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知の泥棒の歴史『図書館巡礼』

『図書館巡礼』は、書物と図書館について四方山話を集めた一冊だ。「本」を追い求める営みが真摯で、ひたむきであればあるほど、常軌を逸した書痴っぷりが伝わってきて、非常に楽しい。

Libra

知の泥棒の歴史

『図書館巡礼』の著者は気づいていなさそうだが、本書は、知の泥棒の歴史に見える。

口伝、写本、書物、ROM、媒体は異なれども、人は知を集めようとしてきた。知は必ずしも正当な方法で集められるとは限らない。ひそかに盗み出されたり、言葉巧みに持ち出されそのまま帰ってこなかったり、ときに権力者によって強制的に収奪されることもある。

さらに、知の集積所である図書館には、知識だけでなく、知を司る人や、それを複製する人、売り買いする人たちが集まる。中には不心得者がいて、写本を失敬し、売りさばいたり自分のモノにする人もいる。

こうした知の泥棒たちは、自分の行為をやましいと思っていない。むしろ、その書物の本当の価値を知っているのは自分だけであり、いまの状況からその書物を救い出しているとさえ言う。「ドケチ婆が貯め込んだ金は、苦学生の俺にふさわしい」というラスコーリニコフ的正当化がまかり通ってて面白い。

そして、興味深いことに、こうした泥棒たちのおかげで、結果的に、貴重な知識が消滅を免れたり、思わぬところから発掘されたり、まったく別の本として編纂されたという経緯を見ることができる。

口承を盗んだ『ソングライン』

たとえば、ブルース・チャトウィンの『ソングライン』。紀行文の形をしたフィクションとして名高く、モレスキンを一躍有名にしたのがこれだ。

ソングラインとは、アボリジニの天地創造の神話を歌った口承だ。オーストラリア全土を楽譜と見なし、そこに広がるあらゆるもの――鳥や、獣や、植物や、岩や、泉――の名前と、そこに織り込まれたストーリーを身振りとともに歌いあげることで、祖先が創造した世界を「再創造」していく。「人はなぜ放浪するのか」という問いへの、一つの応答としてスゴ本だと感じた[『ソングライン』はスゴ本]

しかし、『図書館巡礼』で紹介されるエピソードは不穏だ。ソングラインを象徴する聖なる彫物「チュリンガ」が持ち去られ、タブーに背いてソングラインの秘密が公開されたというのだ。これは、歴史のなかで悪名高い書物泥棒の略奪に匹敵すると批判されている。ソングラインは歌の伝承であり、物理的な「本」ではないが、それが暴露されるということは、盗みになるのだ。

本というモノに囚われていると、ハッとさせられる。チャトウィンが『ソングライン』を著わさなければ、わたしがアボリジニの口承を知ることはなかっただろう。

泥棒のおかげで、アレクサンドリア図書館の完全消滅は免れた

古代ローマの世界最大の図書館として名高いアレクサンドリア図書館。蔵書数は 10万巻とも 70万巻ともいわれ、著名な学者や詩人が招かれた。エラトステネスは、ここで地球の外周を99%まで正確に計算し、アルキメデスは、ここで円周率を99.9%の精度で試算した、と言われている。

図書館を中心に、書店やパピルスを扱う商人が集まり、一種の学園都市(ムセイオン)を形成していた。「アレクサンドリア図書館」とは、一つの箱モノの施設ではなく、知的商業圏を指していたのだろう(兜町で証券取引の集合みたいなメタファー)。

問題はここから。人が集まるということは、善人も悪人も集まるということ。なかでも、司書を買収して巻子本を持ち出させ、書き写した後、海賊版を売りさばいた商人もいた。もともと、アレクサンドリア図書館自体が、旅人から奪った本から写本を作り、蔵書を充実させてきたから、同じ穴の狢かもしれぬ。

アレクサンドリア図書館の写本は、大火により灰燼に帰したと伝えられるが、実はそうではないらしい。失われるはずだった貴重な写本は、商売上手な泥棒のおかげで海賊版が流通し、結果として現代まで残されたというのだ。データの冗長化は、どの時代も重要な課題なんだね。

最も偉大な本泥棒・ポッジョ

ここで登場するのがポッジョ。ルネサンス期のブックハンターで、古代ラテン語文献を見出したことで有名だ。下ネタまみれの猥談集『滑稽譚』も書いており、レオナルド・ダ・ヴィンチやJ.P.モルガンも所有していた。

たいへん興味深いのが、ブックハンターの論理だ。歴史的に重要かつ貴重な写本を「持ち出す」ために使われる理屈である。

つまりこうだ―――汚らわしい牢獄のような修道院で、その重要性を知らない修道士が、貴重な写本を小銭を稼いだり焚きつけ代わりに使っていた。人類最後の一冊が、まさに朽ち果てようとする寸前で、ホンモノが分かる愛書家が現れ、救出する―――というストーリー。

悲惨な状況に置かれた主人公が、世を捨てた名人に才能を見出され、幾たびもの困難を乗り越えた後、世界を救う英雄となる神話。ヒーローズ・ジャーニーの書物版として正当化されたストーリーやね。

実際のところ、ポッジョは賄賂を使い、言葉巧みに説き伏せて修道院に入り込んでいた。そこで「発見」した貴重な書物を失敬したことを隠し、正当化するために、修道院の荒廃ぶりをおおげさに書いたという(この「発見」は、アメリカ大陸「発見」に通じる)。

いっぽう、ポッジョを「ホンモノが分かる愛書家」として描いたのが、『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(グリーンブラット、柏書房)である。「その一冊」とは、ルネサンスや科学革命を引き起こしたルクレティウス『物の本質について』のこと。

名馬も伯楽に見出さなければ名馬たり得ないかもしれぬ。だが、その一冊の「発見」の瞬間は、ヒーローズ・ジャーニーまんまの演出になっており、どこまで本当か想像しながら読むと楽しい。ポッジョを泥棒と断ずるのは容易いが、そのおかげで、いまルクレティウスが読めるのかもしれない。

本は破って使う

愛書家が見たら発狂するような人も出てくる。

面白いところは残しておいて、気に入らないページは破って捨てたエドワード・フィッツジェラルドや、良いと思った箇所だけを切り貼りし、数冊をまとめて抜粋版のような一冊に物理的に再編集したヴォルテールなどは、まだ良い方。

チャールズ・ダーウィンなんて、大きくて重い本は遠慮なく半分に切り取り、場所を節約するために必要なページだけを残して後は捨てた。さらに、見返しや余白部分に詳細な注釈を入れた。ダーウィンしてみれば、本はノートだったのだ。

そういえば、「本=ノート」という発想は、松岡正剛氏から教わった。詳細は[松岡正剛の読書術]にまとめたが、書かれてある内容から想起された思考をノート代わりに書き込むことで、本をリ・デザインするという発想は面白い。

また、読みたい所だけ切り取るという発想は、小松左京を思い出す。うろ覚えで恐縮だが、百科事典の必要な個所をハサミで切って、そのスクラップを持って新幹線に乗り込んだというエピソードを聞いたことがある。

これは、わたしも実践していた。快楽天の好きなトコだけを切り貼りして、(必要に応じ極細ペンで描きこみ)オリジナル快楽天を編集していた。極めて実用的な書物だったが、電子書籍となったいま、アクセシビリテイが極めて悪い。電子書籍の最大の弱点はこれ。本をモノとして扱えないがゆえ、再編集ができないところ。

電子書籍の未来を、CD-ROMとパピルスから占う

電子書籍の未来を占うエピソードが紹介されているのもいい。

マングェル『愛書家の楽園』の孫引きだが、電子書籍版「ドゥームズデイ・ブック」の話だ(わたしのレビューは[愛書家へのプレゼント『図書館 愛書家の楽園』])。「ドゥームズデイ・ブック」は、11世紀に作成されたイングランドの土地台帳のこと。BBCは1986年に、この電子書籍を製作した。

電子版「ドゥームズデイ・ブック」は、250万ポンドが費やされ、100万人以上の協力のもと、25万の地名、2万の地図、5万の写真、3千のデータセットと60分の動画が格納された。

16年後の2002年、その情報を読み出そうとしたが、できなかった。ディスクやCD-ROMの寿命はせいぜい10年、データを復旧させようとした試みは、上手く行かなかった。マングェルは、このエピソードを次の言葉で締めている。

それとは対照的に、およそ千年前、紙の上にインクで書かれたオリジナルの「ドゥームズデイ・ブック」はロンドン南西にあるキュー公文書館に完璧な状態で保存されており、いまでもはっきりと読むことができる

このエピソードを持ち出すと、電子書籍主義者は、「昔は記憶媒体が様々だったし記録方式もバラバラだった。いまはEPUBをベースにほぼ統一されてるからへーきへーき」と反論する。そんなときは、アレクサンドリア図書館の本が失われた、もう一つの理由を紹介している。

あの本どこへ行った?

アレクサンドリア図書館の大火について、ローマ皇帝が火を放ったから、異教徒が反乱したからと言われるが、火ではなく湿気が理由だという説もある。

そもそもパピルスは保存をする文書に向いていない。炎だけでなく湿度にも弱く、虫も食う。定期的な保全と複写を継続していかないと、あっさりと解体する。加えて河川デルタの湿潤な気候では、そのスピードも加速される。もちろん戦火による影響もあるだろうが、ため込むだけため込んで、出資元の代替わりにより、メンテや次世代への引継ぎを怠ったとにらんでいる。

メンテナンスや複製による、モノとしての冗長化コストが最も低いのは、印刷された本だ。さらに、増版により空間を超え、改版により時間をも超えることができる。

電子書籍「版」を作ることは冗長先を増やすメリットはあれども、電子書籍オンリーにするのは、仮想空間でアレクサンドリア図書館を作ることに等しい

電子書籍は、今後、もっと流行する。スマホやタブレットだけでなく、リビングのディスプレイで読んだり、オーディブルな形で流通するだろう。そして、十年ほど経過して、メディアを再生・流通する企業が吸収合併されたり倒産したちょっと後、きっとこう言われるだろう。

「あの本どこへ行った?」

そして、図書館を探すはず。あるいは、海賊版を扱っている書店に向かうかも。

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