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パワーポイントで遺書

プロジェクトマネージャのロン・バトラー氏が自殺という悲劇的な結末を選択するに至った経緯を48枚のパワーポイントにまとめていたことが、同僚の証言で火曜日明らかになった。

「ロンが睡眠薬を大量に飲んだと聞いたとき、わたしは衝撃を受けました」同僚のへクターは証言する。「しかし、ロンが最期に残したパワーポイントのプレゼンテーションを見たとき、彼が悲しみや苦痛のあまり自殺という手段をとらざるを得ないことに強く納得させられました」

パワーポイント遺書さよなら.pptは次の4つのセクションに分けられている。

 ・現在の状況分析
 ・謝罪とお別れのあいさつ
 ・遺言と葬儀について
 ・最後に

社長のウィリアムズ・ケネディ氏によれば「さよなら.pptは分かりやすく、簡潔で、かつ説得力があります」という。「スライドショーで見たあと、彼のプレゼンテーションに圧倒されました。彼はマイクロソフト・パワーポイント・アプリケーションのマルチメディア能力を120パーセント引き出しているといえます」

最初のセクションでは、妻および子どもを自動車事故で亡くした彼の悲しみが三次元棒グラフで充分に表現されている。「妻と子どもの墓石のJPEG画像が貼ってあることで、彼の悲しみが痛いほど伝わりました」同僚のアンが述べている。

次のセクションでは、同僚へのお別れや友達への謝罪が順序づけられて書かれている。「謝罪とお別れのあいさつセクションの色づかいは、ディジタル・プロジェクターのディスプレイのためにあつらえたかのように、不思議にマッチしていた」上司のビル・スクラップはこう言う「私は、わが社の中でロンだけがパワーポイントのGretagを理解して使いこなせる唯一の人物だと断言する」

第3のセクションでは遺言と葬儀について的確な指示が書かれている。ここには、電話番号順にインデックスされたバトラー氏の友人・親戚リストと、彼の遺灰の取り扱いについての注意書きも含まれている。

「ロンの名誉のために言うけど」人材管理マネージャのゲイル・エヴァートが言う「あいつはプレゼン準備に時間をかけすぎるんだ。このさよなら.pptもどえらい下準備をして作ったに違いない。もっと時間を短縮するため、セクションごとに分割して部下に書いてもらうべきだったんだ」

また、広報担当のジッタ・プラーヤン氏はこう主張する「プレゼンテーションがいくつか"改良の余地がある"ことに異論がある方はいないでしょう」彼の指摘をまとめると「前半の彼の悲しみと苦しみの現状分析は的確です。しかし後半への展開のためには、聴衆への効果を維持するためにムードを明るくするべきでした。さらに、このセクションでくり返されるドアを閉じる音響効果は無意味だったいえます」

バトラーのさよなら.pptファイルが最初に作成されたのが2004年8月8日だったことが分かると、同僚や上司は強いショックを受けたようだ。「私はもっと早くに気づくべきだったかもしれません。ロンが先週、彼の共有フォルダ内のファイルを全て削除していたことです。私はデフラグの心配をしていて、彼が"準備"をしていることなんて想像もしていませんでした」アンはこうも言っている「マイクロソフト・ワークショップでの彼の作業の進捗度合いにもっと気を配っていれば、こんなことにはならなかったでしょう」

ロン・バトラーの両親はこう述べている「わしがもっとメールや動画ファイルとやらをちゃんとできたなら、こんなことにならなかっただろうに。わしらは新しいものは苦手なんじゃ。けど、まさにそのメールに、息子が自殺しようとしていることやその方法が書いてあったんじゃ。わしらがそのメールを開けるのに手間取っているうちに、手遅れになってしもうたんじゃ」

ケネディ社長はこのパワーポイントが「決して忘れることのない」プレゼンであり、同社のアーカイブとして永久保存されることを表明している。また、さよなら.pptの最期のセクションは公開されており、その一部はここで読むことができる。

念のため言うけど…ネタでっせ、ネタ

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子どもに「お金」を教える実践編:受給意識を植え付けない

子どもに「お金」を教えるシリーズ。「お金」を教える際、最も気をつけなければならないのがこれ。ピンとこないようなら、次の場面を想像してみるとよい(人によると、思い出すことになるかも)。

子は親の鑑というが、私にとってはむしろ、子どものふるまいを通じて、自分の子供時代を思い起こすことが多い。無邪気に見える言動に自分のコピーを感じ取ってひやりとすることもある。つい先日も、こんなことがあった。

「パパ、今月のおこづかいちょうだい!」

『お、そうだった、はい1000円』

「うん…」(と財布に入れる)

『おいおい、ちょっと待った』

「なに、パパ?」

『もらったら、ありがとうというんじゃないの?

「どうして? パパは毎月1000円くれるって約束でしょ? くれるのがあたりまえだから、わざわざありがとうを言うのはヘンだよ。でも、パパがありがとうと言って欲しいのなら言うよ、ありがとう

参考:ロバート・キヨサキ「金持ち父さんの子供はみんな天才」

この会話で明らかになるのは、親のお金に対する意識(子どもの、ではない)。ものの考え方は、ふつう親から子へ受け継がれる。もちろん親以外にも、教師、友達、メディアから受け継がれるが、こと「お金」に対する考え方を子どもに伝えるチャンスは、親以外誰も持っていない

では、この会話から炙り出されることは何か?

パパは、1ヶ月に1000円お小遣いをくれる。お小遣いをもらうことは当然だ。ひどく叱られる罰ならともかく、特に悪いことをしない限り

問題が特に無ければ、定期的に定額の収入が得られる

会社から給与をもらうのは当然だ

国から年金をもらうのは当然だ

もらうのが当然という考え方がある限り、お金からは自由になれない。会社や国が所定のお金を払わなくてもよい、といっているのではない。もちろん働いたり払い込んだ分、受け取る資格はある。しかし、それをアテにして、あたかも神から授かった権利の如く「当然」の顔をするのは、今のうちから止めておいたほうがよい。会社が所定の給与を払わなくなる出来事や、国が規定の年金を払わなくなる事態なんて、ここでいちいち挙げなくっても、分かるでしょうに。

「定期的にお小遣いをあげる/あげない」について夫婦間で話し合ったことがあるのなら、この問題につきあたる。ちゃんちゃんとお金をあげることが本当に子どものためになるのか? と考えてゆくと、次の2つに割れる。どちらが良い/悪いのではなく、それぞれの根拠に着目したい。

1.お小遣いは、義務に対する権利

 あいさつをする、身だしなみを整える、部屋を片付ける、学校へ行く、宿題をする… などといった「決められたルールを守る」「すべきことをする」ことによって、定期定額に与えられるのが「お小遣い」。この場合、一定額でやりくりすることや、欲しいものがあっても我慢する忍耐を身に付けることができる。一方、「大過なく過ごせば、お金をもらうのは当然」という受給意識が植え付けられる場合がある。いわゆるサラリーマン意識が育つことになる。

2.お小遣いは、努力に対する成果

 買物を手伝ったから100円、掃除をしたから150円、読み古しマンガをヤフオクで売って1000円… などといった、お金を成果として受け渡しする「お小遣い」。お小遣いというよりも、小額ながら「稼ぎ」という感覚に近い。この場合、子どもはより大きな成果を目指し、努力する。よりチャレンジングになるだろうし、誰かをアテにしたような生き方はしなくなるだろう。しかし、その一方で「本来やるべきこと」が疎かになったり、浮き沈みの激しい懐具合にバクチ的な稼ぎをするようになるかもしれない。

かつては1.のやり方が一般的だった。「ちゃんと学校へ行って、ちゃんとした会社に入って、ちゃんと仕事をしていれば、ちゃんとした生活は送れる」という暗黙知が神話にすぎない今、1.のやり方を続けるということ自体がバクチ的になるかと。「お金」に対して子どもに教えられるのは、今のところ親だけ。親が1.の考えなら、子どもも1.のまま。「義務を果たせばもらうことは当然の権利」という意識を親が持っていて、それを変えようとしない限り、子どもも同じ考え方で世の中へ出てゆくことになる。

もう少ししたら、「お小遣い」をあげようと思う。その場合、1+2の併用になるだろう。定期定額(ただし小額)のお小遣いと、努力に対する成果としてのお金。子どもには1の中でやりくりしてもらい、2で「お金を殖やす」ことを学んでもらう。ふつう1の小遣いは年齢が上がると金額も上がっていく。しかし、うちの場合、1の定期的なお金は、ある年齢から据え置き(または低減)でやってみよう。それが今の給与の実体だからといったら残酷か。

以上、実践編「受給意識を植え付けない」話。底本は「金持ち父さんの子供はみんな天才」。お金に対し自由度の高い人生を手に入れてもらうことが目的。そのために親として何ができるか? このシリーズは続く。

これまでの「子どもにお金を教える」↓
  基礎編

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映画AIRを観る人の7割はメガネをかけている

ええ、なんとか時間ひねって行ってきた観鈴ちんの晴れ舞台。結論は「観なきゃよかった」だけれども、行かなかったなら後悔していたことも事実。ねぎらい言葉や罵声・非難は他をどうぞ。

平日昼間にAIRを観にきた人82人
そのうち女性3人(♀♀カップル1、単独1)
♂♀カップルできていた人ゼロ

池袋シネマサンシャインの話。しゃべりからすると大部分が学生さん。一部ネクタイ組あり。「♂♀カップル」があったら美しいニュースになろうかと思ったが、そんな奇特な女(男?)はいなかった。

メガネかけてた人59人

日本人でおよそ3-4割程度といわれているので、7割超はスゴい。メガネっ子は観鈴がお好き? かくいう私もメガネ派なのだが…

ラストで泣いちゃった人1人

かつてギャルゲならぬ「泣きゲー」の金字塔とまで言われていた(誉めすぎ?)にしてはみんな冷淡なのか? でもエンディングテロップが流れるとフツー帰り支度したり出てったりするものがだ、82人全員が身じろぎもせず魅入っていたのは壮観だった。

ラストで泣いちゃったのは実は私。お約束かもしれないが、あの曲をあそこで流すのは反則。観たことで大事にしていたものがいろいろ壊されたけれど、観なかった後悔はせずにすんだので、良しとしましょ。

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「万物理論」バレ抜き/バレ入りで

最初はバレ抜きで。抜きで書くと、どうしても貶しがち。

テクノロジーが社会や人体を突き抜けた2055年の世界は素直にスゴいぞ。視神経に接続され、腹腔内にアーカイブできるビデオカメラや、メラトニンパッチで体内時計を操作できるバイオガジェットは心底欲しいと思った。畏怖の念すら抱かされる未来社会は、ハックスリーやオーウェルのそれよりも、攻殻機動隊やAKIRAの方がしっくりくる。訳者あとがき(ここ)からの引用↓

 豪快で意表を突く奇想。論理のアクロバットとも呼ばれるほど大胆にして、偏執的なまでに緻密なロジック展開。それが混然となって、グレッグ・イーガンの長篇は読者に壮大なめまいを引きおこす。そのめまいこそは、“圧倒的な知的スリル”――SFの魅力にとりつかれたころはつねに感じていた、ほかでは味わえない興奮――にほかならない。さらに、惜しげもなく投入された長篇数冊分のアイデアが、そのめまいに輪をかける。

あらすじは扉の紹介を読むとこうある↓

"万物理論"──TOE:Theory of Everythig──とは、すべての自然法則を包み込む単一の理論である。2055年、この夢の理論が完成されようとしていた。ただし学説は3種類。3人の物理学者がそれぞれの"万物理論"を学会で発表するのだ。正しい理論はそのうちただひとつだけ。科学系の映像ジャーナリストの主人公は3人のうち最も若い20代の女性学者を中心に番組を制作するが───学会周辺にはカルト教団が出没し、さらに世界には謎の疫病が。究極のハードSF!

ただし、2/3は薀蓄がぎっしり。作者の博覧・空想・妄想が主人公または周囲の人々の口を通して語られ、やたら説明ちっくな会話が延々と続き、物語そのものは1ミリも動かない。主人公はああだこうだと脳内でしゃべくるだけで、お話を進めようという気は一切ない。まるで村上春樹の小説のようだ。主人公は、ときおり気の利いた警句めいたセリフを吐くが、だからなんなんだチョコボール。ネタ元を挙げればよいのか? ネタ集としては面白いが、伏線にしては書きすぎ。

ところが、残り1/3になると、ようやく主人公が動き出す。ここからが面白い。長い長い伏線がこんがらがった超ひも論の輪を解くように、主人公の動線上につながってゆく。そのつながり(リンク)が面白いといえば、面白い。

ここからバレ入り(ドラッグ反転で表示)。


「宇宙を正しく説明できたら宇宙そのものが消滅する」ネタは、とどのつまり「わたしが理解するから世界がある。そのわたしは、みんな」というオチにつながる。ここ読んでて激しくエヴァ「Air/まごころを、君に」を思い出した時点でオタ決定でしょうか? あるいは「アトレーユ!」と正しい名前で叫んだことで世界が還るエピソード(エンデ/はてしない物語)を思い出した時点でファンタジー厨房でしょうか? あるいは「真理を書こうと決意したまえ。そのペンの下で紙は燃え上がるだろう」(出所失念、シェイクスピア?)を思い出した時点で(ry

この本は「愛」というテーマで貫かれている」というひできさんに強く一票。他者理解の究極は自己同一化だ。自己同一化を極限まで進めれば「自分=宇宙」まで行けるってワケだ。ところが筆者はややこしくもまわりくどく、「愛」そのものの裏返しや外堀を伏線として使う。セックスは中毒性の神経化学的反射作用を持つ多幸性の症状に過ぎないと凡性に言わせたりする。あるいは、愛情とは脳からもらう快楽という"ごほうび"つきの自己モデルの信念なのだ。だから、その部位を自発的に取り除いた<自発的自閉症>者の方が、セックスやドラッグや宗教で同等の快楽を得ている人よりも優位だと言わせたりもする。愛とセックスについては異論が多々あろうが(わたしもその一人)、愛とはとどのつまり、相手を完全に理解することなんだ。ここでいう「相手」とはパートナーだったり宇宙だったりもするが(w

原題"Distress"は作中では正体不明の「奇病」として扱われるが、序盤に少し言及されただけで、後は全くといってもいいほど出てこなくなる。いつ出てくるのかなー、そもそも題名が「万物理論」なんてどうしてつけたのかなー、などと考え考え読みすすめると、ラストの万物理論に触れた人の症状に突き当たってなるーと思うだろう(わたしは唸った、と同時につながってよかったなぁとホっとした)

最後に。愛について抉られる文を引用。正直、究極の包括理論なんてどうでもいいと思っている。最近の科学の賞味期限は短い。ここン百年のテクノロジーだけで宇宙を包括しようなんて、幼稚(をっと、無知カルトと同じ考えだw)。むしろ突き抜けたテクノロジーの合間に見える人間くささの方に共感が湧く。そういう意味では2055年にこうしたセリフが吐かれるのは非常に面白い。自分への(結婚への、と読み替えても可)深い反省をもたらす一節なり。

 おれはほんとうにリサを愛しているし、ほんとうに娘たちを愛している……だがそこには、それがいまのおれに送れる最良の人生だという事実以上の深い理由はない。自分が十九歳のときにいったことには、なにひとつ反論できない───あれからなにも智恵がついていないからだ。なにも賢くなっていない。おれはそれに憤っている。成長だの成熟だのについてきかされた、糞ったれな仰々しい嘘の山に。"愛"や"犠牲"は、自分が敵陣に追いこまれたときに正気でいるための行為でしかない、と正直に認めたやつはだれもいない

太字はわたし。たしかに面白かったのだが、600頁えんえんとの作者の空想につきあわされるのは、かなり疲れる。こいつ軽々と読める人は薀蓄耐性のある方なんだろうな。京極夏彦の弁当箱をサクっと読める人なら、(畑違いだけど)読むのは苦にならないんじゃないか、と想像してみたり。魑魅魍魎と万物理論の取り合わせはちょっと面白いかも。

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マジカのひみつ

羽生章洋さんの業務分析セミナーを聴講した(業務プロセス改善技法ワークショップ第2回)。ここで紹介されたMagiCa は「いますぐ」「ここで」「誰でも」使える方法ナリ。「MagiCa って何?」という人はここからダウンロードどうぞ(要メールアドレス)。羽生さんご本人のマジカ説明はここ。謳い文句「現場主体で仕事の棚卸と見える化を簡単に実現する」は禿同。自分なりの分析手法は確立しているんだが、上手くMagiCaを盗んでみよう。

ひみつ1 : 最初はチョキ

 「さあ、業務分析しましょう」と話を持ってきても、人は動かない。現場の人はどうしても構えてしまう。「業務フロー」なんてSEやコンサルならともかく、普通の現場の仕事している人は書いたことがないから、「間違えたらどうしよう」と固くなってしまう。

 凝ったココロをどうするかというと、ハサミが登場する。MagiCa はA4用紙を8分割した程度の大きさ。最初に持ち出すときにはA4用紙に印刷しただけという不親切さ。こいつをハサミで切り離すことが最初の作業だという。「業務分析」をするんだと固まっている人々は、面食らうだろう。でも、チョキチョキしているうちに、おもわず没頭してしまうこと請け合い(そして最初の構えも解いてしまうことも請け合い)。

 もちろん切り離したカードは予め準備してたりする。また、貼ってはがせる紙ならポストイットが至極便利なのだが、あえてハサミを使ってもらう。ハサミを使うことは、結構アタマと手を刺激することになるので、最初のハードルを楽々と越えることができる。

ひみつ2 : カードの大きさ

 カードといえばCRCカードを思いつくが、その大きさは京大式カード(128mm×182mmヨコ)とかなり大きい。それでもクラスの責務を書こうとすると、結構ぎゅうぎゅうになってしまう(後で割る結果になりがちなのだが)。一方MagiCaはかなり小さい(65mm×85mmタテ)。このカードに、「入力・手順・出力」を書くのだが、その小ささに秘密がある。

 カードが小さいから、たくさん書ききれない、というメリットが生まれる。書ききれないと、別のカードに書くことになる。カードが小さいから、「細かく書こう」とも「詳しく書こう」とすることもできなくなる。言い換えると、小さなカードに書ける程度に小さい単位で仕事を割ることが出来る←別の仕事(業務)を紛れ込ませないようにする工夫。

 羽生さんは繰り返し強調していたが「違う業務を混ぜない/混ざった仕事を割る」ことが重要だと。たしかにその通り。整然としたフロー、まとまった業務手順を書くために、ほとんどの人が意識・無意識的にやるのが「ウソ・想像・願望を混ぜる」こと。業務フローを描く紙はたいていA3だ。沢山書く場所があるので、想像や願望もいっぱい書き混ぜてしまう。混ぜることでフローはちゃんと書けているように見えるが、そいつを設計へ回すと疑問が噴出する。それをだましだまし製造すると…いやこれ以上言うまい。しかし、MagiCaカードが小さい分、余計なことを書くことはできない。

ひみつ3 : しばり(制約)を入れる

 小さいカード。カードをつなげて業務フローにできるのは起承転結の4枚まで。「人→PC」「人→帳票」「人→人」で業務を簡略に(かつウソを混ぜないように)する(もちろん他にもカードはあるが、主役はこの3枚だろう)。しばりを入れることで狭い範囲に集中することができる。この制約は羽生さんの経験則からだというが、業務フロー死ぬほど書かされた私もそう思う(直感的にそう思った)。

 その結果、コマ切れ時間の積み重ねが可能となる。カード単位に業務を考えられるので、短い時間で作業をすすめることができる。現場の人は本業がある、業務フローを書いている時間なんてない。極端に言うと5分の空き時間を10回積み重ねても10枚のカードが書ける。フローをイチから書くとこうはいかない。羽生さんは「業務フローを書くのは長文と一緒。最初は頑張ってレベル感や一貫性をもたせて書けるが、いずれ失速します」と言ってたが、確かにそう。粒度や統一性、一貫性を考えながらフローを書こうとすると、どうしてもまとまった時間を必要とする。酷い場合は朝から晩までを何日も続けることになる。

 細切れ時間を積み重ねるが、粒度は必然的にそろってくる。詳しさは「カード1枚にかける程度」、フローの数は「発生タイミングが同じもの」の数だけ。そして、分析する人は一貫性や粒度にあまり気を配らずに本来考えるべき点=業務に集中することができる。

ひみつ4 : 専門用語を取り外す

 MagiCa の説明をする上で、「ユースケースシナリオ」「メインフロー」「代替フロー」「インターフェース」「ロール」といった用語は出てこない。意識して注意深く言い換えている(セミナーでもそうだった)。主役は現場の人であり、「こしゃくな」用語は敬遠されるだけだということがよく分かる。

 そのおかげで、現場の人を本当の意味で巻き込んだ「業務分析」(←この用語も「仕事の整理」と置き換えている)ができる。

他にも様々な刺激をもらったので、仕事場で若手を相手に「実験」してみようかと。最初の実験は、業務フローをポンと与えて、「明日このフローを書いた顧客とヒアリングします

  1.疑問・ツッコミを洗い出しなさい
  2.(MagiCaを説明して)疑問・ツッコミを洗い出しなさい。ただし30分以内で」

というのを考えてる。彼らにとっては良い武器になるだろうな。

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子どもに「お金」を教える (基礎編)

子どもに○○を教えるシリーズ。子どもに「死」「セックス」「TVゲーム」などを教える過程で、自身がそれらをどうとらえているかをblogであぶりだしてきた。今回は「お金」。シリーズ最難関かつ避けて通れない課題を数回に分けて考えてみる。


  • 基礎的な金銭感覚を身に付ける
  • お金に不自由しない方法をマスターさせることで、お金から自由になる
  • お金に囚われてしまった生き様を観察させる(ことで罠のしくみを知る)

上記3つのことを、だいたい高校生ぐらいまでに伝えられれば合格かな。まずは「基礎的な金銭感覚」から。小学校入学前後がスタートだろう。

1.こづかいはいつから与えるか?

数字が読めて数の大小が分かるようになれば、こづかいを与える。小学校にあがる前から始めたい。目的は2つ。「定期的な収入の中からやりくりする」ことと「貯金をする」こと。「やりくり」と「貯金」はクセのようなもので、トレーニングを積むことにより自然に身に付けることができるし、早ければ早いほど良い。これを当たり前にできない人は、カードローンやキャッシング会社のカモと化す。マズゴミは自己破産者の人間性や社会適正をとやかく言うが、ほとんどの人は「やりくり」について訓練を積んでいないまま社会に放り出されてしまっているが故だと考える。

2.こづかいはどのように与えるか?

定期的に決まった額を与える。お金というものは定期的に定額の形で得られるものが「自然」なのだということを伝える。言い換えると「一攫千金」という形で得られるものは「お金」ではない、ということを伝える。それらはもっと別のもの、即ち「興奮」が目的の行為であり、具体的に言うとギャンブルだ。ギャンブルで勝つと得られるものはお金の形をしているが「お金」ではない、ということに気づいてもらうための伏線。昔ハマったことがあるから言える、ありゃ本当に「あぶく銭」ナリ。

3.こづかいをあたえた直後

すぐに一定額を貯金させる。余ったら貯金する、というのはダメ。収入直後で支出や予算を考える時、一定額は既に引いてあるのが自然だと考えて欲しい。要はもともとその分のお金は「無かったもの」として支出を考えておく。無かったお金の口実は「恵まれない人のため」でもいいし「商売の神様へのお賽銭」と考えても良い。

4.欲しいものと必要なものを見分ける

「なぜそれを買うのか、しかも自分のこづかいで」という自問をするクセをつける。友達がもっていたからだったり、テレビのCMで欲しくなっただけだったりする場合が「多い」ことに気づいてもらうため。ブランド・マーケティングの戦略に「乗っている」だけであって、自分の中で「欲しい→必要」に変換していることに気づいてもらう。例えば「誰か(友達・兄弟・親)に買わせる」「自作する」「借りてくる」という選択肢を問うことで、「欲しいのか必要なのか」を考えた上で、「自分で買う」という選択肢を選び取っているんだ、と気づいてもらう。広告に釣られるのを悪だというつもりは無いが、釣られている自覚がないのは問題かと。

5.通帳を作る

子ども名義の通帳はあるが、それと別に「子どもが自分で通帳を作ってみる」。もちろん傍でアドバイスはするが、口座の開設に必要なものを調べさせ、実際に手続きをやらせる。これによりお金を動かすためには一定の信用力が必要ということに気づかせる。ついでに(その頃でも超低金利だろうから)銀行にカネを預けても全く意味が無いことを説明しておく。

6.消費税を教える

総額表示方式を導入することで課税感を緩和させ、段階的に7→10→15→21%まで上げるつもりらしいが、パーセントはともかく「その税金がどう使われているか」には着目しつづけてもらうため、教える。60以上と20歳未満で生涯受益が1億円の差が出ている現実を知った上でこの国で生きていくのかを考えてもらう(まぁヨソの先進国でも似たり寄ったりなのだが)

7.盗みは絶対にダメだと教える

「盗むなかれ」「殺すなかれ」はどの律令にもあるし、非常にあたりまえなことなのだが、あまりにもあたりまえすぎてちゃんと教えていなかったんじゃぁないのか? と言いたくなる、最近の犯罪を見ると。子どもには内緒だが、フルパワーで叱るときの怖い顔は、まだしていない。子どものことだ、1回ぐらいはやってしまうかもしれない。その時のために、私の最も「怖い顔」は取っておいてある。ま、それを使わなくても済むように、常々懇懇と諭している。

基礎編はこんなところか。底本は「お金のしつけと子どもの自立」より。アンケート結果がたくさんあって興味深い。「子どもとお金」を考えるきっかけとして好著。


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出世しない技術

タイトル買いしたら激しく後悔する一冊。「サクっと読める」キャッチコピーは認めるが15分で読めて千円は非道い。しかも、目次以上の情報は書かれてないため、この本を手にする人は「うんうん、そーそー」と激しく頷くだけとなる。このキャッチーに引っかかる人ならこの内容と価格で出せるだろうという編者の意図が透けて見える。それでも残ったのは、次の一文

サラリーパーソンにとっての天敵は、なんといってもストレスです。それは、いろいろ姿形を変えて私たちに襲いかかってきますが、一番の理由は「頑張らなくては」とか「かくあらねば」といった、身の丈を超えた期待に無理に応えようとすることです。たしかに、出世しない人であるあなたは、ここぞという時に、人から頼られない人間を演じることから、たまに落ち込んでしまうこともあるかもしれませんが、その分ストレスから解放されることのメリットを、しっかりと認識しておくべきです。

逆説的に思われるかもしれませんが、出世をする人の方がラクなのです。なぜならばそれこそがみんなと同じ行動…すなわち、あなたが幼稚園の時からタタキ込まれてきて、慣れ親しんだ行動様式そのものなのですから… そこで、敢えてみんなと違う道を選択したのが「出世しない人」、すなわちタフな人なのです。(太字は著者)

もはや死語の「競争社会」即ち「会社での競争」は、今50歳ぐらいの人たちが作り上げてきた風習であることに気づいた人は居る。そうした人の一人が書いた本。そして、そうした人は職場での態度を決める際、人生にとって効率的な選択肢を鑑みることになるんじゃぁないかと。

そうした人を目指すなら、この本は読むと少しだけラクになれる。あるいは、やりたいことをヤルために会社に入ったのに、そこで優れた業績をあげたが故に管理職へ祭り上げられ二進も三進もいかなくなりそうな人にとっても福音となるセリフが詰まってる。例えば、

出世して得るものと犠牲にするものを天秤にかけたことありますか?

管理職になって残業代はつかずノルマは増えて何のために出世? 出世して減収なら平社員上等!

「管理」しない管理職という選択

出世するとリストラ候補に!?

会社員であることの損得勘定

プライベートより仕事を優先させる「美談」にはウンザリ

「仕事の総量規制」のススメ

「出世」を断る技術

女性のための「出世しない技術」

これだけ「技術」と謳っているのに一行も「再現可能で適用可能な具体的方法論」が無い本もめずらしい。しつこく言うが、これはキャッチコピーで彩られたエッセイなので、何かを求めて読んでも失望する。この文に惹かれる人を勇気付けるための本だということを忘れないように。

55歳定年説、60歳定年説なんてウソ。もうすぐ定年になる人向けのネタであることに早く気づけ。彼らはもうすぐ出て行く、もうすぐだ。いまバリバリ現役組は、少子化の影響もあって人が居ない会社で人回しに奔走すること請け合い。その時代まで「出世しないで」迎えようか。

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「カラシニコフ第2部」連載開始

AK47。1947年に旧ソ連で開発された。AKは「カラシニコフ自動小銃」の頭文字。口径7.62ミリで30発が連射できる。取り扱いが簡単で故障が少ないため、途上国で人気が高い。冷戦時代に社会主義各国でライセンス生産され、世界中に1億丁が出回っているといわれる。
(朝日新聞2005/2/13「カラシニコフ第2部」)

重要なことは「取り扱いが簡単」なこと。例えば、自衛隊の89式自動小銃は、精密機械並みの手入れを必要とするが、AKは子どもでも扱える。兵士が極端に少ない失敗国家では、文字通り子どもにAKを与えて、人殺しをさせた。

もうひとつ重要なことは「ライセンス生産」だったこと。旧ソ連では外貨を稼ぐために、必要とするところ全てに「ライセンス」を供与していたと思われる。作るほうも使う方もお手軽なため、世界中に遍く広まっている。おかげで世界のどのゲリラもAKで闘っている。撃つ方も撃たれる方もAK。ベトナム戦争や湾岸戦争で米兵がM16の故障の多さに辟易し、敵から奪ったAKで闘ったことは有名。

その結果、AKは最も沢山殺した銃として記録され、さらにこれからも沢山の人を「簡便に」殺してゆく武器として記憶に留められるだろう。

昨年、朝日新聞で連載されていた第1部では、アフリカなどの失敗国家とAKとの関係を丹念に追っている(昨年のNo.1スゴ本)。第2部では、AKの取引で利益を上げようとする国や業者を見ていくという。

第1部は衝撃を受けた(特に子ども兵の話と「失敗国家」の定義とその成立過程)。この連載読むためだけでも朝日とる価値はあると思う(とまで書いたら言い過ぎか)。イラクだろうと国内だろうと、次に日本人が撃たれる銃は間違いなくコレなんで。


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Weblog about Project Management

ソフトウェア開発におけるプロジェクトマネジメントを真正面から扱ったブログは、実際のところかなり少ない。プログラマやSEがマネジメントの必要性を痛感して記事にするのがほとんど。かくいうこのブログは「スゴい本」を紹介するつもりがPMBOKにハマってしまったヘンな例といえる。

ここではソフト開発PMに特化したブログを紹介する。さらに、日本語で読めるブログは皆さんご存知だろうから、英語のブログにしましょ。

Focused Performance Business Blog

毎日の巡回先。マネジメントに関するツボを突いた実践的なネタが多し。ソフトウェア開発に限らず、ビジネス全般への目配りを忘れていないところが二重マル。読みやすい英語なのだが、TOCやクリティカルチェーンのバックグラウンドがないと難しいかも。

Agile Management Blog

マイクロソフト社の David J. Anderson 氏のブログ。"Agile Management for Software Engineering" の著者でもある。"Agile"を冠に抱いている通り「アジャイル!アジャイル!アジャイル!」なブログになっている。マイクロソフトは社員のブログに多大なる関心を抱いているようなので、彼もかなり気を使っていて、内部情報なんぞは一切期待しないほうがよい。ただ、開発プロセスの話題から漏れ出る「マイクロソフトのやり方」を盗むには最適かも。

Managing Product Development

ここも巡回先。ソフトウェアは「製品」であり、そのプロセス管理は可能という信念に基づいたPMノウハウを紹介している。抽象的な方法論よりも、それを適用させる実際的なネタ多し。「効率性を組織化させる」とか「キャンセルプロジェクトにとどめを刺す」など、刺激的な話で読ませる。ジョアンナたんって何歳ぐらいのプログラマなんだろうなぁと、(*´Д`)ハァハァしながら読んでいたのだが、最近彼女がPresidentなことを知ってorz

Reforming Project Management

書籍、サイト、ブログなど、ネタ元があって、その紹介と感想が多い。中の人の分析やツッコミはさておき(失礼)、リンク先が秀逸。ネタが面白く「裸のプロジェクトコンサルタント」や「To-Don't リストを使う」など、翻訳して紹介したくなる。

ProjectSteps

テレコム系のITマネジメントを20年やってるという猛者。"in my opinion"で始まるベキ論は鼻につくが、言っていることはいちいち正しいなと頷くほかない。奇をてらった記事は無く、「正論」「王道」が淡々と語られている(分、あんまり「気づき」もないともいえる)

projectified

"Microsoft Project Server"のサポート歴6年の方。サーバ設定などの技術ネタもあるけれど、扱っている製品が"Microsoft Project"なだけにPMネタも充実してる。最近知って、ちょくちょく読み始めているところ。

非現実的な納期、異常に低く見積もられたコスト、決まらない(決められない)仕様 … ブログで「ぶっちゃけやってらんない!」と叫びだしたくなるのは日本も米国も同じ。どこも一緒。ディルバートが笑えるのと同じだねっ

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Plan to Change Your Plan

計画は立てた側から古くなる。プロジェクトを取り巻く状況はどんどん変化する。ステークスホルダーからの変更要求は目白押しだ。しかし、プロジェクトのゴールは動かない。

プロジェクトは遠泳に似ている… 潮や風に流されながら、動かない陸地に向かって延々と泳ぐ。ペースを上げたり泳ぐ向きを変えたり軌道修正しながら、ゴールを目指す。しくじれば、溺レル。

PMBOKでは、コントロールプロセスからの派生としてプロジェクト計画への「変更要求」が出てくるというが、Managing Product Development のInvest in the Design of Your Project Every Day だともっと大胆だ。「毎日」だから。

We've all see the phenomenon that as soon as you've scheduled the project, the schedule is out of date. If you plan to invest in replanning and rescheduling, that doesn't matter.
[私訳] いったん立てたプロジェクト計画が、あっというまに古いものになることはよくあります。しかし、プロジェクト計画を見直したり、スケジュールを引きなおすことを予め計画化しておくことで、これを回避することができます。

Plan to Change Your Planは目からウロコ。変更を想定した計画づくりや、変更に強い設計を心がけて仕事をしてきたけれど、「予め変更をスケジュール化しておく」ことまでは考えていなかった。

誤解のないように急いで付け加えると、Johanna さんのいう "Every Day" とは「毎日変更せよ」ではなく、計画と現状の乖離は毎日チェックしなされ、という意味だろう。

上記で紹介したManaging Product Developmentは、ソフトウェア開発PMに関する非常に優れた記事を連載している。PMネタでここへくる人にとって、私の記事よりも、むしろ彼女の方が得るものが多いだろう。

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「生き返りを信じる子ども」という神話

「生き返りを信じる子ども」がどうやって作り出されたか分かった。ついでに「子どもを歪めているのはゲームのせい」にしたい人々の試行錯誤も。

日本女子大学の中村博志教授が行った、小中高生への調査によると、

「一度死んだ生き物が生き返ることがあると思うか」という問いに対し、「生き返る」と答えたのは9.2%、「生き返ることもある」と答えたのは12.7%にのぼることがわかったという(週刊朝日2/4号)

あとはお決まりのパターン。学者センセイや知識人がよってたかって「死の教育をきちんとしてない」とか「死をタブー視するな」とか「過保護すぎる」とか。発表者が導きたい結果へ脊髄反射的にリードされる人々、「子どものように」純真だね。

「生き返ることもある」という書き方から、仮死状態の人が生き返ることを想定した回答だと想像することもできる。あるいは、この年代の子ならきっと知ってる「一は全、全は一」とする鋼錬の輪廻観なんて、センセイ方は分からねぇんだろうなぁ…

このセンセイが導きたい論は「死を通して生を考える教育」の重要性を読むと分かる。まとめるとこうだ。

問題 : 子どもの死生観が軽薄化している
原因1:TVゲームの影響(リセットボタン症候群)
原因2:核家族化などにより死の現実が身近でなくなった
対策 : 学校や家庭で、きちんとした「死の教育」を行わなければならない

先ず、「問題:子どもの死生観」なのだが、↑で述べたとおり脊髄反射的な読みしかできていないため、設問そのものが問題にまで結びついていない。ズバリ「死とは何か?」という問いにしなかった質問者こそが問題。

次に、問題と原因の因果関係を立証するために、「TVゲーム」「身近な人の死」「蘇生観」の3ファクターのアンケート結果をカイ二乗検定をするのだが、その値は公表していない。どうやら有意的な相関性はなかったようだ。この場合、フツー仮説そのものを検証するんじゃぁないのか? と激しくツッコミを入れたくなる。

以下にその誘導的なアンケートを抜粋する。(太字は私)。

  1. テレビゲームをしたことがありますか
  2. 最長1日にどのくらいテレビゲームをしましたか
  3. 好きなゲームソフト名はなんですか
  4. ゲームの画面に出てくるいろんな技を試してみたいと思ったことはありますか
  5. それはどんな技ですか
  6. 生き物を飼ったことがありますか
  7. それはどんな生き物ですか
  8. 飼っていた生き物が死んでしまったのを見たことがありますか
  9. そのとき葬式をやりましたか
  10. 身近の人の死を見たことがありますか
  11. それは何歳のときですか
  12. その時、どんなことを考えたり感じたりしましたか
  13. 死という言葉を聞いて何を思い浮かべますか
  14. 人は死んだらどうなると思いますか
  15. 死ねと言ったことがありますか
  16. それはどんな時、誰に言いましたか
  17. 命はだいじだと思いますか

これぐらい恣意的な結果を導出できる設問もめずらしい。にもかかわらず、結局のところ、自分が欲しい数字がでなかった、またはひねり出せなかった。センセイは正直に書いている。「死を通して生を考える教育の重要性」より引用。

今回の調査では最初の仮説であるゲーム等と死の認識の間には直接の関係は見られなかったが、死の認識がこれまでとはかなり異なり、「生き返る」事があると考えている子どもが約1/3に見られているのは、極めて重視すべき結果と考えられた

んでもって、冒頭の「生き返りを信じる子ども像」が作られたワケ。次はマンガかネットあたりが俎上に登るだろうねっ

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以下自分メモ。子どもの年齢と死の理解度。

  5歳頃 はじめて死を理解しはじめる
  6歳頃 死を拒む気持ちが芽生える
  7歳頃 自分や親しい人も死ぬのではないかと怖くなる
  10歳頃 大人の死生観に近づく
  13歳頃 一生続く死生観が完成する

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誰も死んでいないのに「デス」マーチというなかれ

これは私自身への戒めだということを、最初に断っておきます。

誰も死んでないのにデスマデスマと気安く使わない。他はいざしらず、デスマーチとはもともと、本当に死人が出てから使っていた。現場がテンパっている状態や、コスト・納期が非現実すぎて士気よりも殺気が上回っている状況は、「プロジェクト・クライシス」と呼ぶ。

デスマーチとは」を見ても分からない。「混乱した開発現場」「過酷な労働環境」は何をもって過酷・過労なのか人によりけり。納期を過ぎても終わらないプロジェクトと定義づける人もいるが、それは「遅延プロジェクト」と呼ぶ。

「死ぬほど」仕事が大変なのは、この業界に限らない。ギリギリになって「俺は聞いてない」とちゃぶだい返す顧客も、この業界に限らない。それはデスマじゃなくって、「シビアなプロジェクト」と呼ぶ。

「死ぬほど」大変なだけでデスマデスマと嬉しそうに。自嘲気味に使うところがポイント。混乱した現場を祭りだと勘違い君。「徹夜で仕上げました!」と強調することは品質を伴っていませんと自白している。ガンバリズムはカニバリズムと似ている。ただし食べているのは自身の肉であることに気づいてない罠。

「死ぬほど」大変といっている割には誰も死なない。交尾の最中「逝ク、もう死にそう」と同じ、比喩だ。誰も逝きゃしない。ほんとうに追い詰められて真剣になると「死ぬほど」なんてグチ垂れる余裕すらない。カニ食べるときを思い出せ。黙々と食べる。「おいしい」なんて誰も言わない。

死ぬ人は「死ぬ」なんて言わない。黙って死んでゆく。心不全や脳卒中なら引き継いでいる間なんてない。自殺する人の遺書はとても簡潔。プレゼン資料はあれほど細かに書いたのに。

かつて巨大プロジェクトには本当に人柱を必要とした。荒ぶる水のカミを鎮めるために犠牲(にえ)を捧げたように。さすがに人死が出ると顧客の舌鋒も鈍ってくる。未整理の仕様、放置された懸案は、亡くなった方とともに闇に葬り去られる。それでもプロジェクトは進む(Project goes on)。交代して通夜・葬儀に参列した後、仕事に戻る。「今日は斃れた旅人たちも、生まれかわって歩きだすよ」と呟きながら。

これをデスマーチと呼んでいた。

今回のプロジェクトはいったん破綻し、その後に再生し、いま終わりの始まりが見えている。今のところ入院2名、行方不明1名、死者ゼロ。

これをデスマーチだなんて呼ぶな。

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