« 2017年10月15日 - 2017年10月21日 | トップページ | 2017年10月29日 - 2017年11月4日 »

事実のフリした意見を見抜く、隠れた前提を暴く、核心を衝く質問をするトレーニング『国語ゼミ』

「2週間でこの変更に対応するということだから、残業時間を増やすか、休日出勤するか、どちらにするか君のチームでまとめておいてくれ」※

 などと言われると、すぐに詭弁センサーが動き出す。

 「2週間でこの変更に対応する」とは、そもそも事実か。何の権限において、誰が、どのようなプロセスを経て決定されたものか。オマエの意見じゃないの? 「残業を延ばすか、休日出勤するか」とあるが、なぜ2択なのか。「対応しない」「品質を下げる」「要員追加」「対応版を後から出す」等は検討したのか。2択なのは、オマエの意見じゃないの?

 そして、オブラートに包んだ形で尋ねると、たちまち皮が剥がれる。客から電話で受けた要求を、進捗会議でそのまま伝えたら、部長がその2択を出してきたとのこと。オマエは御用聞きか!

 実は、重要な問題は※そのものではない。※の中に前提が隠れており、その前提を明確にせずに議論の土俵に乗ってしまうのが、真の問題なのだ。

 たとえば、※に対し、「残業を増やすなんてダメです、ただでさえチームは疲弊しているのに」と返したとしよう。すると、あなたは、「2週間で対応する」前提と、「残業or休出」前提という議論の土俵に乗ったということになってしまう。そして、その前提の中で議論するハメになる。隠れた前提を暴かずに(気づかずに)議論を始めるということは、相手の土俵の中で闘うことになる。つまり、議論を始めること自体が悪手なのである。

 もっと簡単な例を挙げる。パーティーで使われる嫌がらせとして、「いつから君は、君のワイフを殴るのをやめたんだい?」という質問がある。答えは、「YES」でも「NO」でも不利になる。「YES」なら昔殴っていたことを認めることになるし、「NO」なら今でも殴っていることを認めることになる。だから、その質問が事実無根であることから議論を始めなければならない。「ワイフを殴る」前提で吹っかけている土俵に「乗らない」が正解なのだ。

 仕事でワリを食っていると感じるのは、実はこの、「隠れた前提」を暴かないか、気づかないかが原因だ。反対に、「あの人はやり手だ」とか「仕事の回し方がうまい」という人は、この隠れた前提を上手に使う。これは、わたしの苦い経験で得た教訓である。

 それが、p.59に、さらりと書いてある。

 議論を始めるにあたり共有すべき事実・考え方(前提)と、そこで論じるべきことがら(主題)があり、往々にして「主題」ばかりに目が行きがちである。狡猾な人は主題となるべき事柄を、さも前提のように語り、その土俵に乗ったという事実でもって、前提が受け入れられたとする。

 本来は、単なる意見にすぎないことを前提に「まぶす」ことによって見えなくさせ、隠れた前提でもって土俵を作り上げる。乗ったら負け、という土俵なり。狡猾な人は、断定的に、自信満々に言い切る。そして、土俵に乗らない人を無知呼ばわりする。思い当たる人、ありまくり。

 では、どうすればよいか? p.62 「決めつけをはずす」に丸々一節を費やして、練習問題つきで書いてある。そう、本書は、問題集なのである。

 著者は野矢茂樹氏。スゴ本『論理トレーニング101題』を書いた人だが、より噛み砕き・丁寧にしたのが、『国語ゼミ』になる。

 『論理トレーニング101題』のコンセプトはシンプルだ。論理力は感性ではなく訓練で身につく。「解説書なんかいくら読んだって論理の力は鍛えられない。ただ、実技あるのみ」のとおり、やればやった分だけ向上する。相手の立論を正しく読み取り、その論証を批判的に捉えるための、地道なトレーニングを具体化したのが、これである。

 確かに素晴らしい本で、折にふれ絶賛しているのだが……ストイックすぎる。10問も解けば、自分の力が向上しているのがハッキリと分かるのだが、「問題を読む→答えを書く→解答・解説を読む」を淡々と続けるのは、人によっては、ちょっと苦しいかも。あれだ、漢ド・計ドを、地味に、淡々と、延々と、101問やっていくのが好きな、マゾ的素養を持つ人なら向いている。

 だが、『国語ゼミ』は違う。問題数をぐっと減らし(全部で68問に絞っている)、解説を充実させている。さらに、要所要所にイラストや構造図を差し込むことで、理解するスピードを格段に向上させている。問題数を絞ることで、論理力を向上させるために必要な要素が、よりくっきりと炙り出されていて面白い。

 本書の構造をまとめると、以下になる。

  1. 事実と意見を見分け、隠れた前提を見つける訓練(1-2章)
  2. 言いたいことを整理して、効果的に伝える訓練(3-5章)
  3. 「理由」「原因」「根拠」を分けながら、的確な質問をする訓練(6-7章)
  4. 論証の構造を明確化し、メリ/デリを示し、適切に反論する訓練(8章)

 さらに、各章で学んだことを基礎として次章で発展させているため、やればやるほど問題を解くのが上手くなり、好きになるという仕掛け。もし『101題』に苦戦した方がいらっしゃるなら、これを足がかりにするとよいかも。

 ひたすら、楽しく、トレーニングしよう。100冊の解説書を読むよりも、1冊の本書を自分の手で解こう。今回はノート不要、直接書き込めばよろしい。エンピツだけを準備して、ひたすら解こう。なぜなら、論理力は感性ではなく訓練で身に付くのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トップランナーの図書館活用術『才能を引き出した情報空間』

 すごい人が、どんな風に図書館と付き合っているか(付き合ってきたか)が分かるインタビュー集。

 結城浩さんの『数学ガール』、荻上チキさんの『シノドス』、ビブリオバトルの谷口忠大さん...... その仕事の「結果」は知られているが、各人が「どのように」その仕事に取り組んできたか、結果から知るのは難しい。実は、そこには図書館というシステムが深くかかわっている。本書では、こうしたトップランナーたちが、図書館でどのように鍛えられてきたか、さらに、この情報空間に何を求めているかが、語り尽くされている。インタビューイーは以下の通り(敬称略、掲載順)。

  落合陽一
  清水亮
  前野ウルド浩太郎
  三上延
  竹内洋
  谷口忠大
  結城浩
  荻上チキ
  大久保ゆう
  大場利康
  花井裕一郎
  原田隆史

 インタビュアーは図書館情報学の専門家なので、この情報空間をいかに利用するかというテーマが中心となっている。だが、図書館とのかかわり方を語ろうとすると、それぞれの「知が生み出される過程」を深堀りすることになる。皆さん、何を面白がっていて、どうやって形にしようとしているかを、楽しく知ることができた。

 たとえば、結城浩さんの『数学ガール』。中高生が「数学」に取り組む小説で、わたしに掛けられていた受験数学の呪いを解き、自ら学ぶ楽しさ教えてくれたシリーズだ。ところが、授業風景はほとんど出てこない。代わりに、彼らが数学を議論する場所は「図書室」なのだ。

 なぜ図書室なのか?

 実は、結城さん自身の経験に基づいているという。学校の先生から教えてもらう科目ではなく、学びたい人たちが問答を重ねることこそが、知を愛する姿になる。その姿が描きたくて『数学ガール』を書いたが故、その象徴的な場所として図書室が選ばれたのは、必然だったという。

 もちろん図書室は教育の場としてある一方、「上から下へ」のメインストリームである教室とは別の性質を帯びている。すなわち、通り一遍の授業に不満な生徒が自学自習する場であったり、教科書的な教育からの逃避先という役割も持つ。

 さらに、図書館は対話の場でもある。読書という(著者との対話)をはじめ、同じ知を愛する人たちが集い、グループで学習したり、詳しい人に話を聞く場になろうとしている(この動きを、ラーニング・コモンズと呼ぶらしい)。公立はこだて未来大学の例が出てくるが、壁は全面ガラス張りで透明性が高く、クッションが散らばったプレゼン空間があるという。

 こうした対話を促すアゴラ風の空間を提供し、本に限らずさまざまな知の媒体と結びつけるメディア・センターこそが、これからの図書館に求められるものになるのかもしれぬ。

 また、[ビブリオバトル]を生みだした谷口忠大さんの話が面白い。

 お薦め本を5分で語り、参加者を「読みたい!」気にさせたら勝ちというゲームが、ビブリオバトルである。「人を通して本を知る、本を通して人を知る」というキャッチコピーで、学校や図書館や書店を中心に、全国で展開している。その誕生秘話が面白い。

 もとは、大学研究室での勉強会にかける選書がきっかけだったという。勉強会では、一冊の本をメンバー全員で時間をかけて一緒に読み・議論する。だが、それなりの価値ある本は、なかなか見つからない。選書の締め切りは迫ってくるなか、「なんで俺だけこんな苦労をしなきゃならないんだ!」という逆ギレの叫びが、そもそもの始まりだったという。

 つまり、ビブリオバトルの最初は、優れた本を「参加者全員で」探索する活動なのだ。教授がトップダウンで決めたり、夏休みの課題図書として押し付けられるようなものではなく、むしろ逆で、皆で決めるという「課題図書へのアンチテーゼ」が根っこにある。

 だから、谷口さんが、「あの人はビブリオバトルがうまい」という表現は誤用ではないかと指摘するのは正しい。本そのものよりも、本のプレゼンだけ上手で「勝ち」をさらうことへの指摘である(「勝ち」は発表者・参加者全員の多数決で決まる)。ビブリオバトルは、発表者だけにフォーカスが当たるものではなく、「みんなで本を探す」というプロセスこそが重要なのだから。

 これは、わたし自身がビブリオバトルに参加した経験からも同じことが言える。[文京区図書館]や、[紀伊国屋書店] [その2]などで、同じ印象を持った。「みんなで本を探す」プロセスよりも、「いかに聴衆にウケて勝つか」に傾倒する参加者がいたので気になった。

 「本を探すコミュニティ」を形成する仕掛けとしてのビブリオバトル。図書館利用を活性化させる視点で捉えなおすなら、これは、図書館「を」盛り上げる企画というよりも、図書館「で」盛り上がる企画として広がっていくことを願う。

 すごい人が、図書館をどのように使っているのかを学ぶのもよし、これからの図書館のあり方のヒントを探すのもよし、あるいは、その知的格闘の経緯をうかがい知るのも面白い一冊。

未来をつくる図書館 本書は主に日本の図書館を俎上に載せているが、ニューヨーク公共図書館の事例を紹介した『未来をつくる図書館』と比較すると、もっと興味深いかもしれぬ。

 そこでは、「図書館」という枠を突破し、知的インフラを構築しようとする試みが描かれている。ビジネスインキュベーターとしての図書館、行政機関の窓口としての図書館、地域情報のセンターとしての図書館、芸術に貢献する図書館と、さまざまな試みが紹介されている。文字通り、「図書館で夢をかなえた人々」のストーリーがある。あわせて読むと吉。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年10月15日 - 2017年10月21日 | トップページ | 2017年10月29日 - 2017年11月4日 »