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「夜のピクニック」には萌えがない

 読みやすく面白いビルドゥングス・ロマン。恩田作品が初読なら、感動すら覚えるかもしれない。郷愁をかきたてる情景や、先を読みたくなる前フリの振り方は絶妙。「サラリと読めて面白いやつない?」と訊かれたらこいつを推す。以下amazon「夜のピクニック」の紹介文より。

あの一夜に起きた出来事は、紛れもない奇蹟だった、とあたしは思う。
夜を徹して八十キロを歩き通す、高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。
三年間わだかまっていた想いを清算すべく、あたしは一つの賭けを胸に秘め、当日を迎えた。去来する思い出、予期せぬ闖入者、積み重なる疲労。
気ばかり焦り、何もできないままゴールは迫る―――ノスタルジーの魔術師が贈る、永遠普遍の青春小説。

 「amazonレビューは信用するな」という金言があるが、本書はだいたい信用してもいい(ただし未読の方は読んではいけない。あいかわらず場をわきまえない輩がバレを書きなぐっている)。「爽やかな読後感」だの「癒される」といった効用は、そんなつもりで読まなかった人にこそ訪れるはずなのだが。

 しかしだ、この小説は「におい」がない。17才の女の子のあれだけの運動量は、汗やら涙やらその他の汁から、色々な「におい」を発するはず…なんだが、そんな描写は一切ない。クツを脱いで足を休ませるシーンなんか格好だと思うのだが、この世界ではにおわないようだ。あのトシだと、物理的な匂い(臭い)にかかわらず、デオドラントや制汗スプレーが手放せないはずなのに。

 さらにだ、デビュー作「六番目の小夜子」でわたしをトリコにした百合百合でキュアキュアなところ[参照]が一切ない。隠しても抑えきれない情動。それが同じ性に向けられるときの罪悪感のような息苦しさ。全てをぶちまけたいような、そうすることで互いの関係を決定的にすることを恐れるような、そんな百合百合したトコがない。代わりに異母兄妹の話になっている。これはこれで悪くはないが、それならぜひとも、Magic word「おにいちゃん」を言わせてほしかった。

 その結果だ、作りものじみた青春となっている。生々しさは摘出され、萌えることを許されない、いわばさわやか系おとぎ噺を読まされると、その反動としてS.キング「死のロングウォーク」を勧めたくなる。のほほん禁止のストーリーはこんな感じ。以下amazonの紹介文より。

近未来のアメリカ。そこでは選抜された十四歳から十六歳までの少年100人を集めて「ロングウォーク」という競技が行われていた。ひたすら南へ歩くだけという単純な競技なのだが、歩行速度が時速四マイル以下になると警告を受け、一時間に三回以上警告を受けると射殺される。この競技にはゴールはない。最後の一人になるまで、つまり九九人が殺されるまで、昼も夜もなく競技はつづく。体力と精神力の限界と闘いながら、少年たちは一人また一人と脱落し、射殺されていく。

 この絶望的な極限状況でも彼らは境遇を語り、冗談を交わし、お互いを励ましあう。派閥ができ、いがみ合い、助け合う。残酷なのと長編なのが難かもしれないが、ラストのグッとこみ上げてくる気持ちは、こっちが上(たとえオチに気付いたとしても)。「六番目の…」のレビューでも指摘したが、恩田氏はS.キング好きに一票入れておく。

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暗黒面に堕ちたプログラマ

 最近クラッキングの犯罪をちゃんと報道するようになったが、相変わらずマスゴミは見当違いをしているようだ。外からのクラックが問題なのではなく、中の人の犯罪こそが露見されていないのだから。

 プログラム発注元は、ただ「安く品質が良ければOK」を繰り返すのみ。職務への忠誠心は警官並みのレベルが必要であるにもかかわらず、バックドアを [ つける | つけない ] については、プログラマとしての良心「だけ」に依存している。この現実を発注元は知らない。

 地下鉄テロで日本を震撼させた某宗教団体は、プログラミングの請負をしていた。「安く早く仕上げる」ことで評判だった。請負元はその部品が混じっていないかで大騒ぎしていたことを忘れているようだ。自分が発注したシステムの孫請、曾孫、曾曾孫請まで押えることは、事実上不可能だ。

 暗黒面に堕ちたプログラマは、上記の事実を承知の上で、「悪のプログラマ」と化す。リンク先では対策を2つ挙げたが、ここでは、こうしたプログラムを見分けるポイントを書く。J2SE を想定して書くが、他言語は適宜読み替えて欲しい。

ログを書き出すところをチェックする

 ログ出しは外注化しやすい。ログレベル・ログ情報の仕様とインタフェースさえ決まれば他のチームや会社へ外注に出せる。助っ人にお任せする一方で、仕様どおりにできていれば、中身なんて気にされない部分でもある。

 システム全体から見たとき、外部リソースへアクセスする部分は限定的だ。従ってセキュリティ関連なら、誰しも画面まわりや、ログイン機能、DBアクセス、セッション管理に着目しがちだ。これらは外からのアタックに備えてのものだ。ほとんどのプログラマはきちんと解決できる。誰かが「悪のプログラマ」だったとしても、机上デバッグで見抜くのはたやすい。

 ところが、ログ出しの部分は見落とされがちだ。getUserObj() だとか、getPasswd() 、 getCookie() は、それぞれ別のクラスで実装されるだろうが、これらを一元的に眺めることができるのは、ログ出力機能だ。

 回避策としては、ログ出しの仕様を限定するとか。純粋にログ情報のみを受け取って書くようにする。「他システムから渡されたユーザー情報が原因でエラーとなる場合があるので、ログ出力に UserObj を渡す」なんてことは、テストでは許されても、本番ではキチンと除かれているか、チェックしておく。

日時を取得している箇所を洗う

 ポイントは2つある。日時を参照することが、その機能で本当に必要なのか? という面からチェックすることと、日時を取得する際にJ2SEスタンダードのクラスを使っているかどうか、という点。

 夜間にバッチ的に動作する機能や、スナップショット的に性能を測る機能なら、日時を参照することは自然だろう。しかし、「その日時」に動く必要がなさそうなのに日時取得を実装している箇所があるのなら、要チェックだろう。クラックしたい情報を取る箇所と、その場所から外へ移す機能が書いてある箇所は別の機能として実装されているはず。情報を取る箇所は堅固に作るかもしれないが、取った情報を集めたりまとめたりするところは穴だったりする。そこを探すキーは「日時参照」「日時取得」だ。

 一般に、日時や日本語に関する実装はプロジェクト内で統一的にしたいため、そのプロジェクト名を冠する呼び名で Calendar を継承するだろう。だから、その名で日時取得している箇所は比較的「危なくない」。ところが、自分で Calendar を実装して使っている箇所があれば要注意。

ベテランプログラマを疑う

 冷や飯を喰らい煮え湯を飲まされているのが現状。プログラミングの喜びよりもむしろ、育成という名のもとデキナイ君の尻拭いをさせられているのが現状。イタズラ心から始める人はまれで、やるのならカクシンハン的に実行する。

 暗黒面に堕ちるためには、まず「マスター」のレベルまで達しなければならないのは、どこの世界でも一緒。悪いコトするのにも誰かの書いたコードのコピペしかできないようなプログラマならば、その犯罪が露見するのも時間の問題。優秀なプログラマがまじめに取り組んだなら、まずバレない。

 回避策としてペアプロが挙げられるが、通常の「シニア+ジュニア」の組み合わせではなく、中堅同士で組み合わせるのも有効(リソースの無駄遣いというそしりは免れないだろうが)。

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 侵入者ばかりを気にしているセキュリティくそくらえ。退出者こそ気をつけろ。映画「ダイ・ハード」のテロリストたちを覚えているか? 彼らは、包囲されたビルから逃げ出すために準備した乗り物は、「救急車」だ。出て行く者こそ気をつけろ。

May THE BUG be without you!

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続・プリキュアで離婚

プリキュア好きの夫。日曜朝8:30からの妻の冷たい視線を緊張緩和するための策を求める毎日。妻の理解を得るため、「はてな」の英知を結集した結果をここに!(最初の「プリキュアで離婚」はここ、はてなでの質問はここ

結論:普通すぎてつまらない。はてなの連中って、「良識派」というやつッスか?

代表的なのは、

   妻「私だったらひくかもしれないけど…」

   夫「自分も子どもに付き合って見るけれど…変に気にスンナ!」

で、大部分が「子どもの気持ちを知るために見ているのだ」と言えと。こんなアタリマエな回答は、質問の仕方が悪かったんだと反省している。脊髄反射的に「プリキュア」→「炉利」→「変質者」の三段活用している人が若干名見られたが、そういうものだと思う。

じゃぁ、どういう回答を期待していたかというと、

  • 無印の最終回で感極まって号泣し、妻娘の冷徹な視線を浴びながら「パパは猛烈に感動しているんだ、こうして涙するぐらいの感動が大切なんだ」と妙な弁解をする話
  • おもちゃ売り場で隠れプリキュアンなことを暴露される一言「パパ~プリキュアのおもちゃはこっちだよー」
  • やはり隠れプリキュアンで、保母さんと合コンしたとき、「休みの日とかは子供の話題に合わせるために、仮面ライダーとか戦隊ものとかプリキュアっていう番組観てたりしてるんですよー。最初は義務感で見始めましたけど、大人が観ても結構面白いですよ?観たことあります?」という絶好の質問にもかかわらずプリキュアンなのを告白できず、「ふしぎ星のふたご姫もおもしろいよ」という言葉がどうしてもいえなかった話(ダメオタ官僚日記より)

といった苦労話を聞けるかと期待していたのだが、皆様、至ってノーマルかつ常識的で面白くなさ杉。わたしならこう回答するよ↓

ギャンブルにのめりこんで散財し、一家離散に至るなんて話はあるが、プリキュアで破産することは難しい。まだアニオタでよかったじゃないか、とでも言ってみるとか。同人は結構金がかかるのでほどほどにしておけ。

ちなみに、肝心の妻だが、「プリキュア以外」を頑張ることで許してもらえそう。きちんと収入を確保し、よき夫、よき父として一生懸命な毎日。妻から「これでプリキュア[*]さえなければ、いいダンナなんだけどねー」というセリフが引き出せれば完璧だ。

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[*]一般に、ここに賭け事や趣味の名前が入ることを指摘しておく

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プリキュアで離婚

 三十路男、妻子あり。夫婦仲は良いと思います。子どもにつきあっているうちに「ふたりはプリキュア」にハマりました。グッズや同人まではいきませんが、毎週欠かさず見ています。少し前まで、子どもと一緒に主題歌を歌うわたしを、妻は温かい目で見てくれていました。

 ところが、だんだん「プリキュアを見るわたし」に対する視線が厳しくなってきました。「子どものアニメに喜ぶなんて」「オタクオヤジ!」… 日曜8:30のトゲトゲしい雰囲気を察知してか、子どもが避けるようになりました。なので皆が寝静まった深夜、まるでHビデオかのように見ています。

 くりかえしますが、プリキュアを除けば夫婦の仲は良いのです。またアニメーションがダメというわけでもないのです。子どもを寝かしつけた後、夫婦で「鋼の錬金術師」などを見ています。趣味が合わないわけでもないのに、どうしてこれだけ拒絶的な反応を示すようになったのかが分かりません。

 そこで質問です。妻はなぜ「プリキュアを見るわたし」に冷淡になったのでしょうか? そして妻の理解を得るためには、どうすればよいでしょうか? ちなみに、妻に同じ質問をすると、「小さな子ども向けの番組だよ!それを大のオトナが見るなんておかしいよ」という返事でした。


…という質問を「はてな」でしてみたぞ。こんなに長い質問文は書けないので、かなり短くしたが、ここに載せてある。

性格の不一致で離婚という話は聞くが、プリキュアが原因で不和になったりなんかしたら笑い話にしかならないねッ

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