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世界は不公平である『My Room 天井から覗く世界のリアル』

 世界は不公平である。金持ちと貧乏人がいて、美形とそうでない人がいて、幸せな人と不幸せな人がいる。そんなことは分かっている。そんなことは分かっているが、これほど如実に見せつける視点が新しい。

My Room

 55ヵ国1200人のベッドルームを、天井から並べた景色は、今の世界のサンプルそのもの。民族や文化だけでなく、その部屋の主の生い立ちやライフスタイル、思想までをも垣間見ることができる。

 どの部屋にも共通するのは2つ。ひとつは、天井を見上げている笑顔、もう一つは、自分の宝物を広げているところ。天井を見つめるのは、18歳から30歳の男女で、その若者がいまいる状況、何を望んでおり、どうしたいかといった身の上話を語ってくれる。

 たとえば、アメリカ合衆国ダラスの「銃のコレクションがある部屋」。ベッドの上には、拳銃やショットガン、アサルトライフル、防弾チョッキ(?)が並んでいる。銃社会アメリカを象徴するかのような部屋で、これまた全米ライフル協会を代弁するかのようなメッセージを読むことができる。曰く「人を殺すのは銃ではなく、銃を持った人なのです」。身を守るために必要だと説くが、安いのは200ドル、高いのは2,000ドルという8丁は多すぎやしないか。

 あるいは、インドのスラム街の「家族10人で眠る部屋」もすごい。6畳ぐらいの空間にベッドが一つ、冷蔵庫が一つ。この部屋に、両親、兄弟、姉妹、従妹、義兄弟、義姉妹が身体を寄せ合って寝泊まりする。映画にもなった小説『スラムドッグ・ミリオネア』の舞台となったダラビの部屋だ。「裕福な地区ができると、自然とその足元にスラム街ができる。富める者と貧しい者はお互いを必要とする」言葉が重い。

 日本もある。「ロリータファッションの部屋」である。ピンクを基調としたカワイイ小物や服を部屋いっぱいに並べ、本人もロリータファッションに身を扮して見つめている。「服装のルールに寛容な国に住んでいてよかった。ファッションの街パリではみんな黒しか着ませんが、日本ではだいたい何でも許されます」とのこと。言われてみれば、たしかにそう。日本では、着るものと食べるものにタブーはない(ように見える)。

 ニュースの「その後」をうかがい知る発言もある。エジプト革命の最前線だった部屋の主からは、「アラブの春」への疑義が挙げられる。革命は下品な本能を煽り、何百人もの人々が殺され、誰も観光に来なくなり、経済は大打撃を受けたという。南アフリカで貧しい暮らしをする女性は、「ネルソン・マンデラは自由のために闘ってくれたが、何も変わっていない。こんなにも不平等なのに、どうして希望と意志を保てばよいのか?」と訴える。

 ドバイの富豪「エマラティ」の部屋は見たほうがいい。石油の開発で大きく発展し、利益と権利を独占するUAE出身者のことを「エマラティ」というとのこと。深紅の敷布の上に高価な時計や小物を並べた若者の部屋である。「僕の世代はあまり努力する必要もなく生活を楽しむことができ、何より大きくて豪華な家で快適に暮らせます」という素直さが逆に重い。

 「農業は大嫌い」と嘆く18歳の女の子の土間部屋。汚れたコンビニ袋(のようなもの)が一杯に広げてあるマダガスカルの少女の部屋。サイバーカフェで英語を学び学位を得るエチオピアの少年の部屋。ほとんどモノがないのに、枕元にはiPhoneらしきものが転がっているシリア難民キャンプの部屋。モノが無いのは、「それが別の部屋に置いてあるぐらい豊か」からなのか、あるいは「モノそのものを持っていないほど貧しい」のかの二択だ。PC を持っているなら、Dynabook か Dell がほとんどである。

 著者・撮影者である John は、「なぜ部屋を撮るのだ?」という質問に、こう答える「部屋は人の最も親密なことが凝縮されていて、様々な生き方を表しているから」。

 部屋を通じてライフスタイルを知る、この感覚は、都築響一『TOKYO STYLE』に似ている。小さい部屋でごちゃごちゃと気持ち良く暮らしている「日本の空間」を切り取った写真集である。あるいは、ブランドにハマった庶民を「買った服」とともに撮影した、同じく都築響一の『着倒れ方丈記』[書評]を思い出す。写りこんでいる皆さん、ホント幸せそうな顔をしていらっしゃる。「消費社会の犠牲者」とレッテル貼るのは簡単だが、これほどハッピーな犠牲者もなかろう。借金してでも服が欲しいとか、服の収納のために家を買おうとか、突き抜けた次元にいらっしゃる。

着倒れ方丈記

 もっと広く、ある視点から世界をサンプリングしたものなら、世界各国で暮らす「普通の人々」の食事一日分を、その摂取カロリーとともに撮影した『地球のごはん』[書評]、あるいは世界24か国をめぐり、そこに住む家族と1週間分の食材をポートレイトにした『地球の食卓』[書評]といったルポルタージュに似ている。貧困にあえぎ必要な栄養を得られていない人々のカロリーと、豊かな国で太りすぎのためダイエットしている人々のカロリーがほぼ同じという皮肉を見ることができる。

地球のごはん

 生活を斬り口にすると、文化や時代を超えた普遍性をもって問題を露わにすることができる。衣食住、どれを斬り口にしても、世界は不平等であり、不公平である。その部屋に安住している人と、その部屋から脱出しようとしている人、これを「多様性」と括りたくない。

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