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生きる目的なんて無いが、生きがいは有る。問題は、2つを混同させることにある。

 生きる目的なんて無い。だが、生きがいは有る。問題は、2つを混同させることである。

 「誰かに誉めてもらうため」に生きているのなら、誉めてくれる人がいなくなった時点で、生きる目的がなくなる。しかし、それはおかしい。したがって、「誉めてもらうことを生きる目的とする」前提がおかしいことが分かる。

 たとえば、誰かに誉めてもらうために努力し、「良い子」「良い生徒」「良い社会人」「良い夫」をするのもいい。だがその努力は、「誉めてもらうと嬉しい」のであって、そのために生きているわけじゃない(ここ重要)。「誉めてもらうこと」を目的にしてしまうと、誉めてもらうためにする「良い〇」に飽きたり疲れたりした時点で詰む。「良い〇」でないからといって電車に飛び込む必要なんて無いし、誉めてくれなくなった誰かを憎むのもおかしい。

 そして、「誰かに誉めてもらうため」の代わりに、「社会に貢献するため」「子孫を残すため」「家族を養うため」を入れても同様だということが分かる。つまり、カッコ「」内が実現できなくなったら、生きていても仕方なく、死んでもいい、ということになる。しかし、それはおかしい。これは、文章にすると違和感が増す。

 ・社会に貢献するために、わたしは生きている
 ・わたしの子孫を残すために、わたしは生きている
 ・家族を養うために、わたしは生きている

 それでも、最後の「家族を養うため」のセリフは、よく耳にする。だからこそ、病気やケガ等でそれができなくなったときに、電車に飛び込む人がいるともいえる。目的としてしまうから、それが失われたとき、「生きていても意味が無い」「何のために生きるのか分からない」になってしまう。

 これは、前提が違うのだ。おそらく、カッコ「」内に何を入れても、おかしいことになる。ここから導かれる結論は、「カッコ内のために生きる」ということ自体が、おかしい。およそ、「〇〇のために生きる」なんてことは無い。ただ生きていればいい。社会に貢献したり、家族を養うのは余禄みたいなものなのだ。

 これには、ただし書きがつく。〇〇が、ただ唯一の生きる目的ではなく、生きていてよかったと思える甲斐である場合、「〇〇のために生きる」は成り立つ。〇〇にあなたの大好きなこと、真夏の夜のビール、ロードショー初日に見に行く、土曜の午後に本を読む、気の合う仲間とセッションする等を入れると分かる。

 そして、その〇〇は、ただ一つだけではないはずだ。そこからつながる別の〇〇や、仲間や憧れの人(生きているとは限らない)がいて、そうした出会いと別れの諸々が、沢山出てくるはずだ。この、生きがいという意味に限り、「〇〇のために生きる」という表現を使ったほうが、安全だ。

 生きる目的と生きがいは違う。「この一杯のために生きている」は、あくまでも比喩であり強調表現だ。その限りでは、「家族のために生きている」はアリだ。だが、比喩を離れ、生きる目的としてしまうとおかしな話になる。それは、「この一杯が飲めなくなったら死にたい」という文がおかしいぐらいに。

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コメント

目的と手段を履き違えてはならないということですね。

巷では、よく手段の目的化が見受けられます。

投稿: ji | 2019.02.06 17:33

>> jiさん

ご指摘の通りだと思います。さらに強調表現として「~のために生きる」という慣用句があるため、両者の取り違えが起きているのだと考えます。

投稿: Dain | 2019.02.07 07:00

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