めちゃくちゃ笑えて、すごく楽になる、みうらじゅん・リリーフランキーの対談『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』

腹が痛くなるほど笑って、読み終わったらすごく楽な気分になって、鼻歌なんか歌いつつ風呂に入ってぐっすり眠れた。

心配ごとを抱えている人にお薦め。

「旦那とセックスレスになった」とか「やりがいとは何か?」なんてお題はあるけれど、何か具体的な解決策へ導いてくれるわけじゃない。

みうらじゅんとリリー・フランキーが、下ネタ満載・ダジャレまみれで語り合うのを聞いてると、みるみるうちに気分が晴れてくる。少なくとも読んで笑ってる間は、心配事は消えている。

「人間って腹が減りすぎたり金がなさすぎるとバカになるんですよね」

一番笑ったのが、リリー・フランキーの無職時代。仕事がなくてお金がなくて、本当に困っていたときの話。

水道も電気もガスも全部止まって、昔付き合っていた女の子に電話したことがあるという(その電話代すら友だちに借りたそうな)。

で、ちょっと会おうということになって、女の子に部屋まで来てもらうんだけど、お腹がすいたと言ったら、弁当まで買ってきてくれたという。

オレはその日、弁当が食えたということでもう大満足なんですけど、そのときに、せっかく女が家に来てるのに、ケツを触ろうとか、セックスしようとか、まったく思わないんですよ。

今考えたら無礼な話じゃないですか。でも弁当食えてよかったと思って。帰りに駅まで送っていったら、今でも自分が着てたシャツの色まで覚えてますけど、彼女がオレの黄色いチェックの半袖シャツの胸ポケットに2000 円入れて、すーっと改札を入っていったんですよ。

そのとき、「うわー、前の彼女に来てもらって、弁当食わせてもらって、2000円もらって情けねぇ」って、これが全然そんなふうには思わない(笑)。もう、「2000円もらえて超ラッキー!!」って心のなかでジャンプしてるんです(笑)。これって完全に狂ってる人の 考え方じゃないですか。 恥ずかしいとも何とも思わないんですよ。

貧乏な暮らしがイヤというよりも、「あの感覚」に戻りたくないんだと。昔の彼女に2000円もらって喜んでいる「あの感覚」が怖いというのだ。

すげーな、と思うのが、この「恥ずかしいとも何とも思わないんですよ」という、おそらく人生で一番恥ずかしい体験を淡々と語るところ。公開オナニーを見せられつつ、冷静に実況されているような気分になる。

女の子が何を言ったとか語られてないので、こっちは想像するしかない。けど、頼られて電話してきたのだから、ちょっと何か思うところがあったはずなのに、特に何もない。「すーっと改札を入って」いきながら、彼女が何を考えていたかを考えると、じわじわとくる。

それを、「人間って腹が減りすぎたり金がなさすぎるとバカになるんですよね」と大真面目に振り返っているのが最高に面白い。

人間に繁殖期がないのは女性が嘘をついたから

一方で、ホントかよ!? と思うのが、人間の繁殖期の話。

他の多くの動物とは違い、人間には繁殖期がない、と言われている。言い換えるなら、オールシーズン繁殖期ともいえるし、そもそも繁殖期という時期がないともいえる。

なぜか?

リリー・フランキーは、子育てに手がかかることが理由だという。

もともとは人類、女の人も繁殖期っていうものを自覚してたらしいんですよ。ただ、それがバレてし まうと、その時しか男が戻ってこなくなるから、自分のエサを確保するためにも男をつなぎとめたいって考えるようになったらしいんです。

そのために「いつ子供ができるかわからない」と嘘をつき続けるうちに、繁殖期が本当にわからなくなったんですって。嘘もつき続けていると真実になるっていうのはそういうことですね。

一見、もっともらしいように聞こえるが、ネタの出所は明らかにされていないため、話半分に聞いたほうが良いかも。

昭和の名言の宝庫

こんな感じで、笑える下ネタ、ウンチク、時に刺さるセリフがページを繰るたびに飛びこんでくる。令和の時代に微妙かもしれないが、私は大いに笑わせてもらった。

後で私が楽になるために、ここにいくつか記しておく。M、Lは発言者の略。

  • 男女は具合が大事、「具が合う」ことがすべてかもしんない(M)
  • 「日本人は自尊心が低すぎる」と言われるが、本当に低いのは美意識(M)
  • 美意識さえ持ってれば、プライドはなくていいです(L)
  • 予想できることで、一つだけ当たっているのは、「いずれ死ぬ」っていうことだけだから、とりあえず、それだけを不安に思っておけばいいですよ。しなくていい予想で不安になることが一番のムダだから(L)
  • 人生を(死から)逆算すれば、「不安」よりも「すべきこと」が見えてくるはず(M)
  • でも、死から逆算して今度は焦りが出てくるんですよね。あれもやってない、これもやってないって。死への恐怖より、生きていられる時間が足りないことへの恐怖のほうが大きくなる(L)
  • だったら、最後になんて言って死ぬのかを先に決めておけば、その言葉に合った人生になるんじゃない? 後悔っていうのはもう一回やり直せるかもしれないって思うからするわけで、やり直せないときにするのは後悔とは言わないもん(M)

笑いがクスリだすれば、550円(税別)で買える笑いクスリがこれ。

楽に生きよう。

だって、どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか。

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山田尚子×吉田玲子×高野文子のアニメ「平家物語」の原作・古川日出男訳『平家物語』のここが面白い

2022.1よりアニメ「平家物語」が放送される。

監督は山田尚子、脚本は吉田玲子、キャラクターは高野文子という最強の布陣で、サイエンスSARUが制作するので、期待MAXにして待つ。

主人公であり、物語の語り部である琵琶法師としてアニメオリジナルキャラクターの「びわ」(CV. 悠木碧)を据えました。平清盛(CV. 玄田哲章)の長男・重盛(CV.櫻井孝宏)や、その妹・徳子(CV.早見沙織)をはじめとする平家の人々とびわの交流を軸に、叙事的な史実にとどまらず、時代に翻弄されながらも懸命に生きたひとびとの群像劇としての「平家物語」を展開します。

面白いのは、アニメの底本として、古川日出男訳『平家物語』を採用しているところ。

原作:古川日出男訳『平家物語』

池澤夏樹(編)日本文学全集に収められており、全一巻ものだ。千ページを超えるボリュームだが、古川日出男は、原典に忠実に、自分なりの解釈を入れず、省きも漏れもないように訳したという。

読み始めると目を引くのが、その文体、「語り」になる。

もとは琵琶法師の語りを記したとされている。大勢の話者がいて、続々と挿話が足され、組み込まれ、さらに多くの編者によって文も書き換えられ、継ぎはぎされ、縒り合わされ、物語を豊饒なものにしている。

『平家』は日本の古典の中で最も異本が多いという。さまざまな読まれ方をされてゆくうち、物語が命を得てゆく。ホメロスのように、聖書のように、今でいうなら同人誌のように自己をクローン化し膨らませてゆく。

原典にあたると、はっきりと分かるという。

訳しているうちに、「今、違う人間が加筆した」と書き手が交替したことが皮膚感覚で伝わるらしい。文章の呼吸が変わり、語りの構造も変化する。

複数の語り手が響き合う

こうした、無節操ともいいたくなる膨張っぷりに、ただ一人の書き手として、どう捌くか。古川日出男『平家物語』は、さまざまな「語り手」を用意することで解決する。

すなわち、じつに多くの「語り手」が背後に潜んでいることが、はっきりと分かるように記している。話者の主語を「私」「俺」「僕」「手前」「あたし」と多彩にし、同じ「私」でも複数いる。色やかたちに焦点をあわせ、「でございます」調でしっとりと語る女の声。起きたことを述べるだけで、ぶっきらぼうに「だった」「である」で語る男の声。性別不明で幼子のような声。

ときに間投詞ときに感嘆句を絡めながら、直接こちらに話しかけてくる。文章は一次元なのに、大勢の語り手と向き合っているような気になる。合戦シーンになると、これに琵琶の撥が加わって、一層ざわめきが増してゆく。

「そうか。では今日の軍神への捧げものに、なあ。してやるぞ」と言い、馬を押し並べる。むんずと組みつく。地面に引き落とす。首を捩じ切る。斬る! それから郎等である本田次郎の鞍の取付にこの首をつけ、まさに血祭り、軍神を祝う斬血の祭り!

南無!

南無や、南無や、南無や!

よ!

た! は!

なぁむ!

これらが緒戦、宇治川の、寿永三年一月の合戦の。

さらに、語調と語感を意識した、ラップのような書きっぷり。

調子をつけて音読すると伝わってくる。これ、ぜったい謡いながら訳しているだろ!と言いたくなるような箇所もある。「守護、地頭。守護、地頭。もう時代は変わってしまっておりますよ」と平氏の儚さと源氏の惨さをポリフォニックに嘆くところなんて、音読すると嗚咽に変化する。

細部から引いて、メインストーリーに目を向けると、これまたくっきりと見えてくる。平氏の絶頂から、これを快く思わぬ人々が企んだ鹿ヶ谷の陰謀、さらに後白河法皇と以仁王の蜂起の失敗と、「一線を超えてしまった」驕りカウンターの凄まじさ。

そして、清盛の死をきっかけとする平氏没落の過程と、それを加速させる源氏一族の台頭がある。木曾義仲や源義経の活躍もきちんと描かれるが、主旋律は死んでゆく平氏の人々である。

読むことが体験になる物語

死んでゆく、死んでゆく、前半であれほど楽しみ唄っていた人々が、泣き、嘆き、斬られ、引き裂かれてゆく。裏切りや内通、騙し討ちで命を落とすもの。まっしぐらに敵陣の中で果てるもの。逃げて逃げて逃げた先で捕縛され、恥を晒して斬られるもの。全ての望みを絶たれ入水するもの。

合戦シーンは凄まじい。鎧甲冑に身を固めているため、攻撃の基本は顔である。弓も刀も、顔を狙うため、討たれた方はおぞましい顔貌になる。目を背けたくなる非情さと、親が子を子が親を想う刹那が混在し、その両方に胸を打たれる。

多くの語り手の声は、実は鎮魂のための声なのかもしれぬ。

こうした声・声を、アニメ版では「びわ」役である悠木碧が引き受けるのか……後半は総毛だつような「語り」になるだろう。

読み手(=聴き手)は、その語りを通じて、体験を経験に変えてゆく。古川日出男はナラティブな『平家物語』を目指したのかもしれぬ。

読むことが体験になる、そんな稀有な経験が、古川日出男『平家物語』にある。底本としてはこれ以上ないほど最高のものだ。

アニメ「平家物語」を正座して期待する。

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歯のあるヴァギナ、シンデレラの元ネタ、女体化する杜子春『木馬と石牛』

『木馬と石牛』に、歯のあるヴァギナの話がある。

昔、あるところに娘がいた。たいそう美しいと評判で、年頃になると結婚の申し込みが殺到したという。両親は幾多の男の中から一人を選び、婿に迎え入れる。

ところが、結婚の初夜、婿は帰らぬ人となってしまう。その股間は血まみれになっており、既にこと切れている。彼を埋葬するとき、陰茎が嚙み切られていることが分かる。両親は娘を問い詰め、娘の陰部に歯があることをついに知る。

両親は家の恥辱だとして、娘を朱塗りの箱に閉じ込めて、海に流す。箱は波に漂い遠く離れた海岸に流れ着く。箱を見つけた地元の人が開けようとすると、中から声が聞こえる、「開けないで」と。

好奇心を掻き立てられ、人を集めて無理やり箱を開けてしまう。中から出てきたのは、年頃の麗しい娘。人々は大いに驚き、あれこれ尋ねるが、娘は答えようとしない。どうやら空腹のようなので、皆で食事を共にする。

強い酒を飲んだせいか、娘は前後不覚に眠りこける。男たちはもったいないと思い、娘を犯そうとするが、一人が股間を血まみれにして絶叫したことで、様子が変だということに気づく。試しに竹を差し入れたところ噛み砕かれ、鋭利な歯が並んでいることが分かる。

そこで老婆を呼んで歯を抜きヤスリで削ったところ、契りを結べる体となり、婿をとったという。

ヴァギナ・デンタタ

これはヴァギナ・デンタタ(歯のあるヴァギナ)と呼ばれる民話だ。

世界各地で語られており、様々なバージョンがある。歯のある玉門がしゃべりだしたり、膣内ですり潰されるものもある。また、歯を抜かれた娘が死んでしまうといった展開もある。

Wikipedia「ヴァギナ・デンタタ」によると、見知らぬ女性との性行為の危険性を訴えたり、強姦をすることを戒めるための説話とされている。

あるいは、性交中にペニスを食いちぎられるかもしれないという無意識の恐怖もあるらしい。その心理的背景には、女性器の形が口唇を連想するという見方も紹介されている。

しゃべるヴァギナといえば、久世 光彦『おいしい女たち 飲食男女』に出てくる。一行目からこれだ。

ぼくは、女の人のもう一つの唇が物を言うのを聞いたことがある。ずいぶん昔のことだが、ほんとうの話である―――

食べることと男女の営みを絡めた短篇集で、行為の後、本体の女性が眠りこけた後、もう一つの唇が語り掛けてくる。「色」のメタファーとしての「食」は、口唇で成立しているのかもしれぬ。

抜歯文化との関係性

いっぽう、ペニスを食いちぎるヴァギナ伝説は、膣痙攣じゃないかと考えられる。

行為中に膣が収縮し、挿入されているペニスが抜けなくなる現象だ。ただし、Wikipedia「膣痙攣」では、信憑性に足る症例は公には報告されておらず、都市伝説だとあるので、フィクションの域を出ない推測になる。

興味深いことに、『木馬と石牛』によると、別の根拠が出てくる。

かつて、ある地域では、歯を全部抜き取った口専門の売春婦がいたという。また、結婚適齢期に達した女性が前歯を除去する風習があることから、ヴァギナ・デンタタは oral coitus がベースとなっているのではないかという仮説だ。

著者は、抜歯風習が広まっていた地域と、ヴァギナ・デンタタの説話が語られていた地域の重なりを検証し、説話の複数のバージョンを比較考証をする。まず、結婚準備としての抜歯風習があり、その一つの説明として oral coitus が生まれ、それが潤色されてヴァギナ・デンタタになったというのだ。

著者の憶測がどこまで妥当かは分からないが、説話の様々なバージョンが重なり合っていく解説は大変面白い。

トロイの木馬と、古代中国の石牛

『木馬と石牛』は、東西の説話や伝承を自在に比較考証する。

人類学や民族学、考古学、解剖学、言語学など広範にわたっており、著者の知識の深さをうかがい知ることができる。これらはほんの一例なり。

  • ギリシャ神話のトロイの木馬と、古代中国の石牛を贈る話の共通点。贈られた石牛を運ぶため道路を整備させ、敵国への侵入を容易にした
  • 芥川龍之介『杜子春』の元となった中国の説話で杜子春は女体化して子も産む。
  • シンデレラの物語はペローのが有名だが、元は唐代の中国にある。願いを叶えるのは魔法使いのお婆さんではなく、死んだ魚の骨であり、娘はガラスではなく黄金の靴を履く
  • ヤマトタケルとオイディプス王の各伝説の共通点から、互いにエピソードを交換しあったという仮説
  • 体臭を好ましい「匂い」とする西洋文学 v.s. 「臭い」とする東洋文学
  • なぜオナニーのことを「せんずり」と呼び、漢字は「垰」なのか

話の宝庫としてお薦め。

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世界史をやり直したら、自分の時代錯誤に気づいた

山川出版『詳説世界史B』『詳説世界史研究』を全読したら、得るものが大きかった。

まず、自分の歴史認識が古いこと。

学校で習った「歴史」は、石油危機と東西冷戦のあたりで終わっている。そして当然、私が生きているあいだも歴史は書かれていく。

しかし、私はそれらを「ニュース」として知る。

メディアやネットを通じた出来事として接する。大きな事件や紛争の報道には、そこに至る経緯も解説されるが、それだけだ。私は少し心を痛め、赤十字に募金し、次のニュースを見る。ニュースは上書きされ、私の関心や、日本との関わりが遠いほど速やかに流されてゆく。

食糧問題は解決した?

例えば、飢餓人口について。

どこかで「飢えに苦しむ人は大幅に減少している」と耳にしたことがあった。食糧問題や貧困は大きく解消に向かっているという主張だったと記憶している。

しかし、サハラ以南ではここ半世紀一貫して増加していることを知った(下図参照)。また、世界全体から見ても、2014年を境に増加に転じていることが分かった(※1)。そうあって欲しいと思う願いから、食糧問題は解消されたと信じ込んでいたのだ。

Sekaisi

詳説世界史B p.417より

「戦争」は減っている?

あるいは、各地の紛争について。

ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終結してから、大きな戦争は起きておらず、テロリズムの脅威はあるものの、比較的平和な時代だと考えていた。

しかし、これまでの国家間の通常戦とは異なる性格の紛争が増大していることが分かった。

『詳説世界史研究』では大きく5つの分類に分けている。

  1. 国民国家体制の再編要求:スリランカ、西アジアのクルド人、パレスチナ問題、北アイルランド問題
  2. アフリカ新興国の分裂と主導権抗争:モザンビークの反政府組織、アンゴラのアパルトヘイト、ソマリア、ルワンダ内戦
  3. ソ連邦解体により生まれた領域設定の争い:アゼルバイジャン紛争、チェチェン、ボスニア=ヘルツェゴビナ軍事介入
  4. 経済構造の多極化に伴う権益争い:石油利権をめぐるアメリカとベネズエラ紛争
  5. イラン革命以降の宗教的覚醒:911同時多発テロ、対テロ戦争、アフガニスタン紛争

どれも辿ってゆくと、植民地問題や帝国主義、第二次大戦からの負の遺産であることが分かる。そして、いわゆる私が理解している「戦争」とはずれている。

一元的な統治体制を有する国家どうしが、宣戦を布告し、武力で問題を解決することを「戦争」と呼ぶのであれば、上記のほとんどは当たらない。代わりに、内乱、紛争、武力介入、軍事制圧になる。

血が流れ、住むところは破壊され、難民は増大しているにもかかわらず、単に呼び名が戦争でないから、私は、「比較的平和」などと能天気なことを言っているのだ。この時代錯誤を改めなければならない。

具体的には、地域や宗派、民族や言語が掲げられたニュースが、歴史の中でどのように位置付けられていくのかを、定期的にアップデートしていく必要がある。

歴史的な「常識」がアップデートされていることも知った。

1871年パリ=コミューンの新解釈

例えば、パリ=コミューンについて。

労働者階級によるパリの革命政権だ。政府軍による凄惨な市街戦により制圧されたが、理想的な民衆自治体制だったとある。

だが、最近の研究によると、「民衆による社会主義」という高評価は、マルクス主義者によって強調されたコミューン像だという。現在ではかなり修正されており、労働者や下層階級の不満の蓄積や、普仏戦争で屈辱的な条件を受け入れたことへの愛国的反発、耐乏生活への抗議が絡み合った特殊な状況から生み出された暴動だったと見なされている(※2)。

焚書坑儒は無かった?

始皇帝が焚書坑儒を行ったのはあまりにも有名だ。

古代中国、秦の時代に起きたことで、焚書は「書を燃やす」ことで、坑儒は「儒者を生き埋めにする」ことを意味する思想弾圧だ。

ところが、実際のところ「焚書坑儒」ではなかったと主張する研究者が出てきている。確かに始皇帝は書物を焼いて思想を弾圧し、自分に逆らう人間を虐殺したという。だが、弾圧されたのは儒者では無かったというのである。

根拠は『史記』に求められる。紀元前の前漢の時代、司馬遷の手で編纂された歴史書だ。そこでは、「詩書を焚(や)いて、術士を坑(あなうめ)にした」という記述になっている。この「術士」とは、不老不死の術を騙って始皇帝から莫大な金をだまし取った方士と呼ばれる人を指すという。

では「儒者」は? 『漢書』にその記載がある。紀元後の後漢の時代になる。そこでは、「詩書を燔(や)いて、儒士を坑(あなうめ)にした」と記述が書き換えられている。

なぜか?

本来、始皇帝は儒教という特定の思想を弾圧するのではなく、固有の文化や思想を捨て、皇帝の定めた法に従わせることを目的としたという。しかし、後に儒家の権威が確立すると、この事件は凶悪な皇帝から弾圧された儒家の受難の歴史として改変されたというのだ(※3)。

『史記』と『漢書』のどちらが正しいかどうかというより、それぞれ相違があり、解釈が更新されているのだ。

世界史を定期更新する

世界史とは、「これで決定版」というものは存在しない。

日々のニュースがどんどん歴史に重なっていく。その上で、今までの世界史の中でどのように位置付けられていくかによって、歴史認識そのものがアップデートされていくのだ。

「食糧問題が解決してほしい」「世界が平和であってほしい」と願い、少しでもそれに貢献しようと試みることは大切だ。だが、願望と現実は異なる。願いでもって、認識を歪めることは避けねばならない。

『詳説世界史』と『詳説世界史研究』は、私の時代錯誤を気づかせ、定期更新が必要なことを教えてくれた。改版のタイミングで、再読していこう。

※1 世界の食料安全保障と栄養の現状2020年(PDFファイル)
http://www.fao.org/3/ca9699ja/ca9699ja.pdf

※2 『詳説世界史研究』 p.339 フランス第二帝政と第三共和政

※3 『詳説世界史研究』 p.94 焚書坑儒


読書案内

自分メモ。『詳説世界史研究』巻末の読書案内で紹介されている書籍は下記の通り。歴史研究に携わる人が選んだ、信頼できる書籍と言える。

また、『興亡の世界史』『市民のための世界史』や、ジョルジョ・ヴァザーリ、川北稔、杉山正明の著作は、私の経験上、面白さも折り紙付き。

通史のシリーズ

『世界の歴史』 全30巻 (中公文庫) 中央公論新社、2008-10

『興亡の世界史』 全21巻 (講談社学術文庫) 講談社 2016-19

『新版世界各国史』 全28巻 山川出版社 1998-2009

『世界歴史大系』(イギリス史, アメリカ史, ロシア史,フランス史,ドイツ史, 中国史 スペイン史,南アジア史. 朝鮮史 , タイ史) 山川出版社 1990-刊行中

『中国の歴史』 全12巻 講談社 2004-05

『中国と東部ユーラシアの歴史』 佐川英治・杉山清彦 放送大学教育振興会 2020

『岩波講座東南アジア史』 全10巻 岩波書店 2001-03

『ヨーロッパ史入門』 全17巻 岩波書店 2004-09

『ドイツ史10講』坂井榮八郎 (岩波新書) 岩波書店 2003

『フランス史10講』 柴田三千雄 岩波書店 2006

『イギリス史10講』 近藤和彦 (岩波新書) 岩波書店 2013

『新しく学ぶ西洋の歴史―――アジアから考える』 南塚信吾・秋田茂 高澤紀恵 責任編集 ミネルヴァ書 2016

『世界史20講―――史料から考える』 歴史学研究会 編 岩波書店 2014

『市民のための世界史』 大阪大学歴史教育研究会 編 大阪大学出版会2014

『歴史を読み替える ジェンダーから見た世界史』 三成美保 姫岡とし子 小浜正子編 大月書店

『アメリカ史研究入門』 (他にイギリス史, フランス史, ドイツ史, 中国史, 中央ユーラシア史) 山川出版社 1991-2018

『世界史史料』全12巻 歴史学研究会 編 岩波書店 2006-13

 『人類がたどってきた道 "文化の多様化”の起源を探る』海部陽介 (NHKブックス) 日本放送出版協2005

第 1 章 オリエントと地中海世界

伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退』 (講談社学術文庫) 講談社 2004 桜井万里子 橋場弦編 『古代オリンピック』 (岩波新書) 岩波書店 2004

橋場弦 『民主主義の源流古代アテネの実験』 (講談社学術文庫) 講談社 2016

平山郁夫シルクロード美術館 古代オリエント博物館編 『メソポタミア文明の光芒 一楔形文字が語る王と神々の世界』 山川出版社 2011

前田徹 他編 『歴史学の現在 古代オリエント』 山川出版社 2000

南川高志 『ローマ五賢帝――『輝ける世紀』 の虚像と実像』(講談社学術文庫) 講談社 2014 本村凌二・中村るい 『古代地中海世界の歴史』 (ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2012

弓削達 『ローマはなぜ滅んだか』 (講談社現代新書) 講談社 1989

第2章 アジア・アメリカの古代文明

青山和夫『古代メソアメリカ文明 マヤ・テオティワカン・アステカ』 (講談社選書メチエ) 講談社2007

青山和夫 『マヤ文明- 一密林に栄えた石器文化』 (岩波新書) 岩波書店 2012 石井米雄・桜井由躬雄 『東南アジア世界の形成』 (ビジュアル版〉 世界の歴史) 講談社 1989 石澤良昭 「アンコール 王たちの物語 碑文・発掘成果から読み解く』(NHKブックス) 日本放送出版協会 2005

青山和夫 『マヤ文明を知る事典』東京堂出版 2015

岡村秀典『夏王朝中国文明の原像』 (講談社学術文庫) 講談社 2007

佐藤信弥『周理想化された古代王朝』(中公新書) 中央公論新社 2016

関雄二・青山和夫 『岩波 アメリカ大陸古代文明事典』 岩波書店 2005

鶴間和幸『人間 ・ 始皇帝』 (岩波新書) 岩波書店 2015 

西嶋定生『秦漢帝国』 (講談社学術文庫) 講談社 1997 

平勢隆郎 『よみがえる文字と呪術の帝国- 古代殷周王朝の素顔』 (中公新書) 中央公論新社 2001 

籾山明「漢帝国と辺境社会 長城の風景』 (中公新書) 中央公論新社 1999 

山崎元一 『アショーカ王とその時代インド古代史の展開とアショーカ王』春秋社 1982

冨谷至『木簡・竹簡の語る中国古代 書記の文化史』(増補新版) (世界歴史選書) 岩波書店 2014

桃木至朗 『歴史世界としての東南アジア』(世界史リブレット) 山川出版社 1996

第3章 内陸アジア世界・東アジア世界の形成

荒川正晴 『オアシス国家とキャラヴァン交易』(世界史リブレット) 山川出版社 2003 

石井仁 『魏の武帝 曹操 正邪を超越した史上屈指の英傑』(新人物文庫) 新人物往来社 2013 

石見清裕 『唐代の国際関係』 世界史リブレット) 山川出版社 2009 

氣賀澤保規『則天武后』(講談社学術文庫) 講談社 2016 

沢田勲 『冒頓単于- 匈奴遊牧国家の創設者』 (世界史リブレット人) 山川出版社 2015 

城田俊 『ことばの道―もう一つのシルクロード』 大修館書店 1987 

妹尾達彦 『長安の都市計画』 (講談社選書メチエ) 講談社 2001 

谷川道雄 『隋唐世界帝国の形成』 (講談社学術文庫) 講談社 2008 

林俊雄 『遊牧国家の誕生』(世界史リブレット) 山川出版社 2009 

古松崇志 『草原の制覇 大モンゴルまで』 (シリーズ中国の歴史 ③ 岩波新書) 岩波書店 2020

三崎良章 『五胡十六国 中国史上の民族大移動』 (新訂版) (東方選書) 東方書店 2012 

森部豊『安禄山 — 『安史の乱』 を起こしたソグド人』 (世界史リブレット人) 山川出版社 2013 

李成市 『東アジア文化圏の形成』(世界史リブレット) 山川出版社 2000

第4章 イスラーム世界の形成と発展

私市正年 『サハラが結ぶ南北交流』 (世界史リブレット) 山川出版社 2004 

小杉泰 『イスラーム帝国のジハード』 (講談社学術文庫) 講談社 2016

後藤明 『ビジュアル版 イスラーム歴史物語』 講談社 2001

後藤明 『ムハンマド時代のアラブ社会』(世界史リブレット) 山川出版社 2012

佐藤次高 『イスラームの生活と技術』 (世界史リブレット) 山川出版社 1999

佐藤次高 『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』(新装版) 東京大学出版会 2013

佐藤次高 『イスラームの歴史 1-イスラームの創始と展開』 (宗教の世界史) 山川出版社 2010

佐藤次高鈴木薫編『都市の文明イスラーム』 (新書イスラームの世界史 講談社現代新書) 講談社 1993

清水和裕『 イスラーム史のなかの奴隷』 (世界史リブレット) 山川出版社 2015 

高野大輔 『マンスール イスラーム帝国の創建者』 (世界史リブレット人) 山川出版社 2014 

高山博『ヨーロッパとイスラーム世界』(世界史リブレット) 山川出版社 2007

東長靖 『イスラームのとらえ方』 (世界史リブレット) 山川出版社 1996 

中村廣治郎『イスラム―思想と歴史』 (新装版) 東京大学出版会 2012 

フィンドリー, 濱田正美『中央アジアのイスラーム』(世界史リブレット) 山川出版社 2008

カーター V (小松久男監訳佐々木神訳) 『テュルクの歴史 古代から近現代まで 明石書店 2017

ホーラーニー, アルバート (湯川武監訳・阿久津正和訳) 『アラブの人々の歴史』 第三書館 2003 

三浦徹 「イスラームの都市世界』 (世界史リブレット) 山川出版社 1997

三浦徹編 『イスラーム世界の歴史的展開』 放送大学教育振興会 2011 

森本一夫編著 『ベルシア語が結んだ世界 もうひとつのユーラシア史」 (スラブ・ユーラシア) 北海道大学出版会 2009

宮本正興 松田素二編 『新書アフリカ史』 (改訂新版) (講談社現代新書) 講談社 2018 

家島彦一 『イブン・バットゥータの世界大旅行 14世紀イスラームの時空を生きる』 (平凡社新書) 平凡社 2003

家島彦一 『イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータイスラーム世界の交通と旅】 (世界史リブレッ 人) 山川出版社 2013

山根聡 『4億の少数派 南アジアのイスラーム』 (イスラームを知る) 山川出版社 2011

第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展

阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男伝説とその世界』 (ちくま文庫) 筑摩書房 2013 

伊東俊太郎『12世紀ルネサンス』 (講談社学術文庫) 講談社 2006

越宏一『ヨーロッパ中世美術講義』(岩波セミナーブックス) 岩波書店 2001

佐藤彰一 『中世世界とは何か』 (ヨーロッパの中世) 岩波書店 2008

高山博「中世シチリア王国』(講談社現代新書) 講談社 1999

中谷功治 『ビザンツ帝国千年の興亡と皇帝たち』 (中公新書) 中央公論社 2020 

根津由喜夫 『ビザンツの国家と社会』 (世界史リブレット) 山川出版社 2008

ブラウン,ピーター (後藤篤子 訳) 『古代から中世へ』(山川レクチャーズ) 山川出版社 2006 ホイジンガ, ヨハン (堀越孝一訳) 『中世の秋』 上下 (中公文庫) 中央公論社 1976

第6章 内陸アジア世界・東アジア世界の展開

伊原弘 編『「清明上河図」を読む』 勉誠出版 2003 

島田慶次 『朱子学と陽明学』(岩波新書) 岩波書店 1967

島田正郎 『契丹国 遊牧の民キタイの王朝』 (東方選書) 東方書店 1993

白石典之 『モンゴル帝国誕生』 (講談社選書メチエ) 講談社 2017

杉山正明 『大モンゴルの世界陸と海の巨大帝国』 (角川選書) 角川書店 1992 

杉山正明 『クビライの挑戦 モンゴル世界帝国への道』(朝日選書) 朝日新聞社1995

杉山正明 『モンゴル帝国の興亡』 上下 (講談社現代新書) 講談社 1996 

杉山正明 『世界史を変貌させたモンゴル時代史のデッサン』(角川選書) 角川書店 2000

冨谷至・森田憲司 編 『概説中国史 〈下〉 近世 近現代』 昭和堂 2016

内藤湖南 『中国近世史』(岩波文庫) 岩波書店 2015

平田茂樹『科挙と官僚制』 (世界史リブレット) 山川出版社 1997 

藤井譲治、杉山正明 金田章裕編『大地の肖像 絵図 地図が語る世界』 京都大学学術出版会2007

野英二 堀川徹 編著 中央アジアの歴史・社会・文化』 放送大学教育振興会 2004 

宮崎市定『科挙 中国の試験地獄』 (中公文庫) 中央公論社 1984

護雅夫 『古代遊牧帝国』 (中公新書) 中央公論社 1976

家島彦一 『イスラーム・ネットワークの展開』 (池端雪浦 他編『岩波講座東南アジア史 3 東南アジア近世の成立』) 岩波書店 2001

第7章 アジア諸地域の繁栄

生田滋 『大航海時代とモルッカ諸島 ポルトガル, スペイン, テルナテ王国と丁子貿易』 (中公新書) 中央公論新社 1998

石橋崇雄 『大清帝国への道』 (講談社学術文庫) 講談社 2011

小笠原弘幸 『オスマン帝国 一繁栄と衰亡の600年史』(中公新書) 中央公論新社 2018

岡田英弘編『清朝とは何か』 (別冊 「環』) 藤原書店 2009 岸本美緒 『東アジアの 『近世』(世界史リブレット) 山川出版社 1998

久保一之 『ティムール 草原とオアシスの覇者』 (世界史リブレット入) 山川出版社 2014 

クラヴィホ, ルイ・ゴンザレスデ(山田信夫訳) 『チムール帝国紀行』 桃源社 1979

小谷江之 『インドの中世社会 村 ・ カースト・領主』 岩波書店 1989

小谷汪之 『不可触民とカースト制度の歴史』明石書店 1996

鈴木董 『オスマン帝国 イスラム世界の 『柔らかい専制』』 (講談社現代新書) 講談社 1992

鈴木董編 『バクス イスラミカの世紀』 (新書イスラームの世界史 講談社現代新書) 講談社1993

檀上寛 『明の太祖 朱元璋』 (中国歴史人物選) 白帝社 1994

檀上寛『永楽帝 華夷秩序の完成』 (講談社学術文庫) 講談社 2012 

チャンドラ, サティーシュ (小名康之・長島弘 ) 『中世インドの歴史』 山川出版社 1999 

長谷部史彦 『オスマン帝国治下のアラブ社会』 世界史リブレット) 山川出版社 2017 

バーブル・ナーマ (間野英二 訳注) 『バーブル・ナーマームガル帝国創設者の回想録』 全3巻 (東洋文庫)2014-15

林佳世子『オスマン帝国の時代』 (世界史リブレット) 山川出版社 1997

弘末雅士 『東南アジアの建国神話』 (世界史リブレット) 山川出版社 2003 間野英二 『バーブルームガル帝国の創設者』 世界史リブレット入) 山川出版社 2013

宮崎市定『雍正帝 中国の独裁君主』 (中公文庫) 中央公論社 1996

村井章介 『中世倭人伝』 (岩波新書) 岩波書店 1993

第8章 近世ヨーロッパ世界の形成

ヴァザーリ、ジョルジョ(平川祐弘他訳)『芸術家列伝』 全3巻(白水ブックス) 白水社 2011 ガレン、エウジェニオ(澤井繁男 訳) 『ルネサンス文化史 ある史的肖像』(平凡社ライブラリー)平凡社2011

川北稔 『洒落者たちのイギリス史 一騎士の国から紳士の国へ』 (平凡社ライブラリー) 平凡社 1993

川北稔 『砂糖の世界史』 (岩波ジュニア新書) 岩波書店 1996

小泉徹 『宗教改革とその時代』 (世界史リブレット) 山川出版社1996

鈴木直志 『ヨーロッパの傭兵』 (世界史リブレット) 山川出版社 2003

別枝達夫 『海事史の舞台  ―女王・海賊・香料』 みすず書房 1979

ポメランツ, K (川北稔 監訳) 大分岐—中国, ヨーロッパ, そして近代世界経済の形成』 名古屋大学出版会 2015

森田安一 『図説 宗教改革』 (ふくろうの本) 河出書房新社 2010

第9章 近世ヨーロッパ世界の展開

浅田實 『東インド会社 巨大商業資本の盛衰』(講談社現代新書) 講談社 1989

岩井淳 『千年王国を夢みた革命 17世紀英米のピューリタン』 (講談社選書メチエ) 講談社1995 

川北稔 『民衆の大英帝国近世イギリス社会とアメリカ移民』 (岩波現代文庫 岩波書店 2008 近藤和彦 『民のモラルーホーガースと18世紀イギリス』 (ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2014 高澤紀恵 『主権国家体制の成立』 (世界史リブレット) 山川出版社 1997

玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生 オランダからイギリスへ』 (講談社選書メチエ) 講談社 2009

角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』 (中公新書) 中央公論社 1980

長谷川輝夫『図説 ブルボン王朝』 (ふくろうの本) 河出書房新社 2014

山之内克子 『啓蒙都市ウィーン』 (世界史リブレット) 山川出版社 2003

弓削尚子 『啓蒙の世紀と文明観』(世界史リブレット) 山川出版社 2004

第10章 近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立

エンゲルス, フリードリヒ (一條和生 杉山忠平記) 『イギリスにおける労働者階級の状態 19世紀 のロンドンとマンチェスター』上下(岩波文庫) 岩波書店 1990

小松春雄『評伝 トマス・ペイン』 中央大学出版部 1986 

ジン, ハワード (富田虎男 他訳) 『民衆のアメリカ史 1492年から現代まで上(世界歴史叢書) 明石書店2005

遅塚忠躬 『フランス革命 歴史における劇薬』 (岩波ジュニア新書) 岩波書店 1997 

トクヴィル, アレクシ・ド (小山勉訳) 『旧体制と大革命』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 1998

長谷川貴彦 『産業革命』 世界史リブレット) 山川出版社 2012 

ホブズボーム, エリック (安川悦子・水田洋訳) 『市民革命と産業革命 二重革命の時代』岩波書店1968

松浦義弘 『フランス革命の社会史』 (世界史リブレット) 山川出版社 1997 

油井大三郎 『好戦の共和国アメリカ戦争の記憶をたどる』(岩波新書) 岩波書店 2008 

吉岡昭彦 『インドとイギリス』 岩波書店 1975

リグリィ, エドワード A (近藤正臣 訳) 『エネルギーと産業革命 連続性・偶然・変化』 同文館出版1991

第11章 欧米における近代国民国家の発展

大内宏一『ビスマルク』 (世界史リブレット人) 山川出版社 2013

木村靖二・近藤和彦『近現代ヨーロッパ史』 (地域文化研究) 放送大学教育振興会 2006 

喜安朗『バリの翌月曜日 -19世紀都市騒乱の舞台裏』 (岩波現代文庫) 岩波書店 2008 

柴田三千雄 『バリ・コミューン』 (中公新書) 中央公論社 1973

ダグラス, フレデリック (岡田誠一 訳) 『数奇なる奴隷の半生 フレデリック・ダグラス自伝』(りぶらりあ選書) 法政大学出版局 1993

谷川稔『国民国家とナショナリズム』 (世界史リブレット) 山川出版社 1999

谷川稔 『十字架と三色旗 近代フランスにおける政教分離』 (岩波現代文庫) 岩波書店2015

中野隆生 『プラーグ街の住民たち』(歴史のフロンティア) 山川出版社 1999

浜忠雄 『ハイチ革命とフランス革命』 北海道大学図書刊行会 1999

ヒル フェデリコ・G (村江四郎 他訳) 『ラテン・アメリカ その政治と社会』 東京大学出版会

フォーゲル、ロバート・W / エンガーマン, スタンリー・L (田口芳弘他訳) 『苦難のとき――アメリカ・ニグロ奴隷制の経済学』 創文社 1981 

ベラー スティーヴン (坂井榮八郎 監訳, 川瀬美保 訳) 『フランツ・ヨーゼフとハプスブルク帝国』(人間) 科学叢書) 万水書房 2001

松宮秀治『文明と文化の思想』白水社 2014

マルクス・カール 『ルイ・ボナパルトのプリュメール18日 』 (平凡社ライブラリー) 平凡社 2008 

良知力『向う岸からの世界史 一つの四八年革命史論』 (ちくま学芸文庫) 筑摩書房 1993 

良知力 『青きドナウの乱痴気 ウィーン1848年』 (平凡社ライブラリー) 平凡社 1993

ローウィック, GP (西川進 訳) 『日没から夜明けまで アメリカ黒人奴隷制の社会史』 (刀水歴史全書) 刀水書房 1986

第12章 アジア諸地域の動揺

新井政美 『トルコ近現代史 イスラム国家から国民国家へ』 みすず書房 2001 

飯塚正人 『現代イスラーム思想の源流』 (世界史リブレット) 山川出版社 2008

岡本隆司 『李鴻章 東アジアの近代』 (岩波新書) 岩波書店 2011

小倉貞男『物語ヴェトナムの歴史一億人国家のダイナミズム』(中公新書) 中央公論社 1997

柿崎一郎 『物語タイの歴史- 一微笑みの国の真実』(中公新書) 中央公論新社 2007 

加藤博「イスラーム世界の危機と改革』 (世界史リブレット) 山川出版社 1997 

加藤博 『ムハンマド・アリー 近代エジプトを築いた開明的君主』 (世界史リブレット人) 山川出版社2013

菊池秀明 『太平天国にみる異文化受容』 (世界史リブレット) 山川出版社 2003 

斎藤照子 『東南アジアの農村社会』(世界史リブレット) 山川出版社 2008 

坂本勉 鈴木董編 『イスラーム復興はなるか』 (講談社現代新書) 講談社 1993 

白石隆 『海の帝国 アジアをどう考えるか』 (中公新書) 中央公論新社 2000

鈴木静夫 『物語フィリピンの歴史―『盗まれた楽園』 と抵抗の500年』(中公新書) 中央公論社 1997 

チャンドラ, ビパン (栗屋利江 訳) 『近代インドの歴史』 山川出版社 2001 

永積昭 『オランダ東インド会社』(講談社学術文庫) 講談社 2000 

吉澤誠一郎『清朝と近代世界—19世紀』 (シリーズ中国近現代史 岩波新書) 岩波書店 2010

第13章 帝国主義とアジアの民族運動

アリギ, ジョヴァンニ (土佐弘之 監訳)『長い20世紀 資本, 権力, そして現代の系譜』 作品社2009

池端雪浦 『フィリピン革命とカトリシズム』 勁草書房 1987 

今井昭夫 『ファン・ボイ・チャウー民族独立を追い求めた開明的志士』 (世界史リブレット人) 山川出版2019

岡本隆司『世凱 現代中国の出発』(岩波新書 岩波書店 2015 

川島真 『近代国家への模索―1894-1925』 (シリーズ中国近現代史 岩波新書) 岩波書店 2010

木畑洋一『二〇世紀の歴史』 (岩波新書) 岩波書店 2014

小松久男 『近代中央アジアの群像 革命の世代の軌跡』 (世界史リブレット人) 山川出版社 2018 

坂元ひろ子 『中国近代の思想文化史』(岩波新書) 岩波書店 2016

白石昌也 「ベトナム民族運動と日本 アジアーファン・ボイ・チャウの革命思想と対外認識』 南堂書店 1993

永積昭 『インドネシア民族意識の形成』 歴史学選書) 東京大学出版会 1980 

深町英夫 『孫文一 近代化の岐路』 (岩波新書) 岩波書店 2016 

福井憲彦 『世紀末とベル・エポックの文化』 (世界史リブレット) 山川出版社 1999 

松本弘 『ムハンマド・アブドゥフイスラームの改革者』 (世界史リブレット人) 山川出版社 2016

山田朗 「世界史の中の日露戦争』 (戦争の日本史) 吉川弘文館 2009

第14章 二つの世界大戦

池田嘉郎 『ロシア革命 一破局の8か月』(岩波新書) 岩波書店 2017

石井規衛 『文明としてのソ連 初期現代の終焉』 (歴史のフロンティア) 山川出版社 1995 

石川禎浩 『革命とナショナリズム -1925-1945』 (シリーズ中国近現代史 岩波新書) 岩波書店2010

石田勇治 『ヒトラーとナチドイツ』 (講談社現代新書) 講談社 2015

木村靖二 『第一次世界大戦』 (ちくま新書) 筑摩書房 2014 

木村靖二 『二つの世界大戦』 世界史リブレット) 山川出版社 1996

グハ ラーマチャンドラ (佐藤宏 訳) 『インド現代史 1947-2007』 (世界歴史叢書) 明石書店2012 

小杉泰編 『イスラームの歴史2 イスラームの拡大と変容』 (宗教の世界史) 山川出版社 2010 小松久男 『激動の中のイスラーム 中央アジア近現代史』 イスラームを知る) 山川出版社 2014

シヴェルブシュ, ヴォルフガング (小野清美 原田一美 訳) 『三つの新体制 ファシズム ナチズム、ニューディール』 名古屋大学出版会 2015

篠原初枝 『国際連盟 ―世界平和への夢と挫折』 (中公新書) 中央公論新社 2010 

芝健介 『ホロコーストナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』(中公新書) 中央公論新社2008

趙景達『植民地朝鮮と日本』 (岩波新書) 岩波書店 2013

土屋健治 『インドネシア思想の系譜』 勁草書房 1994

富田健次 『ホメイニーイラン革命の祖』 (世界史リブレット入) 山川出版社 2014

内藤雅雄 『ガンディー 現代インド社会との対話 同時代人に見るその思想・運動の衝撃』 (世界歴史 叢書) 明石書店 2017

中嶋毅 『スターリン超大国ソ連の独裁者』 (世界史リブレット人) 山川出版社 2017 

根本敬 『アウン・サン 封印された独立ビルマの夢』 現代アジアの肖像) 岩波書店 1996

林忠行 『中欧の分裂と統合 マサリクとチェコスロヴァキア建国 (中公新書) 中央公論社 1993

早瀬晋三 『未完のフィリピン革命と植民地化』 (世界史リブレット) 山川出版社 2009

古田元夫 『ホー・チ・ミン 民族解放とドイモイ』 現代アジアの肖像) 岩波書店 1996

マゾワー, マーク (中田瑞穂 網谷龍介 訳) 『暗黒の大陸ヨーロッパの20世紀』 未来社 2015

マゾワー, マーク (井上廣美訳) 『バルカン 『ヨーロッパの火薬庫』の歴史』(中公新書) 中央公論新社2017 

村嶋英治 『ピブーン 独立タイ王国の立憲革命』(現代アジアの肖像) 岩波書店 1996 

山室信一 『複合戦争と総力戦の断層 日本にとっての第一次世界大戦』 (レクチャー第一次世界大戦を考える)人文書院 2011 

横手慎二『スターリン 『非道の独裁者』 の実像』 (中公新書) 中央公論新社 2014 

和田春樹 『歴史としての社会主義』(岩波新書) 岩波書店 1992 

和田春樹 『レーニン――二十世紀共産主義運動の父』 (世界史リブレット入) 山川出版社 2017

第15章 冷戦と第三世界の独立

池田美佐子 『ナセル アラブ民族主義の隆盛と終焉』 (世界史リブレッド人) 山川出版社 2016 

岩崎育夫 『入門東南アジア近現代史』 (講談社現代新書) 講談社 2017

ウェスタッド、オッド・A(佐々木雄太・小川浩之 他訳) 『グローバル冷戦史—第三世界への介入と現代世界の形成』 名古屋大学出版会 2010 

絵所 秀紀 『離陸したインド経済 開発の軌跡と展望』 シリーズ現代経済学) ミネルヴァ書房 2008 

遠藤乾編 『ヨーロッパ統合史』 (増補版) 名古屋大学出版会 2014

小倉貞男 『ドキュメント ヴェトナム戦争全史』 岩波書店 1992

ガードナー,リチャード・N (村野孝・加瀬正一 訳)』 『国際通貨体制成立史』上下 東洋経済新報社 1973

久保亨 『社会主義への挑戦 1945-1971』 (シリーズ中国近現代史 岩波新書) 岩波書店 2011 

倉沢愛子 『『大東亜』戦争を知っていますか』 (講談社現代新書) 講談社 2002 

近藤則夫『現代インド政治 —多様性の中の民主主義』 名古屋大学出版会 2015 

佐々木卓也 『冷戦 アメリカの民主主義的生活様式を守る戦い』 有斐閣 2011 

白石隆 『スカルノとスハルト―偉大なるインドネシアをめざして』(現代アジアの肖像) 岩波書店 1997 

末近浩太 『イスラーム主義 もう一つの近代を構想する』(岩波新書) 岩波書店 2018 

末廣昭 『タイ開発と民主主義』(岩波新書) 岩波書店 1993 スチュアートフォックス, マーチン(菊池陽子訳) 『ラオス史』 めこん 2010 

砂野幸稔 『クルマーアフリカ統一の夢』 (世界史リブレット人) 山川出版社 2015 

古田元夫『ベトナムの世界史 中華世界から東南アジア世界へ』 東京大学出版 1995

マゾワー, マーク(池田年穂 訳) 『国連と帝国―世界秩序をめぐる攻防の20世紀』 慶應義塾大学出版 2016

松戸清裕『ソ連という実験国家が管理する民主主義は可能か』(筑摩選書) 筑摩書房 2017 

水島司 『変動のゆくえ』 激動のインド) 日本経済評論社 2013

山田寛 『ポル・ポト 〈革命〉 史—虐殺と破壊の四年間』 (講談社選書メチエ) 講談社 2004 

油井大三郎『戦後世界秩序の形成 ―アメリカ資本主義と東地中海地域 1944-1947』 東京大学出版1985

油井大三郎 「ベトナム戦争に抗した人々』 (世界史リブレット) 山川出版社 2017 

和田春樹 『スターリン批判 1953~56年 一人の独裁者の死が, いかに20世紀世界を揺り動かしたか』作品社 2016

第16章 現在の世界

遠藤乾 『欧州複合危機 苦悶するEU, 揺れる世界』 (中公新書) 中央公論新社 2016 

ギデンズ, アンソニー (佐和隆光訳) 『暴走する世界 グローバリゼーションは何をどう変えるのか』ダイヤモンド社 2001

酒井啓子『中東から世界が見える イラク戦争から 『アラブの春』 へ』 (岩波ジュニア新書) 岩波書店 2014

塩川伸明 『民族浄化・ 人道的介入・新しい冷戦―冷戦後の国際政治』 有志舎 2011 

スタロビン, ポール (松本薫訳) 『アメリカ帝国の衰亡』 新潮社 2009

西崎文子・武内進一 編著 『紛争・対立・暴力 世界の地域から考える』 (岩波ジュニア新書)岩波書店 2016

藤田和子・松下冽編 『新自由主義に揺れるグローバル・サウス いま世界をどう見るか』 ミネルヴァ書房2012

フリードマン, トーマス (伏見威蕃訳) 『フラット化する世界経済の大転換と人間の未来』(普及版) 上・中・下 日本経済新聞社 2010

 

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一文字も読まずに本を評価する3つの方法

読むべき本が積み上がっているのに、面白そうな新刊が出てきた。ルトガー・ブレグマン『Humankind』という新刊だ。

「激推し」「人間への見方が新しく変わる」「正しく世界を認識できる一冊」など、インフルエンサーたちの熱き言葉が飛び交い、評判がよさそうだ。おまけにKindleという便利なボタン一発で買えてしまうので、お財布はいつだってピンチだ。

だが、ちょっと待て。

本当にそれは「いま読むべき」なのか? 本当にそれで「あらゆる疑問がクリアになる」のか? 財布のダメージもさることながら、集中力や時間といったリソースも無駄にしたくない。

信頼できる書評家に頼る

そういうとき、私は信頼できる書評に頼る。

基本読書の冬木糸一さんが頼りになる。私の興味と重なる新刊をいち早く・数多く紹介してくれるので、ありがたい。面白いポイントをつかみ取り、ポジティブに評価している。

そんな冬木さんが慎重な書き方をしている。読み物としては大変面白いが、都合の良い事例ばかりをチェリーピッキングしているらしい。

議論の進め方については、主張に都合のいい事例ばかりずらずらと並べたてて大量の都合の悪い事例をまるごとシカトとしているようにみえるのもイマイチである

こういう場合は、ちょっと様子見になる。

専門家のレビューを探す

さらに、有力な方法を知った。

はてな匿名ダイアリーで「学術書の類を読むときはプロによる書評も一緒に読め」という記事だ。

私は普通、Google 検索で検索し、一般の評判を知ろうとする。だが、Google ではなく、Google scholarを使えという。

いわゆる書評家ではなく、その分野の専門家のレビューを参照せよ、というやり方だ。ここでヒットするのは、C.R.ホールパイクなる文化人類学者のレビューになる。

A Sceptical Review of Bregman’s 'Humankind: A Hopeful History'

これによると、『Humankind』の著者ルトガー・ブレグマンはジャーナリストで、素人臭い人類学を述べ立てており(amateurish anthropology discussing)、人類学についてはほとんど知らない(knows very little anthropology)と、なかなか辛辣だ。ブレグマンの主張のダメな点も述べられており、これはこれで面白い。

確かに、専門家の意見は、信憑性について参考になる。だが、一人を鵜呑みにするのもの怖い。日本だけかもしれないが、トンデモないことを言い出す大学教授や脳科学者を知っているから。

「評判の評判」という集合知

そこで参考になるのが、Goodreads の「評判の評判」だ。

世界最大の書評SNSで、ユーザ数も書評数もダントツである。★1~5段階で、評価を付けることができる。Amazonと同じだね。

嬉しいのは、各書評にいいね(like)を付けることができ、その数の順番に並んでいる点だ。

もちろん日本語圏の書評SNSでも同じ機能はあるが、なにせ母集団の桁が違う。いいねの数が多いほど、集合知を経た書評となっている。いわば、その本の評判の評判が分かる。

★の段階ごとに、いいね数の多い書評を見てみよう。原著はオランダ語で書かれているため、オランダ語の書評も多い。翻訳はDeepLに任せて、評判の評判を抜き出してみるとこうなる。

★★★★★の書評より

  • 最高のポップ・ノンフィクション
  • Mitch Prinstein ”Popular” の次に読むと良い
  • ジャレド・ダイアモンド、スティーブン・ピンカー、リチャード・ドーキンスに対する興味深い反論を提示する
  • 人間とは何かについての思い込みに疑問を抱かせる
  • 人類にとってかなり悲劇的で困難な時期に、希望を与えてくれる
  • むやみに複雑な書き方をしていないので、常にストーリーを追うことができる
  • 笑ってしまうような話や逸話が多く、特に研究や事実、数字には目を奪われる

★★★★☆の書評より

  • 楽観主義者のための本
  • ホロコーストのような残虐行為を、ほぼ全員が善人である世界で説明しようとして堂々巡りをしているのは面白い
  • Covid-19のおかげで、いかに多くの人が他人のことを気にかけないかが分かった。マスクが嫌だからといって、ウイルスを他人にうつして、誰かが死んでも気にしない。ブレグマンは今の時代に同じ本を書くだろうか?
  • 人は基本的に善良であるという前提からスタートし、自分の主張を「証明」するためにあらゆる研究を引っ張り出してくる

★★★☆☆の書評より

  • 楽観的でポジティブな希望をもたらしてくれる
  • 証拠や論証より、個人的な経験が重視されており、説得力に欠ける
  • 感嘆詞や修辞的表現が多い
  • スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』のぶ厚さや、グラフやデータが大量にあることを攻撃しているにも関わらず、ブレグマンは数ページで否定してみせる

★★☆☆☆の書評より

  • 幼稚で、感傷的で、偏見に満ちている
  • 学術書ではなく、ジャーナリスティックな本で、それが我慢できない
  • もっとソースを、もっと逸話を減らしてほしい。物語を減らし、事実を増やしてほしい

★☆☆☆☆の書評より

  • 現実を直視してください
  • 何としても自分の世界観を歴史に投影するため、彼は本の中でゴールポストを動かし続けている

結論と次のアクション

少なくとも私にとっては不要だということが分かった。

この本を読まないために30分使ったが、収穫はあった。★4で↓のコメントをした、Jennaさんのレビューだ(フォローした)。

  • ホロコーストのような残虐行為を、ほぼ全員が善人である世界で説明しようとして堂々巡りをしているのは面白い
  • Covid-19のおかげで、いかに多くの人が他人のことを気にかけないかが分かった。マスクが嫌だからといって、ウイルスを他人にうつして、誰かが死んでも気にしない。ブレグマンは今の時代に同じ本を書くだろうか?

少なくとも、ホロコーストの箇所だけは読みたいと思った。人の善性を強調する著者が、どのような議論(擁護?)を試みようとしているかは、読みどころの一つだろう。

全体を通して見えてくるのは、この本をベタ誉めしている人は、楽観主義者(もしくはそうありたい人)が多いということだ。人の善性を信じて世界を解釈したい、あるいは他の人もそうあって欲しい……そんな人が、本書に高い評価を与えているように見える。

重要なのは、その本を読むかどうかだけでなく、その本を評価している人は誰で、何に対して評価しているかだ。それが、次の一冊を探すときに、その人を頼るかどうかの標になる。

自分にとって優れた本を探す秘訣は、「本を探すのではなく、人を探す」になる。具体的な方法は、『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』の第一章に書いた。第一章に付け加えるなら、Goodreadでレビューアーを探せ、だね。

良いレビューアーで、良い本を。

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「人はなぜ笑うのか」への最新回答『進化でわかる人間行動の事典』

「笑い」とは何か?

まず、「笑い」を定義するところから始めよう。

だが、このやり方だと行き詰まる。

古来より、賢人たちは様々な答えを用意してきた。アリストテレス「動物の中で人間だけが笑う」から、ベルクソン「機械的なこわばり」まで、さまざまな説明が試みられてきたが、遅かれ早かれ上手くいかなくなる。

このアプローチでは、笑いに関する性質を調べ上げ、人が笑う理由を探すことになる。その背後には、原因となる本質があるはずだという前提が隠れている。普遍的・不変的なエッセンスを抽出し、それにより定義づけるのだ。

すると、定義にハマらない「笑い」の扱いに困ることになる。あるいは、定義どおりなのに笑えない反証が見つかる場合が出てくる(しかも多々ある)。嫉妬心の解消(プラトン)、暗黙の優越感(ホッブズ)、不一致の解消(カント、ショーペンハウエル)などがそうだろう。

機能に着目する

本質論の行き詰まりを回避するため、問題を再定義する。

「笑い」には、どのような機能があるのか。

このアプローチでは、笑いの役割に着目することになる。

つまり、人類が生き延びていく上で、笑いがどのような役目を果たしているかを考察する。その行動が適応度にどれだけ影響したのかという観点から、「人はなぜ笑うのか」を考えるのだ。すると、笑いの様々な役割が見えてくる。

赤ちゃんの笑い、愛想笑い、攻撃的な笑い

例えば、赤ちゃんの笑いだ。

生まれたばかりの赤ん坊は、ニッコリと笑うことがある。生理的微笑と呼ばれるもので、自分の意志ではなく、反射神経の働きともいわれている。また、生まれつき目が見えず、耳も聞こえない子どもも笑うことから、笑いは学習されるものではなく、生得的な行動だといえる(※1)

この笑いは、親からの養育行動を引き出す機能を持つと言われている。また、仰向けで寝る乳児との対面コミュニケーションが発達した人類は、親子で見つめ合い、微笑み合うことで、愛着関係を強めてきたと考えられている。

あるいは、チンパンジーの grimace と呼ばれる表情だ。

上下の歯を合わせて口角を引き、歯列を見せる行為で、劣位のサルが優位のサルに対して見せる。優位な個体への恐怖を示し、敵意が無いことを伝える服従の表情だとされている。これは人の smile の原型で、服従的な表情から、友好的文脈で用いられるようになったとされている(※2)。私たちがする「お愛想笑い」や「お追従笑い」の元は、これなのかもしれない。

また、笑いの起源を鳥類に求めた研究もある(※3)。

外敵に対し、仲間が集団になって騒ぎ立てて威嚇することがある(モビング)。笑いの対象(敵)を共有し、笑い声を伝播させて仲間内の結束を強める機能がある。嘲笑など、いわゆる攻撃的な笑いが相当するだろう。

他にも、攻撃的な遊びをしているが、本気ではないことを示す機能(※4)や、予想外の驚きをもたらしたことへの謝意といった役割(※5)がある。笑いが「伝染」するのは、仲間内で「安全だ」と伝え合い、ストレスを軽減させるためだという主張(※6)もある。

「人はなぜ笑うのか」という疑問に対し、笑いの「機能」に着目し、その行動がどのように適応的だったかを考える。そうすることで、笑いが実に様々な役割を果たしてきたのかが見えてくる。言い換えるなら、人は笑うことで生き延びてきたのだ。

以上が、『進化でわかる人間行動の事典』の「笑う」の項である。

きりがないので6つに絞ったが、数えてみたところ、「笑う」の項目だけで実に45の論文が紹介されている。現時点における、「人はなぜ笑うのか」に対する最新の回答といえるだろう。以前、適応としての笑いという記事で、可笑しさのメカニズムを紹介したが、『進化でわかる…』の方が網羅性が高い。

人はなぜ〇〇するのか

本書は、「遊ぶ」「描く」「踊る」「歌う」「助ける」「学ぶ」など、44の行動をピックアップして、それぞれについて、進化的観点から明らかにする。

  • 人はなぜ遊ぶのか、遊ぶことの進化的な役割は何か(遊ぶ)
  • 人はなぜ火を用いて料理をし、集団で食事をするのか(食べる)
  • 人はいつから歌っており、なぜ歌うのか(歌う)
  • 教える/教わることで、人はどのように優位になったか(教える、学ぶ、まねる)
  • 人はなぜ装い、見せびらかすのか(飾る、見栄を張る)
  • 人はなぜ結婚をするのか、いつから一夫一婦制なのか(結婚する、恋愛する)
  • 人を殺すことが適応的になる場合があるのか、またそれはどんな場合か(殺す)

人の心は自然淘汰によって形成されたという前提から、「人とは何か」について、具体的に迫る一冊。本書は、shorebirdさんの書評で知り、その足で書店へ走った。これまで読んできた人間行動の科学を一望できる本に出会えてよかった。shorebirdさん、ありがとうございます。

※出典は下記の通り

  1. EIBL-EIBESFELDT I(1973).The expressive behavior of the deaf-and-blind-born, Social Communication and Movement, 1973
  2. van Hooff Jan A. R. A. M.  A comparative approach to the phylogeny of laughter and smile,1972
  3. イレネウス・アイブル=アイベスフェルト『ヒューマン・エソロジー―人間行動の生物学』ミネルヴァ書房、2001
  4. Bridget M. Waller, Robin I. M. Dunbar, Differential Behavioural Effects of Silent Bared Teeth Display and Relaxed Open Mouth Display in Chimpanzees,2005
  5. WEISFELD G.E.,The adaptive value of humor and laughter,1993
  6. Matthew Gervais, David Sloan Wilson, The evolution and functions of laughter and humor: a synthetic approach,2005

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読書猿「大人のためのBESTマンガ36」から3つ選んだ

「お薦めのマンガを紹介しあおう!」という企画で膨大なリストを作り、読書猿さんとマンガ対談(第1回第2回)をしたんだけど、とにかく物量がハンパない。収拾つかないと思ってたら、読書猿さんから「大人のためのBESTマンガ」が出てきた。

「人間を理解する」という目的で36作に厳選されており、「知」「意」「情」の切り口から12作品ずつ紹介されている。

何度も読んだ『プラネテス』や、未読だけど気になってる『紛争でしたら八田まで』、全然知らない『ナビレラ』など、見ているだけで楽しくて、気づいたら「注文を確定する」ボタンを押していた。

ここでは、そこから3つ、読書猿さんお薦めでハマった作品を紹介する。最初に言っておくと、読書猿さんありがとう。お薦めされなかったら、きっと知ることもなかった興奮と感動を教えてくれて。

『アオアシ』小林有吾・小学館

めちゃくちゃ面白いだけでなく、読んだらサッカーの観方が180度変わった。

これまで、敵陣を貫くキラーパスや、神技のようなボールコントロール、突き刺さるようなロングシュートなど、ボールを扱うプレイヤーを中心に観ていた。

だが、『アオアシ』を読んだら、ボールの周りにいない選手の方が気になるようになった。ボールを持っていない選手がどこに居て、何を見て、何をしようとしているかを見たいと感じるようになった。

主人公は、サッカー大好き中学3年の青井葦人(あおいアシト)。粗削りながら特異な才能を秘めており、努力と根性でJリーグのユースをのし上がっていく王道マンガ……と思いきや、180度違ってた。

もちろん努力と根性もある。サッカーが好きな田舎の少年が、エリート養成のユースチームで技術的に通用するはずがない。それこそ寝る間も惜しんで練習する。

でも、当たり前だけど、みんな練習してきたんだ、積み上げてきた質と量が違う。そんな単純に、努力と根性でクリアできるはずがない。

だから葦人は考える。いまは「できない」、じゃぁ「どうする」と問いを立て、考える。そして、仲間、監督、はたまた敵役からヒントを求め、考え抜き、実行する。葦人の名前は、パスカル「人は考える葦である」から採っているんだと思うくらい、考える。

葦人の武器は一つだけ。ストーリー開始時点、本人は気づかない能力で、フィールド全体を俯瞰し、記憶することができる。私たちが観戦しているとき、「あそこスペースが空いてる」とか「反対サイドがフリーなのに」と、もどかしく感じることがあるだろう。その「目」を持っているのだ(※1)。

足りない技術、高いハードル、限られた時間という制約の中で、葦人は、それを乗り越える以上のことをやってくれる。そういうシーンを目の当たりにすると、全身が総毛だつ。

Aoashi

第16話「クロウ」より

そのゾッとする 場面はゴールだけじゃないんだ。もちろんゴールシーンも印象的だけど、ボールを持っていないときが多い。どのように自分が動き、周囲を動かすか、そのために何を見、どうやってメッセージを伝え、エリアを連携しあっていくかこそが大切なんだ、ということが分かる。

もちろんボールは大事。だってボールをゴールに入れることでしか得点にならないから。でも、そのためには、ボールを持っていない人がどう動くかこそが、サッカーの見どころの一つなんだということが、めちゃめちゃ腑に落ちる。

『せんせいのお人形』藤のよう・KADOKAWA

人は「知る」ことで運命を変えることができる。その運命を目の当たりにできる物語がこれ。そして、「人はなぜ学ぶのか」への一つの応答でもある。

少女の名はスミカ。

ネグレクトされ、親戚中をたらい回しにされていたのを表紙の男(昭明)があずかり、マイフェアレディよろしく育てる。『うさぎドロップス』が頭に浮かんだが、ぜんぜん違っていた。誰からも愛されることなく、流されるがままに生きてきたスミカが、彼の元で心を取り戻していく過程の一つ一つが胸に響く。

たとえば、スミカが名前を呼ばれるところ。

名前を呼ばれるとは、その一人の存在を認めること。名前を呼ばれたことすらないということは、「いない子=いらない子」としてずっと生きてきたこと。自分の存在を認めることがない世界で生かされてきたこと。それがあたりまえだったスミカが、自分の思いを、昭明に向かって、身を絞るように吐き出す。そのセリフだけで胸がいっぱいになる。

「なぜ人は学ぶのか」のわけを、スミカが自分自身で見つけだすところ。最初の「知りたい」から始まって調べていくと、どんどん「知りたい」が広がってゆく。数学について調べていたら天文学になり、歴史になり、科学になる。

誰にも顧みられず、孤独の中で生きてきたスミカが、知が有機的につながっていること、その真ん中に「知りたい」と思う自分がいること、そしてその気持ちを持っている限り、決して一人ではないことに覚醒するシーンは、読んでるこっちが戦慄した。ここ、読書猿さんが言ってた「同じものを読む人は、遠くにいる」と同じだ。

Senseino

第20話「学問の鳥観図」より

この直後、昭明の、「それは君が手放さない限り 君をどこまでも連れていくものだ」「ほかの誰にも奪えないものだ」という言葉が刺さる刺さる。これは、タイガーウッズの母が、子どもに向かって言い聞かせていたセリフと同じであり、わたしが、わが子に向かって言い聞かせているセリフと同じだ。

変わってゆくのはスミカだけではない。

彼女に挨拶を教え、礼儀を教え、本を読むことを教え、知る方法を教え、約束を守ることを教えてゆくうちに、昭明自身が変化してゆく。スミカが初めて(おそらく、生まれて初めて)家に帰ってきて、「ただいま」というのだが、このシーンは何度見ても泣いてしまう。これはスミカの魂の再生だけではなく、昭明の心、ひいては読み手の心を溶かしてゆく物語でもある。

『チ。』魚豊・小学館

人は「知る」ことで自分と世界を変えてしまう。そして、いったん知ってしまったら、「知らなかった」世界へ戻ることはできない。

知的興奮という言葉がある。いままで知らなかったことを知るだけではなく、知っていたはずのものに、別の解釈があることを知りなおしたときの、肌が粟立つような、世界の解像度が上るような感覚だ。この感覚を味わえる。

タイトルの『チ。』は、地動説の「チ」だ。

中世のヨーロッパが舞台で、天動説が絶対である世の中だ。そんな世界で地動説を研究することは、ほとんど自殺行為に等しい。社会的身分を剥奪されるだけでなく、異端として拷問を受けたり、火炙りで処刑されてしまうことになる。

それが分かっていても、地動説を追い求める人がいる。

もし、天動説を元にして、月や太陽や星々の観測結果を説明しようとすると、非常に複雑で無秩序な「宇宙」ができあがる。二重三重に絡み合った軌道の星が空を覆うだけでなく、ふらふらと動き、まるで惑っているような星が存在することになる。

そんな不確かな宇宙を、神が設計したのだろうか? この宇宙を神が作ったとするならば、それはもっと確かで美しいものではないのだろうか?

地動説を追い求める人は、神の絶対性を信じるが故に、自分の「目」を信じ、自分の「知」を信じようとする。

そして、いったん地動説を受け入れると、もうそれで世界の見え方がガラリと変わってしまう。なぜ世界がそうなっているのかが分かってしまう。

私は教育のおかげで地動説を所与のものとしているが、そうではなく、新しい形で宇宙を見る知性を手に入れたなら、きっとこうなるだろうな、という感覚になる。タイトルの『チ。』は「知」でもあるのだ。

Ti

第1話より

ただ一つ、この人々へ問いたいことがある。地動説や天動説の話ではなく、(この時代にはまだ無い)科学についてだ。

「美しさと理屈が落ち合う、だから真理である」という考え方だ。

自分の仮説を説明しきれないとき、科学者が使う「美」というレトリックに危うさを感じる。ある理論が美しいかそうでないかは、理解も同感もできる。

だが、それが美しいからといって正しいとは限らないことに、科学者は自覚的になっていないように感じる。この危うさは、『数学に魅せられて、科学を見失う』のレビューにまとめたが、同じものを、『チ。』にも感じている。

以上、3作品を紹介したが、あくまで読書猿さんに教わって最近読んだものに限っている。「大人のためのBESTマンガ」は良質なリストなので、ぜひ手に入れて欲しい。週刊ダイヤモンドの別冊付録なのだが、Kindleだと掲載されていないように見える。できれば紙媒体で勝った方が無難かも。確認したところ、Kindle版でも付録は付いているとのこと。

良いマンガで、良い夏休みを。


※1 『黒子のバスケ』のイーグルアイかなと思ったが、その「目」が発動するときは、カラスが象徴的に描かれているので、クロウアイとでも言うべきか。

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書けない悩み4人前『ライティングの哲学』

書けない。

最初の一行に呻吟し、次の段落で懊悩し、そこから先が続かない。あるいは、言葉が詰まって出てこない。「これじゃない」言葉ばかり並んでいる。支離滅裂の構成で、書いても書いても終わらない。

そんな悩みを抱えた4人が集まって、お互いの「書けない」病をさらけ出す。学者、文筆家、編集者と、書くことが仕事みたいな人なのに、書けない悩みを打ち明ける。

「書けない」ことへの生々しい告白の中で、まるで私のために誂えたような手法や、まさに今、自分が実践しているやり方が紹介されている。

書かずに書く

千葉雅也さんが喝破してたこれ、まさに私が今やっている

「ファイル」→「新規作成」で、新しい白いページを表示させ、そこに一行目から書き出す……なんて執筆は、しない。そんなことすると、白いワニが来る(by 江口寿史)。

書かずに書く、って禅問答みたいだけど、言い換えるなら、「書く」というプロセスが始まった時点で、既に書けている状態にするということ。

書きたいメモ―――読んだ本からの抜き書きだったり、その文をコアにして考えたこと、調べたことを、どんどん積んでいく。本書では様々なソフトが紹介されていたけれど、私はGoogleDocに箇条書きする。写真や音声ならGoogleKeepに放り込み、手書きの場合は「ほぼ日手帳」に決めている。

メモは定期的に見返して、くっつけたり変形したりする(削除・整理しないこと)。これは、ジェームズ・ヤングが『アイデアのつくり方』で喝破した通り、「アイディアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」のだから。

これにより、「ファイル」→「新規作成」をした後は、メモのアイデアの羅列をコピペすることからスタートする。素材が半煮えだったり、詳細化されすぎたりしててバランスは取れていないが、完全にゼロから書き始めることはしない。

極端な話、「書く」ことすらしないという手もある。瀬下翔太さんの実践例で、ツイキャスやDiscordで「しゃべる」のだ。ひとり語りで、自分の発言を読み上げ、気づいたことをあれこれしゃべってゆく。文字起こしはソフトウェアに任せればいい。ライブ配信、これは試してみよう。

制約を創造する

集めたアイデアを何で書くか?

ワードプロセッサ談義も面白い。文書を編集するソフトは沢山あるし、機能も豊富だ。フォントやマージンも好きに選べるし、注釈や段組みも自動でやってくれる。

しかし、山内朋樹さんによると、自由度が「低い」ほうが能率的になるという。

なんでも自由にできてしまうと、その自由の中で溺れることになる。文書とフォントの相性を考えるとキリがないし、ページレイアウトを弄っている間に、どんどん時間が経過してゆく。文書の中身ではなく形式を操作するのは沼だという。

そんな泥沼から抜け出すために、あえて制約を設ける。

中でも高評価だったのが、WorkFlowyなどアウトライナーだ。思いついたことをどんどん箇条書きして、掘り下げたり広げることで、文が伸びてゆく。枝が邪魔なら折りたたむことで骨子が見えてくる。

なるほど。私の場合、GoogleDoc のインデントで字下げすることでアウトラインを作っているが、せいぜい3段階くらいまで。しかも階層を上下させるのは簡単にはできないので、WorkFlowyは便利かも。

文を書くことをあきらめる

これは読書猿さんの言。これは刺さった。

まとまった何かが整然と出てくるはずがない。意味ある言葉が順番につむぎだされるほど、自分の頭は良くない。いったんそこまで、文を書くことをあきらめる。そしてそこから攻略していく。

たとえば、アウトライナーに文を書いていくと詰まる。そんなとき、アウトライナーに「詰まりを突破するタスク」を書いていくのだ。たとえば、アイデアが足りないなら『アイデア大全』から適当な技法を使うとか、知識が足りないなら調べるというタスクを書くことで、アウトライナーをタスクリスト化するのだ。

あるいは、まとまりやつながりを無視して、立ち止まらずにひたすら書く。分かりやすさとか、重複しているとか、言葉足らずとか、そういう内なる自分の声をガン無視して、ただただ書き続ける。レヴィ=ストロース「書きつけて物質化した思考のみが、扱うことができる」の極めて実用的な実践例になる(※1)

これはアナログで実践している。ほとんどメモ帳と化しているほぼ日手帳には、時折、ぐちゃぐちゃの思考を吐き出したページが続くことがある。ほとんど単語と矢印と絵(みたいなもの)で構成されている。

書けない悩みは書くことでしか解決できない

「書けない悩み」座談会を追いかけていると、思い当たることがありすぎる。

どういう試行錯誤をしてきたか、今の壁は何か、どう乗り越えようとしているかは、まさにそれは私がぶつかっている壁であり、私が乗り越えようとしてきたものになる。

いわゆる、ブイブイ言わせている著述家からの「ご高説」を賜るものではない。もっと泥臭く、血生臭い傷を見せ合う座談会なのだ。だから、カッコいいけど使えないテクニックじゃなくて、徹頭徹尾実用的なものになる。

同じ悩みを抱える一人として、私が付け加えるとするならば、村上春樹の「十枚書く」になる。

村上春樹は、執筆期間中、一日十枚書くという。

何があっても、とにかく十枚書く。もちろん推敲や編集はするけれど、それは「書く」を遂行してから。小説の神様みたいな「何か」が降りて来てくれそうにない日もある。でも、必ず十枚書く。

これ、レイモンド・チャンドラーもやっていたと聞いたことがある。

  • 毎日、決まった時間に、タイプライターの前に座る
  • 座っているあいだ、書いても書かなくてもよい
  • ただし、他のこと(本を読んだりとか)はしてはいけない

やる気が出るまで待っていたら、仕事は終わらない。「書けない書けない書けない」と羅列してもいい。「書き続けるために何が良いか考えてみる」と書いてみせたっていい。

まず手を動かしているうちに、だんだん調子が出てくる、というのはある。

「書けない悩み」にとことん付き合う一冊。お試しあれ。

※1

『アイデア大全』読書猿、フォレスト出版、p.47 レヴィ=ストロースのコラージュ

ブログ記事だと、「書きなぐれ、そのあとレヴィ=ストロースのように推敲しよう/書き物をしていて煮詰まっている人へ」を参照

https://readingmonkey.blog.fc2.com/blog-entry-461.html

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単純化した構造で歴史を語る危うさ『グローバル・ヒストリー』

「開国」という言葉に違和感がある。

なぜなら、江戸時代は鎖国をしていたというが、オランダや中国、朝鮮や琉球、アイヌと交易を行っていたからだ。近代化に向けた啓蒙のニュアンスを感じるからだ。

確かに、鎖国方針の停止は大きな転換点だ。しかし、普通にあった西洋以外との交易を無視して、欧米との交易開始を、「国を開く」と強調することにもやっとしている。

ドイツの歴史学者・ゼバスティアン・コンラートによると、この「開国」というレトリックは、日本だけでなく、中国、朝鮮にも適用されているという。西洋以外とのつながりを無視し、欧米との関係の開始を際立たせるために用いられる表現になる。

コンラートは同様に、「国民」「革命」「社会」といった概念に注意を向ける。あまりに馴染んでしまっているので普通に見えるが、これらは、ヨーロッパの局地的な経験を、普遍的な理論として他の地域に押し付けるための用語になるという。

ヨーロッパ中心史観からの脱却

19世紀からの西洋のヘゲモニーの圧力の下で、ヨーロッパ中心史観が歴史記述を覆っているという。ウィリアム・マクニール『西洋の台頭』に代表されるように、ヨーロッパが独自に達成した成果が、周辺へと伝播する一方通行の世界史だというのだ。

この指摘は的を射ている。私が読んだのはマクニールの『世界史』だが、同じスタンスだったからだ。帝国主義を現金収支に換算したうえで、コスト/メリットが割に合わなかった(だから収奪という指摘は当たらない)という自己正当化は、ヨーロッパ中心史観による世界史の語り直しと言ってもいいだろう。

しかし、ヨーロッパが「ひとりでに」発展して近代社会が形成されたわけではなく、非ヨーロッパ世界との相互作用が決定的な役割を果たしているという。インドの歴史家のサンジェイ・スプラマニヤムはこう述べる。

近代とは、歴史的にグローバルに絡み合った現象であって、発生源から広がるウイルスのようなものではない。近代は、孤立していた社会を接続させる一連の歴史的プロセスのなかに位置づけられ、広範に及ぶさまざまな現象のなかに、その根を求めなければならない(※1)。

例えば、近代化の代名詞ともなっている「人権」という概念は、フランス革命を契機にヨーロッパから世界中に広まったと喧伝されているが、同時代のハイチでは権利の言説として普遍化されていたという(※2)。

「近代化」という用語それ自体も、西洋のヘゲモニーにあるといえる。これに取って代わる共通的な言葉が無いため、これからも使い続けられるだろう。だが、少なくともヨーロッパ中心的な価値観をまとっていることを自覚しながら使いたい。

ナショナル・ヒストリーの限界

一方で、近年の歴史学では、ナショナル・ヒストリーからの脱却も目指されている。

ナショナル・ヒストリーとは日本史、フランス史、ベトナム史といった国民史のことで、一国内だけで歴史的変化を説明するアプローチだ。

これは、教育のプロセスの中で、ナショナル・アイデンティティを形成し、国民国家を建設するプロジェクトとしては有効だったかもしれない。だが、イデオロギーや政治・経済活動、ウェブを基盤とするコミュニケーションの広がりが地球規模になっているいま、一国の歴史だけで自国を語るのは、現実的ではないだろう。

これを、無理やり統一的に語ろうとすると、羽田正『新しい世界史へ』で紹介されているような、奇妙な歴史記述になる。たとえば、中国における「漢民族による中華の統一と分裂」というStory(≠History)や、フランスにおける「自国史+植民地史」という「世界史」ができあがる。

現在、私たちの目に映る国境線で分けられた中の「国としてのまとまり」なんてものは、かなり人工的なもので、場所によっては恣意的とすら言っていい。言語や文化、民族と宗教、生物学的特徴、ライフスタイルから価値観といった、様々な重なりの結果にすぎない。

グローバル・ヒストリーとは何か

ヨーロッパ中心史観から脱却し、ナショナル・ヒストリーの限界を乗り越えるため、グローバル・ヒストリーが提案されている。

グローバル・ヒストリーは、研究対象ではなく、固有の視点だという。

例えば、グローバル・ヒストリーは、ある地域に着目して、その内因的な変化を追いかけたり、異なる地域を比較して、相似や異同を明らかにする歴史叙述ではない。代わりに、次のように述べている。

個人や社会が、他の個人や社会と相互作用する仕方にとりわけ注意をはらう。その結果、領域性、地政学、循環、ネットワークといった空間的メタファーが、発展、ずれ、後進性といった時間の語彙にとって代わる傾向がある(※3)。

この傾向は、必然的に、近代化を目的とした歴史叙述を否定するという。つまり、社会的な変化の方向は決まっており、古い伝統から、近代社会へ発展していく……といった観念を批判する。世界の全ては、ヨーロッパの歴史通りに経験していくという考えの否定である。

その実例は、コンラート自身が示している。

それは、「記憶をめぐる戦争」と名づけられた、日本の歴史教科書の問題だ(※4)。コンラートは1990年代の教科書の記述内容についての議論を俎上に、日本、中国、韓国と異なる場所で共時的に起きた構造を明らかにする。

冷戦の終焉に伴い、政治的・経済的な変容の中で、韓国や中国の犠牲者の声が日本で耳を傾けられるようになり、新しい政治的連携が国境を超えて生まれたという。これは戦争記憶の回帰ではなく、地政学的構造によって条件づけられた、新しいアジアの公共圏の到来だと示している。

ファシズムのグローバル・ヒストリー

一方で、ファシズムの歴史化を、グローバル・ヒストリーから試みる。

これまでの歴史家は、ファシズムを定義しようとし、カリスマ的リーダーや、大衆動員、あるいは超国家主義イデオロギーといった用語のリストを作り上げる。

だが、こうした特徴は、ヨーロッパが経験したファシズムに由来している。そのため、日本やアルゼンチンなどの事例を見ることを困難にしているという(できたとしても、ヨーロッパの劣化コピーになる)。

実際のところ、ドイツ国家社会主義(ナチズム)でさえ、イタリア・ファシズムによって据えられたモデルにしたがっているわけでもないし、その逆でもない。

だが、グローバル・ヒストリーからのアプローチの場合、ドイツやイタリアのモデルを踏襲して他の地域でファシズムが生まれたと考えるのではなく、ヨーロッパのモデルをどの程度着想の源泉としたかという観点から捉えなおすことができる。

その時代には、現代の歴史家が並べるファシズムの定義はなかった。当時の社会が共有していた情報の中で、各国政府は、自由主義と共産主義の間で第三の道を模索していた。こうした状況を踏まえ、物資や人民を動員するための新しい組織形態へと至らしめたものは何か……そこに焦点を当てて体系化することで、ファシズムについてグローバルな統合を図ることができるというのだ。

ビッグ・ヒストリーとの違い

グローバルな視点で歴史を捉えなおすなら、ジャレド・ダイアモンドやデヴィッド・クリスチャンの仕事が思い浮かぶ。

彼らの世界史は、戦争や革命など、人が関与する個々の歴史的事象を分析しない。代わりに、人類の営みを数千年スケールで捉えなおし、大陸を塊とした巨視的なレベルで分析する。地質学や疫学、進化生物学を援用し、科学的手法で歴史を記述しなおそうとする。

例えば、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』なんて典型的だと思う。

「ヨーロッパがアメリカ大陸を侵攻できたのはなぜか?」という疑問に対し、武器や装備、文化や宗教、気質や独創性といったファクターから離れ、決定的な差異は地質学的なものだと指摘する。

すなわち、南北に広がるアメリカ大陸とは異なり、東西に広がるユーラシアの地塊では、気候的に似通った社会が数多く存在する。そのため、定住に必要な動植物がより速く伝播することになる。加えて家畜の伝播の副作用として、病原菌への耐性も培われていたというのだ。

これは、グローバル・ヒストリーではないのか?

コンラートは慎重に言葉を分ける。彼らの仕事は、ビッグ・ヒストリーまたはディープ・ヒストリーだというのだ。

もちろん、グローバル・ヒストリーは、ある世紀全体を描くような時間幅を持たせ、地理的に離れた地域で同時代に起こった共時性に着目した研究を行う。だが、そこで扱われているのは、個人や集団の「人」を視野に入れている。

一方で、ビッグ/ディープ・ヒストリーでは、人の役割は後ろに退き、歴史は匿名のマクロな力に動かされているイメージを伝える。地理や環境の力は絶大で、人の行為主体性や偶発性といったものは考慮されない。ダイアモンド曰く、「主題は歴史学であるが、アプローチ的には科学的手法」(※5)なのである。

コンラートは、こうした手法の危うさを指摘する。地理的な要素や環境条件は人の営為にとって重要だが、人の活動のすべてを決定するわけではないからだ。

ホロコーストは「人」の所業

これを考える事例として、ナチス・ドイツを挙げている。

ある短い時間枠にズームすると、特定の個人や集団の行為が浮上する。1933年のヴァイマル共和政や、1942年のヴァンゼー会議と、そこで検討されたユダヤ人の殺害のプロトコルが研究対象になる。そこでは、出席者の個々人の責任が問われることになるだろう。

この時間枠を広げると、特定の個人や集団は退き、より多くの匿名のファクターが登場する。19世紀以前からのドイツにおける反セム主義の役割や、ルターまで遡る権威主義的傾向が考慮に入ってくるというのだ。

空間的尺度についても同様だという。諸地域の学校の教師が、ユダヤ系の子どもたちをどのように扱ったか、その動機は何であったかに焦点を合わせた研究もある。ズームアウトすると、党エリートや官僚制内部の競合や社会制度の責任に焦点を当てることもできる。

コンラートは、こうした個々のアクターを退け、グローバルなファクターを特権化することに疑問を呈する。すなわち、ホロコーストがグローバルな諸力によって説明されうるなら、ナチスへの焦点がぼやけてしまわないか? という疑問である。

グローバル・ヒストリーの課題

この疑問は、グローバル・ヒストリーの課題となる。

時空間の尺度を広げることにより、起こったことが不可避であり、あたかも必然であったかのようにミスリードする危険性がある。そこでは個人や集団の役割が存在しないかのように描き出され、説明責任や罪の問題を外部化してしまう恐れが出てくる。

全てをグローバルで捉えようとすると、歴史の中から固有名詞が失われていく。十字軍を開始したのは誰か、太平天国の乱で苦しんだのは誰か、そしてヴァンゼー会議の議長は誰かといった「人」の行為主体性が失われることになる。

こうしたミスリードに陥らないためには、グローバルなファクターと、「人」の行為主体性とのバランスが重視されることになる。歴史を単純化した構造で語りたい誘惑は、常につきまとう。だが、その構造だけでは語ったことにはならない。なぜなら、歴史は人の営為であるのだから。

コンラート『グローバル・ヒストリー』は、歴史を語る、その語り方についての考察を深めてくれる。

※1  Hearing Voices: Vignettes of Early Modernity in South Asia, 1400-1750

※2  Laurent DUBOIS ,”Avengers of the New World: The Story of the Haitian Revolution” Harvard University Press,2009

※3  『グローバル・ヒストリー』 ゼバスティアン・コンラート、岩波書店 p.65

※4  Sebastian Conrad, Remembering Asia: History and Memory in Post-Cold War Japan

※5  『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド、草思社、上巻 p.46



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ピンチョン『ブリーディング・エッジ』読書会が楽しすぎて時が溶けた

ありのまま、起こったことを話すと、読書会が始まったかと思ったら、いつのまにか終わってた。何を言ってるのか分からないかもしれないが、私も何が起きたのか分からない。

トマス・ピンチョンの最新作『ブリーディング・エッジ』のオンライン読書会に参加したら、時間が溶けた。みなさんのオリジナルな斬り口、読者目線、ネタ、面白解釈、論争発火点を次々と聞いているうちに、あっという間に4時間が過ぎた。


ウェブで死者と出会う意味

もちろんピンチョンだから、どこをどう料理しても面白い。

百科全書な小説で、神話や歴史から始まって文学、数学、物理学、暴力と陰謀とパラノイア、都市伝説と幻想怪奇、洒落と地口、メタフィクション、セルフパロディなど、いくらでも、どれだけでも話せる。

たとえば誰かが「ここ良いよねー」と言うと、皆でふむふむと読み直しながら、あーでもない、こーでもないと同意したりツッコんだり。オンラインだから各人の画面で見ているけれど、これ、同じ画面をスクリーンに映しながら検索結果や Youtube や GoogleMap を眺めながら話したら、無限に語り合える気がする。

しかも今回、『ブリーディング・エッジ』は2000年代のTech系(しかもウェイ系)を俎上に乗せているから、IT関連の皆さんからすると大好物だったかもしれぬ。

たとえば、ウェブで死者と出会うこと。

あの時代は、本人とアカウントが紐づいていた。匿名性を盾にネット人格を作る人がいる一方で、プロフィールに住所や連絡先をカジュアルに書く人も少なからずいた。だから、ネットで本人だといえば、向こう側に本人がいると考えるのが自然だった。

では、ネットの海の深~いところで、死んだはずの人が接触してきたら、どう考える? 物語の後半、主人公と深~い仲になったある男と話し合うところがある。そいつしか分からないような情報を持っているし、いかにも彼なら言いそうなセリフを吐く。

いまの感覚なら、なりすましやbotを疑う。

あるいは、パラノイア的に、彼女の偏執が生み出した妄想に過ぎないと考えることができる。一方で、ロマンティックなものとして読み取った方もいた。彼の魂じみたものがいっときとどまる場所として、ディープ・ウェブがあると考えると美談になる。私はここ、惑星ソラリスの「海」的なものを想起していたが、同じことを考えてる方がいて安心した。

パラノイア or ロマンティックと、どちらでも両義的に読めるように仕掛けてあるのが楽しい。

この「ディープ・ウェブ」、2000年代に物議をかもした「セカンドライフ」をモデルにしている(ような気がする)。ネット最大(?)という噂の仮想世界で、今でもサーバが生きてて驚いた。

ピンチョン・マゾヒズム度は低め

死者の痕跡を探すところで、昔の、フィルムノワールやスパイものの型を踏襲している、という指摘が鋭い。

シニカルな男の主人公、謎めいた女、冷酷な悪役が出てくる犯罪映画だが、その男女を逆転させている。

絶妙なタイミングで救いの手が差し伸べられたり、ドンピシャのタイミングで危機一髪を切り抜けるなど、昔のスパイ映画まんまなのだが、ピンチョンはこれを意図的にオーバーライドしているというのだ(確かにボンドガールを逆転させたような役回りのトミー・リー・ジョーンズみたいなキャラが出てくる……)。

ピンチョン「らしからぬ」物語構造への指摘も鋭かった。

ピンチョンといえば、ページをめくるたびに新しいキャラが登場し、今までの脈絡と無関係のエピソードが際限なく連なり、全く違う空間と時間で物語が展開されるなど、読者の鼻先を掴んで振り回すのが十八番だ(ピンチョン・マゾヒズムと呼ばれていたが、激しく同意するwww)。

しかし、『ブリーディング・エッジ』は主人公のマキシーンだけにライトが当たっていて、読み手は彼女だけを追いかけていれば筋が追えるようになっている。

新キャラがどんどん出てくるのは通常運転だけど、新キャラ登場→(マキシーン脳内の)回想シーン→新キャラとマキシーンの絡み→退場というシークエンスをきっちり守っており、分かりやすい。「これ誰?」にならずに読めるのは珍しい。さらに、現代のアメリカ合衆国を舞台にしているという点でも、世界に入りやすいと言える。

ピンチョン「にしては」読みやすいのも手伝って、本書は、ピンチョンの入門書としても良いかも、という意見もあった。確かにピンチョン未読の方に『メイソン&ディクソン』や『逆光』はお薦めできないなぁ……

ピンチョンの、ピンチョンによる、ピンチョンのためのセルフパロディ

ずっと引っ掛ってた謎に決着がついたのも良かった。

マキシーン、とある男に抱かれるのだが、あれほどシニカルでロジカルで辛口な彼女が、なぜ(分かったうえで)ノコノコと男の部屋に行くのが、どうしても理解できなかった。

だって、第一印象最悪だぜ? さらに某所で手に入れた情報によると、その男、南米で色々と後ろ暗いことをしていたらしく、(かつ既婚で)どう見てもお近づきにならないほうが良い経歴なのに、なぜ?

猛者たちに問うてみたところ、意外と惹かれている描写があったよとか、最初は嫌いなキャラが好きになるってマンガとかでよくあるよとか意見がもらえる。あるある、「こいつ、おもしれー女」とか、少女漫画に典型のパターンやね。

なかでもユニークなのは、恋愛モノの典型パターンを踏んだ上で、それをパロってぃるのではないか、という指摘だ。なるほど! これコミックとして軽く読んでもらうため、と考えると、その後の〇〇〇な展開が楽になってくる。物語を重くさせないための仕掛けなのかなぁ……

他にも、死ぬ死ぬフラグが立ちまくっているのに死なないキャラとか、(勃起するとミサイルが落ちてくるから)尿意が起きると情報が飛びこんでくるとか、現実と幻想の境目が分からなくなったとき、現実との錨となるのが家族といった、さまざまな視点を教えてもらう。

いわれてみると、確かにそう読める。同じ小説を読んでたのに、そう取るのか!? と何度も驚かされる。笑うポイントが微妙にずれてたり、ピッタリ合致してたり、いろいろあって楽しい。

読者の数だけ物語を成立させてみせる神技を、あらためて知らされる。たいへん楽しい読書会でした! 主催のふくろうさん、参加された皆さん、ありがとうございました。コロナ禍が落ち着いたら(これも常套句になりつつある)、酒盛りしながら本談義をしたいですね。

以下自分メモ。

ピンチョンwiki

https://pynchonwiki.com/

重力の虹wiki

https://scrapbox.io/GravitysRainbow/

ふくろうさんの『重力の虹』レビューが狂ってて好き。

https://owlman.hateblo.jp/entry/2019/12/30/192042

山形浩生さんの「トマス・ピンチョン東京行」、お手本にしたいくらい最高の嘘。

https://cruel.org/talkingheads/pynchon.html



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