人生は残酷だが美しい『地上で僕らはつかの間きらめく』

この小説は、母に宛てた手紙の形で綴られている。

もう一度、最初から始めよう。

母さんへ

僕は今、あなたに声を届けたくて手紙を書いています―――ここに言葉を一つ記すたびに、あなたから遠ざかることになるのだけれど。僕が手紙を書いているのは、あの時に戻るためだ。

「母さん」は読み書きができない。ベトナムからアメリカに渡り、女手一つで家族を養っている。きちんとした教育を受けていないので、英語はほとんどできない。

そんな母に向けて、「僕」は、母との思い出とともに今の思いを綴る―――

―――こんな設定だと、すれっからしの私にピンとくる。ケン・リュウ『紙の動物園』みたいじゃないかと。中国系移民である母の自己犠牲が、涙腺を刺しにくる話だ。

この小説は、そんなお手軽な展開にならない。

「僕」は、母から割とパワフルな虐待を受けていたからだ。じゃぁ、暴力を振るっていた母への恨みつらみの物語かというと、そっちでもない。「僕」は、母が受けてきた痛みも分かるからだ。

人生を擦り減らす痛み、生きるために身体を差し出す苦しみ、この小説には、様々な痛みが描かれている……読んでいると、まるで生きることは痛みだ、と思えてくる。

『地上で僕らはつかの間きらめく』は、ベトナム系詩人であるオーシャン・ヴォンの、最初の小説になる。

語り手の「僕」は、ヴォンとよく似た境遇の、ベトナム系アメリカ人の青年になる。

学校ではいじめられ、家では母から暴力を振るわれた子供時代、バイト先で知り合った青年に恋をしたハイスクール時代、そして詩人となった現在までの、さまざまな出来事が、母への手紙の中で綴られてゆく。

生きることは痛みだという通底音の中に、時折、恐ろしいほど美しい一瞬が輝きを放つ。それは、海と空の広がりを喚起させるイメージだったり、欲望の輪郭を逆光のように染め上げる光景だったりする。

美しいな、と感じたのは、タバコ農場で出会ったトレヴァーの視線だ。

でも、僕がそのとき感じたのは欲望ではなく、静かに蓄積する電荷のような可能性だった。僕をその場にとどめたまま、自身の重力を発散する感情みたいなもの。畑で僕を見たときのあの目。目の前に積み上がっていく緑色のたばこの葉を見ながら、肩を並べて作業をしたあの短い時間、僕たちの腕は時々互いに触れ合った。

人を好きになり始める「あの感覚」を、「静かに蓄積する電荷のような可能性」という表現に撃たれた。

まだ自分の「好き」に気づいていない感覚……これ、切り取った引用だけで伝わるか不安だが、人を好きになったプロセスに注意を払ったことがある人なら分かるだろうか。

スイッチのON/OFFのようにデジタルに切り替わるのではなく、身体の内側を満たしていくなにか―――普通だと「熱」として描かれることが多いが、この熱は発散するのではなく方向を持っている―――を感じたことがあるなら、分かるかもしれない。

「僕」とトレヴァーとの恋が美しい。

自分の中の性的志向に戸惑いながらも、おずおずと歩み寄り、自分の殻を破り、外へ出ると同時に、自分の欲望にも踏み込む。僕もトレヴァーも同じものを欲望していることを自覚して、実行する。その決然たる所作の一つ一つが、美しい。

そうした輝きも束の間の出来事になる。

フラッシュバックやフラッシュフォワードを織り交ぜ、「僕」の語りは行きつ戻りつしながら、現在に向かう。ベトナム戦争のナパーム攻撃やオピオイドの薬害や全身をがんに蝕まれ迎える壮絶な死を描き、生きることは痛みだという基底に戻ってゆく。

読み手は、埋め込まれた輝きの一つ一つを拾い上げるように進めてゆく。私が見つけたきらめきをいくつか並べよう。

だってあなたは覚えているのだから。そして思い出は二度目のチャンスだから。

永遠に続くものなんて存在しない、と人は言う。でも本当は、何かが自分の愛より長続きするのを恐れているだけだ。

本当のことを言うと、アメリカは神の下にある一つの国ではなく、薬物の下、ドローンの下にある国だ

本当は「あなたは幸せなの?」と言いたいのに、いつも「元気?」と言ってしまってごめんなさい

美しいものには命をかける価値がある、と僕は学んだ

私が一番気に入っているのはこれ。

完璧な喜びは、うれしいという感覚さえ排除する。なぜなら、対象によって満たされた魂には、"私"という部分さえ残されてはいないからだ。

これは、「僕」がトレヴァーに乗られた状態での言葉だ。自分がまだそこに存在していること、僕が僕であることを確認するため、背後に手を伸ばす。そこで手に触れたのが、自分の身体ではなく、トレヴァーだったことに気づく。そこには、「僕」すらいないのだ。

人生は残酷な痛みでできている。そこにきらめきを見いだす、詩のような小説。

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イギリスの歴史の教科書に嘘は書いていないが本当の事も省かれている

世界史を学ぶほど、イギリスが嫌いになる。

奴隷貿易、インド支配、アヘン漬け、三枚舌外交など、悪い印象しかない。アフガニスタン紛争やパレスチナ問題など、今なお続く厄介な問題を手繰っていくと、きっとイギリスの悪行が見つかる。にもかかわらず、イギリスが代償を支払ったことは見たことがない。

仮に、歴史の審判なるものがあるのなら、その目はイギリスを素通りしている。でなけりゃ、審判自体が存在しないか。

そんなイギリスが、自国の教科書に何と書いているか?

植民地支配を「なかったこと」にしているのか。あるいは、不都合な事実を歪曲してほっかむりをするのか。さもなくば、嘘八百を並べ立てているのか。

イギリスの中学の教科書『The Impact of Empire/帝国の衝撃を読んでみた。

イギリスには、日本のような教科書検定制度は無い。

だが、学習指導要領に相当する、ナショナル・カリキュラムに準じる必要がある。カリキュラムの「指示」に従い、「イギリス帝国の存在が、イギリスと、海外の異なる地域や人々に与えた影響力を学ぶ」方針に沿って執筆されたのが、これだ。

イギリスの教科書に書いてあること

結論から言うと、嘘は書いていないけれど、本当のことも省かれていた。

まず、植民地支配の歴史は書かれている。

日の沈まぬ国としての大英帝国の栄光の記録が、教科書の大半を成している。どんな試行錯誤を経てインドを支配するに至ったか、帝国の建設者となったのは誰かといった経緯が、物語られている。

奴隷貿易も書かれているし、虐殺は虐殺として書かれている。

例えば、セポイの反乱への鎮圧は、「正義」を超えた報復だとも認めている。

反乱者だと思われる人を片っ端から捕え、裁判抜きで処刑する。さらに、普通に殺すのではなく、大砲の口に縛り付けて粉々に吹き飛ばしたことも書いてある。ヒンドゥー教とやイスラム教徒が確実に地獄に行けるよう、強制的に牛や豚の肉を食べさせた後に処刑したことも書いてある。

あるいは、偽の外交文書で騙したことも書いてある。

アフリカのベナン王国と貿易条約を結ぶ際、英語を読める人が少ないのを良いことに、「ベナンの支配権を譲渡する」という文言を滑り込ませたという。当然、関係は険悪化するが、近代兵器で武装したイギリス人の敵ではなく、都は焼き払われ、財宝はエクセターの博物館に運び去られたことも書いてある。

イギリスの教科書に書いていないこと

一方で、清国をアヘン漬けにしたことは書いていない。

中国産の茶の需要が高騰したが、中国に売るものが無いため、インドからアヘンを持ち込んだことは書いてない。銀の流出を危険視した清国とアヘン戦争が行われ、南京条約や香港の割譲、不平等条約の流れは、一切ない。

これらは、帝国の圧力に曝されるアジア側にとっては危機感を煽られるものとして重視される一方、大英帝国にとっては相対的に「小事」なのだろう。

そもそもこの教科書、時系列に沿って歴史を記述する方法になっていない。

奴隷制や囚人植民地など12のテーマに絞り、その範囲で限定的に説明されており、網羅性は見るべくもない。アヘン戦争が書いてないのと同様に、小事として書かれていない暴力は、まだありそうだ。

しかも、特定の人物を主人公にして、その目を通して描写するという、いわば「歴史物語」の体裁を取っているため、「なぜそれが起きたのか?」「その後どうなったのか?」といった背景や影響は抜け落ちることになる。

三枚舌外交はどう書かれているか

象徴的なのは、イギリスの三枚舌外交だ。

アラブ側の軍事行動の見返りのため、ユダヤ人からの財政援助を求めるため、フランス・ロシアとの協定のため、イギリスは、相矛盾する3つの約束をした。フサイン・マクマホン協定、バルフォア宣言、サイクス・ピコ協定と呼ばれている。

そして、この三枚舌外交により民族対立が先鋭化し、現在まで続くパレスチナ問題が生じることになった―――と、日本の教科書(山川出版、帝国書院)やWikipedia[Balfour Declaration]にある。

もちろん、イギリスの教科書にも、この3つの矛盾した約束が書いてある。

だが、とあるイギリス人の物語という形で描かれている。

名前はガートルード・ベル、熱烈なアラブ主義者で、イギリス政府から高く評価された行政官である。彼女は、矛盾した協定を知ると、大いに心配し、アラブとユダヤの確執を恐れるようになる。

それだけだ。

3つの協定について、丁寧に書かれてはいる。どのような立場の人物が、どんな思惑で、誰と話し、どういう協定を結んだか……は書いてある。民族問題になることを懸念し、ガートルードが孤軍奮闘することも書いてある。

だが、彼女の努力は実を結ばず、睡眠薬で自殺するところでこの物語は終わる。

これは、とても奇妙に見える。

なぜなら、矛盾した協定を問題視しているのが、あたかも彼女一人であるかのような書き方をしているからだ。そして彼女の死が、問題視を帳消しにしているように見える。さらに後日譚のように、石油利権の話や、イスラエル支持のアメリカに対するアラブの反発が添えられている。

ナラティブの必要性

まるでヒトゴトのような書きっぷり。

この教科書で鍛えられたイギリス人は、矛盾した協定がなぜ結ばれたのか、それぞれの立場や思惑を説明できるだろう。そして、問題の複雑さ、解決の困難さについて、一家言を持つに違いない。

そして、決して、「自国のせい」とは思わないだろう。そのため、パレスチナ問題がどのように(how)生じたのかは分かっても、なぜ(why)起きたのかという疑問に向き合うことはないだろう。

しかし、この態度は「正しい」のかもしれない。

もし、問題の原因を過去に探し、その過ちの償いを求めようとするならば、どれだけ支払っても払いきれないぐらいの責務を背負うことになる。金銭的な補償だけでなく、精神的にも耐えられないだろう。良心の呵責に苛まれず、イギリス人が歴史を直視するためには、こうした物語の形で示す必要があるのかもしれぬ。

問題はもはやイギリス一国に閉じず、多数の国家、民族、宗教をまたがり、解決不可能とまで言われている。関わる人々の立場や意志があまりにかけ離れているため、問題そのものを客観的に記述することすら難しい。

そんなとき、歴史を、登場人物の出来事として語らせるナラティブが役に立つのかもしれぬ。「その人の目からは、こう見える」とすることで、少なくとも記述を最後まで続けることができるから。

 

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ポルノではないリアルなセックスを描いた作品(18禁含む)

「エッチ」というキーワードで検索すると、ポルノやアダルトサイトがヒットする。

上位には、不倫・眠姦・NTRが並んでいる。念のため申し述べておくが、履歴を消した検索なので、私の嗜好は反映されてない。

性に興味を持ちはじめた子どもにとって、最初の洗礼はキツいかもしれない。

そしてポルノで学ぶと、「セックスって、こんなものか」と思ってしまうおそれがある。ネットが身近な子どもなら、検索の方法を覚えるほうが、学校の保健体育よりも早いだろう。そして、検索の方が授業よりも速く教えてくれる。

もちろん、適切なキーワードさえあれば、「こんなもの」ではないセックスを知ることができるだろう。だが、その「適切なキーワード」に辿り着く前に、SEO対策済のサイトに誘引されるのが現状だ。

そこで描かれるセックスは、描写が濃密であるほど、情欲を掻き立てる役割を与えられる。検索した人が欲しい情景を見せて、消費されるためのセックスになる。ありえないシチュや都合の良すぎるファンタジーセックスといえるだろう。

そういう、使ってもらうための「こんなもの」ではなく、「ありふれた」セックスはないだろうか。どこにでもいそうなカップルが、関係性を育み、一線を超える―――そんな作品は、ないだろうか。

慣れないため想定通りにいかなかったり、ちょっとしたトラブルに見舞われたりする。二人の関係が変わってしまうことへの不安と、ぎこちない動きにもどかしさを感じながら初々しくぶつかりあう。

あるいは、時間をかけてお互いによく理解し合っている二人が、安心して身をゆだねられるような、日常的なセックスをする。

相思相愛のカップルが、幸せそうに愛し合う、そんな作品はないだろうか。

絵本から学ぶ「ごまかしのない」セックス

『ぼくどこからきたの?』は、ピーター・メイルが著し、谷川俊太郎が翻訳した絵本だ。

男女の違いから始まって、セックスとは何かを説明する。赤ちゃんがどうやってできるか、お腹のどこで大きくなるか、そして、どのように生まれてくるかを描いている。

一切のごまかしをせず、例え話に逃げず、オブラートに包んだり省略することもしないで、具体的に、丁寧に、分かりやすく説明する。小さい子どもでも読めるよう、ひらがなで書かれている。

家庭内性教育はこの一択だ。大切なのは、セックスを冗談や卑猥なもので歪ませたメディアから伝えられること。遅かれ早かれ、子どもは知る。その「知り方」が重要なのだ。

文字が読めなくても大丈夫で、大人が読み聞かせてもいい。だけど、男女が何をしているかが分かるぐらいの年頃からになる。

生臭くて、ぎこちないセックス

『幾日』は、幾花にいろが描いた成年コミックだ(リンク先18禁注意)。

幾花にいろ『幾日』「咬合」より

20211106

さまざまなカップルが、それぞれの事情を抱えて、最終的には幸せなセックスをする。裸のラインが綺麗で、乳お化けじゃないのが良い。モデル並みの身体が現実離れしているけれど、キャラ設定が妙にリアルで、男も女も、身近にいるいる感がある。

たとえば、オフ会したらまさか相手が女の子だったという展開は非現実的だけど、その子と一日中遊び回って車の中でイタしたら臭かったという描写はとても現実的だ。ありそう感/なさそう感のバランスが生々しい。

それが行為を生臭さくする。スマートじゃない、動物的なリアルだ。一方で、コンドーム装着が丁寧に描かれているのも好感が持てる。セーフセックス大事やね。

臭いと匂いは紙一重

音声や映像といった媒体だと、後回しにされがちなのが嗅覚。

匂い(臭い)って、理解しあう上でかなり重要。

意識する/しないに関わらず、向かい合って話をする、一緒にご飯を食べるといったプロセスの中で、お互いの匂い(臭い)で相性を判断している。そもそも、キスの起源は鼻をくっつけあって嗅ぎ合うことなのだから。

そこで山田金鉄『あせとせっけん』、臭いフェチ御用達オフィスラブコメだ。

汗っかきがコンプレックスな地味メガネ女子✕ 匂いフェチ売れっ子商品デザイナーの組み合わせ。体臭が気に入ったのがなれそめというのが良い。「毎日あなたの匂いを嗅ぎたい」というのは完全セクハラだけど、嗅がれる方の「っ!」という表情もカワイイ。

この「嗅ぐ」という行為は、触れたり抱いたりえっちする、ずっと前から始まっているプロセスだということが分かる。

ここで紹介したいのは、本編ではなくスピンオフ(?)の18禁ほう。作家本人が同人の形で出すめずらしい作品なのだが、あのカップルが、ガチで子づくりセックスをする。ストーリーとしてのヤマやオチは無く、ひたすら行為に励むのはリアルなり。

相思相愛で結婚したカップルであっても、避妊せずに性行為をするのは、一種の覚悟というか心構えが違ってくる、あの感覚が伝わってきて生々しい。

ただし、最中に「ワキの臭い嗅がせて」は言わないよね。黙ってするもの/されるもので、わざわざ言葉にするのは羞恥プレイ、ひいては読者サービスの一環なのかも。リンク先18禁ご注意を。

男性同士のセックス

幸せなセックスに、同性も異性もない。そう確信できるのがこれ、中村明日美子『同級生』『卒業生』だ。

男子校が舞台で、2人の男の子が恋に落ちる。

ひとりは学校一の秀才。入試で全科目満点を叩き出すぐらい優秀で、真面目がメガネをかけた理知的な印象がある。すぐ赤面する。

もうひとりはバンドマン。ライブでギター弾いてて、女の子にも人気者。くしゃっとした明るい髪と人好きのする顔立ちだ。すぐ赤面する。

そんな、普通なら決して交わることのない2人が、あることをきっかけに互いを意識し、距離を近づけてゆき、思いを伝え合う。

初々しく、可愛らしく、読んでるこっちが甘酸っぱい気持ちで一杯になる。あふれ出すリビドーを持て余していた自分と比べると、なんとも純粋な恋で、痛苦しくなる。そこに欲望があるのだが、互いに相手のことを慮るのが素晴らしい。

中村明日美子『卒業生』-春-「京都にて」より

20211103

性欲満載の年頃だから、ガマンできるほうが凄いと思う。

そのタガが外れたときにすることといえば、異性のそれと全く一緒。何か特殊なことを考えるのがおかしい。「することは同じ」なのだから。

「ふつう」は難しい

わたし自身、ポルノに染まっており、ありふれた「ふつうの」が何であるか、とらえどころが無くなってしまっている。

  • 性を真正面からとらえ
  • 肯定的で
  • 人間関係を強化する
  • コミュニケーション手段の一つとしつつ
  • 物語そのものの目的としない

これ、かなり難しい。

なぜなら、物語の目的は、葛藤と遅延だから。

主人公から何かを欲しがり、それを探すために彷徨う……というのが、あらゆる物語の原型になる。そして、主人公が求める「何か」を手にすることを遅延させることが、物語のエンジンになるのだから。

仮に、満ち足りた主人公を考えてみると分かる。「欲しいもの=愛する恋人」と相思相愛になり、何の障害も葛藤もなく、ひたすらいちゃいちゃしているだけの物語は、あるにはあるけど、続かない。

そのため、物語に持ち込まれるセックスは、(劣情を掻き立てることを目的としたものでない限り)、紆余曲折や葛藤や冒険を経た、物語のゴールとして扱われる。

しかし、そうした物語の縛りから外されたセックスは、「見る」ものではなく「する」ものなのかもしれない。その意味で、ここに紹介する作品は珍しい部類に入る。極めて個人的なことでありながら、「することは同じ」普遍的なものなのにね。

「ふつうの」を扱った、お薦めがあったら教えてください。

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経済学は「科学」なのか?『社会科学の哲学入門』

経済学は「科学」だろうか?

頻繁に書き変わる教科書は、物理学のと好対照を成す。経済学の研究者は好きなことを勝手な方法で分析し、主張し、何やら数式モデルは出てくるけれど、再現性も説得力も無さそうに見える。

わたし自身、もう経済学の勉強はしていない。なぜなら、やればやるほど分からなくなるから。

現実を追いかける教科書

例えば、経済学の教科書は数年で書き変わる。

『クルーグマン国際経済学 理論と政策』が象徴的だ。3~4年で更新され続け、今冬12版が出る。更新のたび、理論が書き変わり、モデルが追加されてゆく。

世界金融危機やブレグジット、中国の台頭といった新しいトピックに対応していると言えば聞こえはいいが、その度に新しいモデルやパラメーターを導入し、既存の理論との整合性を(ムリヤリ?)取る。

そしてひとたび、想定外の事象が起きたら、「ブラック・スワン」などというカッコイイ名前を付けて説明できたことにする。現実の経済に経済学が追いついていない証拠に見える。既存の理論を疑うのではなく、新しい出来事が起きたものと見なすために、新しい名前を付けることで、経済学者の精神は守られる。

結果、経済学の教科書は順調に厚みを増し、理論やモデルの補注だらけ、パラメーターまみれになる。

お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな

いやいや、経済学の古典とも言える思想を辿るなら、そこは揺るがない(はず)。

そう信じて、マルクスやケインズを齧ると、別の疑いが出てくる。

教科書の元となる彼らの思想そのものが、なんら客観性もなく、個人の価値観で歪められたバイアスではないか、という疑いだ。いわゆる「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」疑惑である。

例えば、大学教授への道が閉ざされ、借金に追われて住居を転々としたマルクスが構想したのは、「破滅へ向かう資本主義」だった。一方で、絵画や古書への造詣も深く、裕福なパトロンとして人生を愛したケインズは、「持続可能な資本主義」の立役者となった。

同じ「資本主義」でも偉い違う。これは、二人の生きた時代の違いだけでなく、二人の出自や生活環境、持てる者/持たざる者に因る歪みではないか。ハイルブローナー『世俗の思想家たち』を読むと、この思いは一層強まってくる。

そして、その時代ごとの風潮や為政者の思惑に、「たまたま」マッチした思想がもてはやされ、一世を風靡した後、共に消えていく(そして時が流れ、また流行や思惑に合いそうなとき、ゾンビのように復活する)。

経済学に疑いを抱いているのは、わたしだけだと思っていた。

だが、吉田敬『社会科学の哲学入門』を読むと、誤りだと分かった。

社会科学の教科書がない理由

経済学を始めとする社会科学への欺瞞は、何十年も前から議論されており、現在進行形で続いている。

社会科学の教科書がない理由は、トマス・クーンにまで遡る。

「いや、経済学の教科書はあるぞ」という反論は、私もしたい。だが、時代や地域だけでなく、学派によって偉い違う。だいたい、教科書そのものが数年おきに書き変わる現状では、「パラダイムが無い」と言われても仕方ないかも。

1958年から59年にかけ、クーンはスタンフォード大学の行動科学高等研究センター に滞在していた。そこでは、社会科学者たちが共通的な前提を一切せず議論をしていた。クーンは一種のカルチャーショックを受けることになる。

物理学なら、研究者全員に共有される「なにか」がある。それは前提や教科書、あるいは枠組みだったりする。クーンは興味を抱き、その「なにか」を概念化したものをパラダイムと名づけ、『科学革命の構造』を著すことになる。

つまり、クーンの立場からすると、物理学にはパラダイムがあるが、社会科学にはパラダイムが無いのだ。

クーンのパラダイム論に対し、社会科学者は賛否両論だった。

科学史において中心的な位置を占めてきた物理学と比べると、社会科学はどうしても見劣りする。そのため、社会科学もパラダイムを持つべきだという意見が現れるようになった。

一方、反対する人もいる。スティーヴ・フラーが代表的で、「パラダイムを受け入れる=基本的前提を疑うことなくそれに従って研究を進める」ことがダメだという。社会科学とは、皆が常識と考えるまさにその前提に、批判の目を向ける学問だ。従って、パラダイムを受け入れるのは、自殺行為だというのである。

フラーの立場からすると、経済学の教科書は幾つあってもいいし、どんどん書き変わることこそが、正しいことになるのだ。

経済学にやたら数式が出てくる理由

数式をありがたがる(?)理由も紹介されている。

物理学や天文学がこれほどまでに成功した理由は、数学のおかげだ。数式に基づく数学に基づく形式的な言語に置き換えることで、自然現象の説明や予測に成功してきた。

そのため、社会現象も同様に、数学的ないし形式的に説明したり予測するようになることが、科学的であることの証だと考えるようになったという。言い換えるならば、物理学のようになることが科学的とされたのである。

この考えを「物理学羨望」と呼ぶという。そして羨望のあまり、社会科学の方法は、自然科学と同じであり、前者は後者に還元できるという立場の者も現れるようになる。

一方で、物理学羨望を批判する者も現れる。物理学を科学の典型としてマネする態度を、フリードリヒ・ハイエクが「科学主義」と呼び、攻撃する。

自然現象を分解し、再構成する機械論的な自然科学のアプローチ(自然主義)と異なり、社会科学は、個人の意図や信念といった主観的な要素を取り扱う。そのため、同じ方法ではダメで、意図や信念といったものを解釈を通じて研究する(解釈主義)必要があるという。

同じ学問領域の中でも、自然主義と解釈主義という、まるで正反対のアプローチが存在している。それだけ社会科学が豊かなのか、とりとめのないのか……

自然科学と社会科学は違わない

「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」疑惑も、見事に喝破されている。

ただしこれ、経済学に限ったことではなく、社会科学、自然科学も含め、同じ轍を踏んでいるという主張だ。文化相対主義という。

文化相対主義とは、生まれ育った環境や、現在の立場やグループの慣習によって、「正しさ」が形成されるという考え方だ。あるものが「正しい」「合理的」と判断する基準は、その文化や慣習に内在しており、客観的に判断できるような基準は存在しないという。

仮に、何らかの判断を客観的に正しいと言い切る科学者がいるのなら、その科学者こそ、自分のバイアスに気づいていないことになる。

これ、経済学ならそうだよね、と大きく頷けるだろう。だが、自然科学はそうした価値判断のバイアスから程遠いのではないか? と考える。

本書では、マックス・ヴェーバーやアーネスト・ネーゲルを引きつつ、科学的論証には、科学者の価値判断が混入している主張を紹介している。

私が気づいた例だと、自然科学の研究において、以下のバイアスに陥っている研究者がいる。

  • キリスト教的世界観から「ビッグバン=光あれ!」縛りから離れられず、ビッグバン以前は「現在利用できるデータ・理論から説明できない」と言うべきところを、「無」と答えてしまう。「説明できない=無」ではないことに気づけない
  • 神に創られし人が住まう地球こそ唯一無二という価値観から、生命の誕生は地球説に固執し、地球外で生命が誕生する可能性を否定
  • 太陽系モデルを標準としてしまい、ホット・ジュピターなど系外惑星を見落とす等、自己中心とした宇宙観

上記は、現在進行形で更新されつつあるので見てて楽しい。

科学者も人であり、人である限り何らかの価値観を持っている。だからといって、全てを相対的に見てしまうと、何をもって「正しい」とするか分からなくなる。自然科学、社会科学に限らず、自分のバイアスに自覚的になることが肝要ですな。

科学哲学の観点から営みの根本へとガイドする恰好の入門書。

本書は読書猿さんに教えてもらって読んだ素晴らしい一冊。ありがとうございます! 読書猿さん。

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『蛇の言葉を話した男』の面白さを、あらすじ抜きで伝える

まず証拠。この小説が面白い証拠だ。

Hebinokotoba

背表紙を見てほしい。少しナナメに歪んでいることが分かるだろうか。あるいは、小口(開くところ)だと斜めにひしゃげている。これが、一気に読んだ証拠だ。

説明する。

まっさらの本は、背表紙も小口もまっすぐで、上からのぞいたら、長方形に見える。

扉を開くと、開いたほうに背表紙が引っ張られ、斜めに歪む。扉を閉じれば、歪みは元に戻る。そして、閉じている間は、本は元の形に戻ろうとする。

ところが、開きっぱなしだと、背表紙はずっと引っ張られたままとなり、歪みが戻りにくくなる。その時間が長いほど、歪みは強化される。つまり、一気に読まれるような本であるほど、このようにひしゃげてしまうのだ。

読み始めたら止まらない、そういう本は、確かにある。巻を措く能わずとか、page-turnerと形容される、中毒性の高い物語。

それが、『蛇の言葉を話した男』だ。

あらすじなんて野暮なネタバレはしない。だが、帯文に違和感があるので、そのツッコミでもって紹介としよう。

帯にはこうある。

これがどんな本かって?
トールキン、ベケット、M.トウェイン、宮崎駿が
世界の終わりに一緒に酒を呑みながら
最後の焚き火を囲んで語ってる、そんな話さ。

だいたいあってる。不条理と諧謔と異形を折り込んだ、壮大なファンタジーという趣旨なのだろう。だけどこれだと、エンタメ(プラス寓話)に留まってしまう。

それでも十二分に面白いのだが、痛切に刺さった印象(味・匂い・肌感覚)がいくつかあって、それこそがこの物語を極上の逸品にしている。

たとえば、蛇の言葉を話す「ぼく」。

「ぼく」が、全く異なる価値体系で、世界を問い直しているところがすごい。私たちが常識だと考えていること、重要だと見なしていることは、「ぼく」に言わせると、馬鹿で哀れなものにすぎない。逆に、私たちからすると、「ぼく」のほうこそ頭が足りないと見えるだろう。

『すばらしい新世界』と同じ味

この価値観の倒錯は、ハクスリー『すばらしい新世界』と同じ味がする。

西暦2540年のディストピアを描いた傑作古典だ(もう「古典」って言ってもいいよね)。工場で生産された人間を飼い馴らす完璧な管理社会に、一人の「野蛮人」が連れてこられる―――そんなストーリーなのだが、この「野蛮人」の指摘が、そのまんま『蛇の言葉』と好対照を成す。

人間性が喪失した世界で、それでも人であろうとすると、どんな目に遭うか―――『すばらしい新世界』の黒いユーモアに笑った人は全員、まちがいなく、『蛇の言葉』で爆笑するだろう。

『悪童日記』と同じ匂い

倒錯した価値観の語られ方は、アゴタ・クリストフ『悪童日記』と同じ匂いがする。

『悪童日記』は、双子が「ぼくたち」として綴る日記形式の物語だ。戦火を逃れて田舎へ疎開するが、非情な運命に向き合わされる。読者はすぐに気づくのだが、「ぼくたち」は普通ではない。非常に賢いが、倫理性の欠片もなく、人間ぽく見えない。

その言動は奇異に見えるかもしれないが、戦争によって狂わされた日常にとってはむしろ、合理的に見える―――『悪童日記』の「ぼくたち」にそう感じた人は、『蛇の言葉』の「ぼく」にも同じ思いを抱くだろう。そして、再度感じるかもしれぬ、狂気と正気は多数決だということに。

『百年の孤独』とシンクロ

神話の誕生を垣間見る感覚は、ガルシア=マルケス『百年の孤独』とシンクロする。

衰退が運命づけられ、「最後の〇〇」や「△△と最後に会った男」など、ラスト・オブ・〇〇臭が漂う中で、過剰で濃厚で圧倒的な密度で騙られる物騙り。その展開に漫然と身を任せ楽しんでいるうち、そこに仕込まれた寓意に気づくと驚愕する仕掛けになっている。

運命から全力疾走した先に運命が待ち構えている構図や、叙事的に言葉を重ね、丁寧に現実を語っているのに幻想に誤読できてしまう描写など、ぜんぜん違う物語なのに、新しい『百年の孤独』を読んでいるかのような気になる。

他にも、マイク・レズニック『キリンヤガ』、イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』など、これまで読んできた様々な傑作と、同じ舌触りでありながら、まるで違う物語である。

読み始めたら止まらない、そういう本は、確かにある。巻を措く能わずとか、page-turnerと形容される、中毒性の高い物語。

それが、『蛇の言葉を話した男』だ。

 

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だまされたと思って読んでほしいアントニオ・タブッキ『インド夜想曲』

「だまされたと思って読んで。読まずに死んだらもったいないから」

そう渡されたのが、アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』。手渡すときの、いたずらっぽい目つきと、「読んだら【すぐに】  感想教えて」という口調が気になった。

150ページたらずで、そのうち読むつもりだったが、「あとで読む」は後で読まないのは本当だね。そのまま長い年月が経った。昨今のコロナ禍で死が身近になった今、読まずに死ねるかと開いたらあっという間だった。

静謐で、濃密で、これ以上ないほど贅沢な一時間となった。

インド、ボンベイ。主人公がタクシーに乗るところから始まるので、紀行文学の体をした小説というのが第一印象。地の文が「僕」で語られる点は村上春樹に似ているけれど、「僕」が雰囲気に流されない点は似ていない。

読み始めてすぐ、「僕」は誰かを探していることが分かる。どうやら失踪した友人のようだが、彼のほうは会いたくないらしい。だが「僕」は、手がかりを丹念に集め、手繰り寄せ、近づいていく。

ボンベイ、マドラス、そしてゴアと、友人の痕跡をたどってゆく。夜のバス停で出会う美しい目をした少年、もと郵便配達のアメリカの青年、5つ星ホテルで隣り合わせた女など、様々な人々と交流する。「僕」は、地図上の移動だけでなく、階層をも上下しつつ、インドを探ってゆく。

12章の断片に分かれるどのシーンどのシーンも印象的で、いかに醜悪な光景でも、はっとする一瞬を切り取っている。読み進めるうち、ほんとうに友人に会えるのか、そもそもなぜ、彼を探しているのか、気になってくる。

だが、作者は、要所要所にヒントを残している。私が一番好きなのはこれだ。

「肉体のことです」僕がこたえた。「鞄みたいなものではないでしょうか。われわれは自分で自分を運んでいるといった」
p.48

過ぎ去った現実は、大体において、実際にそうだったよりも改善される。記憶はおそるべき贋作者だ。その気がなくても、時間の汚染は避けられない。こうして、いくつものホテルが僕たちの空想の世界を満たしている。
p.110

最初はふらついていた足取りは、ラストに近づくにつれ、だんだん確かなものになってゆく。「僕」が目指しているものが、だんだん私にも見えてくる。ほんとうに短いので、惜しみ惜しみ進みながら、最後のページに達する。

もちろん、『インド夜想曲』を薦めてくれた女の子なんて存在しないし、このごちそうを積読するなど罰当たりなことなんてしていない。ただ、「だまされたと思って読んで。読まずに死んだらもったいないから」は本当だ。そして読んだら分かるはず。あなたを騙したわけではないことを。

 

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無料で米国の有識者にリサーチしてもらう方法

知りたいことの「検索」には限界がある。

問いが漠然としていたり、不案内な分野だったりすると、そもそもキーワードを何にするか分からない。膨大な結果をどうやって絞り込めば良いか分からない。

日本語圏の場合

そういう時は、品川図書館のレファレンスサービスを利用している。メールで問い合わせすると、2週間くらいで返事がくる(大量の参考文献つきで)。無料だし、品川に住んでなくても大丈夫。ちなみに私は、こんな質問をしたぞ。

  • 「最近の若者は……」という愚痴は、いつから?
  • 沢山の翻訳書があるが、高校の現代国語には無いの?
  • 女子大は男性差別であり、男女平等に反する?

得られた回答を元に記事にしたのがこれ。

英語圏の場合

では、知りたいことが英語圏なら?

Google検索の設定画面で、言語を英語にしたり、検索の際のパラメータに「?gl=us&hl=en」を追加することで、英語圏に限定して検索できる。

だが、英語圏の場合だと、より大変だ。適切なキーワードが分からないし、結果も膨大になるだろう。そもそも得られた情報が確かかどうかも分からない。

そういう時は、ニューヨーク公共図書館(NYPL)のレファレンスサービスをお薦めする。メールで問い合わせすると、2週間くらいで返事がくる。英作文が苦手? DeepLに突っ込めばいい。無料だし、ニューヨークに住んでなくても大丈夫

Ask NYPL: Email

https://www.nypl.org/get-help/contact-us/email

あるいは、英語に自信があるなら、チャットや電話でも受け付けている。いまアマプラでやってる映画「ニューヨーク公共図書館」の最初のあたりで、電話での応対がある。

「ニューヨーク公共図書館」youtube予告編

https://youtu.be/CpnBQrD_U68

「ニューヨーク公共図書館」Amazon

https://amzn.to/3ABKjod

米国に「読書猿」っているの?

ちなみに私は、「米国に読書猿っているの?」という質問をした。

NYPLの中の人(Nickさん)は、読書猿さんを「“Autodidact” 、つまり ”自分で自分を教育する人だね” 」と仮置きして、こんな紹介をしてくれた。

Susan Bauer

https://susanwisebauer.com

編集者、大学教員、著述家。著書は教育から歴史と幅広い

著書 ”the Well-Trained Mind: A Complete Course for Young Writers, Aspiring Rhetoricians, and Anyone Else Who Needs to Understand How English Works”(未邦訳)

Tansel Ali

https://tanselali.com

記憶術のエキスパート、オーストラリア暗記選手権のチャンピオン

著書 “How to learn almost anything in 48 hours : shortcuts and brain hacks for learning new skills fast” (未邦訳)

あと、独学に役立つとして、2冊紹介してもらった。

“The independent scholar’s handbook” Ronald Gross,Addison-Wesley Pub., 1982.

“The Paideia proposal : an educational manifesto” Mortimer Jerome Adler, Macmillan, 1982

今になって気づいたんだけど、この Mortimer Jerome Adler って読書論の古典とも言える『本を読む本』を書いた人じゃねーか!

パレスチナ問題は英米の教科書でどう扱われている?

ただし、質問によっては直接の回答を避けるものもある。

政治的な話や、医療、宗教、金銭がからみそうなものだ。この場合、直接回答ではなく、「ここを参照すると、あなたの知りたいことがあるかも」という導線を示してくれる(むしろ、この方がライブラリアンに近い姿勢だ)。

私が質問したのがこれ。

  • イスラエルとパレスチナの争いの原因の一つに、イギリスの三枚舌外交がある
  • イギリスの責任について、世界史の教科書で、どう説明されているか
  • 日本の高校の教科書では、「マクマホン=フセイン書簡」や「バルフォア宣言」といったキーワードで説明されている
  • この問題について、英国や米国の教科書では、どのように説明されているのか?

NYPLは、直接的なことは回答せず、データベースの入口やリサーチガイドに留まっている。要するに「自分で調べろ」だね。

これ、妥当な回答だと思う。ある特定の資料や人物を紹介すると、その資料や人物の主張を支持していると思われかねないから。

それでも、「パレスチナ問題を扱う教科書への批判調査」というレポートを紹介してもらえた。これは大きい。

A Critical Survey of Textbooks on the Arab-Israeli and Israeli-Palestinian Conflict

The MDC for Middle Eastern and African Studies,2017

https://din-online.info/pdf/mdc1.pdf

このレポートは、米国の高校生・大学生が読む歴史の教科書・指定図書を俎上に、事実関係やバイアス、透明性をレビューしたものだ。「著者が自分の偏見を自覚しているか?」や「イスラエルとパレスチナの両方のバランスが取れているか?」といった観点で批判されている。

オックスフォード大学出版の "A Very Short Introduction" (日本だと「一冊でわかる」シリーズ)がめった斬りにされているのが興味深い。

人に頼ろう

私が一人で「検索」してただけでは辿り着けなかった。「Googleさえあれば何でも分かる」という狭い場所にいる限り、絶対に見えない世界やね。使わないともったいない。

よいリファレンスで、よい人生を。

 

以下、私の質問文と、NYPLの回答を貼っておく。誰かの参考になれば幸いかと。

Q.「読書猿」って米国いる?

Hello!

I am looking for blogs of people who are studying alone and do not belong to a university. I am looking for someone who can teach me how to learn about what I want to know.

For example, when you search on the Internet, you get many answers, but what do you do when you can not find the words to search in the first place?

What kind of books should a university first grader read in order to learn culture and education?

How do I write a script based on a story idea?

Before I ask someone for each of these questions, I am looking for someone to find out what to do if I want to find out for myself.

In Japan, there is a blogger called "Reading Monkey". In the English-speaking world, I want to know what kind of people there are. Add a reading monkey blog to the URL (in Japanese).

https://readingmonkey.blog.fc2.com/

A.自分で自分を教育する人だね!

Thank you for your interesting question!

“Autodidact” is defined as, “a self-taught person” (https://www.merriam-webster.com/dictionary/autodidact).

While not an authoritative source on the topic, you might find this Wikipedia entry on “autodidacticism” to be interesting and inspired (and it’s well sourced):

https://en.wikipedia.org/wiki/Autodidacticism

In NYPL’s catalog (https://catalog.nypl.org) you can find a number of books that should help you with your efforts to teach yourself, including:

https://catalog.nypl.org/record=b21055447~S1

Author Ali, Tansel, author.

Title How to learn almost anything in 48 hours : shortcuts and brain hacks for learning new skills fast.

Publisher Richmond, Victoria Hardie Grant Books, 2015.

https://catalog.nypl.org/record=b15799947~S1

Author Bauer, Susan Wise.

Title The well-educated mind : a guide to the classical education you never had / Susan Wise Bauer.

Imprint New York ; London : W.W. Norton & Co., c2003.

https://catalog.nypl.org/record=b10998139~S1

Author Gross, Ronald.

Title The independent scholar’s handbook / Ronald Gross.

Imprint Reading, Mass. : Addison-Wesley Pub., 1982.

https://catalog.nypl.org/record=b10794353~S1

Author Adler, Mortimer Jerome, 1902-2001.

Title The Paideia proposal : an educational manifesto.

Imprint New York : Macmillan, 1982.

CALL # 808.2 S 

AUTHOR Straczynski, J. Michael, 1954- 

TITLE The complete book of scriptwriting / J. Michael Straczynski. 

PUBLISHER Cincinnati, Ohio : Writer’s Digest Books, 2002, c1996.

CALL # 808.22 W 

AUTHOR Willis, Edgar E. 

TITLE Writing scripts for television, radio, and film / Edgar E. Willis, Camille D’Arienzo. 

PUBLISHER Fort Worth, Tex. : Harcourt, Brace, Jovanovich, c1993.

Online, Library Thing offers a bibliography on the topic of “autodidactism”:

https://www.librarything.com/tag/autodidactism

We hope this helps!

Q.パレスチナ問題は、英米の教科書でどう説明されてる?

Hello.

I like to look for the causes of modern problems in world history.

I would like to know about the UK's responsibility in the Palestinian issue.

It is said that the British government is one of the causes of the conflict

between Israel and Palestine.

However, the British government is not present at the talks for a solution,

and instead, the United States seems to be mediating between Israel and

Palestine.

Israeli–Palestinian conflict

https://en.wikipedia.org/wiki/Israeli%E2%80%93Palestinian_conflict

So, I have two questions.

First.

What does the UK think about this issue? Is it going to remain silent and try

to avoid its responsibility?

Or is it making excuses or dodging responsibility?

Secondly.

Japanese high school students are learning about this issue in their world

history textbooks using the following key words.

McMahon-Hussein Correspondence

https://en.wikipedia.org/wiki/McMahon%E2%80%93Hussein_Correspondence

Balfour Declaration

https://en.wikipedia.org/wiki/Balfour_Declaration

It is said that the British lied to both Arabs and Jews and used them to

their advantage. What do high school students in the UK and the US learn

about this issue in their history textbooks?

A.入口はここ、自分で調べてね

Thanks for your interesting questions.

While we're not able to research on your behalf, you can find resources on the topic via our online catalog:

https://legacycatalog.nypl.org

One location to visit for your research is the General Research Division:

https://www.nypl.org/locations/divisions/general-research-division 

The Stephen A. Schwarzman Building, Room 315 

476 Fifth Avenue [at 42nd Street] 

New York, NY 10018-2788 

generalresearch@nypl.org

Information about the collection and access policies, and links to research guides can be found here:

https://www.nypl.org/about/divisions/general-research-division/access

The New York Public Library (NYPL) subscribes to a large number of databases that can be accessed at our various library locations (http://www.nypl.org/locations). Using these you may search for newspaper, magazine, journal articles:

http://www.nypl.org/databases

An overview of NYPL's databases (including instructions) can be found here:

https://libguides.nypl.org/eresources

With a 14-digit NYPL library card number (not a temporary card number), and four-digit PIN you can access many of these databases (noted by the house symbol) remotely from school, home or office, unless there is a firewall blocking access:

http://www.nypl.org/collections/articles-databases/alpha%3D%26subject%3D0%26location%3D0%26audience%3D0%26language%3D0%26keyword%3D%26limit%3D1

Online, one source that offers a description of textbook coverage is this study titled, "A Critical Survey of Textbooks on the

Arab-Israeli and Israeli-Palestinian Conflict":

https://din-online.info/pdf/mdc1.pdf

We hope this helps and wish you all the best with your research.



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一行で刺す『心ゆさぶる広告コピー』

「言葉の力」というものを、わりと本気で信じている。

なぜなら、わたしに響くから。なんでもない一言や、ちょっとした感謝の言葉で、グッと気分が変わってくるから。

だから自分向けの言葉のコレクションをしている。

ネットや本からかき集めた、どこかの誰かの言葉集は、ダウナー気味の処方箋になったり、心を落ち着かせる呪文になったりする。

『心ゆさぶる広告コピー』が良かった。

もちろんスポンサーがついていて、宣伝のための言葉なのに、たった一言で、私を刺しに来る。

世界がいつかまた、騒がしくありますように

コロナの時代を反映して、コピーが大きく変わっていることが分かる。

たとえば、70年目を迎える大井競馬の開幕の広告がそうだ。

 

 

2020年、外出自粛の世の中で、弱ってゆく活気と、膨らんでゆく不安の中、東京で最初の緊急事態宣言の前日に掲載されたという。

ポイントは「騒がしく」という言葉選びだったという。

「騒がしく」って、本当はネガティブな響きを持つ単語だ。だが、清濁併せ呑んだ”人間のまるごと”を肯定するメッセージを込めて、「賑やか」ではなく、あえてこの言葉を選んだと説明されている。

2020年、夏、部活

学校は休校になり、インターハイを始め、様々な大会が中止になった夏、自主練に打ち込む若者たちを描いている。

野球やサッカー、吹奏楽部などに所属する生徒のインタビューから聞こえてくるのは、悔しさ、不安からくる、「もうできないんじゃないか」という危機感と、「それでもやりたい」と揺れ動く気持ちだ。

  • 発表された時は、無心でした。全然受け入れられなくて(吹奏楽部3年)
  • 何のために部活頑張ってきたんだろう(サッカー部3年)
  • あの空間、あのメンバーで練習する時間が、幸せだったんだなって(テニス部3年)

急激な社会の変化によって、できなくなったこと。やりたかったこと。やれば良かったと後悔していること……そうした「思い」は沢山ある。じゃぁどうするか? となったとき、「できることをやろう」とひたむきに練習する。

  • 今までやってきたことが、決して消えるわけじゃない(バスケットボール部3年)
  • 「あなたがしてきた事は絶対無駄にならないし、この先もずっと自分のためになる。」と母が言ってくれました(ボクシング部3年)
  • 自分たちはこういう経験したからこそ、これからもっと強く生きていけるんじゃないかなと思っています。自分の未来はこれからなんで(野球部3年)

インタビューからすくい取られた言葉の一つ一つが、そのままコピーになっている。私が部活に励んだのは昔のことだが、「じゃあ私はどうする?」という気になってくる。

最後だとわかっていたなら

9.11同時多発テロの追悼会で朗読され、3.11東日本大震災の復興広告に掲載された詩。

もとは、我が子を事故で亡くした母がつづったものだという。後悔、苦悩、思い残し、ああすれば良かった、なぜあんなことをしたのだろう……さまざまな無念が去来するのが分かる。

タイトルから刺しに来ているが、わたしが最も響いた箇所を引用する。

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたし はあなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

私はときどき、いや、しょっちゅう、明日はまた来ると確信し、明日をあてにして生きている。そして、今日どころか、今いうべき言葉―――「ごめんね」や「ありがとう」―――を先延ばしにしてしまう。

その、先延ばしにした今日を、明日になって後悔しないために、この言葉を使おう。

心ゆさぶる広告コピー

本書には、こうした「刺しに来る」言葉が沢山ある。以下、ほんの一例。

  • 幼児と老人を並べた写真に、「人は、一生育つ」というメッセージを添えたベネッセ
  • 「大丈夫。きみの悩みは、 もう本になっている」という言葉とともに、様々な引用句を並べた新潮文庫の100冊
  • 「結婚しなくても 幸せになれるこの時代に 私は、あなたと結婚したいのです」というゼクシィのコピー(これ好き)
  • 「その一石は、誰にとっての正義ですか」と問うてくる北國新聞社の広告(その後「言葉の先に人がいる」と続く)
  • ビルの真ん中に描かれた赤い線に書かれた「ちょうどこの高さ」。3.11の津波は見上げるほどであることが分かる、ヤフーの屋外広告

 

わたしは、言葉によって生きている。だから、言葉を選ぶことによって、生き方をよくしてみよう。その糧となる一冊がこれだ。

よい言葉で、よい人生を。

 

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医学的に無益な治療が、なぜ行われているのか『間違った医療』

「無脳症」を知っているだろうか?

文字通り脳が無い。そのため生命を維持することはできず、生まれてもすぐに死んでしまうことが多い。

手塚治虫の『ブラックジャック』を読んでいるなら、「その子を殺すな!」というエピソードを思い出すかもしれない。無脳症の赤ん坊が生まれるが、ブラックジャックは殺す方が慈悲だと言って殺す。

脳ミソのない子が どんな一生を送るというんだっ 殺せーーーっ

そのほうが慈悲なんだ!!

お前さんの超能力が神がかりだってことはよくわかったよ

だが医者はな ときには 患者のためなら 悪魔にもなることがあるんだぜ!

さあ 後始末は私がやる 出てってくれっ

「ベビーK」という赤ちゃん

無脳症は死亡率が高く、治療する術もないため、現実の世界でも、中絶が推奨されているという(Wikipedia:無脳症)。

だが、強い要望により、そのまま延命が行われることもある。

1992年10月、アメリカのバージニア州で生まれた赤ん坊だ。後にベビーKと呼ばれるその子には脳が無かった。

間もなく呼吸困難になったが、母親の強い要望により、人工呼吸器を取付け、延命治療が行われる。

たとえ延命治療を続けても、赤ん坊は生きていくことができない。医師は治療の打ち切りを打診するが、母親は拒絶し、積極的な治療を要求する。治療に医学的利点が無いとする病院と、生命の維持を主張する母親との折り合いはつかず、裁判で争うこととなる。

間違った医療

ベビーKは、人工呼吸器が無いとすぐに死んでしまう。たとえ延命を続けたとしても、無脳症を治療する方法は無いため、遅かれ早かれ死ぬ。

この治療は、医学的に有益なのだろうか?

この疑問を追求したのが、『間違った医療 医学的無益性とは何か』だ。

カリフォルニア大学医学部で教鞭をとり、医療倫理の権威として知られているローレンス・シュナイダーマン教授と、ワシントン大学医学部で生命倫理を専門とするナンシー・ジェッカー教授の共著である。

ベビーKを始め、本書には、さまざまな事例が紹介される。

  • 永続的な植物状態にあると診断された寝たきりの高齢者
  • 誤飲により脳への酸素供給が長時間絶たれ、意識不明で生命維持装置が必須となった幼児
  • 交通事故により脳に損傷を負い、長期間の植物状態となり、人工呼吸器で生かされている女性

いずれも回復は見込めず、延命措置の打ち切りを求める病院と、継続を求める家族が裁判で争った事例である。こうした、永続的な無意識状態で生命維持されている患者は、アメリカ全土で3万5千人にのぼるという。

本書は、こうした医療のうち、かなりの数が医学的に無益だとし、間違った医療だと主張する。そして、「医学的無益性」という言葉を手がかりに、医師がどこまで治療すべきか/すべきでないかを検討する。

医学的無益性

医学的無益性とは何か?

それは、医学的に見て、患者が回復することはない試みのことを指す。

具体化すると、カリフォルニア大学サンディエゴ医療センターの無益性のポリシーがモデルとして挙げられている。

無益性とは、「集中治療室の外で生きることができるまで回復する現実的な可能性が見込めない治療」のこと。例えば、永続的無意識状態の患者の身体機能を保存しておくだけのような治療。

ただし、治療にかかわるチームにおいて意見の相違がある場合には、 この 無益性は引き合いに出されない、 と続けて述べられている。さらに、苦痛を和らげ、患者の尊厳を維持するための緩和ケアについては、決して無益ではないと強調されている。

本書はヒポクラテスまで遡り、医療とは本来、健康を回復するために人間本来の力(Physis)を助けることから、延命は医療のゴールではないと定義する。

そして、訴訟リスクを回避するためだけの防衛医療の廃止を訴え、「できるだけのことをしてほしい」という家族にどう向き合うかを提言する。

『間違った医療』への反論

論旨は明快で、豊富なデータや論文を用いており、説得力のある主張だと思う。

また、様々な反論を予想し、それに対する回答も準備されており、現場の医師にとっても実用的な本だと考えられる。

しかし、その一方で、議論が不十分だと感じた点があった。

それは、いわゆる「滑りやすい坂」論だ。

現状から、最初の一歩を踏み出すことで、坂道を滑っていくように歯止めが利かなくなることを恐れている。

現在は、制度化されたインフォームドコンセントに基づき、患者の意思が重視されている。だが、医学的無益性の判断は医師に委ねられるべきだという主張は、医療パターナリズムへの回帰になる。

無脳症など極端な例では正当性を持つだろうが、医療パターナリズムの濫用により何が起きたかは、歴史を紐解いてみるとすぐに分かる。

坂道を滑る極端な例としては、ナチスの安楽死計画[Wikipedia:T4作戦]がそれにあたる。

うつ病、知的障害、小人症、てんかん、性的錯誤、アル中……そうした人々が、他ならぬ医師によって「治療不可能」「生きるに値しない」として、ガス室に送られ、抹殺された歴史だ。

ナチスの安楽死計画については、本書でも触れられている。だが、対策として挙げられている「責任ある方針を定める」ことや、「無益性の決定は患者中心に行われる」だけで、濫用に歯止めがかかるとは考えにくい。

本書では、患者やその家族がバイアスにより見誤る例を掲げ、「だから医師が判断すべき」という結論に導いている。だが、なぜ、医師はバイアスフリーであると言えるのだろうか? 医師だって間違える。この事実が前提に組み込まれない施策は、いったん措いたほうがよいかもしれぬ。

無脳症のベビーKの生命維持についての裁判は、病院側の主張が認められず、最終的に連邦最高裁判所まで上訴されるが、1994年10月、却下された。

ベビーKは、人工呼吸器の力を借り、意識のないまま生き続けることが決まった。そして、生まれて2年半後の1995年4月、心停止により亡くなった。

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めちゃくちゃ笑えて、すごく楽になる、みうらじゅん・リリーフランキーの対談『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』

腹が痛くなるほど笑って、読み終わったらすごく楽な気分になって、鼻歌なんか歌いつつ風呂に入ってぐっすり眠れた。

心配ごとを抱えている人にお薦め。

「旦那とセックスレスになった」とか「やりがいとは何か?」なんてお題はあるけれど、何か具体的な解決策へ導いてくれるわけじゃない。

みうらじゅんとリリー・フランキーが、下ネタ満載・ダジャレまみれで語り合うのを聞いてると、みるみるうちに気分が晴れてくる。少なくとも読んで笑ってる間は、心配事は消えている。

「人間って腹が減りすぎたり金がなさすぎるとバカになるんですよね」

一番笑ったのが、リリー・フランキーの無職時代。仕事がなくてお金がなくて、本当に困っていたときの話。

水道も電気もガスも全部止まって、昔付き合っていた女の子に電話したことがあるという(その電話代すら友だちに借りたそうな)。

で、ちょっと会おうということになって、女の子に部屋まで来てもらうんだけど、お腹がすいたと言ったら、弁当まで買ってきてくれたという。

オレはその日、弁当が食えたということでもう大満足なんですけど、そのときに、せっかく女が家に来てるのに、ケツを触ろうとか、セックスしようとか、まったく思わないんですよ。

今考えたら無礼な話じゃないですか。でも弁当食えてよかったと思って。帰りに駅まで送っていったら、今でも自分が着てたシャツの色まで覚えてますけど、彼女がオレの黄色いチェックの半袖シャツの胸ポケットに2000 円入れて、すーっと改札を入っていったんですよ。

そのとき、「うわー、前の彼女に来てもらって、弁当食わせてもらって、2000円もらって情けねぇ」って、これが全然そんなふうには思わない(笑)。もう、「2000円もらえて超ラッキー!!」って心のなかでジャンプしてるんです(笑)。これって完全に狂ってる人の 考え方じゃないですか。 恥ずかしいとも何とも思わないんですよ。

貧乏な暮らしがイヤというよりも、「あの感覚」に戻りたくないんだと。昔の彼女に2000円もらって喜んでいる「あの感覚」が怖いというのだ。

すげーな、と思うのが、この「恥ずかしいとも何とも思わないんですよ」という、おそらく人生で一番恥ずかしい体験を淡々と語るところ。公開オナニーを見せられつつ、冷静に実況されているような気分になる。

女の子が何を言ったとか語られてないので、こっちは想像するしかない。けど、頼られて電話してきたのだから、ちょっと何か思うところがあったはずなのに、特に何もない。「すーっと改札を入って」いきながら、彼女が何を考えていたかを考えると、じわじわとくる。

それを、「人間って腹が減りすぎたり金がなさすぎるとバカになるんですよね」と大真面目に振り返っているのが最高に面白い。

人間に繁殖期がないのは女性が嘘をついたから

一方で、ホントかよ!? と思うのが、人間の繁殖期の話。

他の多くの動物とは違い、人間には繁殖期がない、と言われている。言い換えるなら、オールシーズン繁殖期ともいえるし、そもそも繁殖期という時期がないともいえる。

なぜか?

リリー・フランキーは、子育てに手がかかることが理由だという。

もともとは人類、女の人も繁殖期っていうものを自覚してたらしいんですよ。ただ、それがバレてし まうと、その時しか男が戻ってこなくなるから、自分のエサを確保するためにも男をつなぎとめたいって考えるようになったらしいんです。

そのために「いつ子供ができるかわからない」と嘘をつき続けるうちに、繁殖期が本当にわからなくなったんですって。嘘もつき続けていると真実になるっていうのはそういうことですね。

一見、もっともらしいように聞こえるが、ネタの出所は明らかにされていないため、話半分に聞いたほうが良いかも。

昭和の名言の宝庫

こんな感じで、笑える下ネタ、ウンチク、時に刺さるセリフがページを繰るたびに飛びこんでくる。令和の時代に微妙かもしれないが、私は大いに笑わせてもらった。

後で私が楽になるために、ここにいくつか記しておく。M、Lは発言者の略。

  • 男女は具合が大事、「具が合う」ことがすべてかもしんない(M)
  • 「日本人は自尊心が低すぎる」と言われるが、本当に低いのは美意識(M)
  • 美意識さえ持ってれば、プライドはなくていいです(L)
  • 予想できることで、一つだけ当たっているのは、「いずれ死ぬ」っていうことだけだから、とりあえず、それだけを不安に思っておけばいいですよ。しなくていい予想で不安になることが一番のムダだから(L)
  • 人生を(死から)逆算すれば、「不安」よりも「すべきこと」が見えてくるはず(M)
  • でも、死から逆算して今度は焦りが出てくるんですよね。あれもやってない、これもやってないって。死への恐怖より、生きていられる時間が足りないことへの恐怖のほうが大きくなる(L)
  • だったら、最後になんて言って死ぬのかを先に決めておけば、その言葉に合った人生になるんじゃない? 後悔っていうのはもう一回やり直せるかもしれないって思うからするわけで、やり直せないときにするのは後悔とは言わないもん(M)

笑いがクスリだすれば、550円(税別)で買える笑いクスリがこれ。

楽に生きよう。

だって、どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか。

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