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ミスが全くない仕事を目標にすると、ミスが報告されなくなる『測りすぎ』

Hakarisugi

たとえば天下りマネージャーがやってきて、今度のプロジェクトでバグを撲滅すると言い出す。

そのため、バグを出したプログラマやベンダーはペナルティを課すと宣言する。そして、バグ管理簿を毎週チェックし始める。

すると、期待通りバグは出てこなくなる。代わりに「インシデント管理簿」が作成され、そこで不具合の解析や改修調整をするようになる。「バグ管理簿」に記載されるのは、ドキュメントの誤字脱字など無害なものになる。天下りの馬鹿マネージャーに出て行ってもらうまで。

天下りマネージャーが馬鹿なのは、なぜバグを管理するかを理解していないからだ。

なぜバグを管理するかというと、テストが想定通り進んでいて、品質を担保されているか測るためだ。沢山テストされてるならバグは出やすいし、熟知しているプログラマならバグは出にくい(反対に、テスト項目は消化しているのに、バグが出ないと、テストの品質を疑ってみる)。バグの出具合によって、テストの進捗と妥当性が判断できる。

「いじめ」をゼロにする方法

似たようなことは、教育行政で見かける。

「いじめゼロ」を目標にして、いじめが起きた学校や教室を処罰対象にする。「いじめの報告件数」が、教師や学校の評価に響くとなると、いじめは確かに報告されなくなり、統計上は減少する。そして、告発の手紙を遺して自殺した子どもに対しても、「いじめではなかった」と強弁される。

どんなに対策しても、いじめは起きる。重要なのは、いじめは起きる前提で準備をすることであり、その件数は準備の材料にすぎない。ここをはき違えると、いじめの報告されない社会になる。

バグ件数やいじめの報告数は、カウントできる。「数」という比較しやすい値を出せ、場所や時系列といった軸で表現しやすく、Excelやグラフとの親和性も高い。結果、カウントしやすい(加工しやすい・グラフ映えする)数が重視される。バロメーターの1つであり、いち判断材料にすぎない測定値が、目標にすりかわる。

測定値が目標にすり替わるメカニズム

この、測定値という「手段」が、本来それを役立たせるべき「目的」になるメカニズムを描いたのが、『測りすぎ』である。

テストの成績や、犯罪発生率、インパクトファクター(文献引用率)といった測定基準が、本来の役割(実態のバロメーター)から離れ、目標そのものと同一視されるようになる。さらに、目標を達成するために測定基準がゆがめられ、数字に振り回せされる顛末が、これでもかと書いてある。現場を見ずに数字だけを見る馬鹿マネージャーは、どこにでもいる。

ただし、馬鹿には馬鹿なりの理屈がある。本書は、その理屈を徹底的に掘り起こす。

マネージャーとして求められるものは、その成果になる。自分がそこに就いて、どれほどの実績を出せたかどうか、説明責任がある。この「説明責任」が厄介な問題だという。

説明責任(アカウンタビリティ)は、もともと「自分の行為に責任を負う」という意味のはず。だが、一種の言語的トリックによって、測定を通じて成果を示すことに変わっていったという。あたかも、大切なのは測定できる(カウントできる)ものだけであり、測定できないものは埒外と扱われるようになった。

成果主義の風潮と、短期に目に見える結果を出すプレッシャーにさらされると、「カウントしやすい」数値目標を追い求めるようになる。実態は複雑で、その成果も複雑なのに、簡単なものしか測定せず、その数値こそが実態を完全に表していると思い込む。

そして、その数値でもって報酬や懲罰、格付けの基準とみなすのだ。馬鹿マネージャーの思い込みは、下々のものへは「数値目標」という形で上意下達される。

すると何が起きるか? その数値―――テストの成績や、犯罪発生率、インパクトファクター―――だけを良くすることが仕事になってしまうのだ。

たとえば、学力の低い生徒を「障碍者」として再分類し、評価対象から排除することで、成績の平均を引き上げる。「犯罪率を20%下げる」という目標は、記録される犯罪件数を20%に減らすため、未満・未遂に格下げされる。自分の論文の引用件数を引き上げるため、非公式な引用サークルを結成し、互いの論文を大量に引用しあう。

「非公式な引用サークルを結成し、互いに引用しあう」なんて、ランキングや口コミサイトで見かける裏技だが、大学教授もやっているのかと思うと笑ってしまう。

笑えるだけでなく真顔にもなるのがその続きだ。

大学の成果を測定するための管理コストが増えているのだという。インパクトファクターや格付け、評価ランキングを測定し、その値を上げるための「仕事ごっこ」が、本来なら研究や教育に費やす時間を食いつぶすことになる。結果、事務職員の仕事が増えることになる。

大学の教育費が上がっている現実的な原因は、こうした説明責任のための管理コストだというのである。

大学を格付けし、それに応じて助成金を配る行政そのものが、測定のためのコストを跳ね上げ、ひいては教育費の増加を招いている。本書は米国の事情だが、日本の大学も似たような弊害があるかもしれない。大学教育の費用と、事務職員の数を重ねたら、一発で見えるだろうね。

「仕事ごっこ」に気づく

馬鹿なマネージャーは丁重に追い払えばいいが、仕事ごっこが好きな上司はそこらじゅうにいる。

どうすればよいのか。本書では、そもそも何のために測定しているのかを指摘する。

コンピュータを用いて犯罪件数を統計化するのは何のためか? どの地域が最も問題を抱えていて、どこにリソースを配分するのが良いかを判断するためだ。共通テストを受けさせるのは何のためか? 科目ごとの生徒の理解度を教師が把握し、指導方法やカリキュラムを見直すためだ。

問題は、昇進や懲罰をちらつかせ、犯罪件数やテストの点数を「目標」とさせるところにある。測定値は実態の一面を切り取ったバロメーターにすぎず、判断の代わりにはならない。反対に、「それを測定するか?」は判断が必要になる。

  1. そもそも労力を払ってまで測定すべきものか?
  2. 何を、どうやって測定するのか?
  3. 測定値は、どのように扱うのか?
  4. その値は、どうみなされるのか?
  5. 結果は公開すべきか?

特に1. が重要。データの収集や分析には時間と労力がかかる。「事務作業」という名目に、膨大な測定コストが隠れてしまっている。そのコストはメリットと比較すると大きなものになるかもしれないし、本当に知りたいことと何の関係もないかもしれない。

「数値目標」は、上司や政府のスポークスマンがよく掲げる。それらがどれほどまっとうで、どれくらいバカらしいか、あらためて吟味できる一冊。

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コメント

仕事ごっこは最悪でもそうそう死人は出ないが、「いじめはありません」はほんと止めろと思う

投稿: | 2019.09.25 18:35

>>名無しさん@2019.09.25 18:35

本当にその通りだと思います。教室という閉鎖空間に多人数を押し込めていたら、必ず起きうるものです。

にもかかわらず、「いじり」や「からかい」のような別名をつけたがる人がいます。それは、「いじめゼロ」という目標が、「いじめ」としてカウントさせないようにしているのでしょう。

投稿: Dain | 2019.09.28 07:33

偉い人や会社、資金源となる人や会社が不利益になるまで変わらないでしょ

投稿: | 2019.09.28 18:02

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