「ソフトウェア企業の競争戦略」読書感想文2
ソフトウェア企業の競争戦略の原則は製品を売ってサービスで儲けることに尽きるよ、という話。とてもあたりまえなことなのだが、意外と見落とされている古くて新しい視線。
これは「ソフトウェア企業の競争戦略」でガツンと思い知らされた。本書によると、生き残るソフトウェア企業はすべからく「製品→サービス」へ変遷をとげているが、完全にサービスに移行するわけではないという。製品とサービスが半々のハイブリッド形態を呈する。「製品」と「サービス」の違いとは、
製品 | サービス |
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一過性 「パッケージ」というオブジェクトで提供 コピーしやすい 規模の経済が適用できる 新規に市場に参入しやすい あたればでかいが、なかなかあたらないのが現実 |
持続性 形(オブジェクト)を持たない コピー困難 顧客増→コスト増 市場参入に一定の評価(ブランドともいう)が必要 |
たとえばネットゲームの例。かつてゲームメーカーは「メーカー」の名の示す通りパッケージ製品を開発し、世に送り出していた。現在ではパッケージの名を持つオンラインゲームサービスを提供している。ファイナルファンタジー・オンライン(FFXI)やウルティマ・オンライン(UO)などが有名。
パッケージ製品には、規模の経済を適用することができる。ゲーム一本の開発費に莫大な資源を投じても、いったん「製品」ができあがれば、そのコピーを作るのは容易。ソフトウェアは目に見えないが、「パッケージ」というモノとして切り取られた形なので、売るほうも買うほうも扱いやすい。言い換えると模倣もコピーも容易のため、亜流や海賊版に悩まされることになる。
一方、オンラインゲームサービスは、提供しつづけていく必要がある。作って売ったらお終いではない。「製品」のコピーにかかる費用は、作れば作るほどゼロに近づくが、「サービス」は提供先が増えれば増えるほど、その費用は増大する[注1]。ソフトウェアは目に見えない上、サービスもさらに目に見えない(モノとして存在しない)。サービスを評価するためには一定の期間が必要で、良し悪しの判断は難しい。製品同様、ヒット作の亜流は存在するが、その「サービス」までもコピーすることは不可能。
「ファイナルファンタジー」というゲームに着目してみる。昔はパッケージ(カートリッジやCDのROM)形態で売り出されていた。「大作主義」と呼ばれ、美麗なグラフィックやムービーに莫大な費用をかけていた。一本一本のコストがでかい分、外れた時のリスクが大きく、社としての屋台骨をゆるがすほどだったらしいく[注2]。
現在では FFXI という名でネットゲームサービスが提供されている。作っては売り、作っては売りするのではなく、ネットを通じてひとつのゲーム世界をレンタルする。不具合や世界の広がりは、パッケージのバージョンアップではなく、メンテナンスにより実現する。
もちろんインターネット環境の整備やリッチクライアントの普及に負うところが大きいが、製作元の利益を得る方式の転換と見たほうがよいだろう。一本のゲーム(=プロジェクト)にコストとリスクを積み上げるよりも、「ファイナルファンタジー」というサービスブランドで長く売っていく方が得策だと判断したに違いない。
本書では、ゲームメーカーをリサーチの対象外としている。「ソフトウェアビジネスモデル」にはそぐわないらしい…が、同様のことは Oracle や Microsoft にも言える。両社はその看板製品のバージョンアップを繰り返しつづける一方で、その製品を元としたサービスを長く売っていこうとするだろう。単なるDBやOSではなく、継続的なサポート/サービスを必要とするアプリケーションサーバを販売の中核に据えていることがその証左といえる。
製品でシェアを確保し、サービスで恒常的に利益をうみだすビジネスモデル。これ最強(というか、これしかない)。「製品だけ」あるいは「サービスだけ」に注力する場合、ビジネスとして継続的に続くことは、ない。
言い換えると、スゴい製品を開発し、市場で大ヒットしただけでは、大もうけするかもしれないが、恒常的な利益を得ることはできない。また、スゴい技術を持っていて、そのサービスが大いに期待されているだけでは、利益を全く得られないまま風化するリスクは多々ある。いずれの場合も、ビジネスとして成立させるためには不十分。片方だけを引っさげて颯爽と参入するベンチャーは多々あれど、ビジネスとして成立しないまま上場資金を食いつぶして消えてゆく。
ベンチャーの流れは絶えずしてしかももとの社名にあらず
IPOに浮かぶボロ株はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし
(つづく)
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[注1] もちろんオンラインゲームもパッケージ「製品」という形で有償/無償問わず頒布していることは合点承知。しかし、その「製品」単品だけでは充分遊べないことも事実。
[注2] 大作主義 … 死語なのだが、もはや死語ですらないかも。某社の「シェンムー」のように一本のゲームに社運を賭けるのは無謀かと。
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