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見えない老人問題 『母の家がごみ屋敷』

 高齢化社会の問題は、「見える」ものだと思っていたが、認識が甘かったことを思い知らされる。

 たとえば、福祉や介護という「税負担」の形として見える問題、高齢者が政策を左右する「シルバー民主主義」、あるいは身の危険を感じたり痛ましい事故として目にする「高齢ドライバー」など、人口構造から導き出される顕在化したものが全てと考えていた。

 しかし、物理的な壁やプライバシーの権利に阻まれ、実体が見えにくい問題があることが分かった。「モノを捨てられない老人」という問題である。世の中には、片付けや整理が苦手な人がいて、極端な場合、汚部屋や汚屋敷を築くことは知っている。高齢化社会がこれを加速しているのだが、その実体は壁の向こう側で進行する。

 老化による体力の衰え、認知能力の低下、家族や身近な人を失ったショックによる生活意欲の減退により、身の回りのことができなくなる。核家族から単独生活者になり、支える人もいない。

 本書では、こうした高齢者のことを、セルフネグレクト(自己放任)と定義し、その実態と現場をルポルタージュする。「これはひどい」という現場に焦点が当たっているが、これは、誰にでも起きうることだし、壁の向こうで既に起きていることだということが分かる。

 「ごみ出し」が象徴的である。

 地域によるが、決まった曜日と時間に、決まった種類のゴミを出す必要がある。家庭ゴミ、不燃ゴミ、カン、ビンは分別し、それぞれ指定の半透明のゴミ袋(有料)に入れる。粗大ゴミは事前に回収業者を「予約」して、専用のシール(有料)を貼って出さなければならぬ。わたしの場合、一連の家事の中で、分別やパッキングがルーティーン化されているからあまり思わないが、これ、初めてするとなると相当に面倒だろう。

 これが、高齢者の場合、配偶者の死別や、体力の低下により、おっくうになってくるという。「ゴミを出す」という独立したタスクというよりも、家事に組み込まれた一プロセスなのだから、当然である。掃除して、片付けた結果、ゴミとして認識されるモノが出てくるのだから、その前のプロセスである「掃除」「片付け」をやらないと、ゴミが見えなくなるのだ(生活空間の中にゴミが埋もれる)。

 当人としては「いずれ片付けよう」として延び延びとなっているため、モノは未だゴミではない。溜め込まれたモノが寝室や台所から居間にあふれ、廊下を占拠し、風呂がモノでいっぱいになる。家の中がモノ置き場となり、トイレの前に布団を敷いて暮らしている人もいる(もちろんその布団も、モノの上に敷いている)。

 家の中で置ききれないモノは、家の外にあふれ出す。ベランダや庭、家の前にまで積み上がるようになって、ようやく問題が「見える」ようになる。そして、「見える」ようになる頃にはほぼ手遅れだ。道路をふさいで交通事故を誘発するリスク、地震や台風で崩れるリスク、ゴミ(のように見えるモノ)から孵る虫や悪臭、さらには火事や治安にまで波及する。

 これは、モノを失うのを極度に恐れる、経済的に貧しい人かと思いきや、そうではない事例が出てくる。高級住宅街(ボかされているが田園調布)に一軒家を持つ裕福な女性だが、家の中がモノだらけで住めなくなり、やむなく近所に部屋を借りてそこで寝泊りしているという。

 そして、自宅に毎日通って、少しずつ片付けているが、遅々として進まないらしい。部屋代を払えるなら、そのお金で片付けてもらえばと思うのだが、そのような発想はないようだ。昔を懐かしむ思い入れと、「人様に迷惑はかけられない」「もったいない」という感情が後押しする。

 問題は当人の生活だけでなく、家族や地域社会にまで波及する。本書に限らず、実際に困りぬいた家族がネットに相談している事例もある。発言小町の「ごみ屋敷の実家にうんざりです」を見ると、大学を卒業し、帰ってきた実家がゴミ屋敷と化しているのに愕然となった娘の相談がある。汚れ放題の親の生活を諫めたところ口論となり、挙句に「この家は私の家なんだから、嫌なら出ていけ」と言われる始末。

 この問題をやっかいにしているのは、当人が、ゴミを財産だと主張していることだ。心配する近隣の人に対し、「いずれ片付けるつもりの財産である」と激昂する。本人がそう言う以上、周囲はそれ以上強くいえないのが実際となっている。

 行政や警察は、本人や家族の同意が得られなければ、手を出せない。「本人の意思を尊重したほうが」「しばらく様子を見てみては」と及び腰である。対する近所の声が切実である。「身寄りのない、自律できていない人に対し、24時間365日つきっきりで見守ることはできない。ゴミに埋もれた家で、いつ孤独死するかも分からない。当人が本当に健康な暮らしをしているか、行政は現場を見ろ」

 本書では、道路交通法や特別条例により、強制的に撤去されている写真が数多く紹介されているが、氷山の一角だという。こうした強制措置ではなく、もう少し予防的な対策がないだろうか。「見えない」老人問題を「見える化」するために、本書では様々な取り組みが紹介されている。

 たとえば、所沢市の「ふれあい収集制度」。ゴミ出しをすることが困難な、要介護支援の高齢者などを対象として、市の職員が戸別訪問し玄関先から一括で収集する制度である。ポイントは、ゴミが出ていない場合には、安否確認のため声かけをしているところだろう。調べてみたところ、同じような試みは、調布市、川崎市、日野市などの自治体でも行われているようだ。

 さらに、こうした試みを後押しする支援として、「高齢者ごみ出し支援ガイドブック」が紹介されている。国立環境研究所が作成したもので、高齢者を対象としたゴミ出し支援に取り組みたい自治体に向けたガイドブックである。興味深いことに、支援の主体として2種類を想定している。すなわち、自治体が支援主体となる「直接支援型」と、自治会やNPO等が担い手となる「コミュニティ支援型」について、支援制度の設計や運用の仕方を説明している。

 すこし脱線する。

 ここにビジネスの芽が見える。「ごみ出し支援制度を作りたい/運営したい」自治体やNPOに対し、このガイドブックを参考にノウハウを培い、代行するビジネスである。人口ピラミッドを見るまでもなく高齢者は激増し、その何割かはゴミ出し難民と化することが分かっており、なおかつ、このリスクに備えたい自治体は多いはず。2017年に出たばかりのガイドブックで紹介されて「いない」自治体が市場となる。誰かの「困った」はビジネスになる。

 脱線から戻る。

 『母の家がごみ屋敷』で紹介される、セルフネグレクトの問題は、その実態が見えないというところにある。実際、マスコミのインタビューで「昔は良かった/最近の若者は~」と語ったり、事件・事故を引き起こすような老人は、「見えている」。だが、ほとんどの場合は見えないところで問題が進行している。そして、見えるようになったときには手遅れで、強制的か対症的か、あるいはその両方の措置になる。

 見えない問題を、少しでも見える化するために。

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