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鐘紡王国

「労使運命共同体」というコトバがある。「利益追求の機能集団のなかに運命共同体を作ること」つまり、経営者と従業員が家族的、師弟的な連帯で結ばれた集団に育て上げること(雑誌「選択」より)。

朝日新聞5/27朝刊「私の視点」で、元カネボウ名誉会長の伊藤淳二氏が意見を開陳している。読んで噴いたので、紙面にTrackbackするつもりで、書く。

伊藤氏は朝日5/9記事「カイシャの呪縛 社会に有害」に激しく反応して、投稿したようだ。元記事と彼の反論をまとめる。

「カイシャの呪縛 社会に有害」朝日5/9
書いた人は産業再生機構COO冨山和彦氏。日本的経営はカイシャにとって呪縛と化し、社会にとって有害だと述べる。カネボウはその典型と名指し。

「日本型は呪縛ではない」朝日5/27
書いた人は元カネボウ名誉会長 伊藤淳二氏。トヨタとキヤノンの成功例を挙げ「日本型経営」の成果だと述べる。

冨山氏が指摘したのはまさにカネボウの「労使運命共同体」のことだ。高度経済成長期、終身雇用制、会社人間がもてはやされていた時代は確かにあった。そのおかげで今の日本は良い目に遭っているし、酷い目に遭っている。

しかし伊藤氏は反論せざるをえないだろう。理由は雑誌「選択」の記事「カネボウ解体の遠因」に書いてある。引用する。

無血クーデターを起こしたのは六八年。武藤絲治社長が欠席のまま、伊藤は臨時取締り役会を召集、武藤社長の解任決議を行い、自ら社長の椅子に座った。このとき、伊藤は、弱冠四十五歳。クーデター成功の裏には労働組合の全面協力があった
(太字化はワタシ)

カネボウにおける権力保持は、組合との結びつきの強弱に左右される。いかに組合を握っているかに尽きる。巨大企業の性(さが)やね。同記事より引用する。

伊藤さんと組合の結びつきは深くて強い。一介の社長付にすぎなかった伊藤さんが全社を仕切れたのは組合の協力があったればこそ。無血クーデターは組合が自分たちの手で初めて社長を選んだことを意味した

伊藤氏が社長の椅子に座るずっと前から鐘紡は王国だった。四十五歳の彼の苦労は並々ならぬものがあっただろうし、経営手腕への疑念も囁かれていただろう。以後、伊藤氏は1984年までの16年間、社長の椅子に座りつづけ、1992年まで会長の椅子に座りつづけ、昨年6月、終身名誉会長を退任した。この間、「ペンタゴン経営」だの「日航ジャンボ墜落事故」「鐘紡記念病院名誉理事長」といったオモシロキーワードが並ぶが別の話。それぞれで一本記事が書けるぞ (w

「労使運命共同体」については「選択」が手厳しく斬撃している。引用する。

世間の常識が全く通用しないカネボウの不可解な体質は、「労使運共同体」の思想によって育まれてきた。企業は利益を追求する集団だが、カネボウは共同体の利益が優先した

雑誌「選択」自体も痛いコトになっているので、無批判に読めないが、ネットで裏を取る限り、鐘紡は王国だったらしい。「労使運命共同体」が正しいだの間違っているだのいいたいワケではない。私の持論「生きるとは、変わるということ」に照らし、自分で変われなかったため鐘紡王国は解体の憂き目に遭っていることにはやく気づけよと言いたい。

そういう意味では既に死んでいるのかもしれないな(w

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朝日新聞2004.5.27「私の視点」を参考にしました
雑誌「選択」2004.4「カネボウ解体の遠因」を参考にしました
2ch 「会社勤め、わが身を守ろう⇒カネボウの裏事情は?2 」は鵜呑みにはできないけれど、凄いです…この記事に興味をもたれた方は一読をおすすめします(2chであることを忘れずに)
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おまけ。カネボウトリビア
城山三郎「役員室午後三時」の主人公のモデルが伊藤氏
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