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排他的家族主義の物語『平浦ファミリズム』

 「ラノベばかり読んでるけど国語で全国2位取った」という匿名さんに誘われて読んで驚いた。これ、すらすら読めてズシンとくる。パッケージがラノベなだけでラノベじゃない、「家族とは何か」をシニカルに愛情たっぷりに描いた家族小説なり。

 喧嘩っ早いキャバクラ嬢の姉。引きこもりでアニメオタクの妹。コミュ障でフリーターの父。そして、ほとんど高校に行ってない「俺」で構成される平浦家。世間的に見れば「普通」ではない家族が、寄り添うように暮らしている。

 日々の生活で明かされる、それぞれの過去がキツい。最初のページで分かるのだが、ベンチャー企業の社長だった母は、既に他界している。美人の姉はもと兄で、性同一障害に苦しむトランスジェンダーである。なぜ妹が引きこもりになったかのエピソードは、怒りのあまり目の前が真っ白になる。人付き合いが下手で、社会不適格者の烙印を押された父は、それでも家族を守ろうと奮闘する。

 社会的にはマイノリティとなる家族の生きざまに、不愛想でも温かな目を向ける「俺」。文武両道、高身長、高い知性と柔軟性というラノベの主人公らしからぬハイスペックゆえに(?)、達観したような、拗ねたような口調で淡々と「正論」が語られる。

 曰く、他人なんて信頼できない。頼れるのは家族だけ。学校、会社、地域社会が押し付ける都合の良い集団主義と同調圧力は糞くらえ。誰に迷惑をかけているわけでもないし、それなりの収入も得ている。おまえらが「俺」に向ける「心配」は、自分かわいさの自己憐憫の一種にすぎぬ―――ロジカルに展開される「正論」は、読み手の立場に応じて強い説得性を持つ。

 一方、その危うさも垣間見える。家族だって人間だ。人間だから変化する。歳を取り、成長し、嗜好も変わってゆく。なるべく社会とかかわらないようにしても、それでも他人は入ってくる。学校、会社、地域社会のなかで、そんな「俺」を本気で憂い、寄り添おうとする人も出てくる。家族で対処できないような問題が起きたならば、助けを求めねばならぬ。だが誰に? 誰を信用すればよいのか?

 そうした葛藤と交流のなかで、「俺」が徐々に心を開いていく。その姿を見ているのが楽しい。それは、「俺」とは似ても似つかぬわたしの中に、「俺」が抱いている嫌悪感と同じものを見、同じ葛藤を経、そして同じ結論に達しているから。

 最初は、「俺」が抱く社会への嫌悪感の理由を探しながら読む。そのうち、家族そのものへ行き当たることを知って愕然となる。なぜ家族がそうなっているか、そして母がなぜいないのかは、「俺」が社会を避ける理由の裏返しなのだ。

 さらに、家族を経由した他人とのつながりのなかで、母が遺した願いを通じて、人を信じようとする。少なくとも、まず人を知ろうとする。家族に向けるまなざしと同じあたたかさはないけれど、それでも、人の言葉を受け取ろうとする。章を追うごとに「俺」の口調の端々にそれが観て取れる。その変化が楽しい。

 同時に、穏やかだった日常が、思わぬ方向へ転がってゆく。前半の日常が破壊されてゆく様子は、そのまま「俺」が被っていた世間へのバリアーが壊されてゆくのと同期する。普通ではない家族が、普通に生きようとするのは、それだけ大きな代償を必要とするのか。

 読みながら、ジョン・アーヴィングを彷彿とさせられる。普通じゃない家族が普通の人生を歩もうとすると、どこかで滑稽な展開になる。

 そう、『ホテル・ニューハンプシャー』のことだ。家族のためにホテル経営を夢見て家族を犠牲にする父、ゲイの兄、輪姦され心を閉ざしレズビアンになった姉、小人症の妹、難聴の弟、そして「ぼく」―――それぞれに傷を負った、問題がありすぎる家族の、問題がありすぎる人生を、ユーモアとペーソスたっぷりに描いた家族小説だ。

 この小説の凄さは、「悲しい」と書かずにちゃんと悲しみが伝わること。もちろん "sorrow"(悲しみ) という言葉は出てくるが、誰かが死んで悲しいとか、何かを失って嘆くとかというときに、固有名詞のようにひょっこり顔を出すのだ。悲しみだけではなく、嬉しいこと、誇らしいこと、心地よいこと、腹立たしいこと、読むと、さまざまな感情が押し寄せてくる。

 その一つ一つがちゃんと計算されていて、ストーリーに翻弄されることを請け合う。長い長い物語なのだが、泣いたり笑ったりしているうちに、最後にはあたたかな気持ちになれる傑作だ。もちろん舞台もキャラも物語も違う。だが、あたたかな読後感覚が同じなのが面白い。両者とも、バットのフルスイングが重要なキーとなっているところまで似ているのが楽しい。

 パッケージはラノベだが、中身が違う。ライトノベル的なキャラクターやシチュエーション、展開はあるが、良い意味で裏切ってくれる。ひょっとすると、こんな「ラノベ枠を超えた文学」が流行っており、わたしが最近のラノベ事情に疎いのかもしれぬ。いずれにせよ、読んで楽しく・あたたかなひとときを過ごせた。本作を世に出した方と、縁を結んでくれたはてなの匿名さん、ありがとうございます。

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