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苦しまないと死ねない国で、上手に楽に死ぬために『医者には絶対書けない幸せな死に方』

 生活や仕事の質を上げるテクニックが「ライフハック」なら、本書は、安らかに死ねるためのテクニックを集めた「デスハック」である。QOL(Quality Of Life)ならぬQOD(Quality Of Death)を向上させるノウハウ集やな。

Ishaniha

「平均寿命」-「健康寿命」≒ 10年

 日本人の8割は病院で死ぬが、病院では迎える死は「安らか」でない場合が多いという。なまじ延命治療技術が発達してしまったため、病院のベッドに何か月も縛り付けられたまま拷問のような状態で死に至る人が大勢いるらしい。

 WHOによると、「健康寿命」の定義は、「医療や介護に依存せず、自力で生活ができる期間」になる。日本人の平均寿命(2016)と並べると、こうなる。

  健康寿命/平均寿命
男  71歳 / 80歳
女  74歳 / 87歳

 つまり、死ぬ前に、男は10年、女は12年程度、医療や介護のお世話になる期間があることが見込まれる。そして、他人のお世話にならないと生きていけない10年をどうとらえるかが、死に方・死に時を考える入口となる。

 その10年は、誰かにオムツを替えてもらう10年か、恍惚の人となり家族に見放される10年か、ベッドに縛り付けられて「やめてくれ」と意思表示もままならない10年か、あるいはその全てか、さまざまな可能性に満ちている。

 現役の高齢者になると、ピンコロを願うという。ピンコロとは、直前までピンピンしており、ある日、苦しむことなくコロリと死ぬ「ピンピンコロリ」の略である。「ぽっくり逝く」の現代版みたいだが、節子、それ突然死や。お別れも未練もなく断ち切られる人生である。良し悪しともかく、そういう死に方ができる人は5%だという。

「できる限りのことをしてください」

 本書によると、自然死というのは、一種の餓死になる。老衰や病気で身体機能が落ちてくると、人は自然とものを食べなくなり、枯れるように死んでいく。理想的な死の一つだが、病院ではなかなかそうさせてくれない。

 なぜか?

 まず、病院側の事情がある。病院に担ぎ込まれたのであれば、治療せねばならぬ。自力で飲食できなくても、チューブにつながれ、無理やりにでも水分や栄養分を補給する必要がある。そして、家族が「できるだけのことをしてあげてください」と言うならば、できる限りの治療を施すことになる。

 そして、人工呼吸や胃ろうなど、延命治療を始めたならば、それをやめるのは難しい。訴訟リスクがあるからだ。本人が、文字通り「必死に」なって、家に帰る、死なせてくれと訴えても、家族や周りの人が、最後まで頑張って、可能な限りの治療をと言うならば、医師は後者に従ってしまう。

 家で死にたい親と、家で死なせたくない家族。この状態になると、いつ死ぬかは分からない。延命技術は日々進展しており、「死なせないため」なら、本人の意思はともかく、寝たきりの状態をできるだけ長く続けることができるから。

 結果、死亡前1年間にかかる1人あたり医療費は膨れ上がり、平均でも300万円弱かかっているという。手厚い延命治療を施した場合、1,100万円になる。「終末医療をカネで測るのは筋悪」という議論があるが、事実だけは確認したい。

300万の出典は、(本書によると)以下の通り。『高齢者の医療の~』を参照してみよう。
『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』土佐和男・法研2008年
「終末医療の動向」日本医師会雑誌113巻12号
「東京都老人医療センターにおける終末医療費の解析」[参考]

1,100万は、『医師の一分』で見かけた。出典を確かめてみよう。

「良い死」とは

 ではどうすれば「良い死」を迎えられるか?

 これは、多くの人の死を見てきた医師に聞くのが手っ取り早い。つまり、「自分なら」どんな終末期医療を望むか、と医師に尋ねるのである。[良い死、悪い死、普通の死]でも考察したが、「良い死」として医者がすすめる死に方は、当の医者が患者に施している方法と、全く異なる。つまり、医者は、自分にしてほしくない医療を、患者に対して行っているのだ。

  • ほぼ全員が事前指示書を所持
  • 大多数の医者は、心肺蘇生、透析、大手術、胃ろうを希望しなかった
  • 全員が鎮痛薬、麻酔薬を希望

 この技は、自分や家族について医師と相談する際にも使える。ある治療や処置を施すかどうかについて、医師から判断を求められたとき、「先生ご自身がこうなられたら、どういう処置を望みますか」と聞くのだ(家族の場合なら「先生のお母さまが~」と置き換えればよい)。

 また、事前指示書については、たとえば東京駅の近くの京橋公証役場で、「尊厳死宣言公正証書」が作成できる(1万1千円とのこと)。証書を作るだけでなく、延命措置を打ち切る医師のリスクを下げる方法について聞いてみよう(この情報、週刊ポストで知ったのだが、時代だな……)。

 あるいは、本書によると、少なからずの医師が、「死ぬなら癌がいい」と公言しているという。理由としては、余命宣告されてから死ぬまでに動ける時間があること、残務整理やお世話になった人へのお礼の言葉を伝えられることが挙げられる。

 しかし、これは表向きで、一番は「確実に死ねる」ことにある。ある年齢以上になった場合、一年ぐらいで確実に死ねる死は、実は歓迎するべきものなのでは―――という意見もある(丸山理一「死について」日本医事新報1991年1月26日号)。これを書いた丸山医師は、自分で胃がんを診断してから「治療はしない」と決断し、9か月後に亡くなったという。63歳だった。

 死に方について、医療関係者や宗教関係者によって書かれる本は多い。だが、本書はどちらの立場でもない。認知症になった親の介護に苦労して、金も時間も使い果たした末に掴んだ介護保険や介護施設の裏事情が書いてある。

 生々しい話や、壮絶なものもある。「お金はないが、楽な死に方としての凍死」も提案されている。カネがあれば幸せな死が迎えられるかというと、そうでもない。社会が変わるのに時間がかかる。その前に、わたしの死がやってくるだろう。願わくば安らかな最期だが、願うだけでなく、できる準備はしておく。

 最後は……どうか、幸せな記憶を。

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