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徹夜小説『ウォッチメイカー』

 「屈辱」というゲームがある。本好きが集まって、未読の本を次々を告白するゲームだ。

 大事なのは、「みんなが読んでるのに、自分だけ読んでいない」作品だと、ポイントが高いところ。つまり、読んでて当然の本を読んでないと告白する「屈辱」を味わうゲームなのだ。

 この「屈辱」を、ミステリ好きの読書会でやったことがある。わたしが、「ジェフリー・ディーヴァーは一冊も読んでないんですよね」とつぶやいたところ、そこに居た全員(?)から、哀れむような目で見つめられた。そんな悲しい目で見なくても……と言ったら、「羨ましいんだよ!」と全員(!)からツッコミを受けた。

 ジェフリー・ディーヴァーを読んでいないミステリ好きは、「ミステリ好き」と名乗る資格があるかどうかは別として、幸せものらしい。なぜなら、これから絶対に面白い本にどっぷりとハマれることが保証されているから。

 そこで議論が百出する。やれ『魔術師(イリュージョニスト)』が良いとか『石の猿』が好きだとか。喧々囂々の末、ほぼ全会一致で「最初は『ボーン・コレクター』を読め。最高は『ウォッチ・メイカー』だから取っておけ」というご忠告をいただく。前半の忠告を実行した結果は、[『ボーン・コレクター』から始めなさい]に書いた(あまりの面白さに徹夜になる前に読み干してしまった)。

ウォッチメイカー上ウォッチメイカー下

 そして後半の忠告を守らず、さきほど読み切ったのだが、一徹で済んだと告白しておく。そして断言できる、これは面白い……というか、凄い! 「ページを繰る手が止まらない」という前評判通りで、めくるというより、ページを立てて読む勢いなり。ジェットコースターのように止められない止まらないと思っていたら……ガツン! とアタマを殴られる。

 え…? 今まで読んできたのは、いったい何だったの!? 先に進みたい欲望を抑え込み、いったん戻る。自分が追ってきたストーリーが、自分の目で見たまんまではなかったことに気付かされて叫びたくなる。鮮やかに、軽やかに、何度も何度も主人公を、読者を、そして犯人をも騙す。世界が塗り替わるような驚きと興奮にゾクゾクする、これは凄い!

 ストーリーに触れずに面白さを伝えるのはかなり難しいが、やってみよう。「ウォッチメイカー」と名乗る者が、残忍かつ精密な手口で犯行を重ねてゆく……対するは科学捜査の専門家リンカーン・ライム、四肢麻痺でベッドから動けない身体だが、現場検証のプロフェッショナルや、尋問のエキスパートとともにチームを組んで、微細証拠物件から犯人像を組み立て、仮説検証を繰り返し、徐々に追い詰めていく。。

その見えない駆け引きの「見える化」がとてもスリリングだ。一見バラバラに見える、複数の点と線がつながるとき、一種のカタルシスを感じるに違いない。

 だが、これだけでは半分も伝えていない。追うもの・追われるものの丁々発止だけでも徹夜を覚悟すべきだが、ガツン! と殴られるお楽しみはこれからだ。この、作者以外全員を騙す構造は、将棋の藤井四段に対する評が最も適している。これだ。

「性能の良いマシンが来ると聞きフェラーリが来ると思ってみてみたらジェット機が来たレベル」

 もうね、これ全力で殴りに掛かっている。かろうじて、わたしが気付いたのは、冒頭開始2ページ目。「ウォッチメイカー」の本名が出てくるし、相棒がいる。えっ? ふつう、このテの犯罪者は単独行動だろうに。予想を狂わすパラメータとなる要因の最大の存在───共犯者───なんて、ハナから考えないだろうに。しかもこの相棒、食欲・性欲魔人で、自分の行動を押さえることができない。ウォッチメイカーには絶対服従みたいだが、なぜ?

 ミステリ読み巧者なら、「その相棒は実はウォッチメイカー自身で、読者をミスリードさせる叙述トリック」を想定するが、早々と打ち砕かれる。ならばひょっとして……と予想してたのが、ある場面でドンピシャで思わず顔がほころぶ───と思いきや、次の瞬間、驚愕に歪む。目をまん丸にしたり、開いた口が塞がらなかったり、百面相する読書は、かなり珍しい。

 どうあがいたって驚かされることは確定なのだが、注目する方向を抽象化してお伝えする。

 それは、物語の構造だ。

 物語には、「はじまり」があり、そして「なか」があり、最後に「おわり」がくる。それぞれの間にはターニング・ポイントでつながり、因果関係で結ばれている。読み慣れている人は、それを意識しながら進めるので、途中で「あれっ?」と思うはずだ(なぜ「あれっ?」と思うかはお楽しみに。読んだ人なら絶対わかる)。この、ストーリー自体が構造に揺さぶりを掛けてくる興奮を、ぜひ味わってほしい。

 もう少し視点を近づけ、地の文に注意してみよう。会話じゃない文章ね。いろいろパターンがある。

  • いわゆる三人称の描写文で、「ライムは…」「後ろで物音が…」といった、登場人物にまつわる(ミメーシス)
  • 神視点の内面描写
  • 会話を引き取って次パートにつなげる
  • かいつまんで状況説明する(ディエゲーシス)
  • 著者の文
 問題は最後。「著者の文」って、あたりまえでしょ? この小説の全ての文章は著者・ジェフリー・ディーヴァーが書いているのだから。その通り! その通りなんだけど、違うんだ。さりげなく地の文に紛れ込んでいる、著者からの挑戦文なのだ。その証拠に、すべてが分かった後から読み返してみると、ああ、これは確かに著者自身が読者に向けてヒントのつもりで書いたことだと、浮かび上がってくるから。

 ピンとこない人には、アガサ・クリスティーのプロットを思い出してほしい。クリスティーのが物語に仕掛けるのは、「決め手となる証拠・証言は、予め書かれている」だ。ポアロやマープルが種明かしをする段階で、「あっと驚く新証拠」や「後から出てくる新証言」なんてものはない。もちろん、偽の手がかり、信頼できない語り手、ありえない被疑者といったプロットで読者を大いに惑わしてくれる。だが、既に出てきた、舞台上にある証拠と証言だけで、犯人を追い詰めているのだ。

 だから、二度読みすると、全てわかった人だけに分かる「著者から読者に宛てられた文」が見えてくる。この小説、ご親切にも要所要所で事件の「まとめ」が入る。犯行現場、被害者、犯人、手口、証拠物件を箇条書きにしたもので、捜査本部にあるホワイトボードの「写し」のような体裁になっている。全部読んだ上で見直すと、確かにそこにある。全てを見せた上で、徹底的に騙しにかかる。ご丁寧に、騙す手口まで登場人物の口を借りて白状ししている。ジェフリー・ディーヴァーの高笑いが聞こえてきそうだ。

 明日の予定がない夜にどうぞ。

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