老後とは何か?
老いた後は、死だろう? なに誤魔化しているのさ?
「老」というステージングに「後」をくっつけるイヤラシさ。「老」そのものではなく、「その後」に注意を向ける指示語。最近流行りの「オトナの」や「オトコの」形容詞と同じぐらい、実に気持ち悪い日本語だ。「老」は老いだ、ただそれだけのものだ。
「老」にネガティブな意味をつけ、それを避けるために「後」がくっついている、と独解している。 確かに「老醜」「老朽」など、老いさらばえることへのネガティブなイメージは、ある …が、以下の熟語を見てほしい。
まず広辞苑にあたる。
老後
年老いて後。年とって後。「――の楽しみ」
次に漢字源から「老」で面白そうな熟語を引っぱってみる。
- 老頭児(ロートル):老人のこと
- 老人星(ロウジン):星の名前。りゅうこつ座のカノープス。南極老人星
- 老練(ロウレン):経験を積んで、物事になれて巧みなこと。老熟、老巧
- 老成(ロウセイ):年をとって多くの経験を積み、物事に慣れて円熟していること。またそのような人
- 老健(ロウケン):文章がよく練れていて、力強くすぐれていること
- 老将(ロウショウ)、老農(ロウノウ)、老吏(ロウリ):経験を積んで熟達した将軍、農夫、役人
ついでに和英辞典にもあたる。
- (one's) old age
- remaining years
- last days
わざとプラスイメージの言葉を書いたのではない。熟練、練達、円熟… 毎日を真摯に生き抜いた人だけが、経験を積み、ひとかどの境地に至る。漢字の世界では、「老」はポジティブイメージの方が多い。
googleで「老後とは何か」を検索すると良い。そして、その言葉の前後に着目してみる。
満ち足りた老後とは何か
充実した老後とは何か
自立した老後とは何か
健康に生き豊かな老後とは何か
幸せで明るい老後とは何か
これらは '?' を末尾に付け、考察され追及され探求され続ける。まるで、たった今、充実も自立もしていないので、追求し探求するかのように… まるで「今」から目をそむけているかのように。
老人福祉法では、65歳、老人保健法だと70歳以上を対象としているが、児童と同じ。法律が必要とするから年齢を決めているだけ(*注1)。あなたが児童だったとき、児童であることを意識してました? 自分で思い出してみる。あのときも、そして現在も、いまのいましかなかった。いまに言葉のラベルをつけただけ。
「老」は次元や時間をジャンプした先にあるのではない。また、定年や年金受給年齢のように「○○才から先、を"老"とする」かのように定義されているわけでもない。加齢は今、いまの瞬間にも私たちの上で起こっている現象だし、「老」はその延長上にある時間帯だ。
いまのいまから視線を外して「幸せな老後のために」というフレーズを受け入れる。今しあわせじゃないんなら、ローゴも幸せにはならねぇんだよ、気づけよー
無機物が、どれだけ時間が経過したかを図るモノサシとして、「放射線を浴びた量」がある。有機物、有機体なら、「どれだけ酸化したか」がモノサシだ。では「老」は?
それは、自覚したときが「老」なんだろ。
好奇心のアンテナをいっぱいにし、常に自分を新しくしつづけようと頑張っている人は、自覚なんてするヒマ、ないんだろうね。で、自覚するときは、いつか分からない「老後」として理解するのではなく、いまのいま、老いたなぁ~と、老いを「今」として受け入れるんだろうなー
いまを懸命に生きれない奴は、いつになるか分からない「老後」もちゃんと生きれない。これは自分へのメッセージとして、このblogで晒しておく。
*注1:「児童」も法律によって年齢が異なる。6-12歳:学校教育法、18歳未満:児童福祉法
おまけ。同じテーマを違った切り口で書いた文があります。↑の駄文よりももっとずっと分かりよく、腑に落ちます。
- アニメーターの老後……いや末路と言ったほうが正しいかもしれません……ですが、ぶっちゃけた話、「辞める」「死ぬ」「成功」の3つしかないといわれています。老後がどうなるかというより、成功しないと老後はないのです
- 「成功しないレベルの人間には仕事が来なくなる」からに他なりません
- 「初めて出した画集が追悼画集」という話もアニメ業界では冗談ではありません
- 「健康的な生き方をする気がない」ことが、原因として挙げられるのではないでしょうか
- 「老後」とは人生に対する言葉であり、「アニメーターと老後」という組み合わせは、実は成立しません
- よしんばアニメーターとしてどのような結末を迎えようと、人としてどのような老後を迎えるかとは、無関係です
- そういう意味でも一心不乱に技術のみを追求することが老後対策とはとても言い難く、実際にはよい友人を作り、家族を作り、子供を育てることが、豊かな老後を保証することになるのでしょう
アニメーター故に極端なところもありますが、言っていることはどこにでもあてはまります。どう生きるのかを決めるのは、自分。そして決めることができるのは、いまのいまだけ。
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