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誰も死んでいないのに「デス」マーチというなかれ

これは私自身への戒めだということを、最初に断っておきます。

誰も死んでないのにデスマデスマと気安く使わない。他はいざしらず、デスマーチとはもともと、本当に死人が出てから使っていた。現場がテンパっている状態や、コスト・納期が非現実すぎて士気よりも殺気が上回っている状況は、「プロジェクト・クライシス」と呼ぶ。

デスマーチとは」を見ても分からない。「混乱した開発現場」「過酷な労働環境」は何をもって過酷・過労なのか人によりけり。納期を過ぎても終わらないプロジェクトと定義づける人もいるが、それは「遅延プロジェクト」と呼ぶ。

「死ぬほど」仕事が大変なのは、この業界に限らない。ギリギリになって「俺は聞いてない」とちゃぶだい返す顧客も、この業界に限らない。それはデスマじゃなくって、「シビアなプロジェクト」と呼ぶ。

「死ぬほど」大変なだけでデスマデスマと嬉しそうに。自嘲気味に使うところがポイント。混乱した現場を祭りだと勘違い君。「徹夜で仕上げました!」と強調することは品質を伴っていませんと自白している。ガンバリズムはカニバリズムと似ている。ただし食べているのは自身の肉であることに気づいてない罠。

「死ぬほど」大変といっている割には誰も死なない。交尾の最中「逝ク、もう死にそう」と同じ、比喩だ。誰も逝きゃしない。ほんとうに追い詰められて真剣になると「死ぬほど」なんてグチ垂れる余裕すらない。カニ食べるときを思い出せ。黙々と食べる。「おいしい」なんて誰も言わない。

死ぬ人は「死ぬ」なんて言わない。黙って死んでゆく。心不全や脳卒中なら引き継いでいる間なんてない。自殺する人の遺書はとても簡潔。プレゼン資料はあれほど細かに書いたのに。

かつて巨大プロジェクトには本当に人柱を必要とした。荒ぶる水のカミを鎮めるために犠牲(にえ)を捧げたように。さすがに人死が出ると顧客の舌鋒も鈍ってくる。未整理の仕様、放置された懸案は、亡くなった方とともに闇に葬り去られる。それでもプロジェクトは進む(Project goes on)。交代して通夜・葬儀に参列した後、仕事に戻る。「今日は斃れた旅人たちも、生まれかわって歩きだすよ」と呟きながら。

これをデスマーチと呼んでいた。

今回のプロジェクトはいったん破綻し、その後に再生し、いま終わりの始まりが見えている。今のところ入院2名、行方不明1名、死者ゼロ。

これをデスマーチだなんて呼ぶな。

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