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物理学の限界=その時代の技術の限界 『物理学は世界をどこまで解明できるか』

 「物理学の限界=その時代の技術の限界」であることが分かる一冊。

 私たちは、どれだけ世界を知ることができるのか? 科学で説明可能な領域に、根源的な限界はあるのか? もしあるのなら、その限界はどこであり、どこまで実在の本質に迫ることができるのか―――わたしが、ずっと抱いていた疑問に、理論物理学者マルセロ・グライサーが応えた一冊。

 古代ギリシャの哲学から最新の量子物理学まで、科学史を振り返りつつ、「世界に対する知識」がどのように変遷していったかを解説する。類書と異なるのは、実在論がキーになっているところ。

 つまりこうだ。それぞれの時代で現象の説明のために用いられる「科学的」なモデルは、実際にそのような形や性質で存在しているのか? という検証がつきつけられる。ご存知の通り、「科学的」なモデルは、それぞれの時代でに異なり、知識の精度や濃度が蓄積され、更新され、その度ごとに世界のありようは一変してきた。

 著者は、そうした知識やモデルによって捉えた世界を、比喩的に「知識の島」と呼び、人類が世界をどこまで知りえたかを説明する。大海という未知の世界に浮かんだ、知識の島だ。既知の世界が広がるにつれ、島の面積は広くなる。一方で、未知の世界に接する海岸線も長くなる。つまり、知れば知るほど、未知は広がるのだ。

 これは、素朴に科学を信じていた自分にとって、ちょっとした衝撃だった。たとえば、自然界に存在する力を統一的に説明する万物の理論が成立すれば、世界を解明したことになると思っていた。これが実現する2055年をサスペンスフルに描いたグレッグ・イーガン『万物理論』の影響もあったのかもしれない。

 しかし、仮に超弦理論がそれに成功したとしても、粒子の最初期の相互作用についてわかっていることの完全な理論を生みだす可能性があるだけであり、最終理論などではないという。なぜなら、わたしたちが「人」という存在である限り、人が観測し、理解できる範囲内であるという限界があるからだ。

 グライサーによると、自然を探索する方法が機械である以上、その限界は機械によって決められることになる。なぜなら、機械は人の発明品である以上、人の創造力とリソースに依存するからだ。科学史を振り返ってみれば明白だ。新しい顕微鏡、新しい望遠鏡、新しい粒子加速器によって、世界のありようは変わってきてのだから。

 さらに、観測や測定に限らないという。既知のデータから未知の領域へ外挿される理論やモデルもまた、現在の知識に頼らなければならない。これも、歴史が明らかにしているエーテルやフロギストン、熱素、ボーアの原子モデルも、(その当時として)自然現象の記述として機能していた。物理的な実在に関し、最終的な説明などは存在せずより効果的な記述があるだけだという。

 ヴェルナー・ハイゼンベルクはもっと短い言葉で喝破している「私たちが観察するものは自然そのものではなく、私たちの探究する手法に応じて露わになった自然である」。探究する手法や機械によって、実在が変わるのだ。コロンブスの地球を中心とした宇宙は、太陽が中心にあるニュートンの宇宙と根本的に異なる。アインシュタインにしても然り。

 私たちがある時点で「真実」とする実在の説明は、時代により、モデルにより変化する。ここでプラトンの洞窟の喩えを思い出す人がいるかもしれない。洞窟に住む私た見ているのは、イデアの「影」であり、縛られているがゆえに振り返ってイデアそのものを見ることができない。

 もちろん、ある意味でこの喩えは合っている。すなわち、どんなに科学が進んでも、見えるのは実在の近似にすぎず、けっして実在そのものを見ることができないという点では正しい。だが、そこで照らし出される「影」そのものが変化するところが違う。そして、その限界は人に依存する。『万物理論』の「宇宙を正しく説明できたら宇宙そのものが消滅する」ネタは、とどのつまり「わたし」が理解するから世界がある人間原理につながる

 この限界は、佐々木閑『科学するブッダ』で考察した通り。量子論、進化論、数論を切り口に、科学の人間化が起きていることを解き明かすスゴ本なり。世界の真の姿を求めて論理思考を繰り返すうちに、神の視点を否応なく放棄させられ、次第に人間という存在だけを拠り所として物質的世界観を作らねばならなくなってきた「科学の限界」を説明する。

 仮に、物理学が行き詰まるとするならば、限界側―――つまりヒトの観測ないし発明された機械の側から逆照射することで、突破口が見出されるのではないか、と考えられる。これまで、自然現象の観察と説明からモデリングをボトムアップで積み重ねてきた物理学に対し、「ヒトで理解できる/測定可能な範囲」から説明可能なルートがないかアプローチするのだ。

 このアプローチは、カルロ・ロヴェッリが『すごい物理学』で紹介するループ量子重力理論につながると考える。すなわち、時間と空間に対し、それ以上の分割不可能な最小単位(スピンフォーム)が存在する前提で、一般相対論の時空間と量子場を合体させる試みだ。このスピンフォームこそが、時空を離散的なものとみなす「ヒトで理解できる/(将来)測定可能な範囲」なのではないか。

 知識の島のてっぺんに立ち、科学の射程をふりかえる一冊。

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