「不滅」再読
ホントは「存在の耐えられない軽さ」という題名になるはずだった作品。あ、信じてないでしょ、ホントだよ、ミラン・クンデラ自身が作中で語っているもん。これは小説ではありません。小説の顔をしているけれど、こいつはクンデラの長い長い独り言ですな。
今は昔。ファミコン/スーファミ時代のファイナルファンタジーには、ある傾向がありました。それは、
・FF1,3,5… 奇数バージョンはシステム重視
・FF2,4,6… 偶数バージョンはシナリオ重視
という傾向です。クンデラの作品も似てて、
・第1,3,5… 奇数章は短調。小論、省察、エピソード短編の累積
・第2,4,6… 偶数章は長調。長めの物語が連なる
で、全部で7部で構成されています(7部構成はクンデラの特徴。交響曲を意識してる?)
紹介文には「愛」とありますが、テーマは「不滅」です。原題L'IMMORTALITE`は確かに不死とも訳せますが、クンデラ自身が「不死ではない」と言い切ってます。死してなお残るもの。ゲーテやヘミングウェイが出てくるので、「名声」とカンチガイするかもしれませんが、限定されすぎ。なぜなら、小便を我慢しすぎて膀胱を破裂させて死んだ男の話も「不滅」として扱われているから。
仮に「愛」が不滅であるのなら、この本の対象たりえますが、「愛」をどう扱っているかは読んでからのお楽しみ~
この本は脚本化を拒絶しています。映画やドラマに脚色されることが絶対にできないような書き方で書かれた小説(?)です。第7部「祝宴」を映像化すれば映画化できる!と主張する人がいるかもしれない。しかし、この小説(?)の本質をまるで無視したお話ができあがることでしょうな。大団円に向かって収束する物語化をぶった切って、第3部「闘い」で全部をぶちまけ、その前後に枝を伸ばすような軸構成。つくりは違うけれど、この拒絶っぷりは「キャッチ=22」に似てますな。それでも"CATCH-22"は映画化されたような気がする…
ムリヤリでも映像化するなら、ミラン・クンデラ自身をカメラの前に座らせ、語らせるといったドキュメンタリーにするしかありませんな。あ、それだったら面白いかも。勿論アヴェナリウス教授の合いの手も必要。アニェスとローラの話、ゲーテとベッティーナの話、ゲーテとヘミングウェイの話、ゲーテとナポレオンの話。偽ルーベンスの話… おお、インタビュー+フィクション映像(過去/現代/空想)+モノローグを多層的に織り交ぜるとオモシロイものができあがりそう…
- 存在の耐えられない軽さ
- 不滅
- 冗談
- ほんとうの私
以下は自分用の読書メモ。長いぞ。よっぽど興味がない限り、読まないほうが吉…あ、でも切り貼りすればガクセーさんのレポートに使えるかもね(w
「われわれは遺伝子の運び手にすぎない(遺伝子ベクター論)」は、初めて聞いたときは強烈だったが、「われわれは仕草の運び手にすぎない(仕草べクター論)」はもっとスゴい。その人オリジナルの完全なる"仕草"などない。ただそれらを継承しているだけなのだ。
自分を定義しているのは自分の感情(好みと呼んでもよいかも)であり、顔や体は付帯されたものにすぎない。
朝の渋谷駅の顔、顔、顔。自分の歩くラインを狙い定めて、必ず譲ろうとしない人、押しのける手、手じゃない、触れるのもイヤといわんばかりに鞄を押し付けることでどいてもらおうとする。
スピーカーから無意味な情報が最大音量で絶え間なく流れ続ける(曰く忘れ物をするなとか迷惑行為はやめろとか)。まけじと声をはりあげる新人クン同士のやっぱり意味のない会話。
整髪料、ファンデ、香水、シャンプー、満員電車で発泡酒飲んでる奴だれだよ?… つよい匂いは暴力であることを誰も指摘しないのか? 満員電車で大声で携帯で話すのが迷惑なことと同じぐらい、いやそれ以上に、(どんな種類のものであれ)情緒を破壊する匂いをさせているのは悪質な行為でショ。
醜さと喧騒と悪臭は、まるでわたしに挑んでいるかのようだ。
それに憎悪を抱いてはいけない。憎悪という感情は、その対象とわたしを固く結び付けてしまうから。むしろ注意を振り向けるな。わたしとそれとは、(わたしが気にしない限り)なんの関係も持たないのだから。軽い哀れみとともに過ぎ去れ。
人類との非連帯。そう、それが彼女だ。そして彼女をこの超然とした態度からひきはなせるものといえば、ただひとつしかない。具体的な人間にたいする具体的な愛だけしか。もし彼女が本当に誰かを愛しているのであれば、他のひとびとの運命も、彼女にとってどうでもよいことではなくなるだろう。なぜならば、その最愛のひともその運命に左右されるだろうし、その一部分ということになるのだろうから。
政治屋の本質がこの文章でよく分かる。
政治家というものは、なんら憚ることなく、いつも同じことを繰りかえしては長ったらしい演説を弁じているが、公衆が知ることになるのは、ジャーナリストによってそのなかから引用される若干の言葉だけだということを、それでもとにかく知ってはいるのである。ジャーナリストたちの仕事を楽にしたり、彼らをまあすこし操ったりするために、政治家たちはだんだん同じ者になってゆく演説のなかに、それまで一度も口にしたことのない言辞を二つか三つ挿しはさむのだ。
自分を変え続けようとする努力を最も行っているのは、おそらく経営者と呼ばれる人々だろう。なぜなら変わらなきゃ、終わるから。
一方で、反変化に最も注力しているのは、今の政治屋だろう。政治を食い物にしている輩。なぜなら、「変わる=政治生命の終焉」だから。変化取り残されそうになっているグループ。
1.医者
2.教師
3.議員
1.は変わりつつある。2.と3.は「変わらなきゃ」ということにすら、気づいていない。「変わらなきゃ」という意識がある人間は、まだ教員や議員ですらないから。
ワンフレーズ・ポリティクスの危険性、オレのような阿呆が指摘しなきゃならないほど、誰も気づいていないのか? それとも、どっかでさんざん突っ込まれてて、オレだけが気づいていないほど、やっぱり阿呆なのか?
ゲーテやヘミングウェイがいったい何をしたっていうんだ?。本を書いただけじゃないか。それなのに、どうして彼らの人生が(終わった後もくりかえしくりかえし)切り刻まれ、分析され、断言されなきゃならないんだ。ただその作品をふつうに読めよ。テクストだなんてもったいぶった言い方をヤ・メ・ロ。くだらねぇ。
あたかもゲーテという名にトラックバックをぶちこむことで、その名声のおすそ分けをもらわんがためであるかのごとく。ヘミングウェイはもっと直截に告白する…
第十一戒。十戒ではなくって、第十一戒。何が書いてあると思う?それは「汝ウソをつくなかれ」だ。第3部「闘い」の第十一戒はスゴい。ジャーナリストのつもりな人々がこの腐れblogにやってくるけれど、ココ読んでみな(「不滅」は各章が独立して読めます)。
ジャーナリストの力は質問をする権利にもとづくのではなく、答えを強要する権利にもとづくのだ。モーセが十戒のなかに「汝嘘をつくなかれ」を数えいれなかったことに、どうか、注意していただきたい。これは偶然ではない!なぜならば「嘘をつくな」と言う者は、神は他人に答えを強要する権利など誰にたいしても認めなかったにもかかわらず、「嘘をつくな」と言う前に「答えよ」と言わなければならないのだから
人間が人間に対し、「嘘をつくな」「真実を言え」だなんて、よく言えたものよ。神は全知全能であれば、人に対してそんな戒律など不要だろう。だが現代は違う。ジャーナリストにとって、これは第十一番目の戒律として、至善として扱われている… これがルール(司法)に則った場合ならわかるがな(w
イマゴロジー(image+~logyクンデラの造語)の話は興味深い。ハイデガーの排斥運動(「ハイデガーとナチズム」など)は、ハイデガーの著作や思想が下司であると証明されたからではなく、彼の行動を切り刻んで断罪された結果なんだろ。彼の行動云々を叩いた人で、今でも残っている思想家はいるか? 「ハイデガー」にトラックバックをぶちこんだだけじゃねぇのか?
どんなに言説を尽くそうとも、マスコミ受けしやすい一つのイメージ映像で決定される … 米大統領選挙のとき、何をどのように(どんなイントネーションで)しゃべるか?とか、ネクタイの色から靴のはき方までを指導する人々(っつーかコンサルタント会社)があることをわたしは知っている。あるいは国際世論を上手に誘導し、空爆や援助を引き出す人々(っつーかPR企業)があることをわたしは知っている。クンデラは知っているだろうか?
権利。第3部「闘い」の「人権侵害に対する抗議の仕草」が面白い。反応した私の気持ちを文にしてみる。
・好意に対し感謝を求める欲望は、好意に対し感謝を求める権利に
・高速で運転する欲望は、高速で運転する権利に
・夜、爆音をとどろかせる欲望は、夜、爆音をとどろかせる権利に
・ファンデのニオイをさせる欲望は、ファンデのニオイをさせる権利に
・満員電車で発泡酒を飲む欲望は、満員電車で発泡酒を飲む権利に
・投票してないのに政治を語る欲望は、投票してないのに政治を語る権利に
・無条件に「説明」を求める欲望は、無条件に「説明」を求める権利に
・無条件に「非難」する欲望は、無条件に「非難」する権利に
読み替え可能らしいな、最近では(w
- サイダーハウスルール(小説。ジョン・アーヴィング)
- ネクロノミカン(普通の人は観てはいけない)
_| ̄|○
名言「我思う、ゆえに我ありは歯痛を見くびる知識人の言い草である。我感ず、ゆえに我あり」
理由についてのtips。ラテン語「ratio」から出た「理由」(raison,reason,ragione)は、理に適っている(合理的)ことがモトの意味。ドイツ語では原因としての理由はgrund(グルント)といわれる。即ち地面だ
これまでバラバラに語られていた断片が、一筋の奔流となって目的地まで達する。最後まで読むと、やっぱりこれは小説なことがよく分かる。ただし、物語化、脚本化は不可能だけどね(w

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コメント
この[ 不滅 ]は数日前に読み始めました。前からずっと気になっていました。最初のぺージで引き込まれました。そしてこのblogに出会いました。 [リスボンへの夜行列車] P.メルシェ著 と同質の魅力です。
投稿: mistypapa | 2017.02.06 23:06
>>mistypapa さん
ありがとうございます、 『リスボンへの夜行列車』は全く知りませんでした。中年を過ぎて人生をやり直すとするならば……という哲学小説は、ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』を思い出します。手に取ってみますね。
投稿: Dain | 2017.02.11 08:45