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適応としての笑い『ヒトはなぜ笑うのか』

  犬、売ります:なんでも食べます。子どもが好きです。

意味が分かったとき、めっちゃ笑った。誤りに気づいて愕然とする男と、その傍らでシッポ振ってる犬まで目に浮かんで、笑いが止まらなくなった。同時に、男が殺人鬼だったパターンも浮かんで、自分のブラックジョークに、息が止まるほど笑った。

ひとしきり笑ったあと、可笑しかった理由を考えても、出てこない。「子どもが好きです」のダブルミーニングは分かるが、それが、どうして狂おしいほどの可笑しみを招いたのか、説明するのは難しい。

絶妙なネタが飛び込んできたり、とんでもない大失敗を目の当たりにしたとき、胸の奥・腹の底に、抑えようのない情動が沸き起こってくる。

このユーモアの情動がどのように引き起こされるのか、さらに、それをどうして愉快だと感じ、笑いにつながるのか―――認知科学者(ハーレー)、哲学者(デネット)、心理学者(アダムズ)の3人の共同研究『ヒトはなぜ笑うのか』が、この謎を解き明かす。

「可笑しさ」のメカニズム

本書では、ユーモアの情動が発動するとき、そこに何らかのエラーの発見があることに注目する。私たちは、ある知識や信念に不一致を見出したとき、可笑しみを感じる。私たちは、何かがおかしいと分かったとき、それを可笑しいと感じる

しかも、不一致であれば必ず可笑しく感じるとは限らない。いったん真だとコミットメントされた要素が偽だと判定されるとき、ユーモアが生じる―――これが「可笑しさ」のメカニズムだという。暗黙裡に当然視していたものが、一気に一挙にひっくり返る発見、これがカタルシスにつながる。

さっきの「犬、売ります」だと、掲示板かSNSのような場所に、犬の買い手を募集していることが分かる。続く「なんでも食べます」は、「(犬は)好き嫌いせず何でも食べる」と整合的に理解される。

そして、「子どもが好きです」が入ってくると、いったんは「子どもに懐きやすい犬」と受け入れられる。だが、その後、「なんでも食べる犬」という全体像と比べると、「好き嫌いせず子どもを食べる犬」と読み取ることができてしまう。

いったん受け入れた「子どもに懐きやすい犬」が偽だと判定されるとき、わたしは、可笑しみを感じる。もちろん、「子どもを食べる犬」というグロテスクな結論は偽なのだが、それも含め、この文章に促された誤読(おかしさ)の発見こそが、愉快なのだ。

ユーモアは適応である

この「愉快だ」というユーモア情動には、適応的な働きがあるという。この情動は一種の報酬であり、これを求める動機付けになるというのだ。

たとえば、私たちは果糖がもたらす感覚を「甘い」として心地よく味わう。それは、エネルギーたっぷりであるが故に、グルコースの摂取を求めるよう、「甘さ」が動機づけられている。甘い・美味しいという感覚は、グルコースを摂取した報酬になる。

それと同様に、「可笑しい」という感覚は、今まで当然だと思っていた知識や信念の中にに、首尾よくエラー(おかしさ)を見つけた報酬だという。私たちは、チョコやケーキを求めるように、ジョークやユーモアを求めているのは、こうした理由によるというのだ。

ユーモアの報酬システム

本書では、このユーモアの報酬システムを、「メンタルスペース」を用いて説明する。

頭の中で活性化する概念や記憶、耳や目などから入ってくる情報や感覚などは、粒度も精度も種々雑多だ。だから、トピックごとに一定のまとまりを持って、ワーキング領域を割り当て、その中で理解しようとする(この概念的な領域のことを、メンタルスペースと呼ぶ)。

時間に追われながら、リアルタイムでヒューリスティックな検索をしている脳が、入ってくる言葉や概念を完璧にチェックできるわけではない。だからこそ、エラー発見に報酬を与えるのだ。本書の p.37 にこうある(太字化は私)。

検証されないままであれば、メンタルスペースで生じるエラーは、最終的には世界に関するぼくらの知識を汚染し続けることになる。そのため、信念と推量の候補たちを再点検する方策が欠かせない。エラーを猛スピードで発見・解消する作業は、強力な報酬システムにより維持されねばならない

この強力な報酬システムこそが、ユーモアの情動となる。ユーモアの情動とは、メンタルスペースをひっくり返すぐらいの「おかしさ」を発見した「可笑しみ」というご褒美なのである。

適応としての「笑い」

では、愉快なとき、なぜ笑うことがあるのか。

愉快な情動に身を任せて爆笑し、身体を揺すって大声で笑うのはなぜか。単に愉快なら、「甘い」という感覚と同じように、黙って味わえばよいではないか。笑う発声や身振りは、どこから来たのか。

この「笑い」は一つであるが、そこへ至るまでは複数の要因があるとする。本書では、笑う発声や身振りについては、「誤情報だった」というシグナルの適応だ主張している。

つまりこうだ、「敵が近づく音がした!(緊張)→物音は間違いだった(緩和)」から生じるときの声や動作が始まりだという。「安心しろ、ヤバいのはいねぇよ」という合図が、後の私たちにとっての笑い声になるのだ。

そして、「誤情報だ、警戒を解け」というシグナルのレパートリーを持っている者たちにとっての適応度を強化した、と述べている。仲間が笑っていると、つられて笑ってしまう(笑いの伝染)のは、こうした理由で説明することができる。

たしかに私は、「心配いらないよ」という時でも「安心したよ」という時でも笑うし、一緒に笑うことに、人の繋がりを感じる。『新世紀エヴァンゲリオン』の第6話の、この言葉を思い出す。

「ごめんなさい。こういうときどんな顔すればいいかわからないの」

「笑えばいいと思うよ」

人間だけが笑う

「おかしい」を発見すると「可笑しい」と感じるユーモアの報酬システムや、「安心しろ」「愉快だな」という連帯を伝える笑いの適応を見てきたが、本書には、古今東西の賢人たちのアプローチが紹介されている。

面白いのは、「笑い」について調べれば調べるほどに、人間とは何か、知性とは何かといった問題に向き合うことになる。アリストテレスの「動物のなかで人間だけが笑う」理由にも答えることになるのだ。

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