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あまりにも無色透明な絶望『絶望を生きる哲学』

 理想主義がまぶしい。濁ったおっさんには青すぎて懐かしすぎる。

 これ、中学生でかぶれたら、一生治らないヒューマニストになっていただろう。池田晶子の著作から箴言を選り抜いているが、どの言葉も強く厳しく、主語がでかい。

時代が悪いというのなら、あなたが悪いのだ。何もかもすぐにそうして時代のせいにしようとするあなたのそういう考え方が、時代の諸悪のモトなのだ。なぜ自分の孤独を見つめようとしないのか、なぜよそ見ばかりをしているのか。不安に甘えたくて不安に甘えているくせに、なお誰に不安を訴えようとしているのか。(太字化はわたし)
自分の体験から語ろう、体験としての思想をもとうなどというのこそ、戦後民主主義の寝言なのである。体験からしか言えない人は、体験が逆ならば、逆の意見を言うだろう。だから個人の意見などいくら集めてもしょうがなのだ。

 第一印象は茨木のり子。それも「倚りかからず」を目指しているように見える。自分の感性くらい自分で守れというやつ。ブッダの思索やキリスト教、ソクラテスの名を借りたプラトン、あとはデカルトと良寛など、賢人たちの言葉を咀嚼して、アジテーションに変換する。絶対的・普遍的な「善」なるものは確かにあり、それを実現するために生きろと呼びかける。その、強くて正しい言葉が心地いい。勇敢に好戦的に全方位的に射撃しているので、そのうちの何かに撃たれるかもしれない。

 言っていることは「正しい」。たとえば、「便利になることで節約された時間を仕事に使うのなら、便利になることで仕事はより忙しくなっている」、「人生に物語を求めるとは、人生は何事でもないという自由に耐えられないから」、あるいは「未来への不安、過去への後悔は時間認識の誤り。なぜなら未来や過去に苦しむのは、いつだって現在なのだから」なんて箴言は、そのまま tumblr の「#名言」に突っ込みたくなる(実のところ、著者を tumblr で知った)。

 その「正しい」メッセージの中に、強烈な自己愛がそこかしこに突き出ており、思わず微笑してしまう。「わたし」は自分でモノを考え、生きている。何も考えず、世間や常識というやつに流されているその他大勢とは違う! 「わたし」の言葉は、哲人たちの思索から汲み上げた叡智を結集したものであり、その他大勢ではなく、まさしく「あなた」なら受け取れるはずなのだから―――いわゆる、刺さる人には刺さる。

 むしろ、タイトルの「絶望」という言葉にダブルスピークを感じる。役に立つタイミングからして死亡保険というべき「生命」保険。実質的にやってることは監視なのに「防犯」カメラ。タイトルの、絶望という言葉に希望を込めたいのではなかろうか。絶望という言葉で不安を煽って、その支えとなる「希望」を印象づけたいのではなかろうか。

 だとするなら、その絶望の深さはいかほどか。その痛みや不安はどれほどか。愛し子を喪い神へ問うたクシュナーの苦悩や、20歳で難病になった頭木弘樹の果てしない絶望を傍らに読むと、彼女の絶望は、あまりにも無色透明だ。彼女がどういう人生を歩み、どんな闇の淵を覗き込んでこの文章を書いてきたのかが、気になる。

 魂の濁り具合(もしくは絶望の透明度)を確かめるのに、最適な一冊。

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