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致死性ウイルス感染症が日常を浸食するプロセスを描いたSF

もし、致死性ウイルス感染症の封じ込めに失敗し、パンデミックになるとしたら、それはどのようなプロセスをたどり、わたしたちの日常生活に、どう見えるのか?

テレビやネットの情報は、日常の観点が少ない。

せいぜい、手洗いうがいの励行を促されるぐらい。緊迫した現場や、人種差別的な言動を目にして、不安だけは募るのに、この事態が進行していくと、わたしの日常をどうなっていくのか、想像するのが難しい。

では、最悪の場合、わたしたちの日常は、どうなっていくのか?

最悪が浸食する日常『復活の日』(小松左京)

小松左京『復活の日』が、参考になる。

生物兵器として開発されたMM-88ウィルスを搭載した小型機が、冬のアルプス山中に墜落する。やがて春を迎え、ウィルスは爆発的な勢いで世界各地を襲い始める。未知の致死性ウイルスに、人類はなすすべもなく倒れてゆく―――というお話だ。

小松左京は、日常が浸食されてゆくプロセスを描くのが非常に上手い。膨大なデータを元に、生々しく再現してみせる。

MM-88ウィルスの第一波は、かぜのような症状で、罹る人も少なく、じきに治まってしまう。だが、日を置かずに心臓発作で突然死する。人々は、映画俳優が事故死したニュースに触れたり、身近な人が突然死することに驚き、「ポックリ病」と名づける。

次は、循環器や呼吸器系にダメージを与える。感染後数日で高熱、咳、くしゃみ、関節痛の症状が出て、インフルエンザだと診断される。人々は、「チベットかぜ」と呼び、ワクチンを打ってもらうのだが、効かない。

「かぜにより」大相撲春場所が欠場となり、国会を開催する人数に満たなくなる。プロ野球の人数がそろわず、ゲームが成り立たなくなるニュースが相次ぐ。この頃に人々は気づく、電車が空いていることに(”国電”という表現に時代を感じる)。通勤ラッシュがなくなり、平日朝から山手線に座れるようになる。

冬が去り、春になれば、着ぶくれした人がいなくなり、電車は空くようになる。だが、この電車は空き過ぎている。時折、激しくせき込む人がいて、マスクをした人々は互いに身をすくめる。

不安に駆られて病院に行くが、どこも満杯だ。手当たり次第に電話をかけてもどこも話し中だ。とんでもなく遠い病院につながるが、出てきた声はつっけんどんに、「うちはやってません、先生が今朝亡くなりましたので。ええ、ポックリ病で」と答え、ガチャンと切られる……

もちろん、これは昔のSFだ。ウイルスが人から人へ感染していくうちに、世代を経て毒性が何十倍も激烈化したり、ウイルスを特定しようとすると別の様相に変化してしまうなど、現実的ではない側面もある。

しかし、そこには壊れてゆく日常が、きちんと描かれている。わたしたちが「普通」だと思える世界が、少しずつ蝕まれてゆき、異常に変化する。新聞やテレビで見る「あっちがわの異常」が、「いま・ここ」と地続きなことを思い知らされる。

閾値を超えるときの光景『天冥の標(救世群編)』(小川一水)

ある閾値を超えると、病院で収容できなくなった人々が溢れ、感染者・感染疑いに限らず、必要な処置を受けることができなくなる。そうなるために政府は手を打たなければならない。

中国では、わずか10日の突貫工事で巨大病院を建設したことがニュースになっている。

だが、臨時医療施設でも対応しきれないほどの人が発症した場合、どうなるか?

『天冥の標』の第2巻、「救世群編」が参考になる。

南海の孤島から始まった謎の疫病が文明を覆っていく過程を、ある日本人医師の視点から克明に描いた傑作だ。感染すると、肌が赤く爛れ、目の周りに黒斑が出るようになる。致死率は非常に高く、その特徴的な黒斑から、冥王斑と呼ばれるようになる。

伝染性が高く、患者の増加スピードと、隔離施設が追い付かないようになる。たとえ対症的であっても、何らかの処置は求められるし、医療従事者の目の届く所で一か所に集める必要がある。

反面、感染している人と、感染疑いがある人が数多く混在し、病院のような1つの場所で判別しようとすると、ウイルスを広めてしまう危険性がある。さらに、建設に従事する人が感染しはじめており、病院を建てているヒマはない。

ではどうするか? 政府は合理的な手段を取る。

感染者・感染疑いが多く集まっているのは、都市部だ。そうした人々を選別できる広い場所を確保し、その場所全体を検疫エリアとする。検疫エリアには治療用のテントを設営し、感染した人のレベルに応じて対症療法を行う。

その場所が、新宿御苑だ。大勢の老若男女が初詣の朝のように詰めかけているが、雰囲気はまったく異なる。問診、保険証、鼻腔粘膜採取と診断され、陽性と出た人はバスで国立競技場に運ばれる。そこで感染からの経過によってエリアが分けられ、感染経路や家族の有無が問診される。

感染初期のテントは騒がしい。絶望のあまり、逃亡者や自殺者が出るが、男性看護師と警官が何百人と待機しており、鎮静させる。感染より7日経過したテントでは……と続く。大勢の人を選別し、感染者に迅速な措置を施すためには、広くて分離できる場所―――スタジアム―――が有効だ(表紙参照)。

最悪シミュレーターとしてのSF

もちろん、こんな日常はありえない。荒唐無稽のお話だ。MM-88や冥王斑は、生化学的にはありえない振る舞いをするウイルスだろう。

では、実際に起きた歴史を振り返ると、どうだろう。1918年から翌年にかけて大流行したインフルエンザ「スペインかぜ」があった。だが、この出来事を現代のわたしの日常に当てはめるのは難しい。

あるいは、2003年に中国広東省からSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行したが、原因の新型コロナウイルスは、わたしの生活圏にまで到達しなかった。どちらもあったことだが、日常がどう変わるか未知数だ。

だが、ありえない災厄が起きる時、日常がどのように浸食され、どんな異様な光景を見ることになるかは、SF作品からよく見える。言い換えるなら、いま目に映る光景がどれほど壊れているかを知りたいとき、そのバロメーターになるのが小説だ(冥王斑の物語は、人類がいかに差別的になれるかの、最悪の見本になる)。

科学は、そのウイルスがどんな振る舞いをするか、ある程度述べることができる。だが、それが社会や日常に、どのようなインパクトを与えるかは、政治経済や社会心理など、様々な要素が影響する。最悪シミュレーターとして、こうした架空の小説が助けになる。

ただし、事実は、しばしば小説を超えてしまうのだが。

Pandemi

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