不具合情報に関する三菱自の意思決定過程
ここでは批判/不信の表明はしない。別のblogへどうぞ。私が気になるのは、不具合が発生したときにどのような意思決定を行ってきたか。私の持つあるべきプロジェクトマネージャの意思決定と、どのような差があるのかに、とても興味がある。以下自分メモ。制限時間45分。よーい、どん !
同社の場合は、
- クレームや事故情報が「商品情報連絡書」として販売店から本社の営業サービス部門へ
- 品質部門で検討
- そこで解決できない問題は、開発部門や生産部門で原因究明や対策を検討
- 設計・製造過程に原因があると思われるときは、品質担当役員をトップとする「リコール検討会」で国土交通省にリコールとして届け出るかどうかを決定する
昔話。リコール隠しを行っていたときの「意思決定過程」として「商品情報連絡書」はこ以下のように扱われていた。
つまり、「商品情報連絡書」は販売会社と営業サービス部とのチャンネルであると同時に、後々「証拠」としても扱われる情報であった。そこではクレーム/不具合のみならず、お客さま要望や提案もいっしょくたに上げられていたのだろうと推測する。即ち、以下の情報の「切り分け」は本社営業サービス部で行われていたのだろう。
- 不具合
- クレーム
- 改善要望・提案
- ゴミ情報(garbage)
これが不具合なら開発/生産部門で「問題として扱うかどうか」を検討しなきゃならないし、クレームや要望だったら「それはクレームや要望であり、問題ではない」証拠とともにお客さま応対をしなければならない。
ここから推測を飛躍させる。
- 「その案件を問題として扱うのか?」を決定する「方法」もしくは「場所」がまずかったのではないか?
- その「方法」や「場所」が前回の騒ぎと今回のトラブルとで変わっていなかったことが原因ではないか?
「それが問題であること」と定義する人の権限が弱かったなら、問題として顕在化させたくないと考える、より権能の高い人から圧力がかかるでしょう。
指示改修とは、リコールの届け出をせずに先行的に改修を実施すること。つまり、「解決されなければならない課題」とは考えているが、問題として直面することで具合の悪い結果(リコール)を招きたくないなぁ… という意識が働いていなかったか?
また「それが問題であること」を定義する人の専門能力が低かったなら、より専門的な知識を持つ開発/製造部門に言葉巧みにやり込められてしまうでしょうな、「それは仕様です」ってね。
社内調査では、そこもキチンと表明している。こんな風に。
前回の騒ぎの教訓で、三菱自がとろうとした行動をレジュメる。ネタ元は上記同様の資料。(好意的に要約していることにご注意)
- 全社員の規約遵守意識を高め、外部への情報開示をよりオープン化する
- 外部の目を含めた監査体制を構築すること
- 品質・サービス関係業務の運営を強化
- 人材強化を図り、決裁権限のあり方を見直す
このリストの最後にオマケのようについていた「人材+決裁権限」こそを真っ先に変えなければならなかったのだ(断定口調だけど推測)。
前回の騒ぎ資料をザッピングすると、「品質 ! ひんしつ ! ヒンシツゥゥ !! 」と、品質向上を頑張る! みたいな表明がたくさん見られる。コレとかコレとか。ヒンシツカイゼンは極めて重要だと思う。しかし、人間がやること、ミスは必ず紛れ込む。それをたたき出すために試験をキチンとする。それでも出荷してしまった後、「商品情報連絡書」という形でフィードバックが帰ってくることもある。それをいつ、だれが、何を根拠に問題とみなすのかについて、充分な手はずが整えられていたのか、が気になる。
11日、国土交通省で開かれた記者会見の場で、ビルフリート・ポート社長は何度も safety first(安全第一) と訴えたらしいが、同じ言葉は4年前繰り返されている。当時の三菱自動車社長、河添克彦氏は「リコール隠しと安全は別問題。我々は安全第一に考えてやってきた」
ザッピングだけで後先考えずに記事だけ立てておく。後に読み返して赤面するかもしれないが、2ちゃんの「ここまで読んだ」じゃなくって、「ここまで考えた」しるしとして、残しておく。
…ここまで書いて、60分。うーん、時間管理できてないなぁ。
この記事は、「2004/3/12朝日新聞時々刻々"安全第一"へ不信再び」を参考に書きました
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