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皮肉が分かる人・分からない人『アイロニーはなぜ伝わるのか?』

Irony

せっかくの休日。ゆっくりしたいのに、「ほら、お出かけ日和だよ!」と友人にピクニックに連れ出される。みるみるうちに曇ってきて、どしゃ降りになる。びしょ濡れでになりながら友人に、「ほんと、お出かけ日和だね!」と叫ぶ。

晴天を期待してピクニックに行ったのに、どしゃ降りの大雨という現実に見舞われる。この期待と現実の違いを際立たせるために、「お出かけ日和」なんて逆を言う。これがアイロニーだ。

アイロニーとは何か

この「期待」と「現実」を巧みに対比させ、あてこする構造から、アイロニーを解き明かしたのが『アイロニーはなぜ伝わるのか?』だ。

紹介される豊富な例を聞いていると、語られている言葉とは違う意味(意図)が飛び交っていることが分かる。「お出かけ日和」は分かりやすいが、小説やシナリオでは、かなり高度な「意図のやりとり」をしている。

これ、流行の機械学習では解析できないだろう。自然言語を形式的に解析して真偽や条件といった「意味」に置き換えるのではなく、その発話がどんな「意図」を含んでいるかを、会話の状況や話の流れから、構造的に汲み取るプロセスが必要だから。

これ、人間同士であっても難しい。アイロニーが洗練されるほど、その発話がどういう話の流れでなされているかが焦点になってくるから。気づかない人ならば、それがアイロニカルな文脈で語られているということすら分からないかもしれぬ。

反復によるアイロニー

たとえば、本書で紹介されているアントニーの演説だ。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』からの引用だ。

その前に、野暮を承知で、この演説がなされている状況を説明させてもらう。

<状況>ローマ市民に人気のあるジュリアス・シーザー。その人気に不満を覚えるブルータスが暗殺を企み、シーザーを殺してしまう。シーザーの友人であったアントニーは、追悼の弁を表したい申し出る。そして、「暗殺を非難しない」という条件で、演説は許可されるのだが……

ここに私は、ブルータス、その他の諸君の許しをえて――
と言うのも、ブルータスは公明正大な人物であり
その他の諸君も公明正大の士であればこそだが――
こうしてシーザー追悼の辞をのべることになった。

シーザーは私にとって誠実公正な友人であった、
だがブルータスは彼が野心を抱いていたと言う、
そしてそのブルータスは公明正大な人物だ

シーザーは多くの捕虜をローマに連れ帰った、
その身代金はことごとく国庫に収められた、
このようなシーザーに野心の影が見えたろうか?
貧しいものが飢えに泣くときシーザーも涙を流した、
野心とはもっと冷酷なものでできているはずだ、
だがブルータスは彼が野心を抱いていたと言う、
そしてそのブルータスは公明正大な人物だ

諸君はみな、ルペルクスの祭日に目撃したろう、
私はシーザーに三たび王冠を献げた、それを
シーザーは三たび拒絶した。これが野心か?
だがブルータスは彼が野心を抱いていたと言う、
そして、もちろん、ブルータスは公明正大な人物だ

もちろんアントニーは、暗殺を非難することなく、シーザーに追悼の辞を捧げている。シーザーが残した功績や、野心なんて無いことが具体的に挙げられる一方で、「ブルータスは公明正大な人物だ」という言葉だけが繰り返される。

空虚な言葉を繰り返すことで、期待される「公明正大な人物であるブルータス像」に疑義が生じ、現実はそうではないことに、ローマ市民に気づいてもらう。アントニーの意図は恐ろしいほど伝わり、ローマを揺るがす大逆転が始まるのだが、それはまた別のお話。

前段の<状況>がないと、なぜ「ブルータスは公明正大」とわざわざ付け足すのだろう? ほめ殺し? という疑問で終わってしまうかもしれぬ。アントニーの演説の「意味」を知るのは難しくはないが、彼が伝えたい「意図」を汲むには、発話が置かれている状況が必要なのだ。

アイロニーが伝わらないアイロニー

そして、こうした状況が共有されていない場合、アイロニーが伝わらないというメタ・アイロニカルな話になる。

本書には無いが、次の発言なんて、わたしにとって、大変アイロニカルに聞こえる。だが、状況が共有されていないと、全く伝わらない。

ファクトに目を向けよう。
極度の貧困に暮らす人は、確実に減少している。
飢えた人々は、少なくなっている。
世の中は、良くなっているのだ。

これも、野暮を承知で説明する。

極度の貧困に暮らす人―――たとえば、戦争や災害で故郷を失い、難民キャンプで暮らしていた、餓死寸前の人たちだ。飢えた人たちはどうなったか? 死んだのだ。飢え死ぬ人は死んだからこそ、飢える人は居なくなった。生存バイアスを脇に置き、選択されたファクトでもって声高に語られれば語られるほど、その意図しないアイロニーに項垂れる他ない。

もっと分かりやすい例は、本書に出てくる。1970年ロンドン救済基金のポスターの標語だ。皮肉が効きすぎて刺さるぐらい。

飢えた人々のことは無視しよう、
そうすれば、そのうちいなくなるから。

おそらく、これでも気づかない人は気づけないだろう。だが、この意図に気づいた人は、自分の裡に価値の逆転が生じていることに気づき、次にどんな行動に移すべきか、言われるもなく分かるだろう(それこそが、ポスターの目的なのだ)。

本書の結論で、アイロニーとは、「期待」と「現実」の極小の虚構世界における、一種の「ごっこ遊び」と語られる。この「ごっこ遊び」を通じて意図が伝わるとき、価値観が裏返るような感覚が生じる。

小さいクスッと笑えるものから、世界を反転させるものまで、アイロニーが伝わる瞬間を楽しむ一冊。

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コメント

はじめまして

いつも本を読む際の参考にさせてもらってます!
『アイロニーはなぜ伝わるのか?』
もすごく読みたくなりましたが
それ以上に『ジュリアス・シーザー』が読みたくなりました!

ありがとうございます

投稿: ごろう | 2020.03.04 22:09

>>ごろうさん

コメントありがとうございます! アントニーの演説を聞いているときの自分の反応が、そのままローマの聴衆たちの反応とシンクロしていくのが楽しかったです。シェイクスピアの煽り芸すごいです。

投稿: Dain | 2020.03.07 00:56

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