「マルドゥック・スクランブル」はスゴ本
近年まれに見るスゴ本→冲方 丁「マルドゥック・スクランブル」。面白いというよりも、スゴい。これは「少女と敵と武器」についての物語だと筆者はいうが、「価値」を見出す過程をつづったビルドゥングス・ロマン(成長譚)と読んだ。
バレ抜きの紹介文は裏表紙より引用する↓
なぜ、私なの?―賭博師シェルの奸計により、少女娼婦バロットの叫びは爆炎のなかに消えた。瀕死の彼女を救ったのは、委任事件担当官にしてネズミ型万能兵器のウフコックだった。高度な電子干渉能力を得て蘇生したバロットはシェルの犯罪を追うが、その眼前に敵方の担当官ボイルドが立ち塞がる。それは、かつてウフコックを濫用し、殺戮のかぎりを尽くした男だった…弾丸のごとき激情が炸裂するシリーズ全3巻
ここからバレ入り。バレは反転表示。
死線を超えて甦った彼女は驚異的な空間認識力を得る。何にでも変化できる万能兵器ウフコックを使い、正確無比な射撃で「敵」を仕留めてゆく。陶酔感をまとった「圧倒的な力の行使」は「マトリックス」や「リベリオン」を髣髴とさせる(筆者はその前に書いたという)。いや、たとえ観ていたとしても弾丸で弾丸を弾き飛ばして軌跡を変えたり、突きこんでくるナイフの切っ先に合わせて剣で突くなんて、まず書けない(思いつかない)。まるで彼女の一部であるかのように自在に変化(ターン)するウフコックは「寄生獣」のミギーを思い出す。寄生獣では「剣」に変化したが、ウフコックは「銃」に変化する。読みどころのひとつは、凄まじいまでの銃撃シーンだろう。GONZOがアニメ化する発表があったが、ここが見所になるだろう(ここ"だけ"しか見所がないようなことになりませんように)。
心配の理由は、物語の主軸は「有用性をめぐる自分の価値をいかに示すか」にあるから。激しい戦闘の描写に霞みがちだが、バロットも、ウフコックも、「敵」となるボイルドやシェルでさえ、自己の価値を見出そうとする…飛び交う弾丸や、血漿や脳髄の中に。
有用性とは「目的に対してどれだけ役に立つかを図る尺度」だ。どれほど有用性を顕そうとも、その目的が分からないのであれば、どう顕してよいかすら分かるはずも無い。ボイルドが自分の"有用性"を繰り返し雇用者に確認しようとし、その顕し方が"皆殺し"にしか向いていなかったのは、目的が与えられていなかったからに他ならない。
ドアノブがドアノブの形態をしている理由、ハンドルがハンドルの形をしている理由は、「回すため」という目的に添うためだ。目的を達成するために最も近い形をとること、それが道具としての有用性だ。しかし、有用性に価値を見出すことと、目的に価値を見出すことは異なる。「完璧な銃」は、火を噴かなければ、己が有用性を示せない。これを極限まで追求した兵器がボイルドという「道具」だ。あるいは「完全な銃」としてその目的(バロットに彼女自身を一度死んだものとして認識させる)を果たすため、ウフコックが変化した引き金が無い銃は象徴的だ。
バロットに少女娼婦以外の「有用性」を探し当てたシェルの話も凄まじい。自己の有用性を記憶を亡くすことが出来る"能力"に依拠するところは、黒田硫黄の「セクシーボイス アンド ロボ」に出てくる殺し屋を思い出す。彼のエピソードを考えると「有用性とは、誰かに利用される能力」なんだと思えてくる。彼の場合はオクトーバー社の社畜としてだが。
バロット自身の「有用性」は「商品としての少女」から始まった。モノとしての性。部分としてのフェティシズム。そして、彼女の過去に娼婦以外の「有用性」を探した男のおぞましい話、さらにマルドゥック-09の証として生きのびることがウフコックのための「有用性」、最期は"そこに居ること"に自分の価値を見出す。これは実存の物語でもある。人は道具ではない。兵器として最強究極の「道具」である彼女がそこにたどり着くまでの、長い話。
最期に。ネットのあちこちで「カジノのエピソードはスゴい」と評判だが、同意される方には花村萬月「二進法の犬」か、あるいはR.ジェサップ「シンシナティ・キッド」を推す。こっちの方がスゴいで。
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