委譲できるのは権限までであり、責任は分担できない
PMの孤独感とは、プロジェクトマネジメントの成功・失敗の責任を負うのは自分だけなのだという認識からくる。仕事量を減らすため、マネジメント対象(スコープ・スケジュール・コスト・リスク・人材)ごとに担当を割当て、権限を委譲すればよいとアドバイスされるが、委譲するのは権限だけであって、責任まで分担することはできない。
たとえば extends を使ってスーパークラスの性質を継承させることができる。サブクラスに振る舞いを「委譲」しているわけだ[注1]。振る舞いが問題ないことはスーパークラスが保証する。この場合、責任はスーパークラスが負っている。
あるいはアサーションを使って契約によるプログラムを徹底させる。事前/事後条件(の完全さ)をプログラムに組み込むことで、責任を外出しにすることができる。この場合、責任はそのクラスを使う側が負っているといえる。
しかし、マネジメントについて言えば、事前条件も事後条件も最終チェックするのは責任者であるあなただ。たとえ成果物をチェックする機構を取り入れるとしても、その機構の妥当性そのものを確認したり、そこでチェックOKとなった成果物を受け入れるか否かの最終判断を下すのは、やっぱり責任者であるあなただ。
権限を担当に割当て、担当を人に割当てることで、「その担当としての責任」があるじゃないか、という反論は可能。ただ、誰にどの権限をどこまで割当てるかもPMの仕事になっているため、人材と担当のミスマッチによる失敗もPMの責任と化す。担当としての最後の言い逃れは「指示どおりにやったのですが…」だが、PMには使えない。
ここで誤解されるのが「責任者」。責任者は責任をとるために存在するのであって、それ以外の何者でもない。いかなる前提の下であれ、サインしたのなら責任を取れ。逃げるな。責任を取ることがどういうことなのか分からないのであればサインする資格なんて無い。仕事割りやダンドリが得意なだけでPM目指してるそこのアンタ! …というのは実はワタシだったりする。
理論も実践も精進が必要。「がんばれ受験生」の季節になると思い出す。むかし「大人はいいなー勉強しなくてもいいから」などとほざいていたが、オッサンになった今の方が勉強している。勉強だけで「責任を引き受けられる人」になれるとは、これっぽっちも思ってないが、「勉強してない責任者」ほど恐ろしいものはない。
頑張れ俺、もっと頑張れ。
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[注1] 本来の意味での委譲(Delegation)は継承と異なることは合点承知之介

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