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古川日出男『平家物語』はスゴ本

 たくさんの声、声、声。読むというより体感する。

 語りのリズムに情感に、うっとり酔ったり胸を衝かれたり。平清盛の絶頂期から、ぐんぐん・ガツガツ読み耽るうち、あれよあれよと儚くなる。驕る・驕らぬにかかわらず、生あるものは死んでゆき、出会ったものは必ずや別れる。犯人はヤスだ。平家は滅亡する。

 そんなこたぁ分かってる。分かっているのにやめられない。生きるのをやめられない。もがきあがき、意地汚く生きようとする。いっぽうで、驚くほど潔く死ぬ。生(ナマ)の生(セイ)の荒々しさに呑まれ、壮絶な死にざまを晒す人間たちに震える。凄まじい読書体験となる。

 古川日出男が産みだした『平家物語』はスゴ本なり。

 目を引くのはその文体、語りだろう。

 もとは琵琶法師の語りを記したとされている。大勢の話者がいて、続々と挿話が足され、組み込まれ、さらに多くの編者によって文も書き換えられ、継ぎはぎされ、縒り合わされ、物語を豊饒なものにしている。『平家』は日本の古典の中で最も異本が多いという。さまざまな読まれ方をされてゆくうち、物語が命を得て、今でいうなら同人誌のように自己をクローン化し膨らませてゆく。

 底本にあたると、はっきりと分かるという。著者は、「今、違う人間が加筆した」と書き手が交替したことが皮膚感覚で伝わるらしい。文章の呼吸が変わり、語りの構造も変化する。こうした、無節操ともいいたくなる膨張っぷりに、ただ一人の書き手として、どう捌くか。古川日出男『平家物語』は、さまざまな「語り手」を用意することで解決する。

 すなわち、じつに多くの「語り手」が背後に潜んでいることが、はっきりと分かるように記している。話者の主語を「私」「俺」「僕」「手前」「あたし」と多彩にし、同じ「私」でも複数いる。色やかたちに焦点をあわせ、「でございます」調でしっとりと語る女の声。起きたことを述べるだけで、ぶっきらぼうに「だった」「である」で語る男の声。

 ときに間投詞ときに感嘆句を絡めながら、直接こちらに話しかけてくる。文章は一次元なのに、大勢の語り手と向き合っているような気になる。合戦シーンになると、これに琵琶の撥が加わって、一層ざわめきが増してゆく。

「そうか。では今日の軍神への捧げものに、なあ。してやるぞ」と言い、馬を押し並べる。むんずと組みつく。地面に引き落とす。首を捩じ切る。斬る! それから郎等である本田次郎の鞍の取付にこの首をつけ、まさに血祭り、軍神を祝う斬血の祭り!
南無!
南無や、南無や、南無や!
よ!
た! は!
なぁむ!
これらが緒戦、宇治川の、寿永三年一月の合戦の。

 さらに、語調と語感を意識した、ラップのような書きっぷり。これ、ぜったい謡いながら書いているだろ!と言いたくなるような箇所もある。「守護、地頭。守護、地頭。もう時代は変わってしまっておりますよ」と平氏の儚さと源氏の惨さを一斉に嘆くところなんて、「男女男男女男女(男女!)」を彷彿とさせられる。

 こうした細部から引いて、メインに目を向けると、これまたくっきりと見えてくる。平氏の絶頂から、これを快く思わぬ人々が企んだ鹿ヶ谷の陰謀、さらに後白河法皇と以仁王の蜂起の失敗と、「一線を超えてしまった」驕りカウンターの凄まじさ。そして、清盛の死をきっかけとする平氏没落の過程と、それを加速させる源氏一族の台頭がある。木曾義仲と源義経の活躍もきちんと描かれるが、主旋律は死んでゆく平氏の人々である。

 死んでゆく、死んでゆく、前半であれほど楽しみ唄っていた人々が、泣き、嘆き、斬られ、引き裂かれてゆく。裏切りや内通、騙し討ちで命を落とすもの。まっしぐらに敵陣の中で果てるもの。逃げて逃げて逃げた先で捕縛され、恥を晒して斬られるもの。全ての望みを絶たれ入水するもの。合戦シーンは凄まじい。鎧甲冑に身を固めているため、攻撃の基本は顔である。弓も刀も、顔を狙うため、討たれた方はおぞましい顔貌になる。目を背けたくなる非情さと、親が子を子が親を想う刹那が混在し、その両方に撃たれる。多くの語り手の声は、実は鎮魂のための声なのかもしれぬ。

 面白いのは、古川日出男の目線だ。

 むかし、若さに任せて、吉川英治『新・平家物語』をイッキ読みしたことがある(めちゃめちゃ面白かった)。これは、『平家物語』だけでなく、『保元物語』『平治物語』『義経記』の面白いところ取りをして、書かれたといえる。そこでは、いわゆる義経を代表とする英雄たちのふるまいに焦点があてられ、殺しあいの無情さに紙数が割かれていたことを記憶している。平家物語とは軍記物語であるという解釈をもとに、英雄譚としての平家を書いていたのだろう。

 いっぽう古川日出男『平家物語』は異なる。自分なりの解釈を容れず、省きも漏れもないように訳したという。結果、前半は政治と恋と宗教の話になり、後半は合戦と悲劇になる。さらに合戦も、超人的なヒーローが戦局を左右するようなガンダム的な展開にならず、情報戦と索敵と兵站に終始するリアルなものとなる。

 そして、合戦の現場に居合わせた人の耳目を通じた体験のように語られる。読み手(=聴き手)は、その語りを通じて、体験を経験に変えてゆく。吉川英治が「お話」としての平家物騙りなら、古川日出男はナラティブな『平家物語』を目指したのかもしれぬ。

 読むことが体験になる、そんな稀有な経験が、古川日出男『平家物語』にある。物語りの頂点を、体験すべし。


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