」しようとするだろう。メガネ屋の店頭にある洗浄機も臭いまで取ってくれない。

 かくして「臭いの素」をたっぷりと吸った鼻パットは、エも言われぬスメルを放つ。

 これが問題なのは、鼻のワキにちょこんと乗っかってるから、その臭いに慣れてしまうことだ。つまり自分の臭さに気付いていないヲタと化す。ウソだと思う方は、明日の朝にでも嗅いでみることをオススメする。

 (゚o゚;) ハッ

 メガネっ娘が、キスするときに外したがるのは、そのせいか !?

| | コメント (2) | トラックバック (1)

親になったら読んでおきたい三冊

 「親業」やるようになって5年経つ。母乳以外の全てをサポートしてきた自負もある。苦労も絶えないが喜びもデカい。それこそ最初は暗中模索、不安だらけの毎日だったが、一人から二人に増え、いつしか子どもは日常そのものとなった。

 きょうび、必要な情報は何でも手に入る。育児サイトなら星の数ほどある。親業を始めたころ、本・雑誌・ウェブサイトを漁りまくったが、膨大に転がっていた「情報」は、5年後には全部ゴミになった。

 おっと「全部」は言いすぎだな。ただの「情報」だけでない、「考え方」「心がまえ」を受け取った書籍が残った。この記事ではそのうちのいくつかをご紹介する。余談だが雑誌・サイトは該当なし。育児ブログは有益だが誘拐カタログ化[参考]も時間の問題なので最近ではかかわらないようにしている。

 「子どもへのまなざし」(佐々木正美)は何度も読んだ。今でも悩んだり壁にぶつかったりすると、この本を最初に開く。

 著者は乳幼児期は人間の基礎を育てる最も大切な時期だと説く。ポイントは「子どもの望んだことを満たしてあげる」こと「しつけはくり返し教えること、そして待つこと」。「何をアタリマエな…」という方はこの本を読むと頭ガツンとやられる(私がそうだった)。

 人間として生きていく上で最も大切なことは、信じることだ。自分を信じること。他人を信じること。社会を信じること。心の根っこのところでこれがあるのと無いのとではまるっきり違う。自分すら信じられなくなったら、おしまいだね。そして、親が子どもにあげられるもので最も大切なものは、「信頼」だ。それはどうやって育まれるのか?

 赤ちゃんは自分でオムツが替えられない。食事も着替えも、身の回り一切ができない。だから泣く。親がくる。世話をしてくれる。機嫌が悪い。だから泣く。親がくる。あやしてくれる。繰り返す「泣く」→「来る」→「面倒みてくれる」のサイクルの中で、赤ちゃんは学習する。「泣いたら誰かが来てくれる」と。これが親を信じることの基礎となり、親を信じることを通じて自分や他人を信じることができるようになる。

 では、放っておかれる赤ちゃんはどうなるか? 一部の育児誌で「夜泣きがひどいようなら、放っておいてもかまいません」などとある。根気よく泣き続けても、いずれは泣きつかれて眠ることになる。これが毎晩繰り返されれば、いずれ泣かなくなるだろう。だが、「泣いても誰も来てくれない」サイクルが繰り返されると、赤ちゃんは「あきらめる」ことを覚えるのだ。「泣いても無駄なのだ」と。AM3:00 泣き喚く赤ん坊をあやしながら、朦朧とした頭でこの箇所を何度も読んだ。

 ぐッとこみ上げたトコはここだ。

   子どもは親を見て学ぶ
   「幸せ」を学ぶ為には、親が幸せになっていないと、
   子どもには何が幸せなのか分からない

   だから

   まずお母さんが幸せになって下さい
   お母さんが幸せでないのなら、
   子どもはどうやって「幸せ」を知ることができるでしょうか

   事情により幸せな感情を持ちにくいようでしたら、
   せめて、子どもと接するときはゆとりをもって安らいでいられるようにしてください

   ダンナさんをはじめとするご家族は、
   このことを胸において、お母さんをサポートしてあげてください

 上の子は「子育て」から教育のフェーズに移っている。「子どもへのまなざし」が乳幼児なら、「『親力』で決まる ! 子供を伸ばすために親にできること」(親野智可等)は小児・児童の教育のための最適本。マンガ「ドラゴン桜」のタネ本として有名だが、単なるハウツー本のつもりで斜めに読むと、本質を読み落とすかもしれない。

 この本の本質は、「まず親自身が育て!子はそれを見て育つ」に尽きる。これまでの育児本は「子どもを伸ばす方法」について書かれていたが、この本は逆で「親としてのチカラ=親力をつける」ことを主眼としている。

 例えば、「歴史マンガに親しませろ」とか「テレビのそばに地図帳を置け」といった上ッ面だけ真似をしても、この本を読んだことにはならない。親が先ず読むのさ、歴史マンガを。親が先ず調べるのさ、ニュースに出てきた都市名を。何度もその姿を見て子どもはマネをする。

 さらに、分数が苦手な子どもを叱っても意味ないと説く。「なぜ、分数が苦手なのか」「分数のどこが分からないのか」「どうすれば分かるようになるのか」を子どもから聞き出し→考え→実践させる。子どもは与えられたタスクをこなすので精一杯。そのプロセスをマネジメントするのが親の役目。タスクとマネジメントの双方をこなすなんて、大人でも難しい。ウソだと思うなら、コーディングとリソースアサインの両方をこなしているマネージャーを探してみな。もしいるなら、彼は"スーパーマン"と呼ばれているはず。

 でてくるノウハウは全てここを向いている。「子どもにプラスイメージの言葉を」「毎朝満面の笑顔で送り出そう」といったポジティブシンキングなTipsを試していくうちに、親自身が楽観的に考えられるようになり、自分が感情のコントロールをすることができる。そんな言葉で書いてはいないが、どのページを開いても親が変われば、子は変わるというメッセージが込められている。

 この本がスゴいのは「子どもを伸ばすための具体的なノウハウ」と銘打っておきながら、読者である親を育てているところ。ちっとも押し付けがましくなく「子どもを変えるには先ず親から」という主張が心に入ってくる。その頃合いを計ったかのように、虐待の連鎖の話が出てくる。自分が虐待を受けたことが、子どもへの虐待に繋がる。振り上げた自分の手を下ろすことで、その連鎖が断ち切られる。普通の教育ノウハウ本だと思って読むとこんな結論が待っている。

 「教育=共育」だの「子育ては親育て」だの「育児=育自」といった言葉遊びがある。ヌルい。この二冊を読むうちに、ずばり「子どもがダメなのは親がダメだから」と思い当たる。この二冊はポジティブに書いてある。例えばこんな風→「優しい子どもに育って欲しいなら、夫婦でいたわりあいなさい」とか「勉強好きな子どもになって欲しいなら、先ず親が勉強している姿を見せなさい」。

 そうした意識がないまま、ドロップアウトする子どもはあたかも自己責任(便利な言葉だねっ)かのような論調には反吐が出る。社会のせいでも、学校のせいでもない。堕ちたくて落ちる子どもは皆無。ぜんぶ親の責任だ。いや、ここは責任逃れを糾弾する場ではないので、子どもの出来はわたし次第だぞ、と肝に銘じておくにとどめる。

 ダメな親の結果は? 不登校、ひきこもり、リスカ、薬物… 「夜回り先生」(水谷修)にでてくる子どもたちは本当に「ふつう」に見える。手遅れなのは親のほう。「夜回り先生」は親を何とかしようなどとはしない。水谷氏は夜の闇に沈みこもうとする子どもたちをひたすら探し、声をかけ、手を差し伸べる。

 読んでる途中、「親はどこにいる?」「親は何やってんだ?」と問いとも叫びともつかないような言葉があふれた。同時に、それは自分に向けられるかもしれない言葉であることにも気付いた。

 子どもが傷つこうとするとき、私はどっちを向いているのだろうか。子どものSOSに気付くだろうか? どうしたら気付くのだろうか? (気付かないのはどうしてだろうか)。そして、いよいよ子どもが危機に陥ったとき、私はどこにいるのだろうか? そして、「昨日までのことはみんないいんだよ。まずは今日から、一緒に考えよう」と言えるだろうか?

 「子どもを育てる」ということで自分のロール(役割)は強制的に変わる。「母」になること、「父」を演ずることが強要される。その有言無言の圧力や、環境の激変により、新米ママパパは、ともすると不安になり自信を失うかもしれない。そんな自分が、子どもの世話をすることで役立っているという実感を得ようとしたり、子どもを自分の分身としてコントロールすることで自己実現を図ったりすることは、多かれ少なかれあるだろう。子育てをダシに子どもに依存しているとも言える。

 自分が望んだとおりに子どもが育つ姿を見て、満足する。そういう「条件つき」の"愛"はいずれなくなる。なぜなら、子ども自身が望まないから。自立しようと足掻くだろうし、言いなりになるまいと反発するに違いないからだ。あるいは、子どもに依存する自分に気付くことで無意味な「条件」を取り下げるかもしれない。血がつながっているから顔が似ているだけであって、子どもは私の所有物ではない。いずれ離れるときがくる。

 子どものおかげで私の日常は激変した。あと十数年はこの延長上の生活だろう。苦労も耐えないだろうが喜びもデカい。実際、妻がいて子どもがいる毎日を繰り返す中で、初めて幸せとは何か分かった。この一点だけでとてつもなく感謝している。

 だが、悩む日は必ずくる。そのときに、ではなくその前に読んでおきたい私の三冊はこれだ。「情報」は集めては捨て、ごく一部を使うだけ。だが、これらは繰り返し読むに耐えうる。いや、繰り返し読んで自家撞着にしなければ。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

妹+ツンデレ+密室殺人「きみとぼくの壊れた世界」

きみとぼくの壊れた世界 萌え本としてスゴ本。かつ極悪なラストでやんの。「読後感サイアクの後味の悪さ」で紹介されたはずなのだが、とても楽しませていただいた。その理由として、わたし自身ギャルゲを少々たしなんでいたからだと告白しておく …ってか端々でそれを意識させられる(もちろんその経験がなくても充分楽しめる)。以下amazon紹介「きみとぼくの壊れた世界」(西尾維新)より(太字化はワタシ)。

 禁じられた一線を現在進行形で踏み越えつつある兄妹、櫃内様刻(ひつうちさまとき)と櫃内夜月(よるつき)。その友人、迎槻箱彦(むかえづきはこひこ)と琴原りりす。
彼らの世界は学園内で起こった密室殺人事件によって決定的にひびわれていく……。 様刻は保健室のひきこもり、病院坂黒猫(びょういんざかくろねこ)とともに事件の解決に乗り出すが――?

 これは小説仕立てのギャルゲ。電脳紙芝居あるいはビジュアルノベルとも呼ばれ、「萌え絵+ヒネた主人公のモノローグ」で構成される。プレイヤー(読者)はときどき出てくる選択肢から「選ぶ」ことでお話を先に進め、異なる結末を目指す(マルチエンディング)。んで、がんばって読み進めたごほうびに18禁絵が出る(たいてい女の子の"攻略"に成功したときに、ね)。

   1章  もんだい編
   2章  たんてい編
   3章  かいとう編
   終章 えんでぃんぐ

 「もんだい編」での妹とツンデレがたまらない。妹が狂うサマや、クラスメイトがツン→デレ→○○に変化する阿吽(もちろん読者と筆者との阿吽)は萌え死にそうになった。期待した通りの展開は別名「おやくそく」とも言うが、ここまでキチンと守ってくれる1章だけでお腹いっぱい。西尾維新は初めてだが、「戯言」が多少鼻につくが、ウザくなるまでの寸止めが絶妙。

 この小説はミステリ(?)のつもりらしい。笑止。ミステリとしてはしょうもない。「もんだい編」のラストで殺人事件が起きるのだが、どうでもよい。あたしにゃ2章以降はオマケとしか思えなかった。あるいは1章を元に『まっとうな』ギャルゲを製作するという話なら乗ってみよう。

 しかし、ラストはとんでもなくサイアクなり。いいえ、これはいまあなたの頭に浮かんだ「よくある意外な結末」ではない。仮にギャルゲ「きみとぼくの壊れた世界」があるなら、主人公は壊れた世界での文字通り "BAD END" にたどり着く。ギャルゲならいいよ、だっ
て「ゲームを中断する」→「最初から始める」で違うエンディングへ向かって進むことができる。要はバッドエンドに至った選択肢を選ばなきゃいいワケだ。

 バッドエンドとは何か?

 大切な誰かを失う? 自失? 悲劇という喜劇? その逆? 最初に戻る? 釈迦の手? 夢オチ? チルチルミチル?

 ちがう。

 均衡がゆらいでいる「壊れた世界」のほうがまだマシ。それでもお話が進むから。このラストは「動かない」ところが着地点。よくある話なら死や狂気をもってくるが、ちがう。どこにも進まないし、何かが流れ出ることもない日常。常に1しかない選択肢を選び続びとり、世界はそこで完結する。出口なし。

 こいつを勧めたtakyさんが勿体つけてたのも分かる。このラストは確かに非道なのだが、最もサイアクなのは、これは確かに主人公が選んだ「えんでぃんぐ」なのだから。そしてギャルゲの読者なら最初に選ぶだろう選択肢の分岐先なのだから。

 これは小説仕立てのギャルゲ。主人公は「常に最良」の選択肢を選び続け、何回読もうが結末は同じ。

 見返しにこうある。

 「人生は罰ゲーム」なんだと。

────────────
「劇薬小説を探せ!」に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

この手法のご先祖様「妖魔の森の家」

 スッキリ明快な帰結なのに、こんなにも生臭く肌寒い読後感は最高ですな。ディクスン・カーの短編「妖魔の森の家」のラストでまで読んで、一瞬だけ「自分の脳が理解することを拒絶した」そのとき、脳みそが動いたかのような錯覚が味わえる。この手の亜流をたくさん読んできた私にとって、「これがご先祖サマだぁ」と思わず喝采。薦めていただいたsimotuki11さんに感謝!

 密室消失トリックとしては陳腐かもしれないが、それはこれをパクった小説のせい。伏線の秀逸さ、設定の巧妙さ、展開の旨さ、全てこれらは、読み終えてから気づく。ああ、そういうことだったのね、と。大きなナゾの傍らにある小さなトリックは気づかれにくい。犯人は、「意外な」人物でなければならない。ナゾは、全てが終わった後に明かされなければならない。

 そして読者は、最後の一行で戦慄しなければならない。

────────────
「劇薬小説を探せ!」に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ネタバレ禁止「我らが影の声」

 やべ、一行たりとも感想が書けない。このblogを選書の参考にしている奇特な方もいらっしゃるようなので、書けない。どう書いてもバレになる。こんな小説は珍しい。

 常態から異常事態へ。このお話を「狂気」の一言で片付けられたらどんなに嬉しいことか。しかし、どこも狂ってないのがおそろしい。だいたいヒトを「正気」と「狂気」の2色で塗り分けようとすること自体がおかしい。正気の中にも狂気を宿し、狂っていても一貫性を見出そうとするのが、ヒトだ。

 これは、その変移を味わう小説。賛否両論の「驚愕のラスト」は○○○○したが、「他にどんな終わり方を望む?」と自問して、飲み込んだ。

 兄が死んだのは、ぼくが十三のときだった。線路を渡ろうとして転び、第三軌条に触れて感電死したのだ。いや、それは嘘だ。ほんとは……。ぼくは今、ウィーンで作家活動をしている。映画狂のすてきな夫婦とも知り合い、毎日が楽しくてしかたない。それなのに――底知れぬ恐怖の結末があなたを待っている。

 amazon紹介文我らが影の声(ジョナサン・キャロル)より。読む気あるならamazonレビューも見ないほうが。バレを上手に回避してオススメいただいたmhkさんに大感謝!






 さて… いや、反転表示にはしたけれどバレではない。「悩み」について、あるエピソードを思い出したので。

 大学生の息子が悩める年頃になった。曰く「これからどうなる?」「自分はどうあるべき?」「自分はダメなのか?」といった若い人なら一度はかかるハシカのようなやつ。悶々と悩んだ挙句、休学して旅に出ると言い出した。

 もちろん父親は快く送り出した。ただ、出発の朝、次のようなアドバイスを息子に念押しすることは忘れなかった。

 「気をつけて行っておいで。だけど、悩んでることがどう変わったかをちゃんと見つめるように」

 出発してから一週目の夜、電話がかかってきた。

 「父さん、いくらもしないうちに気がついたよ。どんなに遠くに行っても、違った環境で生活しようとも、悩みを抱えているのはぼくであるという事実は変わらない。だから、ぼくの周りがどう変わろうとも、ぼく自身が変わらない限り、ぼくの悩みは消えることも変わることもないんだ…

 …最初は『悩みが追いかけてくる』と思ってた。けど違うんだ、ぼくが悩みを持ち歩いているんだよ。この悩みをどうしたいのかを自分で決めない限り、こいつはずっとぼくの頭の中に住み着いたままさ。明日帰るね」

────────────
「劇薬小説を探せ!」に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひさびさに背筋が凍った「暗い森の少女」

 こわい本とはこういうもの。小説読んでて、久しぶりに「こわい」「おそろしい」「もうヤメテ」体験をした。ラストに説明を求める人は、その禍禍しい終わり方に読後感サイアク気分をたっぷりと味わえるだろう。

 人よりはグロ・ヘンタイ・血まみれ耐性はあると思っていた。しかし、この正統派ゴシックホラー(救いなし)を読むうちに、何度もゾっとさせられたことは白状しておく。

 とはいえ「正統派」なので展開はすぐに見抜ける。今の読者ならほとんど分かるに違いない。ほら、あれだ。80年代に流行ったホラー映画のアレ。伏線を張って「来るぞ来るぞ~」と読者に思わせておいて、やっぱり、

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

というやつ。いわゆる「お約束」をキチンと守ってくれる。でも13金のようなビックリ箱みたく脅かすだけの小説ではないし、最近の低級な「読者を騙す」叙述系でもないので、ご安心あれ。ストーリーとキャラでじわじわ怖くさせて、バーン!!とくる。

 スレっからしになってしまった自分を嘆いてもしかたがない。「お約束」がどう守られているかを確認しながら読むのだが、それでも怖い。「暗い森」へ連れ込まれた子どもたちがどんな運命を辿るのか、分かっていてても、怖い。ニューイングランドの由緒ある屋敷、先祖代々の「呪われた血」、父娘、姉妹、虐待、狂気、消された過去、そして「暗い森」の先にあるもの…  ○○モノという設定はまさに古典的。

 グロや残虐シーンはあるけどたかが知れてる(これは1978年の作品だぜ!)。グロや残虐だから怖いのではない。人は「分からない」ものに恐怖する。しかも、生きている人間が一番恐ろしい。「分からない」ものへの説明が無いまま、読者は本能的に理解する、「これに違いない」と。そして、それが正しいことを知りつつ、そうならないことを祈るような気持ちで読み進める、真ッ黒なラストに向かって。

 そういう、根源的な、恐怖を、煽ってくれる。オススメいただいたddwさんに大感謝!

 劇薬小説ランキングを以下のとおりに変更。

  1.隣の家の少女(ジャック・ケッチャム)
  2.暗い森の少女(ジョン・ソール)
  3.ぼくはお城の王様だ(スーザン・ヒル)
  4.砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(桜庭一樹)
  5.蝿の王(ウィリアム・ゴールディング)

 ランキング1位「隣の家の少女」を超えられない理由を書いておく。「怖くて面白かった」から。ジョン・ソールの他作品を読みたいから。「隣の家…」は読まなければよかったと後悔するいやぁあぁぁぁな本だから。読んだことそれ自体を抹消して、人生のそこだけをなかったことにしたいほどの本だから。

 …というワケで、良い子は読んじゃダメだよv

────────────
「劇薬小説を探せ!」に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ヘンタイ小説「溝鼠」

 ずばり変態小説。「ヘンタイがでてきて読後感サイアク」との触れ込みで読んだが、勧めてくれた方は団鬼六を読んでないな。「溝鼠」をヘンタイというならば「花と蛇」をどうぞ。ヘンタイ萌えできますぞ。グロを抜いたらフランス書院にすら負ける。ただし、「そういうの」を身構えずに読んだ方はかわいそうかも。肛虐や飲尿が普通にあるし(笑 

 そのヘンタイを象徴する場面を引用する。鷹場は主人公(ヘンタイ)、八木はその部下(ヘンタイ)。

 彼女がトイレに籠っていた時間は約十分。恐らく、大便。八木もそう思ったに違いない。

 鷹場は瞼と口を閉じ、ありったけの肺活量を駆使して鼻から空気を吸い込んだ。麻薬犬さながらに嗅覚を研ぎ澄ました。鼻粘膜を刺激する微かな異臭───彼女の排泄物の残り香。

 感激で、肌が粟立った。八木との醜いバトルを制した甲斐があった。彼女が便座に座り、眉間にシワを寄せた姿を妄想し、しごきだす───

 放課後タテ笛をなめるレベルを凌駕してるが、根はいっしょ。気持ちが分からないでもないと言ったらわたしもヘンタイだなorz

 このヘンタイ主人公は、現代版「恨みはらします」=復讐代行を生業としている。復讐とはいっても嫌がらせに毛が生えたようなもので、コロシは無い。そのくせ彼は自分をドブネズミと貶め、悪いことをやるのに一生懸命自分を納得させ、動機付けようとする。いじらしい。悪党になりきれない小悪党といったところか(ちなみに、このテのケッサクは「Mr.クイン」。ヘンタイは無いが、おもろいゾ)

 一方、どうにも合点がいかないのがヤクザ屋。歌舞伎町で風俗+ギャンブルで手広くシノいでいるヤクザの親玉がでてくるんだが、ヘンだ。そんな人は、1億2億のカネで動かない。シノギも立派な事業なので運転資金として必要なら分かるが、経営は順調だし。それが眼の色を変えて現金を追っかけまわすのだから、コメディにしか見えない。

 また、父と子の確執が周囲を巻き込んで大バトルを繰り広げる構図は「カラマーゾフの兄弟」を思い出してしまったが、これはドストエフスキー御大に極めて失礼なり。「カラマーゾフの兄弟」の方がものすごく面白いぞ。

 最後に。ストーリーは単調。騙し騙されドンデン返しを狙っているのは、よーく分かるが、分かりすぎ。展開がミエミエなので、導入部を読んで頭に浮かんだ起伏をなぞるだけ。ドンデンを狙って読むならやめておく方が吉。エロを期待するならフランス書院を、ヘンタイ萌えを望むなら団鬼六を、父子の大バトルを読みたいなら「カラマーゾフの兄弟」を、推す。言い換えると、これらが混ぜこぜになったお話ともいえる。わたしにとっては予定調和をセックス+バイオレンス+ヘンタイで埋めているだけ。

 んで、読後感は、「疲れた、このヒトの本はもう結構」

────────────
「劇薬小説を探せ!」に戻る

| | コメント (4) | トラックバック (1)

「アクアリウムの夜」を読みながら「それなんてエロゲ?」

 暗黒青春小説。読みながら幾度も「それなんてエロゲ?」という質問を独りごつ。しかし、(当然のことながら)濡れ場がないので期待して読んで壁投げしないように。

 文体がイヤらしい。まとい付くような書き方で、描写文が沢山あるにもかかわらず、実感がわかない。例えば、「激痛が走った」とあっても、まるで現実感がない。著者はどう痛いのかを想像して書くよりも、キャラを痛めつけるシーンだからそう書いているだけ。そうした意味でもテキスト系アドベンチャーゲームを彷彿とさせられた。

 ラノベで期待すべきことの一つにキャラ萌えがあるが、「メガネ/妹/ツインテール/どじっ娘」の全ての要素が欠けているトコが致命的…と書いたところで気がついた。初出が1990年だから仕方がないか。お姉さんちっくなキャラが2人も出てくるが、敵と化す

 ラストがどうなるかは中盤で分かったため、伏線がダルかった。ただし、学祭の演劇で高橋が落ちてくるシーンは、映画「キャリー」や「女優霊」を思い出してゾっとできた。ここの描写は秀逸なり。amazon「アクアリウムの夜」の紹介文を引用する。

 僕と高橋が見たのは、その水族館にあるはずのない、地下への階段だった。霊界ラジオから聴こえてくる謎めいたメッセージに導かれ、僕たちは現実と異界との間をさ迷い始める……。青春ホラー・ノベルの傑作登場!

で、読後感は… ダルい、またはもの憂い。

────────────
「劇薬小説を探せ!」に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ネコ好き厳禁「D-ブリッジ・テープ」

 グロ本。通常、グロはエロとセットなのだが、エロは皆無。オススメいただいて[参考]、かなり期待して読んだのだが、残念!。非常に楽しく読ませてもらった。大感謝。悪食や自傷シーンは人によると吐くかもしれないので、ご注意を。あらましはこんなカンジ(amazonD-ブリッジ・テープ(沙藤一樹)紹介文を引用)

 近未来、ゴミに溢れた横浜ベイブリッジで少年の死体と一本のカセットテープが発見された。いま、再開発計画に予算を落とそうと、会議室に集まる人々の前でそのテープが再生されようとしていた。耳障りな雑音に続いて、犬に似た息遣いと少年の声。会議室で大人たちの空虚な会話が続くなか、テープには彼の凄絶な告白が…

 確かに凄まじい読みどころがある。○○を○○する場面は日本人の書いたものではピカイチだろう。しかし、いかんせんリアリティが…とツッコミを入れた時点で萎え。これは筆力ではなく著者(と編者)の経験値が足りないことによる。

 例えば、食物が全くない極限状態でアリやらセミやら虫を捕まえて食べるのだが、「クモはおいしくない」と独白する。クモは美味ですぞ。ねばねばして食べにくいが、味はトロに似ている。以下、バッタはショウリョウバッタ、クモはジョロウグモでランクづけしてみた(イナゴは食用なので論外)。

    ムカデ <…超えられない壁…< アリ < セミ < バッタ < クモ

 筆者が「クモはおいしくない」と書いたのは、クモを食べたことがないから。一方で「ムカデを食べた」と書いている。ムカデを食べると唇から食道にかけて腫れ上がるぞ。焼いてもツブしても毒は消えない(経験済)。

 また、【ネコ好き厳禁】子猫を素手で解体する場面が出てくる。扼殺した後、両手で裂くようにバラしているが、子どもの力ではムリ。さらに血抜きもせずに一晩放っておいて、翌日食べている。凝結した血がカチンカチンになって齧りとれなくなるのに。【ネコ好き厳禁】

 さらに、ある時点で出血多量か壊疽で死ぬハズなのだが、「驚異的な生命力!」と読み流してあげるのが優しい読者なんやろな。淡々と凄まじい描写を読ませる筆力はスゴいなぁと思った分だけ、読後感は「残念!」なり。

 劇薬小説に不慣れな人ならガツンとクる素晴らしい作品なのだが、ホラー小説大賞の選考委員である高橋克彦氏が絶賛しているらしい。あらら、彼はC.バーカーやJ.ケッチャムを読んでないようだ。

 … あ、でもこれ新人が書いたのだからスゴいかも。

────────────
「劇薬小説を探せ!」に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (1)

劇薬小説を探せ!

 はてな「読後感サイアクの小説を教えてください」で教えていただいたものを、片ッ端から読んでいる。質問[ここ]からピックアップしてみた。すげぇ楽しみ。ゆえに評価はすげぇ辛口になるはず。(最新の劇薬小説リスト&レビューは、劇薬小説【まとめ】にまとめてあるよ)

劇薬小説とは

 読了して後味の悪い思いをした小説を指す。読んだことを激しく後悔するような、いやあぁぁぁな気分にさせてくれる本。下らなくて情けなくなる「壁投げ本」ではない。また、マンガを含めると莫大になるので、対象外とする(ちなみに劇薬マンガNo.1は日野日出志「地獄の子守唄」)。

    エロだったりグロかったり、救いがなかったり

    大の大人なのに怖くて夜に読めなかったり

    読了してヘコんだり、生きる気力が奪われたり

    生理的にクるものに、おもわずマジ嘔吐したり

    その後、人生のトラウマと化したり

 小説はしょせん絵空事。リアルでない物語に実人生を侵食されるほどヤワじゃないと思っているし、相当読みこんできている自負もある。だからたいていの「オススメ」はたいしたものじゃない。ただの「出来のよい」ホラーや「救われないラストの」ミステリなら山ほどある。はてなの住民は「普通」で「お上品」な方が多いような気が。

 「爽やかな感動が得られます」クソクラエ。本を読んで感動するのは、実人生で感動するための訓練のためじゃろう。おまいらリアルで感動できないくせに小説に感動を求めるんじゃねェ!それはウソんこの感動だ。感動のシミュレートだ。

 ハラ減ってメシがうまい→感動。女はやっぱり美しい→感動。セックスはすばらしい→感動。くたびれて眠る→感動。感動できない未熟な人が、小説を読んで感動したフリをしているんだろ。マスターベーションと同じなり。

 人間やってて毎日感動しているんだから、たまには感情をネガティブにドライブしないと、釣り合いが取れない。ホラ、アイスクリームの後に熱い緑茶が飲みたくなったり、恋愛映画を見た後はスプラッタで口直しが必要だったりするだろ。

 けれども人間をやめるわけにはいかないので、やめたつもりになってみるぞジョジョオオオォォォーーーーーッ!!っつーわけで、「これは!」というものをチョイスした。全て読む。

「はてな」でのオススメ劇薬小説

殺戮の「野獣館」(リチャード・レイモン)
  読むハードコア・スプラッタ

D-ブリッジ・テープ(沙藤一樹)
  ネコ好き厳禁!

記号を喰う魔女(浦賀和宏)
  壁投げ本。オススメしてくれた人に悪いが

岬(中上健次)
  <未読>

死者の奢り・飼育(大江健三郎)
  <未読>

姉飼(遠藤徹)
  壁投げ本らしい。読まない

完璧な犠牲者(クリスティーン・マクガイア)
  事実は小説よりも奇を地で行く

黄金色の祈り(西沢保彦)
  くだらない話だったorz

アクアリウムの夜(稲生平太郎)
  「それなんてエロゲ?」

夏の滴(桐生祐狩)
  とんでもない話。後半で筆力がみるみる減っており作者が不憫なり。これは編集者の罪

閉鎖病棟(パトリック・マグラア)
  本当に「歪んだ純愛の形」なのか?

溝鼠(新堂冬樹)
  ヘンタイ小説

神様ゲーム(麻耶雄嵩)
  壁投げ本らしい。読まない

夜の記憶(T.H.クック)
  <未読>

悪いうさぎ(若竹七海)
  <未読>

地下室の手記(ドストエフスキー)
  <未読>

我らが影の声(ジョナサン・キャロル)
  ネタバレ厳禁

グルーム(ジャン・ヴォートラン)
  <未読>

雪の死神(ブリジット・オベール)
  orzらしいのでやめておく

★悦楽園(皆川博子)
  「獣舎のスキャット」は劇薬注意

不思議な少年(マーク・トウェイン)
  <未読>

リカ(五十嵐貴久)
  壁投げ本。穂村愛美の方が恐ろしい

鬱(花村万月)
  <未読>

クリスマス・テロル(佐藤友哉)
  壁投げ本らしい。読まない

盤上の敵(北村薫)
  時限爆弾を解除する読み方

人獣細工(小林泰三)
  オススメした人に悪いが、くだらない

恐怖夜話(ガストン・ルルー)
  <未読>

告白(町田康)
  <未読>

★暗い森の少女(ジョン・ソール)
  ひさびさに背筋が凍った

夏の葬列(山川方夫)
  国語の教科書として読んだ人は激しくお気の毒というしか

小説大逆事件(佐木隆三)
  <未読>

異形の愛(キャサリン・ダン)
  畸形たちの「ホテル・ニューハンプシャー」(J.アーヴィング)

きみとぼくの壊れた世界(西尾維新)
  妹+ツンデレ+密室殺人

ロウフィールド館の惨劇(ルース・レンデル)
  <未読>

ZOO(乙一)
  激しく期待→激しく失望

異形博覧会(井上雅彦)
  ソコソコ期待→失望

妖魔の森の家(ディクスン・カー)
  この手法のご先祖様

「贈る物語 Terror」(宮部みゆき編)
  遅効性のヤな感じを味わう「くじ」

わが愛しき娘たちよ(コニー ウィリス)
  <未読>

ある晴れた日に(ドーン・パウェル)
  <未読>

問題外科(筒井康隆)
  <未読>

クリスマスに少女は還る(キャロル・オコンネル)
  <未読>

チョコレート・ウォー(ロバート・コーミア)
  <未読>

ずっとお城で暮らしてる(シャーリイ・ジャクソン)
  <未読>

今のところ、読後感ワースト3は

 1.隣の家の少女
 2.ぼくはお城の王様だ
 3.砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない

2位3位は入れ替わるかもしれないが、不動の「隣の家の少女」を凌駕する作品が出てくることを期待しる!

--------------
2005/12/6
いくつかリストに追加。あとこの企画の二番煎じ「読まなきゃよかった物語を教えて下さい。ネタバレ推奨」も張っておく

| | コメント (36) | トラックバック (2)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »