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年を取るほど一年が短く感じられる理由

子どもの頃は一年間なんて、それこそ途方もなく長い時間なのに、大人になればなるほど、どんどん「一年間」が短く感じられると思わないか?

年を取るほどに「一年間」が短く感じられることには、ちゃんと理由がある。それは、時間の感覚は相対的なものだから。一年間の「長さ」は年を取れば取るほどに短くなっていくのだから。

たとえば、10歳にとっての一年間は、これまで生きてきた時間(=10年)の1/10だが、20歳にとっての一年間は1/20、つまりハタチにとっての「1年間」は小学生の半分しかない。三十越えたら1/3にまで短縮される。

あなたにとっての「1年間」と、わたしにとっての「1年間」は、ほぼ同じ長さだ。同じ程度の時間をこの地球上で過ごしているから。しかし、「今年という1年間」と「来年という1年間」は、明らかに違う。来年は「あなたの年齢/あなたの年齢+1」だけ短くなっている。

時間は皆に平等だが、あなたにだけは平等ではない

だから、今日だけでなく、明日も、明後日も、その先も、この言葉をくりかえしていこう。

Today is the first day of the remaining of MY LIFE.

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子どもにネットを教えるとき、心がけていること

昨日は「テレビっ子」、今日は「ゲーム脳」、そして明日は「ネット子」(ネト子?)という流行語になるのだろうか。このメディアとの付き合い方を子どもに教えている。

他の親たちは、「英語耳のため英会話」だの「ピアノで絶対音感」だの、色々な習い事をさせているようだ。3歳からの英会話学校があることにビックリしたが、ウチは死とは何かとかゲームとの付き合い方などを今のうちから教えておこうかと。どうせ小学生になったら、きっと耳も貸さなくなるだろうし:-)

マスメディア。特にテレビとの違い

調べモノがあるとき、子どもを膝の上にのせてGoogleってみせる。「さて、明日のお天気は~」とか「次のデカレンジャーショーはいつかな?」とか。おかげで、「テレビとは異なり、リアクションがある」ことに気が付いたようだ。能動的にならないと、情報は得られない。「テレビをダラダラ見ていても、必要な情報は得られない」ところまで理解して欲しいが、も少し先。

ネットはゼロ次情報

「あれーこことここで、言ってることが違うねー」とことさら強調する。ネットの中は整合性も一貫性もない。本人が語る情報は一次情報、そいつをメディアでフィルタリングした二次情報と呼ぶ。それとは別に「本人が真実だと思い込んでいる」情報、即ちゼロ次情報が垂れ流されている。極端だと「脳内電波」と呼ばれるが、事実のフリをした虚報も混じってるのがネット。検閲がない代わりに、校正もない。ネットでの「情報」は、編集されていないことに気づいて欲しい。

ひとり一台ではない「ファミコン」

PCを立ち上げるときは、いつも子どもと一緒。ネットがインフラであるのと同様、端末も共有物。一家に一台のコンピュータ、これが本当のファミリーコンピュータ、なんちて。あたしゃオッサンなので、コンピュータとは、タイムスライシングしたなかで複数の人で使いまわすべき計算機なんだと考える。学生時代、マシン運転時間中に端末を奪い合っていた人なら分かるだろう。コンピュータは私物ではない、ネットが公共財であるのと同様に。従ってパソコン(パーソナルコンピュータ)は personal にさせない。リビングに置いて、使うときはみんなで。テレビやビデオと一緒やね。個人で持たせるのは、せんずりを覚えるようになってからだ。

お母さんが安心して子どもにパソコンを使わせる本という本がある。このblog読んでるような人ならこれで金とるなんてふざけているとしか思えない内容だ…が、こんな本がまかり通っているということは、「子どもにPCやネットを使わせることに不安を抱いている親がたくさんいる」ことの裏返しなんだろう。「子どもパソコン教室」なんて流行りそうやね、いろいろあったし、いろいろあるだろうし。

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おまけで自分メモ。子ども向け検索サイト。

  yahooきっず
  キッズgoo
  KIDSPLAZA
  学研キッズネット

どれがいいか分からないので、とりあえず「ふたりはプリキュア」で検索してみる。yahooとgooでは2件(朝日放送とオフィシャルサイト)ヒットしたが、KIDSPLAZAと学研キッズネットでは0件…ななな、なんだってー(AA略) やっぱりプリキュアは大きなおともだち向けの番組だったんだと独り合点。

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「プロジェクトの仕様」を表現する

PMにとってUMLは強力なツールだよもん、と書いた[参考]。あきぴーさんからトラックバック[参考]をいただいて、私の説明がまずかったことに気づいた(あきぴーさんありがとうございます)。私の記事では、「スコープ = 仕様」という紛らわしい書き方をしている。これだと「プロジェクトの範囲 = システムの仕様」とも読み取れてしまう。正しくは「スコープ ⊃ 仕様」であり、「プロジェクトの範囲 ⊃ システム仕様の実現」なり。

PMBOKアプローチなら、スコープにはプロジェクトスコープとプロダクトスコープと二つあり、プロダクト(成果物)の一つに設計書があり、その設計書で表現される仕様を定義するのに、UMLが有効だよ、という理屈。

UMLアプローチだと、ユースケース図を使うことで、システムに期待する振舞いを定義することができる。んで、システムの振舞い定義に有用なUMLなら、プロジェクトの振舞いにも使えるのではあるまいか、という仮説を立ててみる。つまり「UMLでプロジェクトの仕様を表現できないか」ってね。

ここから脱線。

やらなくてもいい作業がプロジェクトに組み込まれ、本来すべきことが実施されていない惨状を目の当たりにすると「どうして、それはプロジェクトですべき作業ではありません、と言えなかったんだろう」と強く感じるので

もちろん「そいつぁWBSで定義するんじゃないの?」というツッコミ上等。ちゃんとBreakdownされたWBSなんて見たことないので。んでもって、WBS書く側からは「何を作るのかが共有化・明確化されていないのに、作るもののためにどんな作業をすべきなのか、分かるわけないやんー!!」という怨嗟が。

本線に戻る。

プロジェクトの仕様がUMLで表現できるのなら、成果物を書く人とWBSを書く人が一致する(し、そうすべきだ)。

そして、成果物を明確化する仕事と、その成果物のために必要な作業を明確化する仕事は、クルマの両輪のはず。前者を優先するあまり後者を蔑ろにしていたのは私の狭量。だから「スコープ = 仕様」にしちゃったんだな。PG/SEの思考だと、どうしても「プロジェクトの範囲 ≒ システム仕様」になってしまう。これは間違い。この見方だと、教育費やコンティンジェンシープランなどを見落とす罠に陥る。

「UMLでプロジェクトの仕様を表現できないか」については、非常に興味深いネタとして考査中。もちろんモデリングは可能だが、かなりのボリュームになる。しかし、これまで経験してきたプロジェクトをモデリングすることでプロジェクトのパターン化ができないか、ひいてはプロジェクトデザインパターンができるのではないか? …などと聖夜に独り自問。浜の真砂は尽きるとも、世にデザパタのネタは尽きまじ。

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この本がスゴい!2004

今年読んだ中で、最もスゴい本をピックアップする。名付けて「スゴ本・オブ・ザ・イヤー」なんちて。

最も面白い本「ダレン・シャン」

現在4巻目(全12巻、最終巻は先日発売)だが、まちがいなく今年のNo.1だッ。久々に「物語にハマる楽しさ」を味わいながら、ページを繰る手を愛しみながら読んでる。未読の方のために、中身の紹介はしない。予備知識ゼロでどうぞ。ダークでエグ味のある描写があるため、万人受けはしないだろうが、「何か面白い本ない?」と訊かれたら今年はこいつを推す。

最も仕事に役立った本 "Project Management Body of Knowledge 2000"

プロジェクトマネジメントの教科書。テクニカルな面よりも、繰り返し読むことにより多くの「気づき」が得られた。即座に仕事に役立つということはなく、仕事の取り組み方に変化が起きた。文書の書き方が変わった。計画を立てる順序を変わった。情報を共有する方法が変わった。その変化とは、「目標を定めて、目標へ向かって動く/動かす」「品質・コスト・期間は、目標との差で管理する」というやり方になった。あたりまえじゃんというツッコミ上等。真の意味で実践することはかくも難しい。現在PMBOK3版を熟読中、来年はこれが最スゴ本になるかな?

最萌本「おもいでエマノン」

Air の原作だと激しく思い込みながら読んだSFファンタジー。ステゴTシャツもゲルルンジュースも出てこないが萌えた、というより悶えた、というより少し泣いた。ここでの旅人は往人ではなく観鈴。太古からの全ての記憶を持つ少女。彼女は、さまざまな時、場所の「往人」たちとの出会い、別れを繰り返す。彼女は転生を繰り返しはるかな時の中を生きてきた。まさに「えいえんはあるよ、ここにあるよ」といえよう。(この紹介文のネタが分からない人は読んではいけません、ただの旧いSFです)

最スゴ本「カラシニコフ」

同名の銃「AK-47」を追ったノンフィクション。朝日新聞連載中から注目。読むと陰鬱な気分になるが読まないではいられなかった。単行本で通しで読んでさらにぐったりとなる。原爆の発明を罪とするなら、AK-47も同罪だろう。いや、誰でもカンタンに扱えて、効率的に人を殺せる点で、もっと罪深い。戦時とはいえ子どもに殺人を強要する話は涙が止まらなかった。しかし、最終章「銃をおさえこむ」には光がある。銃に汚染された失敗国家から立ち直り、ついには銃をコントロールする話。淡々と書いている分、感動的ナリ。

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「使える新書」で笑う

新刊本は、目にとまって、レジまで持っていけたら「勝ち」なんだから、パッケージとつかみネタで勝負しているから、浚うのは時と銭が勿体無い。ましてや新書をや。


こんな風に考えている私にピッタリだと思ったが、この一冊はレジの手前で思いとどまって、結局借りて読んだ→「使える新書」新書オンリーのブックガイドなのかしらんと一読して痛い目に遭う。これは、新書レビューのフリをしたライター達の自己満足エッセイ集ナリ。


えらく挑発的な書き方をする一方で、「ぼくらの○○」(*1)といった共感の押し売りも鼻につく。俺様系blogならまだしも、お金を受け取って書いている文ですぜ。批判文もマンセー文もどこかで聞いたことがあるような借り物文ばかり。「ライターとしての教養あふれる文章読本」なんてブツがあるのかしらんと真剣に探したくなる。


だいたい「教養としての○○」と紹介されるカッコ書きの「教養」なんて、fj か2ch の厨房を煙に巻くといった効用しかない。新書で手に入る「教養」は、あくまでも入口。それを、「○○を標榜するならコレぐらいは読んでおけ」的にやたら「必読」でくくるのもどうかと。必ズ読メといわれても、読む気が失せるレビューの後で締められても萎える。ブックガイドとしてはおすすめしないが、Amazonでのこの本のレビューに倣ってライター達の「教養」ぶりを吟味しながら読むと愉快かも。引用するね。


編者こそ教養を

編者が複数のため一部であることを注釈しますが、慣用句などに誤りが多く、無教養なのが明らかで表題が皮肉に思える。(中略)少なくともこれだけ不遜な題名をつけるのであれば知的に全方位に武装されていてしかるべきであろう。企画は悪くないがキャスティングに失敗した映画のようなものか。


そう、この「使える新書」にはサブタイトルがついていて、「教養インストール編」と銘うっている。教養という言葉にくすぐられそうな人なら飛びついてしまいそう。

こんだけこき下ろしたが、それでも読みたい・再読したい新書がいくつか。

インタビュー術!(永江朗)講談社現代新書

インタビューアーもインタビューイーも縁がないが、「人の話を聞く」ことは、私の仕事でも重要なスキル。インタビューという技術を知ることで、得るところがあると思う。

「わからない」という方法(橋本治)集英社新書

題名だけは気になっていた。橋本治本は影響力が強すぎるので差し控えていたけれど、この際。お題はソクラテスのあれやね。

なぜ人を殺してはいけないか(小浜逸郎)新書y

子どもに訊かれたときのために、一度考えたことがあるので[ここ]。そんときは相互性の原則から一歩も出られなかったけれど、もう少しマシな答えが得られるかな?

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー)

新書じゃないけど、「マックス・ヴェーバー入門」という新書を読むぐらいなら、こいつを再読しようかと。入門書って、入門じゃないよなぁ。それから、入門書を読んだんなら、それ以降も、読むよなぁ。

万葉秀歌(斎藤茂吉)岩波新書

日本語が読みたくなったときのために。

わたしは二歳(松田道雄)岩波新書

「家族とはなにか」が分かるらしい。わたしの答えは「浮世の方舟(ただし期限付き)」だが、それ以上の何かを得られるか? これまで読んできた中で、最もこの問いに答えているのは、山本直樹「ありがとう」だろう。家族とはなにかが一発で分かるように書いてある。

権威と権力(なだいなだ)岩波新書

なだいなだも影響力が強い人。ここで採りあげられたのを縁に再読。っつーか、なだいなだは全部読んどかなきゃ…

詩のこころを読む(茨木のり子)岩波ジュニア

こいつを採りあげたのはエライ!詩も厳選してあるし、解説も○。声に出して読みたい詩ばかり。図書館で借りて読んだが、こいつは買って再読しよう

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注 *1 ○○には「構造主義」「マクロ経済」「相対性理論」など、お好きなコ
トバをどうぞ

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始末書の書き方

「上手な謝り方」好評だったので、始末書の書き方をまとめてみる。新人さんがやりそな失敗は、次の3つかな。

無断欠勤

平成○年○月○日
○○部○○課 ○○○○ 様

○○部○○課

○○○(印)

 このたび、○年○月○日より○日までの○日間、連絡することなく欠勤いたしましたこと、社会人としてあるまじき行為と猛省しております。
 初日は体調不良により連絡ができない状態でございましたが、二日目以降は、無断欠勤をどのように説明、謝罪していいのか思い悩み、結局のところ連絡をすることができませんでした。まことに無責任きわまることと、心より反省しております。
 今後は二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓います。本当に申しわけありませんでした。



パソコンの紛失

平成○年○月○日
株式会社○○○
取締役社長 ○○○○ 様

○○部○○課

○○○(印)

 当社所蔵のノートパソコン「ダイナブックE8」は、小職に貸与され管理されているべきところですが、○年○月○日の出張で紛失してしまいました。直ちに警察へ届け出をいたしましたが、現在のところ所在は不明のままです。
 このような次第では、小職のずさんな管理を指摘されても申し開きのしようがございません。まことに情けなく申し訳ないことと、深くお詫び申し上げるとともに、今後は決してこのようなことのないよう、厳重に注意することを誓います。
 なお、今回、会社に与えました下記の損害額につきましては、私の身元保証人と連帯して、賠償責任を負うことを、あわせて申し上げます。  今回に限り、何卒お許しくださいますよう、本書とともにお願い申し上げます。
金 ○○○○円



泥酔して喧嘩→警察沙汰

平成○年○月○日
株式会社○○○
取締役社長 ○○○○ 様

○○部○○課

○○○(印)

 このたび、小職の不始末により傷害事件を引き起こし、対外的に社の名誉を傷つける次第となりました。誠に申し訳なく、心からお詫び申し上げます。
 被害者につきましては、本人ならびに身元保証人が賠償することになりましたので、示談解決することにしましたが、小職としましては心を入れ替え、今後再びこのような不祥事を起こさないことを誓います。本当に申しわけありませんでした。



ポイントは必ず手書きで!ていねいに!。コピペ厳禁。字が下手でもいいが、心を込めて丁寧に書く。何度も書き損じするかもしれないが、いいかげんにしない。書いたものは残るから。ちゃんと書いた文には魂が宿ってるぞ。きちんと書けば伝わる。書いたもののパワーと恐ろしさを知らない人のために、繰り返し強調しておく。「心を込めて、丁寧に」

「やっちゃったことの状況→反省・改心していること→二度と起こさない決意表明」の三段構えが基本。弁済するのであればその額も明記するのが普通。あと、「ですます」調で統一すること(アタリマエか…)。

始末書なんてまっとうな社会人ならまず縁のないもの。書かずに済むのならめでたしめでたし。…え? ええ、もちろん書きましたよ、むかしorz

どんな始末書かはひみつ。

もっと知りたい方はこれをどうぞ。
上手な謝り方

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上手な謝り方

ガッコで教えてくれないけど大事なことは多々ある。借金の仕方と同じぐらい重要なことは「上手な謝り方」だろう。新人さんがちらほらとアクセスしているようなので、社怪人のオヂさんがご紹介。上手にマネしてくださいませ

まず、「謝ったモノ勝ち」だと考えよう。どっちが正しいとかスジが通ってるとかで他人と衝突しても仕方が無い、ということを心に留めておこう。もちろん仕事上の衝突は避けられないけれど、自分のちっぽけなプライドを満足させるためだけにぶつかるのは止めておこう。そんなとこでとんがっても疲れるだけ。むしろ、ヒートアップしてやりこめたりやっつけたりしている「時間」と「エネルギー」が勿体無い。エネルギーは「感情」「労力」「アタマ」と読み替えてもいい。どれも有限でしょ。

次に、「感情を込める」ことを心がけよう。「どうもすみません」「申し訳ありませんでした」と口で言うのはたやすい(し、口だけで言っている人多し)。ホンキで済まないと思う感情は、「私の○○が原因で、△△な結果を招いてしまい、済まない」という言葉につながる。○○を正すのか、△△の結果を償うのかは臨機応変に。「済まない気持ち」を次へどっちへつなげるか、自分で伏線を張っておく。

謝罪は先手必勝。怒気を削ぐ意味でも、まずいと思ったら謝ってしまえ。ただし、謝罪した後どうなるか(責任問題や賠償問題)が分からない場合は、まずいところ「だけ」を強調して、精神論で謝罪する。例えば「もうちょっと気をつけていれば」とか「いたらないばかりに…」など、言い方は悪いがどうとでもとれる言葉で「すまなさ」を表現する。スピードが大事よ。

Noを使わない。映画「交渉人」(原題は"THE NEGOTIATOR")のワンシーンに「Noという言葉を使うな」とあるが、謝罪の時も有効なり。ネガティブな言葉はネガティブな感情を呼び起こす。「できません」は使うな、ということやね。さはさりながら、相手が付け入って、ムリな要求を押し付けてきたらどうする? 難しいよね。でも、ただはねのけるのではなく、謝罪の理由(○○が悪いと思っている)を繰り返し、正すところ(○○を直す、△△を償う)を強調しよう。しつこい場合は、「持ち帰り検討」も可。ビジネスの場で「検討します」は「やります」と同義。しかし謝罪の際は「検討した結果、○○させていただきます」とあらためて謝意とともに伝えればよい。時間を措けば最初の怒りも冷めてるだろうし。

「陰謝り」という裏ワザ。「陰褒め」という言葉がある。本人の知らないところで褒めておくと、まわりまわって「○○がアンタのこと誉めてたよ」と必ず耳に届く。本人は直接ほめられるよりも何倍も嬉しいだろう。このワザは謝るときにも使える。以下「思わず許す!上手な謝り方」より。

当人が目の前で心をこめて謝っていても、すでに迷惑をこうむっている事実があるため、どうしても不信感や疑念が先に立ってしまう。そんなとき、本人でない誰かから「彼、『本当に申し訳ないことをした』と頭を抱えていましたよ」などとささやかれれば、相手は「なるほど、本心から謝っているわけだな」と納得できるし、「そろそろ許してやるか」、こんな寛大な気持ちにもなってくれるはず。

最後は「ありがとうございます」で締める。「謝る」という行為は、相手の許しを請い、許してもらうことを前提とする。だから最終的に許してもらった場合は、「ありがとうございます」をつけること(←忘れる人が多いし、そのためさらに怒りを買う人も多し)。よしんば許しを得られなかったとしても、「自分の過ちを気づかせてくれて、ありがとう」という気持ちを伝えること。「ありがとうございます」は魔法の言葉。誰も反論できない言葉であることをお忘れなく。

おまけ。下手な謝り方は、こんな特徴がある


  • 責任転嫁「前任の○○がやったことでして…」
  • 反論口答「お言葉ですが、○○については…」
  • 逆切れ型「じゃぁどのようにすれば納得いただけるのですか?」
  • 開き直り「謝ればいいんでしょ、すみませんでしたー」

ああぁ、何度もやってるよ >私
書いててウンザリする。前にも書いたが、これは一般論のフリをした自己反省文ですな。

ゴメンで済むなら警察は要らないが、謝って済む話はさっさと謝ってしまおう。謝罪の「謝」は、感謝の謝でもある。「自分の誤ちに気づかせてくれ、謝るという行為を導いてもらい、感謝してます」ぐらいの心意気で。「ごめんなさい、でもこんな悪いところが分かって、ありがたく思ってます」ぐらいの殊勝さなら、きっと相手も許してくれるはず…

最後に、これらのテクニックは嫁さん相手にさんざん実証してきたことを付け加えておく。嫁に限らず配偶者マネジメントとして、「上手に謝る」ことはケッコンした者の必須のテクといえよう。

野郎ども、がんばれよ

もっと知りたい方はこれをどうぞ。
上手な謝り方

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あたりまえのことを、あたりまえにできる、そんな人こそ素晴らしい

↑「ロジカルプレゼンテーション」を読んで心に浮かんだコトバ。

まず、かなり感心した。この本自体がプレゼンテーションの好例となっている。著者の考えやノウハウが一発で理解できるように書いてある。書き方・構成のうまさだろう。最近のノリだけで書きなぐったビジネス・ハウツー本が氾濫する中で輝いている。

しかも、基盤かつ不可欠なスキルに的を絞って書いてある。一読するだけで、ビジネスパーソンの基礎体力として必要な「考える技術」と「伝える技術」が理解できる。つまり「順序だてて考えて、分かるように伝える」簡潔かつ強力なノウハウが書いてある。新入社員は必読だねっ。

さらに、ヒューマンスキルいわゆる「経験」を重視しているところが謙虚でマル。「これさえあれば」と銀の弾丸を標榜する本ばかりでウンザリのあなたにも効く一冊かも。

…こんだけ誉めればいいだろう。以下、辛口。

読めば一発で分かる分、底の浅さが目立つ。ツールがいくつか紹介されているが、現場で長年ビシバシ使われたように見えない。ツールを適用する例とその効果がいかにも作った風なので、「ツールのためのツール」という臭いがする。いわば枯れてないフレームワークで、鵜呑み危険。

きれいにまとまりすぎ。人や仕事に「○○タイプ」とレッテルを貼りまくる行為は、レッテルからはみ出した部分を完全に無視している。「はみだした部分」こそが擦り合わせや調整が必要な、まさにドロドロした「仕事」のコアなところ。きれいごとだけでは、人も仕事も動かない。

これはコンサルタントの秀才クンが書いたような本。新入社員にイロハを教えるのには良本だが、3年目社員なら「わたしならこうする」とレスが返ってくるはず。そのレスこそが「経験に裏打ちされたスキル」なんだ…

…と、ここまで書いて思うのだが、「あたりまえのことを、あたりまえにできる」人も少なくなっているのも事実。「あたりまえのことすら、ちゃんとできていない」十年一日のオサーン連中に読ませたいのも事実。

「ロジカルプレゼンテーション」―自分の考えを効果的に伝える戦略コンサルタントの「提案の技術」
高田 貴久 (著)

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デスマーチと宮沢賢治

人間トシとると季節の変わり目に敏感になるように、この業界も長いと、デスマ突入が肌で感じられるようになる

プロジェクトの表層は「嵐」なのだが、全ての作業が過去日に向かって進む。あたりまえだ。マイルストーンが達成されないことが分かっていながら、手を打つことなくその予定日を過ぎ去っているのだから

それでも対処せずプロジェクトを回転させようとすると、あちこちで齟齬をきたす。つじつまがあうはずがない。罵声や怒号や睡眠不足の間で、自分の作業が予定されていたものなのか、過去のつじつま合わせのためにやっているのか、そもそもその作業を優先させるべきなのかを、完全に見失ってしまう

若い奴らは自責のあまり自爆するか、真っ白に燃え尽きようとする。若くも責任感もない私は死なない程度に淡々と火消しに集中する

そういや、こんな状態、どこかで読んだことあったっけ、と思い出したので引用する。以下「よだかの星」(宮沢賢治)より

よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした

生きることに絶望し、星を目指して飛びつづけるよだか。しかし、どの星もよだかを受け入れることはない。それでも飛びつづけるよだか
(つД`)

それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました

そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました

今でもまだ燃えています

燃え尽きるほど若くもないオッサンは淡々と仕事するよ。心の中でこうつぶやきながら…

「みんな、星になってしまえ」(イムホフ・カーシャ)

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