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「正しい政策」がないならどうすべきか→コンセンサスの重なりを泥臭く探す

 運転免許の年齢制限をするべきだ。

 18歳未満という制限があるように、ある年齢以上にも制限を設ける。強制返納、保険料の加算、速度制限つき車などのオプションを準備し、「高齢者の運転」がない社会をつくる―――そんな話を妻とする。

 飲酒運転の厳罰化のように、制度化されるまでに大勢の犠牲者が出るのだろうねとか、いやいや「多数」はまさにその高齢者なのだから、無理じゃないかしらね、といった話に落ち着く。しかし、我が家にとっての「正しい政策」は、別の家庭にとって「正しい」とは限らない。

 『「正しい政策」がないならどうすべきか』は、そんなわたしにとってドンピシャの読書になった。原題は"Ethics and Public Policy"(倫理と公共政策)なのだが、まさにタイトルどおり、「正しい政策」がない場合どうすべきか(どうしてきたか)が書いてある。

 急いで補足しておかねばならないのだが、本書で取り上げるテーマは以下の通りで、「高齢者の運転」は含まれていない。そして、イギリスにおける政策問題の事例のため、日本とは事情が異なってくる。

 ・動物実験
 ・ギャンブル
 ・ドラッグ
 ・安全性
 ・犯罪と刑罰
 ・健康
 ・障碍
 ・自由市場

 それでも得るもの大なのは、現実で直面する政策課題に対し、哲学者がどのように取り組んでいるか、生々しい側面とプラグマティックな「落としどころ」が整理されているから。どのような価値に基づき、どんな利益をめぐって対立が生じているかを泥臭く手際よく分析し、哲学、歴史学、社会学、科学的なエビデンスを用いながら、一定の解決策を導く手腕は鮮やである。

 たとえば、健康の章で、「皆保険の導入→健康の平等」とは真逆のエビデンスと検証をする。国民保健サービス(NHS)が導入された結果、高い階級の人はさらに健康になる一方、それ以外は改善されていない報告を紹介する。皆保険制度は、病気やケガへの「心配」を低減するメリットがあるが、健康の決定要因の一つに過ぎないという。

 そして、健康セキュリティという概念を用い、健康を取り戻すべく医師の指示通り「休む」ための家族のサポートや社会的なセーフティがないことが大きな原因であるという仮説を示す。つまり、皆保険は人生の質を向上させるかもしれないが、それは部分的に過ぎないというのだ。

 面白いのは、哲学者が自ら哲学の限界を認識しているところ。哲学そのものではなく、哲学と政治をつなぐときに生じる限界である。わたしたちの価値観は沢山の源泉があり、文化的・宗教的な伝統に由来する。そうした価値の対立に対し、理路整然と秩序づけることは、不可能だという。道徳的価値の多元性に基づくならば、「正しい政策」など存在しない。

 そのため、「正義の原理」といった道徳原理を定め、そこから「正しい社会への処方箋」を書くといったこれまでの政治哲学者の役割に対し、本書は懐疑的な立場をとる。

 たとえば、ピーター・シンガーの「すべての動物は平等である」という主張や、ジョン・スチュアート・ミルの自由原理に基づく議論が俎上に上るが、これらを「小奇麗に」公共政策に適用したとしても、何も解決しないという。「もし哲学者が真実は発見され、論争は終わったと言い張るのなら、彼または彼女は論争が自分抜きで続いていくのを知ることになるだろう」とまで言い切る。

 では、どうするのか。自分が正しいと考える原理から出発するのではなく、現在の政策と国民が広く抱いている感覚から出発することを強調する。対立状況を把握し、哲学的な一貫性が無いという批判を覚悟しつつ、多くの人が歩み寄れる境界線を見いだすべく検討せよという。

 価値が多元化した現代において、「重なり合うコンセンサス」を模索する社会的合意を重視するアプローチは、泥臭く複雑である。しかし、絡まりあったロジックを解きほぐし、価値と利益対立の関係を質し、すり替えられがちな論点の焦点を合わせ、各人が判断すべきトレードオフを評価する。哲学者抜きで議論が進んでいかないよう、こうした仕事にこそ、哲学者が汗を流すべきなのだろう。カール・マルクスの墓石には、こう刻まれているという。

「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだったが、大事なことは世界を変えることだ」

 わたしが「正しい」と考える「運転免許の年齢規制」という政策は、さまざまな価値判断と利害関係を孕んでいる。本書に従うなら、これもコンセンサスを得るため、さまざまなディレンマ・トレードオフを経た「手を汚す」仕事になるに違いない。

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