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時間はみんなに平等だが、あなたにだけは平等ではない

『年を取るほど一年が短く感じられる理由』←意味がよく分からねぇ」というツッコミをもらった。ううむ、なるべく分かりやすくしたつもりだったが、書き方まずかったかも… なので再エントリ。まずはこの図を見てほしい。
1year
この図は、ちょっと違う見方で「1年間」を「測って」いる。ポイントは2つ。

1つ目は、「1年間」という時間を「量」とみなしている。「1年間」を時間として見る限り、「計る」方法は時計しかありえない。「1年間」をボリュームとみなし、何らかの方法で「測って」みる。

2つ目は、「測る」方法を体感量として相対化できないかと考えた。つまり、今まで生きてきた時間のうち、1年間が占める割合で「測って」みるんだ。

例えば、生まれたての赤ちゃんにとって「1年間」は「生きてきた時間」とイコールだろう。10才の子どもにとって「1年間」は生きてきた時間の 1/10 に相当する。20才なら 1/20 になるし、30才なら 1/30 だろう。

10才の子どもにとって「1年間」はかなり長い。なぜなら生涯の 1/10 に相当するから。しかしその子が年をとって20才になると「1年間」は、10才の時よりは短くなる。体感量は 1/10 → 1/20 になるから。単純計算だと 1/2 に短縮されてしまう。もちろん物心つくまでの期間が含まれているため、単純に半分とするのは乱暴だが、それでも短くなっていることは確かだろう。

また、この考え方は同一人物の体感量に限っている。10才の観鈴さんと20才の晴子さんの「1年間」は、1/2 にならない。10才の「1年間」との差を体感できるのは20才の晴子さんだけだから。20才になれなかった観鈴さんにとっては体感していない時間だから。

年をとればとるほど、「1年間」の体感時間がどんどん短くなってゆくのが分かっただろうか? 具体的にどれだけ短くなるかというと、以下の計算式で求められる。

  今年の体感量 = 365 × あなたの年齢 ÷ (あなたの年齢 + 1)

仮に観鈴さんが16才なら、17才の誕生日を迎える年は、前年に比べると

  365×16÷17≒343.5
  365-343.5=21.5

だいたい3週間、短くなるというわけ。

一方、観鈴さんと晴子さんふたりの時間を比べる場合は、時計を使うしかない。この場合、「1年間」は二人にとってほぼ同じ時間となる。「時間は誰に対しても平等」というのはこのこと。

誰に対しても等しく過ぎゆく時間。しかし、自分の体感としてみた場合、年をとればとるほど、どんどん短くなってゆく。時のスピードが速くなっているのではない。秒針の速さは同じ。しかし受け取れる時間の「量」が相対的に減っていくわけなんだ。

「ああ、もう大晦日か」とつぶやいた人は沢山いただろうが、今日(1/7)はそのときから1週間しか経っていないことに気づいている人は、わずかだろう。2005年が始まった最初の1週間は妙に長かった。しかし来週は、今週よりも「速く」過ぎ行く… 違う違う、時間は加速しない。あなたの受け取り分が減っているんだ。

時間はみんなに平等だが、あなたにだけは平等ではない

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コメント

本題とは直接関係無いかも知れませんが、この1年半ほどテレビの無い生活を続けていて、一日が非常に長く感じられる事に驚いています。
やはり生活環境が時間感覚に与えるソレって大きなものがあるのではないでしょうか?

例えば通勤時間とかが無ければその分何か行動できるわけで、子供の頃はその分余計に好きに動けたわけですからね。
同じ歳でも主婦とサラリーマン、自営業者とでは1時間という時間の捉えかたもまた大きく違っているように感じます。

もとはと言えばPMP合格まで勉強の邪魔だからという理由で単身赴任準備グッズの中からテレビを外したのですが、今はもう見たい番組も無いですし、このままこの生活が続きそうです。
ただテレビを見ないという事は世の中から隔絶される感が強いのも事実。津波の話も遠い遠い異国の出来事です。実際に見て感じる身近な出来事とそれ以外との距離感もぐっと広がった感じですね。

投稿: 鉛のZEP | 2005.01.12 19:31

鉛のZEPさん、コメントありがとうございます

「生活環境により時間感覚が異なる」…まさにその通りだと思います。むしろ環境により時間そのものが左右されていると思います。感覚としての時間は必ずしも時計で計ることはできないのでは? という自問が出発点となり、この記事を書いたのですから。

テレビについては、最近HDDビデオレコーダーを使い始めたため、付き合い方が変わりました。「必要な番組をとりあえず録画」→「必要なときに視る」のと、「ザップして視る」ことにより、必要な素材のみ集中して取得するメディアとなりました。これまでできなかった「情報の取捨選択」ができることになり、テレビを視る時間は増えましたよ(一方、テレビをぼんやり【見る】時間はゼロになりました)。

放送しているフローを眺めるというよりも、サーバに溜まったストックをすくい取る感覚です… 考えてみたら、テレビなんか無くてもネットで実現できてますね。

投稿: Dain | 2005.01.13 19:16

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受信: 2005.01.07 13:17

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