スピルバーグ『レディ・プレイヤー1』を通じて、物語を面白くする映像技術、共感手法、映像の力を語り合う(追記あり)

物語に夢中になったことはないだろうか?

小説やマンガ、ゲーム、映画や舞台など、素晴らしい作品に出会ったとき、あまりの面白さに、あっという間に時が過ぎる。お話が終わり、我に返った後、あらためて、なぜそれを面白いと思ったのかは、気にならないだろうか。

  • その物語の「面白さ」はどこから来たのか
  • なぜ、自分が、そこを「面白い」と感じたのか
  • その「面白さ」は一般化/再現できるのか

こうしたテーマを視野に入れ、古今東西の「面白い」作品について語り合う。これはという作品を取り上げ、物語を作る人、楽しむ人、広める人など、様々な視点から「面白い」について語り合うオンライン会が、「物語の探求」読書会だ(ネオ高等遊民サークルの分室)。

今回は、映画に詳しいどぶ川さんをゲストにお招きして、スティーブン・スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』をテーマに語り合った。面白い物語をどうやって映像にするか? 映像をどう工夫すると、物語が面白くなるのかなど、レクチャーしていただいた。

(以下、『レディ・プレイヤー1』のネタバレがあります)


<目次>

  1. 『レディ・プレイヤー1』=王道✖最新
  2. 「おじさん・おばさん」は必要か
  3. 観客の感情を計算したカメラの位置
  4. デブの白人がいない理由
  5. ちょっと不完全な方が、映画は面白くなる
  6. 人は動いているものをどうしても見てしまう
  7. ワンカットとは、記録でありドキュメント
  8. 『レディ・プレイヤー2』の可能性
  9. オマージュの物語作法
  10. 敵が強くないのは理由がある

スケザネ:始めますかそろそろ。今回のゲストはどぶ川さんです。

どぶ川:映画だけにどぶ川として名乗らせてもらいます。

ネオ:簡単に自己紹介をお願いします。

どぶ川:元々映画が好きで、若い頃から映画館で働いてて、映画製作とかにも携わっていた時期もありました。ネオさんに映画のことを教えたりとかしてて、そんな中で今回、『レディ・プレイヤー1』について話してくれって言われたので、今回参加しました。

ネオ:『レディ・プレイヤー1観ろって言ったのもどぶ川さん。彼が働いていた映画館にも何度か足を運んでいたりして、一緒に映画を見に行ったこともあります。

スケザネ:ネオ民のマブダチということで。

ネオ:(笑)そうですね、映画を観る見識は確かなので、本日お越し頂きました。

一同:よろしくお願いします。

ネオ:画面共有のスライドを中心として、どぶ川さんに説明してもらいます。質問、コメントがありましたらチャットでお願いします。皆さん、映画は見ている前提でお話をしましょう。

 

1. 『レディ・プレイヤー1』=王道✖最新

どぶ川:『レディ・プレイヤー1』の面白さとしては、まずは題材でしょう。SNSのゲームで、たとえば『どうぶつの森』なんかが、レディプレイヤーワンの世界の先駆的なものなんかだと感じてます。

  • ゲーム(仮想空間)が現実に介入している。もしかしたら「あるかもしれない」未来
  • 「あるかもしれない」と思うことで、感情移入しやすい
  • ここをベースにして、世界を救うボーイ・ミーツ・ガールという鉄板の物語を展開している

いったん、「あるかもしれない」とリアリティを感じさせたら成功で、あとは共感とか納得できたら、感情が入りやすい。この世界をつくったあと、超・王道である「世界を救う」「ボーイ・ミーツ・ガール」という、アメリカ映画の超・鉄板をやっている。王道✖最新を掛け合わせている。それが題材としての面白さになる。

だけど、面白い題材と物語をどう撮影するか? どう映像にするか? それが映画なんですよね。だから、画面で何をしているか、どんな人物が、どんなふうに映っているか、それをポイントに話します。

まず、オープニングですね。世界観の説明で、2045年かな、縦に積まれたトレーラーハウスの街並みを映しながら、主人公のモノローグから始まります。

もう、これ自体でワクワクするでしょ、子どもの基地みたいで。この、ハリボテ感が崩れそうでドキドキ感があるから、見ちゃいますよね。子どもが高い所へのぼっていると、もう目を離せなくなる、どうしても見てしまう画面なんです。このオープニングから一気に、感情移入させているんです。

スケザネ:なるほど! このオープニングは凄く引き込まれました。緻密に描かれてて、どんな世界なのか説明できちゃっているので、男の子がごちゃごちゃ言わないで、この映像をクローズアップしてくれているだけで良かったんじゃないかな、と思いながら観てました。

どぶ川:確かにそうかも……なんでスピルバーグがそういう風に「緻密な映像+男の子のモノローグ」にしたのかなと考えると、おそらく、物語に早く入りたかったんじゃないかと。だから一気に説明したのかなと。

スケザネ:すごい説明してましたよね、序盤。

どぶ川:世界の説明は中だるみもするし謎解きでもないから―――謎解きはゲームの中であるからいいでしょって、僕もそこまで細かい設定は覚えていなくて、何となくでいいでしょっていうアメリカの大雑把な感じが出ているんじゃないかと。

 

2.「おじさん・おばさん」は必要か

スケザネ:でもこれ、結構要素が多いんですよ。主人公の家庭環境とか、おじさんとおばさんが出てきちゃった時点で覚えるところが多い印象でした。

どぶ川:おじさんとおばさん、一応は必要だけど、キーになってはいないですよね。

スケザネ:変にあのおじさん、キャラ立っちゃってて、もっと出てくるのかと思ってたら……ちゃんと死んでて。

ネオ:爆死しましたからね!

一同:www

どぶ川:たいしていい所もなく、死に際の何かもなく、爆死しましたからね。

スケザネ:絶対あのおじさん、後半のアバターの中で再登場すると、俺は信じてましたからね。ホントに死んだんかいって。

どぶ川:もしかしたら、脚本つくる上で色々考えたんだけど、時間やらなにやらで「もういいや!」ってなったのかも。スピルバーグは、そういうところがあって、結構残酷なんですよね、「人」に対して。

Dain:おじさん・おばさんの肩を持つわけじゃないんですけど、「世界を救うボーイミーツガール」という物語を作るうえで、絶対必要な要素―――試練―――というのがあって、それが「おばさんが死ぬ」という出来事だったんじゃないかな。

親代わりのおばさんが死んで、主人公は復讐として立ち上がらなければらない。しかも、おばさんの死をただ起こすだけでなく、何らかのひっかけ、トリックが必要で、それがおじさんだったんじゃないかと。

どぶ川:家庭内のやり取りで、おばさんだけだったら、何となく流しちゃうかもしれないけど、「嫌なおじさん」がいることで、結局爆死はするけれど、盛り上がるんですよね。

スケザネ:あの荒廃とした時代状況で説明がつくんじゃないかと。極端な話、親がいない、どこかの施設の鬱屈した少年でもできたんじゃないかな。で、現実の世界は嫌だ、だから俺はゲームの世界で生きるんだ、というので十分だったと思う派です。

どぶ川:物語の経済性とかも考えてみても、どちらに転んでもおかしくなかったんじゃないかと。スパイスとしてどんな味付けをするかという話じゃないかな。

スケザネ:このお話、舞台立てが違う、世界が違う、さらに主人公はこんな家庭環境です、とバンバン説明しないといけないし、それを(観客が)理解しなければいけない。なので、序盤はすごい大変です。

もし俺がこの物語をするのであれば、受け手側に少しでも情報量の負担を減らしてあげたいなって思うんです。なので、おじさんとおばさんの情報量を減らしてあげたいな、っていうのが一番です。

旅立つ理由として「おばさんの死」は分かるけれど、後半になっておばさんの「お」の字も言わないじゃないですか、「おばさんの仇だ!」とか「みんなの仇だ!」とか。なんで、本当に犬死にだったな。

どぶ川:それが映画の面白さにもなってて。ちょっと前のことをすぐに忘れて、常に「今」だけで「その場」だけで生きていくっていうのが、映画を面白くすることがあるんです。物語を語るものなら小説とかあるんですけれど、映画って不完全なものが面白がられたりするんで、そこが不思議なところなんです。でもやりすぎると情報過多になって、観るほうが付いていけない時も出てきますね。

Dain:この映画を観る人の入りやすさ、「共感」からすると、「トレーラーハウスに住んできた」世代になるんじゃないかと。裕福でない貧しい人々、家庭の事情でおじさん・おばさんに引き取られて暮らしてきた人なのかしらんと思ったり。

今は地面に並べているけど、未来は縦に積み上げられているトレーラーハウスに住んでて、現実逃避したい少年って、「俺じゃん」「俺が昔そうだったじゃん」ってなるのでは。未来の話だけど、今と繋がっているための装置としてのトレーラーハウスとおじさんおばさん。

 

3.観客の感情を計算したカメラの位置

どぶ川:IOIの社員がゲームやるシーンのあたりとか。スピルバーグの表現の一つとして、「ゲームをやる人の姿」を、引きで、客観的に撮ることで、間抜けに見せています。やってる人は必死だけど、冷めた目でみたら、これでしょって。人の愚かさとかが皮肉めいてて、見てて面白くて、楽しい気分になります。

スケザネ:言われてみれば……! 確かにそうですよね。

どぶ川:これ逆に、カッコよく撮ると、ダサいんですよ。すげーカッコいい俳優さんが、はぁはぁ言いながら、何もないところを空を切ってパンチするって、ダサいんです。

Dain:こんな風にゴーグルかけてやるVRゲームで、”Beat Saber” というのがあるんですけど、その実況を思い出しました。前から飛んでくるブロックを両手のコントローラーで斬っていくんです。で、ゲームの中の映像を見ると大迫力ですげーカッコいい。一方、それをプレイする人そのものを撮って実況しているのを見ると、おっさんが汗だくになってふうふう言いながらやってて、めちゃカッコ悪い。

どぶ川:やっぱカッコよく撮ると、現実とは別物になるから、感情移入しにくくなる。観客に入りやすくするために、最初は「ゲームの外」から「引き」で面白可笑しく撮っている。

逆に最後の方とか、ウェイドがみんなに呼びかけるシーンでは―――ウェイドはイケメンじゃないんですけど(笑)―――ゲーム内のウェイドで撮っている。そこはちゃんとシーンの目的に合わせて使い分けている。

結局、このシーンは物語上どんな位置づけで、どんな感情を呼び起こす目的なのかを考えて、カメラの位置ってものが変わってくるわけですから。

Dain:なるほど! カメラの「位置」なんですね、考えたこともなかった。本人は必死なんだけど、この踊ってるかのように見えるためには、引きで撮るための位置にカメラがあるんですね。これ、アップで撮るとまた別の印象になっちゃうから……

どぶ川:そうですね、これ、後の説明にも出てきます。でもその前に、主人公メンバーの話を……ウェイドといい、その仲間といい、主人公メンバーがイケていない。これがいいんですよ! ギャップがあって。またストーリーに没入しやすくなるって。

スピルバーグって、もちろんイケメンと美女の映画もあるんですけど、そうじゃない人を撮るのがめちゃくちゃ上手くて、僕そっちの方が好きなんです。なぜかというと、美男美女だと映画の邪魔になるんですよ。これが例えば、ディカプリオとかブラピとかジョニーデップなら、もう映画が成立しなくなっちゃう。なんでもない奴らが大活躍する、という。

ゴーグル付けてもカッコいいって、ないでしょ。めちゃくちゃアホな姿です。その辺のキャスティングが上手い。物語の邪魔をせず、「どこにでも居そうな」感がある人が活躍するというのは、共感があって見てて気持ちがいい。

 

4.デブの白人がいない理由/原作だと「ぽっちゃり」

Dain:ただ一つ、キャスティングに違和感があるんです。これ、「ゲームの世界」をテーマにした映画でしょ。そして、白人、黒人、アジア系、女性など、色々な属性を入れているけど、「デブ」がいない。

僕の中の「ゲームが好きな人」のイメージとして、ピザとかコーラが好きで、コンピューターに詳しいというのがあるんです。確かスピルバーグの作品で『ジュラシック・パーク』の最初に出てくる、エンジニアの人。あの印象が強烈で、ペプシが好きでピザが好きで、めちゃくちゃ太ってたんですよ。

一同:いたいた!

Dain:そいつが恐竜の胚か細胞を盗み出して道に迷って酷い目に遭うところも含めて、「あいつデブだったよな」と覚えてるんです。今のでこれ思い出して、『レディ・プレイヤー1』にデブの白人がいない、ということに違和感があって、ちょっとだけ評価が下がっているんです。ピザとコークが大好きなデブが大活躍する話だったら、手放しで絶賛してたと思う。

スケザネ:言われてみれば……あんまり、メインメンバー以外にも太った人いなかったような……やっぱりあのゲームが身体を動かすから?

どぶ川:一人いました。会社でゲームの研究者の人。ラストでキスしてた。あと、オープニングのボクシングやってるおばちゃんかな。ちょっと太っている。

でもなんで太った人が少ないんだろう……と考えると、やっぱり主人公メンバーって、最後にアクションするんですよね。だからじゃないかと。あと、悪役の会社の社員って、SPとかそういう立場だから、太った体形にしなかったのでは。

スケザネ:「貧しい人たちが現実から逃れるためにゲームをやっている」という設定だと、貧しいが故に、必然的に太れない。会社にいる研究員は、給料も沢山もらえてているから……という説明が付かないかな。

どぶ川:同じこと考えてました。それ、スピルバーグがインタビューで聞かれたときの後付けの答えかなと。僕としての答えは、単なる撮影上の制約で、最後のアクションシーン撮るときに太っていると大変なので外したんだと思います。

Dain:いまチャットで、ゆすもひさんが面白いコメントしてて。原作のウェイドは太ってて、見やすく寄せたことが批判されているってあります。ソースはネット情報なので不確かですが。

どぶ川:ですねー、その辺は映像化する上での印象が大事だから、色々あったんじゃないかなと。

Dain:「アメリカ人でゲーム好き」っていうと、太ってるという印象があるから、どこかで入れないと。

どぶ川:『ジュラシック・パーク』だと、コンピュータに詳しい人で、ほとんど動かない。そんな設定があって、彼のスパイスとして、ペプシとポテチが大好きというキャラクターが生きるんだけど、『レディ・プレイヤー1』に関しては、どこにどういう風に入れるかが、すごく難しい。たぶん、原作のウェイドをまんま映画にしてないんじゃないかな。

スケザネ:エイチとかは、車を運転するだけでアクション少ないし、ゲームだとアイアンジャイアントを動かすとか、ゆっくりどっしりとした動きだから、太ったという属性が生かされるキャラになると思う。

どぶ川:エイチ、僕も現実に出てくるまで太ってると思ってました。

スケザネ:そんな話してたじゃないですか、ゲームとは全然違ってて、現実だと体重〇キロのデブだったらどうする!? ってセリフ。むしろサマンサのビジュアルがどうくるのか、気になってましたね。

どぶ川:何千億とかかけてエンタメのビジネスとしてやるからには、あんまり現実に寄せすぎるのも……

 

5.ちょっと不完全な方が、映画は面白くなる

どぶ川:逆走するシーン。ここは外せないですね。絶対にクリアできないステージで、謎を解明して、発見する面白さや、ゲームのゲームの中身が見えてる、裏技のような感覚と、「やったぜ!」勢いを表現したスピード感とか。子どもの頃、スーパーマリオで、画面の上を走る感覚が思い出されて、主人公と一緒に必死になってやってて嬉しい気持ちと重なります。

スケザネ:逆走したら勝手にクリアするのかな? と思ったら、「下」を通るんですよね、これはびっくりしました。

どぶ川:恐竜が下から出てくるとき、床がせり上がるようなギミックとかね、ゲームの仕組みが全部見えてる。

ネオ:あれだけ苦労しててクリア不可能だったステージが、楽勝で走れる爽快感というか。

どぶ川:「楽勝感」ってのがいいよね。なんか共犯的な感覚。裏技って悪いことじゃないんだけれど、なんかズルしている感覚というか。生理的に共感できる。そこまで持っていかせるというのは、凄いことなんじゃないかと。

スケザネ:レースの尺って結構長いですよね。一回やって失敗して、もう一回やって、ただただひたすら面白いところ。でも世界の説明のところ、鍵がどうとか、サマンサと会って陰謀だとか詰めに詰め込んでいる。艶っぽいBGMが流れているので、そういう気持ちにさせたいのは分かるけれど、情報量が多すぎてちょっと付いていけてない。自分はシナリオ書く人間なので、観客をどういう気持ちにさせたい脚本なのか気にしながらみちゃうんですけど、ここは早くて感動できないなーと。

どぶ川:職業とか一切忘れて、もう一回観ましょう。

一同:www

スケザネ:観終わってから、これそういう目線で見る映画じゃないやって気づいて……

どぶ川:そうそう。さっき言った、映画ってその辺を中途半端にすることで面白くなるとか、辻褄を語る時間があるんだったら、そこは捨てて次に進んだほうが見てる方としては面白くなったりします。映画って多少不完全な方が面白くなったりするんですよね。

Dain:物語を語るところと、物語を見せるところが、スパっと分かれているのかなと思いました。この世界がどうなっているとか、どんな状況になっているとか、物語を説明するシーンと、ひたすらスペクタクルに魅せるシーンと、きれいに割れているのが、『レディ・プレイヤー1』なのかと。なので、また観る時は、このシーンはどういう「意図」で作られているのだろうという目線で見ちゃいそうな……

スケザネ:そうですね。1回目のときは考えながら観ちゃいましたけど、2回目はもう気にせず、ただただ楽しんで観てました、シャイニングのところとか特に。これだけ映像で見せるシーンで、横でごちゃごちゃ設定を説明したら台無しになってしまう。だから、あいだあいだで説明するしか。ただ、感情移入するには情報が多すぎるので、要素を削ったほうがよいかも……

ネオ:僕なんかは、ただただひたすら面白いと観たんです。一般的には、細かいところの辻褄とかより、このレースシーン「だけ」は皆覚えているんですよね。そしてこの映画が狙っているのはそこでしょう。

どぶ川:でしょうね。世界中の人にみせるものだし、誰が見ても面白いという映画をスピルバーグは目指しているから、こだわるところが違うのかもしれません。

 

6.人は動いているものをどうしても見てしまう

どぶ川:ウェイドとサマンサのアバターがダンスするシーン。自由なカメラワークで観てて気持ちがいいです。でもこれ、実写でやったら爆笑シーンになりますね。試しにアバターではなく、現実の誰かを当てはめてみると分かります。

この世界観でCGと実写を入り交ぜているからこそ、成立させていますね。

CGだけだと結構飽きるんです。なので実写だとこうなっているとか、飽きさせない工夫をしています。ゲームの中だと自由で、それこそ夢のような動きができるじゃないですか。それを成立させるために、現実の中での動きを考えている。

物語の構造として、ゲームの中での動きと、現実の動きの対比をキワキワで成り立たせている。これが凄いなと。一歩間違えれば、しょぼい作品にもなりかねないので。この対比が、『レディ・プレイヤー1』で一番チャレンジしたところじゃないかなと。

さっきの「物語の説明」シーンの実写のほうも全体的に、人が歩きながら芝居したり、カメラが動いたり、画面自体にアクションがあって観てて気持ちがいいですし、シーンの切り方も絶妙な感じで、何より観てて飽きません。人って、動いていると、どうしても見ちゃうんですよね。自然と見れるようにお芝居をつけて、撮っています。

あと、スピルバーグって、結構特殊なカメラワークをする人で、「今どんな風にカメラ動かしたの!?」というシーンもあって、しかもそこがすごく流麗なんです。

Dain:そのシーンで、「カメラがどこにあるのか?」「それがどう動いたのか?」って、気にせず観てました。次は、カメラの位置を考えながら観ますね。

どぶ川:ダンスのシーンとかで、カメラが360度パンとかしてて、けっこうこれ、めちゃくちゃな動きをしているんですけど、これはもちろんCGだからできるんだよなぁと感心しましたね。

 

7.ワンカットとは、記録でありドキュメント

どぶ川:次はクルマの中の格闘シーン。まず表情が面白い! でも、ここだけじゃなくって、クルマの中から転げ落ちるんですよね。そして、格闘から転げ落ちるまでワンカットなんですよね。皆さん、ワンカットって言って伝わります?

スケザネ:切らずにそのまま撮り続けるというやつ、画面を切り替えないやつ。

どぶ川:そうですそうです、例えば iPhone で録画するとき、ボタンを押して撮り始めて、次にボタンを押して停止するまで、これがワンカットです。

で、トラックから蹴落とされて地面へ転がり落ちるまで、これをワンカットで撮っているということは、編集でウソがないんですよね。かつ、「人が蹴とばされて落ちて転がる」というのが一つの記録になっているんです。ドキュメントなんです。

僕が映画を見る時に意識しているのは、ワンカットでどこからどこまで撮るかというところなんです。そもそもカメラとは「記録するもの」として生まれているから、ワンカットで撮っているところ=記録、ドキュメントになるんです

このワンカット、すごいことが起きているんですよ。人が蹴とばされてトラックから落ちて転がってるって。そういう記録なんです。そういうのをスピルバーグは、映像作家として入れてくる。映像の原理主義的なもので、「記録する」という観点から見ると、迫力があるんです、ウソがないから。観客は驚くんです、だって事故ですもの。事故が映っているんです。この顔も事故ですけど。

一同:www

どぶ川:だって映画じゃなくって、事故の映像とかあると見ちゃうでしょ。「世界の衝撃映像」みたいな番組やニュース。画面の力は強いから。だってこれ、こんな風に撮らなくたっていいでしょ。

Dain:その、「すっ飛ばされる一瞬」と、「転がっていく」というシーンを撮って、繋ぎ合わせれば、いわば安全にこの物語を進められるから? でもそうせずに、「飛ばされる→転がっていく」をワンカットで入れることで、これまでフィクションだった世界に、ノンフィクションっぽい迫力が出てくる……これが映像の力というやつ?

どぶ川:見ちゃいますからね、ワンカットだと。危ないとかそういったものはさておき、ここを割る人・割らない人が分かれてくる。で、割らない人の映画のほうが面白いと思う。

スケザネ:これだけ編集技術が進んでいるけど、やっぱりカットして繋げると、違和感とか起こるものなんでしょうか?

どぶ川:いや、違和感とかは残らなくて、昔から編集でできます。でも、割った時点で、カットとカットの間に、小難しく言うと、「見えない」時間が存在するんですよ。なぜなら、カットを割った時点で、時間が止まるから。そうすると、そのアクションというのは記録ではなくなってくるんですよ。

でもここはちゃんとワンカットの事故映像として意識的に撮ることで、迫力が違うんです。ワンカットを意識している監督というのは、映像の、画面の強さに対してすごく敏感になっているんです。そういう監督の映画は面白い

スケザネ:すごい勉強になります、これ意識してませんでした。

どぶ川:カットを意識してみれば、ちょっと映画の見方が変わってくるかもしれませんね。例えば、スピルバーグの『宇宙戦争』、これも実写とCGを織り交ぜてるんですけど、どこからどこまでがCGなのか、ワンカットで見せてくれて区別がつかない。カット意識して見てるけど、面白すぎて、途中からそんなことどうでもよくなってくる。

一同:www

どぶ川:『宇宙戦争』の最後のシーンのとこなんですけど―――皆さん良いですか、ちょっと触れちゃって。

Dain:どうぞどうぞ。

スケザネ:僕は全然大丈夫です。

どぶ川:『宇宙戦争』の最後のところで、ミサイルがエイリアンに当たるんです。それを引きで撮ってて、ヒューっとミサイルが飛んで行って画面奥の、ちょっとしたビルぐらいの巨大なエイリアンに当たるんです。それが、ワンカットなんですよね。

そのときに、「あ、当たった!」って感じがするんですよ。

これ、もし、「ミサイルを発射する」、「ヒューっと飛んでいく」、「エイリアンに当たる」と3つにしてもいいんです、ウルトラマンの特撮みたいに。でもそうしない。人が撃ったミサイルが飛んで行って、ビルぐらいの怪物に当たるんです。すると、「当たった!」て感じるんです。何気ないシーンなんですけど、いままで全然当たらなかった奴らに、当たったという感じが伝わる。

Dain:youtubeのこの辺? チャットにURL貼りました。映画観てない人はネタバレになるので注意して下さい。エイリアンって、あのトライポッドっていう三本足の奴ですよね。確かにワンカットで撮ってて、「当たった」って感じがします。

(開始2分あたり)

どぶ川:そうですそうです、ここだここ! 実はそれまで、一回も当たらないんですよ。エイリアンのある構造のせいで、今まで全く当たらなかった。ここで初めて当たるんですけど、ほんとこれ、何気ないシーンですけど、ここに拘っている監督は面白いです。

Dain:今のお話で、僕がなぜ、とある twitter の動画を見ちゃうのかな、という謎が解けました。何かというと、バスターキートンとかいう人の、昔のコメディというかアクションの動画なんです。トーキー時代の、音声も何もない白黒映画のシーンなんですけど、見ちゃう。

男の人が線路を走ってて、後ろから列車が追いかけてきて、危ない! って思ったら、ぴょんと飛び移ったり、ビルから飛び降りたりとか、昔の映画なんで合成でもCGもなくて、全部本人がワンカットでやってる。これを見ちゃうのは、ワンカットでやっている、ドキュメンタリーの映像の強さに惹かれているのかな、と思いました。

史上最高のスタントマン──バスター・キートンの物理学
https://wired.jp/2016/12/12/physics-greatest-stuntman/

どぶ川:そうです、キートンの映画は、そういった文脈で語られるんです。マスターニートンとはちょっと違いますね。

一同:www

ネオ:マスターニートンの動画も結構ワンカットで撮ってますねwww カットするのは何かトラブルとか、言えないこと言っちゃったときとかw 記録性ゼロw

どぶ川:で、ワンカットの力の話でオープニングに戻ります。映画が始まって、トレーラーハウスの住宅街の全景が映ってて、カメラが寄っていくんです。いつカットが切り替わるかなと見ていても、ずっと寄っていく。すると、あるトレーラーハウスの一軒から、少年が出てくるんです。いつ切り替えたの!? と思うんです。ぜったい切り替えたはずなんですけど、分かんないですよ。これをワンカットで撮ったスピルバーグって、やっぱ凄いです。画面の強さが一気に出ている。

トレーラーハウスの集合体はCGのはずです、でもそこへカメラが近寄って行って、そこのドアからなんでCGじゃない生身の人間が出てくるの? ってそれをやられたら、こういった世界なんだ、って思っちゃいますもの。ここミニチュアかもしれませんが、それでもどこかで切り替えているはずなのに分からない。これを開始数分でこのワンカットは凄い。スピルバーグって結構こういうことをするんです。

スピルバーグは、一番新しいものを映画の形で作ったな、と思いますね。

 

8.『レディ・プレイヤー2』の可能性

スケザネ:『レディ・プレイヤー1』2018年の作品ですね。これ、続編とか出るんでしょうかね、『レディ・プレイヤー2』みたいな。でもこれ、なんで、レディ・プレイヤー・「ワン」なんでしょうかね?

Dain:今ふっと思ったのが、昔のゲーセンに置いてあるアーケードゲームですね。英語で「Player One」「Player Two」とかあって、コインを入れると、「Credit」が増えて、スタートボタンを押すと「Ready」となってゲームが始まる。なので、『レディ・プレイヤー1』なんじゃないかな。

スケザネ:なるほど!

Dain:映画の中でコインを一つもらってライフが増えるというのは、あれは「Credit」の意味だったんですね。たぶん若い人はピンとこないかもしれないんですけど、100円入れるとピコーンとかいってクレジットが増えるんです。「コイン=クレジット=ライフ」なんです。ゲーセンに通ってコインをつぎ込んだおっさん向けのネタですね。

なので、『レディ・プレイヤー2』の物語をやろうとするなら、2人プレイの協力型か対戦型か分からないけれど、1人でやる話にならないかもですね。

 

9.オマージュの物語作法

ネオ:この映画って、パロディとかオマージュの形でいろんな映画やアニメやゲームが入っていますよね。バックトゥザフューチャーとかガンダムとか。ぼくはそれが大好きで、SNSやゲームの世界で、ありものを再現したり、まんがのキャラを自分のアバターにするって、まさに現実にあることをきちんと再現していると思います。自分の車をデロリアンにするとか。でも賛否両論ある。知らないとつまらないとか、内輪ネタになってるとか。そういう部分については皆さんどうお感じでしたか。

スケザネ:「元ネタを知らないと分からない」というシーンを作っちゃいけないでしょう。知らなくても楽しめるけれど、元ネタを知ることで、もっと面白くなるという感じ。続編を作るなら、一作目を見ていなくても最低限楽しめる。けれど、一作目を見ていると、もっと面白い作りにする。

『レディ・プレイヤー1』が秀逸なのは、元ネタを知らなくても大丈夫なように作られていることと、元ネタがストーリーに絡むとき、「元ネタを知らない人」が配置されているところ。

ネオ:『シャイニング』のとことか!

スケザネ:そうそう! あそこで全員が『シャイニングだぜ!』となったらダメで、あれはエイチが「シャイニング! 怖いの嫌いなんだよ」って言ってるのが良いんですね。知らなくても楽しめるし、知ってる人がニヤリとすればいい。

Dain:すごく細かいネタがあちこちにあって、『ターミネーター2』で親指立てて溶鉱炉に沈むシーンがありましたね。それだけじゃなく、細かすぎるかもしれないけれど、『ターミネーター2』で、主人公の男の子を引き取っているおばさんいましたよね? 最初のあたりで頭刺されて死んじゃうおばさん。あのおばさんが着ている服が、『レディ・プレイヤー1』で爆死するおばさんが着ている服と一緒だったんじゃないかな……違ってたらごめん。

スケザネ:それに気づくDainさんも相当変態だとwww

Dain:『バットマン』とか『ストII』とか、分かりやすいネタで楽しんでもいいし、もっと細かい、マニアックなネタもきっと散りばめられているはずで、そういうネタを探しながら観るのも楽しい、宝探しみたいな映画じゃないのかな。

スケザネ:『レディ・プレイヤー1』は、『スターウォーズ』とかメジャータイトルの形で何十年後までも残る映画じゃない、と個人的には思います。でも、数十年後にマニアの間では垂涎の的になる、未来のオタク向けの宝物ですね。

 

10.敵が強くないのは理由がある

Dain:あと、物語的なところで気になるのがあって。この場は、物語の面白さを探求する会じゃないですか。その観点からして、この映画でちょっと不満に思えるところがあるのです。それは、『レディ・プレイヤー1』は、「敵が強い」というセオリー通りになっていないところ。

物語を面白くするために、敵をとてつもなく強くする必要があります。それを打倒して世界を救うわけですから。なのに、敵のボス弱くね? と思っちゃうんです。簡単に言うと、「パスワードをそんなとこに貼っておくなよ」って。マヌケすぎる。

もっと冷酷無慈悲なやつとか、淡々と仕事するマシーンみたいな奴とか……と考えていくと、そんな「部下」がいたな! と思い出して。ドクロっぽいコスをしてた部下とか、最後にアクションしてた部下とか。たぶん、強さの属性を部下に分け与えたから、ラスボスが弱くなってしまったのかも……

スケザネ:これ、問題は「ボスを2つ設定したこと」かなと思います。結局これって、「カギを見つける謎解き」と、「世界を支配しようとしている敵を倒す」の、2つになっちゃってる。主人公としては、謎を解いて鍵を見つけたいという動機で動いているのに、悪人が邪魔をする。謎を解きつつ悪人を倒さなきゃいけない。

「悪人を倒す」ならガチンコで悪人にすればいいけど、謎を解くための尺が足りないから、パスワード貼り付けるようなマヌケにしないといけない。強すぎたら、倒すために時間が足りなくなる。謎と悪人、詰め込みすぎなんですよね。

もし、「敵を強くする」要素を盛り込みたいんなら、鍵の3つ目を門番とかにして、そいつを強くすればいい。物語を節約できる。

Dain:おお! この物語は2つの目標があったんですね。「謎を解く」と「悪人をやっつける」というゴールで思い出しました。大昔に観たやつで、少年少女が地図を見つけて宝探しをするというのと、宝を奪おうとする悪人をやっつけるのを、同時進行でする映画。

そのタイトルは、『グーニーズ』、たしかスピルバーグが作ったはず。冒険あり、謎解きあり、ロマンスもありました。

スケザネ:なるほど!

どぶ川:①世界を守る②ボーイ・ミーツ・ガールの王道ですからね。「悪人をやっつける」が①世界を守ることで、「謎を解く」が②ボーイ・ミーツ・ガールにつながる。やっぱり身体を張って好きな女の子を守るというので、最後はリアルで戦わなければならない……映画はそういう風にできているのかも……あれほどCG見せて、ラストはまさかの肉弾戦ですからね。そうすると、ボスをあまりに強くすると弊害が出てくる。

スケザネ:現実の世界の中にゲームがあるボーイ・ミーツ・ガール系で行くと、結末ってこうなっちゃうんじゃないんじゃないかな。ゲームの世界で頑張ることと、現実世界でどう生きるかのバランス取るのがとても難しい。ゲームの世界をあんなに頑張って守ったのに、週に2日もゲーム禁止してるんだって……

どぶ川:僕はわりとあのラスト好きですね。皮肉めいたユーモアが効いてて。ゲームばっかりやってないで、現実も大事っていう。ゲームばかりやってた主人公に恋人ができて、現実の良さにも気づいたというのが洒落てて良いですね、映画っぽくて。



100分に渡る長丁場で、どぶ川さん、スケザネさん、ネオさん、そして参加された皆様、ありがとうございました。

何といっても、映画に詳しい方の意見を伺えたのが大きい。自分が観た経験が、また違った角度から光を当てられ、「そうだったのか!!」と気づくのは、たいへん愉快な経験だった。撮影の仕方で、観客の感情が変わってくるところなんて、描写の仕方で読者の感情を揺さぶる小説と通じるものがある。これは、どぶ川さんのおかげ。

そして、物語を作る側の脚本家の方から、この『レディ・プレイヤー1』をレビューするという経験は、大変タメになった。映画を観てて、消化不良になっていたり、「ごちゃごちゃしている」という言語化しにくいフラストレーションの根っこは、物語の情報量の密度だったことが、スケザネさんのレクチャーのおかげだ。

さらに、こうした場を設けていただいたネオ高等遊民さんには感謝しかない。映画愛好家と脚本家のお話がいい感じでクロスして、思いもよらないタメになるお話が伺えたのは、ネオさんのプロデュースのおかげ。

この読書会の後、原作となった『ゲームウォーズ』(アーネスト・クライン)を手にしたのだが、展開が全然違ってて笑った。ウェイドもエイチもサマンサも、めっちゃ太ってた(予想通り!)。

そして、ネタが凝りに凝りっていた。「『卒業白書』でトム・クルーズが持て余してたクリスタルエッグみたいに」とか、「机の上にフォークト=カンプフ検査機があった」など、ページをめくるごとに80年代~00年代のネタがゴロゴロ出てくる。ラストの決戦では、ガンダムやメカゴジラだけでなく、エヴァ(たぶん初号機)や勇者ライディーンまで出すところなんて、おっさんどものツボを知りすぎているなり。

『レディ・プレイヤー1』の映画に「詰め込みすぎ」という印象があったが、原作を読む限り、めちゃめちゃスリムにしていることが分かる。

さらに、原作小説の続編も出ている。もちろんタイトルは、”Ready Player Two” で、「最後のイースターエッグ」を探す展開になりそう。紹介を見る限り、もっと強い敵が登場するだけでなく、人類存亡の危機になるという。

過去の「物語の探求」読書会はこちら。

第1回:面白い物語の「面白さ」はどこから来るのか? 『物語の力』を読み解く

第2回:物語を作る側の視点から『ズートピア』の面白さ、怖さ、凄さを語り尽くす

 


2021.1.24追記

『レディ・プレイヤー1』のネタを300個紹介する動画を見つけたのでご紹介。

  • VRゴーグルを掛けていたのがアタリ社のジョイスティック
  • ダンスフロアでの銃撃戦では、『エイリアン2』でリプリーが使ってたアサルトライフルで反撃
  • エイチのジャケットには「ロッキー・ホラー・ショー」のワッペンが貼ってある
  • ジル・バレンタイン(バイオ・ハザード)、ビートルジュース、フレディ・クルーガー(エルム街の悪夢)など、ホラー系も充実してた

等々、とにかくネタ満載だ。BTTFのデロリアンとか金田のバイクのような分かりやすいやつから、細かすぎて伝わらないものまで、300連発ノンストップで紹介する。

『レディ・プレイヤー1』を視聴された方なら、驚くこと請け合いの動画なり。ちなみに、「おばさんの来ていた服がターミネーター2のおばさんと同じ」というネタは無かったw

 

 

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物語を作る側の視点から『ズートピア』の面白さ、怖さ、凄さを語り尽くす

物語に夢中になったことはないだろうか?

小説やマンガ、ゲーム、映画や舞台など、素晴らしい作品に出会ったとき、あまりの面白さに、あっという間に時が過ぎる。お話が終わり、我に返った後、あらためて、なぜそれを面白いと思ったのかは、気にならないだろうか。

  • その物語の「面白さ」はどこから来たのか
  • なぜ、自分が、そこを「面白い」と感じたのか
  • その「面白さ」は一般化/再現できるのか

こうしたテーマを視野に入れ、古今東西の「面白い」作品について語り合う。これはという作品を取り上げ、物語を作る人、楽しむ人、広める人など、様々な視点から「面白い」について語り合うオンライン会だ。

「物語の探求」読書会(ネオ高等遊民サークル

今回の課題作は、『ズートピア』。2016年に公開されたディズニーのアニメーションで、アニー賞やアカデミー賞を受賞しており、かなり話題になった作品だ。ご覧になった方も多いと思う。

注意:『ズートピア』と『トイ・ストーリー4』のネタバレあり

Zootopia

目次

  1. ストーリーは、たったの100分
  2. キツネ避けスプレー=内なる差別意識
  3. 【重要】ジュディとニックは可愛い
  4. 人間っぽくさせない動物で人間社会をやる
  5. 没となったディストピアな『ズートピア』
  6. 『トイ・ストーリー4』の本質=「〇の〇離れ」
  7. なぜベルウェザー副市長は陰謀を企んだか
  8. 『ズートピア』を現実社会の写し鏡にしなかったわけ
  9. 『ズートピア2』はトイ・ストーリー型かアナ雪型か
  10. 勇気を持って、マンネリ化
  11. 自分では気づかない自分自身の良さ、「成長感」
  12. ズートピアの普遍性は「可愛い」と「笑い」
  13. 禁断の技:ボイスレコーダー

 

スケザネ:物語の探求第2回、課題作はディズニー映画『ズートピア』ですね。よろしくお願いします。

他3名:よろしくお願いします!

スケザネ:早速Dainさんがご用意いただいたドキュメントの説明から、お願いします。

Dain:まず、「ズートピア・メモ」を作りました。話したいこと、皆さんから伺いたいことが沢山あるので、とりあえず全部書きました。これに遊民さんから追記いただいているので、これをベースに話ができればと思います。

また、「ズートピア・シーン一覧」を作りました。全部のシーンと印象的なセリフを一覧化したものです。「あの場面のあのセリフが~」というときの参考にしてください。

スケザネ:これ入力だけでも結構、ホントありがとうございます。めっちゃ大変だったと思います。

ネオ:絵を文字にするって大変だからね。

Dain:ありがとうございます! 「シーン一覧」を作ってて気づいたのが、プロットポイントです。『シド・フィールドの脚本術』(※1)を読んでたとき「いい映画にはプロットポイントが2つある」ということを教わりました。プロットポイントとは、「ストーリーのアクションを加速させ、別の方向へと行き先を変えるような事件やエピソード」(※2)です。ズートピアのプロットポイントに印を付けましたので、脚本に詳しい皆さま、後で採点してください(笑)。

あと進め方だけど、どうします?僕がやる収拾がつかなくなるんだけど。

スケザネ:誰がやっても収拾つかないんで。大丈夫です。

Dain:では第一印象から順に話しましょう。私だと、最初の「おもしろい!」というのに加えて、この物語ってどんな風に作られてるんだろう? ということが気になりました。脚本苦労したんだろうなとか、そっちの方が気になってしまい、あんまり良い視聴者ではなかったですね。

ネオ:作り手あるあるな感じかな。

 

1. ストーリーは、たったの100分

Dain:そうそう。物語世界の設定だと、みんな何食べるんだろう?っていうのが、一番引っかかりました。チョコレートケーキやドーナツ、アイスキャンディーとか出てくるんだけれど、でもこの世界って、肉食動物って何食べてんだろうなあ?って。ハンバーガー食べてるんだったら、ハンバーガーのその肉って何の肉なんだろう?って引っかかってました。あと、『ズートピア2』が制作されているらしいのですが、2ってどんな話になるんだろう? というのも気になります。次はスケザネさん行ける?

スケザネ:はい、了解です。最初、黒幕は誰なんだろう? という所が面白くて夢中になり、次は気になるシーンを集中的に観て、結局3回観たんですけど、これはアメリカならではというか、人種や差別の問題とか、深掘れるんだろうなと思います。

あと脚本家の職業病ってやつで、ズートピアという世界の作りが上手いな、と唸らされましたね。

例えば冒頭で、ジュディが特急列車でズートピアに上京(?)するところ。そこで列車が来た時に、ネズミ用のちっちゃいドアとか、大型動物用のドアとか、ああいうちょっとした芸が細かくて、色々なものと動物たちが世界観として有機的に連関して結びついているっていう構造は、相当手が込んでるなーと、そこばかりに目が行ってしまって。

おそらく、まず『ズートピア』という世界を作るのが最初で、その後にテーマを作り、具体的にシナリオ展開していったんじゃないかな、と勝手に睨んでいます。なので、どういう風にこの世界を作っていったのか、むしろ僕はそっちのほうに関心がありますね。

今日はこの辺りをお話できればと思います。ではタケハルさんにバトンタッチしますね。

タケハル:そうですね。二点あって、まず一点目はスケザネさんに近いんですけど、美術ですよね。さっきスケザネさんが言ったネズミ用の入口があるとかもそうだし、街の中、街そのものが手が込んでてかなり面白いんですよね。

細かい処までよく出来てて、例えばジュディが帰ってきて、ニックと再会するところ。橋をくぐったところにニックが寝そべっていて、そこで橋をくぐった陰にジュディがいて……とか当たり前にさらっとやっちゃっているんだけど、再会する場所でよくあそこを思いつくよな、みたいなことが結構あって。背景の力がすごく大きく、それが世界観を含めて、そのキャラクターを立たせるための街並みとかが、すげー凝ってるなっていうのが一つ。

二点目は、脚本です。クレジット見た時に脚本に携わってる人がめっちゃいるんですよね。ジブリも結構そうなんですけど。10人とか12人とか平気でいるんで、やっぱりこう話全体が水も漏らさぬ造りというか。

例えばこの「ズートピア・シーン一覧」見ると、これまずシーンが多すぎるだろ、とか思わない? 上映時間は108分、ラストの歌が8分くらいあるんで、ズートピアって、結局100分なんですよ、たったの。100分でこれ全部やってる上に、何なら一つ一つのシーンがもっと細かいわけじゃないですか。

最初に幼いジュディの学芸会のシーンがあったし、その後に親子で歩きながら職業の話をして、お前はニンジン屋になるんだって言った後に、いじめがあって。これだけでもう3分ぐらいで、ぱぱっとやっちゃう? みたいな。しかもこれ連発されていくんですよね。

聞いた話なんですけど、ピクサーって脚本が分業で、ギャグに強い人とか、シリアスが上手な人とか分けてるっていうんです。それぞれの得意を持ち寄って、全体として成果を挙げられるって言うのが、アメリカ的だなと思いましたよね。日本でここまで人集めてやる脚本って、そんなに聞いたことないので、その辺が最初の印象ですかね。

ネオ:「最初の印象」がもうレベルが高すぎるって言うのが僕らの感想です。

全員:wwwww

タケハル:用意してるのよ、これは。聞かれると思っているから、第一印象。

全員:wwwww

スケザネ:今のタケハルさんの、シーンが多いというのは、言われて確かにって思うし、テンポ早いですよね、だからわずか100分にもこれだけ詰め込めていて。で、そのシーンでの問題意識というか、シーンが向かっていく先っていうのが絞り込まれてシンプルなんですよね。だから、テンポ早くても、観てるこっちが全然混乱しないし。

この物語の中って、各シーンで起きている問題トピックがちゃんと絞られているんですよね。そこの制御とか、観客への伝え方っていうのが、結構テクニカルにうまくやられてるんだと思うので。

タケハル:本当ですよ。だってそれだけ節約した時間をナマケモノに使ってるんですからね。

他3名:www確かにwww

タケハル:あの時間があったらもう3シーンぐらい進められますよ。

スケザネ:隣の奴にギャグ言うシーン、いらねーだろ。

タケハル:ホントホント。あの5秒あればみたいなことなのに。

ネオ:でもナマケモノのシーンをみんな一番覚えてるよね。

タケハル:そうなんだよね。その勇気よ!

スケザネ:オチ持ってきてるからね。あれはね。

Dain:確かにオチだったwww

タケハル:ま、ま、そんなところで。

Dain:次はネオさん?

 

2. キツネ避けスプレー=内なる差別意識

ネオ:まず最初に『ズートピア』をテーマにしようって僕が言い出したので、皆に観てもらってありがたいです。映画館で観た時に、「なんという傑作だ」っていう印象があったんですけど。

で、すげーって思ったのは、主人公のジュディの意識のところ。自分は差別されている側っていう意識だったんだけど、記者会見するくらいのいいポジションが得られたとき、今まで意識されてこなかった内なる差別意識っていうのが、思いっきり出てきてしまったみたいなところ。僕の哲学的な関心って、そういう自分の内面を見つめるところにあるんだけど、そういう面からしても、面白かったなっていうのが、ひとつですね。

あと印象に残ったシーンとして、駐車違反を取締りまくりますよね。もう他人を蹴落として手柄をあげるって感じで、誰も喜ばないようなやり方ですよね、年末みたいにwww 。出世とか実績っていうには、やっぱり他者の犠牲が伴うんだなーと。他人に害を与えないと自分が手柄を立てられないということが、なんかわかるなあとか。

スケザネ:いやあこれはいいセレクトしていただきました。

タケハル:ホントに!

スケザネ:じゃ感想はこれで一通りって感じですかね。

ネオ:皆さんもコメントで感想あれば、チャットでも自分の感想を。

スケザネ:ちなみに、皆さんもご覧になったんですかね?

ネオ:見た方はぜひ手を上げておいてください。

Dain:(チャットより)Mr.深煎りさんが、「狐用のスプレーを手放せていないのが印象的ですよね」って話されてますね。

ネオ:それが差別意識の表れですかね。それもちょっと難しいんだけどね。現実の女性が護身用のベルみたいなの持ってたら、男性に対する差別なのかって話になっちゃうから。それは難しいんだけどね。

Dain:差別や偏見の眼差しからすると、誰でも被害者から加害者になりうる、という話ですよね。「ああそうだな」と僕も思いましたね、

ジュディが「警察学校を主席で卒業する能力があるのに、駐車違反の取り締まりみたいな仕事をやらなければいけないの」みたいな言い方をしていて、それって駐車違反の取り締まりみたいな仕事は能力がある人にふさわしくない、っていう。それって、そういう人への差別や偏見じゃね?とかいうようなツッコミがスルッと出てくる。

記者会見でジュディが、ニックを傷つけることを言ってしまうところ。「あんなやつらみたいな」「あなたはあんな奴らみたいなものではない」なんて言い方をしてて、ニックから「あんな奴らみたいなってどんな事?」て言われるところ。それって、肉食動物に対する偏見じゃね? って隠しているのか、隠れているのか分からないけれど、そうしたものがポロっと出てしまう。差別や偏見は嫌だとジュディは思っているし、そうありたくないと言っているんだけど、それでもやっぱり自分はそうしていることに、自分で気づくという……

ネオ:ニックのおかげで気づけるっていう。

Dain:そうそう、ニックのおかげで気づけるっていう。

タケハル:ありましたね。

ネオ:Dainさんの聞いて思ったのは、こんな仕事は私がやるべきことじゃない、って思えるからこそ、あれだけ容赦のない取り締まりができると言うか、良くも悪くもプロ意識というか、その辺がうまくつながってすげーよ『ズートピア』。

タケハル:ありましたねえ。

スケザネ:象徴的なのは、キリンの車に駐車違反の切符を入れる時に、キリンのところに届かないから、標識みたいなのを踏み台にジャンプして、スッと差すシーンとか、ああいうところで何か遊び心が定期的に入るんですよね。また視点が変わっちゃうんですけど、あれは好きでした。

タケハル:それ結構大事だと思いますよ。最後の最後、ジュディがモノローグで、受け入れるってのは簡単じゃないって話をしているとき。虎と草食動物の子供がサッカーしてて、ジュディが間を通り抜ける時に、ジュディがボールを取ってリフティングするんですよね。別に入れなくてもいいんだけど、あのリフティングが入ることで、ちょっと見てられると言うか。そういう細かいものが積み重なると、スムーズに見ていられる。その工夫を抜きにして伏線をひたすら回収するだけにすると、意図が見えちゃうというか。

ネオ:遊びとか余剰のところが、全体を自然にするというか、そういう感じ。

タケハル:そこで手を抜かないというかね。

スケザネ:本当は駐車違反のシーンなんてすげー退屈ですもんね。それだけ切符を切ってるだけだったら。

タケハル:下手すれば、ジュディ嫌いになるかもしれないからね。

スケザネ:確かに、確かに。

 

3. 【重要】ジュディとニックは可愛い

タケハル:その流れで差別の話にも繋がるんですけど、無自覚であるジュディの方が問題みたいなとことか、さらにそれに対して、いや別にジュディは女なんだからいいだろう、みたいなところも言い出したりとか。

ただ僕が面白いなと思ったのは、そうと言っても、みんな結局ジュディとニックが好きなんですよね。ジュディとニックは可愛い。そこについてはブレがない。

これ逆に言うと、ジュディとニックがウサギとキツネだったから可愛く見えたけれど、草食動物と肉食動物だったら、例えばロバとハイエナだったらどうなんだろ? あんまり感情移入できなさそうなサイズだったりすると、全く同じことしても、この議論に行く前に、そもそもこの議論ができないんだけど。ただそうなると、それも差別じゃないの? みたいに思ったりとか。

Dain:はいはいはいはい。

ネオ:なるほどね。

スケザネ:そうなんです、そうなんです、そうなんです。

タケハル:だってね、ウサギはあんな目をしてないからね。ジュディはある程度、可愛く受け入れられるようにデザインされているんだけど、逆に言うと、ロバとハイエナのコンビでも受け入れられるやつが、差別のない精神を持っているかと言われると、それはちょっと違和感があるというか。その辺いろいろ考えましたよ、差別について。

ネオ:確かに。この作品のキャラの差別意識だけじゃなくて、僕らの持っているそういう感情というか、無意識的な評価だよね。「ウサギ=かわいい」とか「キツネ=ずる賢い」とか。

Dain:それを逆手にとって、うまく引き込んでいるのかもね。ジュディをウサギにして可愛くしているから、ジュディがそういう差別的なことを無意識にやってて、それをイラっとするかもしれないけど、それでもウサギだし可愛いし。その、可愛いという思いにはなかなか勝てないということですよね 。

タケハル:可愛いは正義

Dain:可愛いは正義。

タケハル:これは結構根源的なものがあるよな、と思いましたよ。

スケザネ:ふむふむふむー。

タケハル:でもね人間的には、ルッキズムみたいなことで、よくオーバーサイズのモデルとかの話をするんだけど、あれに対するのも、ちょっと僕は個人的には……いてもいいと思うんですけど、違和感があるのはあるかなというのが本音としてはありますね。

スケザネ:ちょうどこのまえ、『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』(※3)って本が出たんですよ、まさに今の話で。

例えば綺麗な蝶って色んな糞に止まるから結構汚いという、そういう話が飛び出してきて。動物に対するイメージって、昔から我々が勝手に作ってきたイメージなんですよね

だから、最後にアイドルのガゼルが効いてくる、って思ってて。ガゼルって温厚なイメージもあるし、あの役どころって、本当にぴったりだと思うんですよ。アイドルで、博愛精神みたいなものを体現しているんです。あれメスのガゼルで、オスはツノが生えていたりとか、徒党を組んで身を守ったりして結構強いんですよね。だからガゼルに託した意味って何なんだろうな?っていうのはずっと考えてます。

ウサギとかキツネは完全にこれは商業的にこうせざるを得ないと思うんですよ。それこそさっきのロバとかにはできないんですよ。ガゼルを持ってきてるのは分かるんだけど、なんかここを攻めたんじゃないかな、と。

タケハル:なるほど。

スケザネ:ここは攻められるというか、ちょっと謎ですね。そういう印象です。

タケハル:なんかね、日本人と西洋人の印象が違いますよね。ガゼルとかいないもんね。

スケザネ:ピンとこないですね。

タケハル:ちょっとピンとこない。

 

4. 人間っぽくさせない動物で人間社会をやる

Dain:『ズートピア ビジュアルガイド』(※4)にリッチ・ムーア監督のコメントがあって、ガゼルのキャラクターを作るとき、シャキーラっていうトップスターを参考にしたんだって。シャキーラって分かる? 俺分からん。

(チャットより)ゆすもひ:シャキーラはエロティックなダンスで歌うプエルトリカンです。

Dain:そのシャキーラの流し目の仕方とかをモデルに、ガゼルの動きを作ったんだって。ズートピアにはいろんな動物が出てくるんだけど、このガゼルのところだけ、わざと人間の髪型にしてて……

タケハル:ああ!確かに髪生えてた!

スケザネ:ああー!確かに。

Dain:なので、なんかズートピアって、人間っぽくさせないように、人間に動物の着ぐるみを着せたようにはさせないようにしてるのに、でもガゼルだけは特殊な存在にしたっていうのは今、まさスケザネさんの攻めてるっていうのはそこなのかもと思いましたね。

スケザネ:なるほど。たしかに人間の髪型だわ。

タケハル:すげえな、やりすぎだよ、はっきり言って。作り手からすると、すごいなって尊敬する反面、勘弁してくださいよっていう気もちょっとする。

スケザネ:わかります。それはわかりますわかります。めっちゃわかる。もう、そんな作り込むかね、みたいな。

タケハル:ほんとほんと。なんで思いついたんだよそれ、みたいな。この悔しさ。

スケザネ:悔しいですよね、わかる……差別の話にちょっと戻すと、物語を作るときに、こういう現実の問題っていうのにどれくらい向き合うかっていう話が出てくる。前回の物語の探求にあった寓意の話にまで戻るけど、この塩梅、すごい絶妙だなって思う。難しいんですよね、これ。差別の問題とか、人種、あとセクシャルな問題って、すごくセンシティブで、下手にやると叩かれて終わるんですよ。それこそ下品なやり方なんですけど、これを「人間」でやったりなんかしたら、絶対に問題が起こるやつ

タケハル:大変なことになるっすよ

Dain:人間でやったら問題起きるね、これ。

スケザネ:そうそう、これを動物に逃すっていうまず発想が違うんですよね。例えば、最初の開始10分で、「この世界でキツネは差別されてる存在なんだよ」っていうのをばーっとやっちゃう。で、観てる方には、なるほど、この世界でキツネは差別されてるんだと伝わる。まぁ、我々の持っているイメージとそう遠くないからすんなり理解できる。で、ジュディが駐車違反の取り締まりをしているとき、アイス屋に入っていくニックを見て、「ん?あいつ怪しいぞ」って目をするんですよね。

タケハル:したした。

スケザネ:ここすごく大事なシーンで、ジュディもあの瞬間、「キツネだから」って偏見で追ってるわけですよね。で、追っかけて中入った後、「パパだからいい人」って判断を下すわけじゃないですか。

Dain:あー

タケハル:したした

スケザネ:「息子思いのパパ=いい人」、「それを迫害するゾウ=悪い人」みたいな公式でいくと、「キツネ=差別される人」という公式を、ジュディも持ってることが簡潔に表されているんで。観るほうも無理なく受け入れられるというか。あの情報制御のバランス計算が本当にすごい。変に説明しすぎちゃうかもしれないし、逆に説明がなさすぎて、なんでキツネってこういう風に思われてんだろうってなっちゃうかもしれないのを、ほんとここは現実とフィクションの世界のちょうど、こう上手いバランスがとれて、見てる側にスッと入らせる。

タケハル:すごい時間かけて書いてますよ、あそこ、それこそ。

スケザネ:大変だと思いますよ。何回もリテイクしてると思う。

 

5. 没となったディストピアな『ズートピア』

タケハル:「シナリオ400本捨てた」とあるけれど、なんだっけ、誰かが言ってたけれど、「長いシーンを書くのは比較的簡単で、短いシーンを作る方が難しい」みたいな話、どっかで利いたことがあります。しかもセリフなしですからねここ。この一連の流れ、映画的な文脈でやっちゃうってのは、かなり頭を使わないとできないです。

スケザネ:うんうんうんうん

Dain:シナリオ400本捨てたってやつ、たぶん400本のシナリオを書いて捨てたんじゃなくて、400回ぐらい書き直したって意味だろうから、まあ捨てたっていうのは言い過ぎかも。それでも、何回も書き直したことは、よくわかりますね。

スケザネ:そうですねー、たぶん実際捨てられたエピソードもいっぱいあると思いますね。ほんとはこんな動物がーとか、レインフォレストとか、いろんな地区あったと思うんですけど、言及されるだけで行かない場所とか、ああいうところ絶対話があったりしたけど、結局それ捨てられちゃったんだと思いますね。

Dain:そういや捨てられたエピソードで思い出したけど、ニックと一緒にいたスナギツネかなんかの…

スケザネ:あー、赤ちゃんのふりしてた

Dain:それ、赤ちゃんの格好してたんだけど実はおっさんっていうやつ。あの二人は、実はハンバーガーショップで働いてたっていう話があったみたい。スナギツネは店員をやってて、ニックは機械のメンテナンスみたいなことをやってるとか。『ズートピアビジュアルガイド』見ると、店の名前は「シェチーズ」で、経営者の顔も載ってる。チーズバーガーにチーズが何枚入っているとか、パテが何枚とか、メニューまである。

スケザネ:細けぇ~

Dain:それ見てて気づいたのが、やっぱこの世界でもハンバーガー屋がある。ってことはこのパテは何の肉なんだろうなという疑問が出てきて。時間的な制約から外したのと、やっぱり食べ物系を入れるとまずいので外したのかな。

スケザネ:すごいな、ボツのハンバーガー屋までそんなに作り込まれてたんですね。

Dain:そう。ボツ案もね。さっきのレインフォレストも、ズートピアのどのへんに位置してて、どういう生態系になってるかも、事細かにビジュアルも含めて作り込んでいるんですよ。なのに、映画はほんとにさらっと流れるっていう、ほんとのワンシーンなんだけどね。

タケハル:いやー、でもすげえな、やっぱエネルギーのかけ方が!

Dain:「ズートピアの都市設計」を見ると、ズートピアの都市設計だけで、デザイナーさん4人いるみたい、すごいわ。最初にタケハルさんおっしゃってましたけど、最初に世界を、ズートピア作って、その後にストーリーを作ったんじゃないかしらって思います。

スケザネ:なるほどなぁ!

Dain:ボツ案で凄かったのは、「ズートピアの削除シーン」で知ったんだけど、最初はニックが主人公だったというやつ。ジュディなんて影も形も無かった。んで、肉食動物と草食動物が共存するため、肉食獣には首輪が義務付けられていて、「肉を食べたい」という欲望が起きるたびに、首輪に電気ショックが流れる世界なの。どう見てもディストピア。

スケザネ:へぇ~

Dain:「肉を食べたい」欲求を我慢しながら、草食獣と一緒に過ごさなければならない。当然、ストレスが溜まる。で、ニックの役柄なんだけど、そういう世界で、ちょっといかがわしいお店をやってる。人間でいうとアダルト関連で、押さえつけられた肉欲を解放できるようなお店なの。そこでは、ミニチュアの草食獣を襲って欲望を発散させるの。本物の草食獣を襲ったら電気ショックが流れて犯罪になるから。ニックは、そういういかがわしいお店の経営者を目指すっていうストーリーだった……らしい。

スケザネ:へえぇ~!

タケハル:絶対ディズニー無理でしょ!

Dain:ところが、あのジョン・ラセターっていう、ピクサーでは神様のような監督に、ある程度出来たものを見せたら、「こんなの観たい? こんな辛い世界に誰が住みたい?」ってぶった斬って、作り直しになりました。普通こう、動く絵まで物語を作り上げているのに、もう一度戻そうとするって、英断というか、勇気がすごいなぁって。

タケハル:このエピソード、いろんな示唆がありますよね。さっき僕もいっちゃいましたけど、そんなのディズニー撮るわけねえじゃんって、外からみてれば思うんだけど、少なくとも企画書あげて、絵までつけてるんだから、作ってる最中はそれわかんないっていうことですからね。クリエイティビティっていうか、自由に作るとき、やり始めるとなんでもありになって、ディズニーだからいいとかダメとか考えず、思いつかないところまで一旦は振り切るみたいな。そこにやっぱり、ジョン・ラセターはやっぱりすげえって思うけど、彼は自分でも話作るだけじゃなく、それをこう、ジャッジできる目を持っているのは、特殊ですよね。

Dain:なるほど!

タケハル:しかも、これからもっとまずいの、ジョン・ラセター、いまディズニーにいなくなっちゃったっていうのが問題で、そこには別の問題ちょっとありますけど。

スケザネ:たしかに、企画がある程度までいってから戻すっていうのは、業界としてよく聞きますし、まあ珍しいことではないんですけど、こうやって聞くと、わ、そこまでやったんだってのは驚きですね。だって、テーマの設定とか、対象年齢の設定とかからもう一回やり直したんでしょうけど、ほんとに。ジョン・ラセターすごいな。

Dain:それって物語の完全な作り直しですよね、カットを変えるとかシーンの入れ替えってレベルじゃなくって、物語の設定とか背景とか、根幹から変えて、まあ主人公変えちゃってるっていう時点でそうだけど。

タケハル:たぶん、このボツ案のアイディアとかも、どこかで使ってて、完全な無駄って無いとは思うけれど、実際やってる側としては、今更変えないでくれよみたいなことが……あと、なんならもう一個誘惑としてあるのが、多分この、ディストピアバージョンでも、ある程度の正解はあるっていうか、別にディズニーだってことを抜きにすれば、好きな人にはハマるかもしれないし。そういう誘惑をすべて退けてやり直すっていうのは凄い。

スケザネ:現実問題として予算とか締め切りもありますからね。

タケハル:そうそう、怖すぎますよ。まあでもこれも、今回までかもしれないですけどね。ジョン・ラセターいないから。

スケザネ:なるほど。

Dain:ダメ出しできる人。

 

6. 『トイ・ストーリー4』の本質=「〇の〇離れ」

タケハル:そうなんですよ!若干ずれちゃいますけど、『トイ・ストーリー4』ご覧になりました?みなさん。

スケザネ:あー、4見てないですねー。

タケハル:あんま先入観持たせちゃいけないですけど、それでもいうと、4は違うんじゃないかと。今までのテーマはどこにいったんだとか、バズそんなやつじゃなかっただろみたいなことが、結構あるんですよ。で、それがちょうどラセターが、セクハラ問題でいなくなった後にできた最初の映画が『トイ・ストーリー4』だったんですよ。で、注目してたら、いややっぱりラセターいないとダメだみたいなかんじがあってですね。

Dain:うわあ……

タケハル:いま『2分の1の魔法』やってますけど、そんなにウケてないのは、コロナだからしょうがないよねって感じで流れちゃってるけど、違うんじゃない? それじゃすまない問題がピクサーに起こってるんじゃない? 大丈夫か? クリエイティビティ落ちていないか? という危惧はありますね。

スケザネ:これあんまり、盛り上がってないですね。

Dain:そもそもそんなのやってるの、全然知らなかった……

ネオ:俺もこれはじめて知った

タケハル:コメントでゆすもひさんから「4好きの意見を聞くとよく理解できた」ってお言葉があります。

Dain :ちょっと発言できます? 4好きの人の意見。

ゆすもひ:ゆすもひです。こんにちは。喋らないほうがいいんですかね、これ?

スケザネ:大丈夫です。

ゆすもひ:この話、「親の子離れ」の投影っていう見方で見ると、当てはまるっていうことらしくて。たしかに4でアンディが変わりますよね。キャラまったく変わるんですけど、あれはもう親心って目で見てあげないとダメみたいな話なんですね。そこらへん掘って探されると、なるほどっていう意見が見つかるかもしれないなと思ってコメントしました

タケハル:なるほどー。俺も親離れできてないのかな。

ゆすもひ:親離れの話、それで見るとすごいよくわかります。

タケハル:ちょっと探してみよ。

Dain:ここで言う親とは? 誰なの?

ゆすもひ:親はアンディです。

Dain:アンディが親。なるほど。

ゆすもひ:あと、フォーキーがゴミか、おもちゃか問題ですよね。そのあたりも結構納得できる、私もわかんなくていろいろ探ったんですけど、「親の子離れ」だと、結構納得できる意見で、なるほどと思いました。

タケハル:ちゃんと調べよ。いや、ありがとうございます。

 

7. なぜベルウェザー副市長は陰謀を企んだか

ネオ:そうですね。みなさんのチャットでも、このシーンとか印象的でしたとかいうのあったらね、ぜひぜひってかんじです。

Dain:じゃあ僕から。ここでみなさんいると思うんで、いろんな意見を聞きたいなあっていうので。それは、「なぜベルウェザー副市長は陰謀を企んだか」ってところ映画だから、悪役がいるかなーって、物語を作るほうからするとベルウェザー副市長は非常に物語あるある。最初は協力者だったけど、実は黒幕っていう、教科書みたいな。面白さからすると正解だと。

で、今度は物語に没入して楽しむ方からすると、なぜ彼女が陰謀をたくらまねばならなかったのかっていう動機を考えると、ひっかかってて。

そのヒントになるのがラストの博物館、クライマックスのところ。ジュディに向けたセリフなんですけど、「ちゃんと評価されず、いつも低く見られて、あなたもうんざりのはずよ」。草食動物で、力が弱く体も小さいからといって、低く見られて、いい仕事をもらえずに、能力的にはあるのかもしれない。ベルウェザーに寄せると、能力的にはライオン市長よりも上かもしれないけれど、副市長の立場に甘んじているみたいな。

これをなんとかしたかったんだっていう、そんな話なのかなって。で、なんでそれで羊だけが悪役にするのかなっていうのが分からなくて、ネットで意見を探してみたら、「もしジュディが、駐車違反の仕事ばかり延々とやらされて、ニックに出会うこともなかったら、おそらくベルウェザー副市長みたいになったんじゃないかしら」という呟きをみて、ちょっとぞっとしましたね。ベルウェザー副市長は、ニックに出会えなかったジュディなんだと。

タケハル:おお~

スケザネ:いや~そうっすね、結構時代もあったので、オバマと白人的なことをずっと思い出していまして。要は黒人というものが大統領になった、で、白人側からすると面白くない感触に追いやられた人もいると思うんですね。で、恨みを募らせたっていう恨みの募らせ方も、単純にその仕事ができるできない以上の複層的なものがあったんじゃないかと思うんですよ。当時の一部の白人には。

で、結果としてその時の膿とかっていうものが今トランプって形になっていると思うんですよ。それが、さっきのニックと出会わなかったジュディと実は結構重なるところがあって。オバマ的なものをなんとかして追い落としてやろう、あいつらは危険なやつらだ、昔から危ないやつだったじゃないかっていうプロパガンダで追い落としていくっていうのは、なんかすごく納得できるキャラ造形というか。

現実から逆算しちゃうんですけど、ベルウェザー副市長に落とし込むのであれば、もともと肉食動物っていう危険だったやつが今トップにいて、で、私は地下の狭苦しい汚いところで秘書みたいな仕事をさせられていると、私なんか票集めの道具ですよ、私の方がきっと仕事もできるのにと鬱屈してくる

だから、ジュディから仕事を任せてもらった時、すごい誇らしそうな、嬉しそうな顔になったりとかするのはそういうところだと思うんですよね。私はできるんだと。ジュディの「私は警察学校首席で出たし仕事ができる」っていう自意識は、たぶん同じものをベルウェザーも持ってるんじゃないかと。

しかも女性でってところもポイントだと思っていて、そういういろいろな恨みが彼女の草食民意識とか性意識とかいろいろなものが結構凝縮されて、復讐に走ったんじゃないか、陰謀に走ったんじゃないかっていうのは、自分の考えですね。

Dain:なるほどすごい! 納得っていうか、言われてみるとそうかつながるわーっていうとこあります。

ネオ:市長っていう地位も、女性を官僚につけるってことでイメージアップみたいなことが現実にもあったりするじゃないですか。これに利用されてるって自覚もベルウェザーはもってて、もう明らかに言葉でセリフとしてでてるから、そういうところでの鬱憤みたいなものはきちんと表現されてるなとは思いますね。

Dain:なるほどー。ありがとうございます、腑に落ちました。当時の政治の、あんまり生々しく描いちゃうと炎上する燃料になっちゃうから、黒人白人女性の話も、動物の形にして、まさに戯画化というか、比喩として寓話化してやってるんだなーっていうのも含めて理解できました。

 

8. 『ズートピア』を現実社会の写し鏡にしなかったわけ

ネオ:そうなんすよね。だから、スートピアのすごいところって、完全にまるっきり同じにはしてないんですよね。だから普通だと、黒人がちゃんと評価されず低く見られるって偏見があると考える方が自然じゃん。スケザネさんの説明だと、オバマ大統領が誕生して、なんか白人の鬱憤がたまったみたいになるけど、でもズートピア的に考えると、むしろベルウェザーは数で言えばマジョリティなんだけど、草食動物で、でもずっと差別されてたっていうような側だから、ズートピアって完全に同じじゃないっていうのがすごい。

現実社会とズートピアが、分かりやすいパラレルな関係にはなってなくて、必ず、ちょっと微妙に違わせてるっていう。だから、草食肉食がマイノリティ、マジョリティっていうふうにもわけられないんだよね。アメリカ社会の反映というか。だから数でいったら草食動物のほうが圧倒的に多いんだけど、アメリカ社会って白人の方が多いわけで、みたいな。そのへんがよく考えられてるなっていうか、すごいなって思うところ。

スケザネ:なるほどね!

ネオ:だから、逆にこの作品を見て、自分がすごい揶揄されてるとか思う人がいないんじゃないかなって気がするんですよね。

タケハル:そうね。言い方あれだけど、都合の良いところで感情移入できるようになっちゃうから。

Dain:確かに。

スケザネ:確かに、確かに。

タケハル:よくよく見ると違うんだけど。

Dain:そうか、これネオさんの言う通り、ストレートっていうか、現実を寓話化するときに示すほうと示されるほうが、本当リニアにというか、きれいにパラレルに移行しちゃうと、「揶揄されているのは自分だ!」ってすぐわかっちゃうから、そこはうまく作り込んでいる。微妙にずらしてたり捻ってたりしていると。

ネオ:まあそうなんじゃないかなあ。

Dain:なるほど。そのために、タケハルさん言う通り、自分ではなく他の人を表象しているがために楽しめる。楽しめるっていうか、自分のことは言われてないように都合よく受け取ることができるっていう。そこまで仕掛けられてるかと思うと、ちょっと恐ろしいぐらいの物語の作りようを感じますね。

ネオ:まさにそうしなかったら、動物に比喩した意味がないってことになりかねないですかね。動物に比喩するから、ある種他人事というか、そういうふうに見れるっていうところも関係あると思うんですよね。動物にしても自分のことだと思っちゃったら意味がないというか。だから、あと例えば最初に凶暴になった動物ってなんでしたっけ?

タケハル:カワウソ?

ネオ:カワウソ。そう、そういう微妙なところ!全然馴染みがない感じの。

スケザネ:肉食なんだあ、くらいの。

ネオ:ライオンが凶暴になったとかさ、オオカミが凶暴になったとかさ、ああってなるけど。え、カワウソ?みたいな。だから誰も揶揄されてるように感じないっていうのはあるかもしれない。

タケハル:そういやいま思ったけど、イヌとかネコっていたんだっけ?

ネオ:オオカミはいたよね。

タケハル:いなかったんじゃないかな。

スケザネ:いまパッと出ないですね、少なくとも。

Dain:『ズートピア』の全員が出てるビジュアル見てるけど、コアラ、シマウマ、ハリネズミ、リスとかいるけれど、イヌ・ネコはない。ないわー

タケハル:受付はチーターです。チーター。

スケザネ:これ本当に英断だと思うのが、絶対海外展開を考えてたはずなんですよ、ピクサーだし。っていうことは、アメリカに限らずいろんな国の人がピンとくる動物を選んでいると思うんですよ。よくちゃんと日本でも「ああ、あの動物ね」ってなったってのがすげえなって思ってて。裸のクラブの虫いっぱい集まっているあいつ、まあわかんなくはないけど、ぐらいでしたけど。あとほぼわかんないことなかったんで。あのへんって相当気を遣ってるはずですよね。

タケハル:あのハエたかってるのよく出したよね。結構ギリギリだと思ったけど。ウシ・ブタだったり…

Dain:そうそう。これ僕の謎にもつながるんですけれど、いない動物を言うとイヌ・ネコいないし、サルもいないし。

スケザネ:サルいないのかあ。

 

9. 『ズートピア2』はトイ・ストーリー型かアナ雪型か

Dain:たぶんサルは人間を彷彿とさせるからいないんだろうけど。あと、やっぱり食べ物を避けてるように思えてて。警察署長はアフリカ水牛ですけど、あれは肉用じゃないし。普通に食べ物を思い浮かべるウシ、ブタ、ニワトリっていうのはいないなあって引っかかったところなんで。『ズートピア2』やるんだったら、このへんの問題を明らかにしてくれるとおもしろいんだろうけれど。やり過ぎかも。

タケハル:こうなったら『ズートピア2』はあれですね、「植物からの抵抗」みたいなことがテーマに。動物は、当たり前のように植物を食べてるけど、私たちには進化する余地もない、みたいな展開で。それぐらいしないと、鳥とか海の動物とかだと予想ついちゃってる気がするんですよ。

ネオ:確かに、ディスニーで植物が主人公とかってあんまりないよな。

タケハル:木がしゃべるとかあるかもしれないけど、これぐらいやんないとね。ちょっと前に植物のほうもハマってた時期があって。植物は基本、食われる立場にいるけど、植物こそが生物を支えてる、みたいな話。雑草とかも、人の入らないところに生えたりとかして、文句言わないとか。なんか全然違う角度から攻めるっていうのはありかもしれないけれど、ヒットするかはわからない。

ネオ:植物の孤独を描くっていうのが。

タケハル:そうそう孤独ね。めちゃめちゃメジャーじゃないな、どうにも(笑)

ネオ:サボテン主人公にしてほしい。

タケハル:ちょっとおもしろそうだね。サボテンだったらね。

スケザネ:『ウォーリー』とかね。ちょっと植物をめぐる話だったりしたけど。

ネオ:『ウォーリー』はよかったなあ。

スケザネ:続編の話だけど、ピクサーとかディズニー系の続編でパターンがあると思ってて、アナ雪型とトイ・ストーリー型のどっちかがあるかなと思ってて。

トイ・ストーリー型は螺旋状で。『4』はちょっと横に置いておくとしても、基本的に上にやっていく型。いきなり新しい大事件がボーンと出てくるとか、進んでいる感じではないと思うんですよね。基本的には同じメンバー、同じ時代感、同じ感覚で、上に積みあげていく感じ。

アナ雪型は、時間が完全に進むんで。『1』で起きたこと踏まえて、今度こういう新しい事件が起きます、ボン、みたいな。これ本当に難しいんだと思うんですよね。こっちのアナ雪型は。『アナ雪2』ってそんなにいい評判聞かないし、『1』は俺好きだったんだけど、『2』はちょっと微妙だったんですよ。

『ズートピア』は、このアナ雪型にいくしかないんじゃないかという懸念が正直ありまして。もうおおむねのことが終わってしまった、このズートピアでもう一回お話を作るには、やりようはあるんだけれども、最近のピクサー的には新しい大事件――それこそ植物が反乱してくるとか――を起こすしかもうやりようないんじゃないかな。でも、個人的に観たいのは『トイ・ストーリー』みたいにそのズートピアでまた何か、その完結した中で新しい何かを起こすっていうほうが観てみたい気はするんですけどね。

 

10. 勇気を持って、マンネリ化

タケハル:アナ雪型になるのか。俺も個人的にはトイ・ストーリー型でやってほしいな。もうバディができたんだから。ニックとジュディっていう。もうドラマとかで、一話完結で街の事件を解決する程度とかね。いいんじゃないかなと思うんだよね。無理してがんばらなくてもいいんじゃないかな。っていうかもうがんばらないでくれもう、みたいに言いたくなっちゃう。

ネオ:『スター・ウォーズ』のアニメ版みたいな感じでいいと。

タケハル:そうそうそう、いいよいいよ。『マンダロリアン』でいいよ。『クローン・ウォーズ』でいいよ。

ネオ:確かにね。警察官のバディ、『相棒』でいいよってことか。

タケハル:『相棒』でいいの。毎回新しい犯人が出ればいいの。

Dain:それ言うとバディものの、刑事・警察ものの映画で『リーサル・ウェポン』ってシリーズで続いてたんだけれど、みんな知ってるかな? おっさんしか知らんかもしれん。

スケザネ:「1987 アメリカアクション映画」っていうのが出た。

Dain:そんな昔なんだ。確かね、『4』ぐらいまで出てたはず。

スケザネ:ほんとだ、続編ありますね。TVドラマシリーズも2016年から放送中みたいです。

Dain:知らんかった。デコボココンビのバディもので反りが合わないんだけど、無理やりバディにさせられちゃって。あとは次から次へと新しい事件が、新しい犯人がっていう、そんな話。もし『ズートピア』がそっちにいくんだったら、『ズートピア1』がバディ誕生で、『ズートピア2』がそのバディものっていう。昔からの映画のお作法を守っていけば、きっとずっと続けていけるだろうなあ。なんだけれど、それがおもしろいかっていうと、「普通におもしろいね」っていうぐらいかなあ。どうなるんだろう。

ネオ:タケハル先生の話を聞いて思ったのは、これ完成されたすばらしい世界じゃないですか。まさに「ユートピア」になったわけじゃないですか。その世界観をやっぱり壊しちゃだめだって思う。だから、まさにみんなが住みたくなるような世界での小さな出来事とかを扱っていけばよくて。それでだんだん進んでいくごとに、例えば草食動物がついに市長になるとか、そういうことがあってもいいかもしれないけど、根底の世界観としては安心できる「水戸黄門」みたいな続編でいいと思う

タケハル:ずいぶん草食動物的な発想になってきたけど。

ネオ:変に植物の反乱とか、やんなくていいような気がすんだよ。

タケハル:確かに、そう考えるといらないかもしれない。

ネオ:やりたいならもう別の世界でなんかこう。

スケザネ:『アナ雪』は別の世界に行っちゃったんだよな、だからな。

タケハル:偏見出ちゃうけど、白人のほうが狩猟型っていうかさ、次なる地平を求めるみたいなことで、新しいことやりたがるんじゃないかな。草食人物たちは、やっぱり「水戸黄門」なり「寅さん」なり、農耕生活になってんじゃねえかな。

Dain:おそらく『2』の企画書でも、バディものにしようって案があるはず。

スケザネ:あるでしょうね。

タケハル:なあなあ展開しようっていうのはあるでしょう。

Dain:せっかく「ズートピア」っていう世界があるから、そのなかで次から次へといろんな事件を起こせばっていうふうにすればってありだと思う。けれど、実際その物語に予算を割り当てる人が、本当にそれを選ぶかどうかになると、どうなんだろう? 安全すぎるとかって言うのかしら。投資としては安全だと思う。いま僕が思ったの深煎りさんがコメントしてくれて、「社会風刺が入るような」っていう感じが。バディもので、その時その時の社会風刺がチョロチョロっとこう入れているっていう。

ネオ:『ドクターX』でいいってことですね。あれは要所要所時事ネタでふざけてる。

スケザネ:最後、麻雀して終わる。

ネオ:「忖度」とか言い出すし。

タケハル:やっぱりこれ、勇気を持ってマンネリ化してほしいですよね

スケザネ:いやあ、それはいい言葉。

ネオ:すばらしい。

Dain:いい言葉だ。マンネリ化でいいとは言わんけれど、そうそう。

スケザネ:でも、これマンネリ化できるやつですからね。十分舞台がそろってるから。『アナ雪』は無理なんですけど、これはできるんですよ。

Dain:世界がすごいもん。「ズートピア」が。

スケザネ:まだまだ全然消化不良というか、描けてないところたくさんあるし、見てみたいところたくさんあるし。俺は幼なじみのギデオン・グレイとかけっこう気になってるんで。あいつの扱いってもっとけっこう重要な感じで出てくるのかなって思ったら、パイ職人やってんのかよって感じだったりとか、ああいうところとか気になるし

タケハル:確かに、ギデオン・グレイだけで1話作れるからね。

スケザネ:絶対できますよね。

タケハル:なんなら2話で。前後編とかで。

ネオ:いろんなことが起こっても不自然じゃないっていう世界観を構築できてるよね。だから、例えば『アナ雪』でなんか起こそうとしても、「別にいいよ」とかって思うかもしんないけど、ズートピアで全然知らない動物がなんかしだしたとなると、「へえ」ってくらいになる。

スケザネ:新しい動物出すっていうのは絶対映えるもん。おもしろい動物。

タケハル:両親が都会に来るだけでも1話。

スケザネ:確かに、あの両親おもしろそうだなあ。

タケハル:「市長、恋に落ちる」とかさ。

スケザネ:無限に出せるな。

タケハル:無限にできるだろ、これ。

ネオ:重たくも軽くもできるのは、異種類どうしの恋愛とか。キツネとウサギ、今のところそういう混血っていないと思うんだよね。『ズートピア』って。

Dain:ないね、うん。ないない。

ネオ:まあ生物学的に無理なのかも知んないけど、そうなるとどうなのかなあって当然考える。めっちゃ重たくなりそうだけど。

タケハル:たまにはスパイスと一緒の回があったりね。

スケザネ:明らかにとっ散らかるな。

ネオ:ナマケモノで1話作れるし。ほぼ進まない、みたいな。

Dain:『3』も出したらやばいかな。サルは絶対出さないだろうなって思うけれど。

ネオ:サルは悪者じゃねえかなあ。

Dain:うん。悪者で、なおかつ科学技術に長けてて、なおかつ宇宙とかを目指そうとしてって大きくなっちゃうな。

ネオ:それかもう、『おさるのジョージ』みたいなの出すっていう。

スケザネ:愛嬌ある感じね。ちょっとね。

ネオ:『おさるのジョージ』は来てもいいんじゃないかな。でももう、『おさるのジョージ』もいる場所ない。みんなジョージくらい頭いいからな。

Dain:ズートピア壊しちゃったらダメだろうなあ。沈めるとかっていうのもダメだろうし。

ネオ:どうして沈めるって発想が出てきたの?

Dain:ものができたから壊しちゃえっていう発想。オチは「ズートピアとは何か」って話にする。結局、ズートピアって建物とか道路とか施設じゃなくって、そこに暮らすみんなの多様性を認める共同体なんだ、みたいにすればできるかなあって思ったけど……それどっかで聞いたことあるなあって思ったら小松左京の『日本沈没』と同じテーマや。ちょっと飛びすぎ感ある。要するに、日本という土地が沈んでも「日本人」っていう文化なり考え方は世界中に散らばってという発想。

スケザネ:場所じゃないよっていう。

Dain:そうそう、場所じゃないよっていう。あと思ったのが、『ズートピア』観る前の想像からなんだけど、動物たちのユートピア=『動物農場』というやつ。ジョージ・オーウェルの小説が浮かんじゃって。もし風刺も絡めて、なおかつエグいところも入れてってやろうとすると、『動物農場』路線に行くのかしらんって思った。ストーリーをかいつまむと、とある農場で家畜たちが反乱を起こして、人間たちを追い出しちゃう。で、動物だけで平等なコミュニティを作ろうってまさに「ズートピア」みたいな場所を作ろうとする。だけど、ちょっと賢いブタが他の動物をこき使うようになって。でも他の動物たち、ウシやウマやニワトリたちは言われるがまま働いて、何でおれたちの生活こんなに苦しいんだろうって思っているんだけれど、前人間がやってたことと同じことをブタがやるようになってて、気づいたらブタが人間に成り代わっていましたっていうオチ。これを『ズートピア2』に入れて、ブタの代わりにサルを入れてなんだけど、もうあれだけ世界ができあがっちゃってるから難しいだろうなあ、なんてなことを妄想してました。

スケザネ:それやるなら『1』しかなかったかもしれないですね。

Dain:『1』だろうな。

スケザネ:今さら壊せないでしょうね、きっと。

Dain:壊せない、ちゃんとできてるから。

タケハル:ディズニーは『モンスターズ・インク』で前日談という手を使ったので、『(モンスターズ・ユニバーシティー』だったら『モンスターズ・インク』より前だから。前の話するというのであればありですね。

ネオ:『モンスターズ・インク』あったな。

スケザネ:確かに、前日談パターンあったな。

タケハル:まあ、でも今回しつこいくらいにもうジュディとニックが最後相棒になってるから、あれだけ警官になっといてやらんのかい、みたいな感じしますけどね。

スケザネ:今さら警察学校時代の話されても、みたいなところはありますよね。

 

11. 自分では気づかない自分自身の良さ、「成長感」

スケザネ:けっこう自分が思ったのは、動物がどうとか種族がどうとかっていうよりも、自分自身の成長感としていいところがたくさんあるなって。「自分自身のいいところって自分自身では気づけていない」ってこの1つの作品のテーマかなあと思ってて。

さっきの虫がいっぱいたかってるあいつの話ありましたけど、実はあいつが一番記憶力いいとか、あれってあいつわかってないじゃないですか。「象は記憶がいいね」とかって言ってましたけど、自分のこと気づけてないとか。

ニック、実は警察官としての能力が高いのを、ジュディが気づいて見込むわけですよね。「あなたに依頼しようと思ってたの」って言って、ニックはそこで「おれにそんな能力があるんだ。じゃあがんばってみようかな」っていう顔になってたりとか。みんな自分のいいところって、自分自身で気づいてなくて、自分自身で押さえ込んでしまっていて、人によって、人との出会いとかで、それを今度気づかせてもらうっていうか。この作品、人種とかそういう話がどうしても前面に出てきてしまうがゆえに忘れられがちというか、あんまり目を向けられていないのかなと思ったんですけど、これは大事なテーマなのかなと感じていました。

タケハル:かなり普遍的な問題でもあるからね。

ネオ:一緒にしていいのかわかんないけど、自分の差別意識には自分では気がつけないって話とちょっとつながるかもしれない。

スケザネ:ああ、確かに確かに。

タケハル:ひっくり返したらね。

ネオ:成長できるとか、見方が変わるとかっていうのは、自分じゃなくって他者を通してっていうことは全体にあるのかもしれない。

タケハル:成長は確かにテーマとしてあったよね。最初のセリフですげえおもしろかったけど、ジュディが「警官になりたい」とか言ったら、お父さんお母さんが「ニンジンはすごくいいぞ」「ニンジンでみんなのために役立とう」としか言い出して。でもお父さんお母さんは可能性に対して、ここは塞いどいてみたいなことしてるんだけど、ジュディだけは外を見てるみたいな。そのジュディですらいろいろ問題はあるんだけど、今のとこ普遍的な問題としてみんな思ってることだし、お父さんお母さんは善意だしってところはうまく入ってる。

スケザネ:お父さんお母さんは間違っちゃいないってところも、大事なポイントかもしれないです。

 

12. ズートピアの普遍性は「可愛い」と「笑い」

タケハル:ずっと思ってたのが、「ニックとジュディがやっぱり可愛い」っていう話で。

ちょっと話が飛ぶんですけど、よく美しさの基準は変遷するみたいな話あるじゃないですか。平安時代のおかめ顔とかみたいなこと言うんですけど、でも思うに、このジュディとニックに関しては、例えば100年後見てもまだ可愛いんじゃないかって思うんです。動物だし。もっと個人的なこと言うと、「美は変遷する」ってウソなんじゃないかって思ってて。なぜかというと、例えば『ミロのヴィーナス』、ぶっちゃけ今見ても美人だなって思うわけじゃないですか。時代時代によって多少の好みみたいなのはあるっちゃあるけれど、もうちょっと普遍的に可愛いとかっていうものって。

今のポリコレ的な見方とか色々あるけど、たぶんそれを乗り越えて通じる可愛いさというものは、『ズートピア』にはあるって思うんですよね。「可愛い」が存在しないことには共感がまったくできないようになっちゃうか、もしくはすごく心の広い人だけが共感できる映画ってことになっちゃうから、可愛いさの基準みたいなのはあったかなあって。

ネオ:それ見た目だけど、エピソードのカッコ良さみたいな、例えばストア派のセネカが紹介しているエピソードとかってやっぱり今聞いてもかっこいいとか男らしいとかって思ったりするからね。そういう普遍性っていうものはあるのかもしれない。

タケハル:差別意識とかで乗り越えられるとか、変わっていくほうもあるんだけれど、むしろ変わっていかないものをキャッチしつつ、変わっていくものに対してきちんと追いつくみたいなのはすごくよくできてるよな、意識してるのかなって

人間としても普遍的に反応しちゃう部分は抑えつつ、おそらく10年と言わず5年ぐらいしたら古くなっちゃうのかもしれないと思うけど一応入れる、みたいなこともどっちもやってるからレベル高えなとは思ったかな。

ネオ:それで言うと、笑いもそうだよね。前回の読書会にも出てきたけども。ナマケモノのあれってもう100%笑うよね。100年後でも。

タケハル:そうそう、100年経っても。逆に、羊のもふもふを叩くとか。アフロの人に対してアフロたたくの失礼みたいな話で。アフロの人は「たたいてもいい?」ってみんなに言われるらしいんだけど、それは本人すごく嫌だみたいなことで、それは羊も一緒ってなるけど。それはもしかしたら、100年後には無くなっているかもしれないね。

スケザネ:あれは、日本だとちょっとピンとこなかったですね。

タケハル:そうそうそうそう、わかんなかった。

ネオ:確かに、確かに。笑いに関して言えば、シェイクスピアとかモリエールで笑えるところはいまだに笑えるし。

タケハル:そうね。ネオに教えてもらった、モリエール『守銭奴』のやつ。文字通り守銭奴で金にがめついやつなんだけど、執事がやってきて、「お客様です」みたいな。それで守銭奴が「そんなの後にしろ!」みたいなこと言うんだけど、召使いが「いや、お金を持ってきているんですが」、守銭奴「すぐに通せ!」みたいに手のひらを返す。これは貨幣経済が続く限り、1000年くらいは笑える。

Dain:人間が生きている限り、貨幣経済は続きそう。

タケハル:ベーシックインカムが普及したらなくなっちゃうかもしれない。

スケザネ:電子マネーが普及してもそうかもしれないですね。

タケハル:もしそうなったら、モリエールを読んだ未来の人は、当時は人が現金を持ち歩いていること自体に驚くかもしれない

スケザネ:その話でいうと、もはやぼくらは、電話を自宅で受けることにピンとこない。みんな携帯だから。固定電話は古びる速度、結構早かったですね。

タケハル:電話で言ったら、電話が来てるよってジェスチャーがありますよね。手を受話器の形にして耳元で手を振るやつ。あれとかもう子供は理解できないみたいですね。

ネオ:ジェスチャーも変わるわけだね。

 

13. 禁断の技:ボイスレコーダー

スケザネ:ちょっと細かいところなんですけど、録音できるペン。ボイスレコーダー。出てきたとき、小道具の使い方として、しょぼいなと思ったんです。最初は、ニックをジュディがはめたところに出てきます。(詐欺師と呼んでくれる? ってシーン)

あれは、映画内エピソードとしては、めちゃくちゃしょぼいです。録音して、騙してってだけ。しかもそのボイスレコーダーの話を、「詐欺師って呼んでくれる?」っていうセリフまでつけて、何度も何度もこするんですよね。

それこそ最後の解決のシーンもそうですし、ジュディとニックが仲直りする時もボイスレコーダーやりましたし、3~4回ぐらいこすって、色んなセリフをそこに重ねている。これは作り手側のすごい意地悪な見方をすると、たぶん思いつかなかったんじゃないかなと感じます、ボイスレコーダー以上におもしろいシナリオが。この小道具が一番しょぼいと思うんだけど、他に思いつかなかったから、そのしょぼさを隠すために何度も重ねる。いろんなセリフを重ねて意味深く持たせるしかなかったかと思う。

ネオ:それは超重要だと思います。ボイスレコーダーってどんな作品、刑事ドラマにしてもなんにしても一番がっかりする仕掛け。しょうもなっ、みたいな。トリックの禁じ手の一つなんじゃないかな。

タケハル:クリシェですね。細かいところで、録音ペンのデザインを人参にしてみたりとか、何回も重ねるとか、なんとか見えないようにしてるけどもクリシェはクリシェかもしれない。

スケザネ:クリシェがゆえにとにかく色々つけてなんとかして。これ、作り手側の逃げ手法です。ほかにアイデアがない時に、それだけだと安っぽく見えちゃうから色々つけて、意味深く見せる。これだけこすったら許してやろうとは思うけど。

ネオ:これ今回一番聞いて、いい話だったなあ。

タケハル:素材は微妙でもソースがおいしいから許してやるみたいな。

Dain:生々しい話ですね。おそらく、肉食獣のディストピアの初期の案がボツになって、焦ったのではないかなと。こんなんじゃだめだとちゃぶ台返しされて、でもスケジュールは決まってて、そんな中でもなんとか物語を新しく作らないといけない。ものすごく当たり前なんですけど、映画作る時に最初にしなきゃいけないないことは、物語をつくるということで、それがボツになった。

じゃあもう一回、別の主人公で・・・どうする・・・って、でも作らなきゃいけない。そんなギリギリのところで、できる精一杯だったんじゃないかな。最後の副市長のベルウェザーのセリフをどうやってひっくり返すかとか、色々考えて、やっぱりボイスレコーダーだ! ってなったんじゃないかなあ。んで、ここだけでボイスレコーダーを使っても……ってなったら、じゃあニックのところで使おう! でも2カ所だけだと伏線が広がりすぎるから途中で入れた方が……じゃあニックと仲直りするところでも入れよう! そんな感じで最後のパズルのピースを埋めるためにボイスレコーダーが使われたんじゃないかと

スケザネ:まさにそうだと思います

タケハル:クリエイターたちの息切れが聞こえるよね

Dain:物語作家のね。ゴールだと思ってハァハァ言ってたら42.195km走ったのに、まだ走るよみたいな。もう1回って。しかもシナリオは最初に作んなきゃいけないから

ネオ:ボイスレコーダーを使ったら、必ずその前に何かしゃべらなきゃいけないよね。そこでペラペラしゃべるっていう不自然さがどうしても出てくる。刑事ドラマで犯人暴かれたらペラペラしゃべりだすみたいな不自然さが。

全員:それはあるなあー。

タケハル:絶対言っちゃダメなのに言うよね。

ネオ:ボイスレコーダーのがっかりさって、不自然なセリフを呼び起こさなきゃいけないっていうところにあるのかもしれないね。本当に悪いやつはそんなヘマしないで粛々とやる。だからボイスレコーダーを使うと、最終的に相手のドジによって解決する。

スケザネ:『相棒』でも「語るに落ちる」パターンで見せる回があるけど、何かしらひと手間加えた話の方が印象に残る。単純に言わせてしめしめではなくて、言わせるために導入を持たせたとか、小細工しといたとか、そういう工夫がないと物足りない

ネオ:そういう言質をとる系だと、例えばドラゴンボールでピッコロがセルと戦うときに左腕を吸収されて、もうこれでは勝負ついたと言ってセルにペラペラ語らせる場面があるんだけど、あれはまあまあ自然な気がするんだよ。でもあれもセルはドジってるんだけど、「気づかなかったとはドジだな」って言ってるし。まあ不自然かー。要するに問題点は、相手のドジに期待する脚本・プロットになっちゃうってことだよね。

タケハル:裏を返せば、そこまで分かってるのになぜ使っちゃうかってところ。それはやっぱり必要性があるわけで、ピッコロとセルの話でいえば、セルの設定がわからないとこの先読者がついていけないだろうっていう作る側の恐怖がある。まんがの場合は毎週連載するから説明しないと無理な気がするけど、映画に関しては勇気のある作家は説明しないよ。

その例でいくと、最近ですけど『テネット』ね。テネットは話がやたらややこしいんです。時間がひっくり返ったり。なんだけど説明全然しないんです。説明するとしても、グッとまとめてパパっとやる。映像とかの迫力で見てられるけど、たぶん家で観たら相当しんどいと思う。気が散ったら話わかんなくなっちゃうから。金曜ロードショーなら絶対無理。CM入ったらもう無理ですよ。何の話かわからなくなる。

Dain:『テネット』は見てないけど、物語の世界の中で物語をペラペラ説明されるとがっかりする。それがネタとして使われてて、しょっぱいなっていうのはさっきのボイスレコーダーにつながるのかな。物語の世界なんだから、説明のセリフではなくて行動のセリフとか絵で見せてほしいと。西暦何年、人類が絶滅に危機にーとか、映像を数秒流せばわかるじゃんって。高望みなのかもしれない。でもディズニーだったらやってくれって思う。

タケハル:これをさらに応用してるのはスターウォーズです。要は冒頭に文章でどかどか説明しますよね。あれは思いきりましたね。伝統芸能化してる。

スケザネ:あれやらせてもらえたら楽だなあ

タケハル:あれがなぜ許されてるんだお前らはって思うね。

ネオ:『アオイホノオ』というまんがで主人公がスターウォーズを「途中から始まって途中で終わる」と言ってるけど、まさに冒頭字幕はそういうことだね。

スケザネ:あと10分なので締めに入りましょうか。

Dain:前回の様子をブログで取り上げたとき、反応よかったです。スケザネさんやタケハルさんの物語のとらえ方が素晴らしいとか。

ネオ:ネオさんは何が素晴らしいとか言ってました?(笑)

Dain:ネオさんのことは特に何も(笑)

スケザネ:さてまとめに入りましょう。自分としても色んな視点を得られました。この会を通じて、見落としがたくさんあったことにも気づけて面白かったです。最初に戻ると、タケハルさんの「シーンが多いのにテンポがいい」とか、なるほどと思いました。ズートピアの続編の話とかも面白かったです。

タケハル:やってみて、Dainさんのレジュメあるなしではだいぶ変わりますね。これあるおかげでスムーズな議論ができました。シーン一覧もそうですし、資料の一覧も非常にありがたかったです。あとはスケザネさんのボイスレコーダー理論も納得でした。トイストーリーのことも勉強しないといけないなー。

ネオ:次回は『レディ・プレイヤー・ワン』でやろう。

 

※1 『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』シド・フィールド、フィルムアート社、2009

※2 『シド・フィールドの脚本術』p.167

※3 『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』松原始、山と渓谷社

※4 『ディズニー ズートピア ビジュアルガイド』KADOKAWA


ちょうどこれを書いているときに、ズートピアのアニメシリーズ化が発表された。

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが制作し、『Zootopia+』(ズートピア・プラス)になるという。

シリーズものだから、おそらく、ジュディ&ニックのバディもので、ズートピアを舞台に、いろんな事件を解決していく展開になるのかと。「ズートピア」という世界観をいじらず、「勇気を持ってマンネリ化」した企画に拍手!

この楽しい場所を作りだしていただいた、ネオ民さん、スケザネさん、タケハルさん、ありがとうございます! そして、ご視聴&チャット参加いただいた「物語の探求」メンバーの皆さま、ありがとうございます! さらに、文字起こしをご協力いただき、ありがとうございます。

 

 

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ファンタジーだった『聲の形』

 映画観てきた。これは素晴らしいファンタジーだ。

 『聲の形』は、『シン・ゴジラ』『君の名は。』よりも、荒唐無稽だった。前者は「ゴジラ」、後者は「入れ替え」が虚構だが、『聲の形』の"ありえなさ"は、ほぼ全編にわたる。いじめの描写が辛すぎて、原作は1巻しか読んでいない。そのため、この感想は的外れかもしれない。だが、このモヤモヤを溜めると体に悪いので吐き出す。

 『聲の形』は、聴覚障碍者の女の子と、彼女をいじめる主人公とのボーイ・ミーツ・ガールの話だ。彼はいじめたことを後悔し、暗転した人生を送るわけなのだが、数年の時を経て、再び彼女に会いに行く。彼の救われなさが、「×印を付けられた他者」や「水底からのような音声」に表象されており、要所で主観世界がドラスティックに変化するアニメ的な仕掛けは良くできている。特に、「その音を感じているのはどのキャラクターか」によって、わたしの「聴こえ」を使い分けているのが凄い。

 また、「映されなかった描写」が素晴らしい。全7巻を2時間の尺にするため、削らざるを得ないエピソードがあったはずだ。読んでないわたしには想像するしかないが、主人公たちを取り巻く友人や家族の間で、さまざまな軋轢があっただろう。本来なら口も利きたくない相手のはずなのに距離が縮まっていたり、異質な視線や口調によって、シーンの隙間に、「何かあったな」と感じ取ることができる。そこに、映画に映らない葛藤や時間、会話があったことが分かる。そういうまくり方は上手いので、原作を読みたくなる(友達のエピソードがかなり盛り込まれているのではないか)。

 そうした監督の技量は素晴らしいのだが、ストーリーに入るのに苦労した。トラウマレベルで後悔しているとはいえ、会いに行くだろうか? 贖罪の話にしても、そこから先の恋愛になるだろうか? つい親の視線で見てしまうのだが、二度と、顔も、見たくない男が、再び娘にかかわってきたら、母親は、"その対応"だけで済むのだろうか?(映画に描かれていないだけ?)。

 わたしの疑問を見透かしたように、「おまえは、自分を満足させるために、会いにきたのか?」とか「イジメてた奴とトモダチ? 何ソレ? 同情?」「トモダチごっこのつもり?」など、批判・揶揄するキャラが出てくる。言葉のトゲは、グサグサ刺さっているように見えるのだが、きちんと相対するでもなく流れていってしまう。隠れたテーマである「友達とは何か」への返歌が成されているものの、一般論で済まされているように見える。

 触れられるような声や、微妙な距離感が伝わってくるシーンは生々しいが、展開が現実離れしている。唯一、植野直花という女の子がリアルだ。小学生の頃から主人公に密かに恋心を抱き、いじめに加担し、物語の後半ではヒロインと最悪の形で向き合う。もう一度観るとき(または原作を読むとき)は、彼女を中心にしたい。

 ヒロインは耳が不自由なだけで、素直で、芯が強く、優秀で(映画館で配布された小雑誌で知った)、はっとするほどの美少女に描かれている。だれも近づいてこないの? お邪魔虫を追っ払う身内がいたからかもしれないが、他の友達の存在が皆無で、しかもよりによって自分を苛めていた男に(あえて?)向き合うなんて、おかしいだろ……

 次々と浮かんでくる疑問に、考えるのをやめた。これは、「そういうお話」なのだ。聴覚障碍やいじめを入口にした、ボーイ・ミーツ・ガールであって、そこにわたしのリアリティラインを持ち込むべきではない。そう考えると楽になって、あとは楽しめた。これは、ファンタジーなのだ。東京を蹂躙する大怪獣の話や、思春期の男女の心と体が入れ替わるお約束と一緒で、わたしが慣れていないだけなんだ。

 あるいは、映画に描かれなかったエピソードに、その答えがあるのかもしれない。一緒に観てた娘が帰るときに言った「お父さんは現実とアニメの区別がついていない」が刺さる。曰く、背が低くてヘンな頭の男子は出てくるけれど、かわいくない女の子が出てきてはいけない。西宮硝子(しょうこは、ガラスとも読めると教えてくれたのも娘)が、もし可愛い子でなければ、会いに行ったのかな? それは考えてはいけないのかな?

 この疑問に、答えられなかった。原作を読むと分かるのだろうか。Kindleだと第一巻が無料で読めるみたいだが、いじめ描写が相当キツイ(経験ある方にはトラウマを呼び起こすかも)。未読の方は気をつけて。


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『たまこラブストーリー』で幸せな記憶を

 観たら幸せになるアニメ。テレビ版を見てなくても問題なし。

 ラノベを読んだりアニメ観るのは、なかった青春を甘酸っぱい記憶で上書きするため。ほら、「最後には、どうか幸せな記憶を」と言うじゃない。深夜、リアル過去を思い出して布団抱きしめ煩悶するより、美しい場面を反芻するほうが、よっぽど精神に良い。俺が死ぬときの走馬燈フォルダに保存しておこう、この河原のシーンは。

 これ観て思うのは、どうして俺は人を好きになったのだろう、ということ。スペック・縁はともかく、年がら年中、彼女のことばかり考えていたことがあった。万有引力の法則をどうして閃いたのか?という質問に、アイザック・ニュートンが応えたとおり。

 By always thinking unto them
 寝ても覚めても、そのことばかり考えていただけです

 わたしの場合、運あって一緒になれたのだが、今でも二人で話し合う。「あれは、それ以前でも以後でもダメで、タイミングというか、勢いというか、何かがあった」ってね……その何かが、本作では「リンゴが落ちる」になる。くり返し出てくるリンゴのモチーフは、上の台詞と、知ってしまった故の恋の痛みとともに響く。告白しなければ、ずっと万有引力の法則に則って、たまこのまわりを周回する、『たまこマーケット』のもち蔵のままだっただろう。

 しかし、人は変わる。あれから1年経ったら、1歳トシをとるということ。高校三年生になって、それぞれの進路を決めるということ。進学、就職、留学……背中を押してもらったり、勇気を持って一歩踏み出したり。変わってしまうのが怖い=知ってしまうのが怖いことは、知の果実を味わうことと一緒なり。

 それでも、変わらない「好き」がある。この映画には三つの「好き」がある。最初の二つは、ど真ん中でど直球のラブストーリーだから、ある意味安心して(?)気持ちを託すことができる。けれども、三つ目の彼女の「好き」は痛い、辛い、見えにくい。二回目に観たとき、彼女の視線に同期してしまい困った、映画館じゃなかったらのたうち回っているか、一緒に叫んでいただろう。

 ラストシーンは当然として、途中で刺さる場面があるので困る。思い出が襲いかかってくるタイミングの唐突さ加減が絶妙で、ほとんど反則だ。オートリバースのB面(古ッ)の件なんて、完全に油断しててタオルが間に合わなかった。「好き」の引き換えだな。人を好きになるということは、うつろう存在に自分の気持ちを渡すこと。大人になってずいぶん経つが、わたしにはその覚悟があるのだろうか。

 大人になるとはこういうこと。おかげでいい記憶ができた。死ぬときはこれを思い出して逝くつもり。

 おまけ。新宿ピカデリーで観るのなら、入口のオブジェで驚いた後、エスカレーター登った上からもち蔵を確認しておくこと。

Tamako

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負け犬の皮をかぶった勝利宣言「おひとりさまの老後」

おひとりさまの老後 上野千鶴子というファンタジー。

 題名にだまされてはいけない。これは「千鶴子ヴィジョン」から見た老後のお花畑なんだ。しっかり年金をもらって、悠々自適のセカンドライフを謳歌できる、いわゆる逃げ切り世代へのエール本なのだ。

 お花畑では、男は役立たずなお荷物に過ぎないし、子や親族は資産を自由に使えなくする邪魔な存在となる。そんなものは放っておいて、「おひとりさま」になれという。どうせ老後は、夫に先立たれ/離婚するし、子どもはアテにならない。結局「ひとり」になるのなら、最初から「ひとり」を想定したライフスタイルがいいのだと。

 そして、子どもにカネを遺すと自立しないから、アタシが使うのが正しい。「夫のカネはあたしのもの、あたしのカネはあたしのもの」という金銭感覚で後家楽を目指すのが、日本の女の「上がり」なんだとけしかける。

 さらに、子孫に囲まれて暮らす老後観なんてウソ。「いっしょに暮らそう」という子のささやきは悪魔のささやき。財産を独り占めする魂胆だったり、親を放置する罪悪感からくる「義理介護」だったりする。最初は「親孝行」を演じられても、長期間なんてムリ、そのうち深刻な葛藤が始まる。ひとりの生活が染み付いてるから、いまさらゴキブリのように身を寄せ合った雑魚寝ができるかってんだと切る啖呵、カコイイ。

 ただし、家族「以外」での関係は培っておけと。用途に応じてパートナーの在庫ぐらいそろえておけと。さみしいといえる相手をちゃんと調達し、人間関係のセーフティネットを構築しておくのが、「おひとりさま」の心得だという。

――などとチヅコ節を咆哮する。「データによると」という枕詞なのにソースがなかったり、極論を「知人が言うには」で代弁させたり、レトリックはなかなかのもの。こいつを真に受けて立腹する人がいるが、これはファンタジーなの。リアルとして読むのなら、裏返して読むべし。つまり、これは、彼女がそうありたいと願う空想であり、自己正当化のためのセルフエビデンスなんだ。

 たとえば、アタシが父親と一緒に暮らせない理由は、「親孝行な娘」を演じられないからだし、アタシが母親を介護したのは、義理介護――ホンネに裏書された「主張」が垣間見える。でなければ、ひとりがいちばんなんだけど、寂しいとき相手してくれる人はキープしたい、という「ホンネ」はそのまま吐露される。

 あるいは、邪魔な家族から離れろとけしかけておきながら、やっぱり盆暮れの風は沁みるらしい。「大晦日ファミリー」といって、友人どうしで集まって鍋をすることを企画し、「気分はほんとうに家族のようだ」と無邪気に持ち上げる。彼女にとって家族は「ごっこ」したり「気分」で味わうものらしい。

 そして、「独身・子なし」と自分を「負け犬」呼ばわりする一方で、結局、女の老後は「ひとり」になるという(あるいは、「ひとり」になれという)。だから、最初からひとりを意識して、「確信犯で(原文ママ)家族をつくらなかった」わたしって、なんてリスクヘッジなのーという勝利宣言すら聞こえてくる。

 その勢いで吠える吠える。いつもピンピンしてて、ある日コロリと死ぬようなPPK(ピンピンコロリ)という発想は、「人間の品質管理」、すなわちファシズムだと噛み付く。あるいは、孤独死でなにが悪いと居直る。ひとりで生きてきたのだから、ひとりで死んでいくのが基本で、死ぬときにだけ、ふだんは疎遠な親族に囲まれるなんて不自然だという。自分自身への言い訳めいて聞こえるが、黙って読み流す。

 彼女は、ぜひとも、このライフスタイルを貫いてほしい、最期まで。

 ところで、孤独死といえば、「見えない」社会問題化となっているようだ。

ひとり誰にも看取られず もともと、阪神・淡路大震災の仮設住宅でひっそりと死んでいく老人を「孤独死」と呼んだのが最初なのだが、近頃では違うようだ。「ひとり誰にも看取られず」によると、東京の都市再生機構では、孤独死が4倍に増えている(1999年14件→2005年62件)。「死後3年放置」や「こたつに入って4ヶ月」となんてのもある。

 その背景には、現代社会そのものが抱える問題が次々と浮かび上がってくる。高齢化や世帯の単身化、都市化、離婚や未婚の増加、少子化、リストラ、リタイア、病気などによる失業、認知症、アルコール依存、鬱、引きこもり、ギャンブル、借金、暴力などによる家庭崩壊――続々とレポートされる。社会とも家族ともつながりをうしなってしまった人の絶望感を思うと、なんともやりきれない。

 そして、ひとたび孤独死が明るみに出ると、その部屋以外の住戸にも風評被害がおよぶ。「あのマンションで、あったらしい」と噂されただけで、マンション全体の資産価値が下がるといわれる。当然関係者はひた隠しにしようとするが、人間の死亡率は100% だし、下手に管理しようとしたら「プライバシー」という壁が立ちはだかる。「4月、こたつ4ヶ月は80万円かかった」とあるが、ほとんど都市伝説のように隠される。「見えない」社会問題となっているのはこうした理由だ。

 本書では、そうした孤独死を防ごうとする常盤平団地自治の奮闘を描く。プライバシーとコミュニティを両立させ、お互いを「監視」するのではなく「見守る」仕組みをつくる。「生きかたを選ぶ」という孤独死ゼロ作戦は、そのまま超高齢化社会の最前線となっている。

 本書によると、孤独死の背景には、自立を求める人間観が、人びとを「依存下手」にしてしまっているという。つまり、うまく人に頼ることができないのだ。さらに、男性は女性よりも強く「自立」に縛られており、助けを求めたくてもできないのが現実のようだ。

 特に、良くも悪くも仕事人間で、家や地域のことは妻に任せっぱなしというタイプが相当し、リタイア後のの生活に順応できず、生きる目的を見失ってしまう人も少なくないという。団塊リタイアに伴い、孤独死、ひきこもり死が大量に出てくるかと思うと暗然となる。加えて圧倒的に貧困化する社会が拍車をかける。そこには、「第二の人生を謳歌」するような余裕や、「気楽なおひとりさまの老後」を見出すことが、どうしてもできない。

 ここでもう一度、チヅコ節に戻ろう。

 彼女によると、死後放置といった異常な死に方をするような人は、生きているうちから異常な孤独(孤立)のうちにあったからだという。失業や離職、家族の不和といった事情で孤立した生活を送り、だれにも助けを求めずに窮地におちいった、主として男たちが、そうした死に方をするのだという。人は生きてきたように死ぬのだから。

 彼女はいう。結婚しなくてもそれなりにハッピーだったし、いざ結婚→離婚してもぜんぜんOKだという。親にならなくてもちゃんと「成熟した大人」になったし、シングルであることは、ちっとも「カワイソー」でも「不幸」でもないと胸をはる。ひとりで死ぬのはぜんぜんオーライだそうな。

 すこし昔の歌だが、「あの娘はハデ好き」というのがある。綺麗な女性が作った歌だ。

    あの娘はハデ好き  友達がいっぱい
    だけど入院した時  来たのはママだけ

    「遊びだけならば  都合がいいけど
    恋人には出来ない」  彼氏が笑った

    あの娘はハデ好き  いつも楽しそう
    だけどクリスマスの夜  淋しく過ごした

 ちょいと歌詞に手を加えると、

    あの娘はハデ好き  いつも楽しそう
    だけど日曜の午後  ひとりで逝った

 だろうか。この唄を思い出すたび、重たいものが胸をうつ。人は生きてきたように死ぬ。「『おひとりさま』はアタシの『らいふすたいる』なのだから、つべこべ言うな!余計なお世話!」と叫ぶように放つ彼女に、わたしはたじたじとなる。わたしだってどうなるか分からない。しかし、彼女のおかげで、どのような去り際を求めるかはっきりしている。

   あなたが泣きながら生まれる  笑いさざめく人に囲まれて
   あなたは微笑みながら死ぬ   涙ぐむ人に囲まれて

 人は生きてきたように死ぬ。彼女は、ぜひとも、このライフスタイルを貫いてほしい、最期まで。

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嫁とKanon

 結論:結婚のおかげで、より深く自分を知ることができる。ただし、カミングアウトは離婚されない程度に留めておきたい。つまり、ヲタ趣味はほどほどにってこった。

 自分の嗜好についてこれほどセキララに暴かれているのは、結婚という場においてのみ。自室どころか、居場所は座布団の上でしかないリーマンパパにとって、プライベートな空間なんて、あるはずがない。

 二人暮らしのときは嫁さんが、子どもができると子どもが、いつもくっつきたがるので、うっかりエロ本なんて見てられない。やれやれ寝静まったとエロビデオを見てたら嫁に見つかった ―― なんて微笑ましい話では断じてない。深夜 25:00 、コソーリ点けて「おおっ」「うわっ」「さすが京アニ」と感嘆符をまき散らしながら鑑賞していると、いきなりドアが開いて、

「何やってんの?」

 詰問口調の嫁(←てっきりエッチビデオだと思ったらしい)

 精神的にはズボン半分おろしている状態だったので、人生史上かつてないほど慌てふためくわたしを軽く睨むと、嫁さんの目線はテレビへ。

       ♪足元に風~ 光が~舞った~

「何コレ?」

       日常にだけ~積もったぶんの奇跡が~♪

… あ、アニメ

(盛大なため息をついた後)「もう遅いから寝なさい」

… はい

 リモコンを手にする。100メートルを35秒で全力疾走するあゆの勇姿が消える。さぞかし怒られるだろうかと首をすくめていると、何も言わずに寝入っている。

 翌日、子どもが寝静まって嫁さんと二人のときに、再生する。バレたからにはもういいや、という気持ちがあったのかもしれない。で、嫁さんの感想 ――


  • これはあなた好みではない
  • どうせ女の子が病気になるか死ぬかするんでしょ(←観鈴ちん)
  • あんたの好みは、気が強くってツンツンした女の子でしょ(←ハルヒ様)
  • プリキュアなら右のほうでしょ(←ほのか嬢、および舞ちゃん)
  • こんなタレ目のふわふわしたアニメは好みじゃないでしょ(い、いや、それは違う…後半は怒涛の展開となるぞ)

… よく把握しておられます、さすがです。

 ああ、どうしてこんなアホだんなと一緒になってしまったんだろう… とブツブツ言い出す。いいじゃん、オレが幸せなんだからというと、光速で睨まれる。

 しかし、嫁さんは気づいていないのだろうか? もちろん笑ってる顔が一番だが、二番目にかわいいのは、軽く睨んだ猫目であることに。オレはこの目に陥落したんだと告白してもふざけていると受け取られるので、沈黙は金。

 惚気さておき、ただいま完全に名雪モード。第1話だけで9回くり返し観ている。さすが京アニ、恐ろしいまでのクオリティ。あの"止め絵"に命が吹き込まれていると思ってくれてよろし。最大の心配「アゴ」は杞憂であったことに胸をなでおろす(前作は酷かったね)。

 名雪とあゆの分岐をどう折り合いをつけるかが、次の心配。遙と水月のように、どちらかを選ぶことは、もう一方は選ばれなかったエンディングへ向かうことになる。思い出せ、ここでは等価交換の原則が適用されるのだ→「何かを得るためには同等の代価が必要になる」

 あるいは、等価交換の原則は視聴者に適用されるのかもしれない。脳裏をよぎった売り方は、あのね商法

  1. 全員分のストーリーを個別シナリオの分岐点まで放映
  2. 個別のシナリオへは、それぞれDVDを買って頂戴

あるいは、

  1. 名雪シナリオをメインに放映(前作の名雪は不憫すぎる)
  2. あゆのシナリオは、それぞれDVDを買って頂戴

 とりあえず、ひとさし指をたてて小首をかしげながら、「…だよっ」とする名雪は脳内嫁に決定だぁっと心の中でケモノのように叫ぶ―― リアル嫁が浴びせる鋼の視線のもと、小動物のようにぶるぶると震えながら。

Kanon prelude そういや嫁さんが言っていた、

この舞台は、富山市だねー

 な、なぜ分かる?

路面電車とか街の雰囲気とか、街を見下ろすような場所があるとか

 いや、違う、今回の聖地は、札幌ナリ。なまら語が出てくるかとヒヤヒヤしながら観ている。期待・出来・満足感を全て充足しているのは、EVA以来。さすが、20世紀のガイナックス、21世紀の京アニと言われるだけある。

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映画AIRを観る人の7割はメガネをかけている

ええ、なんとか時間ひねって行ってきた観鈴ちんの晴れ舞台。結論は「観なきゃよかった」だけれども、行かなかったなら後悔していたことも事実。ねぎらい言葉や罵声・非難は他をどうぞ。

平日昼間にAIRを観にきた人82人
そのうち女性3人(♀♀カップル1、単独1)
♂♀カップルできていた人ゼロ

池袋シネマサンシャインの話。しゃべりからすると大部分が学生さん。一部ネクタイ組あり。「♂♀カップル」があったら美しいニュースになろうかと思ったが、そんな奇特な女(男?)はいなかった。

メガネかけてた人59人

日本人でおよそ3-4割程度といわれているので、7割超はスゴい。メガネっ子は観鈴がお好き? かくいう私もメガネ派なのだが…

ラストで泣いちゃった人1人

かつてギャルゲならぬ「泣きゲー」の金字塔とまで言われていた(誉めすぎ?)にしてはみんな冷淡なのか? でもエンディングテロップが流れるとフツー帰り支度したり出てったりするものがだ、82人全員が身じろぎもせず魅入っていたのは壮観だった。

ラストで泣いちゃったのは実は私。お約束かもしれないが、あの曲をあそこで流すのは反則。観たことで大事にしていたものがいろいろ壊されたけれど、観なかった後悔はせずにすんだので、良しとしましょ。

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555名セリフ

「おれが眠っていた間に、君は変わってしまった。でもね、実はおれも変わったんだよ」(第2話)

木場勇治、考えてみると、彼は裏切られどおしだった… これほど裏切られキャラもめずらしい。その最初の裏切りに際して。人の心は、うつろいやすい



「知ってるか? 夢を持つとな、時々すごく切なくなるが、時々すっごい熱くなる…らしいぜ。おれには夢がない。でもな、夢を守る事はできる。変身!」(第8話)
巧には夢がないらしい。「あったかもしれない夢」を封印しているというよりも、むしろ、夢を持つことを諦めてしまっているような… その分、真理のひたむきさを応援する巧



「知ってるかな? 夢っていうのは呪いと同じなんだ。途中で挫折した者はずっと呪われたまま…らしい。あなたの…罪は重い…」(第8話)
木場のセリフ。海堂ギター編はぐッとくる。彼が夢を失う過程が、そして本当に悪夢ですら捨て去る出来事が。「夢がない人間がオルフェノクになる」というが、彼はなるべくしてなったといえる



「生きて行きたいんです。人間として」(第17話)
結花が巧に向けた言葉。この言葉が「ファイズとしての」巧に重くのしかかる。ラストまで観てようやく分かる、これが伏線だったんだと。



「おれは… もう迷わない。迷っているうちに人が死ぬなら…戦う事が罪なら、おれが背負ってやる!変身!」(第17話)
カッコエェ~。でもそのまえに苦悩する巧がいる。オルフェノクでも心をもつ人もいる。そういう存在を闇雲に狩るだけなんて… そいつを突き抜けた後のセリフ



「私、幸せでした… 啓太郎さんに出会えて… どうか、啓太郎さんの夢が叶いますように… 世界じゅうの洗濯物を真っ白にして… そして、世界中のみんなが幸せになりますように」(第?話)
号泣



「それで? 何なの、巧の夢って?」
「世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに… みんなが幸せになりますように…」(最終話)
全てが分かって、かつ号泣

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「コールドマウンテン」読んだ人は観ない観る人は読まない方が…

吉、とおもわれ。

さっきメイキングを見た。なんだこりゃ。

映像の美しさは期待してもいいと思う。同監督の「イングリッシュペイシェント」砂漠のシーン観てスゴいと思ったので。「コールドマウンテン」の、蒼空を背景に雪原をあゆむショットは素直に美しいなー、これは原作の「蒼」だなーと思う。

ただ、底本にかなーり味付けをしたニオイぷんぷん。

ありゃ、反戦でも「こころあたたまる」話でもないよ。ただの、ひたむきな、ラブストーリー。二人が会うまでのお話を淡々と、そりゃもう淡々と描いていくラブストーリー

ふたたび逢うまでの過程を描くラブストーリーって、面白いと思いません?

ここからネタバレモードON


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7

"she praied for life, preied for the baby... oh,he didnt know it..." たまにゃ日記風に。久しぶりに "SEVEN" 観たら面白かったナリ(ただしラストだけ)。箱に「ふらじゃいる(割れ物)」と書いてあるのが分かっただけでも、収穫。

 CMで "Cold Mountain" が映画化されることが分かったが…ありゃ、難しいよ→映像化。一歩間違えると、ストーリーを撫ぜるだけのお話になっちゃうよ。

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