税とは略奪である『課税と脱税の経済史』
税の本質は略奪だ。
こん棒を手にしてた昔よりは洗練されてはいるものの、「ある人から奪い、ない人からも奪う」という本質は変わらない。こん棒が別の呼び名になり、略奪システムが巧妙になっているだけ。本書の前半を読むと、様々な試行錯誤と権力闘争の元に、人類の英知を結集し進化してきたものが、現代の税制だということが分かる(不完全じゃんというツッコミ上等。それは人類が不完全である証左なり)。
一方、脱税は多角的な側面を持つ。
上に政策あれば下に対策あり。税回避は、国家の略奪への対抗手段ともいえる。あるいは、政府よりも最適な資源配分をするための経済合理性を追求する行為だ。あるいは、法の抜け穴やグレーゾーンを見出し、そこで資源を最大化する戦略的なゲームだ。本書の後半を読むと、貧民から富豪まで、創意工夫を尽くして進化してきたものが、税回避のいたちごっこであることが分かる(これは人類の歴史が続く限り続く)。
『課税と脱税の経済史』は、奪う側と奪われる側の双方の視点から、古今東西の歴史を振り返り、「なぜ我々は税金を納めるのか」「そもそも税とは何なのか」を炙り出す、いわば「税の世界史」ともいえる。
税逃れの爆笑エピソードから、強制力の行使による無慈悲で残酷な結末、人間の行動心理の裏を衝いたやり方など、豊富な事例を眺めていくうちに、私が囚われている税への偏見と刷り込みが、クリアになってゆく。そこでは、人類の最悪な部分と最善な部分の両方を垣間見ることができる。この知的興奮がたまらない。
源泉徴収制度の「自然さ」と「不自然さ」
税への見方が360度ひっくり返ったのが、源泉徴収だ。
会社が給料を支払う際、予め税金を差っ引いた額が振り込まれる。わたしが受け取る時には税金は徴収済みというわけだ。召し上げられた税金は、会社がまとめて国に納める。取られた税金は、年末調整で返ってくる。面倒くさい確定申告は会社がやってくれる―――そんな風に考えていた。
だが違う。
源泉徴収の起源は古く、ナポレオン戦争の時代まで遡る。もとは、住み込みの使用人の納税義務を主人が肩代わりする制度だった。「賃金を支払う」というプロセスの一環で行われ、使用人一人ひとりから徴税するよりも、効率的に集めることができる。
所得税なのだから、被雇用者である「わたし」に対して課税されるにも関わらず、実際に納付するのは雇用主である故、納税しているという感覚が薄い。こういう巧妙な仕組みを発明したのはどこかというと―――世界史のなかで最も悪徳を積み重ねてきた国とだけ言っておこう。
今では賃金だけでなく、金利や配当、株式売却によって得られるキャピタルゲインの課税にまでこの方式が用いられている。また、途上国では、スマホなどの輸入品にまで源泉課税の対象となっているという。
このように「自然に」納税しているシステムだが、本書を読みながら改めて考えるとヘンだ。こうある。
年末になると年間の税額が再計算され、源泉徴収された金額と照合される。源泉徴収されていた額が過多だった場合、納税者から政府に無利子貸し付けを行ったことと同じことになる。
(『課税と脱税の経済史』p.366より)
この「納税者から政府に無利子で貸し付けられた」という発想は無かった。
言われてみれば確かにそうだ。納税が遅れると、延滞税という形で利子が課される。これは、延滞利息のようなものだ。延滞利息は取るのに、還付金(わたしの給料の一部)の利子は付かないの?
年末調整で返ってくるのは、税金ではなく、わたしの給料だ(「還付金」という別名になっているので、勘違いしやすい)。「わーい、【税金が】返ってきた」と無邪気に喜んでいたが、政府に貸してた【わたしの給料が】返ってきたのだ。だから、利子の一つも貰いたいもの―――と発想が転換される。それほど長期間でもないし、微々たるものかもしれない。だが、会社全体、いや、法人全体からすると、結構な額になるだろう。
こういう風に考えられてしまうのは、政府にとってかなり都合が悪かろう。
源泉徴収制度は、戦費調達のために1803年のイギリスを皮切りに世界中に広まった。アメリカの源泉徴収制度の設計者の一人であるミルトン・フリードマンは、後に大いに後悔したという。
「反乱を引き起こすことなくここまでの増税が可能になったのは、政府が国民の金を、彼らが目にする前にとりあげているからだ」
(『課税と脱税の経済史』p.368より)
数百年かけて浸透し、当たり前のように運用され、この制度ありきで世の中が回っているため、いまさら異を唱える方が異常なのかもしれない。だが、本書を通じて知った源泉徴収制度に対する不自然な感覚は、忘れずにいたい。
経済学者もお手上げの税の帰着問題
税の帰着問題は、税の負担が、最終的に誰に行き着くのかを特定する問題だ。
課税が企業や市場や投資家や消費者にどのように影響を影響を与えるのかが見えにくいため、厄介な問題だという。
ん?簡単じゃん。
税は、ものごとや人に対して課税される。だから、その「対する」ものが、税の名前の由来となっている。名は体を表すというように、税金の名前を見れば一発でしょう―――と考えていた。
だが、わたしの考えは甘いようだ。
例えば、一般的な法人税について。「法人」に課税するのだから、株式会社だったら株主が最終的に負担する……のではない。
利益に対する法人税が引き上げられると、短期だと株価が下がって株主がワリを喰う。だが、長期で見ると利益水準が低下するから、投資先としての魅力が減る。株主や投資家は、より税負担の小さい分野の企業や、海外の投資先を代替するので、税負担は感じにくいという。
法人税課税を行なう国においては資本ストックが減ることになり、そのために労働生産性が下がり、やがて賃金率も下がる。いずれにせよ、法人税の負担を引き受けるのは富豪ではなく、彼らに雇用されている勤勉な労働者である。
(『課税と脱税の経済史』p.207より)
他にも、より税負担の小さい小規模法人へ企業体を変えたり、租税回避のために負債を増やして資本を調達するという手もあるという。借入金の利息は損金になるので、(税引き前の利益が減るので)税率が引き上げられたとしても影響を受けにくい。
もちろん、シナリオ通りに進むとは限らない。だが、「法人税の最終負担は株主」という図式は一面的であり、著者によると、「法人税の帰着は闇の中」だという。
税の名前が、最終的な負担者だという発想は安直すぎる。
最近だと、トランプ大統領による関税200%のニュースがあった(朝令暮改に終わったが)。特定の産業を保護する意図があったかもしれないが、税の帰着先を考慮せずに強行した場合、短期的には米国内の消費者への負担増や、(米国を含む)経済全体への悪影響が起きていただろう(そして、歴史に学ばないケーススタディとして、経済学の教科書がさらに厚くなっていただろう)。
法に触れない税回避(ただし大企業に限る)
節税ネタや脱税の話が満載だが、庶民レベルだと涙ぐましい話になる(そしてオチは残酷なものが多い)。一方、多国籍企業の有名どころがやっている税回避は、様々な法の目をかいくぐる、高度な知能ゲームのように見えてくる。
例えば米国のここ。
場所は、デラウエア州ウィルミントン市北オレンジ通り1209番地だ。なんの変哲もない建物が見える。だがここには、28万5,000もの企業が入居しているという。
デラウェア州は法人税率が低く、特に法人に対する税制優遇が充実しているため、税負担を軽減するために、ここに本社を置くことが多い。さらに、法人の設立手続きがネットで完結し、匿名性が保持され、連邦税法からも回避できるというメリットがある。
いわゆるタックス・ヘイブンなのだが、本書ではタックス・サンクチュアリと呼んでいる。ヘイブン(避難所)ではなくサンクチュアリ(聖域)という方が、ネーミングセンスがあるといえる。法人税を納める必要があるのなら、可能な限り低税率である場所で納めるほうが、結果的に安く済ませることができる。それだけでなく、連邦法や国際法の司直の手が届きにくいという意味でも、聖域なのだろう。
税回避の基本レシピはこうだ。
世界を見渡すと、税率の低い国と高い国がある。税率の低い国にある子会社Aで資金を調達して、税率が高い国にある子会社Bへ貸し付ける。
子会社Bは、貸付金の利息をAに支払う必要があるものの、利息は経費として計上できるし、税控除の対象となるため、法人税の負担を圧縮できる。
一方、子会社Aは、利息の収入が得られる。この収入には税が適用されるが、そもそも税率が低いため、企業グループ全体として節税ができるという仕組みだ。
移転価格操作と呼ばれるこの手法、さすがにあからさまなので、各国の税務当局にもバレバレだろう。だが、カネではなく、株式や出資などの所有権を提供したり(エクイティファイナンス)、特許や商標などのロイヤリティをやり取りにするといった形にすることで、ある程度の偽装は可能だ。
この手法で、イギリスのスターバックス社は、およそ30億ポンド(4,200億円)に対し、納めた法人税は860万ポンド(12億円)に留めていたという。商標のロイヤリティはオランダの関連会社に支払い、コーヒー豆や焙煎の代金をオランダやスイスの子会社に支払うことで、スターバックス本体は借金まみれにする―――2013年に明るみになったこの手法は、「限りなくグレー」と言われている。
こうしたサンクチュアリについて、ちょっと邪悪な発想を思いついた。
こんな狭い場所に「本社」が集中しているならば、放火や爆破といった「事故」を意図的に起こすことで、名目上は本社機能を停止させることが可能だ。
株は一時的に下がることは明白だから、下がった瞬間に買い、回復したら売ればいい。28万5,000もの企業に及ぶから、その差額は莫大なものになるだろう。実際に爆破しなくても、「爆破予告」だけでも効果が見込まれる(ジョン・グリシャムあたりが既に書いてそう)。
マルサの女
本書は、元IMF財政局次長マイケル・キーンと、公共政策を専門とする経済学教授ジョエル・スレムロッドの共著になる。
そのため、フィクションへの言及があまりなかった。史実の方が小説より奇なりだったのは、リアルの人は、「フツーこんなことはやらんやろ」という馬鹿なことをしでかすから。
なので、本書にフィクション作品を加えたい。史実や現実がこれほど馬鹿馬鹿しい&面白いのだから、脱税をテーマにした作品は、必然的に面白くなる(はず)。日本の税制にも詳しい著者たちにお薦めしたいのはこれ(ひょっとして観ているかもしれないが)。
脱税摘発の超プロフェッショナルであり、日本のタックス・ポリス―――国税局査察部―――人呼んで、彼らをマルサという。
マルサ(税務調査員)として働く女を主人公に、コメディと社会派を融合させた映画だ。脱税する人々をどうやって炙り出し、摘発まで持っていくかを緻密に、執拗に描いている。これ観てきた昭和のオッサンなら、脱税は割に合わないと身に沁みる一方で、旨い汁を啜っている人はカメラにすら写らないんだなーと学習していることだろう(私含む)。
あるいは、スコセッシ監督の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』とか、ケビン・コスナー主演『アンタッチャブル』、トム・クルーズ主演『法律事務所』が浮かぶ。
本書は、経済史という体裁を取っているものの、そのサブタイトルに「【悪】知恵で学ぶ租税理論」がついてくる。これに脱税をテーマとしたフィクションをラインナップとして付ければ、『脱税大全』と銘打ってもいいだろう。
税とは略奪だ。やり方は変わっても本質は変わらない。奪われる者、抵抗する者、逃げる者、隠したりごまかしたりする者、『課税と脱税の経済史』には、人類の英知と不完全さ、そして馬鹿さ加減が詰まっている。
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