そろそろコンサルタントについて一言いっておくか

コンサルタントの危ない流儀 コンサルタントの危ない流儀」はスゴ本。身の毛もよだつ暴露ネタだけでなく、優れた(結果ドリブンの?)テクニックをもHackできる。コンサルタントも、そうでない人も、盗みどころ盛りだくさん。

 最初にハッキリ言っておく、コンサルタントは、こんなに酷くない。

 顧客を財布、しかも巨大な財布だと見なし、知ったかぶりの業界通を気取り、難解な経営用語で煙に巻き、「お客さまと一体となって」嘘八百を並べ、プロジェクトが焦げ付く前にトンズラする―― こんなコンサルタントは、ほとんどいない。

 しかし、コンサルタントの手口は、著者の暴露するとおり。なぜ言えるかというと、わたし自身、コンサルタント・ファームとして中の人の経験があるから。面白おかしく脚色してるだけで、やってることはホント(書きっぷりは山形浩生氏に似てる)。

■なぜ、経営者はコンサルタントに莫大なカネをつぎ込むのか?

 従業員の給料を必死こいて削減する一方、コンサルタントに莫大な金をつぎ込む経営者は、確かにいる。お役所も然り。もっと酷いことに、失敗と分かっているにもかかわらず、金を注ぎ続ける首脳陣がいる。

 どうしてそんな愚かなことをするのか? ――本書では、その先を明かしている。

 答えは「恐怖」だ。「不安」と言い替えてもいい。正しい人を探し出し、その人の「恐怖」スイッチを入れれば、必ずプロジェクトを買ってくれる。これは、コーラを飲んだらゲップをすることぐらい確実だ。

 プロジェクトを買わせるために、どうやって「恐怖」を植え付けるか、そのテクニックが惜しげもなく紹介されている。もちろんそこへ至るまでの、「外の人」がその企業に取り入る方法や、意思決定者を見つける方法、会議を紛糾させずに全員を「関係者」に巻き込む方法といった、コンサルタントに限らず「おいしい」テクニックが開陳されている。熟読するだけで、コンサルタント詐欺師として看板だせる。

■解体屋の手法

 例えば、「解体屋」と呼ばれるコンサルタントのやり口。最もコストがかかる部分――まず人件費を削れというビジネスモデルだ。そのため、ナントカの一つ覚えの如く現状分析(As-Is)を徹底的に行う。

  1. クライアントの各部署に行き、そこでどんな業務が行われているか調べる
  2. 各業務の完了に、何秒、何分、あるいは何時間かかるか測定する
  3. このうち、どの程度の時間が非効率――つまり「損失時間」――のために浪費されているかを見積もる
  4. 各業務が1日に何回行われているかを見る
  5. 業務の回数と、効率的に行うのに要する時間(損失時間を除去した時間)を掛け合わせる
  6. この数字を用いて、各部署に必要な人時を計算する(※)
  7. 損失時間なしにその部署を運営するのに必要な人数と、実際に雇われている人数を比較する
  8. スタッフの何パーセントを解雇すべきかを勧告する書類を作成する
  9. クライアントに新たな経営管理を導入する高価なプロジェクトを提示する。その部署を、より効率的に運営する経営管理を提示する
 ※As-IsとTo-Beの差は、必ず30%の削減になるそうな。その数字にするために、プロジェクトマネージャがどれぐらい紳・士・的に振舞うか、第2章を読んでほしい。

 このステップを首尾よくこなした後、「解体屋」が売りつける管理手法はただ一つ。すなわち SIS(Short Interval Schedule) と呼ばれるそうな。簡単に言うと、現場監督が2時間ごとに労働者の生産高と目標値を照らし合わせ、達成できないものは訓練するかクビにする方法だそうな(テイラー主義なんて、懐かしいねぇ)。

■なぜ、ITシステム・プロジェクトは失敗するのか

なぜITシステム・プロジェクトはかくも絶望的なまでに制御不能になるのか? 多くの理由がある。不十分なプロジェクト管理、絶え間ない仕様書の変更、設計者と使用者のコミュニケーション不足なども、まあその一因ではあるだろう。だが、これだけ全面的な大失敗ばかりが頻発するからには、ほとんどのシステムの売り込みと運営に何か根本的な欠陥があるに違いない。(中略)ITシステムの失敗には根本的かつ申告な原因がある。すなわち、買い手の無能さ、契約それ自体、そして「無からの創造」である。ITシステムの失敗というのは、システム開発に固有の技術的困難というよりも、そのシステムを売りつけるコンサルタント会社のいかがわしい倫理観によるところ大なのである

 あーあ、言っちゃったよ。ITシステム・プロジェクトの最初(コンサル)から最後(オペレーション)まで全て経験したことがあるわたしが、ずーーーっと思ってたことを、この人はずばり言い切っている。最初から間違っているってね。

 かつて、要求仕様の調整役や、あるいは設計・実装・テストの仕事をしてたときは、自分や周囲を責めたりしてた。曰く「このプロジェクトが上手くいかないのは、わたし(または○○)のせいだ」ってね。胃を痛くしたり、人間関係を悪くしたりしてたけれど、若かったね。今なら自信もっていえる。燃えさかるずっと前にいなくなったコンサルタントの連中が現況なんだってね。

 食材として腐った豚肉が半分しか届かないのであれば、まともな牛肉コロッケはできない。ITプロジェクトの「中の人」の場合、偽装したら即バレなのでごまかすわけにもいかない。だから、自らの身を削って(文字通り身を粉にして)作るわけだ。血を吸ったプロジェクトを見るにつけ聞くにつけ、最初の人はどこにいるんだろうなぁ、と遠い目になる。

■どうやってクライアントに「恐怖」を植え付けるか

 これぞコンサルタント悪の手引き書ともいえるほど、めいっぱい紹介されている。要するに、クライアントの弱点をあぶりだし不安がらせればいいのだ。「経営者の無為無策による未来」を突きつけられれば、クライアントが泣いてコンサルタントを助けを求めてくるようになる。収益性や生産高の不安要素をストーリーに仕立て、脅しつけるという寸法。

 例えば、「ホッケー・スティックを探せ」という手法。売上、利益、品質に関する楽観的な見通しは、ホッケースティックに表れる。ホッケースティックって、こんなやつ↓。エラい人が「内部資料」として出してくるグラフには、たいていあるでしょ?


 要するに、経営者が任期中に「やり過ごす」「先送りする」ための仕掛け。酷いのは今までで、何の根拠もなしに明るい未来を紡ぎだす経営陣の妄想力には脱帽する。しかし、いったんコンサルタントが見つけたら最後、「お前さん方のたくらみなんざ、こちとらまるっきりお見通しだよ」と突きつければ、途端に従順になる。毎年約束しながら実行できないでいる結果を今度こそ出そうという気に(強制的に)させるそうな…確かに。

 それ以外にも、「殺しネタ」が紹介されている。「DILO(Day in the Line Of)」と「ブラウン・ペーパー」だ。どちらも経験したことがある(ただし、別のツール名だったが)。前者は定点観測、後者は従業員による問題点の指摘手法で、確かにこれは、サルでもできる。

■コンサルタントの詐術

 門外不出のコンサルタントの詐術が5つ、紹介されている。ほとんど詐欺だよ…とツッコミを入れながら読む。とはいうものの、これって大なり小なり、やってきているよなぁ、と身につまされる。いやいや、これは仕事を円滑にまわすためのHacksなのかもしれない。

  • プレゼンテーションするな!(根回し10割、会議はシャンシャン、共同決議)
  • クライアントスタッフをチームに入れる(役割獲得)
  • 共謀的販売による受け入れやすい形にパッケージング(誤:私どもの調査の結果、配達の40%が遅延しているという…/正:従業員の方から提供いただいた情報では、配達効率において大きな向上が見込めることが示されています)
  • 決裁ネットワークマネジメント(人間攻略)

 二つ目の「役割獲得」なんざ、皆さん使うでしょ? 要するに「設計フェーズへの顧客の巻き込み」だよ。あるいは、es[エス]って映画観た? とある実験でフツーの人々に囚人役と看守役をやらせる奴。役割を与えられることによって、その人格を習得させるテクニックの応用例だね。

 それから究極の殺し文句!これは「わたしが」覚えておきたいので太文字で引用する。単純ミスによる揚げ足取りをすりかえて、クライアントにとっての致命的な問題に仕立て上げる方法だ。覚えておいて損はないぜ。

ありがちなのは、重要なプレゼンテーションをやっている際に、たくさんの数字が出てきて、クライアントの誰かがその数字のあれが違うこれが違うといい始めたりすることだ。未熟なコンサルタントの場合、攻撃されるとまず自分と自分の仕事を弁護しようとする。そこで、正しい数字は何だとかそういうほとんど意味のない議論が延々と繰り広げられることになってしまう。その結果、重要な問題、なぜ彼らは我々からプロジェクトを買わねばならないのか、とうい問題がすっかりお留守になってしまうのである。

だが、ここで百戦錬磨のコンサルタントなら、プレゼンテーションをいったん中断して次のように言うだろう。「全くおっしゃる通りです。ここに挙げた数字は正確かもしれませんし、間違っているかもしれません。私どもは知りませんし、お伺いした御社の従業員のどなたもご存知ありません。もちろん、それぞれにご意見はお持ちですが、正確にはご存知ないのです。そして、基本的な数字を従業員が把握していないような会社は、効率的に運営することが不可能なのです」。

それから役者みたいにじっくりと聴衆の顔を見回す。この状況がものすごく深刻なものであることを強調するわけだ。そして、おもむろに「ですから、ここでの根本的な問題というのは――」と話を続ける。こちらが数字を間違っていたことについては何も答えていないが、そんなことに気づく暇を与えてはならない。「すなわち、従業員が信頼し、活用することのできる管理プロセスをご一緒に作り上げていくことなのです」

 いささか露悪的に書かれてはいるが、6章で紹介されているテクニックはコンサルタントのみならず、今の現場で使える(と思う、というか使ってる、というか使おう!)。

■A MCKINSEY CONSULTANTS' CELEBRATION SONG

 わたしに役立ちそうなテクニックを中心に紹介してきたが、コンサルタントのセキララな実態もぎっしりと書いてある。コンサルティングファームで2年間、自分を試してみようかな、などと心揺れたときもあったけれど、今から思うとスゴこと考えてたなぁ、と。

 最後に、「マッキンゼー・コンサルタントを寿ぐ歌」を引用しよう。これはマッキンゼーのクリスマスパーティで歌われたという歌だそうな。

  ベストな成果を望むなら
  最高の稼ぎが目当てなら
  任せて安心、万々歳
  それが経営コンサルタント
  マッキンゼーでございます
  顧客のカネはうちのカネ
  何百万ドルお手の物
  顧客の無知こそゼニの元


  構造改革したいなら
  それで成功する気なら
  黙って受け取れ請求書!
  やってあげます構造改革
  マッキンゼーにお任せあれ
  顧客のカネがウナってる
  セレブに金持ち、大歓迎
  構造改革、売り込むよ


  破綻だ赤字プロジェクト
  何がなんだか分からない
  そんなときこそ、"Quick Hit"
  たちまち実現、"Early Win"
  マッキンゼーは忠勇無双
  大成功をお約束
  チャンスは逃さず手厚いご指導
  カネさえ払ってくれるなら


  配布資料にフリップチャート
  パワーポイント麗しく
  弁舌さわやか、立て板に水よ
  クライアントを煙に巻く
  マッキンゼーの得意技
  火のないところに煙を立てりゃ
  顧客真っ青、ますがまま
  これぞ名高き「コンサル話術」


  社風、しきたり、くそでも食らえ
  抵抗勢力ひねって、つぶせ
  瀕死の会社も数々見たが
  俺たちゃ生え抜き、プロのプロ!
  マッキンゼーの勝ち組みだ
  今宵は楽し、パーティーだ
  あなたも乾杯、私も乾杯!
  ウハウハ・ボーナス、出たばかり!

 もう一度言っておく、コンサルタントは、こんなに酷くない……?

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子供に「どうして勉強しなきゃいけないの?」ときかれたら、何と答えるか?

 元ネタよりも、結城さんの回答[参考]に動かされて書く。なぜなら、この回答は、自分の子がいるかどうかによって変わってくるから。そして、実際にわが子からこの質問をぶつけられたことがあるから。

 もしも、わたしが親でなかったら、「どこかの生意気な中学生の質問」として受け止め、韜晦するか洒落っ気の効いた「回答」をひねり出すだろう。相手が「わかった気」になってくれればしめたもの。

 あるいは質問者の年齢に応じて、開高健/デカルト/ガルシア・マルケスを引いて、それぞれ「悩んだら"風に訊け"」「350年前の名答」「二次方程式の解法を自力で編み出した人」といった説教臭い話をして煙たがられるかもしれない。

 しかし、わたしは父親であり、わが子は「小生意気」にすらなっていない無垢な目で問うてきたのよ、「どうして勉強するの?」ってね。

 汗ったね。

 そのときわたしは、PMBOKガイドを前に呻吟してたので、子どもにとっては「べんきょうしてる」と見えたんだろう。だから、「オトナになっても勉強するのは、どうして?」と読み替えた。そしてこう答えた ――

 ―― パパの仕事は、みんなで一緒に大きなものを作りあげることなんだけど、なかなか上手くできなくってね。みんな頑張っているんだけど、途中で勝手なことを言い出す人や、頼んだ仕事が間に合わない人、材料が足りなくなったりとか、いろんなことが起きるの。

 ―― そこで上手くいくやりかたを探してるの。もちろんパパも自分で考えて試してきたんだけど、昔、誰かが同じ事で悩んだことがあるなら、それが参考になるかなー、と思っているわけ。

 ―― もちろん、そのままマネはできない。だって、同じモノを同じ人で作るわけじゃないから。それでも役に立つんだ。「こうするといいよ」だけでなく「こうしちゃダメだよ」も書いてあるから。

 先人の知恵を「まねび」、わが身で実践せよ、ということを伝えたかったのだが、いかんせんヘタクソなわたしの説明のおかげで、子どもの頭に「?」が並んでいる。

 嫁さんが後をひきとり、「毒キノコ」のたとえで伝えてくれる。曰く、

  「どくキノコがどうして"どく"か分かるのは、食べてお腹をこわした人がいるから」
  「その人に教えてもらえば、あなたが食べなくてもいいでしょ」
  「その人が本を書けば、あなたが読めばわかるでしょ」

  「パパはね、どれが"どく"なのか、教えてもらってるの」

 いやいや、PMBOKガイドにベニテンクダケのことは書いてないと思うぞ …それでも納得顔の子ども、嫁さんに感謝。

 そうした文献を吸収するために、読み書き計算ができるようになれとか、ガッコは解答のある問題に取り組むが、会社は正解なんてない課題がくるんだよ、とか、いかにも親父らしいことを言いたくなる、

…が、飲み込む。思い返すと、「勉強しろ」なんて言われたことがなかったっけ。「好きなことを一生懸命やれ」とはしつこく言われてたが。

 この言葉を、今度は、自分の子に向かって言えるのだろうか?

 「どこかの生意気なガキ」にはいくらでも言えることが、自分の子どもになると、とたんに保守的になるのは、世の習い? 親のサガ? あるいは、わたしが臆病なのか?

 子を持つ身にとってみれば、冒頭の質問は、むしろ自分が試されている気分になる

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ゲームで子育て(どうぶつの森)

 さいきん、「ゲーム脳」のデンパ(電波/伝播)が弱まっているので悲しい。

 トンデモ学会のセンセイたちは、もっと強硬に自論を展開して、世間を騒がせるべきなのに、なんだか萎縮しているようだ。「水からの伝言」や「脳内革命→破産」ネタに負けないよう、頑張ってもらいたい。

 そんなセンセイたちへの燃料として、わたしの子どもなんて、格好の事例になるだろう。親が子どもにゲームを与えているのだから。だいたいパパからして「炎のコマ」をやろうとして捻挫したことあるし (^^

 テレビとゲームは通過儀礼。逃げようたってそうはいかない。むしろ、ゲームとの付き合いをコントロールできるようにしておく必要がある。この単純な事実に目を背けようとする親にとって、「ゲーム脳」は格好の免罪符となっている。そんな親たちにとって、子どもの脳に良いゲームをご紹介。今までは、「ポケモン」や「まちがい探し」をオススメしてきたが、今回はコレ↓

おいでよどうぶつの森 スゴい… 何がスゴいかと言うと、子どもがスンナリ入れたこと。タッチペンによる直感的なインタフェースと、完全マニュアルレスなところ。何が目的なのかすら知らずに、いきなり遊べているのがスゴい。

 いや、ちゃんと「目的」らしきものは、あるにはある。住宅ローンを返済するとか、トモダチをつくって文通するとか、化石の標本を完成させるとか、バラエティ豊かな「目的」が沢山ある。ありすぎるぐらいある。

 自由度の高いゲームなら「ルナティックドーン」や「太閤立志伝」あたりが有名だろうが、それでも「そのシナリオをクリアする」という縛りがある。本作品はそうした縛りはなく、好きな「目的」に向かってコツコツとプレイし、仲間のどうぶつたちとのコミュニケーションを楽しむ。さらに、新しい発見を求めて森を散策する―― その世界にいることそのものを楽しむゲーム

 子どもにやらせてイチバン驚いたのが、タッチペン。操作方法を一切教えていなかったにもかかわらず、タッチペンでドアを開けてしまった。「どうして分かったの?」と訊いたら、「ドアはノックして開けるでしょ、だから、(ペンで)トントンってしたの」だそうな。「ドアの前+Aボタン」思考に凝り固まったパパにはできない発想なり。

 アクションやパズルゲームのような、制限時間や勝ち負けがないところも気に入っているようだ。世界をまるごともらって、やりたいことをやりたいようにプレイできる。「その世界で何をするのか?」を試行錯誤で探っていく過程こそが、このゲームの醍醐味なんだろうなぁ…

 "Hasta la vista,baby"と呟いてゾンビの頭をショットガンで吹っ飛ばしたり、あるいは「わたしもお姉ちゃんみたいに、して」と言わせたりするゲームが大好きなわたしにはモノ足りないけれど、のんびりと世界を味わうロハス(?)ゲームとして傑作だと思う。

 ポイントは「ゲームが悪いのではなく、プレイをコントロールしないことがマズい」こと。どんな本を子どもに読ませるか、どんなテレビ番組を見せるのかを、親や教師がコントロールしたりするように、ゲームもそうありたいものですな。そして、コントロールするだけでなく、一緒に楽しめるような関係(親=子のみならず、親=ゲームも)にしていきたいものですな。

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ゲームで子育て:「まちがい探し」で集中力を上げる

 あいかわらず「ゲーム脳」が大手ふっている。「テレビ漬け」と一緒くたに語られると、それは親の与え方がヘタなんちゃうか? とツッコミを入れたくなる。全てを「ゲーム=悪玉」論で断じようとする連中には、「おまえなんか、猫のうんこふめ!」という詞を贈ろう。

 ここでは、そんな風に逆らって、子育てに効くゲームを紹介する。

 確かに、子どもに向いていないゲーム── ハッキリ言って、プレイさせてはいけないゲームがある── 野々村病院の人々とか夜勤病棟とかグランドセフトオートとかいわゆるオトナゲーね。さらに、単純アクションやシューティングといった、アタマを使わない指だけのゲームも避けたい。あと、絶対悪ならネトゲだろう、ハマると怖いぞ(別名廃ゲー)。

 しかし、アタマと指を同時にコントロールするものや、小説や映画のようにどっぷりと浸れる世界を味わうゲームなら、どんどんやらせていきたい。自分がハマった作品を(ふさわしい年齢になったら)わが子にも味わわせてやりたい、という気持ちと一緒。

まちがいミュージアム で、今回はこれ→ Nintendo DS の「まちがいミュージアム」。上の画面と下の画面を見比べて、まちがいに○を付ける、というシンプルなものなんだけど、これが意外とハマる。最初は軽快、だんだんテンポが早くなるBGMと、正答すると「ピコ~ン」と応えてくれるのが妙に良い。

 ハヤリの「右脳が活性化」するかどうかは分からないが、上下の絵の「差」を一瞬で認識して、まちがいの形に近いマルをつける(←これも採点される)を繰り返すうちに、いつもと違うアタマの部分を使ってイイ気分になってくる── って、オトナがハマってどうする!

 わが子の場合、もともと間違い探しが好きで、雑誌の懸賞のやつを見つけてはやっている。「ミッケ!」や「ウォーリー」シリーズも大好きなので、与えた途端に夢中になった。

 良かったのが、タッチペン。子どもとタッチペンの相性は抜群で、マウスにいまいち慣れていなくても、ペンはすぐに使いこなせるようになった。クリック、ドラッグの代わりに、ペンを使って「マルで囲う」「こすり落とす」(←そんな操作で画像を出す問題がある)操作は分かりやすい。子どもが大きくなる頃には、タブレットPCが全盛になるだろうから、今から知っておいて損はなかろう。

 スゴいのがわが子の集中力。やらせ続けるのが良くないことは【我が身をもって実証済みで】明白なので、5分、10分と時間を区切っている。その短時間でものすごい集中力を発揮し、オトナ顔負けの早解きを成し遂げている。すばやく形を認識する能力が何の役に立つかは知らないけれど、意識して集中度を上げるトレーニングになっている。ポイントは、自分の集中力を意識的にコントロールする、というところだねッ

 これまでの「ゲームで子育て」
  ・ゲームで子育て
  ・ゲームで子育て(ポケモン編)

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もしあなたが週60時間以上働いているとすれば、父親として役に立たない。息子が問題をもつようになったら、それはあなたのせいだろう

男の子って、どうしてこうなの お題は次の文に続く──「父親はきちんと家に帰ってきて、こどもと一緒に遊んだり、笑ったり、じゃれあったり、ものを教えたりする必要がある」

 のっけからショッキングな断定文が続くが、読み進めて納得した。「男の子って、どうしてこうなの?」は、異性である息子を育てるのに途方にくれる母親たちへの福音書かもしれないが、父親が読むと考えを改めさせる指南書なのかも。

 けれども会議が、出張が、締め切りが、なんて抗議の声は上げられる。生活を成り立たせるための仕事を放り出したりすれば本末転倒ではないかと。同意、わたしもそうだから。それでもココロのどこかで知っている、ものごとには、取り返しがつくものと、つかないものがある。そして、代替の利くものと、利かないものがある。取り返しがつかないものは、子どもとの時間であり、代替が利かないものは、父親だ、ということに

 たとえば近所の公園。「公園いってキャッチボールしよう」「紙ヒコーキ折ったら公園で飛ばそうか」と誘って子どもが喜んで一緒にいく、なんてあと何年できることやら。すぐに「友達と一緒にどこかへ」になるに違いない。つまり、公園で遊べる期間は、ある年齢を過ぎてしまえば取り返しがつかない時間となり、その相手は、父親以外の誰も代わりができない。

 では、父親のがんばりが全てかというと、かなり違う。

 女の子とうまくやっていくコツを教えるのは母親の役目。異性を前にしても素直に自分を表現できることは、実はかなり重要なスキルなんだが、それを伝える方法が書いてある。ショッピングセンターでクラスメイト(女の子二人)と会った息子の例が秀逸。あいさつしても女の子たちはクスクス笑いあうだけで返事しない。意気消沈する息子に、母親があるアドバイスをする。要は「好きな男の子の前では、女の子はクスクス笑うもの」を伝えて、実行させるのだが、そのやり方がイイ。

 ガツンときたのが、夫婦のルールの話。しっかりと結びついた夫婦こそが、子どもを育てる上で最も重要な下地だということは合点承知だが、その根底のルールについて、本書はこうある。

結婚生活を維持していくためには、夫婦で顔を突き合わせ、おたがいに精いっぱいどなりあうことも時にひつようとなる。小さな行き違いによって溜まったうさが吐き出され、浄化されるからだ。ただし、女性はぜったいに安全だと感じない限り、男性とそのような正直で激しい言葉のやりとりをすることができない。自分が殴られないことを女性は知っている必要がある。


むろんそうじゃない夫婦を紙面やネットで知ることはあるが、自分はそうじゃないと「言わずに」証明し続けなければならない。

 まとめ:男の子は3つの段階をへて成長する。


  1. 誕生から6歳までのあいだ、少年たちは愛情を学ぶために沢山の愛情を必要とする。この時期、1対1で話しをしたり、教えたりすることが、子どもを世界とつなぐ助けとなる。それをする最良の人間はふつう母親であるが、父親がとってかわることもできる。
  2. 6歳ごろになると、少年たちは男というものに強い興味を示し、父親がクローズアップされるようになる。父親の興味の持ち方や時間の過ごし方が重要となる。とはいえ、母親の役目も依然として重要であり、息子が年を取ったからというだけの理由で、背景に退くべきでない
  3. 14歳を過ぎると、少年は助言者(個人的に少年の面倒をみ、少年がゆっくりとより広い世界に入っていくのを助ける、親以外の人)を必要とする。昔の社会は、この段階に区切りをつけるためにイニシエーションを行った。当時は、現在よりも多くの助言者がいた

 今のわたしに最も欠けているのが3。信頼のおけるほかの大人たちの長期にわたる積極的な助けがなければ、十代の少年たちを育てることができないとある。まさにその通りだと思う一方、いますぐ行動を起こさねばと背筋が伸びる。

 これは、わたしも試されているんだな。

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子どもに死を教える三冊

 良い機会があった。遠い親戚が亡くなったのだ。

 「良い」なんて不謹慎だけど、このご時世に大往生だから感謝しないと。家族総出で葬式に行く。テレビなどに任せず死の教育をやってきたつもりだが、百聞一見、葬式こそ最高の現場だ。

 子どもに伝えたいたった一つのことは、以下に尽きる。

あんたまだ生きてるでしょ だから、しっかり生きて、それから死になさい

 しっかり生きてないと、ちゃんと死ぬことすらままならない…このメッセージをそのまま言っても分からない。まず、自分の「生」を大切にさせる。できるようになれば、家族の、ひいては他人の「生」へも目配りができるようになる。

 自己であれ他者であれ、「生」を大切にできるようになれば、それを支える「生活」も大切にするだろうし、「生」を生み出す「性」も同様に扱えるようになる(はずだ)。

 生の反対は死でない。しかし、死について考えることは生きる本質(文字通りの "quality of life")を高めることにつながると信じている。よく死ぬことを目指す行動は「よく生きる」ことそのものだという真理は、ミサトさん以前に「葉隠」で学んだ。

 で、葬式。大往生を遂げているので、遺された家族が悲嘆に暮れる…なんてことはなく、むしろ「故人はにぎやかなのが好きなので、大いに騒いで見送ってやってください」と挨拶される始末。

 好都合なので、コトの次第をいちいち説明してやる。どうせ黙っててもうるさく訊いてくるだろうし、「起こしてあげるよ」などと死体にイタズラしかねない。

    「ほら、おじいちゃんを見て」

    「おじいちゃんがお亡くなりになったんだよ」

    「お亡くなりになったから、もう会えなくなるんだよ」

    「おじいちゃんが焼かれて、きれいなお骨になったんだよ」

    「ほら、いただきますと同じ手をして、サヨナラのあいさつをしよう」

 死者が「いなくなる」ことが分かったようだ。帰りがけに子どもがこう言った

「おそうしきというのは、みんなでおわかれかいをすることなのね」

そのとおり、お葬式は生きている人にとって必要な「お別れ会」なんだ。

 「死」を嘆いたり悼んだり意味付けをするのは、生者たちの都合であり、「死」そのものはただ在る普遍的なものに過ぎない→だから、「死」を自分のものにするためには、死の意味付けを生きている「わたし」が「いま」、「ここで」するべき… 遅くともわたしが死ぬまでには、ここまで伝えたい。

「死」を教える三冊
ミッフィーのおばあちゃん
 以下、死の教育(death education)として読んでおきたい(と、勝手に思ってる)絵本を挙げる。申し添えておくと、「葉っぱのフレディ」は含まれない。あれは、オトナのための死の教育本だから。

 まず、ミッフィーを推す。おなじみの愛らしいキャラクターはいかにも幼児向けだが、ここでは「ミッフィーのおばあちゃん」だ。ミッフィーが大好きだったおばあちゃんが死んでしまう話。

 良いな、と思うのは、できるだけ宗教色を削ぎ落としているところ。「死」とは単にソコにある(もしくはわたしたちの中に在る)もので、宗教でデコレートするもんじゃない。ブルーナはいつもの暖色で描き、ミッフィーは悲しみながらもおばあちゃんの死を受容する。

 さらに、「おばあちゃんはココロの中に生きている」だの「おばあちゃんは天国に逝った」といった、教え諭しが無いところが良い。本書はシリーズの中に埋もれるようにしてある。生活が続き、死があり、また人生が続く。だから、これだけ読み聞かせても無意味。"Life goes on" は、このコトバを使わずに理解(わか)ってもらおう。
100万回生きたねこ
 次は、定番中の定番「100万回生きたねこ」。知らないオトナが読むと涙が止まらなくなるかもしれない破壊力を持つ。最も取り扱いに注意すべき絵本。

 「死者を定義するのは生者」そのままの話。悪読みをしても許されるのなら、「悼まれない死者の人生は存在しないも同然」とも置き換えられる…こんなヒネクレた読み方はせずとも、せいぜい「近しい人の死」をシミュレートしてくれ。

 最後は、「わすれられないおくりもの」。子どもに「死」を教える最終目標は、

自分の死を覚悟する

こと。子どもが、自分の死を考えぬいて、自分の生を決めて欲しいから。

 もっと端的に言うと、「人生は有限で、これを忘れちゃいけない」こと。人生なんてあっという間で、すぐに寿命だよ。のんびりでもあくせくでも、好きに生きればいいが、これだけは忘れちゃいけない。
わすれられないおくりもの
 本書は「教え諭し」がぷんぷん臭うが、それでも読み手は「自分が死んだらどうなるのだろう?」と問い掛けるはずだ。明確に考えなくとも、その種を植え付けることになる。で、具体的に死を考えるようになる中学ぐらいになって、この話を思い出すだろう。

子どもが「死って何なの?」 と訊いてきたらこう答えるつもり

 わが子は幼い。今はただ聞き、受け入れるだけ。しかし、もう少ししたら、「死って何? 」「死ぬとどうなるの? 」と果敢に質問してくるはず。そのときは「辞書で読みを調べて」と教えるつもり。

セイ、ショウ、シャウ、あり、い、い・かす、い・きながら、い・き、い・きる、い・く、い・ける、う、うぶ、う・まる、う・まれながら、う・まれる、お、お・う、お・き、お・ふ、き、すすむ、たか、なま、なり、なる、のう、のり、は・える、は・やす、は・ゆ、ふ、ぶ、ふゆ、み、よ

あらゆる漢字の中で、読み方が最も多いのは、「生」
たった一つの読みしかないのが、「死」

 最後に。このエントリを書いたのは、「しあわせは日々のなか」で「西の魔女が死んだ」のあるエピソードを思い出したから[参照]。柊ちほさん、ありがとうございます。考えるきっかけをいただいて、感謝しています。

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良い育児書、悪い育児書

 実は見わける方法がある。「子ども」の部分を「あなた」に置き換えてみるのだ。納得感が得られれば、良い育児書。「えー!?」と思ったなら、悪い育児書。「良い」「悪い」とは、「読んで使える」か否かと定義する。

 例えば、感情的になっている子どもにどう接するかについて、次のガイドで確かめてみよう。「子ども」を「あなたの妻(夫)」に置き換えてもOK。

[子どもたち]は強い感情に突き動かされているときは、誰の言葉も耳に入らない。忠告も慰めも建設的な批判も受け取ることができないのだ。[子どもたち]は自分のなかに起こっていることを、自分がその瞬間に感じていることを、わたしたちに理解してもらいたがっている。

[子ども]が自身に対し否定的なことを言った場合、それを打ち消したり異議を唱えたりしても、[子ども]にとってはほとんど役に立たない。まず[子ども]の感情を丸ごと受け入れ、認めることが先決。

 「子は親の鑑」…分かっちゃいるが、(わたし含む)実践できてない人は、育児書というツールで確認してみてはいかが?

 さらに、良い育児書と、最高の育児書の違いがある。良い育児書は、読んで実感できる。もっと良い育児書は、読み手が(=親が)感化される。最高の育児書は、読むうちに親の方を育自してしまう。

 「マニュアル世代」誹謗上等!育児書は読み漁れい!

 実践的親業をする身になって、初めて気が付いた→見習うべき「親」がいない。上の世代に、ロクなオトナがいない。過去の家族モデルにしがみつくつもりは毛頭ない。だからマニュアル(育児書)に手を出す。可視化された knowledge は参考にするが鵜呑みにしない。かつ、読んだら実践→フィードバックする。経験値は読んで身に付ける。

 わたし自身、親のありがたみは骨身にしみているが、親業として見習うものは、少ない。「背中を見て育つ」は確かに真実だが、放任の言い訳とも。ときどきわたしは気づくんだ、自分が親から言われたことと同じようなことを、子どもに向かって告げている。

 「子育てとは、リアル育成シミュレーションゲーム」っつったら殴られそうだが、現実はそんなもん。ただし、コントローラーは「自分自身」であるところがミソ。育児はまず、自らを育てる「育自」から。ファミ通の攻略本はないけれど、数だけは山ほどある。

 「デート中に、"選択肢"が見えたらなぁ」と本気で考える奴はヲタ。けれど、親業やっているときは、選択肢を念頭において行動すべき←行動の根拠を自覚しておく必要があるから。

 無数にある「選択肢」のうち、強力なやつを紹介しているのは、これ「子どもの話にどんな返事をしてますか?」。これはかなり良い本。以下ザップするので参考にして欲しい。

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子どもの話にどんな返事をしてますか

 いいほめ方と悪いほめ方。ほめる対象は子どもの努力や成果であって、性格や人格ではない。叱り方と同じ

 庭掃除をした子どもに、子どもがいかに一生懸命働いたかとか、庭がとてもきれいになったということについてほめることは良い。しかし、その子に向かって「あなたはいい子ね」というのは、全くの的外れであるどころか、不適切でもある。「いい子」には親の評価が入っているから。

 ドラゴン桜効果(?)なのか、最近では「ほめて育てよ」が合言葉。しかし、正しいほめ方をしないと「親のメガネからの姿」を強要することになる。子どもにとって、これは苦痛だろう。やみくもでなく、習慣・行動に的を絞って正しく「誉める」こと。

 正しい怒り方。感情を噴出させる方法があり、自覚しながら正しく怒る。子どもに激情をぶつけ、自分がスッキリするために怒るのではない。親にも堪忍袋の緒というのがあることを理解させ、すべきこと/してはいけないことをハッキリと思い知らせるために、怒るのだ。正しく怒るため、次の3つの準備をしておく必要がある。


  1. 子どもの相手をしていると、どきどき怒りを感じるという事実を受け入れる(わたしたちは聖人ではない)
  2. 罪の意識や恥を感じることなく、怒る権利を持ち、感じたことを表現する権利がある(怒りは悪徳ではない)。
  3. ただし、怒りを表現するとき、子どもの人格や性格を攻撃してはならない。怒りはコントロールできる。怒ることを止めるのではなく、正しく「怒る」

 実際に怒るとき、正しく怒るためのポイントは次の通り。


  • 主語は「わたし」に限定。動揺した気持ちをハッキリ口に出して言う。「私、怒っている」「私、かんかんになっている」と怒りを強めながら表現する。
  • 怒っている理由を説明し、こちらの反応や、取りたい行動を淡々と述べる

    • 「靴下やセーターが床一面に散らかっているから、カッとなったの。窓を開けて全部放り投げてやりたい」
    • 「あなたが弟を叩いたから怒っている。もうカンカンになっている。あなたが弟を傷つけるのは絶対に許せない」
    • 「夕食に呼んだのに、あなたがこないから怒っている。すごく怒っている。美味しい食事を用意したんだから、感謝してもらいたい、無視するのではなく」

 正しい怒り方があるように、まちがった怒り方もある。それは、すでに答えが分かっている質問をすること。ウソの上塗りを強要するか、子どもを追い詰めているだけ。最高にまちがった怒り方は「どうして…なの!」。それは質問ではなく、「おまえは…なんだ!」と強烈なメッセージを送っている(決め付けている)。決め付けられた子どもがそいつを改めると思うか? 自分に当てはめてみるといい。

  「どうしてオマエはいつもだらしがないんだ?」

                     →オマエはだらしがない!

  「どうしてオマエはいつも間違えてばかりいるんだ?」

                     →オマエは間違えてばかりいる!

  「どうしてオマエは自分で決めたことを守れないんだ?」

                     →オマエは決めたことが守れない!

 「別に」「何も」対策

  「学校はどうだった?」
                     『別に』

  「今日は何をしたの?」
                     『何も』

 …んで、これ以上ツッコもうとすると、『うるさいなぁ、放っておいてよ!』と嫌がられる。上手くいっているか心配な親と、根掘り葉掘り聞かれるのがイヤな子どもとの典型的な会話。

 子どもは疲れていたり、学校で起きたイヤなことを忘れようとしたりしている。そこへ畳み掛けるように質問されたら、自分だってイヤでしょ? 職場から帰ってきて、妻(夫)に、「お帰り、仕事はどうだった?」て訊かれたらどう感じるか想像してみて。

 この場合、「質問」ではなく「コメント」を伝える。自分が相手(子ども/夫/妻)を理解している「メッセージ」を伝える。例えば、


  • 家に帰ってきて嬉しそうだね
  • 大変な一日だったみたいだね
  • やっぱり家に帰ってくるとホッとするよね
  • 学校が終わるのが待ちきれなかったんじゃないの

 このとき、子どもがどう反応するかは、自分自身に当てはめて想像してみよう。妻(夫)からそうした「お疲れサマ」というメッセージを受け取ったら、自分ならどう返すだろうか。「別に…」でないことは確かでしょ。

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 「子どもの話にどんな返事をしてますか?」の対象は、3歳~15歳の子ども。しかし、「子ども」を「わたし」や「妻(夫)」に置き換えると、実は末永く使える共育マニュアルでもある。

 以前のエントリ「親になったら読んでおきたい三冊」に加え、本書は四冊目として強力にオススメ。

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少子化=親が減っている

 子連れで里帰り。じたばた動く赤んぼを背中や腹にくくり付けて混んだ電車に乗る。優先席に優雅に座る50代とおぼしきオバサマ3人が赤んぼにちょっかいかけてくる。

      「まあカワイイ」

      「ほんと、お人形さんみたい」

 ええと、わたしは立ちで構いませんが、せめて嫁は座らせたいんですけど…

      「ちょっと触ってもいいかしら?」

 ええ、いいですが、せめて嫁は…

 手荷物から察するに、歌舞伎座からの帰りだろう。オバサマたちはあれこれ赤んぼをいじった後、優雅に降りていった。嫁を座らせ、赤んぼを降ろし、一息ついたところでの会話。

     私 「あのオバチャンズは何だったんだろう?」

     嫁 『親やったことがないんじゃない?

     私 「!」

     嫁 『親の苦労をしないままトシだけとったんじゃない?

 なるほど。少子化少子化とやかましいが、ああいうオトナが増えているんだなー。

 こんなどうしようもないわたしでも、少しはマシなオトナをやれているのは、子どものおかげ。「思いやり」だの「感謝のきもち」といったコトバにするとペラペラなんだけど、自分のコンピテンシーとなっている正の要素は、すべて子育てを通じて得た。むかし親父が「女房・子どもを養って一人前」と言っていたが、このトシになってようやく同意できるようになった。

 少なくともわたしの場合、女房・子どものおかげでどれだけ人間が成長したことか… どんなに感謝してもし足りないぐらい

 子どもを育てるとき、老後に養ってもらおうという魂胆もないし、教育費やしつけが負担だとか文句垂れるつもりもない。夫婦やってて授かったのが子ども。大事に育てるのがあたりまえ。

 少子化の論点で、「高齢になっても子どもに面倒を見てもらえるメリット」だの「教育費が1000万円超」といった脅し文句がピンとこない。少子化少子化とやかましく叫んでいる輩は、子育てしたことがないんだろーなー、と思ってみたり(子どもがいない、ではない。自分で子どもを育てたことがない、という意味)。

 少子化とは、

  親の苦労を知らないオジサン、オバサンが増えていることと、
  親をやらないまま、オジイサン、オバアサンの年齢になる人が増えていること。

 お祖父さんでもお祖母さんでもない高齢者が増えていることのほうが、「人口減による経済効果」よりも心配。「キレやすい」「傍若無人」「自己中心的な」高齢者が増加しているのは、親業を通じた苦労が足りないからだと勝手に結論付けて酒呑んで寝ることとしよう。

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育児とはつまり○○と○○

 びろうな話ご容赦。ゲロと下痢ネタなので読み進める方はご注意を。この話題、ブログを見てもあんまり書いていない。これは、パパブロガーがそうした「処理」を避けてるからか、ママブロガーが「○月×日、下痢がひどい」と簡単にしちゃってるからか。

 とどのつまり、きちんと餌を与えちゃんと排泄させることが、育児。愛やしつけはもちろん大切だが、先ずしっかりと食べさせ、良いうんちをさせることが基本。

 なにかでバランスが崩れると、これがゲロや下痢になる。

 赤ちゃんがいるご家庭を訪問したことがあるだろうか? きっと甘いホワホワした匂い(ミルク・おっぱい)が漂っていて、なんだかくすぐったい気分になったに違いない。

 では、小さい子ども(1~2歳)がいるご家庭は? 甘酸っぱい臭いが微かにする。それがゲロか下痢。

 よく「子育ては夜泣きが大変だよー苦労するよー」と脅かす先輩パパがいるが、ありゃ半分だ。確かにそれも苦労だが、ゲロと下痢の比じゃねぇ。

 まずゲロ。メシ喰ってる横で予告なく盛大に吐く。壊れた蛇口から溢れ出る噴水のごとく、┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨ ってな感じ。

 それから下痢。やっぱりメシ喰ってる横で盛大に出す。服とは保温や装飾のためだけではなく、溢れる下痢便から周囲を守るためのガードという役割もあるのだと実感させられる。

 どちらもあまりにスゴい。おもわず「水芸?」とツッコミ入れて嫁からハタかれたりする。

 これがオトナだったなら、予告編として暗黒ゲップ音が続く。あるいは口やシリを押さえたりトイレに駆け込むといった、それなりの努力はするだろう。しかし、子どもは遠慮なし。出すだけ出して、ケロリとしてる。のん気なもんだ。

 赤ちゃんなら許可。飲んでるのはオッパイかミルクなので後始末もラクなもの。だが幼児だと喰ってるものも親と同じ。なので、臭いはわたしと同じ。どちらも固形物を流してせっけんで手もみ洗いしなきゃならぬ。服だけではない。布団もだ。カーペットもだ。はては食器やちゃぶ台もだ。

 これが夜昼となく繰り返される。寝ていると異様な臭気で起こされる。防水シートに手をついて感謝する。でも布団は台無しになっている。この冬空に何回も洗濯機をまわす(乾かないのよ)。カーペットは徹底的にふき取って消臭スプレーをたっぷりと。

 温まってくるとゲロくさくなるPCに向かうたびに、この話題を思い出すべく書いた。育児の基本はゲロと下痢。愛としつけはその次だ。

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ブログの誘拐カタログ化について憂慮する

 いきなり結論から→書くなとヤボは言わないが、じゅうぶん注意して

 子どもの誘拐事件に対し、警察はどこから調べるか? 以下の順番でしらみつぶしに捜査する。営利なら時間との勝負。短時間に大量のリソースを投入し、犯人が「動く」前に網をできるだけ絞っておく。

 ・ 子の近親・親戚
 ・ 園、学校、塾など定期的に通う場所
 ・ 友だちや遊び場など子の生活圏

 では、なぜこの順番か? それはターゲット(子ども)に最も近いから。ターゲットに近いということは、行動パターンや特徴、周囲の状況がよく把握できるということ。子どもは犯人を知らないかもしれないが、少なくとも犯人は子どもを知っている。むしろ「子どもを一方的によく知っている」大人こそ、犯人として絶好のチャンス(!?)を有するとも言える。

 ターゲットがどの学校へ通い、何曜日に塾へ行くか(そして何時に帰るか)、一人で行動するのか友達と一緒が多いか、事前に調べ上げ、準備してから犯行におよぶ。だから上記の順にしらみつぶしに調べれば、いずれ犯人へ行き着く。それがどんなに大きな網だとしても、その中に必ずいるから。東京の犯人が大阪の子どもをさらったりは、しない。

 これをひっくり返したのがブログ。子の毎日を微に入り細にうがって書き込む親がいる。まるで観察日記のように毎日きちょうめんに書く親がいる(顔写真付き)。それはとても微笑ましく暖かい行動だと思う。人権厨房みたく「子どものプライバシーが…」と酸っぱいこと言うつもりはないが、軽率な記事(エントリ)があまりに多い。これからその子をさらおうとする輩にとって、大変有益な情報を提供してくれる。あるいは、どの子を誘拐しようかな? と吟味している輩には格好のカタログと化している。

 試みにgoogle先生に訊いてみるといい。「子育て」「育児」「ブログ」「トラックバック」「日記」をいくつか放り込むと、いくらでも採れる。育児の苦労話や喜びを語るだけでなく、子どもの行動を懇切丁寧に教えてくれる。さすがに個人情報そのものは転がっていないが、顔写真、行動パターン、行事、学校と簡単に拾える。

 誇らしい気持ちは分かる(わたしも親だ)。習い事のイベントや学校行事、家族旅行の全員写真をアップしたくなる気持ちも分かる。だが止めとけ、適当なところで。世の中、アナタのブログの来訪者のように善意の人ばかりならば何の脅威もないが、そんなわけないことを、アナタは痛いほど知っている、大人なんだから

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 じゃぁ禁止せよとか全部止めちまえといっているのではない。これだけ普及したものを引き絞るのはムリというもの。せめて自分でルールを作り、守ってほしい。アナタの子どもを守るために。以下、「ブログを活用する犯罪者」の視点でリスティングしてみた。参考にしてほしい。

1.日付をぼかす
 「9月9日、社会見学で海遊館に行きました」とある。「9月9日」「海遊館」「社会見学」でどの学校か分かる。学校そのものが公開している場合もあれば、同じ学校の先生が書いた記事が掛かるかもしれないし、昨年の生徒が書いた記事がヒットするかもしれない。検索のキーとして有効なのは、日付だ。だから「先日、社会見学で海遊館に行きました」が正解。

2.生年月日を書かない
 誕生日は個人情報。氏名や住所なら注意するだろうが、見落としがちなのがこれ。いまはいいが、大きくなればなる程クリティカルな個人情報と化す。ビジネスの芽の話。「赤ちゃん」「生まれました」というキーで子どもの誕生日を知り、一年後などに「お子さまの成長を記念して」とメールする商売もあり。書くときは気に留めないかもしれないが、1.と同様「先日」とするのが吉。

3.写真は1歳ぐらいまで
 人の顔はどんどん変わってゆくものだが、全体の特徴は1歳ぐらいで整う。「おもかげ」というやつやね。赤ちゃんの写真ならまだしも、特定できるぐらいに成長したら、露出はやめる。学校当局が行事の写真をアップする際、かなり気を使って個人が特定できないようにしている。その一方で無造作にわが子の卒業写真を曝している親もいる。

4.服装の写りこみに注意する
 同じ服の組み合わせは、個人を特定するキーとなる。あるいは他と異なる特別な服も同様で、なるべく避けるが吉。「特別なコトをするときは特別な服で」は、けだし名言だが、そうした写真は曝さない。

5.出す情報の組み合わせに注意する
 「だれ」はNGなことは分かるが、他の情報は組み合わせ次第によって特定が容易になるので注意が必要。ダメなのは×、同じ組み合わせで避けたいのを△、露出OKなのを○で示す。ようするに「何をどのようにやって、どう思ったか」に留めて、後は具体的に書かないこと。

   △ いつ(when)
   △ どこで(where)
   × だれが(who)
   ○ なにを(what)
   ○ なぜ(why)
   ○ どのように(how)

6.学校名、園名は書かない
 もちろん住んでいる場所を特定するための重要なキーとなるから。これらは時間が経つと個人情報と化す。自分には累を及ぼさないかもしれないが、同じ学校(園)の他の誰かへのキーとなる。「○月○日に××という行事」から学校名(園名)をたぐれる。あとは通学経路、学童、学校行事といもづる式に。

7.子どもの呼び名について
 ブログでの子どもの呼称に気を配る。下の名前そのままを書き込むことのないように。家庭で呼んでいるニックネームよりもむしろ、ネットに露出する専用の名前(ハンドルネーム)をつけてあげる。わたしの場合は「あゆ」と呼んでいるが、タイ焼きが好きだからそう呼んでいるだけだ(当然うちの子の方が可愛い)。

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 最後に。居ながらにして一方的に相手を知ることができ、かつ自分との接点はほとんど無いというブログの利点を充分に活用した犯罪者は、これから出るのか、まだ捕まっていないのかのいずれか。電子メールを利用した完全犯罪を描いた「Cの福音」という小説がある。すばらしい出来なのだが、その完全性は電子メールが一般化して崩れ去っている。このネタも小説化(=物語化)されれば、危機意識も高まるかもしれない。例えば、こんなふうに[参照]


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子どもに「お金」を教える実践編:受給意識を植え付けない

子どもに「お金」を教えるシリーズ。「お金」を教える際、最も気をつけなければならないのがこれ。ピンとこないようなら、次の場面を想像してみるとよい(人によると、思い出すことになるかも)。

子は親の鑑というが、私にとってはむしろ、子どものふるまいを通じて、自分の子供時代を思い起こすことが多い。無邪気に見える言動に自分のコピーを感じ取ってひやりとすることもある。つい先日も、こんなことがあった。

「パパ、今月のおこづかいちょうだい!」

『お、そうだった、はい1000円』

「うん…」(と財布に入れる)

『おいおい、ちょっと待った』

「なに、パパ?」

『もらったら、ありがとうというんじゃないの?

「どうして? パパは毎月1000円くれるって約束でしょ? くれるのがあたりまえだから、わざわざありがとうを言うのはヘンだよ。でも、パパがありがとうと言って欲しいのなら言うよ、ありがとう

参考:ロバート・キヨサキ「金持ち父さんの子供はみんな天才」

この会話で明らかになるのは、親のお金に対する意識(子どもの、ではない)。ものの考え方は、ふつう親から子へ受け継がれる。もちろん親以外にも、教師、友達、メディアから受け継がれるが、こと「お金」に対する考え方を子どもに伝えるチャンスは、親以外誰も持っていない

では、この会話から炙り出されることは何か?

パパは、1ヶ月に1000円お小遣いをくれる。お小遣いをもらうことは当然だ。ひどく叱られる罰ならともかく、特に悪いことをしない限り

問題が特に無ければ、定期的に定額の収入が得られる

会社から給与をもらうのは当然だ

国から年金をもらうのは当然だ

もらうのが当然という考え方がある限り、お金からは自由になれない。会社や国が所定のお金を払わなくてもよい、といっているのではない。もちろん働いたり払い込んだ分、受け取る資格はある。しかし、それをアテにして、あたかも神から授かった権利の如く「当然」の顔をするのは、今のうちから止めておいたほうがよい。会社が所定の給与を払わなくなる出来事や、国が規定の年金を払わなくなる事態なんて、ここでいちいち挙げなくっても、分かるでしょうに。

「定期的にお小遣いをあげる/あげない」について夫婦間で話し合ったことがあるのなら、この問題につきあたる。ちゃんちゃんとお金をあげることが本当に子どものためになるのか? と考えてゆくと、次の2つに割れる。どちらが良い/悪いのではなく、それぞれの根拠に着目したい。

1.お小遣いは、義務に対する権利

 あいさつをする、身だしなみを整える、部屋を片付ける、学校へ行く、宿題をする… などといった「決められたルールを守る」「すべきことをする」ことによって、定期定額に与えられるのが「お小遣い」。この場合、一定額でやりくりすることや、欲しいものがあっても我慢する忍耐を身に付けることができる。一方、「大過なく過ごせば、お金をもらうのは当然」という受給意識が植え付けられる場合がある。いわゆるサラリーマン意識が育つことになる。

2.お小遣いは、努力に対する成果

 買物を手伝ったから100円、掃除をしたから150円、読み古しマンガをヤフオクで売って1000円… などといった、お金を成果として受け渡しする「お小遣い」。お小遣いというよりも、小額ながら「稼ぎ」という感覚に近い。この場合、子どもはより大きな成果を目指し、努力する。よりチャレンジングになるだろうし、誰かをアテにしたような生き方はしなくなるだろう。しかし、その一方で「本来やるべきこと」が疎かになったり、浮き沈みの激しい懐具合にバクチ的な稼ぎをするようになるかもしれない。

かつては1.のやり方が一般的だった。「ちゃんと学校へ行って、ちゃんとした会社に入って、ちゃんと仕事をしていれば、ちゃんとした生活は送れる」という暗黙知が神話にすぎない今、1.のやり方を続けるということ自体がバクチ的になるかと。「お金」に対して子どもに教えられるのは、今のところ親だけ。親が1.の考えなら、子どもも1.のまま。「義務を果たせばもらうことは当然の権利」という意識を親が持っていて、それを変えようとしない限り、子どもも同じ考え方で世の中へ出てゆくことになる。

もう少ししたら、「お小遣い」をあげようと思う。その場合、1+2の併用になるだろう。定期定額(ただし小額)のお小遣いと、努力に対する成果としてのお金。子どもには1の中でやりくりしてもらい、2で「お金を殖やす」ことを学んでもらう。ふつう1の小遣いは年齢が上がると金額も上がっていく。しかし、うちの場合、1の定期的なお金は、ある年齢から据え置き(または低減)でやってみよう。それが今の給与の実体だからといったら残酷か。

以上、実践編「受給意識を植え付けない」話。底本は「金持ち父さんの子供はみんな天才」。お金に対し自由度の高い人生を手に入れてもらうことが目的。そのために親として何ができるか? このシリーズは続く。

これまでの「子どもにお金を教える」↓
  基礎編

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子どもに「お金」を教える (基礎編)

子どもに○○を教えるシリーズ。子どもに「死」「セックス」「TVゲーム」などを教える過程で、自身がそれらをどうとらえているかをblogであぶりだしてきた。今回は「お金」。シリーズ最難関かつ避けて通れない課題を数回に分けて考えてみる。


  • 基礎的な金銭感覚を身に付ける
  • お金に不自由しない方法をマスターさせることで、お金から自由になる
  • お金に囚われてしまった生き様を観察させる(ことで罠のしくみを知る)

上記3つのことを、だいたい高校生ぐらいまでに伝えられれば合格かな。まずは「基礎的な金銭感覚」から。小学校入学前後がスタートだろう。

1.こづかいはいつから与えるか?

数字が読めて数の大小が分かるようになれば、こづかいを与える。小学校にあがる前から始めたい。目的は2つ。「定期的な収入の中からやりくりする」ことと「貯金をする」こと。「やりくり」と「貯金」はクセのようなもので、トレーニングを積むことにより自然に身に付けることができるし、早ければ早いほど良い。これを当たり前にできない人は、カードローンやキャッシング会社のカモと化す。マズゴミは自己破産者の人間性や社会適正をとやかく言うが、ほとんどの人は「やりくり」について訓練を積んでいないまま社会に放り出されてしまっているが故だと考える。

2.こづかいはどのように与えるか?

定期的に決まった額を与える。お金というものは定期的に定額の形で得られるものが「自然」なのだということを伝える。言い換えると「一攫千金」という形で得られるものは「お金」ではない、ということを伝える。それらはもっと別のもの、即ち「興奮」が目的の行為であり、具体的に言うとギャンブルだ。ギャンブルで勝つと得られるものはお金の形をしているが「お金」ではない、ということに気づいてもらうための伏線。昔ハマったことがあるから言える、ありゃ本当に「あぶく銭」ナリ。

3.こづかいをあたえた直後

すぐに一定額を貯金させる。余ったら貯金する、というのはダメ。収入直後で支出や予算を考える時、一定額は既に引いてあるのが自然だと考えて欲しい。要はもともとその分のお金は「無かったもの」として支出を考えておく。無かったお金の口実は「恵まれない人のため」でもいいし「商売の神様へのお賽銭」と考えても良い。

4.欲しいものと必要なものを見分ける

「なぜそれを買うのか、しかも自分のこづかいで」という自問をするクセをつける。友達がもっていたからだったり、テレビのCMで欲しくなっただけだったりする場合が「多い」ことに気づいてもらうため。ブランド・マーケティングの戦略に「乗っている」だけであって、自分の中で「欲しい→必要」に変換していることに気づいてもらう。例えば「誰か(友達・兄弟・親)に買わせる」「自作する」「借りてくる」という選択肢を問うことで、「欲しいのか必要なのか」を考えた上で、「自分で買う」という選択肢を選び取っているんだ、と気づいてもらう。広告に釣られるのを悪だというつもりは無いが、釣られている自覚がないのは問題かと。

5.通帳を作る

子ども名義の通帳はあるが、それと別に「子どもが自分で通帳を作ってみる」。もちろん傍でアドバイスはするが、口座の開設に必要なものを調べさせ、実際に手続きをやらせる。これによりお金を動かすためには一定の信用力が必要ということに気づかせる。ついでに(その頃でも超低金利だろうから)銀行にカネを預けても全く意味が無いことを説明しておく。

6.消費税を教える

総額表示方式を導入することで課税感を緩和させ、段階的に7→10→15→21%まで上げるつもりらしいが、パーセントはともかく「その税金がどう使われているか」には着目しつづけてもらうため、教える。60以上と20歳未満で生涯受益が1億円の差が出ている現実を知った上でこの国で生きていくのかを考えてもらう(まぁヨソの先進国でも似たり寄ったりなのだが)

7.盗みは絶対にダメだと教える

「盗むなかれ」「殺すなかれ」はどの律令にもあるし、非常にあたりまえなことなのだが、あまりにもあたりまえすぎてちゃんと教えていなかったんじゃぁないのか? と言いたくなる、最近の犯罪を見ると。子どもには内緒だが、フルパワーで叱るときの怖い顔は、まだしていない。子どものことだ、1回ぐらいはやってしまうかもしれない。その時のために、私の最も「怖い顔」は取っておいてある。ま、それを使わなくても済むように、常々懇懇と諭している。

基礎編はこんなところか。底本は「お金のしつけと子どもの自立」より。アンケート結果がたくさんあって興味深い。「子どもとお金」を考えるきっかけとして好著。


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夜泣き対策 -応用編-

毒男には全く役に立たない赤ちゃんの夜泣き対策の続き。ここではQ&A形式で夜泣き対策を紹介するぞ。あくまで私の経験(あるいは読みかじった情報)であることをお断りしておく。

Q1.泣いてる赤子をずっと放っておいたら、泣き止むのではないか?
A1.Yesだが、子どもの心に決定的な影響を及ぼすかも

押し入れや別室に放っておく、というオヤはいると思う。どんなに泣き叫んでも誰もこないならば、赤子は泣き寝入りするだろう。「死にゃしない」と考えるのは勝手なのだが、そういう風に育てられた子どもは大きくなると、ある傾向が見受けられる。それは人を信じる心が欠けていること。「泣く→めんどうを見てくれる」の繰り返しによって、赤ん坊は「泣いたら世話してくれる」ことを知る。さらに「泣いたら助けてくれる存在=親」を信じるようになる。どんなに泣き叫んでも誰もこなかった夜が繰り返されると、赤ん坊はついには絶対に泣かなくなる。「泣いても助けてくれない」ことに諦めてしまう心ができあがる。この子は長じて「人を信じる」という心が抜け落ちてしまっている。これは「ガマン強い」心ではない。むしろその逆。泣きつづける子の方が「ガマン強く」助けを呼んでいるんだ。子どもが最初に信頼する人は親。親が信じられない子どもは、誰も(自分自身すら)信じることができなくなる。

ネタ元「子どもへのまなざし

Q2.赤ちゃんのためのCDを聞かせる効果は?
A2.気休めに毛が生えた程度

ズバリ「赤ちゃんのためのリラクゼーションCD」と銘打ったモノがある。心音などの体内音もを聞かせることで、胎内にいた頃の安らぎを思い出してもらう意図なのだが、ぎゃあぎゃあ泣いている赤ん坊は、聞いちゃいねーよ!。自分の泣き声でさらに泣いてるので、周りの呼びかけもほとんど耳に入ってこない状態なり。BGMのようにずーっと流しつづけるならばちょっとは効果があるかもしれないが、「夜泣きに困った親向け」の商品であって、けして「赤ちゃんのための」ブツではないと思うぞ。あと「赤ちゃんのためのモーツァルト」も然り。「親がモーツァルト好きで、赤ちゃんにも聴いてもらう」なら分かるが、自分が好きでもないのに流すのはヤセ我慢というもの。身の丈に合った音楽を(だからといってデス系はどうかと)

Q3.泣き喚く赤ん坊に殺意がわいているんですけれど
A3.そうかもしれないが…

もちろんサー残で疲れ果て、当然のごとく明日は平日なんだけれど、そんなことにはお構いなしに泣き叫ぶ赤ん坊に心底イヤ気が差すのはあなただけではないはず。一線を超えてしまう人もいる、いわゆる「魔が差す」というやつやね。けれどこう考えてほしい。赤ん坊にしてみれば「テメェの都合なんて知ったこっちゃないんだヨ!」と言いたいはず(口がきければ)。泣くことしかできないから泣いているんだし、赤ん坊にとってサー残や平日は心底どうでもいい話。ここはひとつ、オトナであるアナタが大人にならなきゃ。赤ん坊は泣くのが仕事、アンタはその面倒を見て、それから自分の仕事もする、だってオトナだから、オヤだから。あるいは中国の諺を紹介しとく「よく泣く赤ん坊は、いい声になる」そうな。だからおっくうがらずに「いい声になーれ」とかなんとかハイになって、明日(既に今日だが)の会議は放っておいて、朝まで付き合ってあげな >私

おまけ。いま「夜泣き対策」でGoogleってみたらオモシロイ対策が→着メロで夜泣き対策 。いわゆるレジ袋のカシャカシャいう音の着声素材なんだけれど、これはユニークなり。

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2005/11/23追記
はてなでの夜泣き対策の質問と回答
赤ちゃんの夜泣きへのアドバイスをください

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夜泣き対策 -入門編-

8ヶ月目の娘も、そろそろ夜泣きの頃となり候。上の子も苦労させられたので、ある程度は覚悟の上よ。でも1.5時間おきに「ぶっギャーンンッ!」(ジョジョ風)な泣き声で起こされるのはちと辛い。毒男には全く役に立たない赤ちゃんの夜泣き対策をいくつか紹介するぞ。

1.とりあえずいま泣いている赤ちゃんを泣き止ませたい

そのまんまの題名の本がある→「赤ちゃんがピタリ泣きやむ魔法のスイッチ」…んが、買うほども無し。授乳や抱っこのテクニックは経験的に知るものだし、それこそネットには様々な「泣き止ませ方」が転がっているので。それでも使えるのは「シーっ」という魔法の言葉。どこの国の言葉でも「静かにしろ」は「シーっ」と発音する。もちろん赤ちゃんにも通じる。耳元で(大きな声で)「シーっ」をゆっくりくり返すと、あら不思議、泣き止みます(本当)。いろいろな説があるが、胎内音を聞かせてもらったときの呼吸音「シーっ」を思い出すのかなぁ、と勝手に解釈している。

2.泣き始める前にできることは?

上記の本で「おくるみ」スイッチが紹介されていた。タオルケットを何枚も使って、赤ちゃんの身体をぐるぐる巻きの繭状態にするとよいらしい(もちろん顔は出して)。お腹の中にいた頃を思い出してもらうために、キュウクツな思いをさせるという←実験済みだが、ぎゅっと抱っこするのと同程度の効果。実験済みで有効なのは心臓の音や呼吸音を聞かせるがある。赤ちゃんの耳を自分の胸にあてるように抱っこして、心音を聞かせると心地よいらしい←彼女いる毒男は彼女にさせると良いらしいぞ。ボセイホンノウとやらを刺激することができる(たぶん)。

3.夜泣きしないような予防策は?

決定打は見当たらない。なるべく昼に機嫌よく遊んでもらって、夜は早寝してもらうとか、お風呂にゆっくり入ってもらう、とか月並みなことしか思い浮かばねぇ… つか無理。 「赤ちゃんは夜泣きするもの」と腹を括って相手するしかない。

さて、抱っこしてまいりますか。

野郎ども、がんばれよ

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子どもにネットを教えるとき、心がけていること

昨日は「テレビっ子」、今日は「ゲーム脳」、そして明日は「ネット子」(ネト子?)という流行語になるのだろうか。このメディアとの付き合い方を子どもに教えている。

他の親たちは、「英語耳のため英会話」だの「ピアノで絶対音感」だの、色々な習い事をさせているようだ。3歳からの英会話学校があることにビックリしたが、ウチは死とは何かとかゲームとの付き合い方などを今のうちから教えておこうかと。どうせ小学生になったら、きっと耳も貸さなくなるだろうし:-)

マスメディア。特にテレビとの違い

調べモノがあるとき、子どもを膝の上にのせてGoogleってみせる。「さて、明日のお天気は~」とか「次のデカレンジャーショーはいつかな?」とか。おかげで、「テレビとは異なり、リアクションがある」ことに気が付いたようだ。能動的にならないと、情報は得られない。「テレビをダラダラ見ていても、必要な情報は得られない」ところまで理解して欲しいが、も少し先。

ネットはゼロ次情報

「あれーこことここで、言ってることが違うねー」とことさら強調する。ネットの中は整合性も一貫性もない。本人が語る情報は一次情報、そいつをメディアでフィルタリングした二次情報と呼ぶ。それとは別に「本人が真実だと思い込んでいる」情報、即ちゼロ次情報が垂れ流されている。極端だと「脳内電波」と呼ばれるが、事実のフリをした虚報も混じってるのがネット。検閲がない代わりに、校正もない。ネットでの「情報」は、編集されていないことに気づいて欲しい。

ひとり一台ではない「ファミコン」

PCを立ち上げるときは、いつも子どもと一緒。ネットがインフラであるのと同様、端末も共有物。一家に一台のコンピュータ、これが本当のファミリーコンピュータ、なんちて。あたしゃオッサンなので、コンピュータとは、タイムスライシングしたなかで複数の人で使いまわすべき計算機なんだと考える。学生時代、マシン運転時間中に端末を奪い合っていた人なら分かるだろう。コンピュータは私物ではない、ネットが公共財であるのと同様に。従ってパソコン(パーソナルコンピュータ)は personal にさせない。リビングに置いて、使うときはみんなで。テレビやビデオと一緒やね。個人で持たせるのは、せんずりを覚えるようになってからだ。

お母さんが安心して子どもにパソコンを使わせる本という本がある。このblog読んでるような人ならこれで金とるなんてふざけているとしか思えない内容だ…が、こんな本がまかり通っているということは、「子どもにPCやネットを使わせることに不安を抱いている親がたくさんいる」ことの裏返しなんだろう。「子どもパソコン教室」なんて流行りそうやね、いろいろあったし、いろいろあるだろうし。

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おまけで自分メモ。子ども向け検索サイト。

  yahooきっず
  キッズgoo
  KIDSPLAZA
  学研キッズネット

どれがいいか分からないので、とりあえず「ふたりはプリキュア」で検索してみる。yahooとgooでは2件(朝日放送とオフィシャルサイト)ヒットしたが、KIDSPLAZAと学研キッズネットでは0件…ななな、なんだってー(AA略) やっぱりプリキュアは大きなおともだち向けの番組だったんだと独り合点。

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障害者をテーマにした絵本について、嫁と話し合ったこと

3歳の息子への試み。聴覚障害をテーマにした絵本「ぼくのだいじなあおいふね」を読み聞かせた。「耳が不自由」についてよく理解できなかったらしい。次に「さっちゃんのまほうのて」を読み聞かせる

幼稚園児のさっちゃんの左手は、生まれつき指がありません。それでも、さっちゃんはとても元気です。ある出来事が起きるまでは…

おままごと遊びで初めて「おかあさんの役」をしようとしたとき、友達が叫びます「指のないお母さんなんて変だよ」その時の彼女の哀しみ、怒り…うちに帰ってお母さんに聞きます「どうして さちこの手には指がないの? 小学生になったら指が生えてくるの?」

おかあさんは静かに答えます。

「いいえ、さちこの指は大きくなってもずっとそのままよ」

。。゜(゜´Д`゜)゜。ウァァァァン

読み聞かせにならないorz
それでもなんとか最後まで読んだ。息子はとまどっていた

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問題はここから。息子が寝付いた後、ジト目で見ていた嫁が口を開いた

「おかしいよ、これ」

   『なにが?』

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ぼくのだいじなあおいふね(ディック・ブルーナ)

そういや障害者をテーマにした絵本ってあるのかな… と図書館へ。今回は「ぼくのだいじなあおいふね」を読み聞かせ。ディック・ブルーナの描いた男の子が目じるし。

このベンという5才の子、よく見ると耳から線が伸びている。線は腰の補聴器につながっている。聴覚障害というやつで、通いのせんせいから「くちびるを読む」ことを習っているところだ。その最初のコトバがあおいふね

この「あおいふね」のところでたっぷり間をとってゆっくり発音する。さらに「パパの口を見てごらん」と発音するときの口の動きを注目させながら読み聞かせ、というより読み見せる。

次に発音せずに口の動きで「あおいふね」と言ってみたり、「口の動きだけで何をいっているのかを当てる」遊びをしてみる。

もちろん3才のわが子には「耳が不自由」という概念そのものを理解できるはずもない。絵と唇を交互に見ながら読んでもらうという、変わった体験をしただけ。

後にスゴい絵本があることを知る。「さっちゃんのまほうのて」だ。amazonレビュー読んでグッと涙をこらえる…

涙腺が弱いことは自負しとりますよ、ええ。もちろん読んでみるつもり。以下自分メモ。いくつかを読み聞かせしようかと。

「わたしの妹は、耳がきこえません」(ピーターソン)偕成社
「わたしたちの トビアス」偕成社
「どこがちがう マリア」(セルピーターセン)偕成社

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