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『タコの心身問題』『イカの心を探る』『ふらんけんフラン』で頭足類の「心」を考える

Takonosinsin

 ヒト以外の存在について、「賢い」という言葉を使う際は注意したい。なぜなら、そこに擬人化の罠が潜んでいるから。「賢い」とは何か、「知性」とはどんな意味かを吟味したうえで使う必要がある。

擬人化の罠

 「擬人化の罠」とは、動物を観察する際、人に似た属性の有無を探し、人の基準で行動を評価すること。たとえ人に似た行動をしても、その行動を生んだ根源的なメカニズムまでが人と同じとは限らない。なぜなら、それぞれ異なる身体と神経系をもち、それぞれ異なる生息環境で生きているため、同じ行動原理であると考えるほうに無理がある。

 擬人化に偏って仮説を構築しようとすると、検証できる範囲が限定されてしまう。実験で上手に芸ができるから、「賢い」とする研究は、その動物と人との距離において、知的か否かを測ろうとする考えが裏側にある(あらゆる動物の最上位に人を据えた宗教の影響やね)。したがって、動物の「知性」とは、その動物にとってのコストパフォーマンスの最も良い行動原理を裏付けるものでなければならぬ。

 しかしながら、面白いことに、「知性」を定義しようとすると、必ずそこにヒトの存在が求められる(ヒトがいないと知的か否かの判定はできないし、ヒトを超えた知性は文字通り”人知の外”になる)。知的存在についてSF作品からのアプローチで、[SF読書会『ソラリス』×『ランドスケープと夏の定理』に参加したら読みたい本が激増した件について]に書いた。今回は、『タコの心身問題』『イカの心を探る』が楽しかったので、頭足類の「心」について考えてみる。

タコの心身問題

 一冊目、ピーター・ゴドフリー=スミス『タコの心身問題』について。生物哲学の教授であり、一流のダイバーである著者が、タコとの交流を通じて「心とは何か」「心はどのようにして"生じる"のか」を考える。進化は「まったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」という主張は、言い得て妙なり。

 まず著者は、タコの「目」について注目する。高度に発達しており、網膜、角膜などの構造は、ヒトの目と物理的に似ているだけでなく、視神経が網膜の前に突き出しているため、盲点がない。遠い祖先は海かもしれないが、そこから出て目を進化させてきたヒトと、海の中で目を進化させてきたタコが、結果的に近似した目を持つというのが面白い。

 これを専門用語で収斂進化と呼ぶという。異なるグループの生物が、環境や食物に適応し、系統に関わらず身体的特徴が似通った姿に進化する現象のことだ。異なる系統である鳥とコウモリの「翼」が似ているのと一緒やね。

タコに「心」はあるか

 そして、タコの生態や実験を紹介しつつ、ある種の「心」があることを考察する。この件がたいへん面白い。集めた貝殻で自分の”庭”を作ったり、状況に合わせて姿形や色を自在に変化させたり、閉まった蓋を開けたり、タコを知れば知るほど、「賢い」と見えてくる。

 たとえば、野生のタコがココナッツの殻をシェルター代わりに使っているレポートを紹介する。半分に割られた殻を持ち運び、危険を察知すると上手に中へ入り込む「道具を使うタコ」は、youtubeでも話題になっていた。他にも、貝や竹を使って入り込む様を見ていると、「ひょっとして、ヤドカリを真似ているのでは?」と思えてくる。

 一方で著者は、安易にタコを「賢い」とする姿勢に慎重になる。動物の「心」について考えるとき、人はどうしても自分の心を前提にしてしまいがちだ。単純な生物の「心」は、人の心を単純にしたものだとか、人が「賢い」と考える実験でもって動物の知性を測るといった「擬人化の罠」である。

 著者は折に触れてこの罠を指摘する。たとえば、タコの脳の大きさでもってタコの知性を測ろうとするのは誤りだという。まず「脳の大きさ」は、単純な比較ではなく、身体サイズに対する比でなければならない。その場合、タコは不釣り合いなほど巨大な脳を持っていることになる。さらに、タコはニューロンの大半(およそ3分の2)を、頭ではなく腕に持っている。

 つまり、タコは身体サイズからすると異様ほど大規模なニューロンを持ち、しかも独自の身体性の下で、頭からの指令と、自律した腕とが協調し、「タコであること」が成り立っているのである。巨大脳と大規模なニューロンは、タコの「心」の存在を示唆している。

  この「心」のありようについて、翻訳者も慎重に言葉を扱っている。原著のタイトル ”OTHER MINDS” の ”MIND” が複数形になっていることに注意を促し、日本語訳にあたっては、原則的に “mind” に「心」、”intelligence” に「知性」、”consciousness” に「意識」という訳語を当てて訳し分けている。

 ヒトの場合、「心」は、学習や意識といった、主に「頭脳」に結び付けられる精神活動を指す。しかし、頭足類の場合、そうした機能は必ずしも「頭脳」だけに限らず、わたしたちが「腕」や「脚」と呼んでいる箇所にも及ぶ。ヒトの言葉をそのままあてはめるなら、タコは腕で「考えて」いることになる。

 では、なぜタコは巨大な脳とニューロンを発達させたのか?

 著者は頭足類の歴史をさかのぼる。その祖先は、身体を保護する貝殻のようなものを進化させ、初期の捕食者となったという。その後、殻を捨てて遊泳を始めたのが頭足類となる。そして、殻を失ったことによる脆弱性を補うために、高い知能を発達させたというストーリーだ。

 つまり、タコはヒトとは異なる経路で、別のデザインで知能を得ており、いわば「心」の収斂進化が、少なくとも2度起きたというのである。この指摘は、たいへん興味深い。

海の霊長類・イカの心を探る

 『タコの心身問題』は、著者のタコ愛ゆえにタコに少々肩入れしすぎている。公平を期すため、そして、スプラトゥーンB帯から抜け出すため、イカの話も聞こうじゃなイカ……と手にしたのが池田譲『イカの心を探る』。著者は、イカ研究の第一人者で、イカやタコの行動科学を対象とした「頭足類学」を提案している。

 イカやタコといった頭足類は、精巧なレンズ眼、身体サイズに合わないほどの巨大脳、さらに体色模様でのコミュニケーションといった知的な振る舞いにより、「海の霊長類」と呼ばれているという。そして、イカの行動や社会性、アイデンティティーなど、イカの知性についての研究がまとめられている。『タコの心身問題』のイカバージョンといっていい。

 ところが、こと「知性」について考えるなら『イカの心を探る』の方が、より面白く、さらに深い考察まで進めることができる。そして、タコとは対照的な行動から、頭足類の進化について新しい仮説を立てることができる。

 まず重要な指摘は、イカやタコといった頭足類は、地球の全面積の7割を超える海洋において、完全に適応していることだ。一口に海といっても、浅瀬から深海、沿岸から沖合、熱帯から寒帯まで様々だが、頭足類は、どの環境でも種を繁栄させている。

イカは、鏡に映った「自分」を認識できるか

 次にユニークだったのが、「イカに鏡を見せる」ミラーテストだ。アオリイカに鏡を見せると、同じ仲間を見たときとは違った行動をとるのだ。そっと鏡に近づき、触ろうとするのである。これは、イカが「自分が分かる」ことを示しているのではないか?

 「鏡に映った自分自身を認識できるか?」を試験するミラーテストは、サルや犬猫、イルカなど、様々な動物において試されている。面白いのは、対象の動物に麻酔をかけ、普通では自分で見ることのできない場所にマーキングをする。目覚めた動物がそれを鏡で見つけて、触ったりなどすれば、「鏡に映っているのは自分である」と認識できたとするのである。これをイカでやったのである。

 本書や小論[頭足類の社会性と知性基盤](pdfファイル)によると、個体数が少なく、はっきりとしていないようだが、少なくとも「鏡に向かった”自分”には、同種個体とは異なる反応をする」ことは結論づけてもよさそうだ。ちなみにタコの場合、振る舞いに差は無かったそうである[ミラーテスト:タコ]

イカの巨大脳は、社会性と世代「内」学習の賜物

 では、イカの知的な振る舞いはイカに生じたのか? この問いに対し、たいへん面白い考えが示されている。著者は、問いを変えて、「なぜヒトの脳は大きいのか」「ヒトはどんな歴史的経路をたどって大きな脳を獲得したのか」というアプローチから、巨大脳と社会性を関連付ける。

 つまりこうだ、ヒトは様々な状況で、家族や友人、見知らぬ人とコミュニケーションを取る。そして、コミュニケーションを通じて情報を得たり、食べ物や欲しいものを手に入れている。上手くやりとりできた場合、自分に有利な結果を得ることができ、結果、生き残って子孫を残す上で有利にはたらくことになる。脳が大きいほうが「他者とのやりとり」に有利で、これが進化上の選択圧になったという仮説である。

 著者は、イカにもこの仮説を当てはめる。貝の仲間だったイカが、殻を捨て、遊泳という機動性を手に入れる一方で、自分の弱さを補うために群れで行動する。群れにおいて、あるいは繁殖という場面において、他の個体とコミュニケートしているように見えることから、イカの持つ「社会性」が巨大脳をもたらしたというのである。

 イカの社会性を考える上で、もう一つ面白い観点がある。それは「学習」である。孵化後に急速に発達する記憶や学習の能力を駆使して、生存に必要なスキルを学ぶ。巨大な脳はあれど、このスキルは誰から学べばよいのか。

 イカの寿命は1~2年と短く、子どもが親から学ぼうとしても親は既に死んでいる。それでは巨大な脳はコスト高ではないかと考えられるが、何も世代間で学習するだけではない。つまり、彼らは世代「内」で学習するという考えである。

 彼らの齢は年齢ではなく日齢になるが、すべてのイカが、一年間の同じ月、同じ日に産卵するわけではない。イカは年中産卵するが、メスごとに産卵時期が異なっている。早く生まれたイカほど早く成長し、少し長く生きている年上の個体が、「何か」を年下の個体に教える―――そういう可能性を指摘する。

 たとえば、レオ・レオーニ『スイミー』がそうだろう。スイミーの仲間たちは、みな同じ世代に見える。仲間の一部がマグロに食われても、残ったスイミーが知恵を絞り、隠れた仲間を集めて反転する。そのとき、「ぼくが目になろう!」と言ったように、何らかの知恵の伝承がなされているのではないか、という仮説である。

 翻って、タコの社会性はどうかというと、これはイマイチらしい。タコは単独行動が基本で、『タコの心身問題』では、タコが集まって生活するコミュニティ「オクトポリス」が紹介されているが、これは例外とのこと。

 しかし、これは本当だろうか? ヒトに比肩するレンズ眼を備え、体色の変化による威嚇や誘惑が可能であるということは、そのまま視覚によるコミュニケーションを過去にしていた証左にならないだろうか。

 すなわち、かつてタコはイカのような社会的な行動をとる戦略で、巨大脳を発達させてきたが、何らかの理由により単独化したという仮説である。現在における、人による観察の結果だけで判断するのは早急だろう。

頭足類のオーバースペックに対する一つの回答

 実というと、頭足類の巨大脳となったか、有力な説明が、既にある。

 なぜ、大部分のニューロンが腕に分散されており、無限関節での操作ができ、類推や考察ができるのか。異常なほど目が良く、視覚画像からパターン認識を行い、記憶と学習により道具が使えるのか。相手を見分けて、(反射的ではなく)相手に応じた擬態ができるのか。

 イカやタコは、できることが多すぎるのだ。

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 あくまでも―――あくまでも仮説なのだが、かなり魅力的だし、検証も可能である。

 結果は、つぎはぎだらけの人造美少女ふらんに委ねよう。ふらんとは、エロくてグロいホラー・コメディ『フランケン・ふらん』の主人公兼トリックスターで、改造手術を得意とする。第7巻のエピソード53.OCTOPUSで、「妹的生命体」をタコで作る話からの引用だ。

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 そして、この続きがおぞましい&素敵なんだな。気になる人は、確かめてほしい(グロいで)。 進化とは「現在」を頂点とした適応の歴史であり、現在、ヒトが頂点だと考えていることから陥っているバイアスを見事に覆した考察である。『タコの心身問題』と『イカの心を探る』のそれぞれの著者に、ぜひ見てご意見を伺いたいものである。

 頭足類に「知性」や「心」はあるか? あるとするなら、どのように実証できるか? これを考えてゆくと、「心とは何か?」「知性の検証にヒトは必須か?」につながってゆく。

 そして、ふらんの回答を見ると、知性の検証が必要なのは、反対にヒトの方なのかも……と思えてくるから、さらに面白い。知的生命体として、ヒトはまだ、ヒヨッコなのかもしれないからね。

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