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この本がスゴい!2020

今年の一年早くない?

トシ取るほど時の流れを早く感じるのは知ってるけど、今年は特に、あっというま感がすごい。恒例のこの記事、もう書くの!? と思ってる。

毎年、「人生は短く、読む本は多い」と能書き垂れるが、今年は、「人生は加速的に短く、読む本は指数的に多い」と変えておこう。

そして、昨年と比べると、世界はずいぶん変わってしまった。

基本的に外に出ない、人と会わないが普通になり、マスク装備が日常になった。オフ会や読書会でお薦めしあった日々は過去になり、代わりにZoomやチャットでの交流が増えた。

ポジティブに考えると、そのおかげで、読み幅がさらに広がった。わたし一人のアンテナでは、絶対に探せない、でも素晴らしい小説やノンフィクションに出会うことができた。お薦めしていただいた方、つぶやいた方には、感謝しかない。

さらに、今年は本を出した。

ブログのタイトルと同じく、[わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでる]だ。美味しいところだけを、ギュッと濃縮した一冊で、名著から劇薬本まで、お薦めを大量に紹介している。

すると、読者の方から「それが良いならコレなんてどう?」というフィードバックを大量にいただく(ありがとうございます!)。どれも独力では一生かけても出会えないスゴ本ばかりで嬉しい。

ここでは、この一年間に出会った本の中から、わたしにとってのスゴ本を選んだ。あなたの選書の手助けとなれば嬉しい。そして、あなたにとってのお薦めを伝えてくれると、もっと嬉しい。

 


コロナのおかげで出会えた傑作
『リウーを待ちながら』

 

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2月上旬、新型コロナウィルスの感染拡大が懸念されていたころ、[ある記事]を公開した。

緊迫した現場の報道や、差別的な言動を目にして、世界が変わっていくのを感じたからだ。そして、このまま最悪の方向に進むのであれば、「日常がどう壊れていくのか」という観点で、小松左京『復活の日』と小川一水『天冥の標(救世群編)』を紹介した。

すると、お薦めをもらった。

これは、ある地方都市で新型ペストが蔓延する話だ。政府の緊急事態宣言、医療崩壊の現場、差別と悪意に満ちたネットと、それが現実化する世界を描いた、絵空事とは思えない生々しいコミックだ。

医療崩壊を象徴的に示す光景がある。

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渋滞の先にあるのは病院だ。まだ原因不明の段階で、発熱や悪寒の症状を抱えた人々が病院を目指す。病院は人手が足りない、ベッドが足りない、医療品が枯渇する。重篤化した患者が続々と死亡する。

さらに、街は外側から封鎖され、リソースの取り合いや、自己防衛という名の私刑の横行など、社会が壊れてゆく。そうした状況の下、絶望を、よりましな絶望に変えるべく、医師としての仕事を全うしようとするのが、主人公だ。

タイトルの「リウー」は、カミュ『ペスト』の主人公の名だ。カミュをリスペクトして描かれた作品だが、『ペスト』のようには終わらない。そして、こっちの方が、より現在に近いと考える。

なぜなら、ラストが違うから。

もう絶望しなくてもいいことが分かったとき、人々は花火を上げないから。カミュが描いたのは、戦争のメタファーだ。だから、脅威が街を去るとき、人々が花火を上げ、祝うのは当然だ。

しかし、リウーが来なかったこの街の人々は、祝わない。上書きされた災厄を抱えながら、日常を取り戻そうと平常のふりをする。このラストは、わたしたちの未来の日常に重なる。

2年後か、3年後か、新型コロナウイルスの影響が小さくなるとき、それは「ある日」をもって宣言されることはない。ゴールデンウィークみたいに、「コロナ明け」となる境目は存在しない。『リウーを待ちながら』は、そこまで予言的に描いた傑作だと言える。

日常がどのように浸食され、どんな異様な光景を見ることになるか、物語からよく見える。言い換えるなら、いま目に映る光景がどれほど壊れているかを知りたいとき、物語はバロメーターの一つとなる。

この傑作に出会えたのは、[はてなブックマーク]のhelioterrorismさんのコメントのおかげ。ありがとうございます! はてなブックマークは、コメントでお薦めしてくれる方がいるので、大変ありがたい。

 


科学が紐解く世界の面白さ
『銀河の片隅で科学夜話』

上質な科学エッセイ。

軽妙洒脱な語り口に引き込まれ、するすると読んでしまう。多宇宙論と文学の深い関係を語ったかと思えば、最小の労力で民主主義を壊す方法を紹介したり、倫理学のトロッコ問題を4,000万ものビッグデータでねじ伏せる。

いちばん面白かったのが、最小の労力で民主主義を壊す方法だ。セルジュ・ガラム博士の「世論力学」を使う。

利害が対立する中、互いの意見を出し合い、コンセンサスを形成していく―――このプロセスを数理モデル化したのが、世論力学だ。このモデルを色々動かすことで、集団は非常に興味深い振る舞いをすることが見えてくる。

まず、全員が浮動票―――つまり、みんな確固たる意見がない―――状態からスタートした場合、時間の経過につれて賛否のいずれかが優位になり、最後は全員賛成、もしくは全員反対になる。どちらに倒れるかは運しだいといったところだ。

だが、一定の固定票―――つまり、確固とした主張を持つ人がいる―――場合、賛否に与える影響は大きくなる。重要なのは、その主張の正しさ如何ではなく、どの程度の固定票がいるかになる。固定票が17%を超えると、無敵になる。残りの浮動票がどう動いても、最終的に固定票に収束する。

つまり、サクラを雇ってレビューを書かせたり、組織票をSNSにバラまいたり、切り取った「民意」をブロードキャストしたり、やり方はさまざまだが、その数が17%を超えると、合意形成を恣意的に操れるようになる。

言い換えるなら、集団の17%の声を揃えるだけの資源があれば、民主主義のルールに則りつつ、集団を乗っ取ることができると言える。

著者は量子力学の専門家なのだが、文学や歴史についても造詣が深く、世界の面白さについて、様々な分野から、縦横無尽に語ってくれる。寝る前に一話ずつ読むといいかも。

書評全文:世界はこんなにも不思議で面白い『銀河の片隅で科学夜話』

 


世界の「見え方」が変わる
『オーバーストーリー』

リチャード・パワーズの最新傑作。

読むと、木を、新しい目で見るようになる。いっぽん一本の違う木が「ある」のではなく、全体として木が「いる」ように感じられる。一つの木に焦点を当てて見るという感覚よりも、もっとカメラを引いて地表を覆う存在を想像するような……

この感覚、読んでもらうのが一番だが、このイメージで伝えたい。この長編小説に入り浸っている幸せなあいだ、わたしの心は、ずっとこの光景で覆われていた。

地上の目からすると、それぞれの木は独立している。だが、数十メートルの空からだと、互いの枝葉を譲り合いながら全体として森全体が蠕動しているように見える(樹冠が空間を譲り合う現象を、クラウン・シャイネスと呼ぶ)。そして、地面の下では、それぞれの幹から伸びた根が複雑に絡みあい、コミュニケーションを行っている。

『オーバーストーリー』も同じだ。前半は、8つの章に分かれた、9人の生きざまを追いかける、それぞれ独立した短編として読める。各人に象徴的な木が登場するのが面白い。

たとえば、一本の栗の樹を撮り続けたタイムラプスを持つ芸術家や、ベトナム戦争で撃墜されるも菩提樹に救われた兵士、王維の美術画を受け継いだ中国からの移民(扶桑)、世界をシミュレートするゲームを作り上げた天才プログラマ(ボトルツリー)など、それぞれの半生が線形に描かれている。

生きることの苦しみや、ままならなさを抱えており、少し読み進めるたびにグッと胸にこみ上げてくるものがある。ひとり一人の生い立ちや思想は異なるものの、突然の不幸や社会の逆風に揉まれる様は皆同じ、風に吹かれて揺れ動く木のようだ。

中盤、ばらばらに見えていた人生が重なり合ってくる。ある目的に向かって、つながりを求めようとする。もちろん、それぞれ価値観は異なるが、衝突したり譲り合ったりしながら、生きる範囲を変えていこうとする。その様は、数十メートル上空から眺めた樹木が織りなすクラウン・シャイネスそのままに見える。

物語のスピードに合わせ、ゆっくりと読み進めるうちに、わたしの時間感覚にまで影響が出てくる。木のスピードで見るならば、人の営みなんて、タイムラプスで早送りされた一瞬なのかもしれぬ。こんな風に。

人間は、時間は一本の直線だと思い、直前の三秒と目前の三秒だけを見ている。本当の時間は年輪のように外側を覆う形で広がっているのだということを人は知らない。”今”という薄い皮膜が存在しているのは、既に死んだすべてのものから成る巨大な塊のおかげだ。

『オーバーストーリー』は、ガイブン鈍器部の三柴ゆよしさんのおかげで手にした。ゆよしさん、ありがとうございます。

書評全文:世界の見え方を変える『オーバーストーリー』

 


全人類が共有できる世界史の可能性
『新しい世界史へ』

歴史は勝ったほうが書く。

だから、グローバル経済の覇者を名乗る欧米中心になるんだろうなぁ、と思っていた。バラバラで異なる歴史をもつ地域が、欧米が主導する戦争と経済により一体化されてきたのが、世界史のメインストーリーだと考えていた。

東京大学の東洋文化研究所である著者は、これに異を唱える。そして、全人類が共有できる世界史を構想する。

歴史認識の共有は、近隣国ですら(だからこそ?)難しい。にもかかわらず、人類で共有する世界史なんて可能だろうか?

著者はまず、必要性を訴える。日本の歴史、フランスの歴史、中国の歴史など、国民ごとの歴史では不十分だと主張する。

世界全体で、経済が一体化し、文化や価値観にも共通点がある。それにもかかわらず、国民国家の観点から共同体への帰属意識を強調し、その利害を第一に考えさせる「世界史」では、地球規模の問題に取り組めないとする。

帰属意識の先を、国家から地球に拡張する、地球市民が共有する知識の基盤―――そんな世界史が必要だという。いうなれば、日本でもフランスでも中国でも用いられる世界史だ。

そして、「地球人のための世界史」が可能であるなら、それはどのような形になるのかを検討する。

可能性の一つの方向が、グローバル・ヒストリーだという。

ヨーロッパ世界を相対化し、あつかう時間を巨視的に眺め、対象テーマと空間を地球規模で採り、異なる地域間の相互影響を重視する歴史だ。

その例として地球の初期設定から語りなおしたダイアモンド『銃・病原菌・鉄』や、砂糖に焦点を当て人々の活動のつながりを炙り出す川北稔『砂糖の世界史』、あるいは、海と周辺地域を一体のものと捉え、その空間内での人・モノ・情報の動きを描くブローデル『地中海』を紹介する。

これをさらに広げ、「法の支配」「人間の尊厳」「民主主義の諸制度」「自由市場」「国家間暴力の否定」といった価値を基準にした世界の見取り図を提案する。

ある時代の王国、政府、長を中心とする人間集団において、どのように社会制度が維持され、こうした価値がどのように扱われていたかを比較する。それぞれに共通する点を炙り出し、いわば人間集団の類型化を図るのだ。

これを読むことで、人類に共通する価値が、どのように世界の地域で共有され、受け継がれてきたかが明白になる。そして地球という共同体に生きる一人だと認識できるものになるだろう。

著者は、構想し、提案するだけでない。予算を立て、プロジェクトとして実行している。東京大学、プリンストン大学、フランスの社会科学高等研究院、ベルリン・フンボルト大学と連携し、新しい世界史認識を生み出す挑戦的なプロジェクトだ。2014年から続いているこのプロジェクトの詳細は、「グローバル・ヒストリー共同研究拠点の構築」にある。

この世界史は、読んでみたい。

本書はスケザネさんから教わって出会うことができた。スケザネさん、ありがとうございます。一緒にお薦めいただいた、大江一道『世界近現代全史』も読みます。

書評全文:全人類が共有できる歴史はありうるのか?『新しい世界史へ』

 


地球外の生命を立証する科学
『アストロバイオロジー』

昔は、地球こそが宇宙の中心とみなされていた。

神に選ばれた人が住まうこの地球こそが唯一無二であり、星々は地球の周りをめぐると考えられてきた。だが、そうではないエビデンスが続々と集まり、地球が中心ではないことが明らかにされた。

そして今、地球こそが、生命が誕生する唯一の場所と「みなしたい」人々がいる。この発想の裏側には、「神に選ばれし人」という宗教や「人こそが生命進化の究極の存在」という文化がある。

だが、そうではないエビデンスが続々と集まってきており、研究体系となろうとしている。それが、アストロバイオロジー(astrobiology)だ。宇宙を意味する接頭語「astro」と、生物学を意味する「biology」を組み合わせた造語で、日本語では宇宙生物学と訳される。

  • 生命は、いつ、どこで、どのように生まれたのか?
  • 地球以外の天体にも生命は存在するのか?
  • 生命が存在する惑星としての 地球は、どのくらい特殊で、どの程度に普遍的な存在なのか?

興味深いのは、生物学に限った学問領域ではないところだ。

たとえば、生命活動が可能な領域を探るためには天文学、惑星科学、地球物理学の成果が求められ、生命誕生にアプローチするために生化学、微生物生態学、地質学、海洋学の知見が適用され、単純な機構から複雑な生命へのプロセスについては分子進化学、地球化学が用いられる―――しかもこれはほんの一部なのだ

つまり、アストロバイオロジーとは、最新の研究成果を惜しみなく注ぎ込まれる総合科学、いわば「全部入り」なのだ。

本書では、アストロバイオロジーの知見とともに、集まった最新のエビデンスが紹介されている。

たとえば、探査機カッシーニが土星の衛星エンセラダスの南極から噴出されたプルームから採取したアミンや酢酸、アルデヒドなど有機物がある。これは、生命がいる(いた)傍証として有力だ。

さらにプルームに含まれるナノシリカと呼ばれる石英の粒子は、地下には90度以上の熱噴出孔があることを示唆している。地球の生命誕生のカギとなっている深海の熱噴出孔を同じくらい期待してもいい。

現在進行中のプロジェクト「たんぽぽ計画」も、結果が楽しみだ。超低密度のスポンジ(エアロゲル)を宇宙空間に曝し、宇宙塵を捕集することで、そこに含まれる生命誕生の鍵となる物質を探す計画だ。

もし地球低軌道(高度400キロメートル)で微生物が検出されれば、地球上の生命が他の惑星へと移動する可能性を示す。つまり、生命は一つの惑星に閉じた存在ではなく、たんぽぽが綿毛で種子をとばすように、星を渡り宇宙へ広がっていく証左となるのだ。

この計画の一環で、国際宇宙ステーションの外で1年間生き延びた微生物がいることが分かった[Yahooニュース]。宇宙空間でも生命が生き延びられる可能性を示唆している。

地球外の生命を確信できる一冊。

書評全文:銀河系の知的生命体の数は90『アストロバイオロジー』

 


清潔・不潔は文化だ
『不潔の歴史』

史上最も不潔なのは、キリスト教徒だという。ホント!? 入信の際の洗礼のイメージから、きれい好きと思っていたが、違うらしい。

たとえば、イエスを食事に招いたファリサイ派の人は、イエスが食前に身体を清めなかったことに慄いたとある(ルカ11:37-54)。手記や小説などで、キリスト教徒の汚さは相当なものだと紹介されている。

一方、ユダヤ教徒やイスラム教徒は、清潔でいることが教義としてルール化されていたという。つまり、身ぎれいにすること自体が宗教活動の一つだったのだ。

『不潔の歴史』を読むと、「きれい」と「きたない」は文化的なものであることが分かる。

現代の米国人にとっては、清潔とは、毎日シャワーを浴びてデオドラント剤を付けることだし、17世紀のフランス貴族にとっては、体は洗わず肌着を毎日着替えることが「きれい」になる。さらには、16世紀の医者の指導によると、疫病が入り込むから風呂は禁止されたという。

自分の価値観に照らし合わせて「うへぇ」と声に出しながら読んでいるうちに、その自分の価値観ですら、後の世からすると、「うへぇ」なのかもしれぬ、と思えてくる。

では、なぜそれが現代の衛生観念に近づいたか?

すぐに上下水道の整備や衛生観念の一般化が思いつく。

だが本書では、広告戦略の影響が大きいとある。マウスウォッシュのリステリンや、ボディソープの広告の歴史になる。「あなたは臭い。そしてその臭いにあなたは気づいていない」というメッセージを刷り込むことで、こうしたデオドラント商品は飛ぶように売れたという。

さらに、周囲の衛生観が変わることで学習し、体を清潔にすることがあたりまえになっていったという。

本書にはないが、最近ならマスクになる。

2002年にSARSがアウトブレイクしたとき、マスクをする日本人は、欧米人の嘲笑の的だったが、2020年のいま、欧米人も公共の場所でマスクをするのが普通になっている。

自分の感染予防というよりも、他人に感染させないためのマスクなのだが、この考えが一般化されたのだろう。周囲がしているから、するのが「普通」だから、マスクをする―――こういう風に、衛生観念は育っていくのかもしれぬ。

清潔/不潔は文化であり、文化は伝染することを考えさせられる一冊。

書評全文:きれいは汚い、汚いはきれい『不潔の歴史』

 


「おいしい!」と感じるとき、起きていること
『味覚と嗜好のサイエンス』

「味」は信号だが、「おいしい」は経験だ。

味覚は、食べ物が体に入ってくる時のセンサーになる。甘味はエネルギー源となる糖、塩味はミネラル、うま味はタンパク質、酸味や苦味は腐敗物の存在を感知する。

だが、塩何パーセント、砂糖何グラムといった味覚が最適化されれば、自動的に「おいしい」になるわけではない。料理の見た目やにおい、口に入れたときの食感やのどごし、風味の全てで、わたしたちは味わう。

これに加え、昔から食べ慣れているかも含め、いまの体感と過去に学習してきた記憶を総動員して、「おいしい」と感じる。ふだんの食生活で見過ごされがちだが、「おいしい」とは、結構複雑な結果なのだ。

本書は、この味覚と「おいしい」を手がかりに、食べるとは何かを探求したものになる。

たとえば、「コクがあっておいしい」の「コク」とは何ぞや?

コクを感じるものとして、フォアグラやウニ、生クリームやバター、イクラやアボカドが挙げられ、その共通項として、油脂や糖やうま味が想定される。

そして、油脂や糖やうま味が示しているのは、高カロリー、タンパク質、糖分だ。生きる上で必須のアミノ酸や糖分を豊富に含み、効率的に摂取することができるのが、「コクがある」食べ物になる。なるほど!

これを「コクの原型」と呼び、その周囲に「コクの第二層」があるという。

コクがある食べ物を口にし、においや食感、のどごしを学習し続けるうちに、コクを感じるようになるという。つまり、学習の結果、アミノ酸や糖分がなくても、その存在を感知させるだけでいいのだ。あんかけやとろみ、濃厚な香りは、その代表例だろう。

そして、その地域での食文化によって、好みが学習される。

食べ慣れたものを好ましく感じるのは、「食べたことがある」という味覚や風味は、食の安全の信号だからだという。親や家族が食べていたから、子どもも食べる。これが繰り返されて、嗜好ができあがるのだという。

たとえば、日本では海苔が好まれるが、慣れない米国人にとっては、「食べ物とは思えない」といわれる。日本の場合、周辺を海に囲まれ海苔が作りやすかったことと、海苔を食べる習慣が古くから伝わっていたことで、必要な栄養素を海苔に頼る文化になった。一方米国では、海苔の風味が栄養や食習慣と結びつかなかった。

つまり、「おいしい」は文化による学習の賜物なのだ。味という信号と、おいしいという経験の間にあるものを探求する一冊。

紹介してくれたのは、ふろむださん(ありがとうございます!)。食と文化とサイエンスは、本書に加え、[ライトノベルでの異世界の和食料理はどうでしょう? 味覚と民族料理]あたりを手がかりに、広げていきたい。

書評全文:「おいしい!」と感じるとき、何が起きているのか『味覚と嗜好のサイエンス』

 


マザコン+ラブコメ+ブルーマー
『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』

このマンガは、同級生のお尻を見てたら、ひっぱたかれるところから始まる。

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……このシーンは、主人公の実(みのる)の目線ではない。お尻を見てたのは亡き父で、その記憶が、折に触れて、実の脳内に蘇るのだ。

お尻の持ち主は、若かりし頃のお母さん(旧姓:大蜘蛛ちゃん)。つまり、母に一途な父の目線でもって、「女子高生のお母さん」の記憶が、息子にフラッシュバックされる。

そして厄介なのは、実は、お母さんに恋をしてしまっていること。女子高生のお母さん(細身で強気)と、今のお母さん(むっちり無防備)に煩悶する、マザコンラブコメ。

「お母さんに恋してる」なんて、ちょっとヤバくね?

その自覚はある。だから実は自問する。

だけど、お母さんとの日常に、父の過去の記憶が入ってくると、女子高生のお母さんの可愛いさに撃たれる。そして、(ここ重要)父がどれほど母を好きだったか、ということを、父の目線で思い知る。だから実は煩悶する。

父の高校時代をなぞる実は、そのまま行くと母と結ばれてしまうインモラルな展開になってしまうのだが、そこは作者・植芝理一先生の見せどころ、これでもかとばかりにフェチと変態と純愛とノスタルジックなネタと突っ込んでくる。

そんな実に興味津々なのが、同じクラスの一 一(にのまえ はじめ)。最初はぞんざいに扱っていた実も、彼女と話しているうちに、「高校生の母に話しかける父の記憶」がフラッシュバックされる。まるで、彼女が母で、自分が父かのようなデジャヴを味わう。そして実は煩悶する。自分は彼女の事が好きなのか、父の記憶の中の母を好きなのかと。

ラブコメを摂取するのは、なんにも無かった青春の記憶を上書きするため。だから読んでて、あまりの甘酸っぱさに「うわああああ」と叫びだしたくなるけれど、それでもニヤニヤを堪えて読む。

作者のこだわりは、ブルマーが包むお尻の微妙なカーブや、ぴっちりしたジーンズに浮き出るシワ、あるいは、自転車のサドルに座ったときのプリーツのよじれといった形で表現されている(刮目すべし)。

倒錯と純愛を、ノスタルジックにフェティックに描いた全6巻。第一話は[ここ]で読めるぞ。

書評全文:大好きなマンガが完結したので全力でお勧めする『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』(ネタバレ無し)

 


人は、ロジックではなく類推で考える
『類似と思考』

人は、どのように思考しているのか? これを認知科学の成果から深掘りしたのが、鈴木宏昭著『類似と思考』だ。

本書によると、人は論理学的なルールを、個々の問題に当てはめて演繹的に解いているわけではない。それはむしろ、レアケースになるという。また、問題に行き当たる度に、メリットは本当に利得なのか、前提条件は対価として妥当かを、いちいち深く考えているわけではないという。

代わりに、過去の典型的なメリットー対価状況と、目の前の問題状況がどれほど似ているかを判断することで、面倒で、非現実的な処理をスキップしているというのだ。これにより、確率からするとあり得ない方に従ったり、文脈や状況だけから正しい判断を下したりする。

この、非常に人間くさい思考を「準抽象化による類推」として、その理論をまとめている。

「人の思考は、規則やルールに基づいておらず、類似を用いた思考(類推)を行っている」が本書の結論だが、そこへ至るまでに、文学や科学、政治やビジネスで行われる類推の事例を紹介している。さらに、他の理論と斬り結びながら自説をブラッシュアップしているところが面白い。

  • 多重制約理論:キース・ホリオーク、ポール・サガード
  • 構造写像理論:デドリー・ゲントナー
  • 概念メタファー説:ジョージ・レイコフ
  • p-prim理論:アンドレア・ディセッサ
  • 漸進的類推写像理論:マーク・キーン
  • Copycat:ダグラス・ホフスタッター

並べると、「人はどのように思考しているか」それは「一般化できるか(≒コンピュータに任せられるか)」さらに、「人がどのように世界を理解しているか」まで議論が拡張することになる。カーネマン『ファスト&スロー』やロスリング『ファクトフルネス』が好きなら、ハマることを請け合う。

「人はどのように思考しているか」について、現在の見取り図を与える一冊。

書評全文:認知科学から見た、多くの人が論理的に考えない理由『類似と思考』

 


人生を<かなり>楽にするエピクテトス

人生で一番大事なことは、イチローから学んだ。

  コントロールできることと、コントロールできないことに分ける。
  コントロールできることに集中して、
  コントロールできないことには関心を持たない。

首位打者争いをしているとき、ライバル打者について話題が及ぶと、「相手の打率は、僕にはコントロールできません、意識することはありません」と打ち切ったという。

同じことを、松井秀喜も語っていた。成績が振るわず、マスコミに批判されたことについて質問されると、「記事はコントロールできません。気にしても仕方ないことは気にしません」と返したという[松井、イチローの言葉を就活に生かす]

初めてこの言葉を聞いた時、自分を苦しめているものがはっきりと見え、すっと楽になった。以後、手帳の見返しに書きつけ、毎日見返している。

わたしを苦しめているものは、「コントロールできないもの」を生み出しては抱えている、わたし自身なのだ。

もっと踏み込んだ言い方では、[二ーバーの祈り]がある。

  神よ、
  変えることのできないものを、
  静穏に受け入れる力を与えてください。

  そして、
  変えるべきものを変える勇気と、
  変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを、
  与えて下さい。

神学者ラインホルト・二ーバーが作者とされる祈りの言葉で、アルコールや薬物依存症に苦しむ人を支援する会でも引用されている。

この、「変えることのできないもの」をあれやこれやと生み出し、それに思い悩むのは、ヒトの思考の癖のように思える。放っておくと、そうした不安にばかり埋め尽くされ、悪い方へ悪い方へとしか考えられなくなる。

だが、不安とは、未来に起こるかもしれない不都合を、「いま」思い悩むことだ。「いま」を「未来」に変えられないのであれば、起きたときに悩めばいい。起きてもいない(起きるかどうかすら分からない)不都合について心配するのはナンセンスかもしれぬ。

この考え方を辿ると、エピクテトスまで至る。エピクテトスはローマ帝政時代の哲学者で、彼の言葉は、マルクス・アウレリウスからパスカル、夏目漱石にまで影響を及ぼし、今に至っている。エピクテトスの言葉は、『語録 要録』で触れることができる。

エピクテトスの原則は、「自分の権内と権外を見極めよ」になる。

  権内=コントロールできるもの

  権外=コントロールできないもの

だね。そして、権内か、権外か、両者が適切に区別できている状態こそ、人にとってもっとも幸福であり、われわれが目指すべき最善な状態だという。

そして、権内か、権外か、あらゆる心像についてこの基準をあてがってみろとアドバイスるする。権外であれば、捨て去れと断言する。なぜなら、人々を不安にするものは事柄ではなく、事柄に関する考え方なのだからだというのだ。

エピクテトスの言葉そのまんまは、少し解説が必要だ。だが、これを現代風にアレンジしているのが、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね』だ。山本貴光さんと吉川浩満さんが対談しながら、人生を楽にするやり方を噛み砕いてくれる。

エピクテトスは、山本さんと吉川さんのこの本のおかげで出会うことができた(ありがとうございます!)。私淑する一人として、読み続けるつもり。

書評全文:変えられないものをスルーして、変えられるものだけに集中する

 


辺境と文明が逆転する
『遊牧民から見た世界史』

中国がなぜ中国かというと、世界の中心を意味するから。

中国皇帝が世界の真ん中にあり、朝廷の文化と思想が最高の価値を持ち、周辺に行くにつれ程度が低くなり、辺境より先は蛮族として卑しむ華夷思想が根底にある[Wikipedia:中華思想]

しかし、蛮族とされている遊牧民から見ると、舞台はユーラシア全体となる。遊牧生活によって培われた軍事力で圧倒し、スキタイ、匈奴の時代から、鮮卑、突厥、モンゴル帝国を経て、大陸全域の歴史に関わる。中心と周辺が反転し、中華は一地域になる。

視点を反転することで、いままで「常識」だと考えてきたことが揺らぎ、再考せざるを得なくなる。

たとえば、「モンゴル残酷論」を誤りとする。

モンゴル帝国といえば、暴力、破壊、殺戮というイメージが付きまとう。PS4ゲーム『ゴースト・オブ・ツシマ』やコミック『アンゴルモア元寇合戦記』に登場する蒙古は、血塗られた侵略者として描かれている。

しかし、これは歴史の書き手による願望であり、よほどの例外を除きモンゴルはほとんど戦っていないという。

仮に、敵とみれば殺したという伝説が本当だとすると、モンゴルは増えない。ヨーロッパから中国まで、ユーラシア大陸を横断する規模で拡張するためには、仲間を増やす必要がある。

モンゴルの優れた点は、仲間づくりの上手さにあったという。自らの強さを喧伝することで、戦わずに吸収することを目指す。モンゴルという仲間になれば、身の安全が保たれるという、一種の安全保障を提供することで、帰順させるのだ。

軍事力を背景としながらも前面に出さず、関税を撤廃して経済と流通を隆盛させ、ユーラシア・サイズの通商を実現できた事実と、暴力と破壊のイメージはかけ離れている。おそらくこれ、どちらかが本当という二択ではなく、イメージと実践を使い分けたプロパガンダなのではなかろうか。

なぜ遊牧民にマイナスのイメージがあるのか?

本書によると、遊牧民は「蛮族」というレッテルを押し付けられてきたという。その理由は、「遊牧民は、自らの歴史をほとんど残さなかった」ことにある。

一方で、記録する側は、自分たちを「文明人」だと考えて、遊牧民に対し誤解や曲筆の多い書き方をしたという。遊牧民に攻撃・支配された時代は、被害者意識を過大に記述するか黙殺し、記録する側が攻勢にある時期は、遊牧民に対し、蔑視や優越感が溢れる表現になる。

歴史を記す側は、正統性を主張し、覇道を唱えるため、残虐や非道ではないことを証明しなければならない。その仮想敵こそが匈奴・鮮卑といった外側の人々だというのだ。

内側と外側、辺境と文明が入れ替わる。歴史を複眼的に眺めるダイナミズムが面白い。その手がかりを与えてくれる一冊。

書評全文:辺境と文明が逆転する『遊牧民から見た世界史』

 


おっぱいの本質を学ぶ
『哺乳類誕生』

おっぱいとは何か?

この問いに対し、人文科学からたどったのが『乳房論』だ。絵画、文学、宗教、政治、ファッション、医療、ポルノの斬り口から、[乳房をめぐる欲望の歴史]を描き出している。

いっぽう、自然科学からたどったのが本書『哺乳類誕生』だ。遺伝学、分子生物学、獣医学、生物工学、古生物学の斬り口から、乳房に至る進化の歴史を描き出している。

おっぱいで子どもを育てる哺乳類は、どのようにおっぱいを獲得したのか。乳はどのように発達し、どういったメカニズムで出て、生命維持にどのような役割があるのかなど、おっぱいの本質を学ぶことができる。

この、おっぱいの本質には瞠目した。おっぱいを全くといっていいほど分かっちゃいなかったことを、思い知らされた。

おっぱいは、ほとんど味しないし、うっすら生臭いので、血液みたいなものなのだろうと思っていた。だが、血漿に含まれる成分だけでなく、脂肪や糖を効率的に与えられることが、おっぱいのすごいところなのだ。

まず脂肪は、ほとんど水に溶けない。母乳は液体だから、脂肪を渡そうとしてもそのままでは難しい。どうするか? 

そこで、おっぱいの登場だ。

脂肪は乳腺細胞がつくり、細胞内の脂肪滴という形で存在する。これを乳に移行するときは、細胞膜を通らなければならないのだが、通過する場所がない。そのため、細胞膜を内側から押し上げ、細胞膜に包まれた状態(脂肪球)となって乳に移る。細胞膜そのものは水に混ざりやすい性質を持っているため、脂肪滴も親水性物質として振舞えるというのだ。

淡々と説明しているが、これ、端的に言うと、体液の養分を与えるのではなく、自分の身(細胞)を削って脂肪を包んで乳にしていることなる。まさに身を削って乳を与えているといえる。おっぱいは、血というより肉の一部なのだ

さらに、糖を渡すメカニズムもスゴい。

赤ちゃんの脳や神経の発達に大量の糖分を必要とするのだが、ブドウ糖ではなく、乳糖で渡す。これにもちゃんと理由がある。

ヒトの血中ブドウ糖は0.07~0.14%で維持されており、これを大幅に超えてコントロールできなくなると、全身に異常が現れる(糖尿病だ)。ブドウ糖は必要だが、正常範囲を超えたら毒になるのだ。

一方で、効率的に栄養を渡すため、乳の糖分を高くしたい。このジレンマを解消するのが乳糖だ。乳糖は、体内では利用されず、高濃度にしても支障ないという(人の乳に含まれる乳糖は7%)。これにより、高い糖度のおっぱいを、母体内の糖度に影響を与えずに渡すことができる。

こんな感じで、おっぱいの偉大さをいっぱい知ることができる。おっぱいは、生命進化の究極の形だともいえる。

本書は、おっぱいの碩学・骨しゃぶりさんのお薦めで知った(ありがとうございます!)。次は『乳房の科学』に手を伸ばしてみよう。

書評全文:おっぱいに(科学的に)興味がある人必読 『哺乳類誕生』

 


美とは究極的には適応度のこと
『美の起源』

問題:次の①と②のうち、どちらが美しいと評価されるか。



Landscape1



Landscape2

おそらく、①を答える人が多いだろう。

しかし、なぜ①を選ぶのか?

その理由は、デニス・ダットンが解き明かしている。ダットンは、普遍文法や普遍道徳と同じように、「普遍美」があると仮定し、それは国や民族、地域や文化に関係なく、好ましいとされるものだと考えた。

そして、1993年、ケニアからアイスランドまで10か国におよぶ調査を行い、どの風景が好ましいか、そして好ましいとされる特徴を突き止めた。

  • 広い空間に丈の低い草と、藪や密生した木がある
  • 近くに水がある
  • 鳥や動物がいる
  • 植物が多様である

これは、ヒトが好む原風景は、アフリカのサバンナに似ているところから、「サバンナ仮説」と呼ばれる。ダットンは、この嗜好を、ヒトが進化の過程で獲得した可能性が高いと主張する。

つまりこうだ。開けた空間なら、敵や獲物を発見しやすい一方、丈の低い草で身を隠すことができる。水があり動植物が豊富だということは、それだけ食べ物にアクセスしやすいことになる。ダットンは、この特徴は風景画のみならず、公園やゴルフコースにも適用されているという

特定の景観を好ましく感じる美的判断の起源は、ヒト科の狩猟採集者の生存可能性を高める場所にあるのかもしれぬ。この観点からヒト共通の美しい色を探すなら、それは水の青か植物の緑になるだろう。

つまり美を感じさせる裏側には、生物が生き延びて子孫を残す適応度が隠されているというのだ。

しかし、その一方で、枯山水は水を使わず、石や砂で表現される。水墨画や山岳風景画で描かれる自然は、サバンナの景観とは程遠い。こうした美的価値観は、適応の結果ではなく、歴史や文化の洗練を経て、変わっていったのかもしれぬ。

美とは何か?

哲学者や芸術家、科学者たちが答えようとしてきた疑問に対し、進化から考えるのが、渡辺茂著『美の起源 アートの行動生物学』だ。

ヒトの美意識の基礎には進化的な基盤があるとし、その美意識を行動生物学の視点から解き明かそうとする一冊。本書は、読書猿さんのツイートで巡り合うことができた(ありがとうございます!)。

書評全文:「美しさ」のサイエンス『美の起源』

 


意味が分かると『しびれる短歌』

Sibireru

「意味が分かると怖い話」というのがあるが、それに近いものがある。

ほんとうはあなたは無呼吸症候群おしえないまま隣でねむる
鈴木美紀子

同室で枕を並べる夫婦なのに、少なくとも妻は冷めきっているのが分かる。

「ほんとうはあなたは」で、夫の寝息がおかしいことに気づいてから、結構な日数が経っている。おそらく、就寝中の夫の寝息がおかしいことに気づいて、ネットか何かで調べ、「無呼吸症候群」に辿り着いたのだろう。

放っておいたら、そのまま息をしなくなるかもしれない。それも織り込み済みで、「おしえない」。ずっと息をしないようなら、「おしえない」まま目を閉じて、朝まで待つのではないかと、ぞっとする(「教えない」と漢字にしないところに、淡々とした意志を感じる)。

夫婦はホラーだ。これなんかもそう。

湯上りに倒れた夫見つけてもドライヤーかけて救急車待つだろう
横山ひろこ

風呂上りのヒートショックで、夫が脳卒中を起こしたのか。

この場合、「おしえない」のは犯罪なので一応、救急車は呼ぶ。だけど、待っている間は髪を乾かす。寝かせるくらいしか応急処置はないからだ。冷静なのか非情なのか。性別逆転すると石を投げられそう。

東直子さんと穂村弘さん、二人の歌人が紹介する『しびれる短歌』では、ヒヤりとするような歌がいくつも出てくる。現代の短歌では、夫は粗大ゴミであり、ぬれ落ち葉として扱われるらしい。「断捨離で最も捨てたいのは夫!」なんて涙を禁じ得ぬ。

これなんて、ぞっとするだけでなく、物語を感じる。

家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンがまだ温かい
小坂井大輔

この家では、パソコンを共用していることが分かる。さらに、「検索」という言葉から GoogleやYahoo検索のことで、いわゆる昭和の時代ではないことが分かる。

それだけではない。検索キーワードを知っているということは、履歴を開いたことになるし、「自首 減刑」という言葉から、「自首したらどれくらい減刑されるのか」という意図が、そして家族の誰かがそれを知りたいと思っていることが分かる。

何をしてしまったのか?

もちろん、興味本位で調べたのかもしれぬ。だが、「まだ温かい」という言葉は、犯行現場に残された証拠品から「犯人はそう遠くに行っていない」「犯行からまだ時間が経っていない」ことを示す慣用句だ。

この一行からざわつきが伝わり、それを言えない詠み人のもどかしさも感じられる。詠み人にやましいことがあるならば、自分の犯行が家族にバレた? と不穏な物語を広げることだってできる。

短歌の破壊力が凄い。一行が目に飛び込んでくるから、構える間もなく理解に達し、感性を撃つ。一行の物語に震えて痺れる。

しびれる短歌を、お試しあれ。

書評全文:意味が分かると『しびれる短歌』

 


世界文学の日本代表が夏目漱石ではなく樋口一葉である理由
『「世界文学」はつくられる』

世界文学全集を編むなら、近現代の日本代表は誰になる?

漱石? 春樹? 今なら葉子?

審査は、世界選手権の予選のようになるのだろうか。投票でトーナメントを勝ち抜いて、これぞ日本代表としてエントリーするのだろうか。

スポーツならいざ知らず、残念ながら、文学だと違う。春樹や葉子ならまだしも、漱石は予選落ちである。

なぜか?

『「世界文学」はつくられる』に、その理由がある。近代日本語の礎を築いたことで誉れ高い漱石でも、世界的に見た場合、西洋文学のコピーとして低く評価されているという。日本では有名な漱石も、海外に行くと知名度はうんと下がる。

たとえば、米国の大学生が学ぶ『海外文学アンソロジー』がある。古今東西の古典から近現代の作品を取り上げ、体系的にリベラルアーツを教授するために構成されたアンソロジーだ。日本人作家も多数取り上げられている(カッコ内は近現代の日本人作家の登場回数)。

樋口一葉(7)
川端康成(6)
谷崎潤一郎(4)
与謝野晶子(3)
芥川龍之介(3)
村上春樹(3)
三島由紀夫(2)
大江健三郎(2)

漱石は0である。漱石に限らず、尾崎紅葉や二葉亭四迷など、明治の文豪は軒並み苦戦しており、鷗外はかろうじて1回収録されているのみになる。どうやら米国では、漱石はマイナーどころか無名に近い。

対照的に、樋口一葉は『たけくらべ』『わかれ道』など、数多く収録されている。ノーベル文学賞という理由で川端康成が入るのは分かるが、彼を除くと、ぶっちぎり日本代表と言っていい。

なぜか?

『世界文学アンソロジー』の解説によると、漱石や鷗外といった明治期の文学者について、辛辣な評になる。フローベールやゾラ、ツルゲーネフといった同時代の西洋のリアリストを盲目的に(slavishly)真似た、と斬っている。

一方、一葉は、西洋文学の影響を受けなかったと言われている。一葉自身が英語を解さず、日本独自のリアリズムを発達させたとして、高く評価されているのだ。

それに加え、「世界文学」の扱い方に秘密がある。この言葉が、どのような意図で使用されているかに着目すると、見えてくる。

『海外文学アンソロジー』を用いるのは、北米の大学で教鞭を取る英文科の教員だ。主要顧客である彼らの目的は、自分たちのアメリカ文学が、いかに西洋の歴史と不可分かを教えることになる。

それゆえ、収録される作品は、聖書から始まりホメロス等のギリシャ・ローマの古典、中世、ルネサンス、西洋の有名作品が紹介されてゆく。あたかも世界史の史料を拡張したかのような構成になる。この時点で、かなりのボリュームになる。

これに多様性を加える必要がある。いわゆるカノン(正典)としての世界文学では、「ヨーロッパ」「古典」「白人男性作家」が多数を占める。バランスを取るために、「非ヨーロッパ」「女性作家」「マイノリティ」を選ぶ必要が出てくる(しかも限られたページで)。

こうした、「米国大学の教員にとっての世界文学」という文脈で考えると、樋口一葉がくり返し採択される理由が見えてくる。

まず一葉は、女性作家である。それだけでなく、近代日本(おそらく東アジアでも)最初期の職業的女性作家として挙げられる。次に、作品の短く、紙面が限られたアンソロジーに適しているといえる。

さらに、一葉はフェミニズムの文脈で比較文学させられている。『海外文学アンソロジー』の解説ページでは、一葉の『十三夜』は、スタントン&モットの『感情宣言』と比較して読まされる。

『十三夜』は、子どものために離縁を思いとどまる母を描いた作品で、『感情宣言』は離婚時に母親に親権を与える話だ。両者をフェミニズム的枠組みの中で解釈することが、授業の目的となる。

シェイクスピアやダンテといったヨーロッパ文学の中核ともいうべき男性作家を締め出すことはできない。さらに、ポーやメルヴィルといったアメリカ文学の伝統を作り上げた男性作家も入れなければならない。

その上で、全体の頁数を増やすこともなく、多様性や平等を実現しようとすると、どうしてもどこかで調整が必要となってくる。

世界文学アンソロジーを編むことは、あやういバランスの上になりたっている。日本代表を決めるのは、日本における評価や審査だけでなく、日本を外から眺めるとき、眺めたい方向に沿った形であることも、ポイントとなる。

世界文学(World literature)という言葉は曲者だ。世界陸上とか、ワールドカップといった、グローバルで評価されるニュアンスと、「世界文学全集」という出版物がつくりあげた正統性やカノンといった響きが発動する。

こうしたイメージが、「つくられたもの」であることを、本書は実証的に解き明かす。ゲーテから始まる「世界文学」の歴史を辿りながら、そこに潜むイデオロギーや恣意性を暴いた一冊。

本書は、著者である秋草俊一郎さんのセミナーを受講する上で知った。秋草さん、素晴らしい本にまとめていただき、ありがとうございます。

書評全文:「世界文学」の日本代表が夏目漱石ではなく樋口一葉である理由

 


大ヒットする映画の法則&作り方
『SAVE THE CAT の法則』

大ヒットする映画の法則と、それを適用する方法が書いてある。ベストセラー小説やゲームにおける、物語のベストプラクティスとしても使える。たとえば、

  • どんな映画なのか、一行(ログライン)で言えるか
  • 「マトリックス」と「モンスターズ・インク」は同じ映画
  • 全てのシーンに葛藤が必要な理由
  • 原始人でも分かる、原初的な感情や欲求に立ち戻れ

など、気づきが山のように得られる。目からウロコというよりも、見ていたはずなのに分かっていなかったことが、言語化されている。

映画のシナリオだけでなく、物語づくりの根幹にも届く。その原則はそのまま「人が一番面白いと感じるものは何か」につながる。

それは、「葛藤」だという。

人はもともと、葛藤している人を見るのが好きだという。人間同士の葛藤の最たるもの(殺し合い)を模したものが、レスリングやボクシングになる。

葛藤は、「欲しい」「嫌だ」という方向を持っており、原始的な感情や欲求に裏打ちされている。原始的な欲求とは、「生き残る」「セックスする」「愛する人を守る」「死への恐怖」といった、時代や文化を超えた普遍的なものだ。そうした欲求が阻害されるとき、葛藤が生まれる。

たとえば、「目の前に迫る危険 vs.死ぬのは嫌だ vs. あの人を守りたい」とか、「落ちこぼれの僕だけどあの子と仲良くなりたいのにライバル出現」、あるいは「キライなあいつがなぜか寄ってくる」のように、欲求とそれを阻害するもの、どちらを取るのか、ジレンマといった争いやもつれになる。

乱暴にまとめるなら、人は葛藤を見たいので映画を観る。主人公が葛藤を克服し、欲求を満たすとき、観客は、一番基本的なレベルで共感できる。これが映画の快楽になる。主人公の葛藤をドライブするのがストーリーといえるだろう。

だから主人公は、物語の中で一番葛藤し、最終的に一番大きく変化していなければならないという。シーンをまとめたカードには、必ず何らかの葛藤が入っていなければならない(どんなに出来が良くても、葛藤のないカードは捨てろとまで断言する)。そのために、わざわざ「葛藤」を示す記号まで作っている。それぐらい重要なのだ。

ここ、小説の創作技法と同じだ。カート・ヴォネガットの指南で、「たとえコップ一杯の水でもいいから、どのキャラクターにも何かを欲しがらせること」を耳にしたことがある。何も望まず、嫌わないキャラクターなら、最初から登場しなくても良いということか。

もちろん、こうした原則を守れば大ヒットすることが保証されているわけではない。監督や俳優など、ヒットを左右する様々な要因があるし、シナリオ通りに作られる保証なんてもっとない。

だが、大ヒットした映画のシナリオは、全てこの原則になっている。本書は、ヒット作のシナリオを理解・分解・再構築した、いわゆるリバースエンジニアリングによる指南本なのだ。

本書は長らく積読山に刺さっていたのを、ふろむださんの後押しで読んだ(ありがとうございます!)。映画に限らず、物語を作る&楽しむ上で、非常に役に立つ一冊。

書評全文:ヒットする物語の作り方『SAVE THE CAT の法則』

 


物語に感動するとき、その力はどこから来たのか?
『物語の力』

物語に魅了されるということは、どういうことか。「感動した」「心が震えた」と手垢にまみれた言葉があるが、その心を震わせる力はどこから来たのか? これが本書のテーマになる。

「心を震わせる力=物語の訴求力」として、どのようなときに訴求力が発生するかについて、物語論の研究成果を解説する。本書では詳細に分けているが、ざっくり以下の場合になる。

  • 回復と獲得の物語:自分が直面する問題に対する解決や、到達したいと願うゴールへの筋道が描かれているとき
  • 疎遠と帰属の物語:自分とは異なる価値観が提示され、自分の価値観が揺さぶられるとき

小説や映画における物語は、現代では消費されるものという意味合いが強いが、昔からの神話や民話の役割を担う側面もある。それは、物語を通じた、価値観や規範の伝達だ。

物語では、何か問題を解決したり、何かのゴールへ向かって進む。その背景にあるものは、「これは良くない状況であり、問題である」「これが良い状況であり、望ましいゴールだ」「解決にあたっては、このルール・設定を守るべきだ」といった、良い・悪い・望ましいといった価値基準だ。

そして、物語を聞く人は、物語の背景にある価値や規範を自らのものにし、物語で示されるモデルを模倣しようとする。

たとえば、「自己犠牲は望ましい」という価値基準があり、それが「皆のために戦いに行く物語」になる。この物語に感動した人は、共同体のために自分を犠牲にする行為を価値あるものだと考えるようになる。いざ他部族が攻めてきたとき、立ち向かってゆくだろうし、そのような気にさせる物語が、「良い」物語になる。

では、どうすれば「そのような気」にさせるだろうか?

「回復と獲得の物語」では、「自己効力感」と「ホメオスタシス」で説明する。自己効力感とは「自分にはできると感じる自信」のことで、ホメオスタシスとは、元に戻ろうとする力になる。

つまり、何かのストレスがかかり、マイナスの状況になったとき、「自分にはできる」と信じて手を尽くし、マイナスから回復すると、大きな快を得るというのだ。このときの「自分にはできる」という動機と、マイナスから回復する方法は、強く学習される。

より大きな快を得るためには、マイナスの度合いを大きくすればいい。主人公は、自己効力感を持たせる前に、絶望的な状況に落とせばいいし、ライバルや障壁を設けることで、得られる快もさらに一層強いものになる。

こうした物語の役割は『のだめカンタービレ』『デスノート』『インデペンデンス・デイ』など、具体的な作品を挙げながら解説されている。

また、『君の名は。』のラスト90秒が凄い理由を、視線誘導と感情移入の仕掛けを紐解きながら説明する。全ての仕掛けが分かったうえで、もう一度観ても、やはり感動する。それは、「なぜ人の心は震えるのか?」という謎に対する答えそのものだからだ。

そして、「自分の心がどのように震えたか」が分かれば、「誰かの心をどのように震わせるか」も分かる。読む人・書く人・描く人……物語を紡ぐあらゆる人にお薦め。

書評全文:物語に感動するとき、その力はどこから来たのか?『物語の力』

 


笑いはヒトとしての適応である
『ヒトはなぜ笑うのか』

犬、売ります:なんでも食べます。子どもが好きです。

意味が分かったとき、めっちゃ笑った。誤りに気づいて愕然とする男と、その傍らでシッポ振ってる犬まで目に浮かんで、笑いが止まらなくなった。

ひとしきり笑ったあと、可笑しかった理由を考えても、出てこない。「子どもが好きです」のダブルミーニングは分かるが、それが、どうして「あの」可笑しみを招いたのか、説明するのは難しい。

絶妙なネタが飛び込んできたり、とんでもない大失敗を目の当たりにしたとき、胸の奥・腹の底に、抑えようのない情動が沸き起こってくる。

このユーモアの情動がどのように引き起こされるのか、さらに、それをどうして愉快だと感じ、笑いにつながるのか―――認知科学者(ハーレー)、哲学者(デネット)、心理学者(アダムズ)の3人の共同研究『ヒトはなぜ笑うのか』が、この謎を解き明かす。

本書では、ユーモアの情動が発動するとき、そこに何らかのエラーの発見があることに注目する。私たちは、ある知識や信念に不一致を見出したとき、可笑しみを感じる。私たちは、何かがおかしいと分かったとき、それを可笑しいと感じる。

しかも、不一致であれば必ず可笑しく感じるとは限らない。いったん真だとコミットメントされた要素が偽だと判定されるとき、ユーモアが生じる―――これが「可笑しさ」のメカニズムだという。暗黙裡に当然視していたものが、一気に一挙にひっくり返る発見、これがカタルシスにつながる。

さっきの「犬、売ります」だと、掲示板かSNSのような場所に、犬の買い手を募集していることが分かる。続く「なんでも食べます」は、「(犬は)好き嫌いせず何でも食べる」と整合的に理解される。

そして、「子どもが好きです」が入ってくると、いったんは「子どもに懐きやすい犬」と受け入れられる。だが、その後、「なんでも食べる犬」という全体像と比べると、「好き嫌いせず子どもを食べる犬」と読み取ることができてしまう。

いったん受け入れた「子どもに懐きやすい犬」が偽だと判定されるとき、わたしは、可笑しみを感じる。もちろん、「子どもを食べる犬」というグロテスクな結論は偽なのだが、それも含め、この文章に促された誤読(おかしさ)の発見こそが、愉快なのだ。

この「愉快だ」というユーモア情動には、適応的な働きがあるという。この情動は一種の報酬であり、これを求める動機付けになるというのだ。

たとえば、私たちは果糖がもたらす感覚を「甘い」として心地よく味わう。それは、エネルギーたっぷりであるが故に、グルコースの摂取を求めるよう、「甘さ」が動機づけられている。甘い・美味しいという感覚は、グルコースを摂取した報酬になる。

それと同様に、「可笑しい」という感覚は、今まで当然だと思っていた知識や信念の中にに、首尾よくエラー(おかしさ)を見つけた報酬だという。私たちは、チョコやケーキを求めるように、ジョークやユーモアを求めているのは、こうした理由によるというのだ。

そして、こうした「エラーを見つける」ことを報酬にした理由を、メンタルスペースの概念を用いて明らかにしてゆく……人が「笑い」を手に入れたのは、ヒトとしての適応の結果なのだということが分かってくる。

笑いを探ることでヒトの本質に近づく一冊。

書評全文:適応としての笑い『ヒトはなぜ笑うのか』

 


人生の持ち時間は少ない、やりたいことは全部やろう。
『キミオアライブ』

Kimioa

病院のベッドで、ひたすらノートに書く少年。

大病を患い、未来に絶望しかない状況で、「やりたいこと」を書き続ける。リストには、たくさんの「夢」が並んでいる。

  • リコーダーを吹きたい
  • 風船の中に入ってみたい
  • 部屋中を使ってピタゴラ装置をつくりたい
  • 空を飛びたい ……

ささやかな願いから、とんでもない冒険まで、さまざまな夢がある。

わたしも、自分の夢をリストにしたことがある。行きたいところ、食べたいもの、やりたいことを綴った覚えがある。でもそれだけ。リストを作って「名前を付けて保存」しただけだ。

しかし、少年は違う。名前はキミオ、『キミオアライブ』の主人公だ。

  1. ノートに、やりたいことを書く
  2. 書いたことは、必ず実行する
  3. 実行したら線を引く

キミオは、律儀に、真面目に、一つ一つ、実行していく。

「リコーダーを吹く」は簡単にできるが、ピタゴラ装置はちょっと大変かも。さらに、「空を飛ぶ」のはもっと難しい。飛行機に乗ればいいのか?

キミオは、別の方法で「空を飛びたい」を実現する。

ここが、キミオとわたしの大きな違いだ。

わたしは、「やりたいこと」が浮かんだとき、まず、その「できない理由」を探し始める。お金が無いから、もっと時間があったなら、スキルが足りない、仲間が必要、そもそも法律で許されているの? なんて考えて「いつかやろう」になる。

一方、キミオはこう考える。「もしそれを実現できるなら、どんなやり方がある?」と考える。あるいは、「何が実現されたなら、『できた!』になる?」と考える。そして、できる方法を探し始めるのだ。

この発想力と企画力、そして実行力がすごい。

最初は呆れて馬鹿にしていた周囲の人も、だんだんとキミオに巻き込まれてゆく。

その一方で、キミオ自身も、自分のためだけではなく、仲間と一緒に企画して、知恵を出して実現する喜びを知る。さらに、「あの人の笑顔が見たい」という新たな「やりたいこと」を見出す。

そして、この喜び、楽しさ伝える、動画配信という方法があることを知る。動画配信は、「やりたいことで、生きていく」ための強力な武器になりえる。

後に、チャンネル登録数1000万人を超える youtuber となるのだが、それはまた別のお話らしい……

これ読んでて、2ちゃんねるのこれを思い出した。

  きっとお前は、二十年、せめて十年でいいから、
  戻って人生をやり直したいと思っているのだろう。
  今やり直せよ、未来を。
  十年後か、二十年後か、五十年後から戻ってきたんだよ、今。

本書は、コロナで書店が閉まっていた時期に発売され、全く知らなかった。だが、読書猿さんが呟いてくれたおかげで出会うことができた(ありがとうございます!)

作者は恵口公生さん。連載中に急逝したため、未完となっている。

人生の持ち時間は少ない。やりたいことは、全部やろう。

書評全文:やりたいことは全部やる『キミオアライブ』

 


この本がスゴい!2020ベスト
『独学大全』

独学の達人が書いた独学の百科事典。今年の一番であり、今後も何度も参照し、使っていく、一生モノの一冊。

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見りゃわかるが、はっきりいって鈍器だ。787ページ、1kgを超えている。使い倒してナンボなので、ここでは、本書の使い方を紹介する。

まず、最初に読むところ。

てっとり早く全体を掴みたい、という方のために、p.33~39に「本書の構成と取説」がある。この6ページを読むだけで使い方が分かるのだが、もっと切実な悩みを抱えている方もいるかもしれぬ。

  • どうやって調べればいいか分からない
  • 読むのが苦手
  • すぐ挫折して続かない
  • なんで学ぶのか分からなくなった ……等々

そんな具体的な悩みごとは、巻末の「独学困りごと索引」からダイレクトに引ける。

たとえば、私自身、自分の頭の悪さに腹が立つことがある。いくら読んでも分からなくて、もんもんとするか、開き直って飛ばしていたが、技法15「会読」が良いとある。要するに一冊の本をみんなで読むことだ。ゼミの輪読でおなじみだが、頭のいい人に巡り合える可能性は大いにある。

本書ではさらに踏み込んでくる。解釈が割れているところだったり、決着がつかない議論だったりする可能性もあるという。そこで、「分からないのは自分だけではない」ことを知ることが大事なんだという。

大事なのは「分からない」を自分で抱えるのではなく、表明することで外部に出す。極端な話、「みんな」がいなくったっても、一人でも会読できるとまで言う。一人で読んでレジュメを作り、「分からない」をまとめ、ネットに公開する。

誰か分からないけれど、誰かが見ているかもしれない事実が、継続を支えるという。この動機付けは強力で、「同じ書を読む人は遠くにいる」という言葉で伝えてくれる。わたしがブログを書き続ける理由も、まさにこれ。

この「外部に出す」ことの重要性は、様々な形を変え紹介される。

たとえば、技法13「コミットメントレター」

今週の学習予定を書き出して、家族や友人に渡す。受け取った人がチェックする必要はないが、それだけで強い動機付けになるという。なんならSNSに公開してもいい。自分との約束は破りやすいが、それを見せることで、社会的な縛めにするするというのだ。

あるいは、技法12「ラーニングログ」

何をどれだけ学ぶかの目標を決め、それに向けてどれだけ進んだかを記録する。ページ数や章・節、学習単元という積み重ねを、手帳やクラウド上に、一覧できる形で記録する。そして、記録を見返すことで、目標と現在位置を把握せよというのだ。

なぜ外部に出すのか? それは、人は弱いからだ。

人間は弱い。すぐ三日坊主になる。「やらない理由」を見つけ出すのが上手い。他の方法に目移りする。おそらく、読書猿さん自身が、自分の意志の弱さを思い知り、それを何とかするために足掻いてきたのだろう(生々しい記録が載っている)。

やろうとしていること、やってきたことを外に出す。「自分との約束」を誰かの視線にさらすことで、自分を律する。

この、コミットメントレターとラーニングログは、実践している。本書で紹介されている、『MD現代文・小論文』を毎日読み、進行状況を記録し、twitterで公開している。ラーニングログの場所は、ここだ。

わたしが実践しているのは2つだけだが、学ぶことを習慣化する仕掛けが、それこそ山ほどある。

不思議なことに、良い方法(ライフハック、アイデア、仕事術)を知ったとしても、実際に実行する人は 1% に満たない。そして、続ける人はもっと少ない。

だから、やろう。大丈夫、三日坊主や挫折しがちな人(=わたし)のために、沢山の手だてがある(技法9,10,11,12,13,14,55 あたりがお薦め)。

「学びたい」を抱えるあらゆる人の座右の書となる一冊。読書猿さん、素晴らしい本を書いていただき、ありがとうございます!

書評全文:『独学大全』はこう使う

 


スゴ本2021

時が速い。特に今年は、時間の流れが早すぎる。

わたしがトシとったからとも言えるし、世界の変化が大きすぎて、わたしが追い付けていないからなのかもしれぬ。

図書館の本を自分のものだと妄想するエア積読もさることながら、、Kindleのせいでクラウド積読が大変なことになっている。

冬木糸一さん猛プッシュで『HUNTER×HUNTER』は追い付いたけど、『バクマン』はジワジワ読んでる。R.R.マーティン『氷と炎の歌』はドラマと平行して進めているため、めちゃめちゃ濃密な読書になっている。これを超えたら、シュオッブかプルーストやな。

エリアーデ『世界宗教史』、大江一道『世界近現代全史』もガッツリ読みたいし、上原亮『実在論と知識の自然化』も読みたい! Bateson “Steps to an Ecology of Mind” とHossenfelder ”Lost in Math” がサクサク読めないので、回り道ながらAnkiと北村一真『英文解体新書』をやっている(これは読書猿さんのお薦め……超難しいぜ)。

「面白いとは何か」についても深めたい。「人はどういうときに面白いと感じるのか」というテーマで、認知科学における情動の研究や、進化心理学の適応の観点から、実際の文学や映画、絵画のテクニックや歴史を分析する。そうした分野を掘り下げていきたい(有斐閣アルマ『認知心理学』、東京大学出版会『進化心理学を学びたいあなたへ』あたりから探すつもり)。

「科学の限界」を描写する方法を考えたい。科学的発見の範囲は、その時代のテクノロジーの限界に依拠している(冥王星の写真の変遷が象徴的だ)。また、科学的知見の限界は、人の認識の限界に依拠している(これ以上分けられない概念としての”アトム”の内側に、量子力学の世界が内包されていた事実が象徴的だ)。これらを踏まえて、人の認知の限界から科学の限界を描画できないか、調べたい(『実在論と知識の自然化』から手を付ける)。

リアルな読書会ができない分、このブログやtwitter「ネオ高等遊民読書会」「面白文章力クラブ」で読書談義に耽るつもり。

これだけスピードが早くなると、人生の持ち時間は、加速的に少なくなる。やりたいことは、全部やるし、読みたい本は全部読む。「あとで読む」は後で読まない。「あとで読む」は後で読まない。いま読む、たとえ一頁でも一行でも。

これからも、これは! というものを発信していくつもりだ。そして、これ見たあなたが「それが良いならコレなんてどう?」なんてお薦めがあれば、ぜひ教えて欲しい。それはきっと、わたしのアンテナでは届かない、素晴らしい本に違いない。

なぜなら、わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるのだから。

 

 

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コメント

私にとっても、今年は『独学大全』がスゴ本でした。
※紙のプレッシャーにスゴ味があるのでちびちび読んでいますw

コミックは、『望郷太郎』に巡り会えたのが収穫でした。

投稿: ずんだもち | 2020.12.01 00:57

>>ずんだもちさん

ですよね! 『独学大全』をスゴ本と呼ばずして何がスゴ本になるのかーというやつ。『望郷太郎』は第一話しか読んでいなかったのですが、もう3巻まで出ているとは! 気になります。

投稿: Dain | 2020.12.01 08:17

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