« 2020年1月 | トップページ

『わたしが知らないスゴ本は、 きっとあなたが読んでいる』という本を書いた

心を揺さぶり、頭にガツンと食らわせ、世界の解像度を上げる本は、確かにある。

読前と読後で自分を一変させる、すごい本(スゴ本)だ。本から得られた知は、行動を変え、習慣を変え、人生を変える。これホント、なぜならわたしの身に起きたことだから。そんな「人生を変える運命の一冊」は、実は何冊もある。

このブログは、そうした本を中心に紹介してきた。これに加え、どのように探し、どう読み、何を得て、どんな行動につなげたかを本にした。タイトルはブログと同じ、『わたしが知らないスゴ本は、 きっとあなたが読んでいる』だ。

ここには、あなたにとっての「運命の一冊」を見つける方法を書いた。あなただけのスゴ本と出会うパーフェクトガイドだ。3行でまとめると、こんな感じ。

  • 本を探すのではなく、人を探す方法
  • お財布に優しく(ここ重要)、スゴ本に出会い、見合い、結婚する方法
  • (良書なのは分かってるのに、なかなか読めない)運命の一冊をモノにする方法

自分のアンテナには限界がある。自分のアンテナ「だけ」を信じ、壁を築き穴を掘った奥で王様を気取る。そんな自分の限界に気づき、抜け出るためのやり方も書いた。自分に囚われた読書から自由になる方法だ。

付録もある。脳天を一撃する斧となるような劇薬小説やトラウマンガ(トラウマになるマンガ)を24冊紹介している。

読書は毒書だ。「危険な読書」といえば、BRUTUSが特集しているが、ヌルい。本当に危険な読書とは何かをお見せしよう。読み終えたら、吐き気や悪寒とともに、「私は生きてる! これが本でよかった」と強く感じること請け合う。

もっとスゴいのをご存じなら、ぜひ教えていただきたい。劇薬本に限らず、『スゴ本』の本や、このブログで紹介する本を聞いた上で、「それがスゴいなら、これは?」と言いたくなる作品だ。それは、あなただけが知っている。

なぜなら、わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるのだから。

Sugohon

 

Amazonは、[ここ]をどうぞ。技術評論社は、[ここ]をどうぞ。公開時点(2002/02/22)で Kindle 版は無いけれど、出しますぞい。

 

第1章 本を探すな、人を探せ

 

運命の一冊を読んだ人を探す

  • 書店は「人を探す場」である
  • 「好き」があなたと重なる「人」こそが、あなたの知らないスゴ本を読んでいる
  • いい作家は、いい本を読んでいる
  • 雑誌の本の特集を押さえる
  • あなたが知らないスゴ本を読んでる「人」はネットにいる
  • 本を読まない人が買う「ベストセラー」を利用する
  • 読書会で「人」を探す
  • スゴ本オフで「人」を探す
  • グループ・ブック・ハンティングのすすめ
  • 探した人を追いかける

アウトプットすると人が見つかる

  • 「自分」の範囲なんてたかが知れているし、世界はもっと広くて深い
  • 単なる「よかった」は、何も言ってないに等しい

 

第2章 運命の一冊は、図書館にある

 

本屋は出会い系、図書館は見合い系

  • 書店に行く前に、気になる本をまとめて一手に取れる場所に行こう
  • 「あとで読む」は、あとで読まない
  • 直感は裏切ることがあるけれど、違和感は裏切らない
  • 運命の一冊は、千冊に一冊

図書館を使い倒す

  • 図書館に行こう、書棚を徘徊しよう
  • カウンターまわりをチェックしよう
  • 背表紙が斜めに歪んでいるのが「おもしろい本」
  • とにかく借りる、本に部屋の空気を吸わせる
  • 知りたいことを調べてもらう
  • コラム 「ネットで検索すれば」「本屋で探せば」では足りない
  • 積極的に自分を放置しよう
  • 図書館を身体化する

本は「買う」ものか

  • 「身銭を切ってこそ、本の目利きができる」の落とし穴
  • 「買っただけで満足した本の山」に埋もれて自己満足に浸っていないか?
  • 「本を手にして読む」というコストを支払うことを厭わない
  • 五万円の本を五千円で手に入れる方法
  • 本棚を無限にする方法

 

第3章 スゴ本を読むために

 

『本を読む本』で『本を読む本』を読む

  • 読書術は盗むもの
  • 「決まった読みかた」なんてない、けれど「うまい読みかた」はある
  • 分析読書とシントピカル読書
  • 『本を読む本』を批評する
  • 『本を読む本』に致命的に足りないもの
  • 「読む」ためには「読まない」選択肢が必要

遅い読書

  • 速読ができる人は遅読もできるが、逆は不可
  • 書き手の意図に沿うためにも、一定のリズムで読み進める
  • 再読・精読すべき一冊にたどり着くには、どうしても数が必要

速い読書

  • それは「読書」ではなく「見書」では?
  • 「あたり」を得るためには見書も有効

本を読まずに文学する「遠読」

  • 精読の限界を超えるには
  • 本はあらゆる関係性の結び目としてなりたつ

プロフェッショナルの読みかた『ナボコフのドン・キホーテ講義』

  • 「大ボリュームの古典を読み通すオレ様」までもこき下ろされる
  • 「現実らしさ」「物語らしさ」とはなにか

『読んでいない本について堂々と語る方法』そのものに隠された罠

  • 本書の「上っ面」
  • 本書の「裏面」と、トラップ
  • 読書とは何か――読書論
  • 読者とは何か――読者論
  • 書物とは何か――書物論
  • 最大のトラップ
  • もっと気楽に「読む」?

「なぜ小説を読むのか」を考えると、もっと小説がおもしろくなる

  • 一回一回の読みは、読み手の技量と創造性に対する挑戦『小説のストラテジー』
  • 鼻につくが、身にもつく小説の読み方指南『フランケンシュタイン』×『批評理論入門』
  • 小説家のバイブルは、読者のバイブルにもなる『小説の技巧』

だれかの読み方をマネする

  • 読み巧者を探す『半歩遅れの読書術』
  • 「読書はつねに編集的な行為だ」松岡正剛の読書術
  • すぐ効く本は、すぐ効かなくなる
  • 「棚差し」を見る技術
  • マーキング読書法
  • 「本は味わうものではなく、そこから情報を摂取するもの」立花隆の読書術
  • 読書は「競争」か?『つながる読書術』

「なぜ読むか」「読むとは何か」を考える

  • 「読むとは何か」への歴史視点『読書の文化史』
  • 同じ本を二度読むことはできない『読書礼讃』
  • 「そのときの自分を変えるような本」こそ読むべき『読書の歴史』
  • 『それでも、読書をやめない理由』は、世界に情報が溢れているから
  • 電子化できない読書体験とは『本から引き出された本』
  • いきなり古典に行く前に

 

第4章 書き方から学ぶ

 

文章読本・虎の巻

  • 人を説得するために、いかに書けばいいか『レトリックのすすめ』
  • マスターしたい12の文彩
  • 文字数よりもリズムが重要
  • レトリック読書案内
  • 事実と意見は分けて書け『理科系の作文技術』

おもしろい作品の「おもしろさ」はどこから来るのか

  • おもしろい漫画には「構造」がある『マンガの創り方』
  • 「書く技術」に精通すると、「読む技術」が上達する『小説作法ABC』
  • 解体することで、どのように物語られているかを理解する『キャラクター小説の作り方』

名文で言葉の「型」を練習する

  • ハート抉る寸鉄の蔵出し『名文どろぼう』
  • 一度読んだら、一生忘れられない言葉たち『すごい言葉』
  • 聞いた瞬間、心に届く名コピー集『胸からジャック』
  • スーパードライな箴言集『心にトゲ刺す200の花束』
  • 型を破るために、型を身に付けろ『ポケットに名言を』

 

第5章 よい本は、人生をよくする

 

人生を破壊する「怒り」から自由になる

  • 問題を抱えていると、本に呼ばれる
  • 怒りの本質を知る『怒らないこと』
  • 怒りの根っこには、「私が正しい」という思いが存在する
  • 怒りを「観る」
  • 『怒らないこと』を繰り返し実践する『怒らない練習』
  • 「怒り」は人類共通の悩み
  • 「怒り」を延期させる方法
  • 「私は何も間違ったことをしていない」という人のために
  • 読書で人生は変わる

子どもに「死」と「セックス」を教える

  • 「死とは何か」を教える『死を食べる』
  • 「死とどう向かい合うか」を伝える二冊
  • 「生」と「死」の漢字から学ぶ
  • 「セックスとは何か」を教える『ぼくどこからきたの?』

子育てはマニュアルに頼れ

  • 子育ての目的は「子どもを大人にすること」
  • 良い育児書、悪い育児書を見分ける方法
  • 子どもに幸せをどうやって教えるか『子どもへのまなざし』
  • 比較対象は「昔のわが子」であり、ほかの子ではない
  • 親のいうことは聞かないが、親のすることはマネをする『子どもを追いつめるお母さんの口癖』「なんでそんなことしたの?」ではなく「本当は、どうしたかったの?」『女の子が幸せになる子育て』

生きるとは食べること

  • ヒトは料理で進化した『火の賜物』
  • 人は脳で食べている『味わいの認知科学』
  • 料理の常識を変える『料理と科学のおいしい出会い』
  • 「おいしい」はだませる『食品偽装の歴史』
  •  真剣に食べる=真剣に生きる

「正しい死に方」を考える

  • ピンピンコロリ=「良い死」?
  • 「良い死」「悪い死」とは『現代の死に方』
  • 医者は、自分に対してやってほしくない医療を、患者に対しておこなっている
  • 「寝たきり老人」が日本にはいて、欧米にはいない理由『欧米に寝たきり老人はいない』
  • ポルスト(POLST)というデスハッキング
  • 先生ご自身がこうなられたら、どういう処置を望みますか0『医者には絶対書けない幸せな死に方』
  • 生き地獄ならぬ長生き地獄『死ねない老人』
  • 「安楽死」の値段『安楽死・尊厳死の現在』
  • 「死ぬ義務」が発生する恐れ
  • 死をハッピーエンドにするために

二〇年前の自分に読ませたい珠玉の一二冊

  • 辛いときに寄り添ってくれる『なぜ私だけが苦しむのか』
  • 人類の叡智を結集した一生モノ『アイデア大全』
  • あらゆる問題は既に検討されている『問題解決大全』
  • 親になったら絶対に読みたい『子どもへのまなざし』
  • 自分に嘘を吐くのをやめる『自分の小さな「箱」から脱出する方法』
  • 世の中の仕掛けを知る『プロパガンダ』
  • 料理は自由であることを教えてくれるバイブル『檀流クッキング』
  • 自分の人生を殖やす『ストーナー』
  • 「世界をつかむ」喜びを味わう『銃・病原菌・鉄』
  • 人生の手遅れ感の予行演習『タタール人の砂漠』
  • 結婚が捗る『アンナ・カレーニナ』
  • 最高峰の小説で、濃厚かつ強烈な体験を味わう『カラマーゾフの兄弟』

 

特別付録 禁断の劇薬小説

 

LEVEL 1

  トルストイ 『イワン・イリイチの死』など11冊

LEVEL 2

  ケッチャム 『隣の家の少女』など7冊

LEVEL 3

  サド 『ジェローム神父』など6冊

 

| | コメント (2)

女性の声を奪う力と、それに抗う力『舌を抜かれる女たち』

Sitawo

表紙はピカソ、「ピロメラを犯すテレウス」だ。テレウスは、義理の妹のピロメラを人気のない場所へ連れ込み、レイプする。終わった後、ピロメラは、テレウスに告げる。

「もう恥じてなどいない、私はこのことを広言する。機会があれば、人前で誰にでも言うつもりです。天もそれを聞くでしょう、もし天に神がおいでなら神も私の言うことを聞かれるでしょう」

告発を恐れたテレウスは、ピロメラの舌を切り、置き去りにする。オウィディウスの『変身物語』の一幕だ[wikipedia:ピロメーラー]。このように、女を黙らせ、女の言葉を軽んじ、権力から遠ざけようとする動きは、古来からあったという。そのメカニズムを告発したのが、『舌を抜かれる女たち』になる。

著者はケンブリッジ大教授のメアリー・ビアード、元は講演録で、昨今の MeToo 運動を受けて大幅に加筆したもの。古代ギリシャ・ローマからの文芸や美術をひも解きながら、女性の声を奪い、発言力のある女性を貶める伝統を炙り出す。

その伝統は、現代社会にも地続きになっている。

女性の声の力を奪う

たとえば、次の文章は、どちらの性を非難しているか、明らかだという。

  • キーキーうるさい
  • めそめそ泣き言をいっている
  • ぐずぐず愚痴をこぼす

一般に女性は、男性を比べ、声域が高い。その高い声が感情的に聞こえるため、演説に向かないとされてきた。

しかし、そう考えさせるまさにその背景に、女性を権力から遠ざけようとする動きがあったという。著者は、古典文学を参照しながら、低い声の威厳を強調したり、甲高い声の臆病さを繰り返すことで、公の場での女性の発言を封じてきたというのだ。

最近読んだ『アレクサンドロスとオリュンピアス』にも、同様の発言があった。アレクサンドロス大王の母・オリュンピアスについてだ。

彼女と敵対していたアンティパトロスが死に際に、「女には決して王国を支配させてはならぬ」と述べたという。政敵を攻撃するプロパガンダ説もあるが、真偽はともかく、この言葉が現代にまで遺っている事実の背景に、権力の場から女性を排除しようとする思考が横たわっているのかもしれぬ。

女性の力を貶めるシンボル―――メデューサの首

女性の言葉を軽んずる歴史の中で、それでも力をつけてきた女性をどうやって貶めるか?

その文化的なシンボルとして、メデューサが紹介される。宝石のように輝く目を持ち、蛇の髪をした、見た者を石に変える伝説の女だ。ペルセウスによって首を切断されることになるが、これは、女がパワーを持った時の破壊的な危険性を男が制圧するという強力なシンボルだという。

本書では、ルネサンスの芸術家・ベンヴェヌート・チェッリーニによる彫像を紹介する。

ペルセウスは右手に剣を構え、左手でメドゥーサの首を掲げ、その遺体を踏みつけにしている。切断された首からは何やらが垂れており、英雄の勝利の瞬間を見るものもいれば、サディスティックなミソジニーと評する者もいる。

Perseus

From Wikimedia Commons, the free media repository:Perseus

次に、この生首のモチーフが利用されている例を紹介する。

女性の権力を貶めようとする意図のもと、アンゲラ・メルケル独首相や、イギリスの内務大臣テリーザ・メイが、メデューサの生首として描かれて、SNSで拡散する様子を紹介する(この2人はミケランジェロのメデューサのコピーとして描かれている)。

最もあからさまなものは、[ヒラリー・クリントンの例]だ。トランプがペルセウス、ヒラリーがメデューサとして、この彫像の通りに描かれている。

女性を沈黙させ、権力の場所から排除しようとする伝統は根深い。

女性の声を取り戻す

では、どうすればいいのか?

本書では、マーガレット・サッチャーが、声を低くするためボイストレーニングを受けていたエピソードを紹介する。甲高い声に威厳を加えようとしたのかもしれない。女性が男性の「ふり」をすれば手っ取り早いかもしれないが、それでは問題の本質は未解決のままだという。

サッチャーのボイストレーニングの前と後

また、「男と女は使っている言語が違う」や、「男は火星人、女は近金星人」という便利な方向に逃げることを戒める。結局、男と女は違うのだからと言ったところで、何も解決したことにならないのだから。

著者は、もっと深く、「権威のある話し方とはどういうものか」「それはどのように成り立つのか」まで掘り下げる。そうすることで、女性の声を不当に貶めている問題を表面化させることができるという。著者はさらに、こう加える。

権力とは何か、何のためのものか、その大小をどうやって測るべきか、そういうところから考えていかなければならない。別の言い方をすれば、女性が権力構造に完全には入り込めないのなら、女性ではなく、権力のほうを定義し直すべきなのです

ピロメラとテレウスの話には続きがある。

ピロメラは舌を切られ、話すことができなくなったが、機を織る才はあった。そのため、自分がされたことをタペストリーを織り込み、テレウスの悪事を告発する。女性の声を奪おうとする力は古来からあった。一方で女性は、口を封じられたままではないのだ。

| | コメント (0)

すべての歴史は現代史である『日本近現代史講義』

Nihonkingendai

これは面白かった! 第一線の歴史学者による14講義。

「歴史の本」というと、教養マウンティングのWikipediaコピペか、イデオロギーまみれのチェリーピッキングが多いように見える。そんな中、歴史学者による実証的な手ほどきはありがたい。

過去を振り返るとき、わたしがよくやる誤りは、いま分かっている情報で判定しようとする姿勢だ。

たとえば、1941年のアメリカに対し、開戦を踏み切ったことについて。原油の依存先であり、圧倒的な国力差であるにもかかわらず、なぜ戦いを挑んだのか?

認知バイアスから見た対米開戦の理由

敗戦という事実から、それを「愚かな行為」と判断するのはたやすい。また「軍部の独走」など分かりやすい悪者を吊るし上げて思考停止するのもたやすい。しかし、そうした予断で向かってしまうと、貴重な歴史の証言から得られるものは少ないだろう。

そんなわたしの予断を、本書の第8章「南進と対米開戦」(森山優)が啓いてくれた。

日中戦争の泥沼化に伴い、態度を硬化する英米との対立解消に向けて、当時の日本には3つの道があったという。

  1. 武力で蘭印の資源地帯を占領する(南進)
  2. 外交交渉で英米の禁輸解除にこぎつける
  3. 何もせず事態の推移に任せる(臥薪嘗胆)

「1」は日本への資源輸送ルートにフィリピンとグアム(すなわち米領)にさらすリスクがあり、アメリカからの攻撃を受けるリスクが最大化する。「2」は中国からの撤兵問題で大幅譲歩が前提であり、国内の反発が必至になる。そして「3」の場合、石油が数年で枯渇して、そこで攻められれば抵抗もできない。

1945年を知っているわたしからすると、臥薪嘗胆の「3」がベターに見える。だが後知恵にすぎぬ。なぜ「3」でなかったのか?

それを選ぶと、「損を確定してしまう」ことになるからだ。臥薪嘗胆は、明るい展望がない。石油が枯渇していく状況で、「あの時だったら戦えたはず」と非難される可能性すらある。

一方、外交と戦争は、わずかでも希望を与えてくれる選択肢だったという(たとえ、甘い見通しと粉飾に満ちた数字で彩られていたとしても)。

「追い詰められると一発逆転に賭けたくなる」発想は、プロスペクト理論と呼ばれる。いわゆる損切りによりマイナスの継続を止めるより、大きなリスクを負ってでも、勝利を掴もうとする。さらに、この発想を後押しするエビデンスを過大に評価し、損切りを過小に見たがるバイアスが生じる。

確かに、当時の日本は「3」を選ばなかった。そして、それは誤りだった。だが、その理由を、私たちとは異質な思考様式を持つ人による愚かな選択と片づけるのは、もっと誤りだろう。

歴史認識の難しさと歴史認識「問題」の歴史化

歴史認識の難しさを垣間見る小論もある。

歴史は、すでに起こった過去のことだから「確定している」と考える人がいる。過去は変えられないから、教科書は一つしかない、という考え方だ。

だが、過去を振り返るとき、どこから眺め、何に焦点を当てるかによって、描かれる濃淡が変わる。歴史をどのように記述するかは、過去を振り返るそれぞれの時代の状況や立場が色濃く反映されるからだ。「すべての歴史は現代史である」という言葉が意味するものは、まさにそれだ。

この難しさは、序章「令和から見た日本近現代史」(山内昌之)によく見える。日中歴史共同研究における南京大虐殺の事例が紹介されている。

山内氏自身も参加した研究で、日本側の委員は、死者数について20万人を上限とし、4万人説や2万人説もあると諸学説を紹介する一方、中国側委員は一致して30万人以上だと断定して譲らなかったという。

山内氏は、大躍進や文化大革命、天安門事件での膨大な死者数が公式発表されていないことに触れ、こう述べる。

歴史による同胞の悲運や実数さえ公表していない国が、南京事件など特定の歴史事象について数字を明快に示すのは、歴史を史実性ではなく政治性から見るからだ。

歴史家としてファクトに向き合おうとする恨み節が聞こえてくるが、こうした交渉も含めて「歴史」になるのだろう。

ある歴史認識が問題視されるとき、対象となる事象そのものだけでなく、なぜ問題視されるかも含め、把握したい。歴史認識「問題」について、日本が何をしてきたか、それがどう評価されたのかも含めて、歴史になってゆくのだから。歴史を政治性から見るとき/無視するとき、その行為自体がまた、歴史の審判に委ねられるよう、残しておきたい。

他にも日韓における歴史認識問題について、経済協力支援金の行方から見た論点や、韓国エリートが火消しに走らなくなった理由など、興味深い論考もある。

第一線の歴史家による、鋭い考察とバランス感覚に優れた講義録。

 

| | コメント (0)

戦争が子どもを怪物に変える『ペインティッド・バード』

戦争が子どもに襲いかかり、子どもが怪物に変わっていく話。人間が、いかに残酷になれるかを、嫌というほど教えてくれる。

あまりのグロさに「劇薬小説」として認定した『ペインテッド・バード』が映画になった。

Paint

©2019 ALL RIGHTS RESERVED SILVER SCREEN ČESKÁ TELEVIZE EDUARD & MILADA KUCERA DIRECTORY FILMS ROZHLAS A TELEVÍZIA SLOVENSKA CERTICON GROUP INNOGY PUBRES RICHARD KAUCKÝ

小説は、エグいのに目が離せない、手が離れない、強い吸引力をもつ。TIMES誌の「英語で書かれた小説ベスト100」に選ばれている。

読む地獄

戦争は大衆を襲う狂気だ。身寄りを失った10歳の男の子が向かう疎開先の人々は皆、本能に忠実だ。むきだしの情欲や嗜虐性が、目を逸らさせないように突きつけられる。目撃者は主人公なので、読むことは彼の苦痛を共有することになる。

体験と噂話と創作がないまぜになっており、露悪的な「グロテスク」さがカッコつきで迫る。日常から血みどろへ速やかにシフトする様子は、劇的というよりむしろ「劇薬的」。スプーンでくりぬかれた目玉が転がっていく場面は、忘れられないトラウマとなるだろう。白痴の女の膣口に、力いっぱい蹴りこまれた瓶が割れるくぐもった音は、ハッキリ耳に残るだろう。

読んだものが信じられない目を疑う描写に、口の中が酸っぱくなる。耳を塞ぎたくなる。

ペイティッド・バード=異端の鳥

ペインティッド・バード(彩色された鳥)は、最初は遊びとして、次はメタファーとしてくり返される。生け捕りにした鳥を赤や緑色に塗って、群れへ返す。鮮やかに彩色された鳥は、仲間の庇護を求めていくが、群れの鳥たちは「異端の鳥」として攻撃する。

その鳥は、なぜ仲間が襲ってくるか分からないまま引き裂かれ、墜落する。主人公は浅黒い肌、漆黒の瞳を持つ。金髪碧眼のドイツ兵がうようよいる戦地では、「反」ペインティッド・バードになる。

暴力に育てられた子どもは暴力を拠りどころとして生きる。自分が壊れないために、自分を欺く。同時代の戦時下をしたたかに生き抜く子どもの話だと、アゴタ・クリストフ『悪童日記』を思い出す。これは、狂った現実を生き抜くために、受け手である自身を捻じ曲げる話。辛い過去や悲惨な出来事は、それを引き受けるキャラクターを生み出し、そいつに担わせる。

この、過去を偽物にしないために、自分を嘘化するやり口は、『悪童日記』だとよく見通せる。続刊の『ふたりの証拠』『第三の嘘』と追うごとに、過去を否定する欺瞞が詳らかになるからね。『ペインティッド・バード』では、そんなあからさまな相対化はない。

だが、それぞれのエピソードごとに別々の「主人公」がいたのではないか、と考えたくなる。

なぜなら、あまりにも悲惨すぎるのだ。

苛烈な虐待を受け続けると、普通は死ぬ。氷点下の河に突き落とされ、浮かび上がるところを押し戻され呼吸できない状態が続くと、溺れ死ぬ。真冬の森に放置されると、飢え死ぬか凍え死ぬ。だが、彼は生き延びる。次の章では誰かに助けられるか、まるでそんなエピソードは無かったかのような顔で登場する。これは、様々な死に方をしていった子どもたちの顔を集めて、この「彼」ができあがったんじゃないかと。

「彼」は著者に通じる。あとがきで幾度も「これは小説だ」と念を押したって、どうしても出自から推察してしまう。この本を出したせいで、彼は祖国から拒絶される。「ナチスのせいにしていた虐殺が、実は地元農民の仕業だった」ことを全世界に暴いたからだ。冷戦のあおりを受けて、親ソ的プロパガンダと扱われたり、反東欧キャンペーンの急先鋒と見なされたり、あちこちからバッシングを受け、命まで狙われるようになる。

全米図書賞や合衆国ペンクラブ会長など、きらびやかな経歴をまとっている反面、物理的・精神的にも攻撃されるさまは、『ペインティッド・バード』そのもの。プロフィールの最後で著者の"墜落"を知って、うなだれる。

このすさまじい小説が、映画化される(公式サイト)。邦題は『異端の鳥』。観た人によると、どうやら原作に忠実にしているらしい。アタマおかしいんじゃないかと思うが、作った人をは極めて正気に狂気を徹底的に撮っている。

予告編でキツさは伝わるかもしれぬ。これ、心の底から、モノクロ作品で良かったと思う。カラーだったなら、わたしの琴線が焼き切れるだろう。

第76回ベネチア国際映画祭では、あまりの残酷描写が賛否を呼び、途中退場者が続出する一方、スタンディングオベーションが10分間続き、ユニセフ賞を受賞したという。

日本での公開は、2020年夏だ。

 

| | コメント (0)

宇宙の果てから素粒子の奥への旅『ズームイン・ユニバース』

極大の世界で「果てしない宇宙」というが、観測可能な宇宙には果てがある。それは、ここから1027m先になる。これより向こうは、観測できないため、あるとかないとか分からない。ゼロを並べるとこうだ。

1,000,000,000,000,000,000,000,000,000m

いっぽう、極小の世界だと、人類の想像の限界のサイズになる。それは、10-35m)の「場」に満ちた世界になる。これより奥は、理論で説明できる範囲外となる。ゼロを並べるとこうだ。

100,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000 分の1m

「いま・ここ」から究極にまで遠ざかった場所から、限りなく近づいた世界まで、極大~極小を一冊にまとめたのが本書だ。ページを開くと、宇宙の果てから出発し、1/10ずつスケールダウンしながら、近づいてゆく。

極大から極小への旅

最初は、すごいスピードだ。138億歳の宇宙―――膨張する時空構造から、超銀河団、銀河団を横目にぐんぐん近づいてゆき、がらんとした星間空間にある暗黒物質、ガス、チリを通り過ぎ、重力の井戸に捕まって降りて行く先は太陽系だ。その一つの岩石惑星・地球に向かい、とある大陸の、とある生物の背中に降り立つ。

そこからスピードを落としてゆき、細胞表面に付着している細菌に近づき、細菌の奥へ進んでゆき、その単細胞のDNAらせんをくぐり、組み込まれている炭素原子を通り過ぎ、その原子内の無の空間を延々と進み、ついに陽子の最深部にたどりつく。

旅路の途中で出会うものにまつわるトピックが面白い。宇宙の誕生について、暗黒物質について、宇宙と原子の深い関係について、光の本質について、系外惑星について、潮汐現象について、生物の主成分が炭素である理由、「場」とは何かについて学ぶことができる。

それぞれのビジュアルや解説は、最新の科学で裏付けされており、宇宙物理学から天文学、地球科学、分子生物学、量子論などの領域を「スケール」で縦断していくのが楽しい。

この、スケールを変えながら宇宙を旅するというアイデアは、たとえば『パワーズ・オブ・テン』(チャールズ&レイ・イームズ,1977)が有名だ。美しい写真とイラストが豊富だが、いかんせんデータが古くなっている。『ズームイン・ユニバース』は、最新情報をアップデートし、見せ方を工夫したものになる。

ぐんぐん進む旅路に身を任せてページをめくるのもいいが、興味を引いた記事を熟読した後、自分で調べ始めるのもいい。

1013→109「惑星の多彩な顔」

わたしの眼を惹いたのは、1013mあたりの、系外惑星(太陽系以外の惑星)のトピックだ。

近年に発見された惑星を推計した膨大なデータがビジュアライズされている。これを見ると、たいていの惑星系では、太陽系に比べて主星にかなり近い位置に存在していることが分かる。言い換えるなら、内よりに星が集まったものが多く、太陽系の惑星は、典型的でないようだ。

さらに、地球に似た生命活動が可能な(ハビタブル)惑星も数多く見つかっていることが示されている。昔からよく言われる「奇跡の惑星」は、実は「ありふれた奇跡」に近いのかも……と思えてくる。

おそらく、「神に選ばれし人が住むこの星」を特殊だと思いたい宗教的バイアスがあると考える。キリスト教の宗教観が、大なり小なり宇宙論に影響を与えており、そこから逃れるには、こうしたエビデンスの積み重ねが必要なのかも。この辺りの経緯は、『系外惑星と太陽系』(井田茂、岩波新書)のレビューで考察している。

10-6→10-10「ミクロの扉の向こう側」

面白いというより、不思議な感覚を抱いたのが、タンパク質と炭素の関係だ。

ヒトの体には、60兆個の細胞があり、それぞれ80億個のタンパク質を持っているといわれている。そして、1つの細胞のミクロコスモスを拡大してゆく。「巨大分子の部屋」と称する解説では、タンパク質を「巨大構造物」として扱っている。そして、リボゾームがタンパク質を合成する過程を、オートメーション化された無人工場ラインで製造されていくかのように説明する。

物質がいかに生物となっていくかの精妙なプロセスや品質管理は、『タンパク質の一生』(永田和宏、岩波新書)で知った。だが、この旅ではさらにその奥、なぜタンパク質(というか生物の基本要素)が炭素で構成されているかまで進んでゆく。

本書によると、炭素原子は、あらゆる種類の分子を作るのに都合よくできているという。量子の言葉で言うなら、炭素原子の周りのちょうどいい場所で価電子の存在確率が高くなることで、他の原子と結合できる(すなわち、化学結合が作られる)というのだ。

この「都合のいい」「ちょうどいい場所」がなぜそうなっているかは、説明されていない。偶然の所産として扱われているが、そこからは物理学(と、ひょっとすると哲学)の領域なのかもしれぬ。

10-16→10-18……10-35「「場」が満ちた世界」

学校で習った分子や原子は、まだイメージが湧く。問題はさらにその先、原子核の奥の陽子や中性子と、さらに複合粒子の向こう側へ行こうとすると、途端に複雑になる。

これは、たいへん面白い。なぜなら、物質をどんどん分けてゆき、その源となるシンプルな本質を確かめようとする科学が、(現時点では)矛盾した状況に行き当たっているからだ。

たとえば、「鉄とは何か」という問いに、鉄なる物体を分割してゆき、もうそれ以上分割できない(atom)極微の物質として、原子を定義づけた。それが、調べてみると原子核には陽子と中性子があり、さらにそれらは複数のクォークで構成されている。

そこからは素粒子の世界で、分割できないと定義したものなのに、さらに「素」が付けられる。クォークは6通りの「フレーバー」を持ち、基本的な力(電磁気力、重力、強い力、弱い力)の作用を受けるという。さらに、6種類のレプトンやフェルミ粒子、ボース粒子のモデルが紹介されている。物質の源を探す旅なのに、恐ろしく複雑な構造になっている。

実験や観測で得られる、複雑で確率的な結果を説明しようと、ひもの振動や時空の泡のモデルが研究されている。スケールが違うだけで、2,000年以上前に議論された atom と同じやり方だ。言い換えれば、人は2,000年で10-35mまで届いたとも言える。

1027mより先は、そもそも観測する手段を持っていないが、10-35mより奥は、どうなるか分からない。人にとって、宇宙には果てがあるけれど、存在の究極がどうなるかは、これからなのかも。

極大マクロから極小ミクロへ旅する一冊。

Zoomin

| | コメント (2)

致死性ウイルス感染症が日常を浸食するプロセスを描いたSF

もし、致死性ウイルス感染症の封じ込めに失敗し、パンデミックになるとしたら、それはどのようなプロセスをたどり、わたしたちの日常生活に、どう見えるのか?

テレビやネットの情報は、日常の観点が少ない。

せいぜい、手洗いうがいの励行を促されるぐらい。緊迫した現場や、人種差別的な言動を目にして、不安だけは募るのに、この事態が進行していくと、わたしの日常をどうなっていくのか、想像するのが難しい。

では、最悪の場合、わたしたちの日常は、どうなっていくのか?

最悪が浸食する日常『復活の日』(小松左京)

小松左京『復活の日』が、参考になる。

生物兵器として開発されたMM-88ウィルスを搭載した小型機が、冬のアルプス山中に墜落する。やがて春を迎え、ウィルスは爆発的な勢いで世界各地を襲い始める。未知の致死性ウイルスに、人類はなすすべもなく倒れてゆく―――というお話だ。

小松左京は、日常が浸食されてゆくプロセスを描くのが非常に上手い。膨大なデータを元に、生々しく再現してみせる。

MM-88ウィルスの第一波は、かぜのような症状で、罹る人も少なく、じきに治まってしまう。だが、日を置かずに心臓発作で突然死する。人々は、映画俳優が事故死したニュースに触れたり、身近な人が突然死することに驚き、「ポックリ病」と名づける。

次は、循環器や呼吸器系にダメージを与える。感染後数日で高熱、咳、くしゃみ、関節痛の症状が出て、インフルエンザだと診断される。人々は、「チベットかぜ」と呼び、ワクチンを打ってもらうのだが、効かない。

「かぜにより」大相撲春場所が欠場となり、国会を開催する人数に満たなくなる。プロ野球の人数がそろわず、ゲームが成り立たなくなるニュースが相次ぐ。この頃に人々は気づく、電車が空いていることに(”国電”という表現に時代を感じる)。通勤ラッシュがなくなり、平日朝から山手線に座れるようになる。

冬が去り、春になれば、着ぶくれした人がいなくなり、電車は空くようになる。だが、この電車は空き過ぎている。時折、激しくせき込む人がいて、マスクをした人々は互いに身をすくめる。

不安に駆られて病院に行くが、どこも満杯だ。手当たり次第に電話をかけてもどこも話し中だ。とんでもなく遠い病院につながるが、出てきた声はつっけんどんに、「うちはやってません、先生が今朝亡くなりましたので。ええ、ポックリ病で」と答え、ガチャンと切られる……

もちろん、これは昔のSFだ。ウイルスが人から人へ感染していくうちに、世代を経て毒性が何十倍も激烈化したり、ウイルスを特定しようとすると別の様相に変化してしまうなど、現実的ではない側面もある。

しかし、そこには壊れてゆく日常が、きちんと描かれている。わたしたちが「普通」だと思える世界が、少しずつ蝕まれてゆき、異常に変化する。新聞やテレビで見る「あっちがわの異常」が、「いま・ここ」と地続きなことを思い知らされる。

閾値を超えるときの光景『天冥の標(救世群編)』(小川一水)

ある閾値を超えると、病院で収容できなくなった人々が溢れ、感染者・感染疑いに限らず、必要な処置を受けることができなくなる。そうなるために政府は手を打たなければならない。

中国では、わずか10日の突貫工事で巨大病院を建設したことがニュースになっている。

だが、臨時医療施設でも対応しきれないほどの人が発症した場合、どうなるか?

『天冥の標』の第2巻、「救世群編」が参考になる。

南海の孤島から始まった謎の疫病が文明を覆っていく過程を、ある日本人医師の視点から克明に描いた傑作だ。感染すると、肌が赤く爛れ、目の周りに黒斑が出るようになる。致死率は非常に高く、その特徴的な黒斑から、冥王斑と呼ばれるようになる。

伝染性が高く、患者の増加スピードと、隔離施設が追い付かないようになる。たとえ対症的であっても、何らかの処置は求められるし、医療従事者の目の届く所で一か所に集める必要がある。

反面、感染している人と、感染疑いがある人が数多く混在し、病院のような1つの場所で判別しようとすると、ウイルスを広めてしまう危険性がある。さらに、建設に従事する人が感染しはじめており、病院を建てているヒマはない。

ではどうするか? 政府は合理的な手段を取る。

感染者・感染疑いが多く集まっているのは、都市部だ。そうした人々を選別できる広い場所を確保し、その場所全体を検疫エリアとする。検疫エリアには治療用のテントを設営し、感染した人のレベルに応じて対症療法を行う。

その場所が、新宿御苑だ。大勢の老若男女が初詣の朝のように詰めかけているが、雰囲気はまったく異なる。問診、保険証、鼻腔粘膜採取と診断され、陽性と出た人はバスで国立競技場に運ばれる。そこで感染からの経過によってエリアが分けられ、感染経路や家族の有無が問診される。

感染初期のテントは騒がしい。絶望のあまり、逃亡者や自殺者が出るが、男性看護師と警官が何百人と待機しており、鎮静させる。感染より7日経過したテントでは……と続く。大勢の人を選別し、感染者に迅速な措置を施すためには、広くて分離できる場所―――スタジアム―――が有効だ(表紙参照)。

最悪シミュレーターとしてのSF

もちろん、こんな日常はありえない。荒唐無稽のお話だ。MM-88や冥王斑は、生化学的にはありえない振る舞いをするウイルスだろう。

では、実際に起きた歴史を振り返ると、どうだろう。1918年から翌年にかけて大流行したインフルエンザ「スペインかぜ」があった。だが、この出来事を現代のわたしの日常に当てはめるのは難しい。

あるいは、2003年に中国広東省からSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行したが、原因の新型コロナウイルスは、わたしの生活圏にまで到達しなかった。どちらもあったことだが、日常がどう変わるか未知数だ。

だが、ありえない災厄が起きる時、日常がどのように浸食され、どんな異様な光景を見ることになるかは、SF作品からよく見える。言い換えるなら、いま目に映る光景がどれほど壊れているかを知りたいとき、そのバロメーターになるのが小説だ(冥王斑の物語は、人類がいかに差別的になれるかの、最悪の見本になる)。

科学は、そのウイルスがどんな振る舞いをするか、ある程度述べることができる。だが、それが社会や日常に、どのようなインパクトを与えるかは、政治経済や社会心理など、様々な要素が影響する。最悪シミュレーターとして、こうした架空の小説が助けになる。

ただし、事実は、しばしば小説を超えてしまうのだが。

Pandemi

| | コメント (0)

おっぱいに(科学的に)興味がある人必読 『哺乳類誕生』

おっぱいとは何か?

この問いに対し、人文科学からたどったのが『乳房論』だ。絵画、文学、宗教、政治、ファッション、医療、ポルノの斬り口から、[乳房をめぐる欲望の歴史]を描き出している。

いっぽう、自然科学からたどったのが本書『哺乳類誕生』だ。遺伝学、分子生物学、獣医学、生物工学、古生物学の斬り口から、乳房に至る進化の歴史を描き出している。

おっぱいで子どもを育てる哺乳類は、どのようにおっぱいを獲得したのか。乳はどのように発達し、どういったメカニズムで出て、生命維持にどのような役割があるのかなど、おっぱいの本質を学ぶことができる。

ワクワクしながらページを開く。第一章は「生命誕生」。

そこからか!

おっぱいまでの進化

遺伝子と有性生殖の仕組みを語り、アミノ酸から原生動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類に至るまでの進化を丹念に振り返る。これが半分以上を占めており、なかなかおっぱいにたどり着けないのだが、面白いトピックが満載されている。

話題があちこち飛ぶため、散らかっているように見える。だが、そこに共通するものは、「いかに生き残るか」というテーマだ。「目の進化」や「耳の進化」といった器官ごとに焦点を当て、捕食者やライバルを出し抜く戦略や、そもそも敵がいない場所で生き延びるための工夫を見て取ることができる。進化とは、どのように生き残るかの試行錯誤の歴史なのだ。

さらに、鳥類から始まったとされる「子育て」に焦点を当て、卵生のメリット・デメリットと、それを克服する胎生のメカニズムを説明する。子孫を残すうえで、最も弱い存在が卵だ。動くこともできず、餓死や捕食の危険が非常に高い。多くの卵を残したり、親が卵を守ったり、胎内で大きくすることで、子孫を残すために有利になろうとする。進化とは、どのように子を生み、育てるかの試行錯誤の歴史なのだ。

全ては第三部の「進化の究極──乳腺と泌乳」への伏線になっている。乳腺とは、乳を分泌する腺で、泌乳とは、乳が分泌されることなのだが、著者曰く、おっぱいこそが進化の究極になる。

おっぱいの本質

いちばん驚いたのが、おっぱいの本質だ。

ほとんど味しないし、うっすら生臭いので、血液みたいなものなのだろうと思っていたが、わたしが浅薄だったことを思い知らされた。もちろん、血漿に含まれる成分と重なるところがあるが、おっぱいの本質は、脂肪を与える仕組みから分かる。

子どもを大きくするためには、大量の栄養―――特に脂肪を効率的に与える必要がある。だが、脂肪は、ほとんど水に溶けない。おっぱいは液体だから、脂肪を渡そうとしてもそのままでは難しい。どうするか? 

脂肪は乳腺細胞がつくり、細胞内の脂肪滴という形で存在する。これを乳に移行するときは、細胞膜を通らなければならないのだが、通過する場所がない。そのため、細胞膜を内側から押し上げ、細胞膜に包まれた状態(脂肪球)となって乳に移る。細胞膜そのものは水に混ざりやすい性質を持っているため、脂肪滴も親水性物質として振舞えるというのだ。

著者は淡々と説明しているが、これ、端的に言うと、何らかのパイプを通じて養分を与えるのではなく、自分の身(細胞)を削って脂肪を包んで乳にしていることなる。まさに身を削って乳を与えているといえる。おっぱいは、血というより肉の一部なのだ(面白半分に飲んでた自分を殴りたいorz)。

さらに、このメカニズムにより、水より油に溶けやすい(脂溶性)物質を効率的に届けることができる。ビタミンA、D、E、Kは脂溶性ビタミンと呼ばれており、その運び手として脂肪滴が用いられる。特に、カルシウムの吸収を助けるビタミンDは欠かせないという。

効率よく糖分を届けるメカニズム

また、脳や神経の発達に大量のブドウ糖を必要とするのだが、その渡し方がすごい。乳は、ブドウ糖ではなく、乳糖で渡す。これにもちゃんと理由がある。

つまりこうだ、ヒトの血中ブドウ糖は0.07~0.14%で維持されており、これを大幅に超えてコントロールできなくなると、全身に異常が現れる(糖尿病だ)。ブドウ糖は必要だが、正常範囲を超えたら毒になるのだ。

だが、効率的に栄養を渡すため、乳の糖分を高くしたいニーズがある。一方、ブドウ糖を乳で渡すのであれば、その濃度は体内の正常範囲に収めなければならぬ。このジレンマを解消するのが乳糖だ。乳糖は、体内では利用されず、高濃度にしても支障ないという(人の乳に含まれる乳糖は7%)。これにより、高い糖度のおっぱいを、母体内の糖度に影響を与えずに渡すことができる

これほど高度なメカニズムを持つおっぱいも、実は使い捨てなのだ。子育てが終われば乳腺は役目を終え、乳を作ってきた細胞の全ては破棄される。再利用するのは太い乳管のみで、次に妊娠すると一から構築しはじめる。これにより、細胞の老化を心配することなく、どの新生児にも最高の状態で乳を与えることができる。おっぱいは偉大なり。

初乳の重要性

冒頭で紹介した『乳房論』に出てくるのだが、いわゆる「母乳神話」説がある。

「子どもを母乳で育てなければならない」という主張で、アンリ・ルソーが流布したと言われている。だが、「母乳でなければならない」科学的根拠は無く、他の乳でも代用できるという説もある。「母乳vs.ミルク」論争は続いており、母乳の出にくい人からのお悩み相談が今でもある。

わたし自身、都合により使い分ければよいと思っていたが、本書を読んだ後は、「少なくとも初乳(最初のお乳)だけは必要かも」と考えを変えた。

というのも、初乳に含まれる免疫グロブリンの説明を読んだからだ。かいつまむと、こんな感じ……

……初乳に含まれる免疫グロブリンはG、A、Mの3種類ある。GとAは、細菌類の攻撃に対し、防衛機能を担う重要なグロブリンになる。胎盤を通じてグロブリンは受け取るが、それはGのみ。そのため、生まれたばかりで免疫機能が不十分な子どもには、できるだけ早く初乳を与えることが重要になる……

で、この後、牛の初乳の話が続くのだが、激烈といっても良いほどの違いが説明されている。初乳の必要性には、科学的根拠はあるようだ。

他にも、ヒトのおっぱいが2つある理由(乳頭と産子数との関係性)、牛乳を飲むとお腹を壊しやすい原因(ラクターゼ遺伝子)など、おっぱいを知れば知るほど、驚いて感嘆する。この興奮、『眼の誕生』に近い。イチから眼を実装しようとすると、あまりに高度に完成された機構に、「神が与えし器官」と言いたくなる。それと同じ、いやそれ以上に精密な器官がおっぱいだといっていい。

おっぱいは、子どもを育てるための試行錯誤を経てきた究極の姿なのだ。

本書は、おっぱいの碩学・骨しゃぶりさんのお薦めで知ったのだが、おっぱいの素晴らしさにうちのめされた(骨しゃぶりさん、ありがとうございます!)。

ちなみに、骨しゃぶりさんのおっぱい関連書籍の紹介は、以下の通り。次は『乳房の科学』読もうかな……

[おっぱいの本16冊]

[おっぱいの本17冊目『乳房の科学』は実用的かつ濃厚な読み応え]

| | コメント (3)

« 2020年1月 | トップページ