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女が怖いのではない。『怖い女』がいるだけなのだ

 「男はバカだ」と言うと、主語が大きすぎる。男が愚かなのではなく、愚かな男がいるだけで、一般化には早すぎる。

 しかし、怪談・ホラー・都市伝説から『怖い女』を一般化した本書を読むと、話は違う。こと「女の怖さ」については神話レベルから共通項があるのかも、という気になる。

 たとえばイザナミ。日本列島を生んだ美しい女神だったが、火の神を産んだことによる火傷で死ぬ。再び逢いたい夫は、死後の世界を訪れ、そこで腐乱して蛆がたかったイザナミを見ることになる。イザナミは怒り、夫を追いかける―――生(性)をつかさどる美しい女神は、死を宣告する醜く恐ろしい女神となる。

 『古事記』を起点に、イザナミの系譜をたどる想像力が面白い。現代では口裂け女が後継者になるという。いまどきの若者は知らないだろうが、口元をマスクで隠した若い女が、学校帰りの子どもに「私、キレイ?」と訊ねる都市伝説があった。イザナミを受け継ぐ伝説として、「美しい女」「醜い身を隠す」「追いかける」「捕まると死」という共通点がある。

 そして、口裂け女が口を隠す白いマスク(=パンティ)の隠喩から、割けた口が持つ意味に迫る。それは、ものを食べる上の口だけではなく、愛を食べる下の口すなわち女陰を表す。割けた口はそのまま「歯を持つヴァギナ」(ペニスを食いちぎる[ヴァギナ・デンタタ])を象徴する。「これでも、キレイ?」とマスクを外して露わにすることは、性衝動の両義性、欲望と恐怖の両方が含まれているというのだ。

 さらに、口裂け女とイザナギの間をつなぐ「呑み込む女」として、昔話の食わず女房、ヤマンバ、「祟る女」として四谷怪談のお岩、仮名手本忠臣蔵の累を挙げる。著者は小説とまとめサイトを中心に渉猟しており、テケテケ、カシマさん、だるま女からコトリバコ、そこからパンドラのピトスや「魍魎の匣」まで持ち出すところが面白かった。

 「性」と「生」を与奪する存在としての女というテーマなら本書になるが、この「女」を「食」に置き換えると『性食考』になる。モチーフが重なるのが楽しい。宝物を大便として排泄する若い女のハイヌウェレ神話や、イェンゼン『殺された女神』を引いてくるところなんてそっくりだ。性欲と食欲はともに「生きる欲望」であり、その間にあるのが「女」という構図なのだろう。食べること、セックスすること、殺すこと。これらは独立しているのではなく、互いに交わり重なり合っているのである。

 さらに、日本三大ホラー映画『リング』『呪怨』『着信アリ』の呪いの主がいずれも女であることに着目し、なぜ女の霊が怖がられるのか、神話と関連づけた考察が面白い。ビニール袋に覆われて這う姿から伽椰子は蛇女神の系譜と見なしたり、歪な形だとしても自己増殖を進める姿から、貞子は母性の怖さを持つという洞察はユニークだろう。

 漫画や映画やネットのまとめサイトをまんべんなく渉猟しながら、都市伝説や神話に出てくる「怖い女」の共通項を洗い出そうとする試みは、非常に面白い。

 しかし、観測範囲に偏りがあり、その結果、導き出される「怖い女」にも納得しかねる点がある。「怖い女」とは、究極的なところでは、生殺与奪を司る「母」になれる存在だというのが結論だ。

 それは、「死の恐怖」に裏打ちされた怖さになる。古今東西の死をもたらしてきた悪女を挙げれば事足りる。本書では、キルケやサロメを挙げているが、『ファム・ファタル』を開けば、ロリータやユーディット、セイレンなど死とセックスは近しいという事実をいつでも確認できる。

 だが、死よりも恐ろしい経験があるのだとしたら? 安易に死というエンディングに回収させない、永遠とも思われる生き地獄へ突き落す女なら? 文字通り「死んだほうがまし」「コロシテ…」と思わせる作品なら?

 たとえば、age『君が望む永遠』のマナマナエンドを推薦しよう。いわゆる「ギャルゲ―」と呼ばれるゲームで、選択肢によりシナリオが変化し、複数の女の子と疑似恋愛を楽しむことができる。そんなプレイヤーの下心を見透かしたかのように発動するのが「穂村愛美シナリオ」である。

 そのラスト(マナマナエンド)は、プレイしたことを後悔するトラウマと級なることを請け合う。残念なことに、『君が望む永遠』をプレイできる環境そのものが希少となっているため、[マナマナの恐怖]あたりで片鱗を味わってほしい。

 あるいは、ケッチャム『隣の家の少女』をお薦めしたい。これは、1965年に米国であった[バニシェフスキー事件]を元にした小説だ。監禁と虐待がテーマなのだが、当事者の少女ではなく、傍観する少年の視点から、陰惨な光景を体感できる。

 ここまで残酷なことができるのかと、痛みと吐き気をもよおすとともに、虐待の主が男であるならば、最終的には自身の欲望を満足させる方法を選ぶだろうと想像する。その方法だと終わりがあるが、虐待しているのは養母である。終わらない絶望こそ、最も怖いのかもしれぬ。

 女が怖いのではなく、『怖い女』がいるだけ。だが、怖い女は本当に怖い。自身の経験と照らしながら読むと倍増する一冊。

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