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物語は、騙られるときにのみ存在する『不在の騎士』

 これは面白かった!

 中世の騎士道物語のフォーマットに則りつつ、ユーモアたっぷり、ちょっぴりエッチ、ハラハラドキドキさせられる。わずか200ページの中で、読み手を大いに笑わせ、泣かせ、驚かせながら、「存在するとはどういうことか?」という物語的実在論ともいうべき深い問いまで突きつけてくる。

 主人公は、白銀に輝く甲冑を身にまとったアジルールフォ。剣は一流、勇猛果敢、教養深く弁も立つ。15年前、とある淑女を悪漢から救い出して以来、数々の武功を立ててきた騎士の中の騎士である。ただし、鎧の中は空っぽだ。肉体を持たず、意思の力だけで存在する「不在の騎士」は存在するのか。

 そこで、おっさん世代なら『銀河鉄道999』の車掌さん、若い人なら『鋼の錬金術師』のアルフォンス・エルリックを思い浮かべるかもしれぬ。面白いことに、それ、正解なのだ。

 車掌さんが制服の下が空っぽなのを告げるのは、「車掌」という役割がもう必要とされなくなる物語のラストになる。また、アルフォンスが鎧を必要としなくなるのは、「肉体を取り戻すための」エルリック兄弟の冒険が終わるときだ。

 その役割や目的が(失われたり達成されることで)なくなると、それを担っていた制服や鎧が、なかったことにされる。言い換えるなら、その役割や目的といった"存在意義"のために、外殻が必要とされるのだ。

 では、最初から肉体を持たず、"存在意義"だけで存在する「不在の騎士」はどうだろう? 王に仕え、貴婦人に献身する、騎士道精神を具現化した存在で、自分が何者であるかを充分にわきまえている。その最初の武勲「15年前に救い出した処女」の処女性が疑われ、騎士の資格を問われることになる。かくして自分の存在意義の証を立てるべく遍歴の旅に出る。

 その旅は、ドン・キホーテやオイディプス王、ミュンヒハウゼン男爵の冒険を彷彿とさせつつ濃密に(なにしろページが足りない)"巻き"で進行する。漫然と物語に身を任せても楽しめるのだが、そこに仕込まれた寓意に気付くと地雷だらけになっていることが分かり愕然とする。

 即ち、「物語は、語られるときにのみ存在する」という事実だ。これは、自分の武勇伝を誇張して吹く武人たちや、この「"不在の騎士"という物語」を語る修道尼のエピソードに埋設されている。フィクションをフィクションたらしめているのは、それを語る人が「お話」として扱っているから。

 その語り手の次元は、語られたフィクションからすると"ノン"フィクションになる。語り手が物語りを「騙る」のは、武勇を大きく見せたいとか、修行の一環であるといった動機が必要だ。

 騙る動機が(失われたり達成されることで)なくなると、それを担っていた物語が、なかったことにされる。言い換えるなら、その動機のために、外殻すなわち物語が必要とされるのだ。メタフィクショナルな展開に驚きつつも、この物語における「不在」の二重性に舌を巻く。これは凄い

 著者は文学の魔術師イタロ・カルヴィーノ。架空の都市の見聞録を描いた『見えない都市』に触れたときも、銀河鉄道999とつなげて読んだ→[『見えない都市』と銀河鉄道999]

 物語は、騙られるときにのみ存在する。メタで濃密で極上の物騙りをどうぞ。

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