« 映画AIRを観る人の7割はメガネをかけている | トップページ | パワーポイントで遺書 »

子どもに「お金」を教える実践編:受給意識を植え付けない

子どもに「お金」を教えるシリーズ。「お金」を教える際、最も気をつけなければならないのがこれ。ピンとこないようなら、次の場面を想像してみるとよい(人によると、思い出すことになるかも)。

子は親の鑑というが、私にとってはむしろ、子どものふるまいを通じて、自分の子供時代を思い起こすことが多い。無邪気に見える言動に自分のコピーを感じ取ってひやりとすることもある。つい先日も、こんなことがあった。

「パパ、今月のおこづかいちょうだい!」

『お、そうだった、はい1000円』

「うん…」(と財布に入れる)

『おいおい、ちょっと待った』

「なに、パパ?」

『もらったら、ありがとうというんじゃないの?

「どうして? パパは毎月1000円くれるって約束でしょ? くれるのがあたりまえだから、わざわざありがとうを言うのはヘンだよ。でも、パパがありがとうと言って欲しいのなら言うよ、ありがとう

参考:ロバート・キヨサキ「金持ち父さんの子供はみんな天才」

この会話で明らかになるのは、親のお金に対する意識(子どもの、ではない)。ものの考え方は、ふつう親から子へ受け継がれる。もちろん親以外にも、教師、友達、メディアから受け継がれるが、こと「お金」に対する考え方を子どもに伝えるチャンスは、親以外誰も持っていない

では、この会話から炙り出されることは何か?

パパは、1ヶ月に1000円お小遣いをくれる。お小遣いをもらうことは当然だ。ひどく叱られる罰ならともかく、特に悪いことをしない限り

問題が特に無ければ、定期的に定額の収入が得られる

会社から給与をもらうのは当然だ

国から年金をもらうのは当然だ

もらうのが当然という考え方がある限り、お金からは自由になれない。会社や国が所定のお金を払わなくてもよい、といっているのではない。もちろん働いたり払い込んだ分、受け取る資格はある。しかし、それをアテにして、あたかも神から授かった権利の如く「当然」の顔をするのは、今のうちから止めておいたほうがよい。会社が所定の給与を払わなくなる出来事や、国が規定の年金を払わなくなる事態なんて、ここでいちいち挙げなくっても、分かるでしょうに。

「定期的にお小遣いをあげる/あげない」について夫婦間で話し合ったことがあるのなら、この問題につきあたる。ちゃんちゃんとお金をあげることが本当に子どものためになるのか? と考えてゆくと、次の2つに割れる。どちらが良い/悪いのではなく、それぞれの根拠に着目したい。

1.お小遣いは、義務に対する権利

 あいさつをする、身だしなみを整える、部屋を片付ける、学校へ行く、宿題をする… などといった「決められたルールを守る」「すべきことをする」ことによって、定期定額に与えられるのが「お小遣い」。この場合、一定額でやりくりすることや、欲しいものがあっても我慢する忍耐を身に付けることができる。一方、「大過なく過ごせば、お金をもらうのは当然」という受給意識が植え付けられる場合がある。いわゆるサラリーマン意識が育つことになる。

2.お小遣いは、努力に対する成果

 買物を手伝ったから100円、掃除をしたから150円、読み古しマンガをヤフオクで売って1000円… などといった、お金を成果として受け渡しする「お小遣い」。お小遣いというよりも、小額ながら「稼ぎ」という感覚に近い。この場合、子どもはより大きな成果を目指し、努力する。よりチャレンジングになるだろうし、誰かをアテにしたような生き方はしなくなるだろう。しかし、その一方で「本来やるべきこと」が疎かになったり、浮き沈みの激しい懐具合にバクチ的な稼ぎをするようになるかもしれない。

かつては1.のやり方が一般的だった。「ちゃんと学校へ行って、ちゃんとした会社に入って、ちゃんと仕事をしていれば、ちゃんとした生活は送れる」という暗黙知が神話にすぎない今、1.のやり方を続けるということ自体がバクチ的になるかと。「お金」に対して子どもに教えられるのは、今のところ親だけ。親が1.の考えなら、子どもも1.のまま。「義務を果たせばもらうことは当然の権利」という意識を親が持っていて、それを変えようとしない限り、子どもも同じ考え方で世の中へ出てゆくことになる。

もう少ししたら、「お小遣い」をあげようと思う。その場合、1+2の併用になるだろう。定期定額(ただし小額)のお小遣いと、努力に対する成果としてのお金。子どもには1の中でやりくりしてもらい、2で「お金を殖やす」ことを学んでもらう。ふつう1の小遣いは年齢が上がると金額も上がっていく。しかし、うちの場合、1の定期的なお金は、ある年齢から据え置き(または低減)でやってみよう。それが今の給与の実体だからといったら残酷か。

以上、実践編「受給意識を植え付けない」話。底本は「金持ち父さんの子供はみんな天才」。お金に対し自由度の高い人生を手に入れてもらうことが目的。そのために親として何ができるか? このシリーズは続く。

これまでの「子どもにお金を教える」↓
  基礎編

このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« 映画AIRを観る人の7割はメガネをかけている | トップページ | パワーポイントで遺書 »

コメント

dainさん、こんにちは。

うちにも小学校1年の息子がいるので、このシリーズは興味津々です。

我が家ではまだ小遣い制を導入していません。子供だけで何かを買いに行くこともないし、本人も食事や日用品以外でどうしても欲しいというものはまだないようなので。

そんななか、「お金の教育」らしきことで1つ試しているのは肩たたきのお駄賃。休日にたたいてもらっては料金(たいてい5分10円)を払っています。我が子ながら「ほほー」と思うのは、サービス券をつくってスタンプを押してみたり、ときどき値段設定を変えて「今日は5分6円ですよ~、どうですか?」なんて【営業】してきたりすること。いろいろと現実社会をみて学んでいるようです。

定額制小遣いも2年生になったら始めてみようかと思ってたんですが、dainさんのエントリを読んでお駄賃との組み合わせもいいかもなぁと思い始めました。少し考えてみます。

それでは、また。

投稿: hiroc | 2005.02.28 05:11

hirocさん、コメントありがとうございます

「かたたたきけん」ですか!なつかしいですねー。お子さんが「営業」しているところを想像するとなんだかほほえましいです。

生涯ローン、自己破産、プラスチック・マネー、サラ金(しょうひしゃきんゆう、なんてキレイごと)、ギャンブル依存症…

社会がこれだけマネー体質になっているのに、きちんと教えている親がいないため、お金にまつわるトラブルが増大していると思います。そのうち高校あたりで「ファイナンス」が必修科目になったりして。

ガッコに期待するのはムリ。だから、せめてわが子ぐらいは。

投稿: Dain | 2005.02.28 12:35

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 子どもに「お金」を教える実践編:受給意識を植え付けない:

« 映画AIRを観る人の7割はメガネをかけている | トップページ | パワーポイントで遺書 »